南高校の一角には、使われなくなった古びた旧校舎がある。
 生徒が入っては危険だ――と立ち入り禁止になっているが、いつ頃からかその旧校舎にお化けが出るという噂が立つようになった。
 当初は恋に破れて自殺した女子生徒の怨念だとか、受験に失敗した3年生の無念が積もり積もったものだとか、そんな様々な説が生徒たちの間で交わされたのだが、やがて妖怪が旧校舎内の廊下を歩いていたのを見たとか、大型の動物が建物の周囲をうろついていたとか、或いは電気が通っていないはずの校舎の中にぼーっと灯る明かり見た、といった目撃情報が語られるようになった。

 この日の放課後も、2年C組では保険医の宮下愛子が見たというお化けの噂でもちきりになっていた。

「ねえねえ幸、どう思う? 今時お化けなんて」

 桜井幸にクラスメイトの栗田宏美が話しかける。

「ん〜宏美、お化けと言えば思い出さない?」
「え? 思い出すって何を?」
「ほら、夏の怪人乱入事件よ」
「ああ、校庭にたくさんの怪人が現れたあれね……あ!」

 宏美は幸の顔をじっと見て、次の瞬間こくりと頷く。

「ね、噂に出てくる旧校舎のお化けって、あいつらに似ていると思うでしょ?」
「そうね、もうすっごく昔のような気がしてすっかり忘れていたけど、言われてみればそうかもね」
「如月先生が戻ってきたのと同時に出始めた旧校舎のお化けの噂か……何か関係あるのかな?」

 幸は机に頬杖をついて考え込むと、

「……ねえ委員長、今から旧校舎に行ってみない?」

 顔を上げて、鞄に教科書類を詰め込んでいた相沢謙二に声をかけた。

「旧校舎か……そうだな。ハニィの件といい、俺もイソギンチャクみたいな怪人に襲われたし、何かがこの町に起きているような気がするんだよな。手がかりになるかもしれないし、行ってみるか」

 謙二は後ろの席に座る幸に向かって振り返り、そう言って立ち上がった。
 だがその時、彼の携帯が着信を告げた。非通知のその電話に耳にあてると、

「もしもし?」
『あ、お兄ちゃん?』
「なんだ、未久か。自分の携帯じゃないのか?」
『なんだとは何よ。今、公衆電話から電話してるの。自分のじゃなくて悪かったわね』
「ごめんごめん、どうしたんだ?」
『あたし、変な人につけられているような気がするの……ねえお兄ちゃん、迎えに来てくれない? 何だか気持ち悪くって』
「何っ!? 変な奴に? ……わかった、じゃあすぐに行くからそこを動くんじゃないぞ。今どこにいいるんだ?」
『中央公園よ』
「よしわかった。じゃあ俺が来るまでそこで待ってろよ」
『うん、待ってるね♪ お兄ちゃん』

 電話はそこで切れた。

「……幸、未久がなんか変な奴につけられているらしいんだ。あいつを家に送っていくから、すまないけど今日は止めにしよう」
「わかったわ。かわいい妹だもんね。……うーん、でもどうしようかな? 宏美はどお?」
「え? あたしはやめとくよ。気味悪いもん」
「そっか」

 一人で旧校舎に行ってみようか、でもさすがに心細い。
 心が揺れる幸だったが、そこに如月光雄が入ってきた。

「こらっ、お前たちまだ教室にいるのか?」
「あ、先生」
「もう終業のチャイムが鳴っているだろう? いつまでも居残ってないで早く帰るんだ」
「先生、幸が旧校舎に出るお化けを見に行くって言うんですけど」
「旧校舎のお化け? あれは噂に過ぎんだろう?」
「それはそうなんですが……」

 幸を見詰める光雄。その視線を避けるように目を伏せる幸。

「……桜井、それじゃ俺と一緒に確かめに行ってみるか?」

 光雄が突然そう切り出してきた。
 昨日までの幸だったら飛び上がって喜んだことだろう。だが、光雄のことを疑い始めている今の幸には、すぐに答えることができなかった。

「え? 先生とですか?」
「うわぁ、幸、先生と二人で肝試しか……はいはい行ってらっしゃい」
「そんなんじゃないって、宏美」
「暗くならないうちに行くとするか。鍵は私がもらってこよう。何も無いことがわかったら、そんな噂に惑わされるんじゃないぞ」
「は、はあ」
「よし、それじゃあ桜井、ついて来い。お前たちも早く帰るんだぞ」

 謙二と宏美を一瞥した光雄は、そう言うと教室を出た。

「あ、待って先生」

 幸は慌ててその後を追う。

「……さてと、それじゃ俺は未久を送ってくるよ」
「うん、じゃあね、委員長」

 残った相沢謙二と栗田宏美も教室を出た。



 それからしばらくの後、鍵を持った光雄と幸は旧校舎の前に立っていた。

「あ、あのお……先生、大丈夫……?」
「なあに、古いだけで、何も出やしないさ」

 入り口の鍵を開けると、光雄はがらがらと扉を開けた。

「ふふん、まあ入るがいい」
「で、でも……」
「お化けが出るか確かめたいんだろう?」

 そう言ってじっと幸を見詰める光雄。それは爬虫類の目のような、ぞっとする目つきだった。
 その只ならぬ雰囲気に、気圧された幸は思わずあとずさった。

(これってあたしの如月先生……? ……ち、違う!)

 抱いていた疑問を確信させるようなその視線に、おびえる幸。

「せ、先生……あ、あたし、やっぱり帰るっ!!」

 だが、光雄はきびすを返した彼女の手をぎゅっと掴むと、旧校舎の中に強引に引っ張るように入っていった。

「さあ、早く入るんだっ」
「い、痛いっ! 先生っ、止めてよっ!」

 旧校舎の中は灯りがついていない。窓から差し込む黄昏の薄明かりで様子がようやく分かる程度だ。
 その中を、光雄は幸の手を掴んだまま階段を上がっていった。

 ギ〜ッ、ギ〜ッ……

 古く薄暗い木造の校舎の中、木製の階段の不気味な音が響く。

「さあ、ここだ」

 二階の部屋の扉を開け、光雄はその中に入った。

「せ、先生……怖いっ。こんなところ早く出ましょうよっ!」
「ふっ、ふふふふ……」
「せんせい?」

 その時、薄明かりの中にぽっと白い影が浮かび上がった。

「え? あなたは確か……どうしてここに?」
「……我々の虜となれ、桜井幸」
「え? 何っ?」

 低い声で呟いた光雄の声に、振り返る幸。しかし、そこに立っていたのは……

「……きゃあぁぁぁぁっ!!」



 一方、未久を迎えに行った謙二は、中央公園に着くと待っているはずの妹を探した。
 だがその姿は一向に見当たらない。

「あいつ……じっとしていろって言ったのに、どこに行ったんだ?」

 謙二は公園を探し回る。だが、その頭上から黒い影が急降下してきた。
 その気配に気づき、顔を上げる。

「う――うわああぁっ!!」





戦え! スウィートハニィU

第9話「旧校舎の決戦(その1:出撃)」

作:toshi9





 竣工成った『ネオ虎の爪』の新アジトの広間の中、アンティークな大型の椅子に座る小学生くらいの幼女の前に、高校生らしき美少女がひざまずいていた。
 そして、その二人を多くの異形の者たちが遠巻きに囲んでいる。だが彼女たちにそれを恐れる様子はない。
 椅子に座った白いドレス姿の幼女は床に届かない足を楽しそうにぶらぶらさせながら、自分の前に片膝をついてひざまずいた少女を見下ろしている。
 ひざまずいている美少女には、猫の耳と尻尾が生えている。そう、それはマリアに合体したシャドウガールの姿を奪ったオレンジモスキートだった。
 
「首尾はどうだったの? オレンジモスキート」
「はっ、あわよくばスウィートハニィも私の人形にしてやろうかと思いましたが……作戦通り、まずはあいつをここにおびき寄せることにしましたですニャ」

 顔を上げたオレンジモスキートは、そう答えると己の胸に手を当てた。

「うん、それでいいわ。無理はしないでね。彼女を倒そうと無理をして、どれだけの怪人たちが犠牲になったか……ところで」
「は?」
「あなたのその言葉、何とかならないの?」
「この姿でいると、言葉がおかしくなってしまいますですニャ」

 そう言って頭を垂れるオレンジモスキート。

「……全く、緊張感のないしゃべり方ね」
「申し訳ありませんですニャ、シスター・ミク様」
「うふふふ、まあいいわ」

 くすくすと笑う幼女に、彼女は再び深々と頭を下げる。
 それを見ていた怪人の一人がくくくと笑う。

「ぎぎっ、恭四郎様も、その姿がすっかり板についてきましたね」
「ん? クロウレディ、何か言ったか?」

 茶化すように口を挟むクロウレディを幼女がじろりと睨む。

「あ、いえ、何でもありません」
「うふふふ、誰からも愛されるかわいい少女の仕草を完璧に身に着けないとね。……守ってあげたいって思わずにはいられないような、そんな少女のね。うふふっ♪」

 可憐な幼女、しかしその中身は井荻恭四郎である。
 相沢謙二の妹・相沢未久の姿をコピーして、今は『ネオ虎の爪』の首領シスター・ミクを名乗っているのだ。

「……こほん。ところでシスター・ミク様、よろしいでしょうか」
「なあに? クロウレディ」
「オレンジモスキートが成り代わったこの少女、以前ご報告した巨大ハリセンを操る少女です」
「何っ!?」

 クロウレディの言葉に、シスター・ミクの目がきらりと光った。

「猫の耳と尻尾はついていませんでしたが、確かでございます」
「そうか……貴様、あいつの娘の姿を写し取ったのか。それでその、妙なハリセンとやらは操れるのか? ……いえ、操れるの?」

 興奮して男言葉に戻ったのに気がついた彼女は、慌てて言い直した。

「この少女の記憶によると、興奮すると掌中にハリセンが現れるようですが、私がいくら念じても出てきませんですニャ。おまけに妙な記憶が混ざっていますニャ」
「妙な記憶だと?」
「この姿は、桜塚マリアという娘にシャドウガールが合体したものなんだですニャ」
「ほう、そうか……その口調はあの裏切り者の妹の力が干渉している為か。まあいい……わ。で、シャドウガールの記憶に何か面白い情報はあるの?」
「はっ、どうやらシャドウレディがスウィートハニィの救援に来るようですニャ」
「そう……あの裏切り者が来るの。あいつのせいであたしはひどい目に遭ったんだから、抹殺してやらなくっちゃね」

 一瞬、シスター・ミクはぞくりとした笑みを浮かべる。

「……ところでパープルカメレオン、お前の首尾はどうなの?」
「はっ、人質は既に確保いたしました」

 パープルカメレオンがぱちりと指を鳴らすと、身体を縛られた少女がシスター・ミクの前に引き出された。

「離して、離してよっ!」
「彼女はスウィートハニィの親友です。いざという時に大いに役立つものと思われます」
「信じていた者に裏切られるなんて、さぞくやしいでしょう? これもみんなスウィートハニィが悪いのよ。……えへっ、あたしのお兄ちゃんも拉致ってきちゃったしねっ。あたしの電話を本物の妹からの電話だって信じて疑わないんだから、全く間抜けなお兄ちゃん……くすくす」

 ころころと、かわいらしい仕草で笑うシスター・ミク。

「……あなた、未久ちゃん? ……違うっ! 未久ちゃんじゃないわねっ!」
「うふふ……そんなことどうでもいいでしょ? さあ、この娘を連れて行きなさい」
「はっ」井荻恭四郎改め、シスター・ミク(illust by MONDO)
「ちょっと何するのよっ!? あたしをどうする気なのよっ!?」
「しばらく大人しくしてなさい。お姉ちゃんも『スウィートハニィ抹殺計画』が完了したら、素敵な怪人に改造してあげる。楽しみにしていてね、うふふふふ」
「い、いやあああっ!」

 悲鳴を上げる縛られた少女を、怪人の一人が部屋の外に引っ張り出していった。

「……ではシスター・ミク様、これで」
「うん、『スウイートハニィ抹殺計画』の準備は整ったわ。あとはお前たちに任せるから、お願いね」

 取り囲んだ異形の怪人たちを見回すと、シスター・ミクはにこっと笑った。天使のような笑顔だ。
 だが、その笑顔の奥には邪悪な野望が潜んでいた。

「「ははっ!!」」



 さて、一方―――

「ごめんなさい……ほんとにごめんなさいマリアちゃん。あたしのせいでこんなことになって――」

 生田研究所の検査用ベッドに寝かされたマリアの体に抱きついて、蜜樹は泣き崩れていた。
 彼女の連絡で姫高に駆けつけた所員によって、マリアと洞井先生の体は研究所に運ばれた。二人とも、服ごとマネキン人形のようにカチカチに固化している。

「お前が悪いんじゃない、蜜樹。私がもう少し早くお前に連絡できればよかったんだ……」
「いいえ、あたしがもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったんだ……しかもあの怪人、マリアちゃんとシャドウガールの姿まで奪っていって、それなのに結局何もできなかった自分がくやしくて――」
(先生、あまり落ち込まないでください。みんな生きてます。マリアちゃんも、彼女に合体したシャドウガールも洞井先生も。ただ、精気を奪われてこんな姿になってしまっただけみたいです。オレンジモスキートを倒せば、きっと三人とも元に戻ります)
「奴を倒すか……今夜、南高校の旧校舎に来いって言ってたな。……よし、対決してやるっ。そして必ず倒してやるっ!」
「行っちゃ駄目っ! 罠に決まっているわっ。今、賢造さんに聞いたでしょうっ? 南高校におびただしい『ネオ虎の爪』の怪人が集結しているって。このままいったらあなたは……お願い、行かないで蜜樹っ」

 部屋を飛び出そうとした蜜樹の腕を、幸枝が慌てて掴んで制止した。

「離して……離してください。俺、いやあたしが行かなきゃっ!!」
(落ち着いてください先生っ。お母さんの言うとおりですっ。あいつは先生を怒らせて、冷静な判断ができないようにしているんです。もっと冷静になって――)
「わかってる、それはわかっているけど……でも、あたしが行かなきゃマリアちゃんも、シャドウガールも先生も元に戻らないっ。罠かもしれない……いや、罠に違いないと思う。でも彼女たちを助けるには行くしかないんだっ」
「……うむ、男には罠とわかっていても行かなければならない時がある」
「何言っているのっ! 蜜樹は女の子よっ!」

 蜜樹の言葉に頷く賢造に、幸枝は彼女を抱き締め、涙声で反論した。

「ははは……そうだったそうだった。だが今の蜜樹の本質は、正義感に溢れた教師なんだ……そうだろ? 蜜樹」

 賢造は優しい目で蜜樹を見詰めた。その眼差しに、ヒートアップしていた彼女の気持ちが少し落ち着いてきた。

「あ……は、はい。……ありがとう、お父さん」
「それじゃ……それじゃあたしも蜜樹と一緒に行きますっ」
「いいえ、お母さんを危険な目には遭わせられない。そんなことしたら、あたしの中のほんとの“あたし”が悲しむから――」
「蜜樹……」
(……先生)

 寂しそうに目を落とす幸枝。蜜樹はそっと、母親から身を離した。

「……あたし、行ってきます。そして必ずあいつを倒してくるっ」

 そう言ってドアノブに手をかけようとした蜜樹だったが、先に扉が開いた。

「待ちなさい蜜樹。……忘れ物よっ」

 部屋に入ってきた奈津樹が差し出したのは、真っ赤なバトルスーツとプラチナフルーレだった。

「これは……」
「あいつらと戦うんでしょ? 旧校舎にどれだけの数の怪人が待っているかわからないのに」
「でも、行くしかないの」
「わかってる。あたしも一緒に戦えるといいんだけど、今のあたしには何の力もない。ただあなたの帰りを待つしかないの」
「…………」
「でも、あいつらに負けないでっ。これを着て戦うのよ、スウィートハニィ」
「うん……ありがとう、奈津樹姉さん」

 蜜樹は奈津樹から受け取った赤いコスチュームを、ぎゅっと抱きしめた。



 蜜樹は研究室を出て自分の部屋に戻ると、姫高の制服を脱ぎ、ブラジャーを外してショーツも脱いでしまうと、全裸になったその体に赤いレオタード調のバトルスーツを身につけた。
 その滑らかでぴったりとした生地は蜜樹の、いやスウィートハニィの見事なプロポーションをくっきりと浮き立たせていた。
 ブーツを穿き、手袋をつけ、鏡の前に立つと、蜜樹はほ〜っとため息をついた。

「これを着る日が再び来るとはなぁ……」
(そうですね。でも、マリアちゃんや洞井先生を必ず助けないと……そして今度こそあいつの邪悪な野望を阻止しなければいけません)
「ああ、そうだな」

 蜜樹はぎゅっと拳を握り締めた。
 その時、部屋の扉をノックして奈津樹が部屋に入ってきた。

「あら、素敵♪」
「……ね、姉さん?」
「ほら蜜樹、鏡の方向いて」
「え?」
「ブラッシングしてあげる」
「え? いいよ……そんな暇ないし」
「駄目。女の子はどんな時でも身だしなみを忘れちゃいけないのよっ」

 にっこりと微笑んで蜜樹の後ろに回り込むと、奈津樹はゆっくりとその髪にブラシをかけ始めた。
 すっ、すっとブラッシングされるたびに、蜜樹の髪は段々とスウィートハニィ本来の逆立った髪型に戻っていく。それとともに、茶色に染められていた髪は赤味を取り戻していった。

「髪の色があっという間に……どうして?」

 蜜樹は鏡に映る自分の髪の変化を、不思議そうに見詰めた。

「ふふっ、どう? 力が沸いてこない? あなたの本当の力が」
「そう言えば、何だか力が……どういうこと?」
「あなたの赤い髪を染めるのに使ったヘアカラーは、あなたが余計な力を出し過ぎないように抑えるリミッター効果があったんだって」
「ええっ?」
「あなたが普通に生活できるようにお父さんが作ったらしいわ。で、このブラシはその効果を無効にするイレイサーなんだって。お父さんがこれを使ってヘアカラーを取ってやれって。蜜樹が全力で戦えるように」
「そうだったんだ……」
「がんばって、スウィートハニィ」

 奈津樹はブラシを右手に持ったまま後ろから蜜樹をぎゅっと抱きしめた。

「あたしはパンツァーレディとして蜜樹を殺したの。この手で妹を……でも、あなたは帰ってきてくれた。そして私たち家族を救ってくれた。今の私がここにいるのは、今の生活があるのは、蜜樹、あなたのおかげ……ほんとに感謝してる。だからもう二度と――」
「わかってる。姉さん、あたし、絶対あいつらに負けないからっ」
「ふふっ、それでこそあたしの蜜樹ねっ」

 そして離れ際に、奈津樹はレオタードに包まれた蜜樹のぷりっとしたお尻をさっと撫でた。

「ひゃっ!? ちょ……ちょっと姉さんっ、こんな時に止めてよっ」
「ほら、これっ」

 振り向いた蜜樹に、奈津樹はプラチナフルーレを差し出した。

「あ……う、うん、ありがとう」

 蜜樹は受け取ったプラチナフルーレを、ひゅっと振った。

「うん、やっぱりこれが一番しっくりくるな」
「かっこいいわよ蜜樹。絶対にあいつらに勝って、そして帰ってくるのよ」

 真顔で蜜樹をじっと見詰める奈津樹。その目にじわりと涙が浮かぶ。

「必ず……必ずよ」
「わかった。必ず帰ってくる」
「どうだ? できたか?」

 賢造と幸枝も部屋に入ってきた。

「うん、力がどんどん沸いてくるみたい。今まで自分の力が抑えられていたなんて、全然気が付かなかった。お父さんったらこんなことを黙っているなんて」
「すまんすまん。普通に生活していくのには、お前の強すぎる力は邪魔でしかないと思ったんでな」
「うふふ、確かにそうかもね」
(力が抑えられていても十分スーパー女子高生だったけど、本来のスウィートハニィの力のまま生活するとなると、実際何かと大変だったかもしれませんね……さすがお父さんだわ。では行きましょう、先生)
「ああ、決戦だな。これだけの怪人を集めているんだ、きっとあいつもいる。今度こそ決着をつけてやる」

 再び研究室に降りる蜜樹。そこには助手の宝田輝一とともに、桜塚教授が待っていた。

「来てたのか、桜塚」
「うむ」

 賢造と桜塚教授は、がちっと握手を交わした。

「……それで桜塚、指輪の修復は終ったのか?」
「いや、もう少しだ。完成させてから来ようかとも思ったんだが、マリアのことを聞いて居ても立ってもいられなくなってな」

 無念そうに、硬化したマリアを見下ろす桜塚教授。

「……ごめんなさい教授。あたしのせいで」
「蜜樹ちゃんのせいじゃない。油断したマリアが悪い……全く、こんな時の為に常日頃訓練していたものを」
「訓練?」
「マリアにそっと近づいて……こほん、いや何でもない。それよりも、ひとつ蜜樹ちゃんに確かめておきたいことがある」
「蜜樹に確かめたいこと?」

 桜塚教授の言葉に、本人よりも先に父親が応じた。

「うむ、マリアの髪飾りのことだ」

 オレンジモスキートに血を吸われている最中に外れたマリアの髪飾りは、ベッドの傍らの小さな机の上に置かれていた。

「蜜樹ちゃん、すまないがその髪飾りを付けてみてくれないか?」
「え? あたしが?」
「理由は後で話す。頼む」
「わ、わかりました」

 蜜樹は桜塚教授に言われるがまま、マリアの髪飾りを頭に付けた。

「……え? 何? ……誰?」

 頭の中で、誰かが話しかけてくるのを感じる蜜樹。

(先生、この声は……?)
「う、うん」

 何を言っているのか声が小さくてよく聞き取れない。だが、徐々にある形が頭の中に浮かんでくる。
 蜜樹がぎゅっと握った掌を広げると、その掌中に一瞬だけ巨大なハリセンが出現し、消えた。

「い、今のはマリアちゃんのハリセン!?」
「ほう……やはり蜜樹ちゃんにもマリアの髪飾りの力を操れるということか。興奮したら、あのハリセンはもっと長く現れるだろう。指輪の力を使いこなす蜜樹ちゃんなら、もしやと思ったのだ」
「指輪の力も誰でも使いこなせるものではありませんでしたが、この方……いえ、蜜樹お嬢さんは見事に自分のものにしました」

 ずっと黙っていた宝田が、そこで言い添えた。

「そうだな」

 こくりと頷く賢造。

「マリアちゃんのハリセンを……このあたしが?」
「そうだ。是非その髪飾りをつけて戦って欲しい。マリアの為にも」
「マリアちゃんの為に?」
「うむ、危険に陥ったらあのハリセンを使うがいい。以前話したように、怪人の力を無効にできるだろう。一刻も早くマリアを元の姿に戻してくれ。勿論、指輪は全力で完成させる。……頼むぞ、蜜樹ちゃん」

 桜塚教授は蜜樹の両手をぎゅっと握った。その目は今まで見たことのない真剣な光で溢れている。

「……わかりました。マリアちゃんの髪飾り、大切に使わせてもらいます」
「蜜樹、絶対に帰ってくるのよ。みんながここであなたのことを待っていることを忘れないでね」

 幸枝が蜜樹をぎゅっと抱きしめた。

「うん!」

 蜜樹は幸枝の愛情を体中で感じた。

「桜塚教授、マリアちゃんは必ず元に戻します」
「よろしく頼む」
「お母さん、お父さん、お姉さん、あたし必ず勝つ。そしてここに帰ってくる」

 プラチナフルーレをひゅっと振ると、蜜樹は部屋を飛び出していった。



「……行ってしまったな」
「うむ」
「では俺も戻る。一刻の猶予もなかろうが、強度テストを省略すればあと一時間もあれば届けられる筈だ」
「そうか、よろしく頼む」
「なんの、お互いかわいい娘の為じゃないか」
「うむ」
「それからこれを渡しておこう。昔、私がまとめたあの発掘に関する資料と、マリアのハリセンと怪人に関する私の考察メモだ。生田先生が残された資料と照らし合わせれば、井荻恭四郎と『虎の爪』について何かわかるかもしれんぞ」
「うむ、早速調べてみよう」
「それにしても……」
「ん? どうした」
「スウィートハニィの勇姿、見事だ」
「私の娘だからな。当然だ」
「この親バカめ」
「お互い様だ」
「わっははは。それじゃまたな」
「うむ」

 がちっと握手すると、桜塚教授は研究所をあとにした。

「あなた……」
「どうだ? お義父さんの新しい資料は見つかったのか?」
「いいえ。龍一郎さんの資料に手がかりがあればいいんですけど――」
「そうか、早速照合してみようじゃないか。私たちは私たちにできることを精一杯やるしかないからな」
「そうですね、あなた」

 桜塚教授を見送った賢造と幸枝は、宝田とともに研究室へ戻った。

「自分にできることを精一杯……か、そうよね」

 最後に残った奈津樹も、ある決意を胸に、自分の部屋に入っていった。



 街を一気に駆け抜け、蜜樹は夕暮れ迫る南高校の旧校舎にたどり着いた。生徒たちの帰ったその周囲は静寂に包まれている。

「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
(出てくるのは鬼でも蛇でもなく『ネオ虎の爪』の怪人ですね。でもいったいどんな怪人が集結しているのか……先生、気をつけてください)
「奴ら、手ぐすね引いて待っているだろうな。でも行くしかないんだ」

 校舎の扉に手をかける。

 ガチャリ――

 鍵のかかっていない扉は簡単に開いた。

「スウィートハニィただ今見参! 『ネオ虎の爪』の怪人、何処にいるっ!!」

 叫びながら中に飛び込んだ蜜樹――ハニィは、怪人の姿を探し求めた。
 しかし旧校舎の中は静まり返ったままだ。
 ハニィは一階の部屋を全て探し終えると、二階へと駆け上がった。

「くそうっ、誰もいないのか!?」

 しかし、二階に並ぶ部屋のひとつに飛び込むと、窓から差し込む月明かりに浮かび上がった人影があった。

「ふふふ、よく来たなスウィートハニィ」

 教壇の上に座った男は如月光雄だった。

「くっ、お前か偽者……正体を見せろ!」
「正体だと? 何を言っているんだ生田蜜樹。俺は如月光雄、お前の担任じゃないか。……お前こそ何だそのみだらな格好は。風紀違反で停学延長だぞ」

 そう言うと光雄は、にやにやと蜜樹の顔から胸、そして股間と舐めまわすように視線を下げていく。

 ぞくっ……

 いやらしさに満ちたその目は、人の裸を想像している目だ。それに気づいたハニィは言いようのない嫌悪感に包まれた。
 しかも自分に視線を向けている男は、かつての自分自身なのだ。
 容赦ないその視線を振り払うように蜜樹は叫んだ。

「黙れ! お前に用はないっ。オレンジモスキートは何処だっ!?」
「そこだよ」

 光雄がゆるゆると指をさす。

「え?」

 よく見ると教壇の前に並べられた机の上に、後ろ手にロープで体を縛られ、猿轡をされた幸が寝転がされていた。
 まるで祭壇に捧げられた生贄のようだ。

「ん〜ん〜ん〜っ!!」

 ハニィに気付いて、幸は必死で体を動かした。

「幸! どうしてここに!?」
「彼女が俺をここに誘ってきたのさ。二人っきりでいいことしようってな」
「ん〜ん〜んっ!!」

 光雄の言葉を否定するように、幸は懸命に首を振った。

「よくもぬけぬけとそんな嘘を……いくら幸が俺のことを好きだと言っても、そんなことを言う訳がないだろうっ」
「ふふふふ、貴様こそぬけぬけと、ふふふ」
「え? あっ!」

 思わず口に出たハニィの言葉に、幸は怪訝な表情で蜜樹を見つめた。

「あ……幸、今のはなんでもないの」
「ほらほら、お前のお目当ては彼女じゃなくて、あちらさんだろう」

 幸の寝転がされた机の後ろから、すっと人影が立ちあがる。
 それは猫耳と尻尾をつけた美少女。そう、シャドウガールが合体したマリアの姿だった。

「よく来たですニャ、スウィートハニィ」
「こいつ……よくも、マリアちゃんをっ」

 ハニィはプラチナフルーレを構えて、マリア――いやオレンジモスキートに向かって駆け出した。
 だが、振り下ろされたその剣先を、オレンジモスキートは見切りでよけた。

「……ここがお前の墓場になるんだですニャ、ハニィ」

 ハニィをあざけるようにマリアの顔でにやっと笑う。

「くっ! マリアちゃんの姿を返しなさいっ!」
「返して欲しければ、私を倒してみるんだですニャッ!」

 オレンジモスキートは四つんばいになると、猫のようにハニィに飛びかかった。

「は、速い!?」

 横っ飛びでその攻撃を避ける。だがその頬が鋭い爪にスパッと切れ、血がつーっとしたたる。

「おいしそうな血だですニャ……」

 マリアの顔でにや〜っと笑い、オレンジモスキートは爪についたハニィの血をぺろりと舐める。

「この姿だと、早く動けるんだですニャア」
(せんせい、このスピード……)
「うん、これがシャドウガール本来のスピードなんだな。その能力をオレンジモスキートに使われているんだ。でも――」

 ハニィはプラチナフルーレを構え直すと、一気に間合いを詰めた。

「……でやぁ!」

 バシッ!

 今度はオレンジモスキートの頬に、赤い傷が入る。

「危ないですニャ」
「何が危ないだっ。……今度こそ覚悟しろっ。奥義――」
「おっと、それ以上動くんじゃないですニャッ」

 マリアの顔で邪悪に笑うと、オレンジモスキートは横たわる幸の首筋に口を近づけた。

「……少しでも動いたら、こいつの血を吸い尽くしてやるんだですニャ」
「ん〜ん〜ん〜っ!!」

 幸の表情が蒼ざめ、いやいやするように縛られた体が蠢いた。

「こ……この卑怯者っ」
「くっくっくっ、さあ、武器を捨ててもらおうですニャッ、スウィートハニィ」
「……くっ」
(先生っ、こうなったら――)
(うん、わかっている)

 ハニィは床にプラチナフルーレを放り出した。

「……ふふふ、よおし、いい子だ。全てはシスター・ミク様の計画通り。……早速Dr.シマムラの手で、『ネオ虎の爪』の忠実な一員に改造してもらうとするか」

 にやにやと笑いながら二人の戦いを見ていた如月光雄は、そう言うと教壇から立ち上がった。

「ニャははは、いい様だですニャ、スウィートハニィ」

 オレンジモスキートは、勝ち誇ったように蜜樹に近づく。

(……マリアちゃん、頼むっ!)

 パッと広げたハニィの手のひらに、巨大ハリセンが出現した。

「何!?」
「でやああぁ!!」

 バシイイイイイッ!!

 一瞬、交差するハニィとオレンジモスキート。
 ハニィの手にある巨大ハリセンが、オレンジモスキートの頭にヒットした。

「……うくぅ」

 頭を押さえるオレンジモスキート。その姿が徐々にマリアから、本来の蚊のような怪人の姿に戻っていく。

「……くっ、こ、こうなったら、我が娘たちよ……スウィートハニィを殺れぇっ!!」

 オレンジモスキートの声とともに、ブーンという羽音の群れが暗がりの中、ハニィに迫ってきた。

「さっきの蚊の集団か……こいつらなんかに構っていられないぞっ」
(先生!!)
「うん。……一気にいくぞっ!」

 ハニィは床に転がったプラチナフルーレを拾い上げると、中段の構えから一気にオレンジモスキートの懐に飛び込んだ。

「奥義、桜・華・天・翔!!」

 オレンジモスキートの体を下から上に、そして右から左にプラチナフルーレが一閃、二閃する。

「うぎゃああああっ!!」

 十字に切り裂かれたオレンジモスキートは、次の瞬間塵となって消えていった。
 それと同時に、頭上の羽音も消えた。

「……やった」
「おのれ、よくもオレンジモスキートをっ。……スウィートハニィ、今度は俺が相手だ。覚悟しろっ!」

 如月光雄は教壇の裏から日本刀を取り出すと、鞘を抜いて構えた。
 その構え方さえもが、かつての自分そっくりだ。

(この構え、俺そのものじゃないか……俺は俺と戦うのか)

 不思議な感覚に囚われながらも、ハニィは光雄に向けてプラチナフルーレを構えた。

(続く)




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