変身 【第3章】
作:荻野洋



テーブルを囲んで食事をする俺と倉橋
「先輩、脚!脚!」
倉橋が俺の膝を叩く
俺はただいつものように座っていただけだ
「ちゃんと膝を閉じてくださいよ、はずかしいから」
「もしかして会社にいるときも脚開いてたんですか?」
『全然意識してなかったからなぁ』
『でも机の下だから誰も見てないよ』
「あっそうだ!あのくしゃみは何ですか!」
『しようがないだろ。つい今朝まで男だったんだから』
「今はあたしになってるんですから、あたしがはずかしいじゃないですか」

「あとトイレに行ったとき、ちゃんと2回流しました?」と倉橋
『2回って?』
「えっ、用を足してる間には水を流さなかったんですか?」
『してないよ』
「信じられない!音が聞こえちゃうじゃないですか!」
そんなことまで気にしなきゃいけないのか、女の子って
「いいですか、いまの先輩はあたしなんだから、ちゃんとしてください」
「イヤなら、とっとと元に戻ってくれませんか」
『そんなこと言ったって、何でこんなことになったのか俺が知りたいよ』
「じゃあ、これからはあたしの言うとおりにしてもらえますか」
『分かった、分かったよ』
すっかり倉橋の尻に敷かれてしまった俺

「さあ、お風呂に入ってから寝ますよ」
『えっ、お風呂?今日は止めとかない?』
「ダメです。あたしの体を不潔にしておくなんて許せない」
「もちろんアイマスクしてもらいます」
やっぱり
(えっ、ここもあたしと同じなの!?)
(イヤだなぁ、どこもかしこも一緒だなんて)
そんな倉橋の心の叫びは俺に聞こえるはずもなく
「はい、じゃあ次は背中をながしますから」と倉橋
俺は風呂椅子に裸で腰掛け、彼女に体を洗ってもらっている
残念ながらアイマスクのせいでその姿を目にすることはできない
だけど彼女の手の動きにあわせて動く自分の皮膚の感覚ははっきりと感じられる
女の子の体ってこんなに柔らかいんだ
背中ですらこんな感じだから胸を洗ってもらうときは…
自然と表情が崩れる俺
「どうしたんですか?」
『いや、何でもない』
「何かいやらしいこと考えてたんでしょ!」
『痛ってぇ!』

風呂上りの倉橋と俺
さしずめターバンを巻いたインド人が2人
『今日はもう疲れたよ。眠いんだけど』
「ダメ。髪がちゃんと乾いてからじゃないとぐちゃぐちゃになっちゃうから」
『まだやることがあるのかよ』
さっきの化粧水と乳液ですら十分面倒くさかったのに
「だから女の子は大変なんですよ、先輩」
そこから始まった長い長いドライヤーとの格闘
ようやく眠ることが許されたのは日付も変わろうかという時間帯であった

真夜中
俺はふっと目を覚ます
ベットでは本物の倉橋が熟睡中
俺はそのすぐ隣の床にマットレスを引いてそこで横になっている
あれだけ疲れて眠たかったはずなのに
どうもしっくりこなくて寝苦しい
まあよく考えてみれば
枕が違うどころか「体が違う」からなぁ
特に寝返りを打つたびにぷるんと流れるように動く胸に
違和感がありまくり

俺は掌をそっと胸の膨らみに当てる
寝ている体勢なので横に流れてしまっているが
それでも感じるボリュームと柔らかさは
紛れも無く女性の乳房であった
そして何より触られたという感覚も同時に存在するのが
これが自分の体であるという証でもあった
俺は円を描くようにゆっくりと掌を動かしてみる
気持ちいい
女の乳房を揉んでいるという掌から伝わる気持ちよさと
乳房が揉まれることで感じる胸から伝わる気持ちよさ
その両方が俺の脳みそでミックスされる
揉みしごきたいという衝動と
女の感覚に飲まれてしまって自我を失うのではないかという恐怖
そのせめぎ合いの中で俺は一夜をあかした

翌朝
「ほら、起きて」という声で俺は目を覚ました
まだ寝ぼけ眼から見える視界はいつもと全く違う風景
そうか、昨日は倉橋の部屋に泊まったんだ
「まだ元に戻ってないみたいですね」と倉橋
俺は自分の姿を確認する
体は以前として女のままだった
時計を見る
『まだ早いじゃん』
「何言ってるの。今日は2人分支度しなくちゃいけないからこれでも遅いぐらいです」
『俺も会社行くの?』
「あたりまえでしょ。別に病気じゃないんだから」
『マジで?』
(あたしの部屋に居座ろうってほうが、どうかしてますよ)

『ところで「2人分の支度」って?』
「まさかメイクもせずに会社に行こうと思ってます?」
『俺がメイクするの?』
「当然です。あたしのすっぴんをさらすわけにはいかないでしょ」
「さあ、早く顔を洗って着替えましょう」

やっぱり着替えるときは目隠しさせられるのか
だけどブラジャーを着けさせられると
目隠しされていても自分は今女なんだなと痛感する
なんというか背中に食い込む感じもそうだけど
まさか自分の体で「寄せて上げて」することになろうとは
アイマスクを取る許可が出たときには
既にいつものパンツスーツ姿へと変貌していた

「むずかしいわね。人の顔をメイクするのって」と倉橋
俺は今彼女になすがままに顔をいじられている
やれアイライナーだ、ビューラーだ、マスカラだとさまざまなアイテムが登場し
だんだんいつもの倉橋の顔になっていく
「はい、できました」
時計を見る倉橋
「ヤバい、もうこんな時間」
「もう時間ないから朝食はコンビニかどっかで買ってって」
『あれ、倉橋は?』
「あたしは時間をずらして少し後の電車で行くわ」
「昨日みたいに注目を浴びるのはイヤだから」
なるほど
「そうそう、髪がジャマになったらこれでまとめて」
彼女はヘアゴムを俺に手渡した
わかった、と俺
じゃあ、先に行っててと倉橋は俺を送り出した
駅へと向かう俺
歩くたびその長い髪が風になびき
シャンプーの残り香が鼻腔をくすぐる
いいじゃん
これこそ女の子の醍醐味だよな
縛るなんてもったいない

途中のコンビニでおにぎりとミネラルウォーターを買う
レジで店員が「29」のピンクのボタンを押すのを見て
改めて今の自分の姿が若い女性であることを意識する
おつりとレシートを受け取ろうとしたが目測を誤り
掌から小銭がこぼれて床に落ちた
やっぱりまだこの体に慣れていないや
とっさに拾おうとしてしゃがんだ俺
その瞬間長い髪がばさっと被さってきて視界を塞ぐ
こうなっちゃうのか
倉橋がヘアゴムを渡した理由がようやくわかった
結局髪の毛を縛ることにした俺
これでよし
縛り方もよくわからないから、ただ単に真ん中で纏めただけだけど
こうして意気揚々と歩き出す俺だったが
そのときの俺は気が付いていなかった
さっきコンビニでしゃがんだときに
レジの後ろに並んでいた男子高校生に
思いっきり腰パンを見せびらかしたことに


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