SKIN TRADE2
作:嵐山GO

(その1)

その日、僕は会社をクビになった。
「この不景気で申し訳ないが…」
 社長は俯いたまま告げる。人員整理というヤツだ。僕以外にも、
数人、退社を余儀なくされた。
(僕なんか学歴もないし、会社に貢献したわけでもないしな…)
 もともと小さな会社だったが、僕には居心地が良かった。
 家族的というか皆、和気あいあいとした雰囲気が僕は好きだった。
(とはいえ、事情が事情だから)
 一ヶ月分の給料と僅かな退職金を手に、僕は午後の早い電車で帰路に
向かう。

「はぁー」
 大きな溜息をつきながら、ちょっと混み始めた電車でさらにブルーに
なる。
 大きな紙袋を倒れないように両足の間に挟み込むように置いた。
 中身はスケジュール表やファイル、ノートといった類のものばかり。
(今となっては不要だけど、とりあえず持って帰るか。それにしても
明日から仕事探しか…いや、明日は土曜日だし、週明けからでもいいな)
 頭を持ち上げ、周りを見る。
 目の前には制服姿の少女が、背をこちらに向けて立っている。
 両脇には買い物帰りらしい主婦と営業マン風の男。特に変わった事も
ない。
 まったくいつもと同じ光景…。 
 おそらくいつもと同じ。何も変わったことなどないんだ。
 そう、アレを発見するまでは。

(おや? アレは…何だろう?)
 電車のドアから外の景色を見ているであろう僕の斜め前の少女。
顔は、もちろん見えない。
 鞄を持っているが制服ではなく私服だ。
 混んでいるせいか長く垂らした髪が左右に乱れたように分かれ、
肩から流れている。
 その僅かな隙間から妙なものが見えた。
(できもの? 痣? ホクロでもなさそうだし…)
 首筋あたりに、ほんの少し隙間が生じ肌が露出している。そのほんの
僅かな隙間に何だか不思議なものを見つけた。
 直径は5〜6mmほどか? 円形上の突起。突起といっても表面は平らだ。
 ソレは髪の毛の生え際…うなじの中央のくぼみ辺り…
(盆の窪っていうんだっけか? いや、そんなことはいいか。あれは
何だろう?)
 スイッチのようにも見える。まるで押してくれと言わんばかりに。

(お、押してみたいな。でも、おできとかペースメーカーみたいな
ものだったら、申し訳ないし…)
 電車が揺れるたびに髪が次第に戻っていき、ソレを隠そうとしていく。
(どうしよう? 完全に隠れてしまったら、もう触れることは
出来ないぞ)
 見てはいけない、触れてはいけない、と思うと人間は尚更、それに
反した衝動が起こる。まさに今がそれだ。
(触ってしまおうか? いや、駄目だ。痴漢と思われるかも。でも、
今しか…)
 そんな事を考えていたら車内アナウンスが流れた。
『この先、電車が少し揺れますので、ご乗車のお客様はご注意下さい…』
(揺れる? チャンスだ! これを逃したらもう二度と見ることは
出来ないし、触れることなんか到底無理だ。よし、やるか!)

 ガタンッ!
 車内が左右に大きく揺れる。僕はこのチャンスを逃すまいと、
バランスを崩したフリをして右手を伸ばし、ついにソレに触れ、すぐに
押してみた。
 一瞬、何が起きたのか分からなかった。いや、何かが起きたなどとは
思わなかった。
 でも実際には起きたのだ。目の前にいた少女は消えた。 
 違う、消えたんじゃない! 妙な男にすり替わった…のか?
 それも違うようだ。何故なら、頭の剥げかかった小柄で小太りな男は
少女が着ていた私服を身に纏っている?
(こいつが変装していた? それともただの女装変質者? いや待て。
そんな事より、さっきいた女の子はどこに消えたんだ?)
 少女が消えた? 代わりにスカートを穿いた中年男が立っている。
これが結論。
(そんな馬鹿なっ!?)

『まもなく駅に到着します。お出口は右側、お降りの方は…』
 再びアナウンスが流れる。
 依然、顔は見えないままだが、どうやら男は降りるようだ。手に
持ったままの鞄を握り締め、足元に置いていたバッグを手にした。
 両方の持ち手に付いた小さなタヌキのストラップが揺れている。
(何があったんだ? 僕は夢を見ていた? では目の前の女装した
オヤジは何者なんだ?)
 心臓がバクバクしてきた。いくら考えても答えは出ない。
(どうする? 付いていってみようか? いや、駄目だ。よく分からない
けど、これだけは言える。この事態に責任があるとすれば、それは
僕だ。ここは行くべきじゃない)
 僕の降りる駅はまだ先だ。僕は知らぬ顔を決め付け、留まる事に決めた。

 プシューッ
 ドアが開いて男を含む何人かが、駅のホームへと吐き出された。
 僕は、その場に佇んだまま例の男を目で追い続ける。
 男が背中への熱い視線を感じたのか、立ち止まってこちらを振り向いた。
(っ!!)
 あの顔をどこかで見た気がした。
(誰だったろう? どこで見たんだろう?)
 プシュー
 ドアが閉じられた。あの男も同時に視線を前に戻し歩き始める。
 結局、誰なのか、どこで見たのか思い出せなかった。
(でも、あの顔は見た記憶があるんだよな。さて、どこだったか…)

 ガタンッ
 電車が動き始めた。
「おっと」
 呆然と立ち尽くしていた僕は今度こそ、バランスを崩し右足を一歩前に
踏み出す。
 グニュル
「ん? 何だ…これ」
 右足が何かを踏んづけた。
 ソレは例えるなら爬虫類などの脱皮した皮にも見える。薄く透き通る
ような肌色で電車の床に広がっていた。
「何だよ、これ。気持ち悪いな…ゴムか?」
 靴の下から伝わる何とも不気味な感触。何故、こんなものが電車の床に
広がっているのか。これは一体なんなのか。周りを見回しても、ソレに
気づくもの、あるいは関心を抱く者は誰もいない。

(考えられないことだけど…いや、まさかとは思うけど、これをさっきの
男が被って少女に化けていた…なんて事はないだろうな)
 まるで脱ぎ捨てられたかのような薄いゴム状の皮膜? シワになった
部分も多く広げてみないことには全貌を知ることは出来そうもない。
(持って帰ってみるか?)
 僕はさりげなく屈みこむようにして、ソレを丸め込み紙袋に押し込んだ。
(やはり感触はゴムかシリコン、あるいはラテックスみたいだったな)
 先ほど男を下ろした駅は、もう遠く離れてしまった。
(あのオヤジどうなっただろう…女装すること自体は犯罪じゃないだろう
けど、さすがに目立つだろうなぁ。それにしても…最初っから、
あの格好だったなんて事はないよなぁ? 見間違うわけないし。
何だったんだろう…)
 電車は何事もなかったように走り続ける。そして僕は自宅のある最寄の
駅に着いた。

(続く)


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