叶えられた願いV
【その4】

作:toshi9



「はぁはぁはぁ、全くひどい目に遭ったぜ」

 ビルの角を曲がって立ち止まった俺は、はぁはぁと荒い呼吸で胸を押さえた。
 俺の右手の下では、大きな胸の膨らみが息継ぎする度に上下していた。
 そして俺が着ているのは、さっきまで荻野由布子が着ていた服だ。
 つまりもみくちゃの中で、人形が最後に触れたのは由布子だったという訳だ。

 俺は再び由布子になっていた。

「さてとこれからどうするかな。いずれにしても、しばらく元に戻らないほうが良さそうだな」

 騒ぎの原因は俺が乗り移る度に俺のことを好きになるよう彼女たちに思い込ませたからだが、まさか全員がここで鉢合わせになるとはな。

「とにかく後のことは俺の体に任せることにして、しばらく荻野ちゃんのままでいることにするか」

 あの後どうなったのか怖いが、まあ俺の体が何とかしてくれるだろうさ。
 能天気に俺は夕暮れの街を歩き出した。

「さて、これからどこに行ってみる……待てよ!?」

 由布子の記憶を確認してみた俺は、面白いことに気がついた。

「なんだ、荻野ちゃんって今夜松中とデートの約束をしてたんじゃないか。松中との約束をすっぽかして俺とデートに行こうとしてたんだ。なるほどね」

 由布子の顔でにやっと笑う。

「でもせっかくのデートをすっぽかしちゃいけないよな、うん。それじゃこの俺が荻野ちゃんとしてデートしてやるとしますか。松中君ってどんな顔をして女とデートするのかな、うふふ、楽しみ」

 俺は松中との待ち合わせ場所に着くと、奴が現れるのを待った。
 それにしても女としてデート相手の男を待つというのも変な感じだ。しかも相手があの松中なんてな。
 時々ナンパしてくる男を軽くあしらいつつ、俺は松中を待った。
 そして約束の時間ぴったりに奴は現れた。
 俺のことに気がつくと、にこやかに手を振ってこっちに向かってくる。

「くぅ〜、気取りやがって」

 内心でそう思いながらも、俺も笑顔で手を振り返してやった。

「荻野さん、待ったかい?」
「ううん、あたしも来たばっかりだから」
「そうか、じゃあお互い時間通りという訳だ」
「うふふ、そうだね。で、今夜はどこに行くの?」
「ワインの美味しい店を見つけたんだ」
「そっか、楽しみ」

 よしよし、今夜はおごってもらうとするか。せいぜい美味いワインをご馳走になるぜ。中身がライバルの俺だとも知らずにご馬鹿な奴だ。
 だがそんなことを考えているなどとはおくびにも出さず、俺は松中と腕を組んだ。

「行こっ」

 そして松中とのデートが始まった。
 松中が予約していたワインバーに着くと、松中の語るワインの薀蓄を聞きながらグラスに注がれたワインを飲み、そして皿に盛られた料理をほおばる。

「このスパークリングワインは、シャンパーニュ地方の中でも……」
「この白は、カリフォルニアのナパバレーで……」
「この赤は、ボルドー最高の当たり年2005年に作られた……」

 松中が選んだワインはどれも美味かった。
 全くいい気分だった。
 そしてついつい飲みすぎてしまった俺は「荻野さん、荻野さん」と傍らから呼びかける松中の声を遠くに聞きながら、いつの間にか眠り込んでいた。




 気がつくと、俺はベッドの上に横たわっていた。

「ええっと、3杯目の赤を飲んで、それからどうしたんだったっけ。ここは?」

 見回すとどうやらホテルの一室のようだ。高層階なのだろう、窓のはるか下に夜景が広がっている。遠くには鮮やかにライトアップされたレインボーブリッジが見えた。

「ここってどの辺り……いててて、しまった、荻野ちゃんって酒に弱いんだ」

 二日酔いをしたかのように頭が痛い。俺自身は酒に強いのでついぐいぐい飲んでしまったが、どうやら荻野由布子の体はアルコールに弱いらしい。すっかり酔いつぶれてしまったようだ。いや失敗失敗。

「そう言えば松中の奴は……いや、それよりも人形は何処だ??」

 ベッド脇のソファーにハンドバックが置かれているものの、持っていた筈の人形が何処にも無いのに気がついた俺は慌てた。
 飲んでいる途中からの全く記憶がない。くそう、どこで落としたんだ。人形が見つからないと、どうやって元に戻るかわからないんだぞ。
 焦る手でハンドバッグの中身をひっくり返したものの、人形は入っていない。

「やあ、目が覚めたかい?」

 その時、シャワールームからパイル地の白いガウンを着た松中が出てきた。

「ま、松中、お前が俺を運んだのか」
「俺?」
「いや……あの、あたしいったいどうしてここに」
「ワインバーですっかり眠り込んでしまったから、俺がタクシーに乗せてここまで来たのさ」

 にこやかに答える松中。

「な……ねえ、ところであたしの人形を知らない?」
「人形? そう言えばタクシー乗った時には荻野さん持ってたね。うーん、タクシーの中に置き忘れたんだな。明日タクシー会社に連絡してみるよ」
「そっか、タクシーに置き忘れたんだ」

 人形の有りかがわかって、俺はほっと胸をなで下ろした。

「それより荻野さんもシャワーを浴びたら?」
「え? シャワーって?」
「何言ってるんのさ、今夜はここに泊まる約束だったろう。君だって嬉しそうだったじゃないか」
「そ、そうかな」
「さあ、早くシャワーを浴びて来いよ」
「う、うん」

 押し込まれるようにシャワールームに入った俺は、汗で体がべたべたしていることもあって、とりあえずシャワーを浴びることにした。
 明日タクシー会社から人形を届けてもらえば元に戻れるんだし、今夜は安心して楽しむとしますか。
 服を脱いでシャワーを浴びると、もやもやした気持ちも吹っ飛んだ。とにかく気持ちいい。
 肌の上で弾かれるお湯の感触が心地よかった。
 シャワールームの鏡に、裸の荻野由布子がこっちを向いて映っている。
 大きな胸、細い腰、そして何も無い股間。
 これが今の俺なんだ。
 股間に手を伸ばし、そこに確かに男のモノを受け入れる溝が存在することを確認する。
 このままだと、この後は松中とえっち、この中に松中のナニを入れることに……うーん、いいのか。
 だが俺の中に由布子の気持ちが湧き上がってくる。

(ちょっぴりこわいけど、松中君とえっちするのを付き合い始めてからずっと待ってたんだ)

 松中よりも俺のほうがもっと好きなんだと思い込ませた筈なのに、心の中にまだあいつとえっちしたい気持ちが残っているんだ、くそっ。
 俺はここでも松中に負けたような気がして不満を覚えたものの、このまま由布子として振舞ってみるのも面白い。
 えっちした後で「お前が抱いた女は実は俺だったのさ」とからかってやるのも面白いかもな。
 俺は裸の体にバスタオルを体に巻いてシャワールームから出た。
 そして案の定、松中にベッドに押し倒されてしまった。

「きれいだ、由布子」

 俺を抱き締めながらディープキスけする松中。舌が俺の口の中に強引に入って口の中で俺の舌を絡め取ろうと動き回る。そして二人の舌が絡まり合うと、さらに口を強く押し付けてくる。

「ん〜、ん〜」

 気持ちいい、気持ちいいんだが……ほんとにいいのか、俺。
 男相手にえっちするのは気持悪いという抵抗感もあった筈だが、いざ奴との行為が始まると求める気持ちがそれを上回っている。 今の俺は由布子の感情に支配され始めているということなのか。

 もっと、もっと、もっと抱いて。

 体が松中を求めている。その欲望に抗えなくなった俺は、奴をぎゅっと抱き締めていた。
 再びディープキスを交わす。今度は俺のほうから奴の口の中に舌を伸ばしていた。
 一方松中の手は素早く俺の体に巻いたバスタオルを外すと、俺の胸に伸びていた。

「あん」

 胸を大きな手で撫でられ、俺の中に電流が走る。
 少し強引さを伴ったその手の感触は、自分で撫で回すのとは全く違うものだった。
 さらに俺の体中を愛撫する松中。
 俺はその快感にすっかり翻弄されていた。
 やがて起き上がった松中が自分のガウンを外す。その下には何も着ていなかった。

「お、俺のよりでかい」

 すでにそそり立っているそれに、思わず息を呑む。
 アレがアソコに入ってくるなんて怖い。でも……でもアレが欲しいの。
 って俺、何を考えているんだ。
 そんな俺の揺れる気持ちを知ってか知らずか、松中は俺に覆いかぶさってきた。
 俺の両足の間に自分の体を押し込むように。
 股間に触れる生暖かい感触に、思わず腰を引いてしまう。

「怖いのかい?」

 松中が優しく聞く。
 その表情が、俺の胸を思わずキュンと締め付けた。

「ううん」
「じゃあ……もう少し脚を開いて、さあ力を抜いて」

 俺は奴に言われるままに脚を開いて下半身の力を抜いていた。股間に触れていたモノが力強く俺の中に入ってくる。

「あ、ああん」

 気持ち悪い、でも気持いい。
 俺の中に入り込んだ異物が動き回るその感触に、快感と悪寒が交錯する。だがそれは徐々に快感だけに変わっていく。
 いつの間にか、俺は自分の腰を松中に押し付けていた。
 
「あん、あん、あん、いい、いいの、いいの」

 抱きついた俺の体を松中がくるりと回すと、今度はバックから俺は突かれていた。四つんばいになった俺の上から覆いかぶさるように抱きついた松中は、背中から回した両手で両胸を揉み、指先で乳首を挟んで弄ぶ。そしてさらに突き込むように腰を俺に向かって動かした。

「うあん、あ、あひ、何これ、いい、あ、ああん」

 そして再び正常位に戻って抱き合う。
 俺はすっかり由布子に成りきって抱かれていた。

「あああん、いい、とっても、ああ、いい、奥に当たって、だめぇ」
「うおっ、そろそろだ、いくそ」

 俺の中で動き続けていたペニスが急激に膨らんできたのがわかる。
 お、俺も何かいきそうだ。
 体の中で弾きかけている快感に、ぎゅっと両手と両脚を松中を絡みつかせる。

「あたしも、ああ、い、いく、いく、いく〜〜〜」

 その瞬間、俺の中で怒張しきった松中のペニスから勢い良く奴の精液が俺の子宮に向かって注ぎ込まれた。
 意識が真っ白になるような快感の中、俺はそれを体の奥で受け止めていた。

「はぁはぁはぁ」

 折り重なるように二人でベッドに崩れ落ちる。
 そしてベッドに横たわった俺の髪を優しく撫でる松中。 

「良かったよ、由布子」
「うん」

 俺の女としての初体験が終った。
 俺は涙目で松中の顔を見詰めていた。そしてある気持ちが入道雲のようにどんどん膨らんでいた。
 松中君、好き。
 それは元々の由布子の気持ちなのだろう。だが今や男の俺の意識を覆いつくそうとしていた。
 俺はベッドの中で幸せに満たされていた。




 目覚ましが鳴る。

 俺たちはベッドの中で抱き合ったまま朝を迎えた。
 目覚ましは6時を指していた。
 松中が優しく俺を起こして口づけをする。

「愛している、由布子」

 松中の腕の中に抱かれたまま目覚めた俺は、とても満たされている気分だった。
 この人が好き。俺の体がそう訴えている。
 興味があったとは言え、男に抱かれるなんて昨日までは考えられないことだった。ましてや松中に抱かれるなんて。それなのに今の俺は幸福感で満たされている。
 「あたしも」と言いかけて、だが俺はようやく言葉を飲み込んだ。
 くっ、だ、駄目だ、このままでは……
 俺は奴の腕をはね除けるようにベッドから出ると、パンティとブラジャーをつけながら言葉を絞り出した。
 心の中で「違う違う」と抵抗している気持ちをようやく押さえつけながら。

「へたくそ」

 唖然とする松中を置いてホテルを出た俺は、昨夜の松中とのえっちを小坂明雄と経験した事として記憶をすり替えようとした。
 俺を抱いて腰を動かす松中の顔を、強引に俺の顔に変えようとしたのだ。だが……

 小坂さんのって大きい。でも松中君のほうがもっと大きくって、いやそうじゃなくって。
 ああん、小坂さん大好き。でも松中君のほうがもっと……待て待て。
 小坂さんにまた誘って欲しいの。ううん、松中さんと会いたい。今すぐに。

 くっ、駄目だ、できない。
 結局いくら俺の顔を思い浮かべようとしても松中の顔になってしまう。
 道路にしばし立ち止まった俺は、結局ホテルに向かって引き返していた。
 心の中で叫びながら。

 松中君、大好き。




 その頃、あの雑貨屋で店内を見回っていた店主は、並べられた雑貨の中にある物を見つけてその手に取っていた。

「おやおや、また帰ってきてしましたか。使い始めて24時間を過ぎると元に戻れなくなると忠告しようとしましたのに、やはり駄目だったようですね」

 それは小坂明雄に売った筈の人形だった。
 店主は人形の中に仕込まれたままの髪の毛を取り出してポイっと捨てると、少し汚れたその顔を布で丁寧にふき取り、そして再び棚に並べられた雑貨の中に置いた。

「さて、次は誰があなたの持ち主になるんでしょうね」




 それから5年が過ぎた。
 俺は公園のベンチに座って目の前で遊ぶ娘を見ながら、あれからの事を思い返していた。そう、俺はあれ以来荻野由布子として生きることになってしまったのだ。
 結局あの後人形は見つからなかった。翌日も、そのまた翌日も。
 俺の意識は元の体に戻ることはなかった。
 今ではもう元の俺に会っても、それが自分の体だったと感じることもできない。

 俺の体はどうしているって?
 激しい争奪戦の末、俺の体を射止めたのは、ビーチバレーの朝丘美紀だった。
 元々俺ってああいう純真なタイプに弱いからな。

 人事部の斉藤杏子は人事考課の改竄がバレて総務部の一般職に降格になってしまった。彼女は今も独身のようだ。
 朝丘美紀は元の俺と結婚した後も、現役選手としてビーチバレーを続けている。テレビで映し出される会場には、彼女を応援に来ている俺の姿がよく映し出されていた。
 アナウンサーの坂本岬は相変わらずアクティブに活動しているようだが、最近桜木サトルと婚約したという話題が芸能ニュースを賑わせている。
 宮村飛鳥はどうやらあの自動車会社の部長婦人に納まったらしい。あの部長は飛鳥との不倫がバレて、前妻と離婚した末に飛鳥との再婚に踏み切ったようだ。
 高校を卒業した山中麻衣は本格的にレースクイーンとしてがんばっているという。

 そのどれもが、会社の前でもみくちゃになった後、もしかしたら俺が送ったかもしれないもうひとつの人生だ。

 そして俺、いいえあたしは松中君と結婚した。今のあたしは松中由布子だ。
 ホテルの一件は彼のプライドをいたく刺激したらしいけど、逆にあたしを必ず自分のモノにすると決心したようだ。「へたくそ」と言ったあの時、あたしは松中君のハートをがっちり射止めてしまったという訳だ。
 彼から指輪をプレゼントされ、そして「結婚しよう」というプロポーズの言葉を告げられた時、あたしは彼に抱きついて泣いた。
 以前はライバルだと思っていた相手との結婚だけど、それもいいかもね。

 その後会社を寿退社したあたしは、今は彼の良き妻として、そして二人の娘の母としての生活を送っている。
 これでよかったんだろうか。時々記憶から薄れていく男時代の事を思い出しながらそう考えることがある。
 だが、目の前で駆け回る娘たちの姿を見ると、幸せを感じるのだ。

「早紀ちゃん、そんなに走ったら危ないでしょう。あらあら、また転んじゃって」

 あたしは泣き出した娘の元に慌てて駆け寄った。

 願いは叶ったんだろうか、願い? あたしの願いってなんだろう。
 でももうそんな事どうでもいい。
 夫がいて娘がいる、あたしは幸せ。


(終わり)

                                    2009年7月11日 脱稿

(後書き)
 難産でした。ecvtさんから以前から「叶えられた願い」の強い続編要望をいただいていたんですが、自分の中で「叶えられた願い」は「2」で終った作品だという思いもありましたし、とは言え同じ設定でまたまた別作品を書くのもなぁとなかなか気分が乗らず、ずっと書き始めることができませんでした。きっかけはecvtさんから投稿していただいている「転身」ですね。天衣無縫に進められる展開、そしてecvtさんとエビワラーさんからの再度のリクエストに、続編を書いてみようという火がつきました。でもそこからが大変でしたね。昔ecvtさんから着物美人に明雄が転移した展開を読みたいと言われていたので【京都編】と銘打って、小坂明雄が修学旅行生に憑依して京都に行き、そこで料亭の女将や舞妓に転移していく展開を考えたのですが、なかなかプロットがまとまらず、結局【京都編】は断念して、代わりにお台場周辺の話を中心に持ってくることにしました。それでも完成まで約4ヶ月。時間かかったなぁ。
 何はともあれ完成して良かったです。そして読んでいただいた皆様に少しでも楽しんでいただければ幸いです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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