蝋人形の館
 作:toshi9 挿絵:MONDOさん



それはある秋の日の放課後のこと、私立花鳥(はなどり)学園バトミントン部の部室に舞い込んだ一通の招待状から始まった。

「茉奈、私とあなたの名指しで招待状が送ってきたんだけど、どうする?」
「招待状っですか?」
「これよ、ほら」

体育館での練習後、コートの脇で美衣は茉奈の前に2枚のチケットを広げて見せた。

「お台場に蝋人形館が新しくできたらしいんだけど、オープン前の特別招待状らしいわよ」
「ふーん、蝋人形館か、なんだか怖そうですね。それってドラキュラとかミイラとかお化け屋敷みたいなものですよね」
「違う違う、HP見てみたらそうでもないみたいなのよ。今どきの蝋人形館って、有名人やキャラクターのそっくりさん人形が飾ってあるんじゃないの? ここもそうみたいよ。ほら」

スポーツバッグのポケットからスマホを取り出すと、美衣は招待状に書かれた蝋人形館のHPアドレスを開いた。
確かに、そこには国内外の有名俳優、キムショウこと木村翔太や海賊姿のジャニー・ディック、赤い制服姿のAKG48の前田綾子、サッカー選手のカジ・本田、それにフィギュアスケートスケーターの麻上真矢といった面々の写真が並んでいる、いやそれは本人ではなく蝋人形の写真らしいのだが、とても作り物には見えない。実によくできていた。

「いや~あたしたちも一応有名人でしょう。もしかしたら蝋人形を作ってもらえるんじゃないかなってね」
「そんな、いやですよ。あたしがもう一人いるみたいで、なんだか気持ち悪いです」
「そうかな、とにかく今度の日曜日に一緒に行ってみない? どれだけ本物そっくりなのか、実物をみてみたいと思わない?」
「うーん、美衣先輩がそこまで言うなら。わかりました」

二人はバトミントン部2年の月野茉奈(つきの・まな)、そしてキャプテンで3年の風祭美衣(かざまつり・みい)、日本女子バトミントン界の若きエースだ。世界を舞台にダブルスで活躍している二人は花鳥風月コンビと呼ばれて女子バトミントン界はおろか、社会的にも有名な存在になりつつあった。

月野茉奈&風祭美衣(作画:MONDOさん)


「それじゃ日曜日。今日はお先に」
「お疲れ様~」

2枚のチケットのうちの1枚を茉奈に渡すと、練習用の白いポロシャツと青いスコート姿の美衣はスポーツバッグを持って体育館を出ていった。

「蝋人形館か。先輩の誘いだけど、何だか気が進まないな」

招待状を指につまんでひらひらと揺らしながら考え込む茉奈だったが、そこに一人の男子部員が寄ってきた。

「どうしたんだ? 茉奈」

茉奈に話しかけたのは男子バトミントン部の山田卓也(やまだ・たくや)だった。茉奈のクラスメイトだが、小学校の頃からなぜかずっと同じクラスで、彼女に気があるのか何かといえば寄ってくる。茉奈に言わせると、幼馴染というよりもいわゆる腐れ縁というやつだ。いつもつきまとって離れない卓也を、最近ちょっとうっとおしく感じている茉奈だった。

「またあんたか、気安く名前で呼ばないでよ。なんでもないんだから」
「お! そのチケットなになに?」
「だから、なんでもないったら」

だが、卓也は茉奈の言葉に耳を貸さず、ひょいとチケットを取り上げた。

「へぇ~、蝋人形館か、面白そうじゃないか」
「あんたには関係ないでしょう」
「つれないなぁ。なあ、一緒に行っていいかな」
「ふふーん、残念でした。この日は入れる特別招待チケットは2枚だけ。美衣先輩と一緒に行くことにしているの」
「日曜日の午後3時か、俺のほうは何も用事ないんだけどなぁ」
「だから、あんたと一緒に行くつもりはないって」
「そうか~、残念だけど仕方ないか」

そう言って茉奈の元を離れると、卓也は男子部員の輪の中に戻っていった。
肩を落として戻ってきた彼に部員の一人が声をかける。1年の御厨遼一(みくりや・りょういち)だった。

「どうしたんですか? 山田先輩、また月野先輩に振られたんですか?」
「茉奈と風祭先輩が日曜日にお台場の蝋人形館に遊びに行くんだってさ。招待券が送られてきたそうだ」
「ふ~ん、風祭先輩と二人だけですか。で、もしかして山田先輩もそこに行きたいと」
「ああ、茉奈に頼んだけど、あえなく断られたよ」
「そうですか……それじゃ、こういうのはいかがですか?」

卓也に耳打ちする遼一。

「え? 俺も行けるのか?」
「はい。実は……」
「へぇ~、そうだったんだ」
「どうでしょう、行ってみます?」
「ああ、行く行く。蝋人形館の中で、あいつを驚かせてやる」
「そうですか、それは良かったです。ただ、条件というか、先輩にちょっとお願いがあるんですが、練習後に詳しくお話しする時間あります?」
「ああ、いいぜ」
「面白い日曜日になりますよ。先輩にとっても茉奈先輩にとっても」
「俺にとっても茉奈にとっても?」

その言葉を聞いて、卓也は思わず茉奈のほうを見るが、視線の合った茉奈はぷいっと横を向いてしまった。

「まったく、なんであんなにあたしのことに首を突っ込んでくるのかな。うっとしい」

卓也の抱く想いなど知る由もない茉奈だった。


さて日曜日、美衣と茉奈は新橋で待ち合わせると、ゆりかもめに乗ってお台場に建ったばかりの蝋人形館『Mr.タトゥ』を訪れた。まだ案内板はなく、チケットに描かれた地図が頼りだったが、二人は高層ビル群に囲まれた、3階建ての古風な洋館風の建物の前に来ることができた。だが入り口には何も書かれておらず、チケット売り場らしき窓口はカーテンが閉じられている。

「茉奈、ここよね」
「と思います。これってチケットに描かれた建物ですよね」
不安げに入り口の扉を覗き込もうとする二人だったが、その時ゆっくりとドアが開いた。
「いらっしゃいませ、ようこそ『Mr.タトゥ』の館へ」
出てきたのはロングスカートのメイド服を着た女性だった。胸に『烏山千歳(からすやま・ちとせ)』と書かれたネームプレートをつけていた。

「あの、ここは『Mr.タトゥの館』で間違いないでしょうか」
「はい。ですがまだ正式オープン前ですよ。本日は招待者のみの内覧会を催しております。お二人はご招待状をお持ちですか?」
「はい、これですね」
そう言って、美衣と茉奈は彼女に招待状を差し出した。
「風祭美衣さんと月野茉奈さんですね、お待ちしておりました」

千歳は招待状を確認すると扉を開け、蝋人形館の中に二人を案内する。
だが、オープン前のせいか照明を通常よりも暗めに落とされた薄暗い館内はシーンと静まり返っており、中のエントランスには誰もいなかった。

「あの、あたしたちだけ?」
「はい。本日の内覧会は、ご招待の皆様にゆっくりご鑑賞いただけるように、ご招待したグループごとにご案内時間を空けておりますので」
「そうなんだ、静かでちょっと怖いくらい」
「大丈夫よ、さあ行ってみようか」

茉奈は館内を見回して、きゅっと肩をすぼめる。そんな茉奈の傍らで、美衣が右手を高く突き上げた。

「ここから先は別世界。世界中から集ったスペシャリストの世界にようこそ、お二人でどうぞ心ゆくまでお楽しみください」

大仰な案内の口上を告げる千歳に促されて、二人は目の前の自動ドアをくぐって展示ブースの中へと入っていった。

「お楽しみください……か、くくっ」

小声でつぶやき、笑いをかみこらえる千歳。だが展示ブースの自動ドアの中に入った二人には、その声はもう聞こえなかった。



展示ブースは見学通路に沿っていくつかのコーナーに分かれ、映画の1シーンや、コンサートのステージ、或いはサッカー場のピッチやスケートリンクを模した舞台の中に各界有名スターたちの蝋人形が飾られている。

「うわぁ、よくできているわねぇ。ほんとに『今にも話しかけてきそう』って感じね」
「うん、そうですよね」
茉奈も感心しながら各コーナーのスターたちの蝋人形を見ていた。
だが、フィギュアスケーター麻上真矢の蝋人形が飾られているコーナーで足を止める。何かが聞こえたような気がしたのだ。
「タ・ス・ケ・テ」
「あれ?」
「どうしたの? 茉奈」
「先輩、何か言いました?」
「いいえ、何も話してないけど」
「今、何か聞こえませんでした?」
「そお? 先に入ったグループが騒いでいるんじゃないの?」
「そうかなぁ」

そう言いながら、茉奈は目の前の麻上真矢の人形をしげしげと眺める。そしてその顔を注視しながらある事に気が付いた。
笑っている表情の人形が泣いているのだ。目から涙がこぼれ落ちていた。
笑顔で涙を流しているその蝋人形の表情は、茉奈に奇妙な違和感を感じさせた。

「ねえ先輩、あの人形、泣いてません?」
「え? ばかね、人形が泣くわけないじゃなの」
「そうなんですけど、何で涙を流しているんだろう。もしかしてあの人形生きてる?」
「ばかね、生きているみたいって言ってもあんな姿勢のままでじっと動かないんだから間違いなく人形よ。それに麻上真矢選手は確か今週カナダでフィギュアの試合でしょう。たぶん、水蒸気が目のところにたまって溢れ出たのよ。涙を流す像の奇跡とかって、真相はそんなところらしいわよ」
「……そっか、そうですよね」

美衣はちょっと首をかしげながらそのブースから離れていった。

スケートリンクを模した展示コーナーの中心に飾られていたのは、華やかな青いフィギュアスケートの衣装をまとった麻上真矢の蝋人形。両腕を左右に大きく広げ、片足を高く上げて滑るポーズをとった人形の表情は、競技会にで演技している彼女そのままににこやかに笑っていた。だが二人が去った後も、その目元からつつつっと水滴がこぼれ落ちる。

「タ…ス…ケ…テ……ダ…レ…カ」


各コーナーを1周した二人は、エントランスに戻ってきた。
自動ドアを出てきた二人をメイド服姿の烏山千歳が迎える。

「本日はお越しいただきありがとうございました。当館はいかがでしたでしょう?」
「すっごい、すごいすごい、ほんとに本物がいるみたい。驚いちゃった」

美衣が力を込めて答える。

「ほんとです。でも……」
「でも、どうしたんですか? 月野さん」
「みんな表情は笑っているのに、どこか雰囲気が暗くって。笑っているのに悲しんでいるっていうか、それにアレが気になって」
「ばかね、だからあれは水蒸気が溜まったんだって」
「あら、何か気になることがありましたか?」
「いえ、ほんとに人形が涙を流しているって彼女が言うんです。まったく気にしすぎよ」
「最高の誉め言葉ですわ。照明を暗めにしていますから、そんな感じに見えるのかもしれませんね」
「そうか、照明のせいなのね。そういうことなんだってさ、茉奈」

えっへんと美衣が胸を張る。

「ところで、お二人にお願いがあるのですが」
「あたしたちにお願いですか?」
「あなた方の蝋人形を、是非当館に加えさせていただきたいのですが」
「ええ? あたしたちの?」
「はい、当館は『各界の有名人を一堂に集め、どなたでも近くでその姿を見られる』のを設立の趣旨にしております。バトミントン界の人気者、花鳥風月コンビの風祭美衣さん、月野茉奈さんのお二人の蝋人形を是非加えさせていただきたいのですが、いかがでしょう」
「あ、だからあたしたちに招待状が送られてきたんだ」
「その通りです。ご承諾いただけますか?」
「そんなの……」

茉奈な躊躇して答えられない。具体的に説明できないが、彼女は館内に漂うどこか嫌な空気を肌で感じていた。だが美衣のほうは千歳の次の言葉を待っているように目を輝かせて彼女の顔をじっと見ていた。

「勿論、タダにとは申しません。既に展示された各界の有名人の方々と当館には特別なコネクションがありますので、お二人がご希望される方お一人とお会いできるように計らいましょう。いかがですか?」
「え! それじゃキムショウと会えるの?」
「はい、美衣様がお望みならば」
「乗った!」
「ちょ、ちょっと先輩」
「茉奈ったら、なに躊躇しているのよ。キムショウに会えるなんて、こんな機会滅多にないわよ」
「うーん、でも……」

顎に指を当てて考え込む茉奈。そんな茉奈に千歳が答えを促す。

「茉奈様はいかがでしょう?」
「いくら有名人を会えるからって、あたしの姿をした人形がここで見世物になるなんて、何だか嫌だな」
「まだそんな事言ってるの? 世界中のバトミントンファンに愛してもらえる選手を目指そう、もし引退したら二人で芸能界を目指そうって決めたじゃない。これは良いアピールになると思うわ。やりましょうよ」
「それはそうですけど」
「やるわよ、いいわね」
「……わかりました」

美衣に気おされるように、コクリとうなずく茉奈。
それを見て、千歳が再び問いかける。

「ではもう一度お伺いしますね。茉奈様はどなたとお会いになりたいですか?」
「あたし……あたしは麻上真矢さんと会ってみたい」
「え? 麻上真矢? そりゃフィギュアスケート界のプリンセスに会いたいのはわからなくはないけど、でももっといい人がいるんじゃないの?」
「いいんです。彼女に、ここに自分の人形が飾られている事をどう思っているのか、どうしても聞いてみたくなって」
「わかりました。美衣様は木村翔太、茉奈様は麻上真矢ですね。では契約成立ということで、お二人ともこちらにどうぞ」

千歳がエントランス奥の、関係者専用と書かれた扉を開けて二人を招き入れる。
扉が開くと、その先にエレベーターがあった。
3人がエレベーターの中に入ると、ゆっくりと地下に降りていく。そして地下の2階まで下りると扉が開いた。

「お連れしました。人形制作の件はお二人ともご了承をいただきましたので」

扉の向こうは人形工房になっていた。そこで1人の男性が1体の蝋人形に向かって作業している。年は40歳を少し過ぎたくらいだろうか。

「うむ、ありがとう」
千歳が男に声をかけると、振り向いた男は千歳に向かって軽く頷いた。
「あの、ここは?」
茉奈の問いに男が答える。
「この蝋人形館の工房です。ここで当館の全ての蝋人形を制作しています。私は当館の館長・御厨建(みくりや・たつる)です」
「御厨さんですか、変わった苗字ですね。でも、あれ? うちの男子部員にもいたような」
「多分、私の息子です。お二人と同じの高校に通っておりますので」
「まあ、そうだったんですか、奇遇なんですね」
美衣が妙に嬉しそうに声を上げる。
もしかしたら、キムショウだけでなくいろんな有名人と親しくなれるかもしれないといった思いが頭をよぎったのだろう。
「では早速よろしいですか?」
「え?」
「人形の制作に入らせていただきます。まずお二人の全身写真の撮影と型取りをしますので」
「そんな、いきなり」
「善は急げと言いますからね」
そう言って、御厨はにこっと笑う。
「なあに、時間は取らせません。すぐに済みます。烏山君、撮影室にお連れしてください」
「はい館長。さあお二人ともどうぞこちらに」

御厨に促された千歳は、二人を工房奥に並ぶ3つの扉のうちの右端の「撮影室」のプレートが貼られた扉の中に案内した。

「撮影に入りますので、こちらにお着換えください」
「あ、あの、もう少し説明を」
「さあさあ」
わけもわからずに、出された白い診察着のような服に着替えさせられ、MRI診察装置そっくりのカプセル状の機械に寝かされると、最初に美衣、次に茉奈の順番で全身をトレース撮影された。それが終わると、千歳は診察着のままの二人をそれぞれ順に「準備室」のプレートが貼られた真ん中の扉の中に案内した。
 そこは小さいながらもリラクゼーションルーム風の部屋だった。だが茉奈がその部屋に入った時、15分ほど前に入ったはずの美衣の姿はなかった。

「あの、ここは? それに先輩は何処に」
「この服にお着換えください」

茉奈の質問に答えることなく千歳が手渡したのは、青を基調にしたノースリーブのワンピース。どうやって手に入れたのか、それは花鳥学園バトミントン部の公式戦用ユニフォームだった。スポーツブラやショーツ、ショートスパッツまで用意してある。

「のどが渇きましたでしょう。お飲み物も用意しておきましたので、ユニフォームへの着替えが終えられましたら、しばらくここでお待ちくださいね」
そう言ってお辞儀すると、千歳は退室した。
一人になり、茉奈はふぅーとため息をつく。
「何か変なことになっちゃった。やっぱりOKするんじゃなかったな」

しばらく様子を見ていたものの、何も起こらない。美衣も千歳も戻ってこなかった。仕方なしに茉奈は診察着を脱いで用意されていたユニフォームに着替えると、椅子に座った。
履いたショートスパッツ越しに、椅子のひんやりした感触が伝わってくる。
テーブルにはティーポットとティーカップが置かれている。
気品のある、ヨーロッパのブランド磁器だ。

「ふーん、紅茶か。あ、いい香り」
ポットからティーカップに紅茶を注ぎ、口にする茉奈。
「おいしい、こんな紅茶初めて」
だが、突然視界がぼやける。
睡魔が奈々を襲った

「え、なに、眠い……」




気がつくと、茉奈は自分が人形工房に立っているのに気がついた。だが目は動くものの、頭も体も動かせない。困惑する茉奈の後ろから男の声が聞こえてきた。

「もう気がつきましたか、少々目覚めるのが早かったようですね」
……この声……誰だったっけ。
ぼーっとした頭で考える茉奈。だがすぐに声の主のことを思い出す。
そうだ、ここの館長‥御厨さんの声だ。
「その声……御厨さんでしょう。あたしどうしたんでしょう、体が動かなくって」
「今から人形制作に入ります。さて……と」

御厨は茉奈の声を無視して立ってる彼女の腰に手を回すと、よいしょとばかりに肩の上に担ぎ上げた。体を自分で動かせない茉奈は、御厨の肩の上に担がれても身体がかちんかちんで動かない。まるで、御厨がマネキンを担いでいるかのようだ。
茉奈を担いだ御厨は彼女を部屋の奥の左側の部屋に入り、そこに茉奈をおろした。中には四方が鏡張りになっている。そして御厨の額がすぐに汗ばんでくるくらいに暑かった。

「痛くありませんでしたか?」
「えっと、感覚が全く無くって……え? これ、あたし?」
鏡に映ったユニフォームを着た自分の姿が茉奈の目に入る。
その顔は無表情で生気を失っており、まるで自分そっくりの人形を見ているかのようだった。

「順調に蝋化が進んでいるようです。薬の効果はもう十分でしょう」
「な、なにを……」
「この部屋は蝋細工がしやすいように室温を高く保ってあるんですよ。さてと、最初にこの表情を何とかしないといけないな」

そう言って立ったままの茉奈の両手両足、腰、首をバンドで作業台に固定すると、御厨は彼女の顔に手を伸ばした。

「ひぃ! な、何を……やめて!」

小さな悲鳴をあげる茉奈。だが御厨は構わず透明のシリコン手袋をはめた両手を使って茉奈の目元を、頬を、唇をいじりはじめた。茉奈の体を見つめるその眼差しは、まるで彫刻の制作に入った芸術家の目だった。


どれくらいの時間が経ったのかわからない。
それはほんの短い時間だったのかもしれないし、小一時間ほど経ったのかもしれない。
御厨は細かく左右の手を動かし、茉奈の顔をいじり続けていた御厨の手が止まった。そして一歩茉奈から離れてその顔を見つめる。

「うん、これでいいだろう。良い表情ができた」
「いったいなにを……え!?」

鏡に映った茉奈の顔は、生き生きとした笑顔をたたえていた。まるでオリンピックで優勝したかのような表情だ。だがそれは、困惑して泣き出しそうな彼女の意志とは全く違うものだった。

「なにこれ。あたし、どうしてこんな表情を……」
「言ったでしょう、あなたは蝋人形になったんです。魂を持った、そして若さとその輝きが決して失せることのない永遠の命を持った人形です。出来立てでまだ固まっていませんので、今は表情もポーズも私の思うままです。一番良い表情を描かせてもらいました。いやあ、今日は調子がいい。自分のイメージ通りだ。どうやらこちらは良い人形に仕上がりそうだな」
「え? 『こちらは』って?」
「次はポーズを作らせてもらいますよ。硬くなり始めたらもう作業できなくなりますから急がないと。その時にはもうこうしておしゃべりする事もできなくなりますが」

御厨はとんでもない事をさらりと話し始めた。
自分が人形になる? しゃべることもできなくなる? 茉奈にはその意味が理解できなかったが、今の自分が思うように体を動かすこともできずに部屋の中に立たされているのは事実だった。

「な、なによそれ、いや、元に戻して、美衣先輩はどこ?」

かろうじて動かせる目だけを左右に動かして部屋の中を見回す。だが視界の中に美衣はいない。
突然、ドアが開いた。
入ってきたのは美衣だった。だが少し様子がおかしい。茉奈を見る目がさっきまでの美衣とまるで違っていた。
それは親しい後輩を見る目ではなく、モノを眺める目だ。

「ふ~ん、素敵な人形が出来上がりそうだね、父さん」
「ああ、もう少しで完成するぞ。見ていろ、私の最高傑作に仕上げてみせる」
「ふふっ、楽しみだ」

御厨の言葉を聞いて再び茉奈を一瞥した美衣は、ふふんと笑う。

「せん…ぱい、何言ってるの、あたしは人形じゃない。あたしは……え?」

美衣に続いてもう一人狭い部屋に入ってきた。それは茉奈自身だった。さっきまで自分が着ていた服を着ている。

「茉奈! これが茉奈なのか?」

おどおどした表情で入ってきたもう一人の茉奈は、部屋の中に置かれた茉奈に気がつくと、驚いた表情で歩みを止める。

「そう、本物の月野茉奈。さっきまではね。でも、これはもうただのお人形さん。今日からはあなたが本物ですよ、先輩」

美衣がもう一人の茉奈の事を先輩と呼ぶ。

「おっと、今は僕のほうが先輩か。先輩、僕のことを美衣先輩って呼ぶんですよ」

そう言って美衣はにやにやと笑う。明るくて開けっ広げな性格の美衣らしくない笑い、それは茉奈に見せたことのない嫌らしい笑いだった。

「美衣先輩が変……あたしがもう一人……なにがどうなって」
自分の困惑を表情に表すこともできない茉奈は、ただ御厨によって作られた笑顔のままつぶやくしかできなかった。
そんな茉奈にもう一人の茉奈が近寄る。

「こんなつもりじゃなかったんだ。こいつに誘われてここに来たらカプセルみたいな機械に入れられて、全身の写真を撮られて、気がついたら俺はお前になっていたんだ」
「あなた、もしかして……」
だが絞り出すように問いかける茉奈の声を美衣が遮る。

「先輩、いいえ茉奈、それ以上余計なことはしゃべらないでいいわ。本物の月野先輩、教えてあげましょうか。あなたも入ったあのカプセルは人間用の3Dプリンターなんですよ。一度全身の情報をスキャニングすれば体はおろか、その全てを他人に印刷できる。記録した情報を他人に印刷することで、姿がその相手に変わってしまうんです。いや姿だけじゃない、DNA情報まですっかり変わってしまうんです。そして変化したDNAは少しづつ体の内側まで侵食して、今までの正常な細胞と取って代わってしまうんです。細胞のひとつひとつまで全て本物同じにね、もしフル転写したら……ふふん、最後に記憶も書き換えられてしまうんです。コピーが完全に本物になるんですよ」
偽美衣は美衣の口調で、茉奈に向かって勝ち誇ったような表情で告げる。

「なに……それ、意味わかんない」

茉奈が声を絞り出す。

「だから、あなたの情報を転写された先輩は月野先輩になったんです。遺伝子単位で書き換えられて、そのうち自分のことを本物の月野茉奈だと思うようになりますよ。先輩にはちゃんと説明したんですけどね」
「まさか本当にこんな事になるなんて思わなくって。俺はただ茉奈と一緒にここを回ってみたかっただけで……」
「そうなんですか? 僕が『月野先輩の全てが知りたくないですか? 月野先輩になってみたくないですか?』って聞いてみたら、先輩は興味深々みたいでしたけど。約束の時間にちゃんとここに来てくれましたし。だから先輩をご希望通り月野先輩にしてあげたんです」

偽美衣がもう一人の茉奈を見てにやりと笑う。

「違う! 俺は茉奈を驚かそうと……そりゃ茉奈の事をもっと知りたいとは思ったけど、俺自身が茉奈になりたいなんて、そんな事考えるわけないだろう」
「あれ? でも僕はちゃんと伝えたはずですよ。先輩も最後に『わかった』って言いませんでしたっけ」
「それは、その……でもどうして俺を茉奈の姿にしようと思ったんだ」
「だって、有名人の二人がいきなりいなくなったら大騒ぎでしょう。この蝋人形館に行ったっきり行方不明だなんて事がわかったら、真っ先にここは警察に捜査されますからね。だからアリバイ作りの為に今日からしばらく僕と先輩が二人の身代わりをやるんです。ある程度時間が経ったら失踪してもらいますけど。あ、もし先輩がお望みならずっと本物の代わりをやってても構わないんですよ。つまりこれから先輩が本物の月野茉奈になるんです。どうですか?」
「俺が今日から茉奈として……」
「そうです。明日からその姿で学校に行くんです。月野先輩の制服を着て登校して、月野茉奈として学校生活を送るんです。あなたは学校で人気者の彼女になれるんですよ。バトミントンの国際試合だって僕と先輩でダブルスを組んで出場する。二人で美衣先輩と茉奈先輩をやるんです。今のこの体なら、僕たちはトッププレーヤーの彼女たちと同じように動けますよ」
「お前……」
「もっともこれからは、僕たち先輩後輩の立場が逆になりますけどね……ということで、わかったわね、茉奈!」

偽美衣がしゃべり方を美衣の口調に変える。

「ね、この口調、美衣先輩そのものでしょう。美衣先輩の記憶、しゃべり方が僕のものになっていく、なんて不思議な気持ちなんだ。着ているこの服も、下着も、明日から学校に着ていく先輩の制服も全部僕のもの。ああ、素敵だ。試合を見てて興奮していたんだ。その胸、腰、そして股間のアソコ、それが今自分のものだなんて、素敵だ」
両胸に手を沿えて揉み、そして右手を滑り下ろすと、ミニスカートの上から股間をさする偽美衣。
「もうすぐ美衣先輩の全てが僕のものになる。僕が美衣先輩になるんだ」
恍惚とした表情で偽美衣は自分で自分の体を抱きしめている。
それを固まってしまった笑顔と茫然とした表情をした二人の茉奈は見つめていた。

「茉奈はこれからどうなるんだ」
「彼女は今日からここの展示物のひとつにです。永遠に……いや、もしも人気が無くなったら撤去されるのかな。それは父さ……館長次第ですけど、でもこんな格好で飾られ続けるなんて、ちょっとかわいそうかな、けけけ」

下品に笑う、偽美衣。
「そんなこと……茉奈は元に戻せないのか?」
「私が説明しよう」

もう一人の茉奈が振り返ると、御厨が空の注射器を持って立っている。

「この薬を血管注射することで、血液、ひいては全身が短時間に蝋化して全身を完全に固めることができるんですよ。つまり、生きていながら蝋人形を化す薬と言うわけです。既に彼女たちにはこれを注射しました」
「俺が聞いているのはそんなことじゃない」
「元に戻せるか、ですよね。無理です。蝋人形になったらこのままここに飾るんです。もし飽きられたら撤去しますし、壊れたら処分するしかないですな。なにしろこれはもう蝋人形ですから」
「……『これ』って……壊れるって……」
「ぞんざいに扱うと、腕が取れたり、折れたりすることもありますので。展示価値の無くなった壊れた人形は廃棄処分するしかないでしょう」
「き、貴様、茉奈はモノじゃないぞ」
「いやいや、これはもう私が作った造物のひとつです。あなたそっくりに作られた蝋人形、ねえそうでしょう。月野茉奈さん」
「貴様、何を言ってるんだ」
「もうあなたが本物の月野茉奈なんですよ。もうすぐDNAのひとつひとつまでが全部そうなる。さっきこちらの風祭美衣さんがおっしゃってたでしょう」
御厨は笑って偽美衣をちらりと見る。
「ど、どうしてこんなことをする」
「私はヒトそっくりの蝋人形を作りたかった。でもそれがどうしてもできなかった。そんな私にある方が声をかけてくれた。そして私はこの薬とあの機械をいただいたんです。これを使えば思いのままに本物と瓜二つの蝋人形を作ることができる。おかげでこんな蝋人形館まで運営することができて、私は大変満足しています」

こ、こいつ……

偽茉奈は、御厨がどこか狂っていると思った。
このままでは自分が月野茉奈をやるしかないのか、茉奈を、好きだった茉奈にあたしがなる、あたしが茉奈……あたしが? 違う。

頭の奥から湧き上がる声に、偽茉奈は思わず頭を振った。

「どうしました?」
「あたしは……ちがう、俺は茉奈じゃない。オレ……あたしは茉奈じゃ……」
「そろそろ記憶と自我の侵食が始まったようですね。二週間も経てば、先輩は元の自分の記憶を完全に忘れて、本物の月野茉奈だって思うようになりますよ」

偽美衣が笑う。
そんな悪夢のような光景を、動かせない笑顔で茉奈は見ているしかなかった。
そこに烏山千歳が入ってくると、対照的様子の二人に声をかける。

「そろそろ閉館の時間です。風祭様、月野様、本日はお越しいただきありがとうございました」
「そうか、もうそんな時間なんだ。それじゃ帰りましょう、茉奈」
「え? そ、そんな」
「明日も早朝練習なのよ。試合が近いんだからのんびりしてらえないわよ」
偽美衣がすっかり本物の美衣の口調になって、偽茉奈の手を引っ張る。

「そんな……あたしにはまだ聞きたいことが」
「お話はもうおしまい」
「ま、待って、置いていかないで……いや、このまま人形になるなんていや、助けて!」

だが、偽美衣も千歳も御厨も人形化した茉奈の悲痛な声に耳を貸そうとしない。その声を背中に残して偽美衣に押されるように部屋を出た偽茉奈は、千歳に伴われて半ば強引に蝋人形館の玄関から外に出された。

「じゃあね、茉奈。一人で帰れるわよね。勿論、月野先輩の家に……ね」
偽美衣はそう言って駅の雑踏に消えた。
一人残された偽茉奈、いや月野茉奈になってしまった山田卓也はその場にただ立ち尽くすしかなかった。



それから二週間後、正式にオープンした『Mr.タトゥの館』を制服姿の風祭美衣と月野茉奈が訪れていた。TVレポーターを伴って。

「うわぁ、よく似てますね、ほんとにお二人が試合しているみたいです」
レポーターがマイクを片手に感嘆の声を上げる。
バトミントンコートに模した展示コーナーには、ダブルスのフォーメーションでラケットを構えた、ユニフォーム姿の二人の蝋人形が展示されていた。

「御厨館長、これは昨年の全日本オープンの決勝戦を元に作られたと聞きましたが」
「はい、その通りです。我ながら素晴らしい出来に仕上げることができたと思いますよ」
一行の案内についた御厨が、両手を後ろ手に組んだまま胸を張ってレポーターに答える。
「ほんとにあたしたちにそっくりよね。これじゃ、どっちが本物かわからないわ」
そう言って手を広げ、美衣が笑った。
「そんな、なに言ってるんですか、美衣先輩が本物に決まってるじゃないですか。あれは蝋人形なんですよ」
「ふふっ、そうね。あの茉奈だって、あなたが本物なんだよね」
「勿論ですよ。今年の全日本もがんばりましょう、美衣先輩」
「そうだね、がんばりましょう、せんぱい」
「え? 今、なんて?」
「ふふっ、何でもないわ」
「おかしな先輩」
向かい合って笑う美衣と茉奈。
二人は、館長に案内されながら二人は報道陣を伴って次のブースに移っていった。

チガウ、アタシガホンモノノアタシナノ、ダレカ、キガツイテ、ダレカ

カメラマンの一人が立ち止まって振り返る。だが首をかしげると再び一行を追いかけていった。

タスケテ、ダレカ、タスケテ


(終わり)














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