トラップ (その3) 作:toshi9 さて夕方、勤務時間が終わりに近づいた頃、美麗から電話が入った。 「社長、美里が承知しましたよ。帰宅される前に、私の家で準備しませんか?」 「いいだろう」 「それでは美里と一緒にお待ちしておりますんで」 受話器を下ろすと、ふうーっと深いため息を漏らす。 さっきは美麗になったが、夜は妹の美里になるのか。 他人の姿になれるなどとは今でも信じられないが、まさかあの姉妹に、姉と妹の両方になるなんてな。 そう、美里とは屋敷でメイドをしている美麗の妹のことだ。まだ高校生の彼女は、昼は高校に通い、夜は屋敷でメイドとして働いている。いまどきメイドなどと思うかもしれないが、祖父の代に建った広い屋敷で生活するには使用人が必要なのだ。美里は卒業するまでは屋敷に住まわせて高校には行かせることにしている。だが夜はメイドとして働かせているのだ。たとえ父親がこの私と同じでも、愛人から生まれた彼女たちと私とでは所詮身分が違うのだ。 そして美麗の提案とは、妹の美里になって劉美里として屋敷に戻ってみてはどうかというものだった。 メイドの美里として、それとなく私の妻から私に対する気持ちを聞いてみれば、きっと妻が本音を漏らすのではないかというのだ。 確かにそれは面白い提案だった。美里の姿になって屋敷に戻っても、クリームのことを知らない妻や使用人にはそれが実は私などとは思いもよらないことだろう。 1時間後、私は社長専用車での送迎を断ると、一人タクシーで彼女のアパートに向かった。部屋の中では既に戻っていた美麗と美里が待っていた。学校帰りに直接ここに来たのだろう。高校の制服を着た美里がぺこりとお辞儀をする。 「お帰りなさいませ、だんな様」 「ああ」 可憐といっても良い制服姿の美里。今から私がこの美里になるのだ。 私は内心少なからぬ興奮を覚えていた。 「さあ社長、急いで準備しましょう」 「ああ。しかし美里、ほんとうに良いのか」 こくりと美里が無言で頷く。 「でも姉が言ったようなことができるだなんて、あたしにはとても信じられません。本当にそんなことができるんでしょうか?」 「私も最初は信じられんかったがね、だが美麗が話したことは事実だ」 「そうなんですか……わかりました。で、あたしは今からどうすれば」 美里の態度は意外なほど素直であっさりしている。いくら相手がだんな様である、そして腹違いの兄であるこの私だとは言え、自分の姿を借りたいなどと言われれば、それが本当にできるかどうかは別にしても、女性の、それもまだ女子高生の美里が簡単に承諾するなどとは思えなかったのだが。 まあ美麗がよく言い含めてくれたんだろうがな。 「このクリームを顔に塗るんだ。満遍なくな」 私は紙袋からクリームの入った容器を取り出した。 「それが姉さんの言ってたクリームですか? わかりました」 美里は私からクリームの瓶を受け取ると、中のクリームを何の迷いもなく自分の顔に塗り始めた。 恐らく美麗から、肌がつるつるになると聞いているのだろう。 そして塗られたクリームが半透明になったところで、私の手で美里の顔からぺりぺりと引き剥がした。 そう、それは私が美麗の顔マスクに続いて、妹の美里の顔マスクを手に入れた瞬間だった。 まだ高校生の美里、父が生きていた頃私におにいちゃんとまとわり付いていた美里に、今から私自身がなるのだ。それは美麗のマスクを被った時よりもさらに不思議な感覚だった。 「さあできた。どうだ、美里」 「まあ、ほんとにあたしの顔が……」 「さあ、これを私の顔に当てたらどうなるか、よく見ておくといい」 私は静かにマスクを顔に押し当てた。 一瞬視界が揺れる。 そして次の瞬間、急に視界が低くなっているのを感じた。 たった今まで見下ろしていた目の前の美里が、私と同じ目線になっている。 美里は私のほうを見て、口に手を当てて驚いていた。 「あ、あたしだ。ほんとにほんとだったんだ」 「だからさっきから言ってるでしょう。美里ちゃん」 私が美里の声でそう言うを、美里はくすっと笑った。 「不思議。でもほんとに私そっくりですね」 「さあ、美里、じゃあ着ているものを全部脱いで頂戴」 横から美麗が美里を促す。 「姉さん、でも……」 美里は恥ずかしそうに俯く。 「大丈夫、脱いだら私の服を貸してあげるから。じゃああっちで着替えましょうか」 美里の姿になった私を残して、美麗と美里は隣の部屋に入っていった。 数分後、黄色いハイネックのセーターとジーパンを着た美里が出てきた。どうやらそれは美麗の服らしい。少し長めのセーターとジーパンの裾が折られている。 「下着まで社長に貸すのは恥ずかしいんで勘弁してくださいって」 美麗は笑って言った。その横で美里は顔を赤らめている。 「ですから社長、下着はさっき社長に貸したものをそのまま使ってください。あれも持って帰ってきて隣の部屋に彼女の着ていた制服と一緒に隣に置いてきましたので。あ、あたし着替えを手伝いましょうか」 「た、頼む」 会社の女子社員の制服の次は女子高生の制服か。 さて、隣室に移動した私は早速着替え始めた。着ていた自分のスーツ、ネクタイ、ワイシャツ、下着、靴下を全部脱ぎ去ると、美麗に手伝ってもらいながら再び美麗のパンティを穿きブラジャーを着ける。そして美里がさっきまで履いていた紺のハイソックス、スパッツ、そして白いブラウス、チェックのスカートと、次々に彼女の制服を身に着けていった。 美麗に赤いリボンタイを首につけてもらい、最後にブレザーを羽織る。 「社長、できましたよ。うふふ、ほら」 美麗が私に鏡を差し出した。 そこには、さっきまでの美里が映っていた。 「これが、私なのか」 頭の中ではわかっていても、鏡に映った自分の姿が美里になっているのは実に不思議な感じだ。私が表情を変えると、鏡の中の可憐な美里が同じように表情を変えるのだ。 「こほん、社長、あまりゆっくりしていると遅くなりますよ」 「そ、そうだな」 鏡に見入ってた私を、美麗は咳払いをして促した。 「そうだ。社長、言葉遣いには十分気をつけてください。特に奥様って言葉遣いにうるさいですから」 「そうか、いや、そうね」 「あたしも今夜は屋敷についていってあげますよ。社長に許可もらって久しぶりに美里のところに遊びに来たってことで。あ、本物の美里はあたしのアパートに泊まらせますから安心してください。明日は休みですし、丁度いいでしょう」 「そうか、そうだな」 「じゃあ美里、行ってくるわ」 美麗が美里にぱちりとウィンクする。 「行ってらっしゃい、姉さん。……兄さんをよろしく」 美里がにっと笑った……。 「ただいま」 「あら美麗、久しぶりじゃない」 玄関のドアを開けたメイド長がちょっと驚いた表情を見せる。 「今夜は久しぶりに美里と話がしたくって。社長に、いえだんな様に許可はもらったわ」 「そうかい。で、だんな様は?」 「今夜は帰りが遅くなるって」 「ええ? そのことを奥様には?」 「後で美里に伝えに行ってもらうわ」 「頼むよ。そんなこと奥様に話すの、あたしゃあ御免だからね」 メイド長が首をすくめる。 はて? 二人のやりとりを聞きながら、私は違和感を感じた。帰りが遅くなるって、私はここにいるのに。 隣の美麗を見上げると、美麗は小声で囁いた。 (ずっとそのままでいるわけにはいかないでしょう。奥様の真意を聞いたら元に戻るんですよ) そ、そうか。 「さあ、美里、早く着替えてお仕事しなきゃだめでしょう。今日はいつもより帰りが遅いんだから」 「そうだった……ね、……ね、ねえさん」 美麗のことを姉さんと言うのは、やたら気恥ずかしい。 さて、屋敷には入ったものの、美里の姿で丈の短いスカート姿で歩くというのは実にスリリングだった。だがすれ違う使用人の誰もそれが私だとは気が付かない。 思わずくししと笑う私を、だが美麗が横からこずいた。 「社長、駄目ですよ。がに股がに股」 「おっと、そうか」 股を広げて歩いている自分に気がついて、慌てて直した。 美里にあてがった小さな使用人部屋に入ると、早速高校の制服からメイド服に着替える。 ブレザーを脱ぎ、リボンタイを外す。ブラウスを脱いでスカートのホックを外して脱ぎ捨てると、下着だけの姿になった。 今の自分の体は華奢で実に頼りない。 「社長、かわいいですよ」 そう言いながらドレッサーを開けた美麗は、中からハンガーに掛かっている美里のメイド服を取り出した。 開いたドレッサーの扉についた鏡には、下着に紺のハイソックスを履いただけの姿の美里が映っていた。 「さあ、これを着てください」 美麗が私に吊りガーターと白いストッキングを手渡す。続いて黒のメイド服を。 使用人の服、これを私が着るのか。 吊りガーターをつけ、ハイソックスからストッキングに履き替えると、黒のワンピースに脚を通す。美麗が背中のファスナーを引き上げ、エプロンを結んでくれた。 頭に白のカチューシャをつけると、出来上がりだ。 それはいつも屋敷で見る美里の姿だった。 「社長、奥様って言ってみてください」 「え?」 「練習ですよ。奥様、だんな様って」 「奥様……だんな様」 「ちょっと美里とイントネーションが違うけれど、まあいいか。それじゃあ奥様の部屋に行ってきてください。だんな様は今夜帰りが遅いって」 「この格好であいつの前に出るのか?」 「何言ってるんですか。そのためにこうして美里の姿になって帰ってきたんでしょう」 「それはそうなんだが……」 「ほら『だんな様は今夜お帰りが遅いようです』って」 「だんな様は今夜お帰りが遅いようです」 「そうそう、なかなかいいですよ」 「おい、茶化すなよ」 「あら、本気で言ってるんですよ。うふふ」 「さあ、それじゃあ行ってきてください。そして奥様が社長のことをどう思っているのか、よく聞いてきてくださいね」 美麗はにこりと笑いながらドアを開けた。 「それじゃあ行ってらっしゃい、美里ちゃん」 コンコン。 妻の部屋のドアを叩く。 「はい」 ドアの向こうから妻の声。 恐る恐るドアを開けて中に入る。 本を読んでいた妻が顔を上げた。 「あの、お、奥様」 「あら、美里どうしたの」 「だんな様のことで美麗……ねえさんから伝言が」 「あら美麗が? 珍しいわね。なんだって?」 「だ、だんな様は今夜帰りが遅いと」 「なんですって! あの人ったら、また勝手に」 一瞬声を荒げたものの、すぐに落ち着きを取り戻した。 「全くあの人ったら、いつもあたしをほったらかし。あたしがさびしいの、あの人はわかってないのね」 「え?」 「ねえ美里、後でもう一度部屋に来て頂戴」 「え? あの、どうして」 「使用人は口答えはしない!」 妻がキっと睨む。 「いつものように……しましょう」 「は、はあ」 妻は私を見てぺろっと上唇を舐めると妖艶に笑った。 ぞくっ。 なんだ、この表情は。 そう、それは、妻が私の前では見せたことの無い表情だった。 妻の妖艶な笑いが何を意味するのか確かに気になったものの、私は半ばにやけながら歩いていた。 そう、妻は私のことを思ってくれている。そのことがよくわかったのだ。もう美里の姿でいる必要はない。元の姿に戻ろう。 だがもう少しで美里の部屋というところでメイド長に捕まってしまった。 「美里、なにぐずぐずしてるの。今夜も仕事はたくさんあるんだからね」 「あ、あの、ちょっと部屋に戻ってから……」 「駄目駄目、さあ一緒に来て」 結局その後私は散々メイドとして働かされることになってしまった。 そして10時を回った頃、ようやく仕事が終わった。 「じゃあ今日はこれで終わりだ。ご苦労さん」 メイド長にぽんとお尻を叩かれる。 ふう〜。全くこんなことをさせられるとは。 ようやく解放されて美里の部屋に戻る。だがそこに美麗はいなかった。 「美麗のやつどこに行ったんだ」 しばらく待ったものの、彼女は一向に帰ってこない。まさか一人でアパートに帰ってしまったんだろうか。 このまま元に戻る訳にもいかずしばし途方に暮れたのだが……。 「仕方ない。部屋に戻って着替えるとするか」 そう思った私は、美里の部屋を出ると、本来の自分の部屋に入ろうとした。だが、部屋は鍵がかかっている。 「しまった、鍵も服の中か」 くそう、こんな格好でどうすればいいんだ。このまま一晩美里として夜を明かすしかないのか。いや、その前に……。 そう、妻から美里への言いつけがあったのだ。 後で来いと言っていたのを思い出した私は、仕方なくもう一度美里として妻の部屋に行ってみることにした。 (その4へ) |