REPLICA(レプリカ)改
 作・JuJu


chapter-017 ”悪魔の手足として”

「マスターは私の……私の本体を守るために、こんなことを……」
「それは俺が話す」
 鈴香の言葉を久保田が遮った。
 俺が振り向くと久保田が立っていた。口からたれた血を茜が拭いている。
「それはあの日の事……」

               §

 閉めきった窓のガラスごしに、低い夕日が射し込んでいた。夕日は病室全体を赤黒く染め上げる。
 夕日で真っ赤に染まったベッド。そこに鈴香が横たわっていた。隣には久保田がうなだれてイスに座っている。
 鈴香が動いた気がして、久保田は顔を上げた。
「鈴香……」
 ベッドを見る。精巧に作られた人形のようだった。人形のように、わずかも動いていなかった。
「鈴香。返事をしてくれ。
 お前が助かるのなら、俺はどんな事でもする。人から悪魔と呼ばれる様な事だってやる。
 だから鈴香。返事をしてくれ」
 時計が時を刻む音。鈴香に取りつけられた生命維持装置の音。それだけが、病室に響き続けていた。
 日が沈む。
 窓の外は暗闇になった。月はない。
「失礼」
 病室のドアが開いた。
 男が入って来る。
「……氷村……さん?」
 久保田は振りかえった。
 氷村はベッドに向かって一直線に歩くと、鈴香の前に立った。
「これが國谷(くにたに)君の言っていた、献体に最適な女性か……」
「献体!?」
 氷村は鈴香の顔に手を伸ばした。
「触るな!!」
 久保田は立ち上がり、氷村の手を払った。
「あ……。いや、触らないで下さい……。
 鈴香はまだ生きています」
「これは失礼。
 だが今夜には亡くなるそうじゃないか」
「どこでその事を……」
「事実なんだね? 間に合ってよかった。
 一つ取り引きをしないか?」
「帰ってください!!
 あなたが何の為にここに来たのかは知らない。鈴香が今夜までの命だと、どうしてあなたが知っているのかも興味はない。
 今はただ、二人っきりにしてください」
「医者からも見放され、出来る事と言えば、安楽死くらいなもの。
 あとは死を待つばかり……。
 そうだね?
 そこで相談なんだが、彼女の体を……」
「聞こえないのか!?」
 久保田はイスから立ちあがって、氷村の胸元を掴んだ。
「出て行けって言っているんだ!! 鈴香はまだ死んではいない!!」
「そうだ。生きている今ならば間に合う。
 私ならば、彼女を助ける事が出来ると言っているんだ」
「!!
 本当か?」
「私が今まで一度でも、自分ができない事を口にした事があるかね?」
「……」
 久保田はつかんでいた氷村の胸元を離した。イスに腰をかける。
「……可能なんですね?」
「わざわざこの私が訪ねに来てやったのだよ。私は無駄な事はしない」

               §

 今は鈴香の看病の為に離れているが、久保田は昔、ドールを製造する会社トミタで働いていた。才能を認められ、まだ若いために見習いの身分だが、トミタの中枢である技術開発部に配属された。
 氷村の事を知ったのは、そこでだった。
 氷村はトミタの技術開発部の部長だった。彼はほとんど一人で行動し、久保田達のいる研究室にはめったに顔を出さない。
 久保田にしても、あまり顔を合わせたくない人間だった。傲慢で慇懃無礼。虫の好かない人間。それが久保田の氷村に対する印象だった。だが技術力だけは高い。氷村がいなければ、ドールの開発は成功しなかったとさえ言われている。
 久保田は思った。
 氷村ならば鈴香を助けられるかもしれない。
 ただ気がかりな事がある。氷村はトミタから独立し、新しいドールの会社を設立したと聞いている。その会社では新しいドールを作るために、生きた人間の人体実験を繰り返していると言う噂だった。
 だが今は、氷村に頼るしかない。

               §

「治せるのですね?」
「そこまでは私にも無理だ。だが延命だけは保証しよう」
「延命……」
「ただし、私の貴重な時間と技術を使ってまで助けるのだ、当然代償はいただく」
「金ですか?」
「そんなものはいらんよ。
 その女性をドールの実験に使う、献体として渡してもらおう」
「ドール!?」
「安心したまえ、ただのドールではない。
 レプリカと言う新型のドールの開発に使わせてもらう」
「そんな事が出来るか!! 鈴香をドールの材料なんかに!!」
「ならば、この話は終わりだ。
 これは取り引きだよ。
 私には無償でその女性を助けなければならない理由がない」
 俺は鈴香の顔を見た。
 鈴香の闘病生活の時、わざと元気な振りをしたり、冗談をいったりして、落ちこむ俺を元気付けてくれた鈴香を思い出す。本来ならば俺が鈴香を元気付けなければならないのに。一番辛いのは鈴香の方だったろうに。
 そんなやさしい鈴香の笑顔も、もう見る事は出来ない。それどころか、鈴香の命は消えようとしている。
 生きていてくれるなら、鈴香が帰ってくるのならば、氷村の話しに乗ろう。
 人体実験の話が噂なのか本当なのかはわからない。
 だが、俺にはこれしかない。
「分かりました、俺に出来る事ならばなんでもしましょう」
 鈴香は、氷村の手に渡った。

               §

 後日。氷村が久保田の家にやって来た。
「鈴香は!? 鈴香はどうなりました?」
「もちろん生きている。ただ、彼女の体はいつでもレプリカが作れるように、私の元に置かせてもらう。
 それに私のサポートがなければ、彼女は死んでしまう」
「鈴香は生きているのですね。それだけでいい!!
 会わせてください!」
「まあ待ちたまえ。それよりも君には、してもらわなければならない事がある 君には、新しい献体を集めてもらわなければならない。
 ドールの研究の為には、まだまだたくさんの献体が必要なのだ」
「なぜ俺が……」
「彼女がどうなってもいいのかね?」
「鈴香を献体にするたけと言う約束じゃなかったんですか?」
「彼女を献体に使うかわりに、彼女の命を助ける。約束は果たした。彼女は今も生きている。
 だが彼女を生かし続けるには維持費も時間もかかる。
 この私の大切な時間をさいて、君の彼女の延命をしてやっているんだ。かわりに君は、私の代わりに献体を集めてくる。当然の事じゃないか」
 氷村は資料らしい、分厚い紙の束を投げた。
「目標となる人物の資料を置いて行くよ」
「貴様……」
「なるべく早めに、プロテウスに連れて来てくれたまえ」
 氷村は帰って行った。
 久保田は、テーブルの上にのった紙の束を見つめた。
「人体実験の噂は本当だったのか……。だとしたら奴は悪魔だ。
 俺は、その悪魔に魂を売り渡そうとしているのか? やつの人体実験に手を貸すと言うのか?
 俺は鈴香のために、罪もない関係もない人を犠牲にするのか? 病室に訪ねて来た、あの日の氷村の様に……」
 時が流れた。
 久保田の腕が、資料に伸びる。
 震える手で、資料をめくった。
「自分のしている事は卑怯で、人として許されないことだ。
 だが、……鈴香のためにはこうするしかない。
 そうだ! 鈴香のためならば、俺は悪魔にでも魂を売り渡す。
 だから、鈴香には……生き続けて欲しい」

               §

「……こうして俺は、氷村の元で働くようになった」
 久保田が言った。
「ひどい……」
 茜が言った
「つまり、氷村に本物の鈴香を人質にとられていたんだな?
 それで、氷村の言う通りにしなければ、鈴香の命はないと脅されて、仕方なしにこんなことをした……」
 鈴香が頷いた。
「久保田の気持ちもわかる。久保田だって俺と同じ被害者なんだ。仕方なしに働いていた事も分かる」
 俺は久保田に向かって歩き出した。
「だがな! レプリカにされた俺はどうなる!? どんな理由があったとしても、実験材料として使われ、こんな体にされた事実は変わらない!!」
 久保田に向かう俺の前に、茜が立ちふさがった。
「マコト! 苦しいのね? 辛いのね?
 でも、だったらどうして、これ以上こんな思いをする人を作っちゃいけないと思わないの?
 久保田さんが献体を集めるのをやめたところで、また別な誰かが久保田さんの代わりに献体を集める。そして、マコトの様なレプリカが作られる。
 止めなくちゃ。
 それが出来るのは久保田さんとマコトだけなのよ」
「上原! 俺は鈴香を助けたい!
 勝手な話と言う事は承知の上だ。
 頼む! 協力してくれ!!」
 久保田が苦悩したの面持ちで俺を見ている。
 鈴香が許しを請うような目で俺を見ている。
 茜が冷ややかな目で俺を見ている。
 全員が、俺を見ていた。ここには笑顔はなかった。
 そうだ。俺だけじゃない、みんなも辛いんだ。ここにいる全員、被害者なんだ。
 こんな悲しみを、これ以上広げてはいけない。
「……わかった。俺も協力する」
 俺は言った。
「すまない……感謝する……」
 久保田が言った。

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