月曜日7月6日 怒りと悲しみと(その1)


 もう何日かすると期末試験を行って、そして待ちに待った夏休みが来る。学校内は徐々に夏の暑さを感じさせて、来るべき休みに胸躍らせ始めた生徒達の喧騒に包まれていた。しかしその中で修一だけは難しい表情を見せ、腕組みをしながら黒板の一点を睨んでいた。
 一時間目の授業が始まる前、二組の前を通った時教室内をちらっと見たけれど、凛太郎の姿は無かった。昨日千鶴が修一に告げた通り、病院に行ったのだろう。その代わりではないけれど、阿部の姿をみとめていた。直ぐにでも問い詰めようと言う気持ちになったけれど、授業まで時間が少なかった事から、二時間目の休み時間か昼休みにと考えていた。事によると荒事になる可能性も否定できなかったから。
(リンタの席の方ばっかり気にしてやがったな。絶対、なんかある。ぶん殴ってでも聞き出してやる)
 授業そっちのけで色々な想像を巡らす。どう考えても修一には阿部が力づくで凛太郎に酷い事をしたとしか思えなくなっていた。怒りによる興奮で呼吸も速くなってくる。竹刀で作ったタコでごつごつした掌を見つめ、そしてぎゅっと拳を握った。修一は力もあるし剣道も強いけれど、実際に殴り合いの喧嘩をした事は無い。小さな頃以外は。その身体を見れば普通みんなが修一との喧嘩を回避していたからだ。勿論、修一自身も喧嘩を吹っかける事をするような人間ではなかった。だから多分これが初めてになるだろう。
 若干の緊張も手伝って、握った手はじっとりと汗を滲ませ始めていた。

 * * * * * * * * *

 朝、阿部が登校して教室に入ってみると、いつもいる筈のおもちゃがいなかった。席に着き教師がやって来るまでその席が埋まるのを今か今かと待っていたけれど、結局登校して来なかった。軽く舌打ちをしながら、かばんからシステム手帳を取り出す。
(山口、休むつもりじゃないだろうな。これがある限り休みなんて無いの、わからせてやんないとな)
 手帳を開くと大量の写真が見える。隣の席の生徒に見られないようにしながら、凛太郎の痴態が写された数枚の写真をちらっと眺めた。その時の股間から走る快感を思い出し、若い牡の槍が瞬時に立ち上がってくる。にやぁっとイヤらしい笑みをこぼしながら、手帳を机にしまっていた。
 一時間目の休み時間には、凛太郎に学校に来るよう、督促のメールを出した。けれどその返答は返って来ない。
(くそっ、あのやろう。俺がミシマさんに怒られるじゃないか。今日もやりてーって待ってんのに。――お、写メでエロ写真送ってやるか。ばら撒くって書けばさすがに直ぐくんだろ)
 如何に恥知らずな阿部と言っても、凛太郎を自由に出来る切り札となる写真を、クラスメイトのいる教室内で広げる訳にはいかなかった。
 どこかいい所はないかと考えを巡らせる。と、以前凛太郎を嬲った校舎と体育館の間、いつも連れ込む前にローションを塗っている所が一番人に見られない。阿部はそこで写真を送ろうと考えていた。

 * * * * * * * * *

「あ、悪い、阿部は? え、今出てった?」
 二時間目の授業が終わってダッシュしようとしていた修一だったけれど、休み時間に少しずれ込んでしまった。隣のクラスへ猛然と行くと阿部と入れ違いになったようだった。廊下を振り返ると丁度阿部が体育館方面へ曲がっている。修一は慌てて走り出すと、廊下に溢れている生徒を避けながら阿部の後を追っていった。
(なんだあいつ。体育館行くのか? 次って体育じゃねぇよな)
 時々辺りを見回すような不振な行動を見せながら、阿部は体育館への渡り廊下へは行かず校舎に沿うように左へと曲がっていく。見失う事などないのだろうけれど、修一は慎重に、しかし素早く同じように曲がっていく。と。
(あれ? 阿部は?)
 校舎の凹凸を利用して姿を隠している阿部の事を、修一は見失ったと思っていた。慌てて走ろうとした時、修一の側の柱から数えて三つ向こうの柱の影から一枚の写真のようなものがハラリと落ちていた。
「おっと、やべ」
 小さく呟く阿部の声が確かに修一の耳に届いていた。そして柱からにゅっと腕だけが伸び、その写真を掴むと再び姿を消した。
(あそこにいんのか……。何やってんだ?)
 音を立てないように修一が近づく。直ぐ側に行くと携帯電話でカメラを使った音が一回聞こえた。
「これであいつも学校くんだろ」
(あいつ? リンタの事か?)
 修一は真後ろまで来ると、一度大きく息を吸い込んだ。
「おい阿部! 話がある」
 思い切り低い、ドスの利いた声色を使って修一が声を掛けると、阿部は飛び上がるようにあたふたとしながら修一の方に振り向き、手に持っていたモノを後ろ手に隠していた。一瞬阿部の目に畏怖の念が見て取れたけれど、直ぐにいつもの相手を馬鹿にしたような、余裕ぶっている態度を見せ始めていた。修一は「鼻持ちならない」などという言葉は阿部の為にあるのだろうと、瞬時に悟っていた。
「諸積じゃないか。俺に何の用? なんて聞くほどの事も無いか。山口の事だろ」
 凛太郎の名前を阿部が切り出した事に、正直言って嫌みな奴との印象を強くした修一だった。確かに修一が阿部と接点を持っているとすると、凛太郎の事位しか無い。しかし、それを修一の方から切り出すのならともかく、阿部の方から話を振ってくるとは思わなかったのだ。なんとなれば、阿部は凛太郎を巡る争いでの勝利者なのだ。敗者に何かを言う必要は無い。それを改めて言うというのだから。
 しかし阿部の方の心理状況は、修一が思っているほど勝ち誇り、余裕を見せた態度を採ったモノでは無かった。丁度今し方凛太郎を犯し抜いた写真を携帯電話で撮りメールに添付して脅す道具としていた所だった。その写真自体、思いのまま凛太郎に欲望を吐き出すことが出来るチケットだったけれど、同時に使い方を誤れば自分達の首を絞めかねない代物なのだ。不用意に人に見せられるモノでは無い。ミシマが以前それで商売をするような事を言っていたが、閉じられた空間内で不特定多数を相手にしていたら、必ずどこかから情報が漏れだしていく。そうなった時のリスクを考え、学内での販売は中止していたのだ。それを、考え得る中で最も知られてはいけない凛太郎の近しい関係者、修一に見られ知られる事は絶対有ってはならないのだ。
 故に阿部は何とか写真の存在を隠さなければならなかった。後ろ手に隠した手帳に、先程落とした写真を挟み直そうとするが、なかなか上手く行かない。
 修一はちらっと手の方に興味を持った視線を投げかけつつ、少々怒気を含んだ声で阿部に迫った。
「ああ、そうだ、リンタの事だ。お前、リンタに何しやがったんだっ! お前と付き合ってから元気無ぇって聞いたぞ」
 阿部のシャツの胸元を掴みグッと手前に引く。その力強さに阿部の身体が少し浮き、直ぐ目の前に修一の顔が迫っていた。修一も阿部も百七十センチ台の後半で殆ど上背に変わりが無い。ただ横幅と厚みは修一の方が遙かに広く逞しい。無茶苦茶をやるミシマに真っ向から反抗している事も知られているから、ミシマに逆らえない阿部は修一とは格が違う。
「……何したって? 男と女がいれば決まってるだろ。することなんて。それ以上は言うこと無いと思うけどなぁ。諸積に関係ないだろ」
 修一の気迫に押されながら、阿部が減らず口を叩く。じっとりと背中に汗が流れていたが、必死に対抗しようとしていた。
「なん、だと? 関係無いだと? 俺とリンタはなっ、確かに別れたけどな、親友だってのは間違いねぇんだよっ! それだけ関係がありゃあ、お前に聞くのに十分だろう!」
 阿部の「関係ない」という物言いに、修一のスイッチが入ってしまった。一気に沸き上がる衝動を抑えきれなくなり、修一は掴んだ阿部を壁に向かって勢いよく突き放した。
 どん、と壁に背中からぶつかる阿部の、その背中からバラバラと写真が落ちていく。
「って……なにしやがっ?!」
 後頭部をしたたかに打った阿部は、痛みを訴える部位を手でさすっていた。漸く反撃しようとしたとき、彼の視野の中にあってはならないモノが映し出されていた。
(やばいっ)
 そう思い阿部が修一を見ると、既に視線は落ちた写真へと注がれていた。
「……ん?」
 阿部にはゆっくりとした動作に見えたが、修一の動きは早かった。制服のズボンが汚れる事などお構い無しに、そのままコンクリートに膝を着き両手で写真を拾い集める。集めながらその画像に食い入る様に見つめて、順番に見ていった。
「! 諸積っ、返せっ!」
 修一を突き飛ばし、そのまま写真を奪おうとした阿部だったけれど、その計画は叶わなかった。修一がすっくと立ち上がってしまい、その後姿に圧倒されてがなる位しか出来ない。
(な、んだよ、これ……)
 写真を持つ修一の手が震えていた。その破廉恥極まりない画像にかぁっと顔も身体も熱くなるが、心だけは次第に冷えていった。フラッシュで浮かび上がった白い肌。誰かに押さえつけられ涙を流している少女が写っている。制服を半裸の状態にさせられ、嫌悪の表情を浮かべている女の子の写真。捲る度に、胸が熱く、痛くなる。必死に叫んでいるだろう写真。諦めて、空虚な目をしている写真。ガムテープで口を塞がれている写真。見るに耐えないような、裏本でも見られないような、ソコのアップ。
 可憐な少女が複数の男の手でめちゃくちゃにされている場面。修一は俄かに信じられない想いだったけれど、自分のあげた銀の犬のチョーカーが、それが誰であるかを如実に物語っていた。全ての写真で被写体となっているのは、修一が良く知る、大好きな女の子だった。
 どうしてこんな写真を阿部が持っているのか。写真には女の子と一緒に阿部の姿も映っている。自由を奪われた少女に、後ろから……。
(リンタ……どうして……)
 ぐにゃっと、凛太郎の泣き顔が歪み、滲む。しかしこんなところで悲嘆にくれている暇は無かった。直ぐに悲しい想いも一時棚上げにされ、代わりに猛烈な怒りが、憎悪が背後に佇む男へと立ち上っていく。奥歯が砕けんばかりに噛み締めると、頬とこめかみの筋肉がぴくぴくと動いた。
 修一は写真を見るのを途中で止め、両手でそれをぐしゃぐしゃに丸めてそのままポケットに突っ込んでしまった。その一連の行動に、阿部が修一の肩を掴んだ。
「諸積っ、そりゃ俺達のなんだっ、お前に関係ない! 寄こせっ」
 修一を振り向かせようとした時、阿部は真っ赤に充血した目を見たかと思うと、そのまま頬に衝撃を受けて校舎の壁に叩きつけられていた。
「阿部ぇ、どういうことっだっ!」
「ぅぐぇ……」
 阿部の頬骨をしたたかに殴った修一の右拳は、じんじんと痛み内出血を始めていた。代わりに左拳を鳩尾に叩き込むと、奇妙な声を出して阿部がコンクリートに膝をつく。殴られた腹を押さえながら下を向いて大きく口を開いていた。朝食を採らない主義なのか、黄色い胃液だけを「げっへ」と苦しげに吐き出している。
「なんか言えっのやろう!!」
「ぎゃッ?!」
 吐瀉物を撒き散らす阿部に全く怯む事無く、修一がその鼻面へ爪先を蹴りこんでいった。「グシャ」っと少し柔らか目のものが潰れる音がした。阿部の鼻が右上を向き、鼻の穴から大量の鼻血が流れ出していた。
「ふしゃっ、ひゃぁ、たひゅけ」
 鼻と腹を押さえながら阿部が四つん這いになりながら修一から逃げようとする。しかし修一がそれを許す筈は無かった。大きく右足を振り上げると、尻を向けていた阿部の尻の穴辺りに向かって一直線に蹴り込んで行く。
「!!」
 傍で誰かが見ていたら、修一の爪先が全て阿部の尻の穴に入ったように見えたかも知れない。それ程修一の爪先は尻に食い込んでいた。阿部は苦しいはずの身体を反らし、両手で尻の穴を押さえながら悶絶していた。修一は一切構わず、阿部をくるりと仰向けにすると、そのまま馬乗りになった。胃液で汚れた阿部のワイシャツの胸元を掴むとぐいっと自分の顔近くまで引き寄せる。阿部が荒い息遣いをする度に、すえた胃酸の匂いが修一の鼻をついた。
「お前、リンタに何したんだ! この写真、どういう事なんだよっ」
 血走った目で凄まれ、阿部は凛太郎が味わったのと同様の恐怖を今感じていた。阿部としては適当に修一をあしらってこの場を切り抜けようとしていたのだ。大体が、阿部はミシマに唆され、凛太郎を誘い出す役割を果たしたに過ぎない、そう思っていた。女性を騙し、犯し、輪姦するという事がどれ程非道な行いか、理解に欠如していたと言ってもいい。
 だから修一がこれ程暴力を使ってくるとは思いもしていなかったのだ。それに修一は剣道が強いと言っても喧嘩をするような話は聞いたことが無かったし、暴力的な人間でもなさそうだった。阿部は完全に修一を見誤っていた。
「……セックス、しららけら。やまぐちらってよろこんれら。あそこも良く締まって気持ちいいんら、あいつ。ふひゃひゃ」
 それでもバックにミシマが付いているからか、曲がった鼻で呼吸が苦しいにも係らず、阿部はその行為が正当なものだと言ってのける。
「喜んで、なんて事あるかあっ! 身動き出来ないようにして泣いてんじゃねぇか!」
「ぎゃっ」
 だらしなく笑う阿部の口元に、修一が右拳を振り下ろした。鈍い音とともに阿部の前歯の一本が内側に入り込んでいた。
 修一ははぁはぁと息をしながらも、写真の事をもう一度思い返していた。
(こいつが写ってたって事は、こいつ以外にも誰かいたって事じゃねぇか。他に誰がリンタの事。ちっくしょう……)
 凛太郎の苦しみと屈辱を思うと、修一は涙が出そうだった。何も知らなかった自分が情けなく、気付けなかった事に腹立たしさを覚えていた。しかし今はそういった感情は後回しにしなければならない。修一は阿部の首元を大きな手で押さえつけ思い切り締め上げる。と同時に右拳を再び振り上げた。
「いいか。他に誰がいたんだ。答えない限り、一本づつ歯ぁ叩き折ってやる。総入れ歯になりたく無かったら、さっさと言えっ!」
 言い終わるや否や、再度拳を振り下ろす。「ぐしゃ」っと嫌な音が一度修一と阿部の耳に届く。修一の握力で押さえつけられた阿部の喉からは「ヒューヒュー」と空気しか出てこなかった。
 二本も歯を折られれば十分に抵抗の意志を削ぐ事が出来た。阿部の目には鼻に喰らった修一の一撃で既に涙目になっていたけれど、それとは別の涙が出てきていた。
「もっもろづみっ、もうやめれくれぇ。言う、ミシマさんらっ。それとヨシノさんっ」
「ミシマ?」
「そうらっ。おまえが、なまいきらって。それにミシマさん、やまぐちきにいってたから、おまえからうばってやるって。おちこんらおまえ見て、大笑いしてたんら。おれはちょっとやったらけら!」
 ミシマの名前を聞いて、修一は愕然としてしまった。凛太郎がこの三人に犯されたのは、全て自分が元凶だったのかと。
(俺が悪かったのか? だからリンタが……)
 一瞬逡巡したけれど、直ぐにそれを否定した。図書館に行ったあの日、嫌らしい目で友人を見られ、あまつさえ「貸せ」などと言われれば誰でもそれを止めようとするだろう。その当然の行為に逆恨みしたのはミシマだ。しかもその恨みを修一に直接返すのではなく凛太郎を狙った。それ自体が普通の考えでは無い。けして修一は自己を正当化しようとした訳ではない。
 目の前の、反省の欠片もない阿部を見つめながら、修一が唸るように声を出した。
「何が『ちょっとやっただけ』だっ。お前がやった事は犯罪だろうが。……写真の元データ、どこにあるんだよ。だせっ!」
 阿部の胸倉を掴んで上下に揺すると、ゴツゴツと後頭部をコンクリートにぶつけている。痛そうに顔を顰める阿部には一切手加減無く、修一は目の前にいる人でなしが話すまでそれを続けた。
「いてっ、やめっ、いうっからさ。データ、ヨシノさんがもってるんら、おれじゃない!」
「ヨシノって何組なんだ。どんな見た目だ」
 修一がぴたっと揺するのを止めると、阿部は安堵の息を漏らした。
「……ヨシノさんは三年五組ら。ミシマさんと一緒れ細くて茶髪ら。もろづみ、おれはふたりがやるっていうから、やったらけら! ほんのちょっとしかやってない! おどさらたんら! らから、なぐらないれくれよ。しゃんときょうりょくしたろ。もう、やめてくれよ」
 この期に及んでもまだ自分は悪い事をしていないと主張する阿部に、修一は一旦ミシマに向いていた憎悪を再び阿部に向けていた。
「ちょっとだろうがたくさんだろうが、リンタに……したのは事実だろうが。それに、リンタだってきっと頼んだんだろ、やめてって。お前、それ聞いて止めたのかよ。止める訳ねぇよな。だから俺も止めねぇ」
 拳を中心に手の甲まで内出血が広がり始めた右手を、阿部の無残に晴れ上がり割けて血が出ている唇へと力任せに振り下ろしていた。柔らかいものから硬いものが拳に触れるのが解ると、折れた歯が修一の手に傷を作った。
 眼下には気を失いながらもヒクヒクと痙攣を起している阿部が横たわっている。修一はほんの少しだけ眺めると徐に立ち上がった。残っている写真探すようにぐるりと視線を巡らせるけれど、見たところどこにも無いようだった。そのまま阿部の傍らに座るとポケットを探っていく。どこかに一枚でも残っていれば忽ち凛太郎の立場はなくなってしまうだろう。新たな脅しのネタになってしまうかも知れない。
(こいつさっきリンタに何か送ったのか?)
 携帯電話を取り出すと、躊躇しながら阿部の送信履歴を見てみた。良く知るメアドに送信されている。内容を見ると添付書類がある。それを開けて、修一は驚愕の表情を見せていた。暗い所で撮っている為に画像は不鮮明だった。抱えあげられそのままの格好で挿入されているらしい。しかしそれが誰かなど、修一には痛いほどよく解っている。
(こんなの、酷ぇよな、リンタ……)
 送信履歴からそのメールを消去してしまうと、修一は尚も意識を戻さない阿部に携帯電話を投げ返していた。
 相手は後二人。ミシマは良くも悪くも知っている。ヨシノはと言えば、細身で茶髪という。修一には時々、ミシマシンパとして道場に来ていた人物に心当たりがあった。
(ヨシノもミシマも、絶対許さねえっ)
 しかし今度の相手は一筋縄では行かない。喧嘩慣れもしているだろう。修一は怒りも新たに、直接ミシマのいる教室を目指そうとしていたが、思い返して阿部を残したまま部室へと向かっていった。

 * * * * * * * * *

(んだぁ? 阿部のやつ遅いじゃねーか)
 教室の窓側で一番後ろの席がミシマの定位置だ。それを囲むようにミシマを中心に三人の生徒が輪を作っている。ヨシノを筆頭にミシマからのおこぼれに預かろうという最低な輩の集まり。皆、思い思いの馬鹿話に興じている中で、ミシマだけが少々イラついた顔を見せていた。
 受験で忙しくなってきている筈の教室内で、大声で喚き、笑い、話すミシマ一派は存在自体が迷惑だった。しかしそれを声に出して咎める生徒はこのクラスにはいなかった。
 凛太郎の陵辱劇以降、阿部が常に凛太郎を監視する役割を担ってきた。毎日学校に来ているか、妙な素振りは見せていないか。大抵の場合、二時間目の休み時間には凛太郎が来ているかの報告と、例のローションの使用を知らせるメールを受け取っていた。
 それ程気になるなら自分で見に行けばいいだろうとも考えられるけれど、学年の異なるミシマがわざわざ出向く事は、自分の権威を失墜させると思っていたから行く事は無かった。大した権威でも無いくせに。それに何かと教師に目を付けられている手前、用も無い一年の教室に行く事がばれた場合、それだけで何かしていると勘繰られる恐れもあった。甘美な魅力を振りまく少女の身体を思い切り弄ぶ事が出来ているのに、それを一時の感情から来る行動でご破算にしたくは無かった事も、ミシマが一年の教室へ行かない理由の一つだった。
「ミシマ、ほんとにやれんのかよ」
 ヨシノではない、ミシマの取り巻きが尋ねてくる。不機嫌そうなミシマの手前、少し伺うように。
「ん? ああ、ちゃんと金払えばヤラせてやるよ。一発五千、中出し三千。放課後貸し切りが二万な」
 どこまでも卑劣な奴と言うのはいるのだ。毎日の陵辱に加え、今度は更に凛太郎の身体を「売る」事まで考えていた。
「貸し切りって、無制限か? つか、中出しし放題なんか?」
「なぁ、中出しってデキたらどうすんだよ。やばいんじゃね?」
 もう一人、馬鹿そうな取り巻きが尋ねる。ヤリタイ気持ちはあっても流石にそこまでの度胸はないと言う所だ。
「ピル飲ませてっからヘーキだって。なぁ、ヨシノ?」
 口から出任せを言うミシマがヨシノに同意を求める。
「え? あ、ああ、だいじょぶだろ、飲んでっから……」
 散々凛太郎の中で欲望の白濁液を注ぎ込んでおいて、やばそうなら他の奴らも巻き添えにしようと考えているミシマに、ヨシノも空恐ろしい気がしていた。しかし、自らも身に覚えのある事だ。ここで同意しておけば何かの時に、凛太郎が孕んだ時に、少しでもヨシノ自身の嫌疑を逸らせておけるという心理も働いていた。
「それじゃ、放課後って事で。顔見てからでもいいんだろ?」
「ああ、見たらもっとソソルと思うけどな」
 うひゃひゃと四人で下品な笑い声を上げている時、木刀を持った生徒が教室に乱入した。

 * * * * * * * * *

 阿部を血だるまにした修一は、その足で剣道部室に来ていた。手ごろな小太刀の木刀を一振り、握り締める。剣を私闘の為に用いる事に、修一は最後まで葛藤があった。これまで一生懸命稽古をして来た。本来なら自分を磨き鍛える為に用いるものだ。暴力に使っていい筈はない。ここでこれを使ったら、剣道部自体にも迷惑を掛ける事になるかも知れない。目をかけてくれた脇田にも申し訳ない事になりそうだ。
(でも、リンタには換えられないだろ。今、俺がやらなかったら、誰がやるんだ)
 小太刀を左手に持ち上段に構え、勢い良く振り下ろす。「ひゅん」と風を切る音が、修一の迷いを断ち切るかのようだった。
 本来なら素手でミシマをぶちのめしてやりたい気持ちだったけれど、ミシマの仲間もいるかも知れない。自分がやられる事が怖いのではなく、ミシマとヨシノに拳が届かない事が心配されたのだ。相打ちではダメなのだ。勝ってデータを取り戻さなくてはならない。完全に勝利するなら、どうしても「道具」が必要だった。そこに卑怯だとか男らしくないとか、そんな感情は無かった。ただ一点、二人をぶちのめしデータを取り返せれば目的は達せられる。修一はそれ以外考えていなかった。その後どのような処分が下るかなんて、今考えても仕方ないし、理由を問われても言う筈も無いのだから。
 修一は小太刀を背中側のズボンに差し込むと、剣道部室を出て行った。二時間目の休み時間は残り五分程だった。



(その2へ)


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