復讐は、葛湯(くずゆ)で・・・

作・よしおか



郊外の小高い丘の上に木々に囲まれた食品会社の研究所があった。その日は、誰もが定時に研究所を退所して、誰も居る筈もなく暗く静かなはずの食品研究所の中で、ただ一室だけ不思議に薄暗い灯りの灯った部屋があった。

その部屋の中でカチャカチャと実験器具が当たる音と、パソコンと実験機械の動くかすかな音が響き、こそこそと蠢く人影があった。そして、その人物は、ぽつんとつぶやいた。

「もしこの日記が本当なら、すごい発明だぞ」

彼は、この研究所の元・所員で、名は堤啓二。だが彼は、この研究所内では鼻つまみ者だった。長身で、精悍な顔つきをし、頭も良く、研究の成果も上げていた。だが、彼には協調性が欠け、自己中心で、他人の意見を聞かず独走し、他の者を軽視するところがあった。ただそれだけなら、どこにでもいそうな人物なのだが、彼が孤立し、誰もが毛嫌いする決定的なところは、人の研究成果を平気で自分の研究を盗んだものだと主張して、他人を陥れたり、その上他人の研究成果を盗んで自分のものとして平気で発表したりしても、その事に罪悪感を感じることはなかった。そして、自分の端正な容貌に、どんな女性も自分に惚れ、自分に服従すると思っていた。だが、彼が自分の崇拝者の一人と思っていた女性が、(彼は彼女に惚れていたようだ)彼が最も軽蔑し、莫迦にしていた男と結婚した。その時、彼は、彼女に、その結婚を思いとどまるように言ったのだが、軽く鼻であしらわれた。その事で彼のプライドは深く傷つき、それ以来、人に会う度に、みんなが自分を莫迦にしている様に思えてきた。意外と脆かった彼の精神は、磨耗した。そして、その事に追い打ちをかける様に、彼の学歴詐称が明るみに出た。彼は、ある有名国立大学を卒業後、欧州の有名大学に留学し博士号を取得したと言っていたのだが、確かに有名国立大学には入学していたが、その大学の講師と口論をして、自主退学。その後も欧州の大学に留学していたが、すべて自主退学か、素行の問題で放校処分になっていた。このことが致命的な問題点となり、彼はこの研究所を追放された。

その後、彼は故郷の高知に帰っていたが、そこの旧家の屋根裏で、ある日記を見つけた。それが、彼をこの研究所に忍び込ませる事になった。

「こんなところに来たくなかったが、この日記に書かれているものを作るには、ここの設備が絶対必要だから、仕方ないか。だがもしここに書かれていることが正しければ、俺は凄いものを手に入れる事になるぞ。そして、これを使えば、奴らに俺の凄さを思い知らせてやれる。ケケケ・・・」

彼は、高笑いをしながら、実験台の上に広げていた黒い本革張りの一冊の古びた日記帳を手に取った。その日記の裏表紙には、薄れ掛けた金張りの文字で名前が書かれていた。だが、薄れかけたその名前は、この部屋の薄暗い灯りでは読み取ることが出来なかった。

啓二は、再びその日記を開いた状態で実験台の上にそっと置いた。部屋の薄明かりに照らし出されたページにはこう書かれていた。

「我輩の復讐はなれり」と


下宿の窓の外は、霧に包まれていた。裏を流れるテムズ川の薄汚れた姿をすべて飲み込むほどに濃く漂う薄灰色をした霧。我輩は、部屋の窓ごしに霧に包まれた街の景色を眺めていた。この湿気を含んだ霧は、我輩の傷つけられた誇りをやさしく包んではくれなかった。いや、この霧は我輩の心の傷に刷り込まれる荒塩のように、あのいまわしき出来事を思い出させた。我輩を深く傷つけるあの出来事を・・・

「君の研究論文は読ませていただいたが、あまりにも荒唐無稽すぎる」

「東洋魔術(オリエンタルマジック)と言う物ですかな?」

「やはり文明の遅れた国の者に科学を理解することは・・・」

「モーバン教授。それは言いすぎです」

小太りの色白の教授を横に座っていた人物がたしなめた。窓の白いカーテンが陽射しをさえぎる少し薄暗い部屋の中で、我輩は、大英帝国科学アカデミーの審査委員であり、会長と常任理事である五人の老紳士達に見つめられて、我輩は黒板の前に立っていた。それは五年前に我輩が発表した研究論文についての審査委員会だった。この研究論文が大英帝国科学アカデミー主催のウェルズ世界科学進歩大賞の候補に上がり、その審査のために我輩をこの地に呼び寄せたのだ。だが、彼らが我輩の論文を審査した結果、論文を理解できずに、我輩を愚弄し始めたのだ。

この我輩をだ。大日本帝国が世界に誇る大天才の我輩を、このような西のはずれの島国に呼び寄せて、愚弄するとは、許せん。我輩は、論文の補足説明をするために黒板への書き込み用に手に持っていた白墨を屈辱による怒りのために粉々にしてしまった。

「おやおや、怖ろしい力だな。まるで猿ですな」

モーバン教授が、見下げるように笑った。

「モーバン教授。いいすぎですって。彼にはまだ、科学と言う物が理解できないだけですから。これから、我々が指導していけば立派な科学の徒になれますよ」

モーバン教授をたしなめながらローランド博士が、真面目な顔をして言い放った。

「君の論文は、科学を学ぼうとする若者にありがちな焦りが見え、あまりにも荒唐無稽すぎる。新しいものを求めるものには、すばらしい論文に見えるだろうが、我々にはこの論文の欠陥が良く理解できるのだよ。科学を勉強をしなおして、もう一度提出したまえ。君にはかなりの見込みがあるのだから、きちんと科学を学べばすばらしい研究が出来るはずだよ」

大英帝国科学アカデミーのベルナール会長は、我輩の顔を見つめながら微笑んだ。その時、我輩は、なにもいわずその場を去った。


「猿だと。白い醜き豚どもが。あれらが紳士だとは笑止だ。我輩の研究も理解できないくせに、我輩がすでに5年前に完成させた理論を荒唐無稽の屑だとぬかしおった。あやつらの無能な愚問を我慢して答えてやったというのに、『君の理論は、まだ未完成だ』と言いおる。あやつらの頭脳は、豚以下だ。何が世界有数の頭脳だ。それにあの女。この我輩の頭脳を崇拝しておるくせに、我輩を、礼を知らぬ醜い猿とぬかしおった。姿はたしかに美しいかも知れぬが、その頭脳は、愚かだ。我輩を愚弄した者どもよ。思い知るがいい!」

我輩は、我輩を愚弄した無能な大英帝国科学アカデミーの常任理事の老人どもと我輩を弄んだ女の顔を思い浮かべて、怒りを新たにした。


大英帝国の中でも古く由緒ある名門大学の生物実験室に、大英帝国科学アカデミーの常任理事であり、大英帝国の科学部門を代表する5人の老博士と美しく輝く金髪を肩にたらしたうら若き女性が、この場違いなところで顔をあわせた。その女性は、髪に負けぬくらい美しかった。

「あなたも、彼に呼ばれたのですか?」

「はい、ここにくるようにと・・・」

彼女は、老博士の一人からの質問に戸惑いながらも答えた。彼らの待たされる部屋の中には、六人分のティーカップとポットがセットされたテーブルとソファーが準備されていたが、その周りには、実験用の動物であろう五匹の豚が壁につながれて眠っていた。そして、解剖用の台と、高い背もたれのイスが二つあり、その背もたれの上に丸くくり貫かれた板が付いた。ひとつには、オスのオランウータンが身動きできないようにイスに固定されて眠っていた。オランウータンの頭には、背もたれの板が被せられて、頭の一部がそこから覗いていた。その横にはきれいに磨き上げられた解剖用の手術道具がのった台車が置かれていた。

集められた老博士のうちの一人が、チョッキのポケットから懐中時計を取り出して、神経質そうにその文字盤を見つめた。

「約束の時間に、すでに5分も遅刻しておる。だから中国人は信用ならないのだ。彼らは、夜明けと日暮れしか、時間がないのだから」

「モーバン教授。彼は、日本人ですよ」

「フン、奴らは皆同じ顔をしているじゃないか。どこが違うのだ。中国人と日本人と」

時計を見ていたモーバン教授は、怒りと苛立ちをあらわにした。

「だが、彼は、なぜわたしたちをこんなところに呼んだのだ。このような淑女までも呼ぶ必要があるのだろうか?」

「あるからお呼びしたのですよ。ローランド博士」

ローランド博士のつぶやきとほぼ同時に、彼らの後ろにある隣の部屋とのドアが開き、声がした。

「威光院君。ご招待をありがとう」

集められた博士達の中で一番貫禄があり、落ち着いてソファーに座っていた人物が、ドアを開けて部屋に入ってきた我輩に声をかけた。

「どういたしまして、ベルナール科学アカデミー会長」

「で、我々をここに呼んだ理由は何かね」

ベルナール会長の横に立っていた長身の人物が、口ひげを触りながら聞いた。

「皆様に、わたくしの研究結果を見ていただくためです。ウェル教授」

「ほう、君の研究結果をかね。でも、この淑女は何の関係があるのかね」

「彼女は、わたくしの元・婚約者です。ですから、彼女にも見てもらおうとね」

「君の研究結果を見せて、よりを戻そうというのか。ククク・・・」

モーバン教授は、そう言いながら小ばかにしたような笑いをした。

だが、威光院と呼ばれた我輩は何も答えず彼らの前にティーカップを置き、その中に白い粉を入れていった。

「この粉は何かね」

今まで黙って立っていたドルイド博士が、我輩に聞いた。

「葛湯です。わたくしの祖国の飲み物です。生姜が入っていて体が温まり、気持ちが落ち着きます」

そういいながら、粉を入れたカップの中にポットに入ったお湯を注いでいった。

「ふん、君が我々をこんなところの呼ばなければ、いらだつこともなかったのだ」

モーバン教授は、さらに苛立ちながら言った。

「まあまあモーバン教授。東洋の珍しい飲み物を頂きましょう。お嬢さんもどうぞ」

ベルナール会長の勧めで、皆、葛湯の入ったカップを口にした。

「うん、意外とおいしい」

「ふん、こんなものでわたしの機嫌は直らないぞ」

「まあまあモーバン教授。そういわずに・・・」

ローランド博士にたしなめられて、モーバン教授は黙って葛湯を口にした。

「君は飲まないのかね」

「わたくしは皆様に研究の成果を体験していただく準備がありますからね」

「我々が君の研究結果を体験する?」

「そうですよ、会長。ところで皆さん。身体がしびれてきたのではありませんか?」

「う、うう〜〜ん」

「な、なにをのませたんら」

「へんなことはやめためられら」

彼らは次々と手に持ったカップを取り落とした。

「ふふふ、この葛湯にはしびれ薬も入れてあったのです。わたくしの研究結果をしっかりと見て、体験していただくためにね。カカカカ・・・・」

我輩は、この部屋中に響かんばかりに声高く笑った。

「さて、最初に体験していただくのは、メリッサ、君だよ。東洋人であるというだけで、わたしを馬鹿にした君だ」

『ちがう。あなたの瞳の中に狂気を見たの。それが怖かった。あなたが東洋人だからじゃないわ』

メリッサはそう叫びたかったが、しびれた声帯からは、意味不明の音しか出てこなかった。

我輩は、しびれて身動きの取れなくなったメリッサを抱きかかえると、オランウータンの隣のイスに座らせ、身体をイスに固定した。

「さて、ドルイド博士は、外科がご専門でしたね。果たしてメス一本で人の頭蓋骨が切り開けるものでしょうかね」

我輩に問われたドルイド博士は、我輩の問いに答えることは出来なかった。

「お答えいただけませんか。普通、ノコとかを使いますが、これがメス一本で出来るとしたら便利だと思いませんか。これが、わたしの研究結果です」

そういうと、我輩は、メリッサの頭にイスの背もたれについた板を被せて、メスを手に取ると、板から出た頭の部分にメスをあてた。頭の淵にそって円を描きながらメスを走らせた。一回りすると、メリッサの頭部を手にとって持ち上げた。メリッサの頭部は、まるで蓋でも開けるようにパカッと開き、その下から薄いピンク色をしたやわらかそうな物体が現れた。

「いかがです。皆さんに飲んでいただいた葛湯ですが、あれは、飲んだ者の身体を、骨までも粘土のようにやわらかくしてくれ、血は流れ出たりしません。だから、メス一本で簡単に身体を切れるのですよ。ただその形を変えることは出来ませんがね。ククク」

我輩はおかしさをこらえたが、口元がほころんでしまった。今度は横で眠っているオランウータンの頭を同じように切り取った。

「これには面白い特性がありましてね。骨のような固いものは、メスで切れるようにやわらかくなりますし、ゴムのように伸びるようになるのです。それと、これを飲んだ者は、二〜三時間は死なないのです。たとえば、脳を取り除いてもね」

そういうと、我輩はオランウータンの脳を手でつかみ、頭蓋から引っ張り出すと、その脳幹を切除し、取り出した脳を台車の上の金属のトレイに置いた。今度は同じようにメリッサの脳を取り出し、トレイに置いた。我輩の行為を見ていた博士達は、我輩に盛られたしびれ薬のために恐怖の叫び声を出すことは出来なかった。そのうえ、我輩の神にも等しい行いを眼にして自分たちの愚かさに涙を流すことしか出来ぬことを悔やんでおった。

「おやおや?泣いておられるのですか。大丈夫、皆さんにも体験してもらいますから」

そういいながら我輩は、部屋の隅で眠る豚たちをチラッと見た。微笑みながら、我輩は、メリッサの脳を手に持ってオランウータンに近づいていった。そして、その脳をオランウータンの頭蓋の中に入れた。

「これのもうひとつの特質は、切断面がすぐにくっつき、どんな動物とでも拒否反応がないことです」

そういいながらオランウータンの切断された頭蓋骨を、蓋をするように被せた。つぎに、脳のなくなったメリッサの頭蓋にオランウータンの脳を入れ、メリッサの切り取られた頭蓋骨を被せた。

「ククク。わたしを黄色いサルと馬鹿にした女は、自らがサルになった。さあ、今度はあなた方の番だ。どなたから体験していただきましょうか?この科学界にたむろする白豚どもを本当の雌豚にする体験を。ククク・・・・」

我輩は、歓喜にむせていた。我輩を愚弄した者達を本来の姿に戻してやったのだから。このことを彼らは、我輩に感謝しているだろう。慈悲深い我輩の行為に・・・


数日後、倫敦の街角で号外が配られた。それには、こう書かれていた。

『大英帝国科学アカデミーの会長及び常任理事の五名の著名な科学者が全員辞職。理由は全員急病のために職務不履行のため!』

だが、倫敦っ子の間でささやかれたうわさでは、五人とも頭がおかしくなり、病院に秘密裏に収容されたと言うものだった。そして、某有名大学の生物学部の実験用のオランウータンがノイローゼのために餓死したといううわさも流れた。

だが、一人の若い美貌の女性が、おかしくなり、まるで類人猿のようになり病院に入れられたことは、誰の口にも上ることはなかった。それと、威光院という日本人が、留学先の大英帝国を去ったことも・・・


「あの屋根裏で見つけたこの日記。すさまじいものだ。当時の記録を調べると確かに科学アカデミーの理事全員辞任というのがあった。ということは、これは・・・ククク。だが、人の作ったものをそのまま使うというのも能がない。俺のアイデアを加えさせてもらうよ。威光院先生」

「そこにいるのは誰?」

その声に彼が振り向くと、そこにいたのは懐中電灯を持って研究所内を巡回していた警備員だった。彼は蔓延の笑みを浮かべながら警備員に近づいていった。

「あなたは堤さん。アナタはここをクビになったはずでは?」

「忘れ物があって取りに来たんだ」

「わたしはそのような連絡は受けておりません。これはれっきとした不法侵入です。警察に連絡します」

「まあ、待ってくれよ。見逃してくれ」

「ダメです。連絡します」

警備員が、胸ポケットの携帯を取り出そうとした時、啓二は手の中に隠し持っていたスプレーを警備員の顔に吹き付けた。

「な、なにをするの・・・」

警備員はその場に倒れてしまった。

「ちょうどいい。俺のアイデアを加えたこれの実験台になってもらうぞ。ククク・・・」

啓二は、何かに憑かれたかのように含み笑いをした。それは、あのいまわしい悪魔が甦った瞬間だった。





あとがき

実はこのオハナシは、JuJuさんの「巨乳になりたい(前編)」から生まれました。(どこが!とか突っ込まないでね)

この作品を読み、アドバイスと「緋色の研究」の(高知に威光院の遺品が合ったという)設定を、快くお貸しくださったカシさんに、この作品を捧げます。(といっても要らないといわれそうですが・・・^^;

この話は、(予定では)もっとグロい話に続いていく予定です。作者のわたしが気持ち悪くならなければね。

では、皆さん、ぬた!






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