土曜日6月20日 暗い部屋(その3)


 図書室に戻り室内を見渡すと、まだ修一は来ていなかった。長机に放り出していた本を片付け、手早く帰り支度をした。
 かばんを持って部屋から出ようとした時、修一が現れた。
「よぉ、待った?」
 屈託のない笑みが、凛太郎には眩し過ぎた。まともに修一の顔を見る事が出来ない。ついさっき、暗い部屋で自分がされた事を知ったら、その笑顔はどうなるのだろう。それにこれから自分が言う事を聞いた時、修一がどんな表情になってしまうのか、考えたくも無かった。
「……待ってないよ。今から出るとこだったから。あの……」
 顔を上げて修一を見ると、少し眉間に皺を寄せて凛太郎に近寄ってきていた。
「リンタ、どうしたんだよ?  制服汚れてるじゃねーか。なんかあったのか? なんで口元赤いんだ?」
 いつも綺麗にしていた制服が所々汚れている。しかも口元は少し赤くなっている。修一は目ざとくそれを見つけていた。
「あ、ちょっと急いでて、階段で転んじゃって……。痛くて涙出ちゃったよ」
 修一を騙している自分が嫌だった。微笑みつつ言った言葉に、修一は少し怪訝そうな顔を見せていたが、納得したのか頷いてみせる。
「そうか? ならいいけどな。じゃ帰ろうぜ」
「うん……。あ、ちょっと公園寄って行こう。話しがあるから」
 先を行こうとしていた修一が振り返る。
「なんだよ? また好きって言ってくれんのかぁ?」
 以前の告白の事を持ち出し、少しにやけながら凛太郎を見る修一。凛太郎にはその修一の姿が、酷く遠くにいるように思えた。油断していると修一に縋り付いて泣きたくなってしまう。心が悲鳴をあげていた。
「ううん、違う、よ。とにかく話し、あるから。いこ」
 凛太郎はそのまま修一を促し、駐輪場まで先を歩いた。珍しく強引な凛太郎に、修一は黙って従っていた。
 後ろから見る凛太郎の歩く姿は、何となく不恰好で足を引きずるような、開いているような不自然な歩き方に見えた。
(なんだ? 相当痛いんか? 大丈夫かよ)
「おい、リンタ。大丈夫か? 歩き方変だぞ?」
 強引に抉じ開けられた凛太郎の身体は、まだ相当な痛みを抱えていた。足を閉じて歩こうと思うと何かまだソコにあるような感じがする。中が擦れる訳ではないのだろうけれど、歩くと痛みが増してくる。痛めつけられた粘膜が炎症を起こしていた。
 修一に問われ、思わずギクッとしてしまう。瞬間、下腹部に痛みを感じながら、足を閉じて振り返った。
「う、うん、大丈夫だから。こんなのその内戻……よく、なるよ……」
(……戻る訳ないじゃんか……)
 無理やりな笑顔を作って、自転車を引き出すと直ぐに跨った。

 * * * * * * * * *

 夕闇が迫っている公園は、赤い空と緑の木々が絶妙なコントラストを見せていた。その赤い夕焼けが凛太郎には血のように見える。
 いつもの、と言うか、良く利用しているベンチは今日も空いている。修一はそこで座って話を聞こうと自転車を押しながら歩きかけた。しかし凛太郎が話は直ぐに終わると言う。
「なんだよ、どうした? やっぱ何かあったのか?」
 修一が真剣な表情で聞いてくる。凛太郎にはその真剣さが辛かった。自分のせいで後ろ指を指されるかも知れないのに、こんなにも真剣に心配してくれる修一の気持ちが、心苦しかった。
 凛太郎は緊張でからからに乾いた咽喉へ、こくっと唾を飲んで少しだけ湿らせた。
「……何にもないよ。話ってさ、もう、迎えに来なくていいから。って言いたかっただけ」
「は?」
 思わず聞き返してしまう修一に、もう一度凛太郎が言う。
「明日から、迎えに来なくていい。一人で学校行くし帰るし。修ちゃ、諸積君とはもう一緒にいない、から」
 修一から目を逸らすことは出来なかった。凛太郎が目を逸らせばそれは即、本意では無いとばれてしまう。ちょっと間が抜けたような表情になった修一を、正面からじっと見つめていた。
「おい、リンタ、冗談よせよ。苗字なんかで呼ぶなって。大体一緒にいないってどういう意味だよ?」
 納得出来る出来ないのレベルではなく、修一は何故凛太郎がそんな事を言うのかが理解出来なかった。冗談にしては性質が悪いし、第一笑うところが全く無い。
「解んない? しゅ、諸積君と一緒にいたくないって言ってんだけど。ずっとエッチな事しか考えない人とは付き合いたくないから」
「……それで怒ってるのか? ごめんな、リンタの事大切に思っ、」
「そうじゃないってばっ! もう修ちゃんの傍に居たくなくなったのっ。もうっヤなんだよ! 嫌いになったんだってばっ!」
 多分、一番言いたく無い言葉、聞きたく無い言葉。でも言わないと離れられないのは凛太郎にも解っていた。本心とは全く反対の言葉を咽喉から吐き出す度に、その自分の言葉が槍のように修一の心に突き刺さる。それは修一を見ていれば解る。そしてその修一の痛み、苦しさを与えた槍は、修一を通して凛太郎自身の心も刺し貫いていた。修一の表情が奇妙に歪むと、それがまた凛太郎の心を苛んだ。本当はずっと一緒にいたいのに、こんな事言いたくないのに。
 けれど、穢された自分にはこの選択肢しかないと、凛太郎は頑なに考えてしまっていた。
 修一は自分の顔が歪んでいくのが解った。多分情けない顔をしているだろうと。とてもじゃないけれど、昨日まで、いや、今朝まで普通に一緒にいた凛太郎がそんな事を思っていたなどとは到底信じられなかった。
(……冗談、だろ、おい……)
 ぎゅっと両の手を握り締め、大きく息を吸い込む。その勢いで声を出した。
「お前、それ本気か?」
 修一の声は自分でもおかしいくらい声が震えている。男の威厳もなにもあったものじゃなかった。遠く方で凛太郎の澄んだ声が響いている。
「本気に決まってるじゃんか。僕男だよ? 修ちゃんも男でしょ。これでカップルなんてホモじゃんか。そんなの嫌だし。僕はそんな風に見られたくないから。女の子の事知りたかったから、近場の修ちゃん使っただけだし。最初から修ちゃんなんて好きじゃないから。だから……」
 いつも正面から凛太郎の瞳を見つめてくる修一が、凛太郎が嫌がる事をした後でもちゃんと目を見て謝る修一が、凛太郎から視線を逸らしうな垂れてしまった。
「俺は好きだって、お前も言ったろ……。大体なんだよ、それ……。使ったって……」
 もう凛太郎も見ていたく無かった。そんな態度の修一なんて修一ではない。でもそうさせているのは凛太郎自身なのだ。他の誰でもない。自分と関わったからだと、一層強く感じていた。
「だからっ、ここでもうお終い。今日まで付き合わせてごめんなさい。でももう、諸積君はいいです。今まで一緒に色々して、ほんとに、すごく……ほんとに……」
 修一を見ないように、深々と頭を下げる。見られてないと思うと、途端に凛太郎の目に涙が溢れてくる。地面が歪んでしまう。
(まだ、泣くなっ、まだダメっ)
「……ちゃんと普通の女の子好きになれば? 僕も戻ったらそうするし。じゃあ、さよなら……」
 凛太郎はそのまま顔を見られないようにくるりと踵を返すと、自転車に乗り勢いよく公園を飛び出していった。後に残された修一は、その姿を呆然と眺めていた。
(……あ、りん、た?)
 直ぐに追って行って問い質したかった。けれどその鍛えぬいた腕も足も動かず、口さえも開けない。凛太郎が走り去った公園出口を見つめるだけしか出来ない。なんだか手足の先が冷たくなっている、そんな気がしていた。
 これまでの凛太郎との思い出がぐるぐると修一の頭の中を駆け巡って行く。しかし有効な手立てなどその記憶には入っていない。暫くその場で佇んでいた修一だったが、けたたましい原付の音で我にかえった。そしてそのまま、何も考える事も出来ず家へと帰っていった。

 * * * * * * * * *

 熱いシャワーが凛太郎の頭皮に届き、それが髪を膨らませると顔を通って流れて落ちていく。何もかも、今日の出来事全てが流れてしまえばどんなにいいか。白い肌を赤くしながら湯は身体を流れていった。
 ミシマに舐められたせいで、自分の身体が唾液臭いのが解る。それを落とそうと凛太郎は香料の入っていない石鹸を泡立てたタオルで拭い去ろうとしていた。柔らかな乳房をぎゅっと掴んで、先の方をごしごしとタオルで擦っていく。シャワーを浴びながら擦っていくと、次第に石鹸の泡も消えていく。潤滑剤が無くなった事でタオル地が直接乳首の粘膜を擦り上げていく。痛い筈なのに、臭いが気になって何度も何度も往復させていた。
(汚い汚い汚い汚いきたないきたないきたないきたない)
 汚れた部分が全部削げて落ちて言って欲しいと願うけれど、それは叶わない。少し血が滲み始めた所で漸く凛太郎は擦るのを止めた。
「……もっと綺麗にしなくちゃ……。あっくっ」
 バスチェアに腰掛けて、股間にシャワーを当てる。と、強引に開かれ中を蹂躙された事で粘膜が擦れてしまっていたのだろう、表面が酷く沁みて痛い。思わずうめき声を上げてしまっていた。
 しかしどうやって中まで洗い流せばいいのだろうか。凛太郎はシャワーを当てる手を下ろしていた。
(指入れて中までシャワー……。でも、あんなに痛かったのに、今でも痛いのに……)
 凛太郎は自分の中に入ってきた場面を思い出し、慄然としてしまった。あのおぞましい感触、痛み。そして恐怖。それがフラッシュバックしてくる。不意に涙が溢れて身体ががたがたと震えていた。
「あ、あ、もう、やだよぉ……」
 座りながら身体を誰からも見られないように丸めてしまう。熱いシャワーのノズルを抱きしめて一頻り嗚咽を漏らしていた。
 しかしこのままきちんと洗浄しなければ、本当に妊娠してしまうかも知れない。三人のうち誰かの赤ちゃんを。この最悪とも言える状況の中でも、それだけは防ぎたかった。凛太郎は意を決して、犯されてしまった自分の穴に指を入れようとした。その時。
「あらあら、やられちゃったのねぇ。気をつけないからよ」
 背後であの声が聞こえた。からかうような、それでいて慈しむような魔物の声が。
「なんでっ? 夜じゃないのに……どうして? あっ?! ワンコ?」
 涙に濡れた顔で振り返ると、そこにはいつものように裸の魔物が佇んでいる。寝ている時間以外にも魔物が現れるとは考えていなかった。
 それに、ここ数日では銀の犬が文字通り番犬となってくれていた。シャワーでも、ジップロックに包んで常に傍に置いていたのだ。当然魔物は凛太郎の傍に現れる事が出来なかった。しかし今日は違う。ミシマがチョーカーごと奪っていってしまった。
「そうよお。あたしは『あの動物』がだいっ嫌いなの。きみがあんなの身に着けてなかったらもっともっと楽しめたのに。無くなって清々したわよ」
 久々に見た魔物の禍々しい程の美しさに、凛太郎は身動きが取れなくなっていた。もしかしたら、魔物がまた凛太郎を動けなくしているだけなのかも知れないが。
「ふ、あっ、やめ」
 魔物が傍に寄ると、何の衒いも無く凛太郎の乳房を弄ってくる。身体に触れられるとそれが全て今日の出来事に直結してしまう凛太郎にとっては、触れられる事自体が苦痛だった。
「だめよ、こんなに綺麗なのに無茶しちゃあね。力いっぱい擦らなくても綺麗になるでしょう? ほら、こっちも」
「ひっ、やだっ、痛いからやだっ、触ら……?」
 後ろから凛太郎を包むように抱き、乳房を弄りながら手を下に移動させていた。魔物の手が秘裂に伸びると痛みと恐怖から凛太郎は悲鳴を上げていた。しかし「ぬるり」と指が入ってきても、その感触だけは解るけれど痛みが走らない。
「……なんで?」
「言ったでしょう? ここは現実だけど夢の世界。夢で痛いなんて思った事ある? 無いでしょう。あたし達が見せる夢は痛みなんかないの。気持ち良いだけ。ほら、良くなってきたでしょう?」
 擦れて赤く腫れている膣壁にも構わず、魔物が指を出入りさせていく。彼女が言う通り痛みは全くない。それどころか、以前悪戯された時のように次第に快感が訪れてくる。
 じゅぷじゅぷと指が中を激しく掻き回すと、留まっていた白い澱が魔物の手を伝わって床に流れ落ちていた。
「やだっ、もう僕、こんな事やだっ。止めてよお」
 次第に大きく強くなってくる体内からの刺激。それは身体的には震える程の愉悦だ。しかし精神的には恐怖と嫌悪以外の何物でもない。凛太郎の心は自分の身体の中に何かが入ってくる事自体を嫌悪の対象としてしまった。魔物の動きを止めようと腕を掴む。
 ぽたぽたと流れる白濁の残り汁が次第に少なくなると、魔物はようやくその動きを止め、凛太郎の膣から指を抜いていった。思わず、凛太郎の口から溜息が漏れる。
「……これで妊娠はしないけどね。でも、彼が好きになっちゃったーって言うから彼と初めてするのかと思えば、不特定多数としちゃうなんて。男に戻れなくなるからって誰の精子でもよかったなんて。きみってやっぱり淫乱よね」
 心配そうな声色からいつものからかう声色へ。背後から凛太郎に語りかける魔物の声が変化していた。淫乱だと言われ「そうじゃない」と言い返そうと思ったが、魔物の話に一つ気になる事があった。
「……精子って、男に戻れなくなるって、どういう事?」
 少し声が震えながら凛太郎が問う。凛太郎の思った通りだとしたらこんなに残酷な仕打ちはない。
「え? 男の子が女の子に変わって、それが定着するには男の子とセックスして、精子を体内に受け入れる必要があるって事よ。忘れちゃったのかしら、やーねぇ」
 大げさに後ろに仰け反るアクションを交え、如何にも凛太郎が忘れている事を強調する魔物。
「そ、それって……」
「だから。中出しセックスしなかったら男に戻るチャンスがあるって事でしょ。あら?」
 凛太郎が肩を震わせながら泣いている姿に、魔物がちょっと顔を顰める。
「そんな、そんなのっ聞いてないよっ! 修ちゃんならっ、それだったら修ちゃんにっ、あんなことっ」
 勢いよく振り返り、魔物の肩を掴んで思いっきり揺する。珍しく動揺した魔物の顔が前後左右に揺れていた。それは滑稽でもある筈なのに、凛太郎にはそんな事を思う余裕は無かった。心の隅にあった「男に戻れば」、今日の事も思い出さなくなるかも知れない。そんな事を考えていた。しかし、犯されて、中でイかれてしまった瞬間にその選択肢はもう無かったのだ。女の子として、三人に輪姦された事実だけが残っただけだった。
 しかし、興奮した凛太郎は大事な事を思い出していなかった。
「あたし、全部伝えて」
「ないっ、聞いてないっ、言ってないっ、言ってないよ……」
 泣き崩れる凛太郎を前に、魔物が狼狽しながら立ち上がった。
(ああっ、まずい、まずいわよっこれって。これじゃ契約不履行になっちゃうじゃないの! と、とにかく今は、このコ惜しいけど身を隠さないとっ! あいつが出てくる前に!)
「あ、まぁ、忘れちゃう事もあるわよね。今は知ってるからいいじゃないの。あー、もう参ったわ。じゃ、そういう事で!」
 魔物が身を翻すと暗くなっていた浴室が明るく反転する。その変化に凛太郎が顔を上げた。
「あ! 待てっ、行くなっ。行かないでよっ。どうしたらいいか教えてよぉ……」
 凛太郎は、また無責任に何も語らないで去っていった魔物に尋ねていた。しかし既に魔物の姿はそこに無く、浴室では勢い良く流れ出るシャワーの音だけが響くだけだった。

 * * * * * * * * *

 千鶴が帰ってきたのはそれから数時間経ってからだった。珍しく凛太郎が何も用意をしていなかった。心配になって部屋へと行って調子が悪いのか聞いてみたのだが、返ってきた返答は「少し疲れたから」というものだった。しかし目を腫らしている姿は、けして「疲れたから」というものではなかった。
 凛太郎が塞ぎ込む要因を考えると、一つしか思い当たらない。千鶴は修一に連絡をつけようと携帯電話に手を掛けた。
「……こんばんは。修一君? 凛太郎の母です。今少しいいかしら」
『あ、千鶴さん、こんばんは。いいですけど』
 有無を言わさぬ調子で切り込んでいく千鶴。しかし相手の修一もどこと無く元気が無いのが気になった。
「単刀直入に聞くわね。今日凛太郎と何かあったの? 正直に話して貰えるかしら。事と次第によっては」
『あ、の、俺リンタに振られたんです』
 千鶴は我が耳を疑ってしまった。凛太郎の様子を考えると、どちらかと言えば何かあった感じなのだ。言ってみれば「修一に振られた」とか「修一が変な事しようとした」からショックを受けたという事をイメージしていた。凛太郎から修一を振ったようには思えなかった。
「……振られたって、理由は?」
『もう嫌いになったと。……えっちな事するのは嫌だって』
「! したの? したのね!?」
『いや、したって言うか……これまで以上の事は、何も……あの、千鶴さん、リンタどうかし』
「わかりました。凛太郎はどうもしてません。今までうちのコ『を』遊んでくれてありがとう!」
『千鶴さ』
 嫌味を込めた一言を言って千鶴が電話を切った。
(可哀想に……よっぽどショックだったんだわ)
 凛太郎中心の千鶴の頭は、修一の裏切り行為に沸騰しそうだった。修一がしたかどうか、そんな事はどうでもいいのだ。凛太郎がそう言ったのならそれが千鶴にとっての事実になる。
 しかし千鶴はカーッとした心境のまま凛太郎の部屋へは上がらず、頭を冷や時間を置いた。このままでは凛太郎にも余計な事を言ってしまいそうだったから。一、二分してから階段を昇って行った。
「凛ちゃん、ちょっといい?」
 明かりがついたままの部屋でベッドに入っている凛太郎は答えようとしなかった。千鶴はそれに構わず枕元へ行くと、頭だけ出している凛太郎の髪を優しく撫でる。
「お母さん、心配なのよ。何があったか話してくれる?」
 何があったか。そんな事、凛太郎の口からは到底話せる訳が無かった。話してどうなると言うのだろう。今更何も無かった事にはならないし、身体が元の状態に戻る筈も無い。凛太郎は無言で首を振る。
「さっき、修一君と話たんだけど、何があったの? 凛ちゃんから別れるって言われたって聞」
「なんでそんな事っ。余計な事しないでよっ。修ちゃんが何かしたからじゃないっ。僕がっ……僕が……」
 突然起き上がって大きな声を上げる凛太郎に、千鶴は戸惑いを隠せなかった。あれだけ入れ込んでいたのに、何もされてないのに自分から別れを切り出したなんて信じられなかった。それに修一に告げた話ともズレがある。千鶴からすると、修一が何かしたとしか思えないのだ。
「……もう別れたんだからいいじゃんか。ほっといてよ」
 再び布団を被って、拒絶の態度を見せる。
「凛ちゃんがそうしたいならいいんだけどね。……辛い時にはお母さんに言ってね」
 それだけ伝えると千鶴が部屋を出て行く。扉で電気を消した時凛太郎がまた叫んだ。
「電気っ! 消さないで、点けててよっ!」
 目を瞑ってさえも嫌なのに、明かりが無いとあの部屋の事が思い起こされて怖い。青ざめた顔をして震えている凛太郎の身体は、布団で隠れて見えない。千鶴がもしもう一度枕元まで来ていたら、その尋常ならざる態度を不審に思っただろう。けれど、千鶴は明かりだけを点けていた。
「……ごめんね、点けておくからね。寝る時に消すのよ」
(寝るなんて、出来るかわかんないよ……)
 出て行く千鶴に、凛太郎は心の中でそう答えていた。

 * * * * * * * * *

 黒い影が、凛太郎を包み込む。その陰鬱とした影は、間断なく凛太郎の身体を弄っていく。必死にそれを振り払おうとしても、絡みついた影は身体から離れていかない。
(放してよっ、やめてよっ!)
 来ていたはずの寝巻きは影が引き千切ってしまった。何も着ていない無防備な凛太郎の身体。影はその身体を撫で回していく。そのヌメヌメとしたおぞましい感触。
(気持ち悪いぃぃ)
 白い腿を撫で上げ、脇腹に触れ、乳房を揉みあげる影。逃げる凛太郎の足を絡め取ると、その場に釘付けにしてしまう。
 気がつけば空中で大の字に貼り付けられた格好になっていた。そのまま尚も影は、凛太郎の顔と言わず腕と言わず、ありとあらゆる場所を撫で回していく。ぴったりと合わさった股間の割れ目に影がターゲットを絞ると凛太郎は再び叫んでいた。
(やだぁっ、助けてっ、もうしないでよお!)
 ヌルヌルの影はその声に構わず、割れ目を押し広げていく。その中心に息づくピンクの肉芽を撫で上げると、凛太郎の身体がビクッと反応した。声は聞こえないけれど、その様子に影が笑っている。
 次第に影が三つの頭を持つ怪物へと変化していく。凛太郎は声も出せず、それを震えながら見つめていた。
 何かが凛太郎の股間に当たった。記憶にある、自分を痛めつけ穢していったモノ。はっとして凛太郎が視線を落とすと、自分の二の腕程もありそうな、節くれだったモノが目に入った。
(あ、やだっ、もう許してっ! 痛いのやだっ、僕に入って来ないでっ! 助けてっ、誰か! 修ちゃんっ修ちゃんっ助けてっ!)
 力の限り救いを求める凛太郎の目の前に、すーっと修一の姿が現れる。凛太郎は安堵しながら、もう一度修一の名前を叫んだ。
(修ちゃん! 助けて!)
(お前がフッんだろ。助ける訳ねぇだろ。ワカルダロ?)
(!!!)
 修一の姿がミシマに変わり、影と重なる。そして、そのまま「ずぶり」と凛太郎の中に押入った。
(いやあああああああっ!)

 * * * * * * * * *

「!?」
 ガバッと布団を跳ね除け、起き上がる。明るい部屋の中で、凛太郎は自分の身体をぺたぺたと触ってみた。寝巻きもそのまま、汗だくになっている以外は何も変化は無い。キョロキョロと室内を見回してしも誰もいない。
(あ、夢、か)
 一瞬、魔物が見せた夢かと思った。しかし魔物の夢はもっとリアルで、抽象的なものではない。しかもいつも出てくる魔物が出てこないのはおかしい。凛太郎は、自分の経験が見せた夢だと理解していた。
(修ちゃん、もう助けてくれないんだ。そうだよね、僕がもういいって言ったんだから……)
 修一がもう傍にいない事が心細くて仕方が無い。あの浅黒い肌にもう一度触れてみたい、そう思っても、それをする事はもうしてはいけない事だ。
 涙でぼやける視線を時計に移すと、時刻は三時を指していた。寝ようかと思うけれど、また同じ夢を見そうで怖い。凛太郎はまんじりともせず、そのまま日曜の朝を迎えていた。

 第三日曜日は、理と会う日だったけれど、以前の事もあり行く気にはならなかった。朝食昼食は千鶴と採ったが、それ以外は自室に篭って本を読んでいた。読むと言っても、字だけを目で追うだけで頭に入っては来ない。ただ、何も考えず時間だけが過ぎてくれればよかった。
 時折、部屋の外で千鶴の気配を感じたけれど、敢えて無視を決め込んでいた。
 変化があったのは夕食後、そろそろベッドへ入ろうかと思う時だった。机の上に置いていた携帯電話がメールの受信を告げる。
(あ、修ちゃん?)
 心のどこかで、まだ修一が気に掛けてくれていると思っていた。だからその着信が修一からだと思い込んで、送信者の欄を見ずにメールを読み始めた。が。
「なんで、知って……」
 メールの送信者は阿部だった。殆どのクラスメイトともメールアドレスのやり取りなどしていない凛太郎には、どうにも不可解だった。なぜ阿部が凛太郎のメールアドレスを知っていたのか。確かに知っているのもいるけれど、女性化した後、数人の女子が教えて欲しいと言って伝えた位なのだから。もしかしたら女子の誰かが、ご迷惑にも教えたのかも知れない。それが誰なのかは、今の凛太郎にはどうでもいい事だったけれど。
『明日必ず来いよ またお前の穴使うってミシマさんが言ってるぞ 明日は俺からだからな 来なかったらわかってるよな』
 文面は明日また暗い部屋で昨日と同じ事をすると言っている。身体に入って来られる。犯される。凛太郎はまた目の前が暗くなって、震え始めた。汚いものだと言わんばかりに、携帯電話を思い切り投げ捨てていた。
 震える肩を両手で抱き、逃げる方法を考えようとした。けれど、逃げて学校に行かなかったら、写真を使われるだろう。勿論、そうなったら一緒に写っている修一に害が及ぶのは明白だった。そうしない為のお別れだったのだから、行かないで逃げ出す事も出来ない。
(女の子なんて嫌な事ばっかりだよ。……男は、サイテーだ)
 男には戻れない、女の子では陵辱される。たとえ男に戻れたとしても、理の血を引いているのだ。ミシマ達とそう変わらない下劣な人間にならない保証は無い。かと言って女の子である事を受け入れる事は、明日からの毎日を思うと辛すぎる。
 凛太郎の思考は、出口の全く無い場所をぐるぐると彷徨っていた。



(「月曜日6月22日 カンケイ」へ)


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