月曜日6月8日 普通の日


 梅雨突入で雨模様の月曜日。これからは暫くバス通学になってしまう。いつもと同じだったけれど、凛太郎と修一の二人にとってはちょっと違った月曜日にだった。
「……おはよう。あの、昨日は楽しかった……最後がアレだったけど……」
 千鶴は既に出社してしまっている。山口家の門前で二人きりで傘を差しながら歩き始める。何となく昨日の続きっぽく感じてしまう。
「おす。また行こうな、って、次のプールもデートみたいなもんじゃねぇか。楽しもうな」
「はは……」
 何となく力の入っていない凛太郎の笑顔に修一も少し気になった。
(千鶴さんとけんかでもしたか? うーん、ずばっと聞くのもなぁ)
「「あの、」」
「あ、ごめん。修ちゃんどうぞ」
「リンタから言えよ。言いたそうな顔してるぞ」
 たぱたぱと傘に雨が落ちる音が響く。
「えっと、お母さんなにか言ってなかった? 昨日」
「いや、別に。リンタと付き合ってますって言って、千鶴さんもちゃんと認めてくれたし。リンタが心配することなんてなかったぞ」
 凛太郎を安心させる為なのか、本当にそうなのか、修一は浅黒い顔に映える白い歯を見せて微笑む。
「そう、ならいいんだけどさ……」
「なんだよ、歯切れ悪いぞ。他にもあんのか。言いたいことははっきり言う。ほれ、なんだ?」
 自分とずっと一緒にいても、法的には一緒になれないよと、言ってみたかったけれど、修一がそれを考えてもいなかった場合の事を思うと腰が引けてしまう。もしかしたらそれじゃ嫌だと離れてしまうかも知れない。たとえ考えていても解決策などは無いのだし。
「じゃあ、言うけど。あのね、お母さんの話とは別なんだけど、その、例えばだよ? ずっと一緒にいたとするじゃない。そうするとさ、あの、僕男だし、」
「ああ、それか。その話も千鶴さんとしたぞ。戸籍の話だろ。大丈夫だって。世の中にはいろんな人がいんだから、途中で変わる人だっているだろ? 病院の鑑定書、じゃないな、認定書、違う、えーっと……、」
「診断書?」
「そう、それ。役所だってそれ見りゃ納得するだろ」
 なんだか重要なことをさらりと言ってのける修一の頭の構造が、凛太郎は少し心配になった。あくまで、少し。
「え? でもそれって認められなかったらダメって事だよ? それでもいいの? 修ちゃんのご両親は? 笑ちゃんは? 反対しないの?」
「うちの両親は話せば解るし、あんまりモノ考えてねぇから大丈夫だろ。笑だって姉妹出来るから嬉しいと思うぞ」
「……そんなものかなぁ。なんか違うと思うけど」
 修一の母を思えばそんな気にもなってしまう。豪快な、それでいて優しい母親。でも、大事な息子を想う時、千鶴のように怖い存在にならないとも限らない。
「お前、何でも難しく考えすぎだって。もっと楽に行けよ。おあっ? やべっ時間ねーぞっ」
 修一は少し大股で歩く。凛太郎にも早くするよう促した。とても納得していない凛太郎も渋々ながら小走りについて行く。バス停まではもう少しだった。
 危うく遅刻しそうな位ゆっくり走るバスが、学校前に着いた時には生徒はあまりいなかった。大原に正門でギロリと睨まれながらの登校は心臓に悪い。
「うへ、アブねぇ。早く教室入ろうぜ」
 ばたばたと二人で廊下を走っていくと、五組側の廊下から教師が歩いてくるのが見えた。
「お、ジャストだな。じゃな、また昼にな」
「うん」
 修一は凛太郎が教室に入るのを見届けると、自分も三組の教室へ入っていった。

 * * * * * * * * * *

 昼休み。修一と連れ立って部室へ行くと、脇田と宮本が既にいる。この人たちは本当に四時間目の授業を受けているのか心配になってしまう。
「部長、失礼しまーっす」
「あー、勝手に座って勝手に喰えよ。俺たちは遠征の打ち合わせしてるからな」
 凛太郎はペコリと脇田と宮本に会釈すると、宮本も微笑みながら会釈し返してくれる。その優雅で女性らしさ溢れる容姿は、女の子としての凛太郎でさえもハッとする美しさだ。部内でも人気があるのは頷ける。多分学内でも一二を争うだろう。
(やっぱり綺麗だよね、宮本さんて)
 溜息を吐きながら振り返ると、修一が上から見下ろしていた。すっと凛太郎の耳元に顔を近づ囁いた。
「お前が一番だって。心配すんな」
「ななん、修ちゃんっ?! 僕っ気にしてなんてっ!」
 ぼんと音がする位、凛太郎の顔が赤くなる。ばたばたとお弁当箱を持つ手を振りながら照れ隠しをしようとするけれど、その顔を見たらバレバレだ。
「んー? どうした?」
 脇田が下を向きながら凛太郎の声に反応していた。
「ななんでもないです。ごめんなさい」
 二人並んで椅子に腰掛けもぐもぐとお弁当を食べ始める。中身を半分位食べたところで修一が思い出したように言った。
「そうだ、リンタ。笑な、土曜も日曜も暇してるんだと。土曜、一緒に買いに行くってよ」
「あ、そうなの? じゃぁ、待ち合わせ場所決めないと。夜に電話するからって言っておいてよ」
「おう、解った。……リンタ、それ美味い?」
 修一が凛太郎のお弁当を覗き込んで、丁度箸をつけていたミニハンバーグをもの欲しそうに見つめている。
「……どうかな? 僕が作ったんだけど……。欲しい? 冷たくていいならあげるけど」
 エサの前で待てと言われている犬のように、今にも涎が垂れそうなくらい見つめている修一。これではあげないとは言い辛い。
「え? リンタが作ったのか? 是非是非くれっ。あ〜ん」
(あ〜んて……。修ちゃん、他に人がいるところで……。いくらなんでも調子に乗りすぎだよ)
 ちらっと脇田と宮本の方を見てみると、やはり呆れた顔をしてこちらを見ている。急に恥かしくなってきた凛太郎はバカッと大口を開けて喰わせろと言う修一に、キツイ一言言った。
「僕は修ちゃん係りじゃないよ。自分でどうぞっ」
 凛太郎の言葉に目が覚めたのか、脇田たちと目があったのか、珍しく恥かしそうに「悪い」と言っていた。

 * * * * * * * * * *

 修一の部活が終わっての帰り道。バスの中では静かに物思いに耽っていた凛太郎が、下車してから道を歩く中で、修一の袖を引っ張った。辺りに生徒や人がいないことを確かめると徐に修一に尋ねていた。
「修ちゃん、あのさ、ちょっと聞きたいんだけど……」
「どうした? まだ心配事か?」
 その凛太郎の真剣な表情に修一も身構えてしまう。何か重大な事を言いそうな気配が漂っている。
「あの、お母さんと約束したんだよね? ほんとに、我慢、出来るの? 大丈夫?」
 ちょっと眉根を寄せて心配する表情は、どこと無くアノ時の表情を思い起こさせる。修一は「うっ」と喉から音を出していた。
「な、なんだよ、いきなり……。大丈夫だって。リンタの事好きだから我慢出来る」
「あ、あのさ、最後までは無理だけど……我慢できなくなったら、内緒で、その、手だったら……してあげても……」
 凛太郎としては、中途半端な自分の為に一所懸命になっている修一を何とか助けたい一心だった。自分に何が出来るかと考えると、「お手伝い」位しかないような気がしていた。最後までするのは明確な約束違反だし、凛太郎としてもまだ出来ないと思っている。しかし「手」でする位ならば。
「や、ちょっとリンタっ。そりゃありがたいけど……。その話はまた後にしようぜ、な?」
 内心修一も我慢なんて出来ないと思っている。しかし、それを直ぐに口にしてしまっては、まるで身体だけ、いや、溜まったものを吐き出す為だけに一緒にいるように思われそうだ。焦りながら凛太郎の言葉をかわす。
「うん……」
 その後は会話も途切れがちになりながら、家まで送ってもらっていた。
 また明日、と修一を見送りながら、凛太郎は改めて考えていた。
(修ちゃん、我慢できるのかな……。あんなにしたいって言ってたのに……。お母さんに言われて無理してるんじゃ……。それとも、僕の事やっぱり迷惑だとか?)
 かなり勇気を出して言ったのだが、修一はそれをかわしてしまった。その事が凛太郎には自分を否定されてしまったように思えてならなかった。
(いやだな。また変な事考えてる。修ちゃんも言ってたじゃんか、考え過ぎだって。好きだから我慢出来るって言ったんだから信じてればいいんだ。うん。そうだよ)
 マイナス思考からプラス思考へ。凛太郎はそんな事を思いながら、少し雨に濡れて冷えた身体を温めようと家の中に入っていった。

 * * * * * * * * * *

 シャワーを浴びると千鶴が帰宅していた。二人でちょっと遅い夕食を採った後は自室に戻り図書室から借りた本を読む。大抵の場合はこれが凛太郎の在宅パターンだった。女性化してからは色々とばたばたする事が多くて、パターン通りの生活が出来ていない。今日はと言えば、やはり一つする事があった。
(えっと、笑ちゃんの携帯は、と)
 別に修一の携帯にかけてもいいのかも知れないけれど、用件は笑に直接という感じで言っていたのだから、わざわざ修一を煩わせる事もない。
 考えてみれば女の子の携帯に電話するなんて初めての経験だ。ちょっと緊張しながら修一から聞いていた笑の携帯電話の番号に掛けてた。
「あ、こんばんは山口です」
『……もしもし? どちらの山口さんですか?』
「え? あ、凛太郎です」
『あー、凛ちゃん? あ、そっか山口だよね。なんか忘れてた、ごめん』
「ううん、いつも『リンタ』だもんね。わかんないよ。……あの、修ちゃんから聞いてる?」
『プール? うん聞いてるよ。あと水着だよね』
「そう。でさ、土曜日なんだけど、どこで待ち合わせする? やっぱり駅前がいいかな? こないだと同じとこ?」
『そうねぇ……学校寄ってもいいんだけど。うん、駅前にしよう。会う前に寄るとこあるし』
「え? なんか予定あったの? いいの? こっちに来て」
 修一が笑は暇だと言っていたから、この際甘えてしまおうと思っていたのに。前からの予定があったとなると、申し訳ない。もしそうなら一人でも行かないといけないと凛太郎は思っていた。
『あ、そうじゃなくて。どうせ出るならちょっと気になるお店回ってからがいいかなって。全然予定入ってないし。寂しいよねぇ』
「そうなの? ならいいけど……。笑ちゃんデートとか、ないの?」
 凛太郎の唐突な問いに笑は苦笑いしてしまう。その質問を凛太郎からされるのはちょっとキツイ。
『……えー、残念ながら、無いんだよね〜。凛ちゃんはどうだったの? なんか楽しかったって聞いたよ。あのお兄ちゃんがちゃんとエスコート出来たって信じらんないんだけど』
「あ、え、うん……楽しかった。修ちゃん、ちゃんとしてたし。なんか申し訳ない位ご馳走してもらっちゃったし。お返しどうしようかって思っちゃうよ」
 凛太郎はデートの楽しい場面だけを思い出しながら、ちょっと気恥ずかしく感じてしまう。こんな話を女の子とするなんて思っても見なかったし。
『え? お礼? お兄ちゃんもう貰ったって言ってたけど。…………え、言っちゃダメだったの?』
 修一が近くにいたのか、「お前にはなんにも話さねー」と聞こえてくる。凛太郎も言葉に詰まってしまった。
(! 修ちゃん! どこまで話ちゃってんの? もうっ)
「ああの、笑ちゃん? 修ちゃんて、どこまで……?」
『えーっと。まだ体力担当が近くにいるんで大きな声ではちょっと……Aとか?』
「…………修ちゃんに、ばーか、って言っといて」
『あはは、解った、良く言っとく』
「あそだ。土曜は駅前に二時でいい?」
『うん、いいよ。二時ね』
「はい。じゃぁ、遅くなっちゃうし、この辺で。ありがとう。土曜日お願いします」
『こちらこそ。凛ちゃんと出かけるの楽しみだし。またね。おやすみなさい』
「おやすみなさい」
 土曜日は二時から笑と買い物の予定となった。考えてみると凛太郎にとって初めて女の子と二人っきりで街に出る事になる。
(なんか、初めてが多いな。僕が男のままだったらデートみたいだけど……。笑ちゃんと、か)
 ぽてっと本を片手にベッドに寝転がると初めて笑に会った時の事を思い出していた。はきはきとしていて、修一の女の子版のようなコ。自分の肌を見ても嫌がる素振りも、盗み見るような事も無かった初めての女の子。ほんの少しだけれど、意識していたのかも知れない。でも、今となっては凛太郎にもそれがどんな心情から来ていたものか解らなかった。今はもう、修一しか見えないのだから。
(考えても仕方ないか。……早いけどもう寝ちゃおう)
 自分のまだほんの少し残っている男の意識に蓋をするように、凛太郎はそのまま眠りについていた。

 * * * * * * * * * *

「あ、こんばんは。遅くにすみません。修一です。はい。お話が……はい。で、日曜にリンタとプールに行くんで、え? あ、いや、そうじゃなくて……うちの妹も一緒なんですけど……。えー、それでですね、思いついたんですけど。そうなんです。朝から行くんで昼喰ってから送りますんで。……はい、ケーキを用意していて貰えないかって。いや、言わないでおいて驚かそうかと。そうです。多分三時くらいには……。はい。すみませんが、お願いします。あ、妹、連れてっても、あ、ありがとうございます。はい、それじゃ、おやすみなさい」
(ふぅ。なんだか緊張すんな。はは、リンタ驚くだろ)
 ちょっとした企み事を考えていた修一は、それを実行に移していた。凛太郎が喜びそうな事は全部する、そんな勢いで。

(……リンタ、手でしてもいいなんて……本気かよ。手でも、良かったなぁ…………やべぇまた勃ってきた……)
 最近夜は毎日猿になっている。折角いい案を考えても、結局そっちに手が伸びてしまう修一だった。



(「土曜日6月13日 お買い物」へ)


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