REPLICA(レプリカ)改
 作・JuJu


chapter-038 ”氷村との再会(U)”

 氷村とマコトが出て行くと、部屋は静かになった。
 茜は氷村に手足を縛られたまま、床に転がされていた。床に触れている頬から、冷たさが全身に染みこむ。
 茜は床から頭を上げ、久保田たちの様子を見ようとした。だが部屋は明かりを消されている。密閉された部屋はわずかな光もなく、何も見えなかった。ただ久保田たちの息をする音だけが暗闇の中で聞こえる。時々、鈴香が苦しそうな息をした。
 茜は思った。
 いま、こうしている間にもマコトが氷村に解剖される時は近づいている。
「早くマコトを助けなくっちゃ」
 茜は手足を縛っている革のベルトから抜けだそうと体を動かした。だがベルトはきつく縛ってある。
「無駄だ。俺たちが抜け出せるような抜かったことをするわけがない」
 茜の動く音を聞いたのだろう、久保田は言った。
 茜は久保田の言葉を無視した。体をねじらせて何度もベルトから抜けだそうともがいた。その度に、ベルトが茜の肌に食い込み手足を縛り上げた。その痛みで、いかにベルトがきつく縛ってあるかを知り、抜け出すのをあきらめる。それでもしばらくすると、また抜け出せはしないかと体を動かし始めた。
 やがて、あれだけもがいていた茜もついにあきらめて、全身を床に任せた。悔しいが久保田の言う通りだ。
 あの拷問の後だ。久保田だって抜け出せるものならば、拷問の時に抜け出ていたはずだ。忌々(いまいま)しいこのベッドから一番抜け出たいのは、久保田の方かもしれなかった。
 久保田の言うことは正しい。茜にもわかっていた。わかっていながら納得しきれなかった。納得してしまえば、マコトが死んでいくのを黙ってここで待っているしかないと認める事になるからだ。
 たしかに、あれは本当の誠ではない。誠のレプリカだとわかっている。久保田がマコトをどう思っているのかはわからない。だが茜から見れば本物の誠そのものだ。これだけ事実を見せられても、いまだにマコトがレプリカだとは信じられなかった。それにレプリカだとはいえ、やっぱり誠を失いたくない。
「何か方法はないの?」
 茜は久保田を見た。奇跡を願うような目で見た。真っ暗で久保田の姿は見えなかったが、久保田の息づかいのする方を見た。
 久保田からの返事はなかった。
 ベッドに縛り付けられていては何もできない。それが久保田の答えなのだろうと茜は察した。
 ここから抜け出したい。マコトを助けたい。それは茜も久保田も、そして鈴香も同じ思いだろう。だが、ベルトで縛り付けられてる限り、ここでマコトが氷村に解剖されるのを待っているしかなかった。

 *

 突然ドアが開いた。廊下の光が茜の目をくらます。
 ドアの逆光で切り取った人影は、素早く部屋の中に入って来た。
 部屋の照明が点いた。入ってきたのは國谷だった。
「氷村の次は國谷か。俺達の監視に来たのか?」
 久保田が言った。
(そうか。氷村はマコトの事で手がいっぱいなはずだ。だから部下の國谷に、アタシたちの監視を命じたのか)
 茜は思った。
「ごあいさつねぇ。助けに来たのよ。
 本当はもっと早く助けたかったんだけどね。ボスに見つかると色々やっかいだからね。
 ……これは?」
 國谷は久保田のベッドに近づいてきた。ベッドの脇にある電流を流すスイッチを手に取る。
「そっ、それにさわるな!!」
「?
 ああ、なるほど。そう言うことか。だいたいの事情は飲み込めたわ」
 國谷はスイッチを投げ捨てた。
「ちょっとまっててね。こういうのはレディファーストよ」
 國谷は茜の寝ているベッドに近づいた。
「あっ、こら動かないで! じっとしていて。いま、外してあげるから」
 茜は、國谷が何か企んでいるのではないかと言う思いが捨てきれずに不安だった。だが、國谷は本当にベルトをはずすだけだった。腕と足の皮のベルトによる締め付けが緩くなっていき、やがて手足が自由になると、茜の心も恐怖から安堵に変わっていった。
「ボスもひどい事をするわよね。相手はただの女の子なのに」
 体が自由になれば、マコトを助ける事が出来る。茜はそう思った。
「マコトは? マコトはどこにいるの?」
「マコト君? 製品試験室にボスに連れられて行ったみたいだけど……。あ! ちょっと待ちなさい!」
 茜はドアに向かって走り出していた。
「落ち着くんだ。川本さん一人でいって、どうなるんだ?」
 久保田は言った。
「そんなことは、アタシだってわかっている。でも氷村はマコトを解剖するって言っていた。ぐずぐずしてられない。
 久保田さんは拷問を受けた後だし、鈴香さんも体が動く状態じゃないでしょう? いま、マコトを助けられるのはアタシしかいない。
 とにかく、いまはアタシが氷村の所に行って時間を稼いでマコトの解剖を遅らせてくる!」
 茜はそういうと、部屋から出ていってしまった。

 *

 茜は久保田たちのいる部屋を飛び出し廊下を走った。部屋の名前を確かめながら走る。
 久保田たちのいる部屋から二つ隣の部屋に、製品試験室と書かれたドアを見つけた。
 茜は足を止めた。
 このドアを開ければ、氷村とマコトがいる。
 突然、茜の頭に氷村の姿が浮かんだ。
 背が高く見下すように見つめる眼。筋肉質とまではいえないがよく引き締まって機敏な動きをする体。
 氷村への恐怖が、茜を冷静にした。
 マコトを助けたくて、マコトの解剖を少しでも遅らせたくて、ここまで来た。だけど、アタシ一人が氷村の前に出ていった所で、本当に氷村を止めることさえできるのだろうか?
 廊下は物音一つしなかった。茜のあがった息と心臓の音が、一定の間隔毎に聞こえた。後は空調機がひたすら空気を吐き出す静かな音だけが聞こえた。
 茜は飛び出した部屋が見えた。あそこには久保田さん達がいる。
 自分の回りに仲間がいた心強さに気が付いた。
 幼い頃、母からはぐれて迷子になってしまった時の感情を思い出していた。このまま、永遠にひとりぼっちになってしまうかもしれないと思った、あの時の不安。そんな幼い頃の恐怖を、茜は思い出していた。
 ラボラトリーの廊下はあいかわらず人間味がなく機能的で無機質だった。人間の創造物だと言うことは見て理解できるが、暖かみがまったくない。そんな生き物の感じがしない場所に、一人だけでいる。
(部屋に戻ろう。あそこに戻れば、久保田さんも鈴香さんもいる。
 それにやっぱり、一人じゃ氷村には勝てない)
 茜は思った。
 その時、マコトの叫び声が聞こえた。壁に遮られ、耳を澄ますと微かに聞こえる程度の音量だが、ラボラトリーの静寂を遮るには十分だった。
 叫び声が、茜にふたたび勇気を与えた。マコトはアタシ以上に恐怖の場所にいる。そして、いま助けられるのはアタシしかいないんだ。
 茜はドアの前に立った。
 ドアを開けるボタンに手を伸ばす。確認するように頷く。
(よし!)
 茜はボタンを押した。
 ドアがスライドして開いた。

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