REPLICA(レプリカ)改
 作・JuJu


chapter-050 "延命の代価(T)"

 部屋の奥に扉があった。氷村が立つと、扉は素早くスライドして開いた。マコトと茜は、氷村の肩越しに奥の部屋を覗いたが、中は真っ暗で何も見えなかった。
「鈴香、来るんだ」
 氷村は振り向きもせずにそういうと、真っ暗な部屋の中に歩いていった。
 マコトの耳に靴音が聞こえてきた。振り向くと、鈴香が脇を通るところだった。
「鈴香。お前本当に久保田の事も、俺たちの事も、全部忘れてしまったのか?」
 鈴香に反応はなかった。黙って、まっすぐに扉へ向かって歩いて行く。
「待て鈴香……」
 鈴香も奥の部屋に入っていった。
 氷村と鈴香の姿が少しずつ闇に包まれていく。二人の全身が闇の中に消えた時、扉が素早く閉まった。
 マコトは久保田が扉の前に進むのを見た。
「久保田、行く気なのか? 今度はどんな罠が仕掛けてあるか……」
「この先で本物の鈴香が待っている。鈴香に会えるのならば、どんなに危険でも俺は行く。それにレプリカの鈴香も心配だ。
 お前達は、この部屋に残ってしばらく様子を見ていろ」
 久保田は奥の部屋に入っていった。
 マコトたちはしばらくのあいだ閉まった扉を見ていた。
 やがて茜が口を開いた。
「マコト。アタシたちも行きましょう」
「だが、この先に何があるか……」
「行ってみましょう。この先に誠や鈴香さんの本体があることは間違いないんだから。そのためにここまで来たんだから」

    *

 マコトと茜は奥の部屋に入った。
 真っ暗だった。
 唯一の明かりは、後ろにある開いた扉から差し込んでくる、さっきまでいた隣の部屋の照明だった。その明かりもマコトたちが立っている床の付近を、小さく照らす程度にすぎなかった。
(氷村や久保田はどこだ?)
 マコトは久保田の名前を呼ぼうとした。その時、茜がマコトの手を掴んできた。掴む力が弱々しい。マコトは茜の手を引き寄せた。
「大丈夫だ。行こう」
 茜の手を引きながら、マコトは闇に向かって足を進めた。扉から離れたために、背後で扉が素早く閉まった。突然まっ暗闇になった。茜が掴む手が強くなるのを感じた。マコトは立ち止まると、茜の手を握り返した。
 マコトの目に光が見えた。マコトは部屋を見渡した。人影はなかった。目が慣れてきたためか、暗闇のはるか奥に、光で出来た針が動いたり、数字が浮かんでいるのを見つけた。さっき目に入ってきた光はこれらしい。耳を澄ますと、微かに電子音やモーターが動くような音が聞こえた。計器でもあるのだろうか。遠い所から発せられる光や音から、この部屋がかなり広いことが分かる。
 マコトは部屋の奥に向かって、手探りをしながら歩いた。
 いきなり目の前が明るくなった。マコトはまぶしくて目を閉じた。
「照明をつける前に入ってくるとは、せっかちだね」
 どこからともなく、氷村の声がした。
「そんなに焦らなくとも、君の目の前にあるのがそうだよ」
 マコトは目を開けた。
 目の前に水槽があった。透明な円筒で、大きさは人間程度だ。脇には、その水槽をそのまま小さくしたような細長い水槽が、寄り添うように付いていた。
 大きい方の水槽には、キャベツくらいの大きさの物が液体の中で漂っている。
「マコト!」
 茜は水槽から顔を逸らし、マコトの腕にしがみついた。
 まぶしさに目が慣れてくると、マコトにも水槽の中に何が入っているのか分かった。
 水槽の中で漂っていたのは、脳だった。脇にある細い水槽には糸くずのような物が液体の中で舞っている。
 マコトは、同じ大きさの水槽が隣にもある事に気が付いた。その隣にも水槽があった。脳の入った水槽が何十本も一列となって並んでいた。
 水槽の列の前に久保田を見つけた。久保田はうなだれて、力無く立っていた。
「これが君たちが捜していた、献体達だよ」
 いつの間にか、久保田のそばに氷村が立っていた。
「それじゃここにあるのは、人間の脳」
 茜が言った。
 マコトは水槽を見た。
 水槽に金色に光る小さな金属板が貼ってあることに気が付いた。金属板には、人の名前と識別のためらしい模様が彫り込んである。
 マコトは、水槽に浮いている物の正体が、氷村に脳だけにされてしまった献体で、金属板に書かれてある名前は、脳だけになってしまった献体たちの名前だと悟った。
「それじゃ、誠もこの中にいるの?」
 水槽から顔を背けマコトにしがみついていた茜が、この脳の正体が献体だと聞いたとたん、突然マコトから離れ、目の前の水槽に近づいた。貼られている金属板の名前を見て、マコトでは無いことを確認すると、隣の水槽に走って名前を見た。こうして、次々と名前を確認していった。
 マコトは茜を目で追いながら「本物の俺は、脳だけの存在になってしまったんだな」と思った。不思議と感情がわかなかった。まるですべてが人ごとのようにしか感じられない。
 それよりも、久保田の事が心配になった。
(茜には俺がいる。だが久保田は違う。本物の鈴香は脳だけにされ、レプリカの鈴香は氷村の人形になってしまった)
 眺めていた茜の足が止まった。
「どうした?」
 マコトは茜の元に走った。マコトがふたたび「どうした?」と聞いても、茜は体を固まらせたまま動かなかった。
 茜の前にある水槽を見た。水槽の容器と中にある液体は、照明の光を取り込んで輝いていた。
 水槽の金属板。そこには、鈴香の名が刻まれていた。

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