町中の路地裏にその店はあった。それは古ぼけた雑貨屋。名前を「天宝堂」と言う。そこには思いもかけない不思議な力を持つ品物が売られていることがあるらしい……。

 そして、かつて森田祐一が手に入れた不可思議な人形も、何時の間にか再びこの店に並べられていた。

 まるで新らしい持ち主を待ち望むかのように。






 叶えられた願いU(その1)

 作:toshi9






 その日都内の某商社に勤める営業マン・小坂明雄は、勤務時間中にもかかわらず、古びた雑貨屋の前に営業車を停めていた。前日の夜、会社帰りにふらりと入ったその店で見つけた人形を無性に手に入れたくなってしまったのだ。

 明雄は車から降りて「天宝堂」という看板の掲げられた店の中に入ると、所狭しと商品が並べられた店内をまっすぐに人形が置かれていた場所に向かった。

「あった」

 そう、人形は昨日の場所にそのまま置かれている。その古くエキゾチックな人形の前で腕組みしながら、しばしじっと眺める明雄。

 やがておもむろに手を伸ばした明雄だが、そんな彼に声をかける者がいた。

「いらっしゃいませ。おや、お客様は昨日もおいでになられていたのでは? お気に入りのものが見つかりましたか?」

 振り向くと、そこには色眼鏡をかけた店主らしき男が立っている。

「え? あ、いや、この人形って何かいいなって思ってね。古いし、雰囲気あるし、博物館かどっかに並んでてもおかしくないなって思いながら見てたんだ」

「ほう、それはお目が肥えられている。その人形は南米のさる遺跡で発掘されたインカ帝国の秘宝です」

「秘宝!?」

「はい。遥か昔、かの帝国が全盛の頃、代々王家で使われていたと聞いております」

「使われていた? 飾られていたの間違いじゃないのか」

「いえいえ、その人形には由緒正しい使い道があったらしいようです」

「ほお、由緒正しいねえ。はて、どんなことに使われていたんだい?」

「それはお求めになられた後で、ご自分で確かめられては如何かと。購入されても後悔されることは決して無いかと存じますが」

「なるほど。ところであんたこの店の店主かい」

「左様で」

「店主、あんた商売上手だな」

「恐れ入ります」

「後悔することは決して無いか。よし、買った。店主、いくらだ」

「ありがとうございます。それでは……これ位で如何でしょうか」

 店主は手に持っていた電卓のキーを叩くと、男にその額を示した。

「ほう、安いな。そんな値段でいいのか」

 店主が示した額、それは彼が予想していた値段よりもずっと安いものだった。

「はい。どうやら人形もお客様を気に入った様子でございますし」

「人形も気に入った?」

「いえ、何でもございません」

「とにかく、その値段なら異存は無い。これでいいのか」

 俺は数枚の紙幣を取り出すと店主に渡した。

「まいどありがとうございます」

「さてと、それじゃあその由緒正しい使い方とやらを教えてくれ」

「はい。この人形を使うと望みの相手を思いのままにできるということでございます。その昔、かの王室はこの人形を使って戦をすることなく大帝国を築いたということでございます」

「ほう、それで具体的にどうすれば良いんだい」

「人形の背中に小さな扉があります。その扉を開けて、髪の毛でも爪でも自分の体の一部をそこにお入れください」

「扉? ああ、これか」

 明雄は人形の背中に扉らしきものを見付けるとそれを開け、自分の髪の毛を1本引き抜いて中に入れてみた。

「店主、入れたぞ」

「はい、それで大丈夫です。後は思いのままにしたい相手に人形を触れさせると良いと」

「触れさせるだけで良いのか?」

「はい」

「ふ〜ん、早速試してみたいもんだが」

 人形をじっと握り締めてしばし思案する明雄だったが、突然そんな彼の背中越しに店主に向かって声を掛ける者がいた。

「お〜じちゃん」

「おや、お嬢ちゃんまた来たのかい」

 顔を上げた店主は軽く口元を緩ませると、明雄の後ろに視線を移した。

「うん♪」

 明雄が振り返ると、彼の後ろにつばの広い帽子を被った白いワンピース姿の女の子が立っている。

 女の子は、振り返った明雄を見てにっこりと向日葵のような笑いを浮かべた。

「おじさんって、何か悩み事があるんじゃないの?」

「俺はおじさんじゃない。おにいさんだ」

 明雄を指差す女の子に、明雄は憮然とした表情で答えた。

「ふ〜ん。じゃあおにいちゃん、何か困っていることがあったらあたしが相談に乗るよ。あたしはこういう……ひっ!」

 女の子はポシェットから紙片のようなものを取り出して明雄に向かって差し出そうとしたが、彼女の指先が明雄の持っている人形に触れた途端、急にその表情を引きつらせた。

「お嬢ちゃん、どうした……うっ!」

 明雄は倒れようとする女の子を抱き止めようとしたが、その瞬間彼の視界は暗転してしまった。






「……お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」

 誰かが肩を揺り動かしている。どれくらいの時間が経ったのか、意識を失っていた明雄はようやく目を覚ました。

「う、う〜ん、どうしたんだ、急にめまいが」

 うっすらと目を開く明雄。そんな彼を誰かが覗き込んでいる。

「急に倒れるからびっくりしたぞ。お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「すみません。急に立ちくらみが……って、え? お嬢ちゃん? 俺のこと? あれ? けほっ、けほっ、な、何か声がおかしい」

 ぼやけていた視界が段々とはっきりしてくる。

 彼の肩を抱きとめているのはどうやら男のようだ。それも明雄よりもかなり大きい大男だった。明雄の目線はその男の胸元までしかない。

「どうもご迷惑を。も、もう大丈夫ですから。え!?」

 お礼を言いながら大男の顔を見上げた瞬間、明雄は絶句した。

 そう、明雄の目の前にいる大男は明雄自身だったのだ。

「お、俺? 俺がいる!?」

 慌てて自分の体を見下ろした明雄だが、彼は己の姿を見てさらに驚愕した。

 小さく華奢な体。そしてその肢体に纏ったレースをあしらった白いワンピース、気がつくと頭にはつばの広い帽子を被っていた。

「俺は、俺はだれだ。俺? 違う、あたしは……困っている人を助けるの。それがあたしのお仕事。あたしはこういう……」

 その小さな手には、さっき明雄に差し出そうとしていた紙片がまだ握られていた。

 ふっと頭に思い浮かび上がった女の子の記憶に引きずられるかのように、その紙片を目の前の明雄に向かって差し出そうとした明雄だったが、もう一人の明雄は彼が意識を取り戻したのを確かめると、その紙片に書かれている内容を見ようともせずに立ち上がった。

「じゃあ店主、また来るよ」

 そう言い残して、明雄の目の前のもう一人の明雄は店を出て行った。紙片を差し出したままの格好で、その後姿を呆然と見送る明雄だった。

 その両脚の間を、ヒュ〜〜と隙間風が通り抜けていく。

 固まったままの明雄……いや、白いワンピースを着た女の子に、店主がにこにこと笑いながら話しかけた。

「如何ですか、人形の効果は」

「あたしは……い、いいや、違う、俺は小坂明雄だ。おい店主、俺は一体どうなったんだ」

「あなた様が今体験なさっている通りです。今あなたはその女の子になっているのですよ」

「というと」

「それが人形の効果なのです。即ちその人形が誰かに触れると、触れた相手に人形の持ち主の意識が移ってしまうのです。つまり先ほどその人形にその娘の指先が触れた時、あなたの意識はその女の子に移ってしまったのですよ。しかも今のあなたにはその女の子の記憶もあることと思います。ですから単に意識が移っただけではなく、あなたがその娘として行動しようと思えば、すぐにでもそれができる筈です」

「俺の体はどうなったんだ。さっきのあれは……俺と話していたのは俺だったぞ」

「はい。あなたの元の体は、あなたの意識が離れている間も勝手に、いや自動的にあなたとして行動するのです」

「へ!? じゃあ、今、この世に俺が二人いるってことか」

「いいえ、今のあなたはその女の子になっているのですから。あなたという人間は一人だけです」

「??? とにかく俺を、早く俺を元に戻せ」

「ご心配なく。先ほど人形の中に入れた髪の毛を取り出せば、その瞬間にあなたの意識は元の体に戻ります。いや、もうそろそろ元に戻られたほうがよろしいでしょう。なにせその娘も只者ではありませんので……」

 店主の説明を聞きながら、明雄は段々と自分の意識が混沌とし始めているのを感じていた。心の内から、この世の中の困っている人を助けてあげたい……あたしにできることだったら何が何でも……そんな衝動とパワーがどんどん湧き上がってくる。

「俺は……いいえあたしは……いや、違う……」

 頭の中で何かがもぞもぞともたげてくる。その感覚に明雄は頭を抱えてしゃがみ込んでいた。






 どれ位時間が経ったのだろう。明雄がふと頭を上げると、彼の目の前には店主ではなく今の自分と同じ姿をした白いワンピース姿の女の子が立っていた。

「おに〜ちゃん」

「き、きみ……」

 にっこりと笑う女の子。

「おに〜ちゃん」

 今度は明雄の右側から女の子の声がする。そちらを向くと、やはり女の子が立っている。

「おに〜ちゃん」

「おに〜ちゃん」

 左からも、後ろからも声がする。

 明雄が振り返る度に、二人三人と女の子が増えてくる。みんな広いつばの帽子に白いワンピース、そう、同じ顔、同じ姿だ。

 声はいつしか木霊のように明雄の周りから一斉に湧き上がっていた。

「え? え?」

「おに〜ちゃん」
「おに〜ちゃん」
「おに〜ちゃん」

 明雄の周りに立つ女の子はなおも増えていく。

「おに〜ちゃん」
「おに〜ちゃん」
「おに〜ちゃん」

 やがて明雄の周りをびっしりと埋め尽くした女の子たちは一斉に笑い始めた。

 けらけらけら
 けらけらけら
 けらけらけら

「や、やめろ、あう……う、うぁわ〜〜〜」






「どうなされました?」 

「はっ!」

 目の前の店主が不審そうに尋ねる。そう、気がつくと明雄の周りにいた女の子たちは一人もいなくなっていた。

「はぁはぁ……この世はなんて寂しい人ばかりなの……はぁはぁ……あたしはそんな人たちの役に立ちたいの。あたしは……い、いや、違う! 俺は」

 ぶるぶると頭を振る明雄。ふと気がつくと、左手に何時の間にかあの人形を握り締めていた。慌てて明雄は人形の背中の扉を開けて髪の毛を取り出そうとした。

「さあ、もう人形の効果と使い方はよくおわかりになられたと思います。もうよろしいでしょう。ああ、それから一つ言い忘れていましたが……」

 店主が全てを話し終えないうちに、パニックに陥った明雄は人形から髪の毛を取り出していた。

 途端に彼の視界は暗転した。





(続く)


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