へんたい標本 作:toshi9 挿絵:わりばしさん 主な登場人物 高部仁美 大学1年 おっとりした性格。高校時代に毛須に目をつけられる 栗林結花 大学1年 高部仁美の幼馴染で親友。長身で小さな頃から道場に通う空手の有段者 毛須喜人 大学2年 天才肌だが小柄で性格に難ありと評価されている。仁美に目をつけている 鵜飼裕一郎 大学2年 毛須と同学年。蝶を愛する蝶屋で裏表が無く、毛須の数少ない友人 『幸福と不幸とは、例えるならば蝶の羽根の裏と表にも似ている。』 とある偉人が言ったとか言わないとか……。 高部仁美(たかべひとみ)と栗林結花(くりばやしゆか)は幼馴染で小中高校を通じての親友だった。 絵画が趣味でおっとりした仁美と、小学校入学前から空手道場に通い男子と喧嘩ばかりしていた結花だったが、家がお隣同士の二人は妙にウマが合っていた。小学校時代は家を出るや手を繋いで登校する仲良し同士、中学高校と進学しても部活以外ではいつも二人一緒に行動する、自他共に認める親友として楽しい学校生活を送っていた。 そんな二人の不幸は高校2年の時の毛須喜人(けすよしと)との出会いだった。 最上級生の彼は医学部合格確実と言われた校内きっての天才だったが、小柄で冴えない風貌の為、女子に人気はなかった。それどころか眼鏡越しに女子を見る目はどこか陰湿で執着的なものを感じさせた為に、男子でさえ嫌っている人間のほうが多かった。 仁美と毛須の彼との初めての接点は、秋の学園祭で仁美たちのクラスがメイド喫茶をしていた時だった。 毛須は彼女たちの教室に入ってくるなりテーブル代わりの机に座ったものの、接客するメイド姿のクラスの女子生徒を舐めるように眺めているばかりで一向に注文しようとしない。 「3年生かな、なんかあれキモイよ、座ったっきり女子ばかり見ていて、いつまで経っても注文出さないし、なんか嫌な感じ」 「そうね。あの目つき、ちょっと気持ち悪いね」 「あ、こっち見てる。聞こえちゃったかな。ねえ仁美、注文聞いてきてくれない?」 「うん、いいわよ」 カーテンで仕切られた配膳エリアの前でひそひそと話しかけた結花に促され、仁美は机に座ったっきり動かない毛須の元に注文と取りに行く。 「あの、ご注文はお決まりですか?」 「え、ああ」 呼びかける仁美の声に、教室内のメイドに扮した女子の間に視線を泳がせていた毛須は、目の前に立った仁美に視線を移す。そのアイドルばりのメイド姿の仁美の容姿に毛須の視線はピタリと止まった。 この感じ、結花との会話は聞かれてたなと内心思いつつも、凝視された仁美は反射的に小首をかしげて営業笑いを浮かべる。 「いかがですか? “先輩”」 学章と名札を見て3年の毛須喜人と書かれてるのを確かめ“先輩”というところを強調して問う仁美。言外に下級生にあまり迷惑をかけて欲しくないことを彼女は伝えたつもりだった。 その言葉に、毛須はようやく口を開いた。 「じ、じゃあ、アイスコーヒーを」 「かしこまりました、アイスコーヒーですね」 「それと……」 「え?」 「君の写真……いいかな」 そう言って瑠璃色の蝶柄でデコられたスマホを向ける。 「1枚ならいいですよ」 微笑むメイド姿の仁美を手早くスマホのカメラに収める毛須。 「アイスコーヒーをお持ちしますので、少しお待ちくださいね」 そう言って席を離れた仁美がチラリと振り返ると、毛須はスマホの画面を見てにたーっと笑っている。 その表情を見て、仁美は背筋が寒くなるのを感じた。 カーテンの裏側の配膳室に入ってきた仁美に用意したアイスコーヒーを置いたトレイを渡しながら、結花がぼそっと話しかける。 「あんな変な奴に写真なんか撮らせなくても良かったのに」 「そうね。でも……」 「どうしたの?」 「あの笑い顔って気持ち悪かったんだけど、あたしの写真を見ているのに何か別なモノを見ているというか」 「何それ」 「何て言ったらいいんだろう、写真を見ながら何かを想像しているというか、心ここにあらずというような感じだった。嫌らしい想像をしている感じとも違うし、でもやっぱり気持ち悪いね」 「ふーん、ま、店の雰囲気悪くなるから早くそれを飲んで出て行ってもらうことよね」 そう言って首をすくめる結花。 「そうだね」 えへっと首をすくめて笑うと、アイスコーヒーを毛須のもとに持っていく仁美だった。 そんな事があって以来、毛須はしきりに仁美につきまとうようになったが、結花がボディガード役になって仁美を守るという毎日を送るようになっていた。 事あるごとに二人きりで会いたいと迫る毛須の存在は、仁美にとって迷惑以外の何物でもなかった。 だがそれも毛須の卒業とともにようやく終息し、彼は二人の前に姿を見せなくなった。 三年になった仁美と結花は受験勉強に集中し、めでたく二人一緒にとある国立大学に入学したのだった。 入学早々部活の勧誘オリエンテーリングが始まると、二人は一緒に運動部、そして文科系サークルの部室を巡っていた。 結花の本命は空手部だったが、美術部に物足りなさを感じていた仁美につきあってぶらぶらと部室巡りを続けていたのだ。 「仁美、どお、決めた?」 「うーん、まだなんだけど、どうしようかな」 「仁美も空手やってみない?」 「え〜やだよ。あたしは結花みたいに体動かないし」 「仁美だったらちょっとがんばれば、すぐに上達できると思うけどな」 そんなことを話しながら部室棟を歩いていると、二人はキラキラと光るものが廊下に飾られているのを見つけた。 近づいてみると、それは瑠璃色の羽根を持った蝶が20頭ほど収められた標本だった。その瑠璃色の羽根に窓から差す陽が当たって輝いていたのだ。 「うわぁ、きれい」 「お! 君たちこの蝶に興味あり?」 「え? あの、色彩がとっても綺麗だったで、つい」 「そうか、この蝶は『ミドリシジミ』っていうんだ。綺麗なだけあって、人気があるけど採るのは難しいんだよ」 「あまり見ない蝶ですけど、ミドリ……シジミ? あの、シジミですか?」 「シジミと言っても、そう、貝のシジミとは関係ないよ。小さなこのかわいい蝶の種類を『シジミ』って言うんだ。他にも街中で普通にみかける『ヤマトシジミ』や『ベニシジミ』という仲間がいるけど、この『ミドリシジミ』は……」 蝶の知識を懸命にまくしたて始める上級生に半ば呆れながらも、情熱的に語る彼の印象は仁美にとって悪くはなかった。 「へぇ〜、そうなんだ、詳しいんですね」 「そりゃあ、この部で蝶屋の第一人者と言えば、僕、鵜飼裕一郎を置いて他にいないからね」 「うかい、ゆういちろう……先輩?」 「君たち新入生だろう。僕は2回生、君たちの1年だけ先輩だ。どうだい、僕と一緒にこの蝶を捕ってみないか?」 「え? あたしがこの蝶を? でも捕るのって難しいんでしょう」 「良い採集ポイントがあるんだ。捕るコツは僕が教えてあげるよ」 「で、でも……うーん」 仁美は裕一郎の話に少しづつ引き込まれていたが、隣の結花はあまり興味無さげに聞いていた。元々空手部に入るつもりだったのだが、結花につき合うような形で文科系の各部室を一緒に巡っている途中だったので無理もない。 仁美の袖を結花が引っ張る。 (ねえ仁美、早く次のサークルに行こうよ) (うーん、もうちょっとだけ) 小声で話す二人。その様子を見ていた裕一郎は小さな箱に一頭だけ『ミドリシジミ』が入った標本を彼女の目の前に差し出した。 「自分で捕れば、こんな標本が、世界でひとつだけの自分の標本が手に入るんだ、どうだい? 欲しいと思わないかい?」 裕一郎の話と共に青く輝く羽根を持った標本を見ているうちに、仁美はその宝石を自分のものにしてみたくなった。 それは好きな絵画とはまた違う、仁美が今まで見たことのなかった美しさだった。 「そ、そうですね。ねえ結花、この部に入ってみない?」 「え? ここに決めちゃうの? ま、まああたしは仁美が入りたいなら一緒に入っても構わないけど」 「う、うん、いいかな」 「わかった。あたしは空手部と掛け持ちになると思うけど」 「よし、決まりだ! 新入部員お二人様ご案内〜、さっ、さっ」 二人の会話を聞いていた裕一郎は、二人の背中を押して部室の中に入れた。 「二人ともここに名前と学部学科を書いて」 裕一郎に促されて、二人は入部届に名前を書き込む。 「高部仁美さんと栗林結花さんか。少し練習したらすぐに良い標本ができると思うよ、がんばろうね」 「はい!」 差し出した入部届を受け取った裕一郎に向かって元気に答える仁美。 仁美の様子に苦笑いしながらも、結花も仁美に続いて裕一郎に入部届を差し出した。 こうして入学式後の部活オリエンテーリング初日、裕一郎の絶妙な勧誘によって、あれよあれよという間に仁美と結花は昆虫研究部に入部してしまった。 この選択が二人を取り返しのつかない不幸に陥れることになるのだが、この時の彼女たちにはそれを気づく術もなかった。。 入部してみると、昆虫研究部の内部は蝶だけでなくいろいろな専門分野に分かれていた。 もちろん蝶屋と言われる蝶の専門が一番メジャーでメンバーも多いのだが、その他にバッタ専門、蛾専門といった、素人の仁美からは何が良いのかわからない昆虫を集めている部員もいた。 とりわけ奇妙なものを集めているメンバーがいたのには驚いた。 「そ、それ」 部室の一角の置かれた標本ケースに収められているのは、蚊だった。 様々な小さな蚊の標本が、一つのケースの中に所狭しと整列している。 「どうだい? 凄いだろう、これだけの種類の蚊を集めているのは日本広しと言えども僕くらいのものさ。いろいろ研究してみると面白い特徴を持った蚊がいることもわかったし。とりわけこの蚊は幻の蚊と言われる珍品中の珍品で、ほんとにかわいくって……あれ? 君たち」 「あ、あなた……まさか」 仁美に近づいて説明を始めた男子の顔を見た仁美の表情が変わる。何を言っていいのかわからず、言葉が出てこない、 結花も仁美に話しかけてきた男子の顔を見て蒼ざめた。 それは高校時代にあの学園祭以来、散々仁美にちょっかいをかけていた毛須喜人だった。 彼が高校を卒業する前に最後に会った時より少しだけ大人びていたものの、そのクセのある執着心を感じさせる印象はほとんど変わっていない。 二人の表情の変化を知ってか知らずか、裕一郎が蚊の標本の説明を始めた喜人の紹介をする。 「俺と同じ2回生の毛須喜人君だ。あだ名はモスキート。専門は蚊と蝶で、どっちかというと蚊だな。全く名は体を表すとはよく言ったものさ」 「はぁ、モスキートです……か」 呆然としている仁美を見て口元に笑いを浮かべる喜人。 何かを言いかけたところで、裕一郎が口を挟む。 「おい毛須、そのへんで彼女を解放してあげなよ。二人とも昆虫について何もわからないんだから。困っているだろう」 裕一郎の声に、仁美を凝視していた喜人ははっと振り返った。 「そ、そうか。よろしく、高部さん。どお、君も蚊をやってみないか?」 同じ高校だったことには触れずに、喜人はそう言って怪しげに笑う。 「え? えっと、その……」 仁美はすっかり困ってしまった。それはそうだ、2年前にストーカーまがいにつきまとわれ、迫られていた喜人との再会、しかもその彼から蚊の説明を受けるなどとは思いも寄らぬことだった。 「よせよせ、蚊なんて女の子がやるわけないだろう」 表情をこわばらせて固まっている仁美を見て、裕一郎はさらに助け舟を出す。もちろん彼は過去の3人の関わりなど知る由もない。ただ蚊を勧める喜人を止めようと思っただけだったのだが。 「僕は高部さんに聞いているんだよ。どうだい? 高部さん」 口を挟む裕一郎をちらっと見て、喜人は再び仁美に視線を戻して答えを促す。 それは、あの時と全く同じ視線。彼女を見ながら頭の中で別なものを想像している目だった。 仁美は恐る恐る蚊の標本を指差した。 「あ、あの、これ」 「ん?」 「……気持ち……悪い」 「な、なんだって」 「結花……そうよね」 「そうよ、蚊なんて刺されると痒いし、かわいくないし、そもそも害虫じゃない。こんなののどこがかわいいんだろう」 そもそも喜人に関わりたくない仁美と結花は、とにかく彼の蚊の標本をひたすらけなした。 「ははは、やられたな毛須、もうその辺で諦めるんだな」 笑ってポンポンと喜人の肩を叩く裕一郎。だが、喜人の顔は笑っていなかった。 「害虫だって? 僕のこのかわいいコレクションたちのことを気持ち悪いと言ったな」 仁美をじっと睨む嘉人。 仁美は慌てて喜人から視線を逸らせた。 「おい、毛須、もうそれくらいにしておけって。二人は部に入ってくれた貴重な女子新入生だぞ」 裕一郎はそう言って喜人を睨む。 (こんなかわいい子が二人も入ってくれたんだ。入部をやめるって言いだしたらどうするんだよ) 裕一郎は毛須の耳元に口を近づけ、小声でそう付け加えた。 「わ、わかったよ」 そう言って喜人はそっぽを向いてしまった。 「高部さんの言葉は忘れないよ。あの時の栗林の言葉だって忘れちゃいない。それにしてもここで君と再会できるなんてね。ふふふ……2年前は栗林に邪魔され続けたおかげで何も叶わなかったけど、研究が完成した、あの幻の蚊を手に入れた今の僕だったら高部さんに……ふっふっふ、そうだ、幻の蝶ももうすぐ手に入る。そしたら計画実行だ。君たちは僕のコレクションに加えてあげるよ」 喜人が呟いた言葉は部室にいた誰にも聞こえなかった。 思いもよらぬ喜人の存在が気になったものの、仁美は日に日に蝶の魅力に取りつかれていった。もちろん、それは裕一郎の懇切丁寧な指導のおかげでもある。 部室に来ては目を輝かせて裕一郎と蝶談義に花を咲かせる仁美。 一方で、そんな仁美を暗い表情で見つめる視線があった。 毛須喜人だった。 裕一郎に諭され、彼から仁美に直接話しかけることはなかったが、時折仁美の全身を舐めまわすように見るその視線の奥には日に日に狂的な光が宿っていった。 だがゴールデンウィークを境に、毛須喜人はぷっつりと部室に顔を出さなくなってしまった。 それからあっという間に2ヶ月が過ぎた。 「もうすぐ志賀高原で合宿だからな、今から作業林で練習だ」 「はい!」 初夏になったこの日も裕一郎は7mの長柄の捕蝶網を手に、仁美を農学部の作業林に引っ張り出していった。 入部当初は裕一郎が行う捕蝶のやり方を見ているだけだった仁美だが、今では自分で網を振り、きゃあきゃあと夢中になって蝶を追いかけていた。裕一郎はこの日もそんな彼女の様子を楽しそうに眺めている。 他の部員は邪魔をしてはいけないとでも思っているのか、そんな二人の誰も近くにいない。裕一郎と仁美はもう部の中で公認の仲と言ってもよかった。 「あ〜あ、あたしはどうするのよ」 一方、一人部室に残された結花は、部室の窓越しに作業林で網を振る二人の様子を遠目で追っていた。 裕一郎との仲が日に日に接近していく仁美に親友の結花はすっかり置いていかれた気分だったのだが、彼女も少しづつ蝶の魅力を理解していた事もあり、空手部と昆虫研究部のかけもちをやめることはなく、この日も仁美と一緒に部室に来ていた。 最初のうちは美人でスタイルの良い結花に声をかけてくる部員もいたのだが、空手部の部員でもあることがわかると、何を恐れたのか段々と言い寄る部員もいなくなってしまった。そのため空手部の活動が無い日は仁美とともに昆虫研を訪れ、裕一郎とともに農場に出かける仁美を見送っては一人部室で蝶の写真や書籍を眺める日々が続いていた。 その時、静かに部室のドアが開いた。 入ってきたのは毛須喜人だった。 視線を開いたドアに向けた結花は約2ヶ月ぶりに現れた毛須に内心驚いたものの、動揺を顔に出すことなく一瞥した視線を本に戻して再び読み始めた。 一方の喜人は部室の中に結花一人しかいないのを確かめると、結花に気づかれないようにそっと内鍵を閉め、持っていたバッグから複数の捕虫籠を取り出した。そして中身を確かめると1個だけを残し、残りはバッグの中に戻した。 手に持った籠の中では蚊が飛び回っている。 「ふふふ、食事の時間だ」 小さく笑った喜人が籠の扉を開けると蚊は部室の中に飛び出し、結花に向かって飛んでいく。 喜人は小さな羽音を残して飛んでいく蚊を目で追いながら、本を眺めている結花に声をかける。 「なあ、あの二人って調子に乗り過ぎていると思わないか?」 「え? 調子に乗ってるって?」 「鵜飼と高部さんのことだよ。最近は二人べったりなんだろう」 「そんなのあなたには関係ないでしょう」 結花は横に立つ喜人の顔をちらっと見て、興味なさそうに再び本に視線を戻す。 「ふーん、そうかあ、そうかもなあ」 その語尾におかしな気配を感じていた結花だったが、170cm近い身長で空手で鍛えている結花のほうが10cm近く小柄でひょろっと貧弱な体形の喜人より体格的に優位なこともあり、部室という密室の中で二人きりという状況とは言え彼女が身の危険を感じることはなかった。 そもそも高校時代の彼女は親友の仁美のボディガードを自任していた。仁美に馴れ馴れしく寄ってくる喜人を全身で制したことも一度や二度ではなかった。彼女に触れようとする喜人に止む無く正拳を放って退散させたこともある。今やその体格差はさらに広がっているようにも見える。体格の著しく劣る喜人が結花に危害を加えてくるなどとは考えられなかった。 自分を無視して本を読み続ける結花に、喜人はなおも話しかけ続ける。 「君はどうなんだい? 彼女と一緒にこの部に入ったのに、彼女は君を部室に置き去りにしてあんな風に裕一郎といちゃいちゃしている。君はその様子をここでただ見ているだけ。面白いのかい?」 「え? それは……その」 予想外の喜人の言葉に再び視線を喜人に向け、結花は少し戸惑ったような表情を浮かべる。 結花の表情の変化を見て、喜人がにやりと笑う。 「彼女をちょっと懲らしめてみたいと思わないかい?」 「懲らしめる? 仁美を? あなた何を言ってるのよ……」 仁美を懲らしようなんて、ばっかじゃないの? そう言いかけて、ちょっぴり心がざらつくのを感じる結花。 裕一郎と日に日に親しくなっていく仁美を見て、ちょっとした隙間風を感じている自分がいるのも確かだった。 今日もこうして一人ぼっちで部室に置き去りにされている。 そんな彼女の動揺を知ってか、喜人はさらに結花に近づいてくる。 「なに簡単なことさ、ほら、腕を見てごらん?」 「え?」 そう言われてはっとした結花は思わず半袖でむき出しになった自分の右腕に眼を向ける。そこには一匹の蚊が止まっていた。 ぎょっとして蚊を払い除けようとするが、遅かった。 チクっ 「いたい!」 「ふふふ」 「な、なに? 刺された?」 蚊は結花の腕から飛び退いていた。 喜人は部室内を飛ぶ蚊を指さす。 「それは僕が発見した、幻の蚊と言われていた新種の蚊だよ。2ヶ月かけて家で繁殖させてたんだけど、ようやく僕の計画に使えるようになった。刺されてどんな気分だい?」 「新種の蚊に刺された? 何てことするのよ、刺されてどんな気分って、あれ? あれ?」 立ち上がろうとして腰を上げた結花は酔ったように頭がぐるぐると回り始めるのを感じて、立ち上がれずに椅子に座り込んでしまった。膝から本が落ちる。 「その蚊にはここに来る前に僕の血をたっぷり吸わせてきたんだ。そして今、吸ったばかりの僕の血を君に注入して代わりに君の血を吸ったんだ。それがどういうことかわかるかい?」 「どういうことって、そんなのわからないわよ。気持ち悪いこと言わないでよ……か、かゆい」 「お、効いてきたようだね」 「かゆい、かゆいかゆい」 刺された跡が赤く腫れていく。 そして痒みは瞬く間に全身に広がっていった。 「や、やだ、痒い」 腕に、脚に、腰に、胸に、背中に、さらに顔や脚の付け根にと、身体全体に痒みは広がっていく。 身体を捻り、掻きむしり始める結花。 「ほら我慢できないだろう、服なんか脱いじゃいなよ。痒くて我慢できないんだろう」 「かゆい、もうだめ。ごめん、ちょっと部室から出ていって」 「僕のことなんか気にしないで早く脱いじゃいなよ」 目の前にはにやにやと笑う喜人がいたが、喜人の目など気にしていられないほど結花の全身に激しいかゆみが広がっていた。 「ああ、もうだめえ!」 結花はタンクトップを脱ぎ、もどかしそうにスキニーパンツも脱いでしまい、さらにはビリビリとパンティストッキングも破り捨ててしまい、ブラとショーツだけの姿になってしまうと全身をかきむしる。 「かゆい、かゆいかゆい」 腕を、脚を、胸を掻き続ける結花。だが、やがて…… ペリ、ペリペリ 彼女の腕の皮が、脚の皮が剥け始める。 そして白い皮が剥けると、中からは細い褐色の腕、ひょろひょろの脚が現れる。 腕や脚だけでなく彼女の身体の皮も剥けていく。 腹から、胸から。全身の皮が剥け落ちていった。 そして剥けた皮の内からは彼女の女性らしいふくよかなラインは似ても似つかない姿が現れていった。 それは貧相な男の身体だった。 「な、なによこれ……でも……かゆくて」 結花はなおもからだを掻きむしる。既にほとんどの彼女の皮が身体から剥がれ落ち、彼女はすっかりと貧相で小柄な男性の身体に変わっていた。 残すは顔と下着の内側を残すのみだった。 顔にもアソコにも痒みは広がっていたが、結花は最後までそこを掻くのは我慢していた。 だがもう我慢できない…… 「だめ、かゆい!」 結花が自分の顔を掻きむしると、顔の皮も剥がれてしまった。 中から出てきたのは喜人の顔だった。 股間に手を突っ込んで掻きむしる。 やがてパンティの内側の皮が剥けると、パンティの中にもっこりとした膨らみがむくむく盛り上がってくる。 それと同時に彼女の感じていた激しい痒みは治まっていった。 「はぁ、はぁ、はぁ」 「ふふふ、どうやら全身の皮が剥けてしまったようだね。あ〜あ、すっかり姿が変わってしまったね」 「ええ? 姿が変わった? な、なに、え? 声がおかしい。あたしどうなって……」 すっかり男の身体に変わってしまった結花は自分の身体の異変に気がついて狼狽する。 しかもその姿はゆるゆるの女性のブラとパンティを身につけた毛須喜人といういでたちだ。もしも第三者が部室に入ってきたら、今の彼女の姿は変態にしか見えないだろう。 喜人は結花の姿に興奮したように答える。 「この蚊の力は間違いなく本物だ。君は僕になったんだ。今度は僕の番だ」 部室の中を飛んでいた蚊が喜人の腕にとまる。 その腕を、結花の血を吸って胴体がパンパンに赤く膨らんでいる蚊がチクっと刺す。 「ふふふふ、これで僕の身体は……君になるんだ」 「あ、あたしに?」 「まあ見ているんだな」 やがて喜人も身体を掻きむしり始める。 剥けていく褐色に日焼けた喜人の皮。 そして剥けた皮の中から現れたのは白く滑らかな肌だった。 「かゆい、かゆいぞぉ」 嬉しそうに叫びながら身体をかきむしる喜人、 その腕から、脚から、彼の身体から皮が剥けていく、剥けていく。 剥けるほどに、喜人の姿は全く違う姿に変わっていった。 不思議なことに身体から皮が剥けるに従って彼の身長も伸びていった。 ひょろひょろだった足腰は肉付きのよいむっちりとしたラインに変わっていく。 平たい胸の皮がはげ落ちると、内側から大きく膨らんだ双丘が顔を出す。その先端にはぽちっとピンクに染まった乳首。 トランクスを引きおろしてイチモツを掻きむしると、彼のイチモツは根元から皮が剥け、皮と一緒に抜け落ちてしまった。 その跡には一筋の溝が刻まれている。 「へえ〜」 その部分に手を当てた喜人は、興味深そうに指先を刻まれた溝の中に滑り込ませていった。 「あ、あん」 顔は喜人のままだったものの、その声はもはや喜人の声ではなかった。 そして最後に顔を皮を掻きむしると、顔の皮が剥がれ落ちていく。 その中から現れたのは、結花の凛とした顔だった。 「ふふふ、ついに全部の皮が剥けたようだな。これが今の僕の身体……」 自分の身体を撫でまわして確かめる喜人。その声も既に高く透き通った結花の声に変わっている。 彼の今の姿は元の貧相な男の姿ではなく、長身で引き締まった、鍛えられた体育系女子の身体だった。細身ながらも筋肉質できゅっとくびれた腰、滑らかな腹、そしてすっきりと何もなくなってしまった薄い陰毛に覆われた股間、その一方で細身の身体に不釣り合いに大きく膨らんだ、Gカップはあろうかという胸。裸になった喜人の身体は、どこからみても結花の姿に変わっていた。裸の、眩いばかりの女体だ。 「ふふふ、どうやら僕のほうも成功だ。この蚊の力は大したものだよ」 「あ、あなた……、その姿」 「ふふふ、君には僕が誰に見えるのかな?」 「あたし……あたしだ」 そうつぶやく結花の口から出てくる声は、今の姿そのままの低いだみ声。さっきまでの喜人の声だ。 「そうさ、僕は君になったんだ。君の名前はええっと、栗林結花だったね。これから僕の名前は、じゃなくて『あたしの名前は結花、栗林結花よ』って言わないといけないんだな」 思い出すような仕草で小首を傾け、そしてニヒヒと笑ってうなずく喜人。 「な、何を言ってるのよ、気持ち悪い。一体どうなってるの」 座り込んでおろおろする結花に裸のまま大股で近づくと、喜人はのしかかるように彼女に抱きついてしまう。 「え? んぷっ」 今や二人の身長も体力も逆転している。 結花は喜人の大きく膨らんだ胸をぎゅっと顔に押し付けられてしまった。 「な、何をするのよ」 いきなり抱きつかれて身体を固くした結花は、顔に押し付けられた胸の柔らかさを感じてドキドキしていた。 だが喜人はその行為をやめることはない。 結花の股間に手を伸ばして、パンティの上からもっこり膨らんだモノをつかむと、その先端を指でいじる。 みるみるパンティの中のイチモツは膨らみと長さを増していくと、パンティからその半分が顔を出してしまった。 顔を出したペニスを今度はじかに握りしめると、シュッシュッとさすり始めた。 「ふふふ、どんな気持ちだい?」 「どんなって、あ、あん」 「ふふふ、ペニスをこんなに大きくして、えっちな恰好だね」 「い、いやっ」 恥ずかしそうに両手で顔を隠す結花。だが喜人の姿では気持ち悪い変態にしか見えない。 喜人はそんな結花を見て結花の顔で妖艶に笑うと、無防備になった結花の履いているパンティを一気に引き下ろした。 とたんにパンティに押さえつけられていたペニスがピンと跳ね上がる。 さらに結花の薄い胸板につけられたブラジャーもホックを外して脱がしてしまった。 膨らみの無い平たい胸板が現れる。 結花は下着を脱がされ、裸にさせられてしまった。 それは貧相ながらも男の裸だった。 その胸板にむしゃぶりつくように再び抱きつくと、結花を抱き上げて己の豊満なおっぱいをこすりつける喜人。 二人の間で柔らかい膨らみがくにゅくにゃっと変形する。 「あ、ああん」 結花の息が荒くなる。 胸に伝わる柔らかい感触に、はぁはぁと彼女の内側から押さえられない劣情が沸き上がる。 「そ、そんな、なに、この気持ち。あたし、あたしに興奮してる? どうなって……」 「君は僕になったんだ、男になったんだよ。今のその感情は男の性欲さ。君は僕を抱きたいんだろう」 「そ、そんなこと」 「ないって言うのかい、そんなに股間を固くして。そそり立たせた僕のそんな姿を見せられるとこっちが恥ずかしくなるけどね」 「そ、そんな、いや!」 己の股間で膨らんだモノに気がつくと、喜人の手を振りほどき、その場にしゃがみこんでしまう結花。 今度はそんな結花の背中から抱きついて、その胸をぎゅっと背中に押し付ける。挟まれた大きな双丘がくにゅっと形を変える。 「あん」 背中に感じる柔らかい感触に、結花はさらに息を荒くする。 その表情を見た喜人は、妖艶に目を細めると、硬くなった結花の股間に後ろから手を伸ばした。 「ちょ、ちょっと、何を、あむっ」 抗議しようと振り向いた結花の唇は、喜人のかわいい唇で塞がれた。さらに己の舌を強引に押し込んでいく。 唇に接触する柔らかい唇、甘い吐息、そして口中に強引に入ってきて自分の舌を絡めとろうとする喜人の温かい舌の感触に、結花の頭はぼーっとしていく。 上下にさすられる股間からの感触に興奮が全身に広がっていく。 (抱きたい、この女を犯したい、この女のアソコに挿れて、そして奥まで思い切り突きたい) 彼女の股間のモノは喜人の手、いやさっきまで結花のものだったかわいい手で絶妙にさすられ続け、すっかり興奮してビンビンと脈打っていた。 「ふふふ、もうすっかり興奮しているようだね、我慢できないだろう。さ、しよか」 抵抗する気力を失った結花を仰向けに寝かせると、喜人は再びその上に伸し掛かる。 彼も脈打つ結花のペニスを握ってその手でさすっているうちに興奮していた。 股間がすっかりぬらぬらと濡れている。 結花にまたがったまま、自分の股間にある濡れた女のアソコの場所を確かめると、脈打つペニスを握ってその先端をソコに押し付ける。 「ここで良いんだよね。これ、ほんとに挿るのかな」 だがまたがった彼が腰をゆっくりと下ろすと、結花の硬くなったペニスは難なく喜人の中にニュルンと潜り込んでいく。 「あ、いたっ」 挿っていく瞬間に痛みを感じたものの、己の体の奥まで熱いモノが入り込んでいるのを感じた喜人はその感触と内側から感じる温かさに興奮し始め、身体を上下させる。 「僕の中に挿ってる。あん、これ、いいぞ」 「いや、やめてぇ」 だがその言葉を無視するように喜人は腰を動かし続ける。 喜人にのし掛かられ、ペニスを彼の女陰の奥まで挿れ込まされた結花は、顔を手で覆ってただもだえるばかりだった。 だが彼女の気持ちとは裏腹に極限まで硬くなったペニスは女体の奥に奥に刺激を求める。 「ゆっくりと、少しづつ、いたいけど、ああ、段々感じて……はあん」 最初は痛がっていた喜人だが、その眼が段々と恍惚の色に変わっていく。 結花に乗りかかってペニスを咥え込んだまま腰を上下に振る。 結花のほうも体から湧き上がる興奮に抗えず、やがて自ら怒張しきったペニスを自分の姿になった喜人に押し付け始める。さらに体勢をくるりと入れ替えると、喜人の身体を組み敷いてひたすら腰を上下に動かし続けた。 やがて…… 「う、いく」 「ああん、出る、何か出ちゃう、はううっ」 結花がその言葉を漏らした瞬間、喜人は己の中から結花のペニスを引き離す。 結花の股間のモノから勢いよく噴出された白い粘液は喜人の胸に、顔にべっとりとかけられてしまった。 「はぁはぁはぁ、何がどうなってるの」 「どうなって? 何言ってるのよ毛須先輩。どうしてくれるの、部室の中であたしを犯すなんて信じられない」 初めての放出後の男の倦怠感、いわゆる賢者モードの中での結花のつぶやきに、喜人は身体についた白い粘液をティッシュでぬぐいながら喜人に無理やり犯されてしまった結花のような口調で答える。 「信じられないって、そんな、あたしはそんなつもりじゃ……」 「そんなつもりじゃない? 先輩が無理やりあたしのことを犯したんでしょう」 「そんな、あなたが変な蚊であたしの身体をこんな男の身体に変えたんでしょう。そしたらどんどん変な気持ちになっちゃって」 失意のままに力なく語る結花に、喜人は身体を起こしてにやにやと笑う。 「そんな言葉、誰も信じないよ。もしここに誰かが入ってきたら、男の君が女の僕のことを無理やり犯したとしか見えないんだ。僕たちはお互い入れ替わってしまったんだから」 「そんな、バカな。あたしはあなたじゃない」 「そんなこと誰も信じるわけないよ、“毛須先輩”。さ、人が来ないうちに早く服を着るんだ。僕が着ていた服をね。僕は君の脱いだ服を着させてもらうよ」 「な、なに言ってるのよ、この変態」 「変態? 何言ってるのさ。今の僕、いやあたしたちの姿だとお互いの服を交換したほうがぴったりでしょう」 そう言って立ち上がった喜人は、脱ぎ散らかっていた結花の服の中からパンティを取り上げて、それに足を通す。 ブラジャーを慣れない手つきでつけ、大きな乳房をカップの中に収める。そしてスキニーパンツを生足の上からはき、タンクトップを頭からかぶる。 結花の服を着終えた喜人のその姿は、まぎれもなくさっきまで一人で本を読んでいた結花の姿だ。 ただし、スキニーパンツの股間をまさぐりながら見せるその下卑た表情は結花本人なら絶対に見せないものだった。 「股間の中が何か気持ち悪いけど、しばらく我慢するしかないか。ほら、君も早く僕の服を着るんだ」 「そんな、あたしがあなたの服を着るなんて。あれ? あたし? あたしって誰だっけ」 結花の言葉を聞いてにやりと笑う喜人。 「効いてきたようだね。……あたしなんて変なこと言ってないで、みっともないから早く服を着てよ、先輩」 そう言って、喜人はトランクスやシャツ、ズボンを結花に放り投げる。 「その恰好じゃみんなが帰ってきたら変態呼ばわりされるだけよ。あ〜あ、もう明日から先輩は部室に出入り禁止ね」 「わ、わかった、着るよ。あたしは、あれ? 僕だっけ」 目の焦点がぼんやりしている結花。彼女の記憶はおぼろげになっていた。 「そうよ、あなたは毛須先輩。あたしは後輩の栗林結花。先輩にレイプされたことは皆には黙っていてあげるから、ほら、早く服を着てよ」 そう言って立ち上がった喜人は、放ったトランクスをつまみあげて結花に差し出す。喜人の姿になった結花に。 ぼーっとしたままそのトランクスを受け取る結花。 「何か変、何かおかしいよ」 「変じゃないよ、あなたは毛須喜人でしょう、そのトランクスはあなたのもの。ズボンもシャツもね。あなたのものはあなたが着ないとおかしいでしょう」 「頭がぼーっとして気持ち悪い。僕、誰だっけ」 「あたしの先輩でしょう、毛須喜人せんぱい。ほら、服を着なさい」 「は、はい」 裸の喜人の姿に成り代わってしまった結花は、ふらふらとトランクスを、そしてTシャツやズボンを拾い上げて着こんでいく。 その様子を見ながら、喜人はタンクトップの薄い生地の上から胸のふくらみに手の平を当ててにやっと笑う。 「成功だな。まったくあの蚊の力は大したものだな」 彼が結花と自分自身に刺させた蚊の力、それは刺した人間の身体をその前に吸った血の持ち主と同じ姿に変えてしまうというものだった。そのため喜人の血を注入された結花は喜人の姿に、結花の血を注入された喜人の姿は結花の姿に変わってしまったのだ。しかも姿が変わった後、しばらく経つと脳に刻まれた記憶も本人の自己認識も変身した相手のモノに変わってしまう。脳の変化が定着するまでは暗示を受けやすいという副次効果まであった。 「ま、僕のほうは君の姿と記憶だけをいただくけどね」 そう言って自分の頭を指さす喜人。 「血清のおかげで、君の姿になっても僕の自己認識は僕のままなんだ。君と違ってね」 医学部に入学した喜人は2年生ながら独自に血清の研究も行っており、蚊の力を弱める血清を作り上げていた。 そして蚊に自分の血を吸わせた彼は、その後で作り上げた血清を自分に注射していた。そのため結花の血を蚊から注入されても影響を限定的にすることができたのだ。 「さあ君はここを出るんだ。そして駅前のホテル・ラヴィアンローズに先に行って待っているんだよ。今の君なら場所はわかるよね、あのラブホテルさ」 「は、はい」 「僕はここで高部さんを待っているよ。彼女の一番の親友としてね」 「え? あ、あれ、違う、違うよ、あたしが……」 「あなたは毛須喜人よ。ぐずぐずしないで、毛須先輩!」 結花(喜人)のきつい言葉に、喜人(結花)は頭を振る。 「は、はあ、あれ? あたし……僕の行き先は……駅前のラブホテル・ラヴィアンローズ?」 「そうよ、あなたはそこであたしたちが来るのを待っているのよ」 「わ、わかった」 結花(喜人)に促されて、喜人(結花)はふらふらと部室を出て行ってしまった。 この瞬間、毛須喜人は高部仁美の親友“栗林結花”という立場を手に入れ、一方の栗林結花は親友からかつてストーカーまがいの行動をしていた男という立場に堕とされたのだった。 「ふふふ、これでこれから僕が高部さんの親友、栗林結花か。この身体も悪くないけど、僕の趣味とはちょっと違うんだよな。あくまでも本命は高部さん、君さ。あの愛くるしい彼女の姿になって、あの時みたいなメイド服を僕が着て、そして……はぁはぁ」 結花(喜人)は椅子に座ると、その胸を揉み、そして脚を広げるとスキニーパンツの股間に手を当てる。 「ふふっ、ここに何もないなんて、ほんと変な感じ。あん、触ってるとまた感じてきちゃう。男のアレの感触も良かったし、女って最高だ」 スキニーパンツの何もない股間をまさぐり、のっぺりと何もないその感触を思う存分確かめ、さらにはお腹の裾から手を突っ込むと内側から指先を股間に伸ばす。 くちゅくちゅと己の股間に指を伸ばし、だらしない表情で指を出し入れし始める それは普段の凛とした結花とは全く別人だ。いや、実際に中身は別人なのだが。 「あ、いい。気持ちいい」 完全に結花の身体に成り代わった喜人は、部室で一人結花の身体で快感を楽しんだ。 「ただいま〜、結花、ごめ〜ん、待った?」 「ううん、あたしは大丈夫よ、仁美」 夕陽が部室に差し込み始めたころ、ようやく裕一郎とともに部室に戻ってきた仁美を、本を閉じた結花がニコッと笑って迎える。 それは二人で部室に来た時のままのゆったりした淡い黄色の袖なしタンクトップに白のスキニーパンツ姿の結花。 だが、実は喜人が成り代わった結花の姿だ。 仁美に答えた後でかすかに笑う結花(喜人) (この姿なら、君のことを呼び捨てにしても良いんだよね、高部さん) 目の前の凛とした結花が内心そんなことを考えているなどとは、仁美には気づく術もなかった。 「さ、帰ろっか」 本をバッグに入れて立ち上がった結花(喜人)が仁美を促す。 「うん。じゃあ先輩、また明日も教えてくださいね」 「ああ、高部さん、また明日ね」 部室の中で何が起きていたのかも知らずに、出ていく仁美と結花を送り出す裕一郎だった。 結花は仁美の手に自分の手を伸ばしてそっと握りしめた。 仁美はそんな結花(喜人)の行動を疑うこともない。 そのまま二人は手をつないで大学を出ていった。 それはいつもと変わらぬ二人で歩く時の習慣。 だが、横に並んで歩く結花(喜人)の表情がいつもと違ってにやにやと妙に緩んでいることに仁美は気づかなかった。 大学から駅に向かう道すがら、仁美は今日の成果と裕一郎に教えてもらった蝶談義に花を咲かせる。 結花(喜人)は話に適当に相槌を打ちながら歩いていた。 「ねえ結花、ちゃんと聞いてる? いつもはあなたからいろいろ聞いてくれるのに、今日はなんだか上の空じゃない?」 「え? 聞いてるよ。それより寄りたいところがあるんだけど、つきあってくれる?」 「うん、いいわよ」 結花を一人部室に置き去りにして裕一郎と二人で採集していた後ろめたさもあり、仁美は二つ返事で答えた。 「じゃあ、ついてきて」 駅に向かって歩く結花(喜人)の足取りは途中の交差点で駅への道を外れる。 やがてその足が止まる。 彼女たちの目の前にあるのはラブホテルだった。 「え? ここって」 「やりたい事があるの。仁美も一緒に来て」 ラブホテルでやりたい事? 女同士で? ……仁美は身体を固くする。 だがすぐに親友の、それもセックスに興味を持っているとは全く思えない結花がそんなことをするわけがないと思い直した。 (そうか、あたしを驚かそうとしてるのね。ラブホテルなんて初めてだけど、何をする気なんだろう) そう納得して緊張感を解くと、逆に興味津々で入ったラブホテルの中を見回す仁美だった。 中に入ると結花(喜人)は受付と言葉を交わす。 「連れが来ていると思うんだけど」 「お客様のお名前をお教えください」 「ええっと、栗林結花」 「はい、毛須喜人様がお待ちです。部屋番号は……」 フロントで説明を受けた結花(喜人)は、何も知らない仁美を伴ってエレベーターに乗る。 3階の部屋に入ると、中に毛須喜人がいた。 ぼーっとベッドに座っていた喜人(結花)は二人が入ってきたのに気がつくと、ゆっくりと顔を向けた。 「や、やあ」 「毛須先輩?」 喜人の姿に表情を変える仁美。 結花も嫌っているはずの毛須喜人がどうしてここにいるのか理解できなかった。 「どうして? 結花、どうしてこんな場所で毛須先輩と?」 「あら、こんな場所って、あなた何も言わずについてきてくれたじゃない」 「だって、結花がついて来てって言うから。何を企んでいるのかなって思ったけど、まさか毛須先輩がここにいるなんて」 「ふふふ、今からいいことをするの」 「いいこと?」 「仁美とあいつを……にするの」 「する? なに、よく聞こえない」 「僕の、コレクションにするのさ!」 そう言って、肩から下げていたバッグから虫籠を取り出すと、その扉を開けた。 籠の中から飛び出した蚊は、仁美に向かっていくとその腕に取りついた。 「いたっ」 仁美は腕に痛みを感じる。 蚊に刺されたその腕はみるみる腫れていく。一方の仁美の血を吸った蚊は腹を大きく膨らませていた。 その蚊を結花(喜人)は小さな網で捕虫する。 「ついに君の血が手に入った。君の身体が本命だったんだ」 「本命? 結花、どういうこと?」 「僕は君になるんだ。その姿が欲しい。そしてあのとびきりかわいいメイドに今度は僕がなるんだ。裕一郎とも明日からは僕が楽しませてもらう。昼だけじゃなく、そのうち夜のほうもね」 「結花、なにわけのわからないことを言ってるの? 意味わかんない」 「わかる必要はないさ。君たちはもういらないから、僕のコレクションにしてあげるよ」 そう言ってへらへらと笑う結花(喜人)はバッグから新たな虫籠を取り出し、扉を開けた。 中から飛び出したのは、瑠璃色に輝く羽根を持つ大型の蝶だった。 鱗粉を巻き散らかしながら蝶は二人に寄っていく。 「なに、この蝶。ミドリシジミよりずっと大きい」 「インカモルフォ蝶だよ。さっきの蚊もこの蝶も南米で手に入れた卵から孵化させたんだ。いつか君になり変りたいと研究した成果がさっきの蚊とこの蝶さ。この蝶の鱗粉には猛毒があってね」 「ええ!?」 逃げる暇もなく、仁美も喜人(結花)もその鱗粉を浴びてしまった。 「な、何が、ひいっ」 身体がこわばるのを感じる仁美。 「かゆい」 突然脚がかゆくなる。 しみひとつない仁美の両脚、それが無性にかゆくてたまらなくなる。 「かゆい、かゆい」 「ふふふ、始まったようだな。さあ遠慮なく掻いていいんだよ」 「あなた、ほんとに結花なの?」 「ええ、栗林結花よ」 「何か、雰囲気が違う。違う、あなた結花じゃない、だれ?」 「そうか、わかるんだ。でも遅いよ。君たちは今から僕のコレクションになるんだから」 そう言いながら、結花(喜人)は手にシリコン手袋をつける。 「誰よ、な、何を企んでるの、近寄らないで」 「もう遅いよ、ほら痒くてたまらないだろう、もっと掻くんだ」 かいても痒みは治まらない、仁美はさらにかきむしる。 ベリッ その時、音を立てるように仁美の脚の皮が剥がれた。 その中から顔を出したのは細長い毛に覆われた細い脚だった。 「な、何よこれ」 「何って、君の脚だろう」 「うう、いや、こんなの……でも、痒い」 掻きしるにつれて、ぱらぱらと白い仁美の脚の皮が剥がれ落ちる。 喜人(結花)も同様にノロノロとした動作で身体を掻きむしっていた。 その剥けた皮の内側からも同様に毛に覆われた節くれた細い脚が、手が現れる。 そして背中の皮が剥けると、中から折りたたまれた広い布のようなものが現れ、そして畳まれたソレは大きく広がっていく。 瑠璃色に輝くそれは蝶の羽根だった。 仁美も喜人(結花)も、身体の皮がすっかりはげ落ちてしまうと、二人は巨大な蝶の姿に変わっていた。 蝶の顔に変わってしまった二人は、既に話すこともできない。 (なによ、これ、あたし、蝶になってしまった?) 背中の羽根が動く、身体が宙に浮き始めていた。 (と、飛べた!) だがその姿は徐々に小さくなり始める。 (な、なによこれ、身体が小さく) 部屋の中を飛ぶ三頭の蝶。 二人は完全にインカモルフォ蝶の姿になってしまった。 羽根を動かして必死に部屋から逃げ出そうとする二頭の蝶。 だが羽根をうまく使えない蝶は、やがて床に落下してしまう。ただノロノロと床の上を這うばかりだった。 必死に動いて逃げ出そうとする二頭の蝶の羽を難なく結花(喜人)はつかまえる。 「ふふふ、素敵な蝶が手に入った。家に帰ったらさっそく展翅だ」 結花の顔でへらへらと笑いながら蝶の羽根を摘まんで三角紙の中に一頭ずつ入れた結花(喜人)は、仁美の服と捕虫器具を携えてラブホテルを出た。 「もうすぐ高部仁美の姿に、あの愛らしい身体になれるんだ」 長年の願いが叶う。喜人の興奮は高まるばかりだった。 高校時代に仁美の愛らしいメイド姿に魅入られた喜人。それは彼に彼女を自分のものにしたいという欲望をもたらしたが、その欲望は己がその姿になってみたいという普通の男性とは少し違う欲望だった。写したメイド姿の彼女の写真に自分自身を投影して何度果てたことだろう。 高校時代、そして大学に入ってからも自分の身体を仁美の姿に変える方法を研究し続け、幻の蚊と蝶を発見した喜人は、この時ついに仁美の姿を自分のものにする術を手に入れたのだ。 興奮しながら街中を喜人の学生マンションへと急ぐ結花(喜人)。 だがその姿は凛とした美女が颯爽と夜道を歩いているようにしか見えない。 そんな彼女の姿に思わず振り返る男性もいたが、まさかそのスタイル抜群の美女が歩きながらそんなことを考えているなどと思う人間はいなかった。 やがて軽い足取りで自分の部屋に戻ってきた結花(喜人)は、帰るなり二頭の蝶の入った三角紙を取り出すと展翅、すなわち二頭の標本化の準備を始める。 「さようなら、元の高部さん、元の僕、いや栗林さんか、あっははは」 (ヤメ……ヤメテ……) プスツ 羽根をばたばたとさせていた蝶は注射針を刺されて展翅台に固定されると、ぐったりと動かなくなってしまった。 それから数週間後、昆虫研究部の部室の中に、集まった部員たちの前で二頭の蝶が収められた標本を裕一郎に差し出す、メイド風の衣装を着た仁美の姿があった。 「へぇ〜、『モルフォ蝶』か、立派な標本じゃないか、どこで手に入れたんだ?」 「へへっ、前に毛須先輩からいただいた蝶を展翅してみたんです」 「そうか、あいつこんなすごい蝶を手に入れてたんだ。そう言えば最近見かけないな、どこに行ったんだ。それに栗林さんも部室に全然姿を見せなくなったけど、空手部が忙しいのかな?」 だが裕一郎の問いに仁美は答えない。 「これ、学祭までにもっと増やしたいです。あたしだけのコレクションをもっともっと標本箱いっぱいに」 そう言ってかわいいガッツポーズを見せる仁美。 「よし高部さん、君のアイデアを採用だ。今年の学祭、昆虫研の出し物はメイドと蝶のいる喫茶店で決まりだ」 「ああ、僕の夢、ようやく叶う……」 「え? なに?」 「あ、なんでもありませ〜ん」」 「仁美君、楽しみにしているよ。こんなにかわいいメイドと美しい蝶の標本、今年の展示会は大人気だな。学祭でももちろんメイド服を着てくれるよね」 裕一郎はそう言って仁美の肩を叩く。 「は〜い! もちろんです」 裕一郎に答えた仁美は湧き上がる恍惚感に身体を打ち震わせながら、自分が完成させた美しい蝶の標本を見てにやりと笑った。 彼女が彼女らしくない笑いを浮かべたその瞬間、標本の一頭の脚がぴくっと動いたが、それに気づいたものは誰もいなかった。 (終わり) (あとがき) 入替モノ祭りにどんな作品を書こうかなと思っていたんですが、なかなかアイデアがわかず、ふと思いついて書き始めたのは大学のころ蝶の美しさに触れた経験を元に膨らませたお話です。変身に近いお話になってしまいましたが楽しんでもらえたら幸いです。そして今作はわりばしさんに挿絵をお願いしたのですが、快く引き受けていただき、何度も修正をしていただきながら素敵なイラストに仕上げていただきました。わりばしさん、本当にありがとうございました! |