変身 【第6章】
作:荻野洋



『おはようございます』
「おはよう」
今日もいつもどおり出社する俺
だけど今押したタイムカードの名前は「倉橋由佳」
そう、俺と倉橋は取引したのだ
表向きは俺が
「これ以上会社に迷惑をかけられない」
という理由で退職したことになっている
だが、真実はこうだ

俺が倉橋の姿になって2ヶ月が経とうとしていたある日
「あたし、田舎に帰ろうと思ってるんだ」
唐突に彼女がその話を切り出した
「もともと両親はあたしが都会へ出ること自体に賛成してなかったんだよね」
「こっちの大学に進んだときも、女の子がそんなに勉強してどうするんだとか」
「今の会社で夜遅くまで仕事しているのを聞いたときも、女の子をそんな働かせるなんて狂ってる、だって」
「古いよね、そんな考え」
「だけど、実際こうやって不規則な生活を何年も続けてみて、やっぱりキツイなって」
「今のシステムエンジニアっていう仕事も好きだし、決して逃げたいわけじゃないんだけど」
「部長からは『結婚してもいいけど、妊娠だけはするなよ』なんて冗談とも本気とも付かないことも言われてるし」
「そう言われると、女として考えることもあるよね」
「だから…お願いがあるんだけど」

そのお願いとは
・倉橋は田舎へ帰る
・その代役として俺が倉橋としてそのまま会社に残る
というものだった

「これだったら先輩も仕事続けられるし、部屋もこのまま使えるでしょ」
『本当にそれでいいの?』と俺
「だって、もう戻らないみたいだし、その体」
それは俺もうすうす感じていたが、認めたくない故に目をそらしていたのが事実
「だから『都会での倉橋由佳』という人生そのものを先輩にあげます」
「今すぐ答えを出して、とは言わないけど」

部長は俺がどんな姿になろうと仕事さえしてくれればそれでいい
という寛大な態度を取っている
だが俺が女性に変身したことが会社の上層部まで話が伝わって問題視されているらしい
俺が女子トイレを使うことが風紀上問題があるとか
会社で受けさせる健康診断をどうするかとか
同じIDカードが2枚あることがセキュリティ上問題だとか

俺自身も好奇の目で見られる続けるのが結構堪えてきたのは否めない
女性からは「ホントは男のくせにいやらしい」
男性からは「どうせホントの女じゃないんだからサービスしてよ」
面と向かっては言われないが、そういう噂が嫌でも俺の耳に入ってくる
このまま倉橋の姿で会社に居づらくなってきたのは紛れも無い事実だ
俺は悩んでいた

悩み続けること数日
俺は倉橋の提案を受け入れることにした
最後に背中を押したのは
ついにこの体に生理が来たことだった
そのとき俺はもう元の体には戻れないんだ、ということを悟った
確たる根拠があるわけじゃない
しかしこの体から湧き上がる未知なる感覚が
その悟りが正しいであろうことを証明していた
そのことが俺に決断させた
これからは女として、倉橋由佳として生きていきたい

それからの花嫁修業ならぬ女子修業はなかなかのスパルタ教育であった
女の子としての基礎知識から立ち振る舞い
そして倉橋のこれまでの人生経験や人間関係まで
彼女は自分の頭の中をすべて吐き出すかのごとく徹底的に俺に教え込んだ
さすがは理系女子
こういう体系だった作業は得意のようだ
俺も必死で彼女にまとめてもらった手書きの資料を書き写して覚えた
それは単に内容を暗記するだけではなくて
彼女の筆跡をも自分のものにするためである
その甲斐あって今では名前を書こうとすると無意識に「倉」の字から書き始めている
誕生日も本当の自分の誕生日を言おうとするほうが考えないと出てこないぐらいだ

倉橋の実家から取り寄せたアルバム写真も
そのときの情景や写っている人物のことが全て説明できるようになるまで
何度も繰り返し教え込まれた
それはまるで倉橋のこれまでの半生を追体験させられているかのようであった

覚えるのは私生活だけではない
会社に退職願を出したとき、俺の仕事の引継ぎ相手は倉橋にして欲しいと頼んだ
会社はそれを受け入れてくれた
こうして引継ぎという大義名分で
俺と倉橋が二人だけで会議室にいても不自然でない環境を作った
みんなは俺の仕事を倉橋に引継いでいると思っているが
実は俺が倉橋の仕事を引継いでいたのだ

入れ替わる日は年明けの仕事始めの日と決めた
長期休みの後なら多少雰囲気が違っても気が付きにくいはず
さらにその直前に髪を少しだけ切ることもあらかじめ決めていた
これも雰囲気の微妙な違いを誤魔化すためだ
準備は着々と進んでいった

明かりを落とした真っ暗な部屋
ベッドの上で行為に及ぶ一組の男女
ぎしぎしと音を立てるベッドと
その音とシンクロする女のあえぎ声
その行為はやがてフィニッシュへと向かい
二人ともに果てて倒れこむ
荒い呼吸音だけが部屋にこだまする
行為の余韻を楽しんでいる男女
そこへ突然
『ふーん、やっぱり体が目当てだったんだ』
という声が
そして急に部屋の電気がパッと灯る
まぶしさに目を細める男
逆光の中から少しずつ声の主の顔が見えてくる
その顔を見た男の血相が変わる

「ゆ、由佳…」
「だって、えっ!?」
男は目の前の人物とベッドで添い寝している女の顔を何度も交互に見比べている
かたや怒りの表情でこちらを睨む倉橋
かたや先ほどの余韻で上気した顔の倉橋
男は完全にパニックを起こしていた
『なんだかんだ言って結局は見た目なのね』
『中身なんかどうだっていいんだ』
倉橋は腕を組んで仁王立ちし
あきれた顔でベッドの中の男を見下ろす
「じゃあ、まさか…」
男はようやく状況を理解し始める
それを見ていたベッドの中の倉橋が
それまでの表情から一変
ニヤリとして
「どうだ?気持ちよかっただろ?俺の中は」
「もう一発やるか?」
その言葉を聞いた男は
うわーという叫び声とともにベッドから飛び出し
あわてて自分の服を拾い集めると
そのまま部屋の外に飛び出していった

しばしの沈黙
ベッドの中の倉橋はゆっくりと体を起こし
もう一人の倉橋と互いに見詰め合う
そして
くっ、くくくく
あははははは
二人の倉橋の笑い声が部屋にこだまする


(第7章へ)

inserted by FC2 system