土曜日6月13日 お買い物(その1)

 
 梅雨時期らしく陰鬱な空模様は、気持ちまでも暗くするかのようだ。霧雨という程ではないが、やはり今日も雨模様だった。既に学校も終わった凛太郎は駅前に来ていた。時刻は十四時ちょっと前。笑との待ち合わせの約束は十四時だったから丁度いい位だ。暫く高架下で待つとほどなく笑が愛嬌のある元気な顔を見せやって来た。ちゃんと約束の時間前。この辺が修一とは違う。
「あー、ごめんねー。遅れちゃったかな? お待たせしました」
 ぺこりとお辞儀する仕草は本物の女の子の可愛らしさが滲み出ているようだ。凛太郎は、それに比べて自分は……、などと妙な事を考えてしまう。
「……? 凛ちゃん?」
「あ、ごめん、なんでも……。いや、待ってないし。修ちゃんなんか、いつも十分位は遅れてくるしね」
 固まっている凛太郎を心配そうに覗き込む笑に、慌てて対応する。
「あー、お兄ちゃんはねぇ……。ご迷惑おかけしてます。不束な兄ですが、これからも宜しくお願いします」
 何か改まって言われると、婚約でもしているような気になってしまう。凛太郎をその場面をちょっと想像して顔を赤らめてしまった。
「や、別に迷惑なんてっ、そんなこと……。そうだっ、買い物ってやっぱりデパートだよねっ、混む前に早く行っちゃおう」
「うん、じゃ、行こっか」
 前日は凛ちゃんとお買い物とかなりはしゃいでいた笑だったが、いざ当日になると意外と緊張してしまう。これが女性化される以前の凛太郎だったら、というのは言えないところだった。だから、ちょっと茶化したような物言いをしてしまった。
 笑がかばんが重いと言うのでロッカーに荷物を詰め込んで、目的のデパートへ向かう。途中、女の子二人連れという事で美容院の割引チケットを手渡すお兄さんやら、なんの目的の為なのか解らないアンケートを申し込んでくるおにいさんやらがいたが、無視して歩いていった。
 デパートへ着くとエスカレータで婦人ファッション、呉服、ゴルフ&スポーツ用品を扱う4階まで昇っていく。デパートという場所柄なのか、ゴルフ用品が多い中で、少し奥まったところに水着が所狭しと置かれている。流行の品なのか、ビキニタイプが多い感じだ。しかも大きな花柄をあしらった水着が多い。
 凛太郎はなんだか場違いなところに来た気がして、水着の海へ入るのを躊躇っていた。笑はと言えば、すたすたと吊り下げられている水着をチェックしながら先に行ってしまう。
「えーっと、凛ちゃんはスク水ともう一着買うんだよね。どういうのが好み? って、あれ?」
 言いながら振り返ると凛太郎が石になっている。笑は取って返して凛太郎の左腕に自分の上を絡ませ「凛ちゃん、一緒に見ないと」と強引に引っ張って来た。
「……あ、あのさ、やっぱりスク水だけでいいよ……」
(凄い露出……。あんなの下着と一緒だよ……。やっぱり着られない。みんな見えちゃうじゃんか)
 自分が着たところを想像すると恥ずかしさで一杯一杯になってしまう。白い肌が赤く染まって、その様子から笑にも凛太郎が何を考えているか丸解りだ。
「……なんで? 折角なんだから、見るだけ見ようよ。可愛いのたくさんあるし。ほら、これなんか凛ちゃんに似合うと思うな」
 笑がハンガーに掛かった一着の水着を取り出す。薄い水色の生地に大きな花柄模様のビキニ。トップは真ん中にリボンがついている。
「こ、これ、びきにでしょ? ダメだよ、ダメっ。こんなの下着と一緒だよ」
「えー? 水着って見せる為だよ。お兄ちゃんなんか、こんなの着てれば一発で悩殺出来ちゃう」
(いや、悩殺って……)
 笑の物言いに凛太郎はたじろいでしまった。今でも我慢出来そうにないように見える修一を、これ以上悩殺したらその場で裸にされそうだ。それに、修一以外に身体を見せるのにも抵抗がある。勿論、修一に見せるのも抵抗はあるのだけれど、その差は果てしなく大きい。
「じゃあ、これは?」
 改めて差し出すのもビキニ。今度はさっきより生地が少ない。どう考えても雑誌のグラビアモデルが着用した方がいいように思える。トップなど三角形の小さな布があるだけだ。
「…………笑ちゃん……」
「あはは、ごめんごめん。これは却下ね。んじゃねぇ……」
 力なく項垂れている凛太郎を引きずりながら、品定めをしていく。と。
「あ、これこれ。スリーピース」
「へ? スリーピース? 三つ揃えの事?」
 凛太郎は咄嗟に紳士モノのスリーピースを思い描いていた。水着にスリーピースなんて考えも及ばない。基本的にワンピースかセパレートだと思っていたから。しかし笑が手に取ったそれは、ホルターネックのビキニトップとスカートのようなボトムの水着だった。
「これ、スカート?」
「スカートじゃなくて、パレオって言うの。巻いてあるんだよ。で、この下に……」
 笑が言いながらチラッとパレオを捲くるとローライズのボトムが出てきた。
「……これってビキニじゃないの?」
「ビキニだよ。パレオがついてるからちゃんと隠せるよ。ダメ?」
「ダメ。大体、これ首のところで結んでるでしょ。外れたら……見えちゃう……」
 このスリーピースはホルターネックになっていて結ぶタイプ。凛太郎はそれが外れたら見えちゃう事を心配していた。
(芸能人の水泳大会じゃないんだから、人前でポロリなんて冗談じゃないよ)
「凛ちゃん、心配しすぎだってば。滅多にないよ、そんなの。本の読みすぎ」
 からかい半分、呆れ半分で言う笑に、凛太郎は真剣な表情で言う。
「や、だってさ、」
「はいはい、解った分かりました。身体がなるべく隠れればいいんだよね?」
 まだぶちぶち言っている凛太郎を尻目に、笑が数着選んでくる。大体似たようなデザインだ。色は黒、ピンク、薄いブルー。やはり大きな花柄がついている。
「これ普通の服?」
「違うよ。タンキニって言うの。これトップが二重になってて、下にブラがついてるの。悩殺〜って時には上のタンクトップ脱げばいいから」
「もう……。でも、これも下はすごい事になってるし……」
 凛太郎の指摘したのは、かなりローライズで腰の部分が殆ど見えている事だった。泳いでいるうちに脱げてしまいそう。
「別にちゃんとお手入れしとけば大丈夫でしょ」
 うーんと顎に手をやりながら他の水着を選ぶ笑に、凛太郎が聞いた。
「お手入れってなに?」
 ぽかんとした不思議なものを見た表情の笑の顔が徐々に変化してくる。心底可笑しそうに。
「……あ、そうか。凛ちゃん、知らないもんね。あのね、下の、Vゾーンのお手入れ。出てこないように、剃るの。あ、抜く人もいるかな」
「ソル? ヌク?……………………あっ!」
 さっきからずっと頬を染めていた凛太郎が、白い胸元まで真っ赤になりながら叫んでいた。
(そ、剃るって、アソコの毛の事だっ。うわーうわー、そんな事までしなくちゃ水着着れないの? 女の子って、メンドウだな……)
「腋の下とか脛とか腕とか、かなり色々とチェックしないとイケナイんだけど……。凛ちゃん、そこまで気が回っていなかったでしょ。アソコなんて水着のデザインとか、生え方によってはカナリ際どいとこまでお手入れ必要だよ」
 男からすると、特に凛太郎は毛深くないタイプだったから、毛を剃るなんて考えた事もない。そんな心持を会話から理解したのか、笑は一応の事を伝えていた。
 凛太郎は目を移してボトムを見ると、自分が着用している姿を連想してしまう。デザインを見るとそこまでしなくちゃいけない事はなさそうだ。しかし選択によっては必要性も出てくるのかも知れない。そんなのを着て人前に出るなんて……想像だけでも消え入りたくなってしまう。
「……凛ちゃん、水着着たく無い?」
 色々持ってくるものの直ぐに凛太郎に却下されてしまう。流石に笑も考えを変えざるを得ないかもと、基本的な事項の確認をしていた。
「き着たく無いって言うか、女の子用は着た事ないし……。あんまり露出があるのもちょっと…………やっぱり見られるの恥ずかしいし。笑ちゃんは? 水着見られても恥ずかしくないの?」
 女の子が可愛い水着を着て来て、それを見られて恥ずかしいと思うか、という質問。なんだか変な質問だし、聞きようによっては、笑の体型が変だとも取られ兼ねないのだけれど、笑はキチンと答えていた。
「んー、別に恥ずかしくはないよ。プールとか海とか、仲良くなりたい人だったり付き合ってる人と行くじゃない? そういう人にはなるべく可愛いカッコ見て欲しいし、アピールしたいって方が強いかな。それに水着とインナーって違うよ。インナーだけ着て歩いてたら危ない人だけど水着はそうじゃないし」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんだよ。凛ちゃんだって、お兄ちゃんに可愛いカッコ見て欲しいでしょ? じゃ、次いこ、次」
 笑が凛太郎の手を自然に取って歩きだす。その修一のゴツゴツした男の手とは違った柔らかく華奢な手に、凛太郎は少々ドキっとしてしまった。
(あ、柔らか……。女の子ってやっぱり違う)
 男だったら、こんな柔らかで儚げな手の感触にいつまでも触れていたいかなと、小さくなっていた男の意識が凛太郎の中で立ち上がってくる。実際には凛太郎本人も柔らかで儚げな感じなのだけれど。凛太郎は男の意識が一瞬芽生えたのを笑に知られいようにと、あちこちに視線を配っていた。と。セパレートの水着ばかりの売り場から、ちらっと見えたワンピースの文字。
「笑ちゃん、ワンピースあるじゃない。あれあれ」
 今度は凛太郎が笑の手を引きながらお目当てのワンピースが掛かっているエリアへ向かう。
 来店当初から笑は店内を見回し、どこにワンピースがあるか把握していたのだけれど、それを見せないような位置取りをして水着を選んでいたのだ。出来れば露出度も高く、より凛太郎を可愛く見せられる水着を買わせる為に。それは一重に「凛ちゃんに可愛い水着を着せたいっ」という思いからで、けして兄、修一の為では無かった。しかし凛太郎が自ら見つけてしまったのでは仕方が無い。ちょっと嫌々ながらについて行く。
「ほら、これなら普通の感じじゃない? あんまり露出も多くな、」
「え〜? あたしコレ嫌」
 Aラインワンピース。ソリッドな白やダークブルー、ドットプリント、斜めのチェックなど色とりどりの柄。体型も隠れるし股間も危なくないしいいなと思う。思うのだけれど、笑は却下している。何故なのかが凛太郎には理解出来ない。
「え?! なんで?」
 笑にしても明確な根拠なんて無いのだ。大体が色白で可愛く、スタイルだって悪くない凛太郎なら、大抵の水着は着こなせるだろう事は笑もわかっている。正直な笑だから、「似合わないから」と嘘も言えなかった。折角の水着なのに、綺麗な肌をしていて、顔だって可愛いのに勿体無い。何とか根拠になりそうなものを探してみる。
「えーっと……なんでって、ほら、あっそう、これってホルターじゃない。凛ちゃん解けるかもって言ってたし。だから却下でしょ? ね? ホルターでもいいならさっきのビキニでもいいじゃない」
 無理矢理なこじ付けだけれど、「ホルターだと解けるかも」の一言は効いた。何より安全な、この場合、ポロリ、なんて事があってはならない水着を選びたいのだ。少しでも可能性があるなら排除したい。それに笑の目を見ると「ビキニ」と書いてある気がする。多少強引でもホルターでも大丈夫なら、ホルターネックのビキニでもいいでしょ、などと訳のわからない理屈を言いかねない予感がしていた。
(なんか、こういうコジツケようとするトコって修ちゃんとそっくりだ)
 妙な所で感心していた凛太郎だったが、笑の勢いに負け泣く泣くワンピースを諦める事になってしまった。
 結局、凛太郎の好みがはっきりしない上に条件が厳しいとの事で、笑はまずボトムから好きなタイプを選んで、トップを選ぼうという事になった。
「ボトムって深いの浅いの色々あるけど、最近だとこーんな股間のカットって少ないんだよ」
 こーんな、と言いながら笑がスカートの上から股間から骨盤までを斜めに滑らせていく。少しガニマタになってそのジェスチャーをすると、ちょっと下品に見える。
「ねぇ、短パンみたいなのはないの? そういうのなら、まだいいと思うんだけど」
「短パン、ってイメージとはちょっと違うけど。似た感じのでいいなら」
 笑が手近にあったボトムを取り出す。そこには他の水着と違いちょっと腿に当たる布地がある。切れ込みなど一切無いデザインに、安心して穿けそうだ。
「あ、これいいじゃんか。こういうのがいいよ。なんていうの?」
「これはボーイズレッグ。それだと一分丈くらいかな」
 赤い生地に黄色の花柄。何とも派手派手しい。柄は敬遠したかったが、デザインは気に入った。
「これに合う上を探そうよ。ね?」
「うーんと……、じゃあねぇ……。露出があんまり無いのかぁ……」
 釣り下がっているハンガーを手で探っていくとチャカチャカと音がする。暫く見ているとすっと笑が一着の水着を取り出した。
「この辺てどう?」
 ピンク地に白のドットプリントが女の子の雰囲気を醸し出している。トップのデザインは凛太郎がどうみてもキャミソールにしか見えない。
「笑ちゃん、これキャミソールでしょ? 水着じゃないよ」
「さっきタンクトップあったでしょ。あれのキャミ版だよ。その名も〜キャミキニ〜」
 どこかでファンファーレでも鳴っているように凛太郎の前に差し出す。細い肩紐は背中でクロスしている。背中は肩甲骨が丸見えになる位開いているけれど、前じゃないし許容範囲に見えた。
「これならさ、そんなに見えないし、ボトムもさ、ボーイズレッグあるし」
「うーん、そう、だね、これなら……」
「よしっじゃぁ、試着しよ試着。……あと適当にこの辺持って行って、と」
 笑が手早くキャミキニとタンキニなど数着を手に取っている。
「え? 試着、すんの?」
 意外そうな声を凛太郎があげた。男の場合ならウェストサイズを合わせたら試着などしないでそのまま購入してしまう。女の子の場合もそうだと思っていた。
「……凛ちゃん、ブラ買うとき試着しなかった? メーカーとかで作り方とか寸法って微妙に違うし、身体にフィットしてるかチェックしないとダメだよ」
「あ、うん、そう、かな……」
 自分が女の子の水着を着ている姿。それを鏡でチェックする……。どの道着用する事になるのだから遅い早いの違いしか無いのだけれど、凛太郎はその姿を見る事に躊躇していた。初めての下着の時もエロいなどと思ってしまったのだ。今回もそう思ってしまうかも知れない。それに、今日は笑がいる。多分着た後、見せてというだろう。
 笑が店員にフィッティングルームを借りる旨伝えると、すたすたとそこまで行ってしまう。凛太郎は仕方なくついていく。
「じゃぁ、色々試してみてよ。最後にキャミ着てさ」
「う、うん、じゃあ……」
 凛太郎が恥ずかしそうにカーテンを閉める。正面には赤い顔をした自分がいる。壁には笑と選んだ数着の水着が彩りを添えていた。
「はぁ……」
(笑ちゃん、張り切り過ぎだよ……)
 軽く凛太郎が溜息を吐いた。リボンを外してブラウスのボタンに手を掛けた。と、いきなりカーテンの上部が開いた。
「ひゃっ?! なっ?」
 まだ脱いでもいないのに、凛太郎は胸元を隠す仕草をしてしまう。開いたカーテンから笑の顔が覗いていた。
「あ、ごめんね。言い忘れちゃった。水着ってちょっとキツメがいいんだよ。濡れると伸びるから。それと」
 笑が指で凛太郎を呼ぶ。
「なに?」
「解ってると思うけど、ボトムはパンツの上から穿かなきゃダメだよ。トップはブラ外してね。じゃ、あたしその辺にいるから着替えたら呼んでね」
 耳打ちしていた笑が離れていく。そして愛嬌一杯の笑顔がカーテンに隠れていった。
「…………びっくり、した……」
 ブラウスを脱いでTシャツも脱いでブラジャーも外して行く。正面の大きな鏡は余すところ無くその行動を映し出す。白い肌に揺れる乳房。それを両手で抱えるようにして隠す。何時見てもエロいなと思ってしまう。
 トップを着けるとちょっとキツイ印象だった。しかし笑の言を借りればその位で丁度いいという。そのままタンクトップも着てみる。やはり普通の服とブラジャーの印象が強かった。ボトムはそのままスカートを脱がずに穿いていく。ショーツの方が股上が深い分、水着のボトムの下から出ている。
(上はいいけど、やっぱり下は小さすぎるよ、これ)
 さっさとタンキニを脱いでしまうと、数着あるビキニなどには目もくれず、キャミキニに手を伸ばした。見た目は普通のキャミソールにしか見えないけれど、胸の内側の部分にポケットが付いている。中に何を入れるのか、凛太郎には解らなかった。
(ん、……丁度、かな?)
 本来ならポケットにカップが入って乳房をホールドするのだけれど、それがない為に心もとない感じがする。取り敢えず凛太郎はボトムも穿いてみた。こっちは少しきつめだけれどよい感じ。
 スカートを捲って鏡を見てみると、なんだか自分から誰かにスカートの中身を見せているみたいに思えてしまった。一応全体も見ないとと、恥ずかしさを堪えてスカートを脱いでいく。と。
「凛ちゃん、着替えた?」
 タイミングよく笑が尋ねて来る。今度はいきなりカーテンを開けるような事は無かったけれど、凛太郎はドキっとしてしまった。
「あ、うん、着たよ」
 答えると同時にカーテンが開く。真剣な眼差しの笑の顔がカーテンから覗き、上から下まで凛太郎の水着姿をまじまじと見つめる。
「…………、うん、いいじゃん。色も似合ってるよ。可愛い」
 自分より胸がある凛太郎だと、際立って可愛く見える。笑はちょっと凛太郎のスタイルの良さに羨ましさを感じてしまっていた。それにその恥ずかしそうにしている姿が妙に笑の心を刺激してくる。何だか、からかい半分でじゃれ付きたくなってしまう。
「ちょっと胸が心もとないかも」
「ふーん……」
 そういいながら笑がカーテンを小さく開けて中に入って来てしまった。
「え、笑ちゃん? あの、」
「いいからいいから。どれどれ……?」
「あっ?!」
 笑は凛太郎を後ろから抱きとめるように胸に手を当てる。柔らかな手の感触は、心地よささえ感じさせるようだ。しかしこの状況では凛太郎は混乱するばかりだった。
「ちょっ、笑ちゃん、ふざけるのやめてよ」
 身を捩りながら笑の手を振り切ろうとするけれど、狭い中で暴れるのも良くないと思って、それ程力は込められない。水着姿ではここから出る事も出来ないし。
「凛ちゃん、これって中にカップ入るんだよ。それでホールドするの。それにカップ入れないと乳首見えちゃうよ」
 きゅむッと軽く揉んでくる笑の手。言葉と同時に乳首の場所を確かめるように、指で弄ってくる。
「やっ、ほんとにやめてよっ。カップの話は解ったから」
(なんで? 笑ちゃん、どうしちゃったの? こんなトコでこんなことするなんて)
「いいなぁ〜凛ちゃん、おっぱいおっきくて、肌白くて、スタイルもいいし。羨ましいよ」
 切迫した声をあげる凛太郎とは対照的に、暢気そうに凛太郎の肩に顎を乗せながら笑が呟く。本音なのか冗談なのかさっぱり解らない。しかしその間もむにむにと胸を柔らかく揉んでいるのだけれど。
(やだっ、なんか変な感じに……女の子同士でこんなのダメだよ)
「やめ、え、笑ちゃんだって、可愛いし、ぅん。えみちゃんってば!」
 胸を揉まれて思わず変な声を出してしまった。自分のその声かき消すように、そして直前に思った「女の子同士」という単語を自分の記憶から追い出すように、凛太郎が小さな叫び声をあげた。
「ありゃ? ごめん〜怒らないでね。学校でいつもしてるから、つい……。スキンシップだから。ね?」
 笑が素早く反応して掴んだ手を放す。凛太郎は両手を胸を隠しながら笑の方に振り向いた。背丈は殆ど一緒だから、真正面から笑の顔を見つめる事になる。
 女の子に自分の身体を触られた戸惑いと、それに反応してしまった身体に対する羞恥。その感情がぐるぐると凛太郎の心を駆け巡っていく。
 しかし怒る事は無いのかも知れない。あくまでも笑がふざけてした事なのだ。修一以外の男にされるよりはよっぽどいいし、まだ引っかかっている男の部分が、女の子に触れられた心地よさを告げていた。
「……もう脱ぐから。出ててよ」
「うん、ちゃんと出てるから。ほんと、ごめんね。お詫びに……揉んでみる?」
 笑がグッと胸を突き出してくる。凛太郎は顔を赤くしたままだ。
「……笑ちゃんて……似てないと思ってたけど、やっぱり修ちゃんと兄妹なんだね」
「うわっ。きっつーそれ。でも、マジでごめんね。外で待ってるから」
 若干の嫌味も含めて凛太郎が言うと、胸元を押さえながら笑が痛そうな顔を見せる。その芝居がかったところが凛太郎のツボに嵌ってしまった。もう、怒る気も失せてしまう。
「もう。気にしてないよ。じゃぁ、着替えるから。待っててね」
 カーテンから顔だけ出して言うと、そのまま凛太郎は引っ込んでしまった。

 * * * * * * * * *

 結局選んだのは、凛太郎が気に入ったピンクのキャミキニだった。これにカップとスイムインナーを併せて購入した。もう一つ、本来はこちらが主体だった筈なのだけれど、スク水も勿論購入。キャミキニなどと違いぴったりフィットする薄手の水着に、凛太郎は再度どぎまぎしっぱなしだった。どちらかというとこちらの方が露出度が高いのもおかしな話だ。
 なんだかんだと時間を費やし、凛太郎と笑が売り場を離れたのは一時間以上も経過した後。三時のおやつに丁度いい時間だからと、凛太郎は笑を喫茶店に誘っていた。
(ニガっ。みんな、笑ちゃんもよく飲めるな)
 紅茶かココアを頼もうとした凛太郎だったが、笑に尋ねると「コーヒー」だと言う。年上の、しかも元男の凛太郎としては、ここでココアなど頼めなくなってしまった。仕方なく一緒にコーヒーを注文したが、その感想がアレだ。
 ちらりと笑を見ると平気な顔をして飲んでいる。顔をしかめていた凛太郎だったけれど、自分も平気な振りをしていた。
「今日はありがとね。時間かかっちゃったけど……」
「いいよ。こっちも楽しませてもらったし。で、明日ってどっち着るの? お兄ちゃん結構マジで気にしてたよ。スク水で来るんじゃないかって」
 ずるずると音を立てながらコーヒーを啜っていた凛太郎だったが、噴出しそうになり咽てしまった。
「………………どっちって。露出少ない方だけど。あんまり女の子してるのもなって思うし、でもスク水ってあんなにぴったりしてるって思わなかったし。迷ってる」
 凛太郎は誰かに女の子として認められたい訳ではない。修一だけで十分なのだ。今回水着を二着も買ったのだって、多少嫌そうにはしたけれど、結局修一のリクエストに答える為。恥ずかしいけれど、修一が見て可愛いと言ってくれる水着を選んだつもりだ。ただ流石にビキニを着る程の度胸は無かったけれど。迷っている原因は、修一が果たしてどちらの水着に反応してくれるか、それが解らない為だ。男の思考で単純に考えれば、より露出度が高い水着の方が受けが良さそうだけれど。
「あたしの意見はねぇ、凛ちゃんには可愛くしてて貰いたいから、キャミ着てほしいんだよね。だって勿体ないんだもん。可愛いのにそれ隠してるなんて。もっと見られた方が女の子に慣れるよ」
 注目を浴びる方が女の子の意識がはっきりと芽生える、という意味合いで笑が言ってるのは凛太郎にもわかった。多少わかりづらい表現ではあったけれど。
「あの、笑ちゃん、えっと修ちゃんは…………どっち好きかな?」
「えっお兄ちゃん? ……キャミ、だね。スク水属性ないもん。だから、明日はキャミだよ。絶対。鼻血だすよきっと」
(鼻血は出さないと思うけど。でもキャミキニの方が受けがいいんだったら……)
「うん、解った。決めた」
 少し笑から視線を外し、買ったばかりの水着の包みを見た。笑が興味深げに聞いてくる。
「どっち?」
「キャミの方。スク水って学校で使うし。あ、でも明日まで内緒だよ。修ちゃんに聞かれたら、僕がスク水かもって言ってたって言ってよ。その方が面白いし」
 あきらめ顔の修一が凛太郎の水着を見て目を輝かす所を考えると、凛太郎も思わずクスクスと笑みがこぼれてしまう。
(なーんだ。凛ちゃんもなんだかんだで結構女の子してるじゃない。っていうか、もう女の子じゃん。お兄ちゃんも幸せモンだよね。あーあ、明日は当てつけられそうだな)
 ほろニガのコーヒーを啜りつつ、笑は凛太郎に合わせて微笑んでいた。


(その2へ)


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