REPLICA(レプリカ)改
 作・JuJu


chapter-051 "延命の代価(U)"

「これが鈴香……」
 うなだれていた久保田が、マコトの言葉を聞いて駆け寄って来た。金属板に刻まれている名前を読み終わると、久保田は床にひざをついた。
「氷村、どういうことだ! 鈴香は生きている約束じゃなかったのか!?」
 マコトは氷村を見た。
「もちろんだとも。彼女をはじめ、ここにある献体達はすべて生きている」
 マコトは水槽の中で液体に浮かんでいる鈴香の脳を見た。脳は微動だにしない。
「人を脳だけにするなんて、どうしてこんな事を!?」
「決まっている。
 こうすれば食事も排泄も必要ない。無菌状態で、きわめて衛生的だ。肉体による不都合もない。生きていくために、常時最適な状態でいられるのだよ」
 氷村は、マコト達に向かって歩き始めた。歩きながら話を続けた。
「君はレプリカの事を何も知らないのだな? レプリカを作るのには、遺伝子と脳だけがあればよいのだよ。レプリカとは人間の脳細胞の配列を、クローン人間の脳に複写した物だ。
 彼女は、彼女のレプリカを造るために八回複写した。その中で成功したのは、そこの一体だけだったがね」
 氷村はあごをしゃくって鈴香を指した。マコトはレプリカの鈴香を見た。鈴香はドアの前で微動さえしないで、表情もなく、ただそこに立っていた。
「残りの七体は失敗に終わった。人体は未知の部分が多い、失敗が多いのは折り込み済みだ。
 複写の度に、献体の脳細胞は壊れていく。普通は三、四回ほどで使い物にならなくなる。脳の全部ではなく、必要な一部分だけを透視したとはいえ、八回も透視を繰り返した彼女の脳細胞はもうボロボロだろう。それを彼女は八回も透視に耐えたのだ。生きているだけでも大したものだ。
 おかげで研究がだいぶ進んだよ。君のようなネオ・レプリカを作れるほどまでにね。
 君が存在していられるのも、私と、彼女のおかげだと言える。せいぜい彼女にも感謝したまえ」
 氷村は、マコト達の前まで来ると立ち止まった。
「それに、彼女の延命を私に望んだのは、そこにいる久保田くんだよ。
 現在の技術では、唯一これが命を延ばす方法だ。他に選択はない。
 本来ならば、彼女はあの日に死んでいた。それが今も生きている。もっとも、彼女の肉体が正常だったとしても、私は同じ処置をしただろうがね。私の研究は、脳と遺伝子だけがあればたりる」
 久保田は水槽に両手を伸ばした。
「鈴香……。あの日、俺がお前を氷村に渡さなければ……」
「久保田くん、私の大切な献体に触れないでくれたまえ。彼女らに聴覚はない、献体に語りかけたところで無駄な行為だ。献体から手を離すんだ」
「そんなことは無い!」
 マコトは言った。
「脳だけになってしまっても、鈴香には心が残っている! 久保田の思いは、きっと鈴香さんに届く!」
「感覚器官もないのに、どうやって感じとると言うのかね?
 ……もし、君の言う様に、彼女に精神感応があったとしても、久保田くんを理解する事はできないだろう。
 君は彼女らがどのような世界にいるのかわかっているのか? 脳という物は、肉体からの感覚があってはじめて働く物だ。彼女らに肉体はない。感覚がないと言うことが分かるかね? 何もない無の世界にいるということだ。音も光も痛みもない。そんな世界に長時間いれば、どんな人間だろうと精神崩壊を起こす。
 彼女らはもう何も感じない。何も考えない。何も思わない。ただ、知識と記憶を保存しているだけに過ぎない」
 久保田はときおり顔を上げ、何かのまちがいではないかと言うように金属板の文字を読んでは、再度うつむいた。茜が久保田の肩に手を当てたが、久保田はうつむいたままだった。
 マコトは氷村に言った。
「こんなの、生きているなんて言えるか!」
「彼女は死ぬはずだった。それが、脳だけになったとは言え、こうして生きているのだ。私に感謝したまえ」
「ふざけるな!」
 マコトは氷村をにらんでいだ。今にも飛びかかりそうだ。
「上原、やめろ。お前のかなう相手じゃない。
 もういい。もういいんだ」
 久保田は言った。
「並んだ脳を見たとき、俺はすべてを理解した。理解していながら、認めたくなかった。
 だが、今はわかる。
 終わったんだ。すべて。俺のことはいい。お前と川本さんはここから脱出するんだ。
 鈴香は、もう戻ってこない。
 わかっている。
 わかっているが……」
 その後は、嗚咽混じりに「鈴香……鈴香……」と繰り返して言うだけだった。
「そうだ。その姿だ。その姿が見たくて、私は君たちをこの部屋に招いてやったのだ。
 私に逆らったことに後悔しながら死ぬがいい。ふさわしい罰だ」
 氷村はレプリカの鈴香を見た。
「さて、もういいだろう。久保田くんを殺せ」
 氷村の命令を聞いて、部屋の隅に立っていた鈴香が歩き出した。
「レプリカとはいえ、最期に最愛の者の手に掛かるのだから満足だろう」
「鈴香? まて! 相手は久保田だぞ?」
 マコトは鈴香に近づくと、背中から羽交い締めにした。
「鈴香さん、止まって! 駄目!」
 茜も鈴香の腹に抱きつくと、進行を止めようとした。
 鈴香は体を押さえられても抵抗をしなかった。ただひたすら、久保田に向かって歩こうとしつづけた。
「くそっ、止まれ! これが、衰弱していた鈴香なのか?」
 鈴香はマコト達を振り払った。そして、久保田にゆっくりと向かう。
 マコトは久保田を見た。久保田はあいかわらず、鈴香の水槽の前で膝を突いてうなだれていた。このままでは、鈴香に殺される。
「久保田! 逃げろ!」
「人の心配をするより、自分たちのことを考えた方がよくはないかね? 久保田くんの次は、君たちの番なんだよ?
 もっとも私は、君らを誰一人逃がしはしないがね」
 氷村は腕を組んで、口元に笑みをたたえて見物していた。

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