『その後の英雄と悪漢』(その6)
 作:嵐山GO


シュルシュルシュル…
 長い触手は収納するように縮めると、更には奴の身体にも
変化が起こった。
「これで、どうかな?」
 灯りの少ない裏通りなので、姿はよく見えないが小柄な
女の子のようだ。
 ツインテールで水色を基調とした夏のセーラー服を着て
いる。
 だがそれよりも驚いたのは、聞き覚えのあるその声だ。
「お兄ちゃん…私のこと、覚えてる?」
「桜…ちゃん?桜ちゃんなのか?でも、何故…?」

 奴が姿を変えたその少女の名前は飯塚桜。オレが男だった
ときに近所に住んでいた女の子だ。
 家が近いこともあって会う機会が多かった。
 初めて彼女を1人の女として意識し恋したのは、彼女が
高校生だった。
 オレは眠れなくなるほど彼女に夢中で、何度も偶然を装って
待ち伏せたりして声を掛けた。
 
時間は掛かったが、その甲斐あって笑顔で挨拶を交わせる
ようになった。
 さらに、翌年の冬には彼女に誕生日とクリスマスを兼ねて
プレゼントも渡せた。
 何度か見る機会のあった彼女の財布は酷く傷んでいた。
オレは彼女にブランド物の真っ赤な財布とマフラーを箱に
入れて渡した。
 彼女は飛び上がるほど喜んでくれ、その夜、オレたちは
初めてキスした。
 
それまで何度か一緒に歩くことはあったけれど、手を繋ぐ
ことはおろか彼女に触れることも出来なかったのに。
 それほどオレは彼女に対して奥手だった。
 女性経験が無いわけではないが、一回り近くも年の離れた
女の子への接し方は不安や恐怖が常に渦巻いていた。

「そうだよ。桜だよ。覚えててくれたんだね。嬉しい」
 両手の指を胸元で組んで喜びを表現している。
 だが…ありえない。
 そう…彼女はオレと別れた後、確か結婚したはず…年齢も
…すでに23、4歳にはなっている筈。
 「お兄ちゃん、あの時はゴメンネ。お母さんがあんな事、
言うから…」
 彼女の台詞を全部聞かなくてもオレには、あの時の記憶が
昨日の事のように思い出される。
 
 あの日…キスした夜。オレはセーターの上から彼女の胸に
触れた。
 彼女は拒みはしなかった。だが言ったのだ。
「待って…少しだけ。私、来年…大学生だから、それまで
待って。いい?」
 オレは頷いた。彼女に嫌われて失いたくなかったし、
それに少し待てば彼女はオレに全てを捧げると言って
いるのだ。
 何も今ここで慌てる事はない。そう思っていた。


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