『魔法少女になってよ』

「え?」

 俺は足取りを止めて、きょろきょろを左右を見回した。
 だが、俺の周りには誰もいない。

 いや、人はいないが、歩道脇に耳の長い猫? いや子犬か? とにかく白い小動物が一匹いた。そして俺のほうをじっと見ているんだが……まさかね。

「気のせいか」

 俺は頭をポリポリをかくと、再び駅に向かって歩き出した。
 そして俺を見続けている白い小動物の前を足早に通り過ぎて駅に着くと、家へと向かう電車に乗る。

 ゆっくりと横に動き出す車窓。
 俺はそれをぼーっと見ていた。

「はぁ〜、今日も疲れた」

 俺の名前は三ッ木晃、25歳の独身、小さな不動産投資会社に勤めている。
 3年前に親のつてで首尾よく就職できたのだが、長い不況で、なかなかマンションの契約が取れない。
 会社の業績が年々下がっていることもあって、上司からのプレッシャーはきつくなるばかりだ。

「はぁ〜」

 流れる車窓を見ながら、俺は再びため息をつく。

「俺、この仕事を続けられるんだろうか。契約取るなんて合ってないよなぁ。でも転職しようにも、こんなご時勢じゃできっこないしなぁ」

 目線を落とすと、俺の前には女子高生が座っていた。
 彼女は懸命に携帯にメールを打っている。
 俺の視線などまるで気が付かない、いや無視しているんだろうか。
 制服のスカートからむき出しの太ももがまぶしい。

(気楽なものだな。俺も悩みと無縁な女の子になってみたいよ)

 目の前でメールを打ち続ける女子高生を見ながら、俺はその子になりきった自分を想像していた。

 寒い中、震えながら待っていた電車がようやくホームに入ってきた。
 ドアが開くと、ひとつだけ空いていた席を見つける。
 左右に座っているおじさんが少しだけ気になるけれど、とにかく座りたい。少し急ぎ足で中に入ると、スカートの裾を気にしながら座ったんだ。
 寒い中ようやく座った座席の暖かさを太ももの裏に感じながらほっとひと息つく。
 そしてカバンから携帯を取り出してメールをチェックして、ようやく友達にメールの返信を打っているんだ。それが俺。

 そう、俺の趣味のひとつはTS、即ち女の子になったり入れ替わったりする小説やコミックを見たり読んだりすること、そして自分でも小説を書いては、いろんなサイトに投稿することだ。
 女の子を見る目も、彼女たちと付き合いたいとか、えっちしたいというよりも、彼女たちに自分を重ね合わせて、女の子としていろんなことを経験してみたいという思いで見ていることが多かった。

(あ〜あ、この子なんか育ち良さそうだよな。裕福な家庭、親に守られた何不自由ない生活、女友達とメールし合ったり、きゃあきゃあじゃれあったりしながらの、のんびりしたお嬢様学校でのスクールライフ、いいよなぁ……)

 俺はちらちらと女の子に視線を移しながら、勝手に想像を膨らませていた。

『その願い、かなえてあげるよ』

「え?」

 さっき聞こえた声が、再び俺にささやいた。
 だが、見回しても、俺の周りには声の主らしき人間はいない。
 乗客は、思い思いに携帯を覗き込んでいたり、本を読んだりしている。

「気のせいかな」

『だから魔法少女になってよ』

「え? え?」

 再び同じ声。
 だがいくら回りを見回しても、同じことだった。

「ふぅ〜、ほんとに疲れているのかな」

 俺は頭を振ると、目線を車窓に戻した。
 そこには、さっき歩道で俺を見ていた耳の長い白い小動物が映っていた。




 魔法少女さやか☆アキラ
  第1話「夢の中で遭ったような」

 作:toshi9




 だが、それは一瞬だった。
 次の瞬間、小動物の姿は消え、車窓は流れていく夜景に戻っていた。

「ふ〜、本当に疲れているな、今日は早く寝るとするか」



 家に戻ると、ベッドにばたりと倒れ込んだ。

「疲れた〜」

 ぐったりだった。
 あんな空耳が聞こえてくるなんて初めてだ。
 今日は早く風呂入って寝よう。

 そう思ったものの、なかなか体を起こせない。
 俺は、ベッドに寝転がったまま天井を見上げていた。

『ねえ、魔法少女になってよ』

「またかよ、さっきから誰だ!」

 ベッドから体を起こして部屋の中を見回す。
 すると、絨毯にあの白くて耳の長い小動物が座っていた。

 ドアは確かに閉めたよな。こいつ、どこから入ってきたんだ。

 そう思いながらじっと見ると、白い小動物が口を開いた。

『僕だよ』

「しゃ、しゃべった!」

『気にしないでくれ。資格のある人間には僕が見えるし、僕の言葉を理解できるんだ。君にはその資格がある』

「資格だって?」

『そうだよ、君は選ばれた人間なんだ。君の願いをひとつかなえてあげる。その代わり』

「その代わり?」

『僕と契約して魔法少女になってよ』

 そう言って、小動物は俺に満面の笑みを向けた。

(はぁ? 契約だって? おいおい、こんなのがしゃべって、しかも契約の話かよ、こりゃマジ病院に行ったほうがいいかな)

 俺は憮然と小動物を見返した。
 ここに座っているこれって、幻覚なんだよなぁ。

『病気でも幻覚でもないよ。僕の名前はQB、君を導く存在さ』

「QB?」

『そうだよ』

 小動物がこくりとうなずく。

「ほんとにお前が喋っているのか?」

『もう何度も言っているじゃないか。それより、これを見てくれないかい?』

 QBの長い耳がふわっと動くと、テレビのスイッチが勝手に入る。
 そこには4人の中学生らしき少女たちが映っていた。3人はどこかの私立中学の制服を着ていた。1人はショートパンツにブルゾンという私服姿だ。

「さやかちゃん、ねえ、さやかちゃん」

 ぐったりと倒れ込んだショートカットの少女を、リボンで髪を分けた少女がしきりにゆすりながら、必死に呼びかけている。そしてその傍らで長い黒髪の少女と私服姿の少女が二人をじっと見下ろしていた。
 ぐったりと倒れている少女は、いくら呼びかけられても一向に目覚めようとしない。

「さやかちゃん、ねえ、起きて、起きてよ、さやかちゃん、どうしたの? ねえ、いやだよ、こんなの、さやかちゃん!!」

 呼びかける少女の声が段々と涙声になる。

『あの子には魂が無いんだ』

 あの子とは、さやかちゃんと呼ばれている、ぐったりしている子のことだろう。だが……

「魂が無い?」

『まどかが放り投げた彼女のソウルジェムは、トラックにひかれて粉々に砕けてしまった。だから、あれは空っぽのただの器なんだ』

「ソウルジェム? ただの器?」

『想定外の事故だった。でも、今彼女を失なったらまずいんだ。僕のノルマにも響くし』

「ノルマ?? 何のノルマだって?」

『何でもないよ。ねえ、君はさっき願ったよね。お気楽な女の子になりたいって』

「そ、それは」

『上司にねちねちいびられることもない、必死に電話して契約を取らなくてもいい、楽しい女の子としての暮らし。君が望むなら、僕がその願いをかなえてあげるよ。今すぐに』

「お前、それってどういう……きちんと説明しろ」

『君はあの子になるんだ。彼女は魔法少女なんだよ。普段はごく普通の女子中学生。でも街に悪い魔女が現れたら、魔法少女に変身して悪い魔女をやっつけるんだ。ね、楽しそうだろう?』

 無表情のQBの顔が心なしか、にやっと笑ったような気がした。

(魔女と戦う魔法少女か……そうか、このQBって奴、魔法少女モノのアニメに出てくるマスコットキャラそっくりなんだ。魔法少女モノと言えば、どんなに苦戦しても最後は仲間と一緒に戦う魔法少女が勝つんだよな。
 普段は何の苦労も無い女子中学生、それもあんなかわいい仲間と一緒。おまけにどきどきワクワクの冒険もあるという訳か。退屈はしないし楽しいだろうな。だが……これって本当に現実なのか?)

 俺は、女の子たちの様子を見ながらじっと考えていた。

(いや、例え現実だとしても、話が上手すぎないか? 『君は選ばれた人間だ』だなんて、うさん臭すぎるぞ)

 俺は、無表情に俺を見ているQBを見た。

『どうしたんだい? 言っただろう、君には資格があるんだ。もう時間が無いよ。早くしないとあの器が活動をやめてしまう。こんなチャンスは二度と来ないじゃないのかな』

(決断の時という訳か)

 俺は会社の出来事を思い返していた。
 上司に怒鳴られ、何度も必死に電話して、それでも契約できない毎日。
 ストレスは溜まる一方だった。

『ふぅ〜』

 QBがため息をつく。

『わかったよ。別に君じゃなくても良いんだ。あの器さえ生かしておければね。言っただろう、もうぐずぐずしてられないんだ。仕方ない、それじゃ急いで別な人間を探すとしよう。僕は行くよ』

 QBはくるりと背を向けた。

「ま、待て」

『ん?』

 首だけを俺のほうに向ける小動物。

「わ、わかった」

 QBは俺をじっと見つめる。それは、相変わらず無表情だが、どこか笑っているようにも見えた。

「わかった、契約しよう。俺は、彼女になってみたい」

 俺がそう言った瞬間、QBの体が光りだす。

『願いは聞きとげられた。契約は成立した』

 QBの目が光る。

「胸、胸が苦しい」

 う、うぐう

「痛い。胸の奥が」

 突然胸の奥に何か塊りが生まれたような違和感、そしてその何かが体の奥から無理やり出て来ようとしているような感覚だ。

 胸を押さえる。
 俺の胸が青く光りだす。
 そしてそこから、じわじわと宝石のような結晶がせり出していた。

「ぐぅ、な、なんなんだ、これは」

 やがて青く輝く宝石は胸から完全に姿を現すと、俺の目の前に浮かんでいた。

『さあ受け取るがいい それが君のソウルジェムだ』

 俺は目の前の宝石を両手で掴んだ。

「ソウルジェム?」

『魔法少女の力の源、そして君の力の源さ。さてと……』

 QBは俺の手の中のソウルジェムを尻尾でひょいと取り上げると、駆け出した。

「お、おい、約束は」

 追いかけようとしたが突然目の前が真っ暗になる。そして、俺はそのまま意識を失った。




「……ん、……ちゃん、……さやかちゃん」 

 気がつくと、俺は誰かに抱きかかえられていた。

「う、うーん、な、何がどうなって……突然胸が苦しくなって、宝石が俺の中から、それから……」

 ぼやけていた焦点が段々とはっきりしてくる。
 どうやら気を失った俺を、誰かが抱き起こしてくれたようだ。

「あ、ありがとう。え!?」

 俺の前に、涙目のかわいい女の子の顔がアップになっている。
 髪を左右に分けてリボンで結んだその子は、さっきテレビに映っていた少女のうちの一人だった。

「さやかちゃん、よかった、気がついたのね」

 彼女が俺の手をぎゅっと握り締める。

「え、えーと」

 月明かりに照らされたそこは、俺の部屋ではなかった。
 どこかの広場か、広い歩道の真ん中にいるようだ。
 頬に感じる夜風が少し肌寒い。

「さやか……ちゃん?」

 戸惑っている俺の様子に、彼女は少し不審げに首をかしげる。
 そんな俺と彼女の間にQBが割って入ってきた。

『危ないところだったよ。僕がソウルジェムを回収するのがもう少し遅れていたら、さやかは死んでいたよ。しばらくソウルジェムが体から離れていたから意識が混沌としていると思うけど、徐々にはっきりしてくるよ。だから安心して、まどか。ね、そうだろう、さやか』

 そう言って、QBは顔を俺に向ける。

「さやか?」

 俺はふとQBから「まどか」と呼ばれていた少女に握られた自分の手を見た。

 ほっそりとした白い、そして小さな手。
 そして着ていたスーツの袖とは違う、クリーム色の袖。
 手から体に視線をたどると、少しだけ膨らんだ胸にかかる赤いリボン。
 そして上着から視線をさらに落とすと、俺はひだひだのスカートを履いていた。

 まどかの手を振りほどいて、自分の脚に触る。
 それは丈の長いニーソックスに包まれた脚だった。
 むき出しの太ももは、つるつるとして、そして柔らかかった。

 これって俺の手? 脚? 違う!

 股間に手を突っ込む。
 滑らかな生地のショーツに包まれたそこは、のっぺりとして、そして、俺のモノはそこに無かった。
 
「俺……ちがう!?」

「俺?」

『まだ意識が混沌としているようだね。でも段々はっきりしてきただろう、さやか』

「さやかちゃん、どうしたの? しっかりして」

 少女が俺をぎゅっと抱き締める

「おい、QB、こいつどうしたんだ、さっきと全然様子が違うじゃないか!」

 ショートパンツの少女がQBに食ってかかる。

「さやか? 俺が、さやか? 俺は、さやか?」  

 俺はどうなったんだ。
 本当にさっきのあの女の子になっちまったのか?

 彼女に抱きつかれたまま、俺は呆然としていた。

「ちょ、ちょっと待て、わけわかんねえ」

『言っただろう、願いは聞きとげられたと。君はこれからさやかとして生きるんだ。青の魔法少女としてね』

 QBの声が直接頭の中で響いていた。

 呆然としている俺に向かって、長い黒髪の少女が、すたすたと歩いてきた。
 そして冷たい目で俺を見る。

 この娘は……!?

「あなた、馬鹿ね。それに、余計なことを」

 それだけを告げると、女の子はくるっとターンして遠ざかっていった。

 混乱する頭の中がぐるぐると回転する。

 こんなことって……マジかよ、どうなっちゃうんだ、俺……

 そして俺は再び気を失った。



(続く)



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