虹男さんに会って元の自分の姿に戻ることができた僕は、久々に会社の研究所に戻った。
 それは高原社長に気づかれないように、何とか会社と高原ビューティクリニックの提携を止められないかと思ったからだ。
 でもそこで僕は思いがけない情報を聞かされることになってしまった。




ゼリージュース!外伝(5)「幸せの黄色い・・・(中編)」

作:toshi9




「よお、みんな、しっかりやってるか?」

 努めて明るく研究室に入ると、研究員の一人である大野が、久々に戻ってきた僕に向かって驚きと羨望の入り混じった表情を見せながら歩み寄ってきた。

 はて?

「小野さんじゃないですか、お久しぶりです。高原ビューティクリニックに出向したままこっちに顔を出さないんで、今頃どうしてるんだろうって皆で噂してたんですよ。今日はまたどうしたんですか?」

「う、うん、実は室長に相談があって来たんだ」

「それじゃ、いよいよゼリージュースの発売日が決まったんですね」

「え? おい大野、どうしてお前がゼリージュースのことを知ってるんだ」

「だって高原ビューティクリニックとうちが、ゼリージュースの販売に関する業務提携契約を結ぶって室長から聞きましたよ。小野さんが開発した夢のような飲料をうちで製造して、高原ビューティクリニックのブランドで全国発売するんだって。この大型プロジェクトを成功させたら、小野さんも昇進間違いなしですね」

「僕の頭の上でそんな話が進んでるのか、くっ」

 僕は研究室の電話の受話器を取ると、部長と打ち合わせ中だという室長に電話した。

「室長、小野です。ゼリージュースの件ですが」

「おお! 小野君、よくやってくれたね。君ならきっと成果を上げてくれると信じて指名したんだが、まさかここまでやってくれるとは思わなかったよ。いやー私も社長に対して鼻が高い」

「い、いや、ゼリージュースはまだ未完成なんです。今発売したらとんでもないことに……」

「未完成? このプロジェクトは既に発売までのタイムスケジュールに沿って進行しているんだ。それじゃあ何としても期日までに完成させて間に合わせないといけないな。小野君、会社は支援を惜しまんから、しっかり頼むよ」

 電話はそこで切れた。

「くそう、どうしたらいい。このまま未完成のゼリージュースが発売される? いや、そんなことはできない。それじゃ高原社長の思うがままじゃないか」

 だが、どうやら高原社長の言っていた『TSショップ計画』は着々と進行していたようだ。

 ゼリージュースの完成形は、赤、青、黄の3色。それぞれに配合するハーブエキス・ダッシュセブンの量を最適配合量に調整してやれば、飲んだ本人の自我を損なうことなく他人への変身、憑依、姿の入れ替わりが可能な筈だ。

 でも今のゼリージュースのレシピでは、飲めば飲むほど、本数が増えるほど自我を失っていく。心の奥底に潜む欲望がさらけ出され、その欲望に支配されてしまう。そして遂にはゼリージュース無しでは生きていけない体になってしまうんだ。それじゃまるで麻薬と同じじゃないか。
 ましてや裏のゼリージュースなんか世に出してはいけないんだ。

 僕は研究所を出ると、由紀さんに連絡した。

「うちの会社と高原ビューティクリニックの提携プロジェクトはかなり進行しているようです。このままでは未完成のゼリージュースが発売されてしまうことになります。もしあれが売られることになったら、誰もが欲望の赴くままに使うでしょう。もしそうなったらとんでもないことになってしまいます。由紀さん、何かいい知恵はありません?」

「そっか。……わかったわ、とにかく二人で対応策を考えましょう」

 僕たちは街中の喫茶店で待ち合わせることにした。
 1時間後にやってきた由紀さんは、彼女自身の、つまり元の柳沢由紀の姿をしていた。 
 電話した時には気にしてなかったけれど、彼女は既に小田みゆきの姿から元の姿に戻っていたのだ。

「……という訳で、年内には高原ビューティクリニック直営の『TSショップ』が全国にオープンして、そこでうちで製造されたゼリージュースが発売されることになっているらしくって」

 研究所で聞いた情報をまくしたてる僕の言葉を聞いているのかいないのか、足を組んで僕の前に座った由紀さんは自分の手をじっと見ていた。

「みゆきちゃんの体って、とっても感度が良いのね。元に戻るのが勿体無いくらいだったわ」

「はあ?」

「高原社長のエステシャンとしての腕って、ほんとに大したものね」

 由紀さんは、対応策とは全く関係ないことを話し始めた。おまけに、小田みゆきの体の感度だって? 由紀さんまさか……。

「うふふ、せっかくだから、小田みゆきとして摩耶とちょっと楽しんじゃった。いつもとは逆にみゆきちゃんになったあたしが摩耶に責められたんだけど、すっごく感じちゃった。ほんとあの体って最高ね」

 何が最高なんだか、全く由紀さんときたら……。

「由紀さん、怒りますよ!」

「はいはい、それじゃあ本題にいきましょう」

「で、高原社長には気づかれてないんですか?」
 
「あたしが身代わりを務めてたから、まだ気づいてないと思うわ。でもすぐに小田みゆきが、いいえ、あなたがいなくなったことに気が付くでしょう。ぐずぐずしてはいられないと思う」

「はい、僕もそう思います。だからどうしたらいいかって由紀さんに聞いてるんですよ」

「俊行さん、あなたはどうしたらいいと思ってるの?」

 不意に由紀さんは真顔になって僕を見詰めた。

「え?」

「あなたのことだから、もう決めてるんでしょう。ただそれが上手くいくのか自信が持てない。
違う?」

「……その通りです。『TSショップ計画』を挫折させるには、高原社長がうちの会社と結ぶという契約を白紙にさせるか、さもなければ計画の要である彼女自身がいなくなればいい。そうすれば『TSショップ計画』は空中分解するでしょう」

「で、俊行さんはその為にゼリージュースを使おうとしているのね」

「お見通しですね。でも高原社長に近づくのは容易じゃないですよ。今や社長はゼリージュースの全てを知ってますし、おまけにPPZ−4086を使う秘書が高原社長の傍らについてますからね。例え姿を見せてなくても、どこで見張っているのかわかったもんじゃない。全くやっかいです」

「秘書室長の田丸さんね。確かに彼女にPPZ−4086を使われるとやっかいよね。でも……」

「でも?」

「彼女の目をくらます手はあるんじゃないの? そのためのゼリージュースでしょう。種類をうまく使い分ければいいんじゃないの?」

「使い分け……ですか?」

「例えば、青色のゼリージュースを使って逆に田丸さんに憑依しちゃうとかね。腹心の田丸秘書になれば高原社長に容易に近づけるでしょう、そして」

 BANG!

 突然由紀さんは僕に向かって右手で拳銃を撃つ真似をした。

「高原社長も、まさか田丸さんが刺客だなんて思わないでしょうね。おまけに田丸さんになって高原社長を撃てば、誰が見ても側近の田丸秘書が社長を撃ったと思うでしょう。警察に捕まるのは田丸さんよね」

「由紀さん、冗談ですよね。それって犯罪じゃないですか」

「でも今の日本の法律は犯罪を犯した人間じゃなくて犯罪を犯した身体を裁くのよ。だからゼリージュースを使えば何のお咎めもない。完全犯罪も不可能じゃないってことね」

「そ、そんなことできません! ゼリージュースを犯罪に使うなんて!!」

 思いがけない由紀さんの言葉に、僕は彼女をキッと睨んだ。

「ふふっ、そうね、俊行さんにはできっこないわね。まあそれがあなたの良いところなんだけど」

 由紀さんはあっさりと肯定すると、からかうように、ふふんと鼻を鳴らした。

「それに、こんなアイデアにほいほい賛同するような人間なんて信頼できないしね」

「え?」

「何でもないわよ。で、俊行さんはどんな方法を考えているの?」

「具体的にどのゼリージュースをどう使えばいいか、まだ考えがまとまらないんですよ。でももう一つ武器があるんです」

「武器?」

「実は虹男さんからハーブエキスのダッシュセブンと一緒に面白いものをもらってきたんです」

「面白いもの?」

「これです」

 僕はバッグから虹男さんからもらったハーブティの抽出液が入ったペットボトルを取り出した。

「紅茶みたいね」

「これを使えば全てのゼリージュースの効果を無力化できるんです。僕もこれのおかげで元の姿に戻ることができたんですけど、必ず何かの役に立つと思ってもらってきたんです」

「ふーん」

 由紀さんは僕の話を聞きながら、しげしげとペットボトルを眺めていた。

「……そうだ、由紀さん、これを預かってもらえません?」

「あたしが? どうするの?」

「今の僕じゃ高原ビューティクリニックの中にこれを持ち込めませんから。でも、いざという時に使えるようにしておきたいんです」

「わかったわ。じゃあ商品開発室に置いておくから、必要な時には取りに来てちょうだい。どっちにしても俊行さんは手駒にできるゼリージュースを早く完成させることね。どうすれば高原社長に気取られずに接近できるか、あたしも策を考えてみるから」

「わかりました。じゃあ明日もう一度うちの研究所に行って、ゼリージュースを作ってきますよ」

「頼むわよ。出来上がったら連絡を頂戴。必要なら摩耶を寄越すから」

「はい。それじゃ完成したら連絡しますよ」

「お互いやれることからやりましょう。がんばってね♪」








 由紀さんと別れた僕は、久しぶりに自分のアパートに戻った。

 長いこと戻らなかったので埃を被っているだろうと思った部屋の中は、意外なことに綺麗にしていた。

 机の上にメモが置かれている。


『いつ来ても会えないね。あんまり汚いので、部屋を掃除しておきました。
お仕事無理しないでね、俊行お兄ちゃん。
                             雪菜より』


「雪菜、来てたのか」

 メモ用紙に書かれた雪菜の丸っこい字を眺めながら、僕は雪菜の人なつっこい笑顔を思い浮かべていた。

「雪菜、お前のおかげで僕はゼリージュースの魔力に打ち勝つことができたんだ。雪菜の為にも何とかしなくっちゃな」

 そうさ、決着をつけるんだ。

 メモ用紙をぎゅっと握り締めながら、僕は高原社長と対決をする決意を新たにした。






 そして翌日、再び会社の研究所に行った僕は白衣に着替えると、自分の所属している飲料研究室の機器を使ってゼリージュースの試作を進めた。調合したいくつかのゼリージュースベースに虹男さんからもらったハーブエキス・ダッシュセブンを加えて、数本のゼリージュースを作り上げたのだ。勿論エキスの配合量を減らして再調整したゼリージュースの完成型だ。

「よし、できたぞ!」

 不完全なまま使い続けてきたゼリージュース、それが遂に最終型として完成したのだ。
 だが、ほっとしている間はなかった。高原社長と対決する為には、不本意ながらも裏のゼリージュースも用意しなければならない。
 僕が作ったのは白色のゼリージュースだ。そして体の組織をぐにゃぐにゃにして自由に別の物に作り変えることのできるこのゼリージュースにも改良を加えた。
 使う発酵乳の種類を変えて少しチーズ臭のあった以前のものに比べてくせの少ない、すっきりしたカ○ピス風味にしたのだ。効果は以前とほとんど変わらないが、格段に飲みやすくなっている。
 それは白色のゼリージュースのことを知っている高原社長を欺くためでもあった。

「よし、これでいい。これを使って……」

「それが今度発売されるゼリージュースなんですか? 小野さん、僕にも作り方を教えてくださいよ」

 ペットボトルに詰めて殺菌したゼリージュースを冷却槽から取り出していると、後ろから見ていた大野が声をかけてきた。

「駄目だ! こんなものの作り方なんて知らないほうがいい。不幸になるだけだぞ」

「そんなことありません。お願いです、小野さんの助手として働かせてくださいよ」

「駄目だ!! 大野、仕事の邪魔をしたな。僕はこのまま高原ビューティクリニックに戻るから、室長によろしく言っておいてくれ」

「くっ!」

 大野が僕の背中からうらめしそうな目で睨みつけているのを、これから高原社長にどうやって近づくか考えることで頭が一杯だった僕には気づくべくもなかった。、





「さて……と、ゼリージュースを作り上げたものの、これからどうするか。……とにかくまず由紀さんに連絡するか」

 研究所を出ると、僕は由紀さんにメールを打った。すると、程なく由紀さんから「摩耶をそっちに行かせる」という返事と、由紀さんの作戦案を記したメールが返信されてきた。

「……なるほど。でもこの作戦で上手くいくのか? いや、何としても成功させなくちゃな」

 僕は「駅前で待ちます」とメールを返信すると、電車を乗り継いで高原ビューティクリニック近くの駅に降りた。そしてバッグから1本だけゼリージュースを取り出し、駅前で摩耶ちゃんを待った。

 そして程なく彼女はやってきた。

「小野さん、ひっさしぶりですぅ」

「摩耶ちゃん、あの」

「先輩から聞いてます、小野さんから大事な荷物を預かってくるようにって」

「ああ、これだよ」

 僕は摩耶ちゃんにゼリージュースの入ったバッグを渡した。
 摩耶ちゃんは見かけは頼りないけれど案外しっかりしてる、そして信頼できる女の子だ。
 勿論高原ビューティクリニックの中の数少ない仲間だ。

「じゃあ先輩に渡しておきますね」

「うん、頼んだよ」

「で、小野さんはこれからどうするんですか?」

「これからやらなければいけない事があるんだ。勿論由紀さんも知ってる」

「わかりました。じゃあ、また」

 摩耶ちゃんは屈託無くバイバイと手を振ると、受け取ったバッグを持ってクリニックの中に戻っていった。

「さて、始めるか」

 由紀さんのメールに書かれていた作戦スタート時間が近づく。
 僕は駅ビルのトイレで手元に残したゼリージュース……青色のゼリージュースを飲み、透明なゼリー状の体になった。

「完成型のゼリージュース、効果は確かなようだな。気分も落ち着いている。よし、大丈夫だ」

 トイレの中で服を脱いですっかり透明人間状態になった僕は駅を出ると、高原ビューティクリニックの入り口に近づき、辺りの様子を伺った。
 但し、透明とは言っても ゼリージュースでゼリー化した体は完全な透明ではない。よく目を凝らして見れば、ぼんやりと体が見える筈なのだ。そこが魂だけになって自由に動き回れるPPZ−4086の効果とは違うところだ。

「こんな状態で高原社長や田丸に感づかれたら身動きが取れなくなる。早いとこ済まさなければ」

 由紀さんが僕に授けてくれた第1の策は、高原社長や田丸秘書に気づかれずに、その身辺に近づく為のものだった。それはもうすぐ目の前にやってくる筈だった。

「お! 由紀さんの言った時間通りだ。さすがだな」 

 由紀さんのメールに書かれた時刻に目の前に現れたのは、タイトミニのスーツを着た女の子たちの集団だった。それは昼休みのランチから戻ってきた秘書グループだった。どの女の子もスタイルが良く、ミニスカートから伸びるすらりとした脚が眩しい。だが歩いてきたのは若い女の子だけで、その中に秘書室長の田丸の姿は無かった。

「よし、あの中に潜り込むとするか」

 僕は跳ねるように道路に飛び出すと、集団の一番後ろを歩いているショートカットの小柄な女の子の背中からぎゅっと抱きついた。

 途端に、ゼリー状になっている僕の体は彼女の中にずぶずぶと染み込んでいく。
 そして僕の体が入り始めた女の子は背筋をピンと伸ばして立ち止まってしまった。

「ひっ!」

「麻衣、どうしたの?」

 僕が潜り込んだ女の子は、支店から異動してきて日の浅い、新人秘書の立川麻衣だった。

「い、いいえ、何でもありません」

 瞬時に体の主導権を奪った僕は、彼女に成りすまして答えた。

「早くしないと1時になるわよ。室長は時間にうるさいんだからぐずぐずしないで」

「すみませ〜ん」

 新人を諭すように話す先頭を歩いていたリーダーらしき秘書の一人に、僕はぺろっと舌を出して答えた。
 





 こうして立川麻衣に成りすまして高原ビューティクリニックのビルに潜入した僕は、他の秘書たちの後について秘書室に入った。

 だがそこに田丸秘書の姿はない。

「あの……田丸さんは?」

「午前中は社長と打ち合わせだった筈だけど、まだ戻らないようね」

「そうか、それじゃ今の内に……」

「え?」

「あ、何でもありません、あの、あたしちょっとお手洗いに」

「もう、しょうがないわね。室長がきたら、すぐに午後のミーテングが始まるから、早く戻ってくるのよ」

「はーい」

 僕は秘書室を出ると、トイレではなく商品開発室に向かった。

 ドアをノックして中に入ると、由紀さんが一人パソコンに向かって座っている。

「由紀さん」

「あら立川さん、何か用?」

「用って言うか、その、僕ですよ」

「僕?……それじゃ、あなた俊行さんなの?」

「はい、さっき由紀さんのメールに書かれた時間に、この子に憑依したんです」

「そう、それじゃうまく秘書の一人に成りすましたというわけか。それにしても、へぇ〜、彼女になったんだ。俊行さんったら、またかわいい子に乗り移ったものね」

 由紀さんは目をきらりと光らせると、僕の体を嘗め回すかのようにじっと見詰めた。その獲物を品定めするかのような視線に、履いているショーツの奥がきゅんとする。

「そ、そんなことより次の作戦のことなんですけど」

「ふふっ、ミッションの第一段階終了ってところね。で、第二段階だけど、今度は田丸さんが持ってるPPZ−4086を使えないようにするのよ。彼女がアレを持っている限り、どこで見張っているのかわからないから、迂闊に動けないのよ。今だってもしかしたらあたしたちのことをその辺でじっと見ているかもしれない。いいえ、既にあたしに乗り移ってあなたが接触してくるのを待っていたのかもしれないわよ」

 そう言って、由紀さんがにやっと笑う。

「え!? ま、まさか」

「うふっ、冗談よ」

「お、脅かさないでくださいよ」

「でもマジで何とかしなくちゃ」

「それからいい方法があります」

「いい方法?」

「虹男さんにもらったあのハーブティを使えば、ゼリージュースと同じようにPPZ−4086の効果も無力化できるって教えてもらいました。だから在り処さえわかれば……」

「へぇ〜、それじゃPPZ−4086を探し出せれば何とかなるってことか」

「はい♪」

 にっこりを笑って僕が答えると、由紀さんが妖しい表情で微笑む。

「その笑顔、ぞくぞくするくらいかわいいわ。思わず抱きしめたくなっちゃうわ。ねえ俊行さん、麻衣ちゃんのままであたしとえっちしてみない?」

「由紀さん!!」

「じょ、冗談よ。お〜こわっ」

「まったく、もっと真剣にやりましょうよ」

「あら、あたしはそのつもりだけど」

 そう言いながら、由紀さんが僕の胸に手を伸ばす。

 むにゅ

 頭の中に電気が走る。

 慌てて胸から由紀さんの手を払いのけた。

「ひぃ、もうやめてください。それじゃあ僕は秘書室に戻ってPPZ−4086の在り処を探しますから……そうだ、あのハーブティは有ります?」

「ここよ」

 由紀さんが冷蔵庫から紅茶色の液体の入ったペットボトルを取り出した。

「それと、何か霧吹きみたいなものはありません?」

「霧吹きねぇ、これはどお?」

 それはオーデコロン用の小型のアプリケーターだった。

「十分です。PPZ−4086を見つけたら、これを使って全部無力化してやりますよ」

 僕は由紀さんから受け取ったアプリケーターの中にハーブティーを仕込むと、着ているベストのポケットに入れた。

「それじゃ行ってきます」

「摩耶が預かってきたゼリージュースはここに隠しているから、必要になったらいつでも取りにいらっしゃい。あ、そうだ、それから今夜はうちで待ってるから。その姿で来るのよ。がんばってね、麻衣ちゃん♪」

「は、はあ」

 全く由紀さんときたら、本気なのか冗談なのか……。





 商品開発室を出て秘書室に戻ると、既に田丸秘書を中心にミーティングが始まっていた。

「立川さん、遅いわよ」

 さっきのリーダーが小声で注意する。

「申し訳ありませ〜ん」

「で、安田さん、今日の当番は?」

「はい、それが、この立川麻衣なんですが」

「そう、この子が今日の当番か、大丈夫なの?」

「支店から異動して来て日が浅いんですが、この業務にも早く慣れてもらいませんと」

「そうね、うちは秘書の仕事といってもいろいろあるから」

 田丸秘書が少しだけ唇の端を歪ませて、にやっと笑う。

「いろいろって……何なんですか?」

 僕は怯えたような表情をしながら、田丸秘書に向かって尋ねてみた。

「あなたもすぐに慣れるわよ。とにかくしっかり頼むわよ。どうやら小田みゆきが姿をくらましたみたいだし、警戒しなきゃ」

「小田みゆき? あんな小娘をですか?」

「そうよ、人を見かけで判断しちゃいけないわ、安田さん」

「でもあんな子を警戒するなんて、なんだか馬鹿みたいで」

「安田さん!!」

 田丸秘書がキッと睨む。

「す、すみません」

「あ、あの、それで当番って」

「ほら安田さん、この子に教えてやりなさい」

 そう言いながら田丸秘書は自分の机の引き出しからプラスチックの容器を取り出すと、中から錠剤を一つ振り出してリーダーに渡した。 

(PPZ−4086!)

 僕は田丸秘書に気取られないように、引き出しの中に戻された容器の形を心の中に刻み込んだ。

「当番というのは、社長の護衛のことよ。それもあたしたち秘書の仕事の一つなの。このPPZ−4086を使って魂だけになって、社長の傍らで待機しているの。もし怪しい奴が社長に近づいたら、すぐに秘書室に連絡するか、いざとなったらそいつに憑依して、体を支配してやるのよ」

「あの、言ってる意味がよくわからないんですが」

 僕は話の中身が理解できないといった、きょとんとした表情で田丸秘書に尋ねた。

「この薬を飲むと、魂が身体から抜け出てしまうの。いわゆる幽体離脱ってやつね。そして魂だけで自由に動き回ることができるのよ」

「すごーい、そんなことができるんですか?」

「あら? あたし教えてなかったっけ」

 安田さんと呼ばれたリーダーが口を挟む。

「えーっと、あ、思い出しました。そうでしたね、えへっ」

「……おかしな子ね。それじゃ頼むわよ」

「あのお、一つ聞きたいんですが」

「何か?」

「その薬ってたくさんあるんですか?」

「在庫が残り少ないから新しいのを発注しているんだけれど……って、あなた何でそんなことを聞くの?」

「え? だって幽体離脱できるなんて凄い薬ですよね。そんな薬どこにも売ってないなって思って」

「こんなの大したことないわよ。芳雄とかいうガキが持ち込んできたんだけど、お金を出せばほいほい作ってくれるわ。そんなことより早くしなさい」

 安田が吐き捨てるように言う。どうやら芳雄さんのことをあまり快く思ってないらしい。

「はーい……ってあの、あたしはどうずればいいんですか?」

「もう、世話がやける子ね。社長好みの美人で頭の切れる子だって聞いていたんだけど。安田さん、それじゃ後はお願いね」

 田丸秘書はそう言い残すと、秘書室を出て行った。

「安田さん、お願いしま〜す」

 僕はリーダーのほうを向いて、ぺこりとお辞儀した。彼女はそんな僕の態度に、やれやれといった感じで両手を広げた。

「麻衣ちゃん、ほんとに今日はどうしたの? 薬を飲んで仮眠ルームのベッドで横になりなさい。そしたらすぐに魂が抜け出てしまうから、そしたら社長室に行って定時の時間が来るまで社長の傍らでじっと待機してるのよ。時間が来たら自分の体に戻ってきていいわ」

「はーい。わかりました、ありがとうございます」

 僕はもう一度ぺこりとお辞儀すると、リーダーが目線で指し示した秘書専用の仮眠室に入った。

「さてと、これからどうする……とにかく、まず残りのPPZ−4086を何とかしなきゃいけないな」

 僕は立川麻衣の姿でベッドの上に座ってどかっと足を組むと、腕組みして考えた。膨らんだ胸が二の腕を押し返す。

「よし、やってみるか」

 PPZ−4086がこんな形で手に入るとは思ってもみなかったが、これを使えば次の仕事がもっとやり易くなるのは確かだ。でも今の僕はゼリージュースを使ってこの立川麻衣の身体に憑依しているのに、その上さらにPPZ−4086を飲んだら、いったいどうなるんだ。今この身体には、立川麻衣の魂も同居している筈だけれど、果たしてちゃんと幽体離脱できるのか?

 だがこんなチャンスは二度と無いかもしれない。

「考えていてもしょうがないな やろう」

 意を決した僕はベッドに寝転がって毛布を頭から被ると、PPZ−4086をごくっと飲み込んだ。

 さて、どうなる?

 少しばかりの不安を抱きながら目を閉じる。

 だが気がつくと、僕は立川麻衣の体から抜け出て、いつの間にかベッドの上にふわりと浮いていた。

「ふーん、幽体離脱ってこんな感じなんだ。ゼリージュースとは全く違うな。それにしても今の僕が魂だけだってことは、僕の体は彼女の中に入ったままという訳か」

 僕の体が入ったままの立川麻衣の身体は、毛布の中ですーすーと寝息を立てている。

「まあある意味、身体を隠しておくには絶好の場所かもしれないな」

 そう思いながら寝ている立川麻衣の身体を残し、ふわふわと浮いた身体を何とか動かして秘書室に行った。

 部屋の中を観察すると、戻っていた田丸秘書が室長席に座っていた。

「よしチャンスだ、最初の計画とは違うけど……やるか」

 僕は田丸秘書の背中から覆いかぶさるように、その身体に潜り込んだ。

 じわりと染み入っていくゼリージュースと違い、魂だけになった僕はあっという間に彼女の中に入ってしまった。

「はうっ!」

「室長、どうしたんですか?」

「え? ああ、何でもないわ」

 瞬時に田丸秘書の身体の主導権を奪った僕は 田丸秘書の口調を真似て怪訝そうに見ている秘書たちに答えた。

(よし、後はこの身体で高原社長に近づけばいい。でもその前に……)

 僕は座っている机の引き出しからPPZ−4086の入った容器を取り出すと、それを持って仮眠室に入った。

 仮眠室では、毛布をかぶった立川麻衣が相変わらずすーすーと寝息を立てている。

 僕は毛布をめくって立川麻衣のベストのポケットの中からアプリケーターを抜き出すと、PPZ−4086の入った容器の蓋を開け、その中にシュッと霧状になったハーブティを吹きかけた。

「よし、これでこのPPZ−4086は全部効果が無くなった筈だ。次はゼリージュースだな」

 秘書室に戻ると、安田リーダーに声をかける。

「ちょっと出かけてくるわ。すぐ戻るから」

 田丸秘書の姿のままもう一度商品開発室に向かう。

「由紀さん」

「由紀……さん?」

「僕ですよ」

「俊行さん?」

「はい」

「でもどうして? ゼリージュースは全部摩耶に預けたんじゃなかったの?」

「それが、PPZ−4086が手に入ったんですよ。それを使って田丸秘書に憑依したんです。残りはあのハーブティを使って全部無力化してやりました」

「そう、それじゃ作戦は半分以上成功じゃない」

「ええ、でもこれからが本番ですよ。今度は高原社長を……」

「確かにそうね。あと少しがんばりましょう」

「はい、わかってますよ。それじゃ、白色のゼリージュースを出してください」

「これね」

 由紀さんは冷蔵庫の中からプラスチックケースを出すと、フタを開いて白色のゼリージュースの入ったペットボトルを取り出すと、僕に手渡した。

「ありがとうございます」

 僕は受け取ったペットボトルを思いっきり振った。

「これでいい、これを高原社長に飲ませます」

「え? でも高原社長がゼリージュースを飲む訳ないでしょう」

「これだけ崩したらゼリージュースってわかりませんよ。で、社長がこれを飲んだら、その後の処置は手伝ってもらえません?」

「了解。じゃその時になったら社長室から電話を頂戴。すぐに行くから」

「はい」

 僕は秘書室に戻ると、粉々に崩されたゼリージュースをグラスに注ぐと、氷を数個放り込んだ。するともう見た目は普通のカル○スと見分けがつかない。

 これを高原社長に飲ませれば、全てが終わる。よし、やるぞ!

 僕は両頬を叩いて気合を入れ直してグラスをお盆に乗せると、社長室に向かった。

 社長室のドアをコンコンと叩く。

「どうぞ」

 高原社長の声だ。扉を開けると、そこに眼鏡をかけ書類に目を通している高原社長がいた。

 書類から目を離して僕を一瞥すると、少し意外そうな顔をする。

「あら田丸さん、何かあったの?」

「社長、これを」

 僕はお盆に乗せた、崩した白色のゼリージュースを差し出した。

「あら、ありがと、そろそろ何か頼もうかと思ってたのよ」

「はい、そう思って持ってきました」

 僕は適当に話を合わせて答えた。

「まあ、ほんとにあなたってほんと気が利くわね。ほら、ようやく契約書のチェックが終ったところよ。明日はこの契約書のサインを先方と取り交わす。1年も経てばあたしは世界の女王様ね、うふふふ」

「はい。おめでとうございます、社長」

 高原社長が受け取ったグラスに口をつける。

(女王様か、やっぱり彼女は未完成のゼリージュースの効果を知っていたんだ)

 内心の動揺をかろうじて抑えながら、僕は彼女が飲む様をじっと見ていた。

 ごくっごくっ

 高原社長はそんな僕の目の前で、受け取った白色のゼリージュースを一気に飲み干した。何の疑いもなく。

 







 ・・・今回のお話はここまでといたします。とうとう白色のゼリージュースを飲んだ高原社長、さあ僕と由紀さんの反撃開始です。その話はまた次回。


 ゼリージュース!外伝(5)「幸せの黄色い・・・(中編)」 ・・・終わり




                              平成20年1月30日脱稿  




後書き
 長らくお待たせいたしました。ってほんとに毎回こればっかりです。このお話も完結させるのに、一体何年かかるのか。お待ちいただいてる皆様、どうもすみません。
 でもどうやらここまでたどり着きました。恐らく次の(後編)で完結できるんじゃないかと思いますが、さてどうなりますやら。
 ということでここまでお読みいただいた皆様、どうもありがとうございました。
 
 toshi9より感謝の気持ちを込めて。















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