トラップ (その2) 作:toshi9 さて、部屋に戻ってしばらく後、大きな紙袋を持った美麗がにこにこと笑いながら入ってきた。 「ほら社長、これどうぞ」 彼女は持ってきた紙袋を私に差し出した。 中身を取り出すと、それは女子社員の制服、女性の下着、ストッキング、サンダルといったものだった。 「な、なんだこれは。なんでこれがいいものなんだ。私には女装趣味はないぞ」 「それってあたしの制服の予備なんですよ。あ、下着は新品ですから安心してください」 なにが安心なんだ。 「ねえ社長、さっきのあたしのマスクをもう一度つけて、これ着てみません?」 「はあ!?」 美麗の提案は私にとって全く突拍子もないものだった。 「美麗、お前なにを考えているんだ」 会社では劉くんと呼ぶようにしているが、思わず屋敷にいる時と同じように名前で呼んでしまった。 「あら、だって面白いじゃないですか。マスクをつけた社長がこれを着たら、社長は今のあたしと全く同じになるんですよね。あたしと全く同じあたしがもう一人。それってどんな感じなんだかとっても興味あるんです。あ、もし社長があのクリームに興味無ければ、あたしがいただいてもいいですよ」 「い、いやそれは……」 せっかく柴田からもらったこのクリーム、誰にも渡すわけにはいかない。私は黙って首を横に振った。 「でしょう。じゃああたしの服はあたしが社長に着せてあげますから、ほら、早くマスクをつけて着ている服を脱いでください。あ、その前にバックアップを取るんですよね。あたしがクリームを塗ってあげましょうか」 話は完全に彼女のペースで進んでいる。 「わ、わかったよ」 私は渋々顔にあのクリームを塗らせた。 程なくして、乾いたクリームをぺりぺりと剥がすと、私の顔マスクが出来上がった。 うーん、自分の顔のマスクを見るのは何とも不気味なものだ。 「じゃあ社長、もういいですよね。あたしのマスク被ってください、ほらほら」 やれやれ。 私の戸惑いを楽しむかのように、彼女はうきうきとせかしたてた。 私は美麗のマスクを手に取ると、ゆっくりと自分の顔に押し当てた。 再びぐらりというあの感覚が私を襲う。 「うわぁ〜、本当に社長が私になっちゃった。面白〜い。さあさあ、社長、脱いで脱いで」 美麗は、躊躇する私の服をてきぱきと脱がせていく。 「ちょ、ちょっと、美麗、待て」 慌てる自分の声もすっかり美麗の声に変わっている。そして私は瞬く間に彼女に着ている服を剥ぎ取られてしまった。 大きな胸と、何も無くなった股間が曝け出され、その恥ずかしさに思わす両腕で隠してしまう。 全く部屋に窓が無いから良いようなものの、強引というか、怖いもの知らずと言うか。 私は社長だぞ。お前のだんな様だぞ。 だがすっかり裸にされた私に社長の威厳も何もあったものではない。 そう、今の私は見た目はすっぱだかにされて、両腕で股間と胸を隠している劉美麗そのものなのだから。 「なんか、見ている私のほうが恥ずかしくなっちゃいますね。ほら社長、早くこれを履いて」 「それを、私にそれを履けって言うのか」 「そのまま裸でいられるんじゃ、こっちが困ります。早くしてください」 自分で脱がせておいてよく言う。だがあっけらかんと話す彼女から、私は渋々パンティを受け取った。 両手で広げたピンクの薄い布地に自分の艶かしい脚を通していく。 下半身にぴちっと密着した滑らかな生地の感触に、思わず気恥ずかしくなる。うつむいたその先にある胸の乳首はぴんと突き出ていた。 なんで私がこんな女物の下着を。は、恥ずかしい。 「おい、やっぱりこんなこと……」 「うわあ社長、とってもかわいいですよ。って、あたしだから当然か。ほら、後ろ向いてください。手を上げて」 やっぱりこんなことは止めようと言いかけた私の声を遮るように、美麗くんは矢継ぎ早に私に指示してくる。パンティ一枚という情けない姿の今の私には渋々それに従うしかなかった。 今マスクを外したら、それこそ変態だ。 美麗はブラジャーの肩紐を私の両腕に通すと、背中でパチリとホックを留めた。 「ほらこのストッキングを履いて、電線しないようにゆっくり入れるんですよ。履いたらブラウスを着てくださいね。ボタンは左右逆ですよ。できました? じゃあはい、スカートとベスト」 次々に手渡してくる彼女を服を、私はただ一枚一枚黙って着ていくしかなかった。勿論どれもが今の私にぴったりだ。そして最後にサイズの小さな彼女のサンダルを履かされると……。 「うわぁ、まるで鏡の前に立っているみたい。本当にあたしがあたしの目の前にいるなんて信じられない」 そう、今や部屋の鏡には全く同じ姿の二人の女子社員が映っていた。 一人は本物の劉美麗、そしてはにかんでいるもう一人の美麗は……。 「ほんとに私そっくりですよね。これじゃあ誰も社長だなんて気がつきませんよ」 「美麗、お前、私にこんな格好をさせて何を考えているんだ」 だがそう言いながらも、会社の女子社員の制服を身に着けた私は何故か妙にどきどきと興奮していた。 なんなんだ、この感じは……。 「ねえ社長、その姿で少し社内を巡ってきません?」 「なんだって!?」 「あたしに成りすまして秘書室とか、役員室とか行ってみるんですよ」 「お前、な、な、なにを言い出すかと思えば」 だがにこにこと笑う彼女に動じる様子は全く無い。 「社長のことをみんながどう思っているのかを知る絶好のチャンスだと思いません? その姿じゃ誰もまさか社長だなんて気がつきませんからね。きっとみんなあたしだと思って本音を話してくれますよ」 彼女の提案に、私はふと考えた。 なるほど。 「いや、でもそんな盗み聞きのようなことは……」 「何言ってるんですか、正々堂々、本人が自分のことを聞くんだから良いじゃないですか」 「自分で聞くのはそうだが、これって正々堂々って言えるのか?」 「良いんですよ。面白そうですし。ねえ社長、後でみんなの様子ってどうだったか教えてくださいね。ほらほら、美麗ちゃん、行った行った」 美麗はくくくっと笑いを堪えるようにして、私の背中を押す。 「美麗ちゃんって、おい」 「社長、社長はもう私なんですから。私らしくしてくださいね」 「わ、わかったよ。しかし私がここにいないとわかったら……」 「その時はあたしが何とかしますから。ほら早く」 彼女は私を廊下に押し出すと、ドアをバタンと閉じた。 おい、社長は私だぞ。 呆然と廊下に立ち竦むものの、彼女の言うことにも一理ある。 社員の本音を聞くか。面白いかもしれんな。 私は意を決して劉美麗として、社内を巡ってみることにした。 廊下を恐る恐る秘書室に向かって歩く。自分が美麗の姿になっているとは言え、女子社員の制服と着て歩くのは何とも気恥ずかしい。他の社員とすれ違うと体が硬くなり、思わず俯いてしまうが、誰も私のことを変に思っている様子はない。 そう、誰もが私のことを美麗だと見ているのだから当然だ。 しかし私に美麗の真似なんてできるのか? 秘書室の前に立ち、入ったものかと躊躇してしまう。 「あら美麗、どうしたの、そんなにおどおどして。社長になんか言われたの?」 「え? いや、上田くん」 「上田……くん?」 「あ、いえ、上田……室長、そんなことない……ですよ」 おっと、ついいつもの癖が。うーん、しかし妙な感じだ。 「そう、だったら良いけれど。で、社長のお客様って帰られたの?」 「は、はい、さきほど」 「そっか、全く社長ったら変な友人を持っているものね。受付の早智子たちが気味悪がってたわよ」 「そ、そうなんですか」 「ところで社長は?」 「あの、お部屋に」 「そお、じゃあ明日のスケジュールを確認に」 「あ、ちょっと待って!」 「……どうしたのよ、そんなに大きな声出して」 「社長がしばらく一人にしておいてくれって。誰も部屋に入れないようにって。電話もしないように上田くんに伝えてくれって」 「そうなの。わかったわ。じゃあ美麗、これ山口常務に持っていってくれる? あなたに持ってきてくれって」 上田くんは茶封筒を私に手渡した。 「は、はい」 「じゃあ気をつけてね」 「気をつけて?」 「あのセクハラ大魔王が常務室にお呼びじゃなあ。あなた大丈夫?」 「セ、セクハラ大魔王!!」 「あら、なに驚いてるのよ。あなただって常務のことわかっているでしょう。全く自分が社長の覚えめでたいからって好き放題。ほんといやになっちゃう」 「そう……なんだ」 山口常務は、社内でも数少ない私寄りの役員だし、私も彼のことを信頼もしている。その彼が女子社員にセクハラ大魔王と言われているとは……」 私の脇の下にじっとりと汗が滲み出ていた。 コンコン。 「入りたまえ」 「失礼します」 ドアをノックすると、美麗のしぐさを真似て中に入る。 部屋の中では、山口常務が一人机に向かって何かを眺めていた。 山口くんがセクハラ大魔王? 私にはとても信じられない話だったのだが、その後私は人の裏表というものを嫌というほど思い知らされることになった。 「上田室長からこれを持っていくようにと」 「おお、来たか。で、劉くん、社長のお客様はどうした」 「は、はあ、さきほどお帰りになりましたが」 「あんな得体の知れない人間を社内に入れて、全く若社長にも困ったもんだな。なあそうだろう劉くん」 「は、はあ」 どこかいらいらしている山口常務の雰囲気は、私の前でいつもにこにこと愛想の良い彼とは別人のようだった。 「まあいい。ところで劉くん、君にちょっと相談なんだが」 「相談……ですか?」 「とにかくそれはそこに置いて」 目線で机の上を指し示され、茶封筒を机の上に置いた。机の上には数枚の服のデザイン画が置かれていた。 「これを見てもらいたいんだが、そっちからじゃよくわからんだろう。こっちに来なさい」 何となく嫌な感じがしたものの、山口常務の横に回り込むと、机のデザイン画を眺めた。 「どうだ、夏の新作案だ。デザイン部が持ってきたんだが、劉くん、きみどのデザインが良いと思う?」 「私ですか」 「そうだ、君に聞いているんだ」 デザイン画を見比べる。それぞれ良さがあり、どれと言われてもすぐに決められない。 「そうだなあ……ひっ!」 じっと眺めていると、突然お尻にざわざわとした感触。そう、山口常務が私のお尻を撫ででいるのだ。 「ちょ、ちょっと、おい」 「相変わらず形のいいお尻だ。新作が出来上がったら君に一度試着してもらいたいもんだな。全く社長の秘書にしておくには勿体無い」 そう言いながら、今度は脇の下から両手を回すと、私の両胸をぐにゅりと掴んできた。 「はひぃ」 その瞬間、痛みとも快感ともつかない奇妙な快感が体を巡る。 「あ、や、やめ、やめてください」 「いやあ全く惜しい。こんなに素晴らしい体をしているのに、いつもこんな制服じゃあ全く勿体無いぞ。どうだ劉くん、わが社の専属モデルになってみる気はないか?」 「はあ?」 「社長に言って転属させてもらうさ。私が君を売り出してやってもいいんだぞ。モデルデビューすれば、君ならたちまちスターへの街道まっしぐらだろう。いや、そうに違いない。どうだ、このワシにその体を預けんか?」 そう言いながらも山口常務は私の胸を揉み続けた。 「あ……ひ……く……うくぅ……や、やめ、やめるんだ」 「まったくいい体をしておる。ほらほら」 男に、しかも信頼している部下に抱きつかれて、胸を揉まれている。 嫌悪感を感じる一方、胸からは徐々に不思議な快感が増していく。そしてそれは私の体を少しずつ熱くしていた。 私が山口に胸を揉まれている? こんな、こんなことって……。だが、なんだこの感じは……いい、き、気持ちいい……はっ! 「や、やめろお、山口!」 私の怒鳴り声に山口はぱっと手を離した。 「やめろだと!?」 「貴様が、こんなことを、信じられん」 腰に手を当てて言い放つ。だが、私を見つめる山口の表情は驚きから、侮蔑のものに変わっていった。 「なんだ? この私を貴様呼ばわりか。全くいい身分だな。さすが先代社長の妾腹だよ」 「な、なにい」 「私が知らないとでも思っているのか? 優しくしておればつけあがりおって。もういい、出て行きたまえ」 よほどマスクをめくって正体を明かしてやろうかとも思ったが、危うく堪えた。 「こ、この件、社長に報告します」 「構わんよ。しかし社長は信じんだろうよ。何と言っても私は社長の信頼が厚いんでな。かえって讒言する君の立場が悪くなるだけだぞ。無駄なことだ。はっはっはっ」 こ、こいつめ。だがこれ以上は……。 そう、今の私は美麗なのだ。拳をぎゅっと握り締めて体を震わせながらも、黙って出て行くことにした。 「くそう、山口め、あいつがまさかあんな奴だったとは!」 私は部屋に戻ると地団駄を踏んだ。無性に腹が立ったのだ。 「どうでした、社長」 私が戻ってくるまでずっと部屋に篭っていたという美麗だが、まるで全てを見透かしたように私に問いかけてきた。 「全くどいつもこいつも本人のいないところでは好き勝手なことをほざくものだな。まさかあいつがあんな奴だったとは」 「でしょう。みんな本人がいない所で何を言ってるかわからないってことがよくわかったでしょう」 「ああ、その通りだな。しかし美麗、お前なんでこんなことを私に……」 「そんなことより社長、あたしもうひとつ面白いアイデアを思いついたんですけど」 「面白いアイデア?」 「今度はこんな風に使ってみたらどうですか?」 美麗は、私の耳元でごにょごにょと囁いた。 「なるほど、そりゃあ面白いかもしれんな。しかし彼女は承知するのか?」 「美里にはあたしから電話して、よく言っておきますから」 「そうか。しかしそりゃあ楽しみだな」 美麗のアイデア、それは「妻が、私のいないところで私のことを何て言ってるのか知りたくありませんか?」というものだった。 確かにそれは興味深い提案だった。あいつが本当は私のことをどう思っているのか、財産目当てなのか、それとも本当に愛してくれているのか、その本音を聞いてみたい。そしてそれを知るための方法を彼女は提案したのだ。 だが、その時私は大事なことを忘れていたのだ。 そのことを忘れていたばかりに……。 (その3へ) |