REPLICA(レプリカ)改
 作・JuJu


chapter-057”命(T)”

 久保田と茜は開いた扉の端から顔を出して、鈴香が歩いて来るのを見ていた。
 俺はここから抜け出せそうな扉や窓はないか、何度も部屋を見渡した。
「袋の鼠ってやつか」
 俺はつぶやいた。
 この部屋は行き止まりだ。隣の脳が並ぶ部屋では鈴香と氷村が待ちかまえている。鈴香は動きが鈍いので脇を抜けられるだろう。しかし、次の扉の前に立つ、愉快なショーを観る様な顔をしている氷村を回避する事は出来そうにない。
 一瞬、この扉を閉めて大きな物でふさぎ、誰もはいれない密室にしたらどうかと考えた。が、それはすぐに無駄だと悟った。そんなことをしても、この部屋で俺たちが餓死するだけだ。
 結局俺たちはどうすることも出来ず、向かってくる鈴香をただ待つしかなかった。
「俺が止める」
 突然久保田がそう言うと、俺の目の前をさえぎった。
「おい、久保田……」
「上原たちは、ここで待っていろ」
 重みのある静かな声に、俺は口をつぐまざる得なかった。久保田は一心に鈴香を見つめながら、彼女の歩調に合わせるように、ゆっくりゆっくり向かっていった。
 俺は視点を、久保田から鈴香に変えた。
 鈴香の口元から血が流れていた。國谷に蹴られたためだろうか? それとも、過酷に肉体を動かしたせいだろうか? 
 俺たちを見つめる鈴香の目は、焦点の合わない、うつろな目をしていた。
 その目を見て俺は確信した。
(無駄だ。もう鈴香には心がない。いくらマスターである久保田でも、説得できるはずがない)
 しかし、そんなことは久保田の方が分かっているはずだ。ならばなぜ、鈴香を止めようとするのだろうか?
 俺は献体たちを見た。脳だけにされ水槽に浮かぶ女の子たち。
(本物の鈴香がこんな事になっていたと知って、自暴になっているのか)
 足音が止まったため、俺は久保田に視線を戻した。二人は、互いに手が届く距離で立ち止まっていた。
「その血は?」
 久保田も鈴香が血を流していることが気になるらしい。悲しげに鈴香を見た後に言った。
 鈴香から返事はない。
 久保田がふたたび口を開こうとした時、鈴香が腕を上げる。
「鈴香、目を覚ませ!」
 鈴香に反応はない。腕を機械的に久保田の喉元に持っていった。
「鈴香、元に戻ってくれ……」
 久保田は抵抗もせず、直立したまま鈴香に喉を絞められていた。鈴香もためらいなく首を絞めている。
「……無駄か」
 絞められた喉の奥から、久保田は苦しそうに言った。その言葉は、肉体の苦しさより心の苦しさに満たされている感じがした。
 突然、鈴香が床に仰向けに倒れた。久保田の足が蹴りあがっていた。久保田はすかさず、倒れた鈴香に乗りかかった。今度は逆に、久保田が鈴香の首を絞めた。
「くっ……!」
 首を絞められた鈴香の口からうめきが漏れる。
 久保田が俺たちに向かって叫んだ。
「鈴香がこうなったのも、元はといえば俺のせいだ。鈴香は俺が止める!」
 俺の脇にいた茜が言った。
「まさか、久保田さんは初めから鈴香さんをこうするつもりで向かったんじゃ……」
「……そうするつもりだったんだろう。
 相手が二人よりは一人の方に減らした方が逃げだせる可能性は高くなる。いや、本当に氷村から逃げられるかどうかは分からないけどな。少なくともここから逃げられる可能性は高くなる、と久保田は踏んだんだろう。
 あるいは、久保田なりの、俺たちへの償いのつもりなのかも知れない……」
 久保田にのしかかれながらも、鈴香は氷村の命令通りに腕を伸ばして喉を絞めようと腕を伸ばしていた。だがその手は弱々しく、久保田の喉の手前で震えると、力つき、床に落ちた。
「やはり、鈴香の体は……」
 久保田は立ち上がった。
 俺と茜は、久保田の元に走った。
 鈴香を見ると眠るように横たわっていた。
「久保田……。お前鈴香を……やったのか?」
「そうするつもりだった。だが、俺が手を下す前に、鈴香の肉体はすでに限界を超えていた。
 鈴香に心がないのがせめてもの救いだった。心があれば、痛いとか辛いとか思って力を制御してしまう。肉体の限界を超えないように、脳が痛みや刺激という形で警告しているんだ。だが鈴香は氷村の付けた装置によって心を消されている。どんなに激痛が走っていても、それを感じる心がないから、氷村の命令のままに動かなくなるまで働いたんだ」
 久保田は鈴香の手を取った。腕から流れた血が、手にも伝わっていた。
「鈴香! 何をしている! 久保田くんを殺せ!」
 氷村の声が響いた。その途端、眠っていた鈴香の目が開き久保田を見つめた。握っていた鈴香の手が離れる。鈴香は喘ぎながら立ち上がった。
 鈴香の体から鈍い音がした。
 それは、自らの重みにさえ堪えきれない鈴香の体の音だと俺は思った。
 鈴香はそれでも、弱々しく腕を動かし、久保田の喉元を目指して指を伸ばした。口から流れる血を拭くこともせず、荒い息を吐き、血の滴(したた)った手を振るわせながら、それでも氷村の命令通り、久保田を殺そうとしていた。

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