夜には別の顔(後編)
作:Sato
「・・・・?」
私は突然人の気配――何か人の体温のようなもの――を感じ、振り返った。しかし、そこには何も存在しているようには見えなかった。気のせいか、と思った私は再び紀恵の方に目を向けた。
紀恵のほうにも変化はないように見えた。が、一晩中ずっと見ていた私にはすぐに変化が分かった。あれだけ安定していた紀恵の呼吸が乱れかけているのが分かる。さっきの感覚といい、何かが起ころうとしていることは確かだ。私はごくりと唾を飲み込んだ。
「紀恵?」
もしかしたら目が覚めているのかもしれない、そう思った私は紀恵に向かって声を掛けた。しかし、紀恵が私の声に反応する様子はないし、ここからでは紀恵の表情が見えない。私はベッドから降りてベッドの向こう側に回り込んだ。
顔を見たところで、紀恵が目を閉じたまま横になっているようにしか見えなかった。しかし、よく見ると紀恵のまぶたがわずかに震えているのが窺える。時折眉がひそめられ、何かの苦痛に耐えているかのようにも見える。何か怖い夢でも見ているのだろうか、そう思わされる表情だった。
うだうだしていてもはじまらない。そう思った私は、思い切って紀恵を起こすことに決めた。布団を引き剥がし、紀恵に呼びかける。
「紀恵!起きてくれ!」
意外にすんなりと紀恵の目が開かれた。私の方をじっと見ているが、ほとんど反応を示さない。
「紀恵・・・?」
不安になって呼びかける私に対し、ようやく反応を示した紀恵。しかし、その反応は私の予想を裏切るものだったのだ。
私を見る紀恵の目は、もはや私の知る紀恵のものではなかった。妙に生気に溢れ、しかもどこか私を小馬鹿にしたような雰囲気がある。私は紀恵と数年間付き合ってきたが、このような紀恵の表情は見たことがない。昨夜からおかしくなったとはいえ、こんな目つきではなかった。
これが昨夜からの紀恵の異変と無関係であるはずがなかった。紀恵は上半身を起こすと、改めて私の方を見た。もはやその表情には勝ち誇ったような、人を馬鹿にしたようなものしか感じ取れなかった。
「紀恵・・・」
「よう、久しぶりだな、高橋」
「え・・・?」
私のことをそう呼ぶ人間は多数いるが、紀恵にそう呼ばれたことはただの一度もない。それよりも何よりも、口調が私の知る紀恵のそれとはまるで違ってしまっていた。それはまるで男のような・・・一体紀恵はどうしてしまったのだろうか?
「オレのことが分からないか?まあ、いきなりじゃ分からんわな。今のこいつはお前の知る妻の高橋紀恵じゃないぜ。オレに乗っ取られているお前の妻の姿なんだからな」
「・・の、乗っ取っているだと?」
俄かには信じられない話だが、こうして紀恵が話す口調などを見ても、その話を信じざるを得なくなってくる。イタズラにしてはタチが悪すぎるし、第一今の精神状態で紀恵がそんなことをするとはとても思えない。
それだけでなく、昨夜からの紀恵の身に起こった異変もそれで全て説明できるのではないか。いつの間にか裸になっていた紀恵の奇妙な行動――それはつまり今紀恵の中に入っている奴がしたことなのではないか。
それにしてももしそれが本当だとすると、紀恵の肉体に入っているのは一体誰なのか、という大きな問題が残る。私のことを知っている人物(人間であるかどうかは分からないが)であるのは間違いない。では一体誰なのかというと、私にはまるで見当がつかなかった。
「だ、誰なんだお前は。妻の、紀恵の身体から出ろ!」
「分かってないよなあ、お前も。お前にオレを強制する権利なんかないんだぜ。間借りしているとはいえ、紀恵の肉体の支配権はオレにあるんだ。だからやろうと思えばこうやって・・・」
紀恵は両手をゆっくりと自分の喉下へと持っていき、両手を自分の首に回した。
「お、おい、何を・・・!?」
「分かるな?飛び降りだろうが、手首カットだろうがやろうと思えば何でもできるんだぜ。お前の妻の生殺与奪の権をオレが握っていることを忘れるなよ」
「く・・・貴様・・・!」
どうやらかなり危険な相手に紀恵は目をつけられてしまったらしい。昨日から何度か元に戻っていることを考えると、こうして紀恵の肉体に入っていられるのも時間制限があるのかもしれなかった。とにかく、今は奴を刺激しない方がいい。私は歯を食い縛りながら、紀恵の姿を見ていた。
「ククク、ようやく理解できたようだな。そのまま大人しくしていれば、こいつの肉体には危害を加えることはない」
「そ、それよりもお前は一体何者なんだ?俺たち夫婦のことを知っているようだったが・・・」
私がそれを口にした瞬間、突然勝ち誇ったかのようだった紀恵の表情が一変した。私のことをキッと睨み付け、怒りを露わにする。こんな表情もあるんだ――紀恵のそんな表情を見たことがない私は、ある意味醜く乱れる紀恵に驚きを隠せなかった。
「お前にそんなことを質問する権利があると思っているのか!薄汚い腐れ外道のお前が!」
そうまくし立てる紀恵。どうやら奴は私に相当の恨みを持っているようだ。しかし、相変わらず私には何の心当たりもない。ここまで恨まれるとなると、尋常ではない事件があったように思えるのだが・・・・平々凡々とした人生を送ってきた私には、ちょっと当てはまりそうもない。
それにどうやら、奴は紀恵にではなく、私に恨みを含んでいるようなのだ。それでいて両方のことを知っているかのようなあの口ぶり・・・ますます分からなくなってくる。
「・・・まあいい。オレの正体を教えてやらなくちゃこっちが面白くないから教えてやろう」
紀恵――いや、紀恵を乗っ取った男は大仰にそういった。
「オレのことを覚えているか?大学時代に同級生だった丸橋という男のことを」
「丸橋・・・・?ああ!」
私はようやく思い出した。それも仕方がないだろう。目の前にいるのはどう見たところで紀恵にしか見えないのだから。
それに、私の中に丸橋という男の印象がほとんどなかったことも挙げられる。大学時代、確かに丸橋という男は私の近くにいた。同じ経済学部の学生ではあったが、目立つような性格ではなく、それゆえ私の記憶の中にもとどまっていなかったのだ。そんな男に恨まれる覚えなど私にはないのだが・・・
「・・・それだけか?オレに対して申し訳ないという気持ちにならないのか?」
「・・・」
奴は責めるようにそういうものの、私にはてんで心当たりがないのだからどうしようもない。大学時代には丸橋と接する機会などまるでなかったし、そんな奴に私が危害を加えたというのも信じがたい話だ。私に何を謝れというのか。
「フン、オレが丸橋だと知っても分からないとは始末に負えんな。大学時代、オレには憧れの人物がいた。オレが3年になった時に1年だった彼女は輝いていた・・・」
――ようやく話が見えてきた。こいつは・・・
「彼女はミスにノミネートされるほどの美貌の持ち主だったが、決してそれを誇ることもなく、性格も完璧だった。学力も申し分なく、彼女は完璧な女性だった。澤田紀恵という女性は」
――やはりそうか。こいつは紀恵のことに憧れを抱いていたのか・・・
「澤田さんはあまりにも完璧すぎて、オレなんかが手出しできるような存在ではなかった。彼女自身は男を作っているという話は聞かなかったが、周りには常に男が集まってきていた。そんな中にオレが入ったところで相手にしてくれるはずもないだろう?オレは強い憧れを抱きつつも、彼女に近付けないでいたんだ。それを・・・」
奴が私のことをキッと睨み付ける。こいつは軽いストーカーのようなものだったんだ。それが紀恵のことをモノにした私を逆恨みして・・・
「それをお前は上手いこと彼女に取り入って、どうやったのかは知らないがとうとう結婚までこぎつけやがった!この話を聞いた時、オレは飛び上がって驚いたよ。あの超然としていた彼女が結婚してしまうとは。オレは彼女が許せなくなってきたんだ。そしてある時に見付けたんだ。お前らに復讐するための道具を」
「・・・道具だって?」
ここが大事なところだ。紀恵を救うためにも、ここは正しい情報を手に入れておく必要がある。私は奴を刺激しないような弱い語調で聞き返した。
「・・・あれは1週間前のこと。何気なくネットを見ていたオレの目にある物が飛び込んできたんだ。それを使えば彼女ばかりか、その相手の男、つまりお前にも復讐を果たすことができる。怪しい情報ではあったがオレは迷わなかった。そいつが届いてすぐ、オレは早速実験してみた。結果はお前も知ってるだろう?」
「・・・・昨夜の話か」
「ククク、そうさ!昨夜、紀恵の肉体に入った時の興奮は忘れられないぜ!他人のものになったとはいえ、オレが入ってしまえばその肉体も心もオレのもんなんだ!オレは徹底的に彼女の肉体を調べ尽くしたよ。あの頃は遠くだけで見ているだけだった彼女を、服の中、いや下着の、いやいや、その中にある穴の中身までも好きなように観察できるんだからな!そりゃ結婚しているお前ならそのぐらいのものは見たことはあるだろうがな」
「・・・・な、なんてことを・・・」
奴は赤い舌で口の周りをぺろりと舐めた。その様子は私の知る紀恵のものと比べて何と艶かしいことか。しかし、それもやはり紀恵の肉体が起こしている光景なのだ。普段、性的な要素をあまり見せない紀恵の艶姿に、私は思わず一歩身を乗り出してしまった。
「しかし、女の身体っていうのはよかったぜぇ!本当に男の身体とは比べ物になんないんだ。男と違って色々な部分が感じるんだ・・・例えばここなんかでも・・・」
紀恵の手が脇の下に伸びる。そこから少しずつ下に手を滑らせていくと、紀恵は恍惚とした表情を浮かべた。
「んんっ・・・ゾクゾクするよな・・・ほんと、女ってのはうらやましいぐらいいいぜ!」
「く・・・紀恵の身体でそんなことをするのは止めろ!」
「まだいってるな。お前にはそんな権利はないっていったはずだぜ?妻の身体を無事に返して欲しかったら、そこで大人しく見ているんだな」
奴は紀恵の声で私を恫喝すると、ベッドの上で立ち上がり着ていたパジャマに手をかけた。あっと思ったところで手を下すことができない私を尻目に、奴は紀恵の服を一つ一つじらすように脱ぎ捨てていく。
「うわあ、こいつ、ノーブラだぜ!背が高いから目立たなかったけど、胸も結構大きいんだな!まったく、うらやましいぜ。こんなナイスバディな女と結婚できてるんだからな」
私の目の上で紀恵の胸が揺れていた。思えばこんな角度で紀恵の乳房を見た記憶はない。こうして見ると、いつもよりも大きく見えるのだから不思議だ。抵抗する権利を奪われた私は、半ば醒めた気分で奴が紀恵として見せる痴態を観察していた。
「う〜ん、こうやって揉んでみるとハリがあってそれでいて柔らかくて・・・極上のオッパイだな。あ・・・何か気持ちよくなってきたぞ。こいつの体、感じているのか?」
自分で感じているくせに、そんないい方をする奴を見ていると、本当に奴が紀恵の手だけを操って紀恵の肉体を感じさせているように思えてくるから恐ろしいものだ。
「ふう・・・お、乳首が立ってきてるじゃねえか!どれどれ・・・」
紀恵の細い指が乳房の先端にある突起に触れると、紀恵の背中はわずかに反り返り、そこが感じることを如実に示していた。
「おおう・・・すっげえな。女はこんなもんを二つも持っているんだから・・・ああ!こっちも感じるぜ!」
奴は両の乳首をそれぞれの手で摘み、快感に身を震わせていた。紀恵がオナニーする姿など見たことがない私は、はじめて見る身近な人間のそれに、目を奪われてしまっていた。
「ん・・・あっ・・こ、このままじゃ胸だけでイっちまう!そんなのもったいないぜ!んっ・・・よし・・・・」
奴は手の動きを止め、自分の下半身を見詰めた。それだけで奴がしようとしていることは一目瞭然に分かる。私はもはや奴を制止する気を失っていた。それよりもこの恐ろしいほどに妖艶な紀恵の姿を最後まで見ていたい――そう思うようになっていたのだ。
案の定、奴はパジャマのズボンに手をかけると、それをスルスルと引き下ろしはじめた。滑らかな肌は、ズボンを下ろすという行為に対して何の抵抗にもならない。あっという間にベッドの上には、ショーツ一枚という紀恵の姿が現れたのだ。
「へえ、あまり色気のないパンツを穿いてやんなあ。結婚すると、色気を失うものなのかね?まあいいや。どうせこれも脱ぐんだし」
奴はそういうと、あっさりと下着も脱ぎ下ろし、とうとう一糸纏わぬ姿になってしまった。おそらく昨夜も今朝も奴はこうしていたのだろう。それをはじめて見たかのように実況している奴に、私への悪意を感じずにはいられなかった。
「おお!結構ヘアーは薄いな。もしかして手入れしているのかな?」
「・・・・」
奴は立ったままの状態で、上半身を折り曲げ屈み込むと、紀恵の股間を覗き込んだ。ガニ股になって股間に手をやりそこを拡げているその様子は、正常な女性がするものとは思えなかった。
それを嬉しくてしょうがない、という顔を紀恵の顔でしながら奴は紀恵の股間を見ていた。斜め下から見ている私には、奴以上に紀恵のそこが見えているはずだったが、興奮の度合いはまるで違ったものであったろう。単なる性的な興奮を感じていられない私と、それ以上の興奮を得られている奴――傍目には夫婦に見える私たちだったが、その距離は果てしなく遠いものだった。
「ふふふ・・・・お願いしたって見せてくれるわけがないこんなお宝映像を、こうして自分で服を脱ぐだけで見られるんだからな。あのゼリージュースの効果はすごいものだぜ!うわ、澤田さんのココ、キレイなピンク色してるじゃないか!おいおい、高橋、もうちょっと使ってあげなきゃいけないんじゃないか!?」
「く・・・」
奴は紀恵の口で馬鹿にしたようにそう語った。まんざら外れていないだけに、私としても咄嗟には反論できなかった。このところ仕事が忙しく、夜の営みという点では、紀恵に満足させてやっているとはいえないのだ。
それよりも私は奴が口にした「ゼリージュース」という単語が気にかかっていた。奴のいい方ではどうやらそれのおかげで紀恵の肉体を乗っ取っているようだ。その正体さえ掴めればあるいは・・・
「さてさて、そろそろ本番と行きましょうかね♪」
紀恵はそういうと、ベッドの上にどかりと腰を下ろした。そして大きく股間を開き、再びそこを覗き込む。今度は私の目の前で紀恵の全てが曝け出されている。それはある意味では、紀恵が普段理性で押し込めている女としての性欲そのものだともいえるものだ。しかし、あの紀恵に限ってそんなことはあるはずがない、と信じたい。しかし、目の前にいるのは紛れもなく紀恵自身の肉体だ。それはまかり間違えば紀恵もこうなるということを証明していた。
「まずは胸から・・・んふ・・・いいなあ。何だか身体が熱くなってくるぜ・・・」
紀恵は息を弾ませながら、胸を揉み続けていた。座ることで余計なことに神経を使わないでいということなのか、先ほどよりも手の動きがダイナミックになっている。手の動きに連動してもじもじと快感から逃れようとするように動く、細く滑らかな脚の動きが紀恵の興奮の度合いを示していた。
「はぁ・・・何度味わっても女の胸はいいものだな。ふん、お前も触ったことはあるだろうが、触られる快感を味わったことはないだろうな。こいつはいいぜぇ・・・さてそろそろこっちの準備もできたかな・・・・ククク、もうグッショリ濡れているじゃねえか!全く、よっぽど欲求不満が溜まっているんじゃねえのか?」
紀恵は股間を二本の指でぐっと広げると、逆の手でそこを湿らせている汁を掬い取っていく。その指を目の前にかざしてじっくり観察すると、何を思ったのか、その指を口にくわえてしまったのだ。
「う〜ん、澤田さんのマン汁、中々の味だぜ。おいおい、拭き取ったってのにまた濡れてきてるぜ!よーしオレが満足させてやるか!」
紀恵はそういうと再び股間に手を這わせた。触れただけでビクビクと身体を震わせ、その快感が並ではないことを表現している。
それにしても奴は「中々の味」などといったが、それは嘘だ。私だって夫婦という関係上、紀恵のものを味わったことはある。しかし、それは男の精液とも違う、鼻につく独特の匂いを放ち、お世辞にも旨いものとはいえなかった。奴は私に対するあてつけでそういったのか。あるいは紀恵の肉体で味わうと、本当に味自体の感じ方が違うとでもいうのだろうか?いずれにせよ、私を嘲笑う目的があるのは間違いない。
紀恵は股間の縁をなぞるように指を這わせ、その感触を楽しんでいるようだった。
「な、何だかどんどんとココがむず痒くなってきて・・・・んふっ・・どんどん濡れてくる・・・感じてきてる・・・のか?」
恍惚とした表情でそんなことを語る紀恵の姿は、普段私と夜を共にする時のものと比べると、私への愛情が感じられず、ただ単純に自分の肉体が発する快感のみを楽しんでいるように見えた。そこには女性としての紀恵ではなく、性を貪っている人間のメスとしての姿があった。
「くふ・・・大分出来上がってきたな・・・はぁ・・・これ以上やったらイってしまいそうだ・・・」
紀恵はいつの間にか膣内で激しく動いていた指の動きをそこで止めてしまった。そして私の方をじっと見て、ニヤリと笑った。
「よう、オレを――妻のこんな姿を見て興奮してきてるんじゃないか?どうだい?このオレとセックスしてみないか?」
「な、何をいうんだ。そんなことができるわけないだろう!」
私は奴の挑発には乗るまい、そういい聞かせながら反論した。ここで奴に屈してしまうと、紀恵の心までも裏切ってしまう、そう感じられたからだ。
「いいじゃねえか。肉体的にはオレとお前は紛れもなく夫婦なんだからな♪この澤田さんのカラダだって、お前と久しくセックスしてないのか、欲求不満気味のようだしよ。さあ、遠慮なんかすることはないぜ。お前の妻の肉体がこうしてそれを望んでるんだ。早くはじめようぜ!」
奴はそういうと、私の目の前で指で紀恵の股間を大きく広げて見せ付けてきた。ねっとりとした液体が、指を伝ってベッドの上に滴り落ちている。知らない女ならともかく、目の前にいるのは私の最愛の女性なのだ。そんな光景を見せられて、男として反応しないわけにはいかなかった。
「ほれ、そこもしっかりとおっ立ってるじゃないか。お前の肉体だって妻とのセックスを望んでるんだ。さあ・・・」
奴は私を迎え入れるように大きく手を広げた。しかし、私は動かなかった。まだ残っている私の理性が、奴の誘いを絶ち切る力を与えていた。
「何を我慢してるんだ?ふ〜ん、そうか・・・」
奴は何かに思い至ったのか、黙り込んでにやけていた表情も急に引き締めた。
「はぁ・・きょ、恭治さん・・・・ココがうずいちゃって仕方がないの・・・あなたのそれを早くちょうだい・・・」
奴の口調が突然変わったかと思うと、紀恵は股間を再び指で拡げて私を誘ってきた。普段の紀恵とは違うとはいえ、さっきまでの男の口調とは一変した女としての誘いに、私の食指が動かないはずはなかった。私だって一人の平凡な男だ。ここしばらくのセックスレスの生活に、紀恵と同じく欲求不満も限界に近かったのだ。自然、思考能力を喪った私は、紀恵の大きく拡げられたブラックホールに吸い込まれていった。
「あん、いいわ。そこを舌でもっと舐めて・・・んふ、そうよ・・・」
私は紀恵の声に命ぜられるままに、紀恵の股間を舌で丁寧に舐めてしまっていた。久々に味わう紀恵のソコの味は、私が久しく忘れてしまっていた男としての本能を蘇らせてくれる。
「はぁ・・・痺れるようだわ・・ああっ!」
私は今度は口全体で紀恵のソコに吸い付いていった。舌で女の最も感じる部分へと攻めながら、その周辺部をジュルジュルと口で吸い上げる。
「ああ、いいわよ。もっと感じさせて」
紀恵は背中を大きく仰け反らせて、私の攻めに対する反応を示してくれる。それに引きずられるように、私は紀恵への攻めを激しくしていっていた。
「ああ、舌なんかじゃなく、もっと太いものをちょうだい・・・」
「え・・・?」
紀恵が何をいわんとしているのかは明らかに分かるのだが、私にはまだわずかな躊躇があった。それは別に紀恵の中に奴が入っているとかどうとかではなかったのだが・・・
「はやくぅ・・・」
そうやって紀恵が開いた口には、ねっとりとした唾液が垂れ下がり上下の唇をつないでいた。そんなものを見せられた私に、どうしろというのか。
「紀恵・・・・」
「あなた・・・」
気が付いた時には、私は服を脱ぎ捨て、紀恵の上の覆い被さっていた。
「ふう・・・やっぱりすごいぜ、女の体で味わうセックスという奴は!昨日は一人でしかできなかったからな。男に入れられるっていうのがこんなに満ち足りた気持ちになれるなんて・・・これが女の喜びって奴か?」
「・・・紀恵」
久々の二人の夜。紀恵が「他人」であることを私がようやく思い出した時には、すでに数回の行為を終えた後であった。
「さて、夫婦の営みも終わったし、そろそろこのカラダを返してやるとするか!」
「・・・・」
私はあえて言葉を発しなかった。奴を問い詰めたい気持ちは多分にあったものの、せっかく解放してくれるというのだからわざわざ刺激しない方がいい、そんな打算めいた考えもあったからだ。
奴は裸のまま立ち上がると、突然ユニットバスのある方へと向かいはじめた。そういえば今朝も紀恵はトイレの便器の上に座った状態で眠っていた。奴のいう「ゼリージュース」というのと何か関係あるような感じだ。
結局今朝と同じだった。しばらくしてからトイレに向かうと、素っ裸のまま便器の上でうなだれている紀恵を発見することになった。紀恵は相変わらず直前までのことを覚えてはいないらしく、昨日からの不可解な事件の連続で恐怖に震えている。私は懸命に慰めたものの、私自身が恐怖を感じているのだから、私の言葉には力がなかった。
私はそれから「ゼリージュース」のことを躍起になって調べたのだが、確たる情報は掴めなかった。ただ、噂ではゼリージュースには色々な種類があるらしく、様々な効果があるらしいが、こと「防ぐ」ということに関しては何の情報も見られなかった。そのため、どうにも手の施しようがないまま時間は流れていった。
それからも奴の奇行は続いた。そしてついにある日・・・
「あなた。別れて欲しいの」
「な、何をいい出すんだ、紀恵!紀恵のことは俺が守ってやるっていってるじゃないか!頼むからそんなこといわないでくれよ」
ある朝、紀恵は起きぬけにそんなことをいいはじめた。よくよく考えれば、このところ紀恵自身の肉体はほとんど寝ていない。夜は奴が支配して好き放題しているからだ。明らかに彼女は肉体的にも精神的にも疲労している。それで思考能力が低下しているのだろう、私はそう考えていた。
「違うのよ、あなた。そうじゃなくって・・・」
紀恵の表情が突然変わり、毎晩見せられているあの表情になる――奴の表情に。
「もうオレがこの肉体を完全に支配しちゃったんだよなぁ!お前とのセックスは捨てがたいけど、男のオレとしては男と一緒に暮らすなんて真っ平御免だからな。それで別れて欲しい、っていってるんだ。分かってくれるだろ?オレの気持ちが」
「く、キサマ・・・どうして!?」
「そんなことどうでもいいじゃないか!何にせよ、もうお前の妻の肉体はオレのもんだ。お前だって妻じゃない男が入っている女と暮らすのは嫌だろ?ここはお互いに快適に暮らすためにも別れようじゃないか」
「な、何てことを・・・紀恵はどうなったんだ?」
「さあな。まだこの体の中にいるのかもしれないし、あるいは消えちゃったのかもしれないな。ま、そんなわけだから別れましょう、あ・な・た」
「・・・」
結局、二度と紀恵の心が蘇ることはなく、私たちは離婚することになった。気になることはあったが、それも紀恵が紀恵でなくなったのだから、もはやどうでもいことのように思えた。私は紀恵に慰謝料を払い続けながら生きなければならない。そのためには、今以上に働かなければ。
紀恵は今ごろ男と遊んででもいるのだろうか?もうそんなことはどうでもいい。今日も疲れた。もう寝よう――。
「くそ、やっぱりそうだった!どうもおかしいと思ったんだ」
紀恵は――紀恵の肉体に入った丸橋は、そうひとりごちていた。
あれから二ヶ月ほどが経っていた。あれからの生活は、恭治からの慰謝料で食い物には困らない程度に生活できるし、ちょっと贅沢をしようと思えば、紀恵の容姿を使えば男は放っておいても丸橋に金を落として行ってくれる。気に入った男であれば、体を許したりもした。もちろん、それ相応の代価を戴いての話だが。
優雅な生活を続けていた丸橋だったが、ある日、違和感に気がついた。生まれ付いての女であればすぐに気が付いていただろうが、元来男である丸橋はその異常を異常だとは気付かなかったのだ。
彼が手にしていたのは妊娠検査薬。それが見事なまでに「陽性」を示していたのである。何と、紀恵の肉体は受胎していたのだった。
「く、遊びすぎちまったか・・・いや、そういえばオレが紀恵になってから一回も生理がきていないじゃないか。もしかして、こいつ、最初から妊娠していたのか?」
もちろん、紀恵本人ではない丸橋にはそれについての確たる記憶はない。そして今となっては高橋にそれを確かめるわけにも行かない。
それが誰の子であるにせよ、それを丸橋が産まなければならない、ということには変わりはないのだ。
「澤田さんの子・・・高橋の子・・いや、これはオレの子だ・・・」
丸橋はお腹を優しく撫でさすりながら、この子になんて名前を付けてやろうか、そんなことを考えはじめていた。
(おわり)
あとがき
ゼリージュースのお話ですが、
本編にはまるで登場しません(笑
そして、「防ぐ方法がない」と言うのは一つのポイントでもありますね。
これは少し考えた方がいいのかもしれませんね。
最後に丸橋が何色を使ったのか。
あまり考えずに書いてしまいました(爆
まあ、新しい色なのかも。
それにしても妊娠していると言うのは。
実は最初から妊娠していたんですね。
高橋はその事を知っていて、一度紀恵とのセックスを躊躇します。
いやはや、知り合いに妊婦がいるものだから、
何となく書いちゃいました。
それでは読んでいただいてどーもです。