土曜日6月6日 お洋服選び


 翌朝、天気予報では下り坂だった。どんよりとした厚い雲に覆われた空は、虚ろな表情を見せている。もう梅雨も本格到来という風情だった。
 しかし凛太郎はそんな天気を気にも止めず、朝食も早々に済ませ早目に玄関先に出ていた。千鶴と顔を合わせるのが嫌だという事ではなく、ただうきうきとした気持ちで一杯になって落ち着かなかっただけだった。
 そわそわしながら、凛太郎はまだ修一が現れる時間にもなっていないのに、門から何度も顔を出し道を確認してしまう。動物園の檻に入っている動物のように、あっちに行ったりこっちに行ったり、自転車に跨ったかと思えば、意味も無く庭の地面を靴で掘ったりしていた。
 そんな様子に、千鶴は何事かを思ったりしたけれど、それを表に出して凛太郎の気持ちを削ぐような事はしなかった。勿論、子どもに気を使う、という類のものではない。凛太郎には極端に甘い千鶴だったが、子どもに遠慮して言うべき事も言えないような親では無かった。どちらかと言えば、千鶴は言いたい事を言うタイプだ。今日の凛太郎に対しては、千鶴の基準で言わなくても良い、というレベルだった。
「じゃぁ行ってきます。凛ちゃん、気をつけて行ってらっしゃい」
「…………あ、行ってらっしゃい」
 千鶴はそんな凛太郎を横目に車に乗り込み、いつもの挨拶を交わした。凛太郎は修一だけを気にしてしまい何ともそっけない返事になっていた。
 次第に小さくなっていく千鶴の車を見ながら凛太郎は逸る気持ちを懸命に抑え込んでいた。
(ん〜、修ちゃん早く来ないかなぁ。いつもより遅……くはないけどこういう時って早く来るんじゃないの?)
 メインは学校に行く事で今からデートに行く訳ではないのだから、別に早く来る必要などないのだけれど、修一のメールがデートを意味している事を早く確認したかった。
 十分近く庭で待っていると、えっちらおっちらと修一が来るのが確認できた。段々と大きくなる修一の姿に、心臓が何故だか早鐘のように鳴っている。
「おす、リンタ」
 妙に爽やかな顔をしながら修一が目の前にやって来た。
「おはよう。昨日のメールだけどさ、日曜って何時に何処行けばいいの?」
 いきなり核心を突く問いに修一も苦笑いしてしまう。凛太郎はと言えば、期待に目を輝かせて修一の答えを待っていた。
「あ〜、まだ全然詳しい事決めてないんだ。取り敢えず行くかどうかだけ聞きたかったんだわ。何か見たいのあるか?」
「はぁ?」
 修一らしいと言えばそれまでだったが、凛太郎は落胆の色を隠せなかった。途端に高揚していた気分が盛り下がってしまう。がっくりと肩を落として、じっと修一を見つめてしまった。ちょっと非難がましく。
「……修ちゃん、普通さ、そういうのって何見るかとか、どこで食事するかとか、全部決めておいてから聞かない? デート誘っておいて全然決めてないって変だよ」
 凛太郎は視線を切り、自転車の方に向かいながら、柔らかな唇をちょっと突き出し文句を言った。修一は凛太郎の言葉に慌ててしまった。
「え? デート? って日曜か?」
 自転車に跨ったまま目を丸くしている修一に、今度は凛太郎の方が戸惑ってしまう。
「デートじゃないのっ?」
 今の今までデートに誘ってくれたのだと思っていた。しかしそれは違うという修一の返答。戸惑いどころか反対に腹が立って、しかも悲しくなってしまう。
(僕一人で盛り上がってたわけ? ばっかみたい……)
 生理のせいか、気分のアップダウンが激しすぎるのも原因だったかも知れないけれど、凛太郎は日曜の事はどうでもよくなってしまった。修一に対して軽い失望を覚えてしまう。
「や、最近一緒に街に出てねーだろ? その、ほらあっちの方ばっかだとリンタも嫌だと思ったんだけど。……そう、デートだよでえと」
(うわ、やっべぇ。すげぇまずい。どうすっか?)
 修一は取り繕うとするけれど、凛太郎は修一の方を見もしない。
「もういいっ。日曜はどこにも行かないっ。がっこ遅れるよ。行くよ」
 やっと修一の方を見たと思ったら、泣きそうな顔をして睨んでくる。そのまま凛太郎は修一の意見も聞かないまま自転車で走り出してしまった。
「リンタっ、待てって。ああったくっ、人の話聞けって!」
 そんな凛太郎を追いながら、修一は自分の不手際に悪態をつきつつ登校していった。

 * * * * * * * * *

 通学中、凛太郎は修一を一顧だにせず、走っていく。そんな姿に修一も処置なしとばかり何も言わず後を走っていった。
(なんだよ修ちゃん、結局何にも話ししないじゃんか。学校着いちゃうよ。日曜行かないって事?)
 凛太郎は自分から何かを言おうと言う気は無かった。修一が言ってくれる事を期待していたけれど、何も言わない。昨晩のうきうきなんてトウの昔に無くなってしまった。かえってやっぱり自分ひとりが恋焦がれている気分になってしまう。何着ていこうか、なんて考えていた自分が愚かに思えてきた。
 それでも修一が話をしたいと言うなら聞こうと思って、信号待ちを利用してちらっと修一の方を見る。けれど凛太郎の方を見ていないばかりか、何かを考え込んでいるように空を睨んでいた。
 修一はと言えば、今日これからの予定を必死に考えていた。凛太郎の性格を考えれば今の凛太郎には何を言っても無駄。ならば予定を立ててしまってそれを理由に話をしようと考えていた。
(携帯で映画の時間見て、いくつか候補出して紙に書いとくか。それ見せながら謝っとこう。あー、くそっ。考えてみりゃデートじゃねぇか。しっかりしよろ修一!)
 修一が視線を感じ目を前に転ずると、凛太郎がこっちを見ている。その目には怒りも悲しみもなく無表情に。
「リンタ。後で話が……、」
 修一が言い終わる前に凛太郎はプイっと前を見て走り出してしまった。その態度に修一も軽くむっとしてしまう。
(なんだよあいつ。ちょっとぐらい話聞けっての。謝るもんも謝れねぇだろ。俺だってまずった事くらい解るっつぅの)
 どちらかがほんの少し譲ればいいものを、次第に二人とも意地の張り合いになりつつあった。

 * * * * * * * * *

 一時間めと二時間目の休み時間、凛太郎は修一が教室を覗きに来るかと思っていたから、なるべくトイレにも行かなかった。三日目でも結構気持ち悪いにもかかわらず。机に突っ伏して顔だけ上げ、教室の前の扉をじーっと見つめる。でも修一の顔は出てこない。代わりにクラスメイト達が出たり入ったりしているだけだった。
(……修ちゃん来ると思ってたのに……。来たら話くらい聞いたのに。……もうほんとに行くの止めようかな……)
 鬱々としながら、凛太郎はそんな事を考えていた。自分から修一の所に行くという選択は出来ない。凛太郎は半分以上意地になっていた。
 二時間目と三時間目の休憩時間には流石にトイレに駆け込んだが、スーパーマンよろしく、あっという間に教室に戻って待っていた。けれど来ない。
 修一の方は、(今月のパケ代怖ぇ)などと思いながら懸命に予定を立てていた。地域で上映されている映画とその時間をノートに記し、クラスメイトに気の利いた、しかし安い食事を提供してくれる場所を聞き、プランをいくつか書き込む。三時間目の休み時間には出来ると思っていたが、なんだかんだと聞いているうちにクラスメイトに囃し立てられ、その対応をしているうちに時間が無くなってしまった。
(まぁいいか。昼食べる時に見せに行くか)
 そして放課後。今日は土曜日だから半ドンだ。しかしいつも修一を待っている凛太郎はかばんの中から用意していたお弁当を机の上に置いていた。いくら脇田が部室に来てもいいと言っていても、部外者が一人で行く訳にもいかない。修一がいればこそ、出入りも出来る。五分くらいじっと待っていた。
(……来ないって、怒っちゃったって事? 何で? そんなの逆切れじゃんか……)
 いつも昼時はいなくなる凛太郎が教室にいる。しかも土曜日で部活をしていない凛太郎が弁当を前にじっとしている。三々五々、散らばりつつあるクラスメイト達は何事かとちらちらと凛太郎を見ていた。
「山口、今日一人か? 昼一緒にどう?」
 今あまり声をかけて欲しくない人ナンバーワンの阿部が、気を利かせたのか下心があるのか、声を掛けて来た。凛太郎は気の無い返事だけ返していた。
「別に。一人なら一人で食べるし。阿部君も一人で食べたら?」
 多少言葉に刺を含ませつつ、絶対拒否を貫いていた。少しむっとした表情を見せた阿部だったが、直ぐににこやかな表情に変わる。前の席の生徒がいない事をいいことに、椅子に座り凛太郎の机に肘をついて話始める。
「いやぁ、山口もきつい事言うなぁ。別に下心あって言った訳じゃないんだけど。一人だと味気ないって思っただけだよ。クラスメイトととして。あ、そうだ、昨日のテレビでさ……」
 言葉も柔らかく言ってはいるけれど、何となく凛太郎にはべたべたした感じがして嫌だった。次第に人が少なくなる土曜のお昼時。教室には凛太郎と阿部の二人だけになっていた。凛太郎は阿部のバカ話には反応せずじっと扉を見てると、修一がひょっこりと顔を出した。
(あ、修ちゃん!)
 一瞬、やっと待ち人が来た事で表情が緩んでしまう。が、次の瞬間には顔を引き締めていた。嬉しそうなんて今は思われたくないのだ。本当は嬉しいのだけれど。
 凛太郎の表情が変化したのを目ざとく感じた阿部は、身体を捻って凛太郎と同じように教室の入り口を見た。修一と目が合うと、余裕の笑みを顔に浮かべる。修一は修一で、凛太郎の傍に阿部がいる事が気に入らないのか、俄かに表情が固くなった。
「……リンタ、話あんだけど」
 その声に凛太郎はお弁当を持っておずおずと立ち上がり、阿部など眼中にないように修一の傍まで歩いていった。
「話って? どこで? お弁当食べながらでいいよね」
 修一が来た事で、何だか怒っていた全ての事がどうでも良く感じていた。多分、何か予定を組んだ事を伝えようと言うのだろう、と凛太郎も思っていた。
 修一はじっと阿部を見ながら、凛太郎に聞いてくる。
「あいつ、なんだよ。一緒に食べようってのか?」
「食べようって誘われたけど、断っ、」
「ならそうすりゃいいだろ。これ見とけ。じゃな」
 早口で凛太郎の話を遮り、胸元にぽんとノートだけ押し付けて、修一は扉を閉めてしまった。
「なっ?! ちょっ修ちゃん!」
 落ちそうになるノートを手で押さえた。
「……なんだよぅ……、もう……そんなに怒るなよお」
 修一が怒るような事は何一つしてないと思っている凛太郎だったけれど、意地を張ってしまった自分が急に嫌になってくる。俯いてノートを握っていると目頭が熱くなってきた。だけど、教室にただ一人残っている阿部なんかに泣き顔など見せたくなかった。
 そのやり取りを阿部は頬杖をついてにやにやと笑いながら見ていた。
 凛太郎は扉を開けると、修一のいる筈の三組に顔を出してみた。教室には数人の生徒の他は修一の姿もない。廊下を走って剣道部室まで一気に駆け抜け、扉を開けた。しかしそこには脇田と宮本が楽しげに食事しているだけ。
「やぁ、山口さん。諸積と一緒じゃないのか?」
「あのっ諸積君は……?」
 ちょっと驚いた風に脇田と宮本が凛太郎を見る。脇田のその言葉に修一がここに来ていない事を認識した凛太郎は、挨拶も早々に修一を探しに走っていた。
 食堂に行ったり、道場に行ったり、学内を探し回ったが修一は見つからない。
(なんで? どこ行っちゃったんだろう……)
 食事を採っていないから段々とお腹も減ってくるし、疲れてきてしまった。凛太郎は取り敢えず自分の教室に戻って行った。既に阿部も部活に出たのか姿は無かった。
 お腹は減っているけれど、食事をするような気持ちではない。凛太郎は机について修一に渡されたノートを広げて中身を見てみた。修一には珍しくちゃんと時系列で予定が立てられている。三つばかり別の案も出来ている。駅前に九時半。これだけは全部一緒だった。
(ちゃんと、予定できてるじゃんか……)
 徐々に部活の開始時間が近づいてくる。凛太郎は徐に携帯電話を取り出した。見つからないならメールをすればいいと、やっと気づいた。
『意地張ってた』
 ぺこぺことキーを押して文面を作った。それを頭の中で反芻する。なにかちゃんと伝わらない気がしてしまう。再び文面を作ってみる。
『楽しみにしてたんだよ』
(……ダメ……)
 三度目の正直。
『どこ? ごめんなさい』
(なんか訳わかんなくなってきた。送信っ)
 ごちゃごちゃ考え過ぎて、頭の中が沸騰してしまっている。なるべくシンプルにと、結局凛太郎が謝る文面になていた。
 暫らく返信を待つと、修一からメールが届いた。
『図書室 俺も悪かった』
 二人とも謝るなら面と向かってが一番いいのは解っている。しかし、お互いが意地の張り合いとなってしまった事で、タイミングを逸していた。こんな時はメールで取っ掛かりを作ると言うのも一つの方法だ。
(図書室?)
 盲点だった。自分ならいざ知らず、修一は図書室などへ行く筈がないと思い込んでいたから、見に行く事すら品肩場所だ。
 凛太郎はメールを受け取ると、時間も差し迫っている中教室を飛び出していた。まだ学校に残って廊下に出ている生徒を避けながら教室棟の一番奥、図書室へと繋がる階段までやってくると修一が下りてきた。ちょっとばつの悪そうな顔をして。凛太郎はその表情を見ながら、自分もそうなんだろうなと思っていた。
「……修ちゃん。ごめんなさい。楽しみにしてたから……予定何にも無いっていうから何か……」
「悪い。俺こそいいかげんだった。阿部が傍にいるの見て無性に頭に来たし」
 珍しく修一がはにかんだような表情を見せた。
「あいつとは何でもないから。ほんとに」
 見詰め合って二人だけの世界に入っている馬鹿ップルは、人の殆どいない廊下を悠長にかばんを取りに戻っていった。道場ではイライラと脇田が待っているとも知らずに。

 * * * * * * * * *

 昼間は曇天だったと言うのに、凛太郎が一人の食卓でもそもそと食べ始めた十九時くらいから、小雨が降り始めていた。誤解? も解け、修一との一応デートを楽しみにしているというのに、何か水を差された感じになってしまう。
 凛太郎は梅雨も到来するこの時期、自分の誕生月だけれど、好きではなかった。男だった時は乾燥肌だったから、大気中が湿っている梅雨から夏の時期は比較的肌の調子も良かったけれど、じめじめした空気は肌に纏わりつくようで、それだけでも憂鬱になってしまう。第一いつも傘を持って出ないといけないのが面倒くさくて嫌いだった。夏は夏で気持ちの好い気候だけれど、汗で痒くなったり、汚い肌を晒さなくてはならなかった事もあって、好きだけれど苦手な季節だった。
 食事を終えて窓を見てみると、サラサラとした雨が上空から真っ直ぐに落ちて、街灯に照らされ白い線を作っていた。思わず溜息が出てしまう。
(雨、かぁ。明日には止まないかな)
 食器を洗いがてら、テレビを点けニュース番組を探してみる。大体ニュース番組では、明日の天気をやっているから。しかし二十時台という時間帯が悪いせいか、ニュースどころか天気予報も出てこない。仕方なく、ケーブルTVのウェザーチャンネルに合わせると、世界の天気をやっていた。
 時々テレビを振り返りながら、洗った食器を水切りする為に食器カゴに入れて行った。もうなべも炊飯器も洗ったところで地方版の天気予報が始まると、凛太郎は洗い物もそこそこにソファに座った。
『……それでは明日のお天気です。気象庁では今日から梅雨入り宣言が出されていますね。全国的に明日からは日中雨のところが多いでしょう。最高気温は今日より低めの十六度。最低気温は十二度の予想です。日中は少し肌寒く感じるくらいになりますから、お出かけの時には傘は勿論、カーディガンくらいは必要になりそうです。……』
「やっぱり雨かぁ〜。日頃の行い悪い人がいるよ、もう」
 最近銀の犬を弄る癖がついている凛太郎は、ぶつぶつと独り言を言いながら「ワンコの修一くん」を指で弾いていた。そうしながら、修一のデート3案を思い出していた。

 第一案
 集合9:30駅前に。
  直ぐに移動。ショッピングモールのシネコンに。
  映画館(シネコンプレックス)10:10(アクション)、10:15(感動恋愛モノ)、
   10:30(娯楽大作)
  食事13:30〜14:30(モールの中のイタ飯か、ハンバーガーか、うどん)
  モール内散策14:30〜
  お茶16:00? 
  バンメシ18:00〜19:00(モールの中か帰りがけにファミレス)
  帰宅20:00

 第二案
  集合9:30駅前に。
  直ぐに移動。ショッピングモールのシネコンに。
  映画館(シネコンプレックス)10:10(アクション)、10:15(感動恋愛モノ)、
   10:30(娯楽大作)
  食事13:30〜14:30(モールの中のイタ飯か、ハンバーガーか、うどん)
  移動遊園地へ。14:30〜16:00
  遊園地で遊ぶ。16:00〜19:00
  バンメシ(遊園地内)19:00〜20:00
  帰宅。22:00

 第三案
  集合9:30駅前に。
  直ぐに移動。ショッピングモールのシネコンに。
  映画館(シネコンプレックス)10:10(アクション)、10:15(感動恋愛モノ)、
  10:30(娯楽大作)
  食事13:30〜14:30(モールの中のイタ飯か、ハンバーガーか、うどん)
  再び映画15:10(アクション)、15:40(感動恋愛モノ)、14:40(娯楽大作)
  バンメシ18:30〜19:30(モールの中のイタ飯か、ハンバーガーか、うどん)
  帰宅20:30

 無計画を絵に描いたような修一にしては、良く作ったと凛太郎は評価している。内容についてはどれも似たり寄ったりだけれど、一応違いもあった。ただ#2は、この地域からだと遊園地まで電車で1時間半もかかってしまい、帰りが遅くなる。日曜には千鶴も帰ってくるし、それが何時か解らないから出来れば早目に帰っておきたかった。だから第二案はいきなり却下となった。
 第三案は映画二本ハシゴする計画だ。いいかな、と思った凛太郎だったが、前売り券を買っていない事を考えると結構な出費になる。勿論その位のお小遣いは確保しているけれど、それに映画を見ている間は二人とも話しもせず、隣で座っているだけだ。以外とつまらないかも知れない。映画自体を楽しむという事は一度のデートで一回で十分だと思ったのだ。映画を次回に取って置けばまたデートできるし、という理由で却下していた。
 残りは一番無難だけれど、話をする時間もたくさん取れる。なるべく千鶴が帰ってくる前に帰宅できる。この要素を満たしている第一案が今回のデートでは採用される事となった。

 * * * * * * * * *

「服、どうしようか……」
 修一はデートだという事で、凛太郎を送る道すがら、ずっと「スカート!、スカート!!、スカート!!!」を連発していた。凛太郎にしてみれば毎日制服姿を見ているのだからいいじゃないか、と思っていたが、どうやら私服と制服では趣が違うらしい。
『お前は男のロマンがわかってない!』
 などと少し前の凛太郎が聞いたら、一ヶ月は口を聞かないだろう台詞を言ってのけていた。
『そんなの全然ロマンじゃないよ。ただエッチなだけだってば。僕なんかそんな風に考えた事なかったもん』
 修一に「お前は変だ」だの「可愛いコはスカートだ」だの、挙句に「いい足はみんなと共有しないと」と言われながら、結局凛太郎が折れ、穿いて行くという事になってしまっていた。内心(僕の足は僕のだ)と思っていたけれど。
 詰まる所、明日は少し肌寒い気温だというのに、雨の降る中足を出して行かなくてはいけない。おまけに凛太郎はロングスカートを持っていなかった。千鶴が購入したスカートはミニばかりだし、選択肢が無い。
 早目のお風呂に入り、二階に上がるとたんすから数着のボトムスとトップスを広げてみた。ボトムスはデニムあり、プリーツスカートあり、リボンスカートあり。凛太郎にしても修一と二人で出かける事自体楽しみなのだから、出来る限り可愛くしていきたい。が。
(どれがいいかわかんないなぁ。スカート、何でこんなの買ってんだろう、ピンクのスカートは無いよ、ピンクは、お母さん)
 今不在にしている購入者に対してちょっと悪態をつきたくなってしまう。ど派手な原色のスカートが結構ある。しかし凛太郎の趣味には合わない。どちらかと言うと凛太郎はアースカラーとか黒やグレーが好きで、派手な色使いは好きではない。ただ紫と赤は好きなのだけれど。
 デニムなどは好きなのだけれど、タイトでミニだ。ちょっと短すぎる気がする。一応候補には挙げておいた。プリーツスカートでは、比較的長めの、と言っても膝上だけれど、があり、制服に近い長さだった。色もベージュで落ち着いている。しかし、腰の部分にはベルトっぽく大きなリボンが付いている。
「これってどっちが前?」
 凛太郎のイメージだと、リボンは後ろかなと思ってしまう。デパートではどうやって飾ってあったか思い出してみようと思ったが、スカートを買う事自体が恥ずかしかった為に、ろくに商品を見ていない事だけ思い出していた。
 黒のプリーツスカートはこれでもかっ、と言うほどプリーツが入っている。広げるとシャンプーハットみたいだった。
 裾にレースの付いているレーススカートは、ちょっとだけ長めでひらひらして結構いい感じだ。
 白いティアードスカートは、もっと長くてもいいんじゃないかという、膝上十五センチの丈。可愛らしいけれど、とにかくスカートは膝上しかない。
「……これだけ見てても決まんないか。上に合せないと」
 トップスは、凛太郎の強い要望もあり、殆どがカッターシャツやカットソーを購入している。それでも千鶴の趣味なのか、パステル調の色彩が多かった。カットソーなどはU字ネック、V字ネック、フリル付きネック、七分袖、各種取り揃えられている。
 フリル付きVネックは、薄いグレーに白のフリル。袖丈も七分袖になっている。これに、寒いといけないと思い、ボレロ風のカーディガンを合せてみた。
「う〜、なんかすっごい女の子女の子してるなあ」
 この期に及んでまだそんな事を気にしてしまう。しかし服選びに時間をかけている事自体が、結構「女の子してる」筈なのだけれど、「男の自分」の意識は既に棚上げされ、今は如何に修一の好評を得るか、が第一命題となっていた。
 選んだトップスを重ねてベッドの上に置く。横にあるスカートの群れを眺めながら、どれが合うか品定めを始めた。
 選んだのはスエードのドレープが入っているリボンスカートと、白のティアードスカート。それにグレーと白と黒の色使いのチェックのプリーツスカート。
 じーっとそれぞれを見ていく。最初に弾いたのはリボンスカートだった。カーディガンとカットソーが黒とグレーだ。スエードの茶だと少し違う気がする。改めて残った二つを見てみると、チェックのプリーツスカートだと今度は重くなりすぎる。結局最後に残ったのは、白のティアードスカートだった。三段のティアードスカートは裾にちょっとしたレースが付いていて、それがカットソーやボレロ風カーディガンにも良く合っている。
「うん。これかな。………………………………………………………………あ〜っ、靴っ、無いじゃんか」
 唯一の盲点だった。千鶴も靴までは購入していなかったのだ。凛太郎自身がヒールの高い靴など論外だと思っていた事も手伝って、未だに靴は男の時のものを履いている。学校に行く時は茶か黒のローファーだったし、外に出る時もパンツだったから靴の心配はした事が無かった。
 しかし、ちゃんとフェミニンな格好をするなら靴は重要なアイテムだし、靴が決まっていないとトップもボトムも変に見えてしまう。それ程ファッションに拘りを持たない凛太郎でも、その位の事は理解している。
 階段を駆け下り玄関先まで行くと、靴箱を勢い良く開けた。凛太郎は自分の靴をしげしげと眺めると、一つ大きく溜息を吐いた。
 ローファーの他はデッキシューズやハイカットのスニーカーが殆ど。中に編み上げのジャングルブーツ風の靴があるのはご愛嬌だ。
 ベッドに置いてある明日着る服を思い起こし、そして各々の靴とオーバーラップさせてみる。ローファーは似合うだろうけれど登校時の格好とさして変わりない気がする。その他の靴で何とか合格はスニーカーかなと思うけれど、明日奇跡でも起きない限り天気は雨だろう。そう思うと布地のスニーカーではあっという間に足先に雨水が滲みて冷えてしまいそうだ。雨に濡れても平気なヘビーデューティーな靴となると編み上げブーツしかない。
(黒のカーディガンにグレーのカットソー。それに白のスカートで、下が編み上げブーツ? うーん……どうなんだろう……)
 何となく似合いそうではあるけれど、凛太郎が思う「女の子っぽさ」は出てこない。修一が「今日の服いいじゃん」と言ってくれるか、それも微妙な気がする。
「あー、もうっ。修ちゃんがスカートスカート言うから訳わかんなくなるんだよ。スカートやめよっかなぁ」
 ぽいっとスニーカーを玄関に投げ捨て、自室に戻った。スカートに編み上げブーツという取り合わせがあるかどうか検索して見る事にした。
「……一応そういう取り合わせってあるんだ。ふうん……」
 今一かと思ったけれど、画像も載っているサイトもあった。
「ごすろり? ってなんだろ。ロリってロリータ? 僕の年じゃ違うけどなあ。ありゃ?」
 少しディープなHPを覗いて、黒中心のひらひらを身に付けた、どう考えても自分より年上の女性が「ロリ」と名の付くものを着ている。
「黒とかグレーとか白だから、僕のもゴスロリって言うのかな。……まぁいいや。取り敢えずはおかしくはなさそうだし」
 少し、というかかなり勘違いをしている凛太郎だった。ちらっと時計を見やるとばたばたしている間に、既に十二時近くになっている。
「あ、もうこんな時間じゃんか。早く寝ないと起きられなくなっちゃう」
 凛太郎は慌てて明日着る服をハンガーに吊るし、布団に潜り込んだ。
 誰もいない夜。時計の秒針の音がやけに大きく聞こえている。明日の事で興奮してなのか、一人で家にいる事に不安を覚えたのか、凛太郎は中々寝付けなかった。布団に包まりながら、ベッドの右端から左端まで転がってしまう。
(明日、雨上がってないかなぁ)
 しとしと降る雨音は小さすぎて、部屋の中にまでは入ってこない。時計と自分の鼓動の音だけが耳に付く。凛太郎は「ワンコの修一くん」を無意識に弄っていた。
(財布と、携帯と。ハンカチ、ティッシュ、ポーチと、バッグは……いつものでいいか。あとは……あ、アレの補充と一応痛み止めの補充しとかなくちゃ)
 持って行く物も寝る前に出しておけば良かったと思いつつも、一度布団に入ってしまうと出たくない気持ちの方が強くなっていた。
(修ちゃんも眠れないなかぁ。……いや、寝てるだろな。なーんにも考えないで。僕も修ちゃん見習って早く寝なくちゃ。……折角スカート穿いて行くんだから何か言って欲しいよね……)
 色々楽しい事があるといいなと思いつつ、やっとうとうとし出していた。

 * * * * * * * * *

 もう夜も更けようとしている十二時近く。諸積家ではどたどたと修一が自分の部屋から笑の部屋へ、笑の部屋から自分の部屋へと行ったり来たりしていた。その手にはあまり多くない自分の衣類を持って。
「なぁ、笑ぃ。これならどうだ?」
 真剣な表情をして笑の返答を待つ修一。どこで買ったのか黒いカッターシャツに白いチノパン。ちょっと危なげな人のようだ。
「……お兄ちゃん、もういつもの服でいいじゃん。それよりも早く寝たほうがいいって。明日凛ちゃん待たせたら大変だよ。あたしももう寝たいもん」
 うんざりした表情で、殆ど修一の方を見ずに答える。笑が学校から帰ってくると、暫らくしてから修一が帰ってきた。もう、その表情は「運命を見た」時以来の満面の変な笑みを浮かべ、笑を見つけるが早いか好い事あったから聞け、と言う。そこからデートの話になったのだが、笑がうっかり「何着ていくの?」と尋ねてしまってから修一のファッションショーが始まっていた。もうかれこれ二時間はこうしている。
「なんだよ。少しは協力しろって。リンタと初めてデート行くんだぞ? 格好良くしてぇだろ。だから、ほらっ。どうだよこれ?」
 きらきらと変に輝く瞳で肯定的な意見を期待している修一に、笑は眠さも手伝ってかツレナイ返事を返していた。
「すっっっごく変っ! そんなの着てるのってチンピラとかコレもんの人だけだよ。全っ然かっこよくない。だからいつもの方がいいってば」
 笑が人差し指ですっと頬に筋を入れる仕種をした。
(もう開放してよぉ。いつものかっこも今のかっこも変わりないんだからぁ)
 どっちにしても格好悪い、センス無いと言いたいところだけれど、折角凛太郎とのデートを楽しもうとしている修一に対して、流石にそこまでは言えなかった。
 輝く瞳から一転し、修一もチンピラなどと言われて少し気になったのか、がっくり肩を落としてしきりに下を向いて気にし始めていた。
「いや、これ親父のとこに掛けてあったヤツだからなあ……俺のじゃねーし」
「ねぇ、トレーナーじゃなくってさ、ポロシャツ持ってるじゃん。あれと、そのお父さんのチノパンじゃなくっていつものベージュのヤツでいいじゃん。その方がすっきりしてていいよ」
 もう疲れましたとばかり、ベッドの脇に座り込み肩から腕、頭をベッドの上に預けながら、虚ろな目をした笑が修一に当り障りの無いアドバイスをした。
「ええ? あれでいいのか? あれって真っ青だぞ。変じゃねーか?」
「あれで十分だってば。色黒いし少しぐらい派手でもいいよ。…………あたしもう寝たいです。もういいでしょ?」
「……う〜ん。まぁ、いいか。笑、ありがとな」
 まだ何か気にしている風の修一に、笑はお願いとばかりに頭を下げていた。修一も不満げな顔をしながらも部屋を出ようと扉まで下がった。と、修一の背後から笑が声を掛ける。
「明日、遅れないようにね。あと、楽しんで」
 振り返りつつ、修一はニカッと笑みを浮かべ、笑の部屋から出て行った。

 * * * * * * * * *

「……っと、こんなんでいいんかね? …………中々似合ってんじゃねぇか?」
 修一は部屋に戻るなり、笑に言われたブルーのポロシャツとチノパンを穿いていた。男の部屋だから姿見などないから、カーテンを開け窓に自分の姿を映していた。何を思ったのか、ボディビルダーのようにポージングまで始める。
「いいねぇ、俺。かっこいいじゃん。これならリンタも『修ちゃんかっこいいっ』って言うよな。恋愛映画見て雰囲気高めて、そんで、そっからはっ……」
 妙な胸の高まりを覚えて、段々変な想像が修一の頭の中で膨らんで来てしまう。
「夕焼け見ながら手を繋いでっ、ああっリンタっ。……あ、あいつ今……、」
(生理だ。う、なんか生々しいな。うわああっ、生理なんて想像したらめちゃくちゃ恥かしくなってきたああっ)
 男が普段使わない言葉の中でも、恐らく高順位に属する言葉だろう。童貞の修一にとってもそうそう口にする事も考える事もないものだ。恥かしくなるのも無理は無かった。
(ぐああ、もっと違う事考えろ、修一っ。……明日、リンタスカート穿いて来るって言ってたよな。スカート、いいなぁ、リンタのすべすべの足かぁ。可愛いかっこして来んだろうな。あああ早く見てぇ)
 どんどん興奮はエスカレートして、最早寝るどころでは無くなって来ていた。それに。
(あ、やば……。思い出しちまった。いててっ、毛ぇ引っ張ったっ。あたた)
 下半身にどんどん血液が溜まってくる。凛太郎の事を想う度に、だくだくと海綿体に血液が染み渡ってカチカチになってしまっていた。
(これじゃ寝られねぇよ……一回だけ……抜いとかないと……。疲れたら眠れんだろうし)
 無理やり理由をつけ、修一は来ていた服を脱ぎだした。強張る下半身を余所に寝巻きに着替えると、皺にならないように丁寧に畳む。そしてそのままベッドの中へ。
 布団に潜るように埋まると、パジャマズボンとパンツを一緒に下ろした。
(リンタ、ごめんな。やっぱ俺、リンタとしたい気満々だ)
 作業棟での凛太郎の姿を思い出しつつ、自分の中だけの続きを想像する。そうすると、興奮が一気に下半身に集中するような気になってくる。
(あっ、リンタ、気持ちいいっ。早く、してみてぇっ)
 修一はきゅっと己の肉の塊を握り扱き始めた。まるで凛太郎の華奢だけれど、出る所は出ている身体に埋めているように。はぁはぁと荒い息使いだけが修一の布団の中で響いていた。


(「日曜日6月7日 でえとっ」へ)


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