「わたしのわんこ(前編)」
(ファシット・ファクトリー・シリーズ)
作・JuJu
ひとめ惚れとは、この事を言うのだろう。
聖心女学園に入学した日。桜の木の下に彼女はいた。
手に持ったピンク色の紙をしばらく見ては、顔を上げてキョロキョロとあたりを見る。
その度に長い黒髪と、黒髪に飾られた大きな白いリボンが揺れる。
彼女の後ろには教会へ続く道が見えた。道の両脇は道にそって桜の木が並んでいる。教会は大きな鐘が付いていて、
屋根の上には大きな十字架が立っている。ここがミッション系の高校だと、自己主張している様だ。
突然教会の前にある桜の木が風に揺れた。
教会から桜並木にそって突風進む。風は進むごとに桜の木を揺らして花びらを奪い、
花びらを増やしつつ白いリボンの彼女に向かっていく。
彼女はまたピンク色の紙を見てた。突風が襲ってくる事に気がついていない様だ。
「あぶない!」
あたしは言った。
今思えば、春の風のどこが危ないのか、自分でも分からない。
でもあの時は、桜の花びらが彼女を傷つけてしまう様な気がした。
あたしの声に気づいてこちらを向いた彼女。
目が合った瞬間に、彼女を突風が襲った。
「え? ……きゃっ!」
短い悲鳴を上げる。
桜の花びらは彼女に絡みつた。
腰まで伸びた黒髪が、桜の花びらと舞う。
白いリボンが揺れる。
彼女は持っていたピンクの紙を放した。
紙は風に乗って手から離れる。
身を縮める。
スカートを押さえる。
桜の花びらに翻ろうされる彼女。
そんな彼女を、あたしは呆然と見ていた。
桜の花が鋭い刃となって灰色の制服を裂き、彼女の体をさらけ出す。花びらが舞うたび、
彼女の白い肌を斬り、赤く滲んだ傷跡が増えていく。
なぜかそんな想像をしてしまった。舌が乾き、背中に汗がにじんでいる。
突風は彼女を襲った後、あたしを通ってどこかに行ってしまった。
風が去った後は、桜の甘い香りが残った。
彼女が持っていたピンク色の紙はあたしの足にまとわりついていた。あたしはかがんで、ピンク色の紙を取った。
地図が描いてあっる。ピンクの紙の正体は、合格通知の封筒に入っていた校内の案内図だった。
彼女が書いたのだろう。丁寧な字で、入学式をする体育館の場所を指した矢印と簡単なメモが書いてあった。
「すみません」
あまり早くない速度で、彼女はあたしに近づいてきた。
「はあはあ。すいません先輩。拾って頂いて。ありがとう御座います」
「先輩!? あたしも新入生よ」
「え? あまりに堂々と立たれていたので、てっきり先輩の方かと……」
堂々としていたんじゃない。
傷だらけになってゆくあなたを想像して見とれていたんだ。
――とは、さすがに言えなかった。
「これから入学式にいくんでしょ? よかったら一緒に行かない?」
「よろしいんですか?
私って方向音痴で……。
体育館がどこにあるかわからなくて、入学式に遅刻しないかハラハラしていたんです」
「あたしだって今日初めて来て、この学校の事はよくわからないって。だから、一緒に行きましょ!
あたしの名は野沢愛華{のざわ・あいか}」
「私は白川桜乃{しらかわ・さくらの}と申します」
彼女は丁寧に頭を下げた。
* * *
それが彼女との出会いだった。
あの日以来、あたしの頭の中は、桜乃でいっぱいになった。
可愛い顔、ちょっと小さめな体、丁寧で礼儀ただしい性格。
どれを取っても、可愛くて仕方なかった。
あたしはレズじゃない。
たいして長続きはしなかったが、何人かの男とつき合ったこともある。
だけど産まれてから今まで、これほど胸がときめいた人はいなかった。
桜乃と出会えて、あたしは幸せだった。
だけどしばらくして、友達の関係では我慢が出来ない事に気がついた。
それはある日の事、彼女がクラスメイトと楽しそうに話しているのを見て、胸のあたりから血がわき出して、
喉のあたりで詰まって溜まって行くような感覚を憶えた。
「桜乃に近づかないで! 桜乃はあたしの物なのよ!」
あたしは、いつの間にか心の中で叫んでいた。
あたしは、桜乃に近づくクラスメイトに嫉妬をしていた事に気がついた。
その心に気がついた時から、桜乃が誰かと話すの見るたびに心が叫んだ。
桜乃を最初に見つけたのはあたしなんだから!
だから……、だから桜乃はあたしの物なんだから!
桜乃にはあたしだけを見て、あたしの事だけを考えて欲しかった。
* * *
入学して一週間ほど経った頃。
あたしは昨日から考えていた事を実行に移した。
桜乃の胸を触るのだ。
クラスのみんなに、あたしたちはこんなに仲が良いと見せつけたかった。
体育の時間の後の更衣室。
あたしはふざけた振りをして、制服に着替えている桜乃の胸を白いブラの上から触った。
それだけなのに、彼女はしゃがんで泣き出してしまった。
桜乃を泣かせてしまった。それなのに、悪い事をしたと言う気持ちはなかった。
むしろ、胸を触られたくらいで泣いてしまう桜乃を可愛いと感じていた。
しゃがみこみ、涙目で、上目遣いであたしを見ている桜乃。
どうして、こんな事をするの? と言いたげな目をしている。
あたしに対する恐れと、不安を感じながら、それでもあたしを信頼している目。
可愛かった。
こんな可愛い桜乃の姿は見た事がない。
快感を感じているのが、自分でも分かった。
喉の奥から、欲望がわき出てくるのを感じた。
『もっともっと、桜乃が泣く姿が見たい』
欲望はそう言った。
どうして? あたしは桜乃が好きなのに!
どうして好きな人の泣き顔を、こんなにも見たいのだろう?
『この子を、いじめたい。
大好きだから。……だからいじめたい』
気がつくとあたしもしゃがんで、桜乃を抱きしめていた。
桜乃も、あたしの腕の中で泣いていた。
「ごめんね。わざとじゃなんいだよ?」
ウソだ。わざと触ったんだ。
あたしは桜乃に触りたかったんだ。
昨日から触るつもりだったんだ。
「うん。わかってる」
うなづく桜乃の体はやわらかい。
あたしの手には、まだ桜乃の胸の感触が残っていた。
授業中に付けたのだろうか、桜乃の肩に桜の花びらがついていた。
「どうしたの?」
クラスの子が聞く。
「あ! なんでもないの」
あたしは言った。
桜乃の肩についた桜の花びらを取る。
窓から風が吹いて、微かに桜の香りがした。
桜乃が欲しい。
誰にも渡しはしない。
あたしはいつの間にか、桜乃についていた桜の花びらを握り締めていた。
あわてて手を広げると、花びらはボロボロになっていた。
* * *
その日の学校からの帰り道。
柔らかかった桜乃の胸を思いだし、あたしは自分の右手を見た。手のひらにもう一度胸の感触がよみがえる。
『また桜乃の胸を触りたい』
でも桜乃に嫌われてしまう。
『嫌われてもいい、桜乃に触りたい。胸だけではなく、桜乃のすべての場所を触りたい』
ダメ。桜乃に嫌われたくない。
『桜乃の身も心も、あたしの物にしたい』
そんな言葉が頭の中をグルグル回っていた。
気が付くと見知らぬ通りを歩いていた。
こんな道あったっけ?
そんなに遠くまで歩いてないと思うけど。
目の前には、喫茶店が建っていた。
「喫茶店ファシット」
喫茶店ねぇ?
そうね、ちょうどお客さんもいないみたいだし、考えるには丁度良いわ。
このまま歩いていると、本当に迷子になってしまいそうな気がするし。
あたしは店の中に入った。
「いらっしゃいませー」
薄暗い店の奥から、長い金髪の女の子が出てきた。歳は10歳くらいだろうか?
お店の一番奥にはキッチンがあって、その前では真っ黒な燕尾服を着た男の人がグランドピアノで演奏していた。
ショパンの「仔犬のワルツ」。
うまい!
演奏を聞いたとたん、あたしの思った。
あたしもピアノの腕にはそれなりに自身があるけど、この人はもっと凄い。
どうしたら、こんなに感情を込めて弾けるのだろう?
「お上手ですね」
あたしは拍手とともに、男の人に声をかけた。
男の人はウェイトレスの女の子を手招きすると、女の子の耳元で何かをささやいた。
「ダメダメ! そういう事は自分で言わなくちゃ。お礼は自分の口で述べる物よ」
男の人はあきらめたようにうなだれた。
「お客様。マスターが、演奏を誉められたお礼が言いたいんですって。ほら!」
「どどどどど……」
「もっと! しっかりと!」
「どうも。あ、ああ、ありがとう」
「ま、いいでしょ!」
女の子はあたしに言った。
「ごめんなさいね。マスターはしゃべるときにどもる癖があって。
だから恥ずかしがって、アタシ以外の人とは話したがらないの」
「ああ、なるほど! 話すのが苦手だからなのね。
だから、語りかけて来るような、豊かな演奏なんだわ。
ピアノの音が、彼にとっての言葉なんだわ」
マスターが突然立ちあがる。
細身だが身長が高く、立ち上がると威圧感があった。
しまった! 怒らせちゃったかな?
つい批評してしまうのはあたしの悪い癖だ。
「お、おごる。サササ、サービス」
マスターはキッチンに向かった。
「マスターがアタシ以外の人に、自分からしゃべるなんて!!
ふ〜ん? マスターでも誉められればうれしいんだ?
お客様ラッキーですね!
マスターがコーヒーをサービスしてくれるって!」
「え? でもあたしはそんなつもりじゃ」
「気にしないでください。
どうせこの喫茶店は、マスターの道楽でやっているんですから」
結局断りきれなくて、あたしはテーブルにすわり、女の子が持ってきてくれたコーヒーをすすった。
マスターの弾く「仔犬のワルツ」を聞きながら、あたしは桜乃への思いをどうしたらいいか分からず、もてあましていた。
女の子が来た。
「お客さん、悩み事?
アタシは占いが出来るんです、やってみませんか?
これは、あたしからのサービス。
アタシの占いは、ずっごくよく当たるんですよ?」
うらないは嫌いじゃない。
それに、これ以上考えても結論がでそうにない。
いっそのこと、うらないに運命を任せるものいいか。
「そう? じゃ、お願いしようかな?」
女の子はあたしのテーブルの反対側に座ると、タロットカードを並べ始めた。
テーブルに並んだタロットカードを見ながら、女の子は言った。
「ふんふん。恋愛関係ですか?
相手は女の人。女の人に恋してしまった……。同性愛でお悩みですね?」
「いきなり何を!?」
「黙って!
……その娘はガードが堅くて、打つ手がない。
……どんな手段も使ってもいいから、彼女を落としたい。
……拉致? 誘拐? んー。よく見えないけど、とにかくむりやりにでも彼女を自分の物にするつもりだった。
――いかがですか?」
(その通り)
あたしは心の中ででつぶやいた。
「好きになってしまった人が、たまたま女性だっただけの事。
そうですよね」
あたしはうなづいていた。
「でも、同性相手か〜。これは、攻略は困難ですねー」
「ねえ! どうしたらいいと思う? 占ってよ!」
「それよりも良い方法がありますよ。
ファッシット・ファクトリーのアイテムが、きっと悩み解決するわ。
ちょっと待っていてくださいね。
マスターマスター」
女の子はマスターの所に行ってしまった。マスターの耳元で何かを言っている。
マスターはピアノを弾く手を休めて、話を聞きながらチラチラとあたしの事を見ている。
マスターは頷くと立ち上がり、キッチンの奧に入っていった。やがて、一本の小さなビンを持って帰って来る。
マスターが女の子の耳元で何かを話すと、女の子は怒った。
「そんな物持ってきて、どうしようって言うのよ!?」
しばらく二人で何かをささやいていたが、やがて女の子は笑顔になり、あたしの所に走ってきた。
テーブルの上にさっきのビンを置く。ビンの中では、青色の水が波を打っていた。
「人に憑依できる飲み物って知ってます? アタシも見た事ないんだけど。マスターが言うには、
世の中には飲むと他の人に憑依する事が出来るゼリー・ジュースがあるんですって。
それで、マスターも真似して作ってみたんだけど……」
(つづく)