リサイクル彼女 ゆな
   作・JuJu


 ◆ 5 ◆

 周囲(あたり)をまぶしく照らしていた光の玉は空に消えさり、庭は本来の夜の暗さを取り戻していた。
 おれは振り返ると、たよりない足取りで喫茶店にもどった。店内に入ると空調が効いていて、うっすらとにじんでいた汗をひんやりとした風がぬぐってゆく。この時ようやく、庭で突っ立っているあいだ、衝撃のあまりに夏の暑ささえも忘れていた自分に気がついた。
 店の真ん中まで歩いたところで、おれは立ち止まる。あこがれの年上のお姉さんの正体が、実はぬいぐるみを着たオスのハムスター型宇宙人だったなんて、いまだに信じられなかった。しかし、いままでの出来事が事実だと証明するかのように、足もとにはハムスターたちが脱ぎ捨てていった三姉妹のぬいぐるみが、着ていた服とともに乱雑に床に散らかっている。
 おれはぼんやりとゆなさんだったぬいぐるみをつかみ上げた。あれほど優美だった顔も体も、いまは薄っぺらいただの肌色の抜け殻になり果てている。
 ぬいぐるみに触れて驚いたのは、その薄さだった。いったいどんな布で作ったのか、紙のように薄くてしかもずいぶんと軽い。もちろんその程度ならば、ストッキングやタイツとたいした違いはない。驚愕すべき特徴はその感触だった。人間の肌と寸分の相違がなく、しかもそれは、すべすべとした女の肌そのものなのだ。頭に植えられた髪の毛が広がっておれの手にかかった。髪の感触も、人間の女性の髪としか思えない。シャンプーの香りさえほのかに漂っていた。
 おれの興味は自然と股間に向かった。実物の女性器を見るのは初めてだったが、写真や画面で見たそれらよりも遥かに整った形をしている。
 背中を見るとハムスターが抜け出てきた箇所――首の下から背骨を通って腰までに、縦一直線に切れ目が入っている。
 興味から、切れ目に腕を入れてみる。ぬいぐるみは、やわらかいゴムのように伸びちぢみをした。まったく宇宙人の技術力の高さにはいちいち驚かされる。内側も、外側と同様にすべすべとしている。それはまさに女性の肌を思わせる感触だった。とてもなめらかで心地よく、いつまでも触っていたいとおもわせるには充分だった。
 しばらくのあいだ、ゆなさんのぬいぐるみをなでてその感触を楽しんでいたものの、やがて手だけではもの足りなくなってきた。手でなでているだけでは満足ができない。もっとゆなさんの肌の感触を確かめたい。
 そんな欲望が、おれの心に広がってゆく。
(ぬいぐるみの中に入ってしまえば、全身でゆなさんの肌の感触を味わうことができるはずだ)
 そう考えたおれは、ゆなさんのぬいぐるみを畳んで床に置いた。それから今着ている半袖のウェイターの制服のワイシャツとズボンを脱ぐ。さらに下着も脱ぎ、全裸になった。裸になったのは、全身でゆなさんの感触を味わうためだ。全裸になってゆなさんのぬいぐるみを着れば、頭の先から足の先まで余すことなくゆなさんの肌に包まれるからだ。
 おれは床に置いておいたゆなさんのぬいぐるみを拾い上げた。両手で背中の切り込みを大きく広げると、ぬいぐるみの中に右足を滑り込ませる。ゆなさんの右足の中におれの右足を潜らせると、平たかった彼女の足がおれの足の形に合わせて膨らんでゆく。ゆなさんの肌が足に張り付くのを感じた。ストッキングを履いたことはないが、この感覚は、おそらくそれが一番近いのだろう。
 想像以上の快感に、おれは熱のこもった息を吐いた。急いで左足も入れて、両手でぬいぐるみを腰まで引き上げる。ゆなさんの肌が下半身にまとわりつく。まるでゆなさんの肌が、おれの下半身をくまなく包み込んでいるような感触だった。
 しばらくその甘美な快感を楽しんだ後、自分の下半身をながめてみた。ゆなさんのぬいぐるみに包まれた両足は、きめの細やかなむだ毛のない女性らしい肌をしていたが、その形は男の足の形に歪んでいた。股間などは、おれの男の部分が中から押し上げて丘を作っている。
 見た目は醜悪だった。しかしながら、そのいびつな外観を差し引いても、ゆなさんの肌に包まれているという快楽はたまらないものがあった。
 もう辛抱できない。すこしでも早く、この快感を全身で味わいたい。
 そう思ったおれは、急いで両腕をぬいぐるみに突っ込み、自分の指先をゆなさんのぬいぐるみの指の中に、いっぽんいっぽん滑り込ませていく。
(あとは頭を入れれば、全身でゆなさんを味わえるはずだ)
 期待に胸を弾ませながら、おれはゆなさんの頭を自分の頭にかぶせた。そのとたん、ぬいぐるみがおれの顔に張り付いてきた。息ができない。このままでは窒息死する。目を開きたくても、ぬいぐるみが目に貼り付いていて開けることができない。背中には身長の半分ほどもある大きな切れ目があるのだから、そこを広げれば簡単に脱げるはずなのだが、着たときに背中全部をぬいぐるみの中に入れなかったのがまずかったのか、腕が突っ張って後ろまで回らない。
 ――と、その時、急に息が出来るようになった。どうやらぬいぐるみを剥がそうとあわてふためているうちに、ぐうぜんゆなさんの口の部分に、おれの口の部分が合わさったらしい。
(そういうことか!)
 おれは顔に貼り付いているぬいぐるみを動かして、自分のまぶたに、ゆなさんのまぶたがありそうなところを合わせた。するとまぶたも開くようになった。どうにか腕を動かし、背中もしっかりと着るようにする。すると背中にあった切れ目が開いている感覚もなくなった。それから、すこし体が軽くなった感じもする。
「ふーっ」
 一難が去ったことにおれは大きく溜息を吐いた。
「助かった。一時はどうなることかと……」
 そこまで言ったときに、おれは驚いた。今の声は女性の声――それもゆなさんの声だったのだ。
「こ……これは……」
 おれは下を向いて自分の体を見た。目の前には大きくふくらむ女性の胸があった。下を向いたために長い髪が顔にかかる。
 男のおれと、女性のゆなさんでは体格がまったくちがう。それでも、いまのおれの体はどこから見ても女性の体格そのものだった。
「鏡……鏡……」
 おれは今の自分の姿を確かめたかった。できれば全身が映せるような大きなやつがいい。周囲を見渡して鏡をさがしたが、店内には全身が映るような大きな鏡は置いていない。
「……そうだ!」
 おれは従業員用の更衣室に大きな鏡が置いてあることを思い出した。
 だが更衣室に向かって歩き出そうとしたそのとき、もっと身近に特大の鏡があることに気がついた。おれは店の窓に向かって歩きだした。カーテンを思いっきり開ける。シャッターが閉まっているガラスの窓は、室内のあかりを反射して、巨大な鏡の役割をはたしていた。本物の鏡と違い薄く映るだけだが、いまのおれにはそれで充分だった。
 ガラス窓に移った人物をみた。そしてそこには、ゆなさんが映っていた。
「信じられない……。ほんとうにこれがおれなのか……?」
 右腕を動かせば、ガラス窓のゆなさんも右腕を動かす。笑顔を作ってみせれば、ガラス窓のゆなさんも笑顔になる。それはまちがいなく、おれがゆなさんに変身していることの証明であった。
 おれはただ、ゆなさんの肌の感触を全身であじわいたいとおもっていただけだった。このぬいぐるみを着ることでゆなさんに変身できるのは、あのハムスターたちだけだとおもっていた。だからまさか、自分がゆなさんに変身するとは思っても見なかったのだ。
 背中に手を伸ばして切れ目を探る。首から腰まであった長い切れ目がなくなっていた。
「すごいな……。これならどこから見てもゆなさんそのものだ……」
 と、ここで何かがしっくりとこないことに気がついた。男言葉を喋っているゆなさんに幻滅させられたのだ。よく見れば、足もがに股気味に開いている。こんなのはおれの知っているゆなさんではない。そこでおれは、ゆなさんの真似をしてみることにした。さいわい毎日のように喫茶店でバイトをしていたため、ゆなさんを始め三姉妹のしぐさやしゃべり方など、そっくりに真似できるほどに熟知している。
「こんな感じで、どうかしら。慧一さん、わたしにみえますか?」
 おれはガラス窓のまえで、女性らしくポーズをとってみた。
 するとそこに、本物のゆなさんがいた。
 はにかんだ笑顔で、スタイルをすこしだけ自慢するように、自分の体を見せつけている。
 裸のゆなさんの体は、健康的で女らしい曲線をえがいている。
「すごいな。これなら、ゆなさん――ううん、わたしそのものね。誰がどこから見たって、わたしにしか見えないはずだわ。
 わたし……ゆなさんになったのね」
 そのとき、ゆなさんの言葉を思い出した。
『この体を慧一さんにあげることにしたの』
 あの時ゆなさんが言った言葉は、こういう意味だったのか。いまになってようやく言葉の意味が飲み込めた。たしかにゆなさんの体はおれのものになった。
 しかもハムスターたちは、今着ているゆなさんのぬいぐるみの他に、三姉妹全員のぬいぐるみも、そしてこの店も家も、すべておれにくれると言った。ということは、ゆなさんも、あえかさんも、りこちゃんも、そして喫茶店キャンディーブルー・スカイブルーも、彼女らの住んでいる家も、すべておれの物なんだ。
 おれは、喜びにふるえていた。

(つづく)





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