変身 【第2章】
作:荻野洋



ふう、なんとか間に合った
我慢していたものが一気に開放され、勢いよく出て行く
体の真下に向かって出て行くその感覚は実に不思議なものだった
ええと、最後は紙で拭くんだっけな
俺はトイレットペーパーを手に取ろうとして、ふと便座にあるボタンに目が行った
何度か冗談半分で押したことはあるが、特になんてことは無かったそのボタン
この体ならどうなるんだろう
俺はその女性のマークが書かれたボタンに手をかける
ノズルの伸びる音
そして
シャーという音とともに、股の間から温水が上に向かって吹き上げてきた
あわてて停止ボタンを押す
ようやく水の噴出しは止まったが、
もう下腹部や内腿までびしょびしょだ
そうか
男と違って股間に邪魔するものがないから、ちゃんと股を閉じないとこうなっちゃうのか

用を足し終えた俺は洗面台の前へ
ここに立つのは今日2度目だ
1度目は何がなんだかさっぱり分からなかった
男子トイレに篭っていたはずがいつの間にか女子トイレにいて
しかも倉橋そっくりの姿になってたんだから
それを本物の倉橋に見られてパニックになって…

改めて鏡に映る自分の姿を確認する
濃い目のブラウンに染められた髪
よく手入れされた眉毛
ばっちりマスカラで強調された睫
左目の下の泣き黒子
これはもう瓜二つというレベルを超えている
まさしく倉橋そのものだ
はぁ
ため息をつく俺
そのため息さえも彼女の声

トイレから出てすぐの廊下に部長と課長の姿が
軽く会釈をしてすれ違う俺
そのままオフィスへと戻る
ドアを開けると既に戻っていた倉橋が俺をじっと見ている
その視線を感じたまま俺は自分の席へ
別に疾しいことは何もしてない
ただトイレで用を足しただけだ
仕方ないよな
これは生理現象なんだから
俺は自分に言い訳をする

その頃、男子トイレではこんな会話が
「なあ、さっき廊下ですれ違ったのは本物のほうかなぁ」
「分かりませんねぇ。なんたって見た目じゃ全く区別が付かないから」
「だけどもし藤田のほうだったら、あいつ女子トイレから出てきたぞ」
「あの姿なら当然でしょ」
「ってことはアソコも女になってるってこと?」
「そうじゃないの?」
「そうかなぁ」
「胸は確かに膨らんでたけど、そこは凝視するわけにはいかないからなぁ」

『へくしょん!』
俺は大きなくしゃみをした
その瞬間、倉橋が後ろを振り返りものすごい剣幕で俺を睨んだ
ゴメン
今の俺は声も倉橋だった

再び男子トイレでの会話
「俺今ちょうど2人とも見渡せる位置に座ってるけど、後姿は全く一緒だよ」
「背中から透けて見える下着のラインとか、半袖から伸びる二の腕の感じとか」
「お前いつもそんな目で倉橋のこと見てたのか?」
「だって倉橋は可愛いじゃん」
「確かに。うちの部署じゃ一番だな」

「くちゅん」
かわいいくしゃみの音が俺の耳に届く
そうか
女の子はこうやってくしゃみしなくちゃいけないのか

男子トイレでの会話はまだ続いていた
「くそっ、うらやましいな。あんなかわいい娘になれるなんて」
「そうか?自分が可愛い子ちゃんになっても、Hはおろかキスもできないんだぞ」
「だったら可愛い子ちゃんを自分の彼女にしてあんあん言わせる、これが男の醍醐味」
「そりゃそうだな」

そんなセクハラ発言が繰り広げられていることを知らずに
俺は倉橋の姿のままなんとか午後の仕事をこなしていた

マンションのエレベータに倉橋と俺
「何で先輩があたしの部屋に来なきゃいけないんですか?」
『しようがないだろ。部屋の鍵も無くなっちゃったんだから』
そう、財布が無くなったので中に入れていた鍵も一緒に消えてしまったのだ
「全く、何でこんなことに…」
(あたしそっくりに変身されただけでも十分迷惑なのに、今晩泊めてくれなんて)
(まあ、あたしの体で変なことしないように見張れるって意味ではいいんだけど)
そんな倉橋の複雑な気持ちが今の俺に分かるはずも無く
「はい、着きましたよ。どうぞ」
鍵を開けて俺を部屋に案内してくれる倉橋
『おじゃまします』と俺
玄関に全く同じパンプスが2つ並ぶ
これが倉橋の部屋かぁ
そこはシックな、だけど明らかに女の子の部屋という感じの空間だった

「さっきの電車の中でものすごく周りの視線を感じましたよ」
部屋の奥でなにやらごそごそ探し物をしながら俺に話しかける倉橋
『ああ、そうだね』
鍵を無くした俺は倉橋の部屋に泊まることになったのだが、当然俺は場所を知らない
それで2人一緒に同じ電車に乗ったのだが、すぐに周りから注目されることに
そりゃそうだ
顔から髪型、服装に至るまで全く同じ人間が一緒にいるわけだから
車両越しに女子高生と思しき少女達に指差されてたもんな
きっと「ねぇねぇ、あの2人すっげー似てない」「ホントだ、そっくり」「双子かなぁ」「双子にしても似すぎだよ」「着てる服まで同じなんて」「よっぽど仲いいんじゃね」「でもなんか似すぎてキショい」なんて会話が繰り広げられていたのだろうな

「とりあえず着替えましょう」と倉橋
なんて大胆な発言
どぎまぎする俺
昼間にトイレに行く行かせないで大騒ぎした人とは思えない
そんな俺の雰囲気を察したのか
「もちろん目隠ししてやってもらいます」
「これでね」
彼女の手にはアイマスクが握られていた
「飛行機の中で寝るために買ったんですけど、まさかこんなところで役に立つとは」
そっか、持ってるのか
残念
「その前にメイク落としてもらえますか?」
彼女がウェットティッシュのようなものを俺に差し出す
「このコットンでまずは両目をしっかりと押さえて」と自ら実演する彼女
コットンに黒く睫の型が写し取られる
「後は眉毛と顔全体を拭いてくださいね」
これが倉橋のすっぴんか
そんな極端にイメージは変わらないなというのが俺の感想

「それじゃあ」と彼女は俺にアイマスクを付ける
「ちょっとくすぐったいかもしれないけど」
彼女は俺の服を脱がせ始める
なすがままに体を預ける俺
服を脱がせて改めて驚く倉橋
(何よこれ…下着まであたしが穿いてるのと同じなんて)
そんなことになっているとはつゆしらず
ただただマスクを外していいよと言われるのを待つ俺

「はい、できましたよ」
ようやく暗闇から開放された
まぶしさに慣れてくるとそこには部屋着の倉橋が立っていた
「冬物パジャマだけど我慢してくださいね」と彼女
ベッドの脇にある大きな姿見にパジャマ姿の倉橋が映っている
その倉橋が今の俺の姿だ


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