変身 【第5章】
作:荻野洋



『そうですか。分かりました、じゃあいいです』
倉橋に変身して初めて迎える週末
俺と倉橋は手分けして電話をかけまくっていた
『やっぱりダメだって』
「こっちも」
財布同様、変身したときに消失してしまった部屋の鍵
そのせいで俺は自分の部屋に帰ることが出来ない
何とか鍵を開けてもらえないかとあちこちの業者に電話してみたが
どこも身分証明書で本人確認が出来ない場合は警察立会いじゃないとダメという回答
今の姿じゃ俺が藤田学であることを証明するのは不可能だし
そもそも運転免許証も財布の中だったからなぁ
ましてや警察沙汰にするなんてもっての外
倉橋由佳が二人いることが世間にバレてしまう

仕方が無い
『元に戻るまで、このままここに居させて』
頭を下げる俺
ぶーぶー言いながらもしぶしぶ了承する倉橋
まさか自分と同じ姿形の人間を
ホームレスにするわけにはいかない
「その代わり、」と倉橋
曰く、朝の身支度は自分で出来るようになって欲しいとのこと
『それってつまり自分でメイクしろってこと?』
「そういうこと」
ただでさえあわただしい朝
毎朝二人分の身支度は大変なんだもんというのが倉橋の弁

そこからは自分の顔をキャンバス代わりに
書いては落とし、書いては落としの繰り返し
鏡台にメイク後の倉橋の顔写真を貼って
それをお手本にひたすら練習
アイライナーは目に入りそうで怖いし
ビューラーは瞼をはさみそうでもっと怖い
眉毛は何度書いても「違う」と言われ
前髪の流し方も左右逆という指摘が
こうして週末のほとんどをメイクの特訓に費やした

ちなみに生活費は俺の銀行口座からネットで送金
ネットバンクを申し込んでおいて助かった
洋服は買い増しても置き場がないからという理由で
当分倉橋本人のものを借りることにして
下着だけ俺用に買い増すこと
倉橋は「先輩の趣味で買ってもいいですよ」と意地悪な笑みを浮かべ
俺をランジェリーショップに送り出した
派手な色使いの店内には若い女性が沢山
場違い感ありありで気恥ずかしい
店員が薦めてくるセクシーな下着をよそに
俺は事前に倉橋に聞いていたサイズの中で
一番シンプルなものを手に取りレジへ
全く何の罰ゲームだよ、これ
それにしても買ってきたばかりの下着をすぐに
洗濯機に放り込まれたのはカルチャーショックだったな
倉橋は「えっ?あたりまえでしょ」
「だって他の人が触ってるかもしれないんだよ」との弁
また一つ男女の差を痛感させられる出来事であった

もともとシステムエンジニア職というのは
ひたすら知力勝負という側面が強く
性別や体力といった要素はほとんど関係ない
それにうちの会社はお茶くみや机の掃除といった
所謂「女の子だけの仕事」も基本的に無し
その意味では非常に男女平等な職場だ
だが倉橋は俺より5つ下
少なくとも外見的には
中堅男性社員から若手女子社員になってしまった俺
やはり会社での立場はそれまでとは変わってくる

一番変わったのは電話対応
うちの職場で唯一これだけは
「電話は基本的に女性に取ってもらいたい」
という部長の意向で女子社員と新人の仕事ということになっている
なので電話のベルが鳴ると
「お前が取れよ」という周りからの無言のプレッシャーが
電話対応なんて新人のとき以来だし
もともと当時もそんなに得意じゃなかった
いざ取ったはいいが相手の名前が聞き取れず
何度も聞き返すはめに
そのたびにお局様にねちねち注意され
すっかり意気消沈な俺
倉橋に相談しても「慣れよ、慣れ」って言われるだけ

「もっと女の子らしく明るく丁寧な言葉遣いで」って注意されたときは
さすがに俺は男だ!と爆発しそうになった
仕方が無いので倉橋の電話対応の完全コピーをすることに
声のトーンとか口調、語尾などをそっくり物まね
最初はなんか自分の中で違和感があって気持ち悪かったが
最近は電話のベルが鳴ると別人格のスイッチが入って
女性として対応している自分がいる

そんなある日俺が電話を取ると
「ああ、倉橋さん。すまないが机の上に資料を置き忘れたんで1階まで届けてほしいんだけど」
という部長の声
(倉橋じゃないんだけなぁ)
と心の中でつぶやきながらも俺は
『わかりました』とだけ返事
「急いでるんでよろしく」の声とともに電話は切れた
俺は資料を持ってフロアを出たが、まっすぐエレベータには向かわず女子トイレへ
そしてトイレから出てきたときには眼鏡を外し髪を下ろした姿に
そう、どうせ倉橋と勘違いされてるなら最後まで騙してやろうという魂胆
今日は着回しのタイミングで俺と倉橋は同じスーツを着ている
俺が倉橋に変身したあの日に着ていた黒いスーツだ
だからこうしちゃえば見た目じゃ区別できないはず
『部長。頼まれた資料をお持ちしました』
「サンキュー、倉橋さん」
(やっぱりね)
心の中でほくそえむ俺
『では、私はこれで』と俺はその場を後にして歩き出す
倉橋の真似をしてお尻を軽く左右に振りながら

俺が倉橋に変身してから1ヶ月が過ぎた
最近すっかり女っぽくなったと皆に言われる
そう言われる度に
「この姿でガサツな態度や言葉遣いをしたら本物の倉橋に悪いから」
と返していたが
実は自分でも自覚がある
俺は男だ
今でもその自我は揺らいでいない
だけど
話す言葉はすべて女の声で口から発せられ
触れるもの感じるものすべてが女の肉体を介して脳へと届く
それがイヤでも24時間ずっと続くのだ
この前まで同じ目線で顔を見合わせて話していた同僚たちも
背が小さくなったせいで
今では少し見上げるようにしないと話しかけられない
その上目遣いを「可愛い」とからかわれ
こっちはこっちで
(おいおい、あいつ鼻毛出てるよ)
と心の中で思ってしまう
そんな些細なことでもそれが積もり積もると
考え方や心の動きに影響を及ぼさない訳が無い

そして倉橋は可愛い
俺がこうなる以前から彼女狙いの男性社員が何人もいた
実は結構前から倉橋には決まった彼氏がいたのだが
それを知っててなおアタックをかける輩も
なので同じ姿形になってしまった俺に対しても
その手の発言があるわけで
最初のころはうまくかわせずシドロモドロになることも
それがまた恋する乙女みたいで自己嫌悪
最近ようやく
『告白なら倉橋本人にどうぞ』
という返しを覚えたのでそれで切り抜けているが
困ったのは面と向かった発言ではなく裏でのひそひそ話
何でも俺には縁の無い喫煙室では
「倉橋には彼氏がいるから代わりに俺を落とせば」
的な会話が日々繰り広げられているらしい
倉橋には「気にしない、気にしない」と言われたが
今の自分が女の子であることを改めて痛感させられた

ちなみに俺も倉橋の彼氏の存在は前から噂で聞いていたが
それがうちの会社の営業の野口だったとは知らなかった
「だった」と過去形なのは最近分かれたから
それも野口のほうが一方的に倉橋を振ったらしい


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