駅を出ると、外はどしゃ降りの雨になっていた。
 その中にふらふらと歩き出す。
 どこをどう歩いたのか全く記憶は無かった。でも気がつくと、俺はさやかの家の前に立っていた。

 スカートのポケットから鍵を出し、扉を開けて中に入る。

「ただいま」

 力の無い俺の声を聞くなり、母親が玄関に出てくる。

「さやか、あなた電話もしないで、こんなに遅くまで何処に行ってたの!」

 だが俺が答えようとする前に、俺の様子に驚く。

「どうしたの、そんなにびしょ濡れになって」

「うん……」

 母親はすぐさまバスタオルを持ってくると、俺の髪を、顔を、体を丹念に拭く。

「お風呂が沸いているから、とにかく早く入りなさい」

 母親は俺を玄関に上げて優しく抱擁すると、バスルームに押し込んだ。

 俺は少し震える体で服を脱ぐと、ゆっくりと浴室に入った。
 湯気の立ち上るバスタブに脚を入れる。
 決して大きなバスタブではないが、今の俺の華奢な体はその中に全身を沈めることができる。
 中につかっていると、冷えていた体が少しずつ暖まってくる。
 お湯を通して見える俺の体は、華奢で小さな少女の裸体。
 小さいけれどしっかり膨らんだ胸、引き締まったお腹、そしてその下にあるうっすらとした翳りに覆われた股間。
 湯船に漬かったまま、そっとそこに手を当ててみる。
 ついこの間までそこにあった俺のモノは無く、指は空しく股間を通り越していく。

「俺、もう俺じゃないんだ」

 通夜での両親や妹の顔が、そして電車の中での山本課長や加藤の顔が思い出され、こらえきれなくなった涙がまた溢れ出してくる。

「うっ、ううっ、ううっ」

 俺はお湯に漬かったまま膝を抱いて泣いた。




 魔法少女さやか☆アキラ
  第8話「本当の自分と向き合えますか」

 作:toshi9





 浴室から上がると、着替えが用意されていた。
 それはかわいいブルーのブラとショーツ、それに薄いピンクのスエット。
 俺はごく自然にそれを身につけるとダイニングに入った。
 夕食は既に用意されていた。

「お父さん今日も遅いから、先に食べましょう」

 恐らくなかなか帰ってこない俺の帰りを、じっと待っていたんだろう。
 でも母親は何も言わずに小さな茶碗にご飯をよそい、俺に差し出す。

「ありがとう」

 受け取ったご飯をゆっくりとかみ締める。
 暖かくっておいしかった。

「ねえさやか、何があったの?」

 突然母親が問いかける。
 俺は肩を震わせた。
 何を話せばいいのか、いや話そうと思っても、何も言葉に出てこない。
 俺は黙ってうつむくしかなかった。

「自分にやましいことは何もないのね」

 顔を伏せたままこくりと頷く。

「そっか。……さやか、あたしはあなたの母親だよ。何も言いたくないのなら無理に話さなくてもいいけど、あたしはいつでもあなたのことを見ているんだから。自分から話したくなったら、何があったのかきちんと話しなさい」

「うん」

「それじゃ、この話はおしまい。さあ、食べよ」

 顔を上げると、母親が優しく微笑んだ。
 俺も笑い返そうとしたものの、涙がこぼれてくるばかりだった。

「ほらほら、余計なことは考えない。ご飯は楽しく食べるものよ」

「うん!」

 ありがとう、ママ。



 ママとの夕食で心の落ち着きを取り戻した俺は、部屋に戻ってベッドに大の字になると、これからのことを考えた。
 ソウルジェムはもう半分以上黒く濁っている。明日こそは魔女を見つけ出して倒さないと、ほんとにやばいことになる。
 それと自分のことだ。
 俺はもう俺じゃない。それはもう嫌と言うほど体験させられた。
 でも俺は俺でいたい。勿論心も女に、さやかになりきってしまったほうが、ずっと楽なのかもしれない。
 確かに俺はさやかになりたいと願ってさやかになった。
 けれども晃という俺がさやかとして生活をするのと、心まで完全にさやかになってしまうのでは全く意味が違う。今更ながらそれに気付かされた。
 自分が少しずつさやかという存在に馴染んでいくのを感じるものの、俺は三ッ木晃として生きてきた自分の心を失いたくなかった。
 でも、俺が俺のままでいたいと思えば思うほど、自分がもうさやかなんだということを思い知らされる。
 考えれば考えるほど俺の中の絶望感は増すばかりだった。



「そんなに頑なにならないで。あたしを受け入れて」

 どこかで少女の声が響く。

「ママって優しいでしょう、まどかって友だち思いでしょう、あたしの素敵なママ、あたしの大切な友だちだよ。それをあたしのふりをしたあなたに取られちゃうなんて、くやしいの、嫌なの。さあ、早くあたしとひとつになろうよ」

「いや、俺は」

「あなたは晃じゃない、さやかなの、あたしなの。晃にはもう二度と戻れないのよ。それを受け入れて。いいえ、もう受け入れているよね。だってあたしのママのことを、あなたもさっきママって呼んだもんね。ね、さやか」



 はっ!
 
「ふぅ、夢か」

 いつの間にか、ベッドの上で大の字になったままうたた寝をしていたらしい。
 ソウルジェムを見ると、相変わらす中心に黒い濁りを漂わせていた。いやさっき見た時より濁りの大きさが増しているように見える。

「そんな、魔法を使っていないのに……」

 コツコツ

 窓を叩く音。
 窓を見ると、そこには杏子の顔。
 ちょっと待て、ここ二階だろう。
 俺は呆れ顔で窓を開けた。

「よ! 入っていいかい」

「入っていいかいって、どこから来るんだ」

「まあ固いことは言っこ無しって」

 そう言って部屋の中にすっと入ってくると、杏子は椅子に座った。

「喰うかい?」

 杏子がビスケットの箱を差し出す。

「ごめん、夕食食べたばかりだから」

「そうか」

 特に気にする様子もなく、箱からビスケットを取り出すと、杏子はそれを自分の口に放り込んだ。

「お前さあ」

「え?」

「お前、ほんとに要領悪いな。ほら、これ使いな」

 杏子が黒い結晶を放り投げる。
 左手でそれを受け止める。

「これ、グリーフシード!」

「ああ」

 これを俺のソウルジェムに当てれば、黒い穢れは取り払われる筈だ。
 だが、どうして急に杏子が俺の前に現れてグリーフシードを使わせてくれようとしているのか、その魂胆が全くわからない。

「い、いや、自分のグリーフシードは自分で手に入れるから」

 俺は受け取ったグリーフシードを杏子に差し返す。

「無理するなって。お前、そろそろやばいんじゃないのか?」

「大丈夫だよ。明日こそはきっと魔女を倒してみせるから」

「そのグリーフシードは、今日お前が全滅させた使い魔の魔女を倒して手に入れたんだ。お前一人であの数の使い魔を全滅させるなんて思わなかったよ。でも、おかげであたいは魔力をほとんど使わずに魔女を倒すことができた。だからお前にもそれを使う権利があるってことさ」

「でも、俺、魔女を見つけることさえできなかったし」

「初心者だからな、ま、気にするなよ。ソウルジェムをうまく使えば、魔女の居場所なんてすぐにわかるんだ。ん? お前、俺って、そういや前も言ってたかな」

「え? あ、あたし」

「ふーん」

 杏子がじっと俺を見詰める。

「ま、いいか。今日は相談があって来たんだ」

「あたしに相談?」

「お前、『ワルプルギスの夜』って知ってるか?」

「確か、昨日ほむらが戦うって言ってた魔女の名前」

「そう、一人の魔法少女だけではとても太刀打ちできない強力な相手さ」

「その『ワルプルギスの夜』が何か?」

「なあ、あたいと組んで一緒に奴を倒さないか?」

「?? 何故あたしを? そんな強力な魔女じゃ、初心者のあたしなんて一撃で倒されちゃうでしょう。どうせならほむらと組んだほうが余程倒せるんじゃないの?」

「ん〜、ところがそうでもないんだな、これが」

 そう言うと、杏子は次のビスケットを口に放り込んだ。
 
「奴が今までに現れた街の魔法少女たちから情報を集めてみたら、いろいろ面白いことがわかったんだ」

「面白いことって?」

「ふふふ……それはまだ秘密。とにかく、ほむらは妙な技を使うけど、多分奴との相性は最悪に近い。それよりどうなんだ? あたいと組むのか組まないのか?」

 杏子がまたビスケットを口に放り込む。

「そんなこと、急に言われても」

「ま、そうだろうな。良い返事を待ってるよ。奴が現れるのは三日後らしいから、それまでに魔力を100%使える状態にしておくんだぞ。じゃあな」

 そう言うと、杏子は、再び窓から飛び出していった。
 俺の手の中にグリーフシードを残して。

『ふーん、あの杏子が他の魔法少女に興味を持つなんて珍しいね』

「QB!」

 いつの間にか、部屋の隅にQBが寝そべっていた。
 いつもそうだが、突然現れては消える。全くこいつってどういう生き物なんだ。

『君は余程彼女に気に入られたんだな。ま、僕にとってはどうでもいいことだけど』

「おいQB、『ワルプルギスの夜』ってどんな魔女なんだ」

『たった今、杏子から聞いただろう。一人の魔法少女の力ではかないっこない、強大な力を持った魔女さ』

「そんな凄い魔女が現れることがわかっていて、なんでほむらと杏子は協力しようとしないんだ」

『魔法少女は元々一匹狼なんだ。中でも杏子はとびっきりさ。ほむらのことは僕にもよくわからないよ。でも、あの杏子が他の魔法少女にモノを尋ねるなんて、『ワルプルギスの夜』のことが余程気になったんだな』

 寝そべったまま尻尾を振りながら、QBが俺の問いに答える。

『それよりさやか、君はどうするんだい?』

「どうするって?」

『杏子がくれた、そのグリーフシードさ。それを使うなんて、君のプライドが許さないよね』

「え? あ、ああ」

 杏子がくれたグリーフシード。
 さすがに捨てようとは思わなかったが、確かに自分の力で手に入れたものでもないグリーフシードを素直に使う気にはなれなかった。

『それを聞いて安心したよ。早く魔女を狩って、一人前の魔法少女になるんだよ、さやか』

 そう言って起き上がると、QBは陰の中に消えていった。

「俺を励ましているつもりのか? それとも? あいつ、何を考えているんだ」

 魔法少女に勧誘した俺がいつまでも魔女を狩らないと、奴のノルマが果たせないからなのか?
 成績が上がらないと奴の立場も無くなるから、懸命だって訳か。
 ドライに成績を上げることに徹する、それってあいつらと同じじゃないか。

 山口課長や加藤、そして自分の会社のことを思い出して、俺は苦笑した。

 だがそれよりも気になるのは『ワルプルギスの夜』だ。

 三日後か。杏子は俺と組んで戦いたいって言ったけれど、初心者の俺が加わったくらいで本当に勝算があるんだろうか。
 あちこち移動している魔女らしいから、勝てない相手だったら、じっとやり過ごしたっていいと思うんだが。
 それにほむらはどうするんだ。折角魔法少女が三人いるんだから、ばらばらに戦うより一緒に戦ったほうが良いと思うんだが。でもあのほむらの様子じゃ、俺はおろか杏子とさえも組みそうに無いよなぁ。

 自分がどうすれば良いのか、うまく考えがまとまらない。
 だが、いずれにしても時間が無い。明日のパトロールでは必ず魔女を仕留めないと。



(続く)




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