工藤先輩がやってきた。
 なにも知らずに、俺の方に歩いて来る。
 俺も先輩に向かって歩き始めた。

 俺は裸だった。

 透明人間になった俺の姿は誰にも見えない。
 それはわかっていたが、先輩の前で裸なのは恥ずかしかった。
 先輩との距離が短くなる程、俺の顔がほてって行く。
 先輩の前まで行った時、俺は恥ずかしさに絶えきれず、立ち止まってしまった。先輩は俺の目の前を通りすぎて行く。
 先輩の顔をこんなに近くで見たのは初めてだ。
 俺はこんな美人な先輩の体を借りるんだ。
 そう思うと胸が熱くなった。

(工藤先輩を選んで、正解だったな)

 俺は走って先輩を追いかけて、手を伸ばした。
 先輩の背中に手を入れる。


「あ!」


 手が入ると、先輩は立ち止まった。
 先輩の体は、驚いている様子のまま固まっていた。
 俺はそのまま、右腕を先輩の体に押しこんだ。
 指を広げて、先輩の体の中の感触を確かめる。
 暖かくて、柔らかかった。
 人肌にあたたまった、ゼリーに手を入れている感じだ。
 左腕も背中に入れる。
 先輩の腕に合わせるように両腕を広げた。
 頭を先輩の背中に入れる。
 頭が先輩の中にはいると、目の前がまっくらになった。
 足も先輩の体に入れる。
 全身が入った時、俺の意識は遠くなっていった。

(あのゼリー・ジュース、本物だったんだ)

 俺は遠くなる意識の中で、ゼリー・ジュースを手に入れた時の事を思い出していた。







『水泳部の先輩』(その1)

(ファシット・ファクトリー・シリーズ)


作:JuJu





「今日も工藤先輩と約束があるのかよ」


 俺は山本に言った。
 俺の名前は吉田信義(よしだ・のぶよし)。高校一年生。
 長かった一週間もやっと終わりを告げる土曜日の放課後の事だった。
 俺は帰り支度をしている山本絵里子(やまもと・えりこ)に、一緒に帰ろうと誘った。
 せっかくの土曜日の放課後だ。
 まずはヤクドナルドに行って飯をおごってやって、その後はゲーセンで俺の「ウッフン・ミュージック」の腕前を披露する。
 気前が良くてゲームもうまい俺に、山本のハートもメロメロ(死語)だ。
 そこですかさず、「明日デートしないか?」などと切り出す……。
 嫌いな英語の授業中、これほど完璧な計画練っていたのに、玉砕だった。


「だって夏美先輩って泳ぎがうまいんだもの。今日も指導してもらうんだ」


 今日だけじゃない。昨日も、おとといも、ここ一週間、同じ理由で、毎日ず〜っと断りつづけられていた。
 我ながら、こう毎日誘うのは「ちょっとしつこいかな」とも思ったが、彼女をゲットするにはこの位のずうずうしさが必要だ。
 ちなみに工藤夏美(くどう・なつみ)先輩は、山本の所属する水泳部の部長だ。
 何とか言う大きな水泳競技の大会で優勝した事もあるらしい。


「来週はプール開きでしょ?
 水泳部員として、はずかしくない泳ぎを見せなくっちゃならないしね。
 じゃ、吉田君。また来週ね!」


 山本はさりげなく、明日もダメだと言っていた。


「ああ。また……」




   *




 俺は一人寂しく家に向かった。
 山本と出会ったのは高校に入って、同じクラスになった時だ。
 初めて見た時は、ちょっと子供っぽい子だなと思ったが、性格も子供っぽくて、その外見によく似合っていた。
 それから積極的に話しかけて、なんとか男友達よりちょっと上と言ったの関係まで来た。
 だが、せっかくここまで仲良くなったのに、ピンチが訪れた。
 来週は学校のプール開きなのだ。
 そして俺は、カナヅチだ。

 水泳部の山本に、俺がカナヅチだなんて知られれば、幻滅するに違いない。
 ここまで仲良くなった努力も水の泡だ。
 と言っても、急に泳ぎがうまくなるはずもなかった。
 今日だって俺が泳ぎがうまければ、工藤先輩の代わりに俺が指導してやったのに。
 そうすれば、山本の水着姿だって見れたはずなのに。
 山本の水着姿はまだ見ていないが、彼女の体格からして、たぶん、子供っぽい水着だろうな。
 工藤先輩は競技用だろうか? 背が高いから、ハイレグなんかいいな。
 俺は山本と工藤先輩の水着姿を想像しながら、歩いていた。

 なんかこう、楽に泳げるようになれる、そんな方法はないかなぁ?

 俺も泳げれば山本と同じ水泳部に入っていたのに。
 そうすれば毎日、山本や工藤先輩の水着姿が見れたのに。
 夏休みになれば、山本や工藤先輩と一緒に海へ合宿にいったりしたのに!
 俺は妄想にふけって歩いていたらしく、気がつくと薄暗い裏道に迷い込んでしまっていた。
 この近所に、こんな道があっただろうか?
 目の前には、喫茶店があった。


「喫茶店ファシット」


 古風な店構えで、静かそうだ。
 彼女達の水着姿を妄想していて道に迷うなんて、俺もどうかしてる。
 ちょっとここで頭を冷やしていくか。
 俺は店の扉を開けた。
 店に入ると、壁に掛けてある大きな絵が目に入った。
 ニ匹のイルカが気持ちよさそうに、海を泳いでいる絵だった。
 そのイルカが俺には、なぜか工藤先輩と山本がイルカになって泳いでいる様に見えた。


「いらっしゃいませ!」


 メイドの服を着た、金髪の女の子が駆け寄ってきて来た。


「あ? これですか?
 もうすぐ夏なんで、飾ってみたんです。
 涼しい感じがするでしょ?」


 俺の背後で、ドアが閉まる小さな音がした。
 防音されているのか、ドアが閉まると、街のざわめきが一瞬で消える。
 ピアノの音だけが、響く。
 俺はピアノの音のする方を見た。
 店の奥で燕尾服を着た男の人が、ピアノを弾いていた。


「あれは『ドルフィン・ダンス』って曲。この絵に合わせてるの。
 夏も近いんで、お店を海のイメージで飾って見たんだけど……変かな?」

「いや……、夏っぽくていいんじゃないかな?」

「ありがとうございます」


 俺はまた、イルカの絵を見た。
 この、工藤先輩のイルカの代わりに、俺がイルカになって山本と泳ぐ事が出きれば。
 イルカになった俺と山本が、この絵の様に気持ちよく海を泳げたら。
 いつの間にか、そんな空想をしていた。


「さあ、お客様。奥へどうぞ」


 女の子の声が、俺を現実に引き戻した。
 奥の席に向かいながら、店内を見渡す。
 隅々までアンティークでそろえられている。古い物ばかりだが、掃除が行き届いていて埃さえついていない。
 つい入ってしまったが、なんか、ここは俺なんかが来るような店ではない気がする。


「あ、でも、俺は……その」


 こんな店ではコーヒー一つにしても、相当高そうだ。
 俺は自分の財布の中身を考えていた。
 だけど店に入ってしまった以上、このまま出るのも恥ずかしいし。
 そんな事を考えていると、それを見透かした様に金髪の女の子は言った。


「あ、心配しなくてもいいですよ?
 ここは普通の喫茶店ですから、お値段も普通です。
 そんな事よりも、もっと大切な心配事があるんでしょう? 相談に乗らせてください」


 俺は女の子を見た。どうしてそんな事までわかるんだろう?


「だって、心配事があるって顔にかいてありますよ!
 さあ、奥の席にどうぞ!」


 断る理由も思いつかず、ごまかしてもこの子にはバレそうなので、諦めてテーブルについた。


「この店はコーヒーしかございませんが、よろしいですか?」

「じゃあ、それを」

「マスター。ブレンド」


 ピアノを弾いていたマスターは立ちあがると、キッチンでコーヒーを作り始めた。
 しばらくして、女の子がコーヒーを持ってくる。
 テーブルにコーヒーを置くと、女の子は俺の前の席に座った。


「さっきは驚かせてごめんなさい。
 あたしが思っている事を言い当てて驚いたでしょう?
 実はあたしは、占い師なんです」

「ああ、なるほど」


 占い師だったのか。だから、俺の気持ちを当てたんだな。
 女の子はトランプみたいな物をテーブルに置いた。


「タロット・カードです。
 心配事があるんでしょ? なら相談に乗らせて」


 この子には全てお見通しなんだな。それに、この子ならば確かに当たりそうだ。


「うん。じゃ、頼むよ。
 実は……」

「まって!」


 女の子は、俺の言葉をさえぎると、テーブルにタロット・カードを並べはじめた。
 さっきまでの笑顔が消え、急にまじめな顔になる。
 目を閉じて、カードをテーブルの上に並べ始めた。


「えーと。これは水ね? 水が嫌い?
 ああ、泳ぎが苦手なのね?
 海の中で、二人の女性が泳いでいる……。あなたは追いかけたいけど、泳ぎが苦手なので、水の中に入れない。
 女性達はあなたから離れて、行く……。海の深い所へ深い所へと、去っていってしまう……」

「そうなんだ。好きな子がいるんだけど、その子は水泳部で……。
だけど俺はカナヅチで……」

「なんだ。そんなのあなたが泳ぎを練習して、うまくなればいいだけじゃない」

「そんな事言ったって……。プール開きは来週なんだ。
 急にうまくなれるわけないし」

「ふ〜ん? なるほどねぇ……。
 わかった! 大丈夫! うちのマスターの本業は発明家なんです。
 マスターに頼めば、きっと良いアイテムを出してくれますよ。
 マスター! マスター!」


 女の子はマスターの所に駆け寄っていった。
 女の子が近づくと、マスターはピアノの腕を止めた。俺をしばらく見ていたが、立ちあがって台所から奥に行ってしまった。
 マスターがしばらくして戻って来た。女の子の耳元でささやいて小ビンを渡し、またピアノを演奏し始めた。


「へへへ!」


 女の子はニヤニヤ笑いながら、俺の席に近づいてきた。小ビンを背中に隠している。
 俺の前に来ると、小ビンをテーブルに乗せた。


「ジャーン!
 ファシット・ファクトリーの特製アイテム!
 マリンブルー・ゼリー・ジュース!」


 それはイルカの絵が描いてある小さなビンだった。
 中には青色の水が入っている。


「お客様、飲むと憑依のできるゼリー・ジュースって知ってます?
 飲むと体が透明になって、別の人の体に入り込めるんですって。体に入るとその人の体を自在に動かせる……。
 マスターが言うには、そんな飲み物があるそうです。
 あたしも見た事ないんだけど……。
 それで、マスターも真似して作って見たんだけど、これが失敗ばっかりで。
 実はこれも、失敗したゼリー・ジュースです。
 憑依は出きるんだけどね、半分は体が勝手に動いちゃうの。
 あ、憑依された人の精神は眠っているから、それは気にしなくていいわ。
 わからない?
 ん〜、憑依された体が覚えている事をしようと思えば、あとは体が勝手に動くの。
 たとえば歩く時、一々次は右足を出そうとか思わないでしょ?
 それと同じで、あなたがある地点まで歩こうと思うだけ。後は体が勝手に、その地点まで歩くの。
 例えば、アイドルになれば、そのアイドルの歌を歌おうと思うだけで、後は体が勝手に歌って踊るの。
 だから、あなたが泳げなくても、泳ぎのうまい人の体に憑依して泳ごうと思えば、後はあなたがどんなに嫌がっても、
体が勝手に泳いでしまうわけ。
 後はひたすら、あなたは憑依した人の感覚を憶える事に集中すればいいだけ。
 水泳が得意な人に憑依すれば、水泳のコツがわかる訳よ。
 でも、出来るのは日頃やって、体にしみこんでいる事だけよ?
 このアイテムは、記憶とかを読みとるんじゃなくて、あくまで体が憶えていることを再生するだけだから。
 まあ、失敗作でも使い方によっては役に立つって事ね。
 よければ、貰ってって!
 どうせ、失敗作だし」




   *




 俺は家に帰って来た。

 自分の部屋で、ゼリー・ジュースの入った小ビンを見つめながら考えた。
 このゼリーが本物かニセモノかは飲めばわかることだ。
 問題は、誰に憑依するかと言うことだ。
 泳ぎがうまければだれでもいいんだけど、ここはやっぱり山本か? 水泳部だし。
 だが、山本は泳ぎ自体は、あまりうまくないって言っていた。
 うまいとか下手だとかではなく、単に泳ぐのが好きだからだといっていた。

 だったらやっぱり夏美先輩だ。
 山本が今日は先輩とプールに行くと言っていた。先輩になれば山本の水着が見れるし、
うまくいけば更衣室で山本の裸を見れたり、指導と言って山本に触る事も出来るかもしれない。

 決まりだな!

 俺は喫茶店の女の子に言われた通りに服を脱いでから、ゼリー・ジュースを飲んだ。
 半信半疑だったが、俺の体はじょじょに透明になっていく。

 本物だったんだ!

 鏡で自分の姿を見たが、完全に透明になっていた。俺がどこにいるのか自分でも見えない。
 よし! これなら工藤先輩に近づく事が出来る。
 俺は期待に胸を振るわせながら、工藤先輩を捜すために家を出た。
 いつも行っているプールに行くのならば、工藤先輩は俺の家の前を通るはずだ。
 何度か、先輩が俺の家の前を通るのを見かけた事がある。
 そんな事を考えていると、ちょうど先輩がこっちに歩いてくるのが見えた。
 俺は先輩に近づいた。





■次回予告■

 工藤先輩に乗り移った俺は、先輩の体を借りて、スイミング・スクールに向かった。
 スクールの前では、絵里子が夏美……つまり俺の事を待っていた。
 仲良く女子更衣室に入る俺達。そして俺は、水泳の指導と言って、工藤先輩の体を使い絵里子の体を触った。

 次回「水泳部の先輩(その2)」
 お楽しみに☆

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