リサイクル彼女 ゆな
   作・JuJu


 ◆ 8 ◆

 次の日。
 喫茶店の玄関に〈本日休業〉と書かれたプレートをつるす。
 その後、ゆなさんのぬいぐるみに、おれとゆなさんの水着を入れたカバンを持って、尊志との待ち合わせ場所に向かった。
 尊志との待ち合わせ場所はプールの近くにある公園だった。小さな湖と、それを囲むようにまばらにベンチがあるだけの地味な公園だ。
 公園に着くと、集合場所にした大きな樫の木の下に尊志の姿が見えた。ゆなさんとプールに行けるのがよほど嬉しいのか、でかい体をそわそわと落ちつきなく動かしている姿が妙におかしかった。
 尊志はおれが来たことに気がつくと、まるで主人をまちこがれていた飼い犬のように喜びながら駆け寄ってくる。
「尊志、待たせたな」
「待ちくたびれたぞ」
「約束の時間より、だいぶ早めについたんだが……」
「そんなことより、ゆなさんはどこだ?」
「ちょっと遅れるそうだ」
「なんだお前ひとりか……。とんだぬか喜びだ……」

   *

 さて。おれとゆなさんの二人が同時に存在することは出来ない。そこでおれは、昨日の夜に考えておいたセリフをいった。
「すまん! 実はおれ、急に都合が悪くなったんだ。
 誘っておいて悪いが、今日はおれ抜きで、尊志とゆなさんのふたりでプールにいってくれ。
 ゆなさんなら、もうすぐここに来るはずだ。
 そういうわけで、おれは帰るが、ゆなさんによろしくいっておいてくれ」
 あとはゆなさんに変身して尊志を悩殺するだけだ。
 そんなことを考えながら、きびすを返そうとしたおれに、尊志がとんでもないことを言いだした。
「お前がプールに行かないのならば、おれも今日は辞退する」
「辞退するって……、どうしてだよ。
 ゆなさんとプールに行きたくないのか。デートみたいなものなんだぞ? プールでデートなんて最高じゃないか。ゆなさんの水着姿だって観られるんだぞ? せっかくのチャンスを棒に振るのか」
 尊志がゆなさんの水着姿を見たいことは百も承知だ。今日だって、集合時間よりも早く来ていたのがその証拠だ。それに、おれがゆなさんに変身して店に出ているとき、ゆなさんの体を男の嫌らしい目で見ていたことも知っている。
「おれは、ゆなさんの水着姿が見られるという幸福を独占するつもりはない」
(そうだった。こいつはこういう性格だった)
 尊志の返答に、おれはそう思った。
 ゆなさんの正体がおれだと知らない尊志にとって、おれはいまだにゆなさんをめぐる恋のライバルなのだ。尊志だってゆなさんとプールでデートしたいに違いない。ゆなさんの水着をよだれが出るほど見たいはずだ。それなのに、おれをさしおいてひとりだけ良い思いをするのは卑怯なことだとおもって、あきらめるつもりらしい。おれもゆなさんのことが好きだと知っているからこそ、こういうことはふたりで分かち合うべきたと考えているらしい。まったく、なんて律儀なやつだ。まっ、やつのそういう性格をおれは嫌いではないが。
 ――実をいえば、たとえ相手が尊志だとしても、男に性欲の満ちた目で自分の水着姿を見られることに対して少なからぬ嫌悪があった。今日は感謝の意をあらわすために、しかたなく尊志のいやらしい視線に堪えるつもりだった。しかしいま、その気持ちがゆっくりと霧散していくのを感じていた。
 そこでおれは、こういってやった。
「実はな、ゆなさんは今日尊志とプールに行くことをすっごく楽しみにしていたんだ。ゆなさんをがっかりさせるなよ」
「え? ゆなさんが、おれとプールに行くのをそんなに楽しみにしていたのか?」
 尊志は、照れると巨体をくねらせた。何度でも言うが、そういうしぐさは見ていて気持ちが悪いからやめろ。水着見せないぞ。
「おれとしても、ゆなさんを悲しませるようなことはしたくないんだ。だから、な。ここはおれのためにも、ゆなさんとふたりでプールに行ってくれ。頼む! おねがいだ!」
「慧一がそこまでいうのならば……」
 おれが両手を拝むようにして頼み込むと、照れていた尊志は笑みを消し、神妙そうにゆっくりとうなづいた。

   *

 尊志と別れたおれは、公園にある男子トイレの個室に入ると、カバンからゆなさんのぬいぐるみを出した。そこでゆなさんのぬいぐるみを着る。
 ゆなさんに変身したおれは、周囲に注意を払いながらトイレから出た。男子トイレから女性が出てくれば驚かれてしまうからだ。男子トイレから出るときに、気まずい思いをする日がくるとは考えても見なかった。

   *

 ゆなさんになったおれは、ふたたび尊志の元に戻った。
「あ、ゆなさん」
 せっかくゆなさんが来たというのに、尊志の表情は暗い。
「慧一のやつは、急用ができたそうで帰りました。ゆなさんによろしくっていってましたよ」
「そうだってね。わたしも聞いた」
 おれは尊志の言葉に合わせる。
「だから、おれも帰ろうと思うんです」
「そんな、どうして?」
 おい待てよ、さっき、ゆなさんとふたりでプールに行くって言っていたじゃないか。と、おれは心の中で抗議をする。
「うまく言えませんが、慧一抜きで、おれひとりだけでゆなさんと楽しく遊ぶのっていうのが、なんというか……、抜け駆けをしていような気がして嫌なんです」
「抜け駆け?」
 おれはわざと、おれと尊志がゆなさんをめぐっての恋敵同士ということを知らない振りをした。
「あ、いや……こっちの話です。とにかく、勝手なことをいってもうしわけないのですが、今日のところは帰らせてもらいます」
 これではゆなさんの水着が見られないどころか、ゆなさんに対して悪い印象を与えかねないだろう。尊志はそれを覚悟のうえで、おれとの恋敵としての友情を優先させるつもりらしい。尊志とはそれなりに長いつきあいだと思うが、男同士の友情に対してこれほどまで律儀なやつだとは思わなかった。おれの知らない尊志の一面を見た気がする。
「今日の水着は、尊志くんのために選んできたのになぁ」
「え? おれのために……ですか」
 これは偽りのない事実だ。真意ある言葉には力があるというが、その響きがやつに届いたのか、あるいはただのスケベ心か、尊志がまばたきをした。しかめっ面がわずかに緩んるでいるのがわかる。
 よし、ここが正念場だ。
「うん。尊志くんに見てもらうために。だからちょっと恥ずかしいけれどビキニにしたんだ」
「……」
 尊志がつばを飲み込んだのがわかる。
「それに尊志くんのことは、慧一くんからまかされているの。
 尊志のことだから今日は帰るとかいいだすかもしれないが、ぜったいに帰らせちゃだめだ。どうにか引き止めて、あいつとあそんでやって欲しい……って、慧一くんから頼まれているんだから」
 と、ゆなさんの姿で言う。
「慧一くんがいないのは残念だけれど、今日はふたりで一緒に楽しみましょう? ねっ! おねがい!」
 おれは甘えるような上目遣いで尊志を見た。
「ま、まあ。慧一がそう言っていたのなら……」
 やはり折れたか。尊志が女の子の上目遣いに弱いことを、おれは知っている。しかも憧れのゆなさんにされては、ぜったいに断れないだろう。
「それじゃ、いきましょう!」
 おれは笑顔を作って尊志の手をつかむと、プールに向かって歩きだした。
「そ、そうですね。よ、よし、今日はたのしむぞ!!」
 ゆなさんに手を引かれて、尊志もようやくふっきれたようだ。

   *

「ほんとうに、ここにおれが入ってもいいのか……?」
 おれはプールの女子更衣室の前で硬直していた。
「い、いいんだよな。だっておれは今ゆなさんなんだから。ゆなさんが女子更衣室を使うのは当然じゃないか。
 ――それじゃ、入るか。尊志をせっかくその気にさせたのに、あまり遅れるのもわるいし」
 そう自分に言い聞かせ、おれは女子更衣室の扉を開けた。
 そこには、着替えをしているうら若き女性たちがいた。
「うおおっ!!」
 つい叫んでしまい、あわてて両手で口を塞いだ。
(女の裸を見て興奮したら、ゆなさんがレズみたいじゃないか。
 それにおれは今、ゆなさんとして喫茶店を経営しているんだ。周囲の女に不審がられて妙な噂が立ったら店の売り上げが落ちる。まあ、べつに喫茶店の売り上げなんてどうでもいいんだが、せっかく紅茶を淹れるのが楽しくなってきたところだしな)
 うるわしい女性たちをぜひ観賞したかったが、目の前で着替える姿を見て、興奮する自分を抑える自信がない。
 油断すると勝手に盗み見をしてしまう自分の目をどうにか制御しながら、空いている奥のロッカーをめざして歩いた。視線はどうにかなったが、むせ返る女の匂いが充満していて、それがおれの男の心を揺さぶる。
(落ち着け、落ち着け。おれはいま女なんだ。
 くそっ。あのハムスター宇宙人たちも、ぬいぐるみに女物の服を自然に着られる能力とかお茶をうまく淹れる能力を付けたんだから、ついでに女の裸を見ても興奮しないようにしてくれればよかったのに。――いや、ハムスターが人間の女の裸を見て興奮するわけがないから、そんな機能は最初から必要なかったのか。おれだってハムスターのメスをみても興奮しないもんな)
 どうにか、人気の少ない奥の方のロッカーにたどりついたおれは、ゆなさんの水着などが入ったバッグを床に置いて服を脱ぎはじめた。
 気が緩むと、つい周囲の女性に視線が向いてしまうので、おれはうつむきながら服を脱ぐことにした。下を向いていると、自然に自分の体を見ることになる。服を脱ぎ、下着を脱いでいく。
(いかん、今度は自分の姿を見て興奮しそうだ)
 ゆなさんの裸を見ないようにしながら、あわてて、バッグからビキニを取り出す。女物の水着を着るのは初めてだが、やはりぬいぐるみの機能で自然に着ることができた。
 着替えを見た直後のためか、水着姿のゆなさんにはさほどは興奮をしなかった。すこしだけ冷静な目でゆなさんの水着姿を観察すると、ここで着替えている女たちよりも、自分の方がよほどいい体をしていることに気がついた。はっきりいって、格段にスタイルがいい。
(まっ、作り物の体なんだから、人間以上に美人でスタイルがよくても当然といえば当然なんだがな。
 これならば尊志もよろこぶだろう)
 おれはゆなさんのスタイルのよさに満足しながら、出口に向かって歩いた。こんどは周囲の女性などほとんど気にならなくなっていた。むしろまわりの女性たちに、自分のスタイルのよさを誇りたい気分だった。

(つづく)




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