第3話

 
「うー、またやっちまった……」

 少女は羞恥心ゆえか項垂れながら後始末をしていた。
 ティッシュで惨憺たる股間を拭き取り顔を顰める。
 その一方の少年は面白そうにそんな少女の様子を眺めていた。

「まあまあ気にするなって、別に赤の他人に破廉恥な現場を目撃されたわけじゃないんだから」

「とはいえなぁ……。
 自分自身に見つめながらイっしまうとは……マジで落ち込むよ」

「秀樹も変なとこ拘るなあ」

 お気楽な少年の言葉に、少女は唇を尖らせていた。

「はあーっ、直美の口車に乗せられたとはいえ……オレ一体何やってんだろ」

「まあいいじゃないか?
 俺は自分のオナ○ーを見てただけだし、秀樹にとっては自分に見られただけなんだからさ」

「どっちにしても、直美に見られたのは確かじゃないか?」

「気にするなよ。
 恋人ができたらいずれはそんな自分の姿も相手に見られるようになるんじゃないか?」

「……それはそうかもしれないけどさ」

 少女は、しつこくも渋い眼差しを少年に向けていた。

「でも、恋人って……直美は誰か好きな奴はいるのか?」

「いねぇよ。
 だって、俺、男だもん。
 ……いや、男とかどうとかは置いておいても、俺の恋愛対象は女だな」

「要は奴じゃなくて、女ってことか……。
 でも、そこまで直美が男だとは思わなかったな」

「へ〜ぇ、秀樹は俺のことどう思ってたんだ?」

 少年の言葉に、少女は少し考え込む。

「うーん、確かに男みたいな奴だなっていうのは思ってた。
 気も合うし、女にしては親近感あるな〜って感じかな」

「やっぱ、秀樹も俺のこと、女として見てたわけか」

 お気楽な少年の声にも少し重みが増した。

「ごめん、でもやっぱオレ、直美がそこまで男でいようとしてたなんて思わなかったんだ」

「まあ、普通はボーイッシュな女だな〜ってくらいにしか思ってくれないのかもな。
 俺としては男に見られようと努力してたつもりだったんだが……」

 少年が自嘲気味に笑う。

「ごめん。でもさ、オレも直美になってようやく直美の気持ちが分かったような気がするよ。
 これでもオレは生まれつきの男だったわけだし、それでも今は女の体なんだからな。
 女の体でも、男の心っていうのは”あり”なんだって思った」

「ま、秀樹は俺らの証明みたいなもんではあるよな。
 心は生まれつきの男なのに、体は女。
 まあどっちにしても、秀樹には感謝してるよ」

 意外な少年の感謝の言葉に少女は驚きを隠せないようで、目をパチパチさせながら少年を見つめる。

「………なあ、それで直美はどうしたいんだ?」

 この三ヶ月、体を入れ替えられてから、悪ふざけ気味に『体を返せ』『返さない』と言い合ってきた二人。
 それでも、今、少女の放ったこの言葉は真剣なものだった。
 だからこそ、少年は黙って暫く考え込む。

「なんていっていいか分からないけど……俺としては、ずっとこのままでいたい。
 男として生きていきたい。
 秀樹になって、実際に男になって余計に俺、男でありたいって思ってるんだ」

 そして、少年は胸の奥に秘めてきた本音を少女に告げた。

「そうか……」

「ごめん、俺も自分勝手だとは思ってるけど……秀樹にこの体を返したくない。
 っていうか、秀樹だって俺の体でうまくやってるじゃんか?
 俺がその体だったときより、うまくその体で折り合いをつけてるみたいだし、このままの方がいいに決まってる」

「いや……あ、でも」

 あまりにもストレートな言葉に、少女は戸惑ってしまっていた。

「はぁ……なんかそういわれるとオレ、何も言い返せないな」

「だろ?
 秀樹は、もうこのまま『相川直美』になればいいんだよ」

「そ、そうじゃなくて……」

 少女は片手で目頭を覆う。

「え?」

 少年は、微笑を湛えながらも困惑を隠せない少女の顔を見ていた。

「はっきりいうよ、オレも……。
 オレもやっぱり『小林秀樹』に戻りたい。『小林秀樹』でいたんだ」

「……そうか、そんなに俺の体が嫌か」

 二人の表情が沈む。

「いや、直美の体が嫌ってわけじゃないよ。
 女だからどうとかいうつもりはないし……それに直美の振りにするにしても、普段のオレと大して変わらなかったからそんな気苦労はなかったさ。
 けど、やっぱり自分じゃない」

「自分じゃないから嫌なのか?」

「そりゃあ、そうだろ? オレは生まれつきの『相川直美』じゃない。
 『小林秀樹』として生まれて、三ヶ月前まで『小林秀樹』として生活してたんだ。
 そんなに簡単に自分を捨てれるはずない」

「ふぅ〜ん」

 少年は真面目な眼差しで、熱心に語る少女の瞳を見つめる。

「まあ今の理屈は分かったけどさ。
 実際のところ、秀樹は女のことどう思ってるんだ?」

「え?」

「『女だからどうとかいうつもりはない』とか『普段のオレと大して変わらなかったから気苦労はなかった』とかいってたけど、それは本音じゃないよな?」

「それは……」

「な?
 俺は今の言葉は偽りだと思うぜ」

「ん……」

 少女は、思わず唇を噛んだ。

「秀樹がいえないなら俺がいうぞ。
 今の世の中、男女平等っていっても、俺が思うに完全な平等だとは思えない。
 少なくとも『女』の方が理不尽だと思うことが多いはずだ。『女』であるがためにな。
 どんなに心が『男』であっても、体が『女』なら社会的には『女』であって、『男』よりは不利になる。な、そうだろ?」

「……」

「歴史を勉強したって、『女』が歴史に関わってくることは少ない。
 俺たちが学ぶのは圧倒的に『男』の歴史だ。無論、そいつら男の英雄とて、『女』がいなきゃ生まれてくるはずがないんだけどな」

「……それは分かってるさ」

「ふぅ……。
 スポーツでもそうだろ?今の世の中にあっても、身体的能力で『女』は『男』に劣るとされている。
 映画の世界じゃ、万能で男勝りの『女』が描かれることはあるさ、でも現実を見ればどうだ?まだまだそんな『女』が活躍しているところなんて見ることはない。
 政治とか経済の世界でも、ウーマンパワーはまだ『男』には叶わない。
 バランスっていうのは考えたとき、今でも『女』は『男』に負けてるんだ」

「それはそうだけど……」

「秀樹だってそうだろ?
 俺になるまでは、俺のこと、『男みたいな女』と思っていたわけで、結局のところ自分より弱い『女』だと思ってたんだろ?」

 少年の言葉に、少女は打ちのめされていた。

「それは……認めるしかないな。
 ごめん、確かにオレは男と女は身体的な意味で区別してたと思う」

「まあそれはいいさ、実際『身体的』には違うんだし。
 それは今『女』になっている秀樹にはよく分かってるだろ?
 今股間を触っても、今の秀樹には『男』のモノは備わってないんだからな」

「う、うん……」

「やっぱな、俺が思うに一番の問題は『性』で生活が区別されることだと思う。
 男女平等とかいいつつ、結局『女』はこうあるべきとか、『男』はこうあるべきだとかいうだろう?
 それが間違ってるんだよ。
 昔でいうところの『男』『女』という性別の尺度は人間を二分するもんだ。それで平等なんていえるわけがない。
 そもそも人間なんて『男』『女』であるべき姿っていうのを作っても、その中間でうようよ分布してるもんだろ?
 それでたまたま俺はその尺度でいうところの『男』寄りに位置してたってだけなんだ」

「それは分かるな」

「な? だから、さっきの秀樹の言葉は嘘だと俺は思う。
 今の世の中で同じなはずはないんだよ。今の世の中じゃな。
 秀樹だって、今は『女』だ。
 それで『女らしくしろ』、『女のクセに』っていわれてどうよ?堪えるものはないのか?」

「う……」

「ま、そんなものなのさ。
 秀樹だって、それは感じてたはずだぜ。
 三ヶ月も『女』でいて、『女』である以上、いくら俺みたいに『男』っぽく振舞っていても所詮は『女』だと思われる」

「……」

「だから、これは罰だ。
 秀樹は大きな嘘をついたんだからな、当然もっと『女』でいなきゃならない」

 少年はニヤリと笑うと、少女の胸をいきなり掴んだ。

「なっ!?何すんだよ」

 少女は少年を払うと、両腕でガードしていた。

「それに、オナ○ーしたら元に戻すっていってたじゃないか?」

 少女の抗議は続く。

「いんや、さっき嘘ついたのでそれは取り消しだ。
 しっかりと『女』に生まれてきた意味を考えてもらう」

「う〜、直美、酷いな」

 少女は悔しそうに睨んだ。

「だって、秀樹は『女』の立場から物事を見れるようになってないからな。
 そんなので『男』に戻してやれるはずはないだろ?
 そもそも”『女』にできるものならしてみろ”といったのは秀樹だからな」

「それはそうだけど…」

「じゃあさ、こういう話をしよう。
 今の秀樹は『女』だろ、『女』として、『女』の今の世でのあり方をどう思う?
 少なくとも秀樹は『男』の側からの『女』への見方は知っているはずだ。
 グラビア、アイドル、商品化された『性』。その中で『男』よりも『女』はモノのように扱われることが多いと思わないか?」

「う、うん…それは思うな。
 つまり、直美がいいたいことはこういうことだろ?
 ポスターとか、イメージガールとか、とにかく女性の水着姿とか、そういったものの扱われ方の話をしてるんだよな?」

「『もの』っていうなよ」

「あ、ごめん……」

「ま、それはさておき、海外なんかでも『女』の扱いは酷いだろ。
 特に発展途上国とか。体を売るとかな、売らされるとかな。そんな話を聞いて、『女』の秀樹はどう思う?」

「確かに不条理だし、『女』に生まれたというだけでそんなことになるなんて嫌だな」

「それは俺も同じなんだよ。
 そりゃそういう目に遭っている人たちに比べればはるかにマシだけどさ、俺は『男』でありたかった。
 こういう現実を見て、『女』が嫌になったわけじゃないけど、余計に『女』であることは嫌になったよな」

「ふぅ〜ん……」

「『ふぅ〜ん』なんてよくいってられるな。
 秀樹、お前は『女』になっている時点でこういう話じゃ当事者なんだぞ。
 現実に『女』であることの弊害を受けるのはお前だからな」

「そんなこといわれても………」

「いくら男女平等の日本とはいえ、『女』になった時点で秀樹の給料は『男』より安くされる。
 交通事故で死にそうな目に遭っても、慰謝料は『男』より安い。
 そんな風にお前は、見られてるんだよ。『女』になった時点でな」

「わ、分かっちゃいるよ、それくらい。
 オレが直美になっているということは、オレは『女』なんだから、そういうことになるというのは考えてた」

「なんだ、秀樹も考えてたのか?」

 少年は少女を馬鹿にしていたかのようにいう。

「酷いこというな。
 まあ、こういうこというと直美に悪かったから、黙っていたんだ。
 でも、現実だからな、直美がそういうこといってるのに黙っているわけにはいかないだろう?」

「ふっ、まあいいさ。
 秀樹にとって自分が『女』だというのは現実問題だからな。
 しっかり考えるがいいさ」

「……あのさ、それでオレを元に戻してくれないわけ?」

 少女は困ったようにいう。

「秀樹だって、嫌じゃないんだろ?」

「そ、そういう問題じゃ……」

「だってさ、俺がその体だったとき、本当に『女』であることが嫌だったんだ。
 胸の膨らみが大きくなってくること、生理がくること、オナ○ーして現実逃避しても女臭さに現実に引き戻され、余計に女性ホルモンが出てるっぽいことに吐き気すら覚えたんだ。
 その点でいうと、秀樹は俺の体でいることで気分が悪くなるほどの嫌悪感がないのだろ?よっぽとその体が似合っているじゃないか?」

「そりゃあ、そこまで辛い思いをしてる直美を、この体に戻したいと思ってるわけじゃないけど……」

「なら、秀樹は『相川直美』になればいい」

「はぁー……」

 簡単にいってのける少年に少女は肩を落とした。

「まあ秀樹が俺のことを自分勝手だといいたいのは分かるけどさ、秀樹も楽しんでるんだから、それくらいは責任とれよな」

「そっちだって、楽しんでるんだろ?」

 少女は思わずむすっとする。

「まあな。俺は確信犯的に秀樹の体を楽しませてもらってる」

「ひでぇ……」

「酷いってなぁ、秀樹だって俺の全てを手に入れてるじゃないか?
 毎夜、女の体を堪能してるんだろう?」

「うっ……」

「まあ楽しめるうちが花かもな。
 身も心も馴染んちまったら、うんざりするだけかも……」

「なんか嫌なことばっかりいうなあ」

「まっ、俺は秀樹に『女』を実感させたいだけだからよ」

「はぁ、オレ、直美に流されっぱなしのような気がする」

「ははっ、秀樹、ホントに流されるまま『相川直美』として大人になってるかもよ」

「怖いこというなよ」

「怖いねぇ……そういや、秀樹は入れ替わりのことどれくらい知ってるんだっけ?」

 少年がふと気が付いたかのように言う。

「ああ、あの枕のこと?
 というか、あの枕して寝て起きたら、直美になってたんだもんな」

「それだけしか知らないんだよな?」

「ああ、そもそもオレの持ち物じゃないんだし。
 でも、あれさえあれでいつでも元に戻れるんだよな?」

「まあな。
 もしかして不安になって確かめたかったのか?
 確かにあれで元に戻そうと思えば可能だぜ」

「そうか……」

元に戻れるという保証を得て、少女が安堵する。

「でも、あれには別の使い方もあるんだ」

「別の使い方?」

「そ。本当に相手になりきろうとするなら、相手の記憶をコピーできる」

「……き、記憶を?」

 聞き返す少女に少年はニヤリとした。

「だからな、秀樹が『相川直美』になりきるなら、俺の記憶を全てやるよ。
 そうすれば、身も心も『直美』になれるかもよ」

「ちょっ、ちょっと待てよ。
 記憶なんかコピーしたら、オレ、どうなっちゃうんだよ!?」

少女はかなり焦った様子でいう。

「心配するなよ。俺と全く同じ人間になるわけじゃない。
 少なくとも、秀樹の人格には影響があるとは思うけど、あくまでベースは秀樹だからな。
 聞いた話じゃ、今の自分の体との一体感が得られてすごく快感だとかいうこった」

「そ、そんなの嫌だなあ……」

「面白そうじゃないか?
 俺は興味あるけどな。秀樹がどんなこと考えてたのとか、裏の心理とか分かりそうだし」

「おいおい、やめてくれよ」

「まあまあ、あの枕でもう一度寝ないとそれはできないんだし、するもしないも秀樹次第だぜ」

「はぁ……それより、俺の体を元に戻してくれ」

「あ、そういえば……俺の記憶を秀樹に全てやれれば、秀樹も生まれつきの『相川直美』と同じになれるじゃんか?
 なら、そうすりゃ秀樹も納得できるってことだろ?」

「あのな〜……いってることがむちゃくちゃだ」

 少女はもうやつれきったような顔をしている。

「ま、いいや。
 そろそろ頃合だし……」

「あ、もうこんな時間」

 少女も腕時計を見て、驚く。
 体育倉庫の日取り窓から入る光も赤く染まっていた。

「そんじゃ、お疲れさん。
 今日はいいもの見させてもらったよん」

 おどけて少年はいうと、さっさと体育倉庫から出て行く。
 少女は身なりを整えながら、少年を見送った。






<後書き>

新年、明けましておめでとうございますっ!!(^o^)/
年始早々、早速トークバトルということで……って、直美が一方的に喋っているような…(汗)
えーっ、それはともかく本年もどうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m(つるりんどう)


2004/01/01(Thu)
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