虚像
作:Sato
PiPiPi―――!!
聞き慣れたスズメのさえずりで私は目を覚ました。あれ、私、昨夜は目覚ましをセットして寝たはずなのに・・・まさか、遅刻!?
私は慌てて身を起こした。そして目覚し時計の時間を見る。6時35分、まだセットしている時刻にはなっていない。ホッとした私は、もう起きるからと目覚ましのアラームを切ろうとした。
「え?セットしてない?確かにセットして寝たはずだけど」
私は昨日の記憶を辿ったが、絶対にそうだという確信には至らなかった。違和感を覚えつつも、私はベッドから降りようと――
「な、何、コレ!?」
ベッドの下に広がる光景は、私の想像をはるかに越えるものだった。どうしてだか、しまってあったはずの服が、いかにも「脱ぎ捨てました」という感じで散乱し、しわくちゃになって打ち捨てられている。去年彼氏に買ってもらってまだ一度しか着ていないあのワンピまで・・・私は気が遠くなってしまいそうだった。
右手に見える化粧台もえらいことになってしまっていた。ファンデーションやリップ、ペンシルまでが所狭しと並べられている。それらが整理されているのではなく、使いっ放しで放置されている、としか思えない状態で置かれていたのだ。
「ど、泥棒・・・空き巣が入ったんだわ・・・さ、財布は――」
突然の出来事にすっかり目が覚めてしまった私は、何か盗られたものはないか、部屋中を探しはじめた。とはいえ、部屋中が元どこにそれがあったのか分からないほどに乱れまくっているので、それを見極めるのは困難を極めた。
「財布・・・は無事だった。カードも無事だわ。よかった・・・」
捜索してみると、荒らされているのは身の回りの品だけで、金品には手がつけられていないようだった。ただし、ブローチやピアスなど、装飾品については盗られてはいなかったが、場所が移動して、例の化粧台の上に置かれていた。
一体何が起こったというのだろうか?私は仕事のことも忘れて、派出所に駆け込んだ。しかし、警察官に掛け合っても、ほとんどといっていいほど取り合ってもらえなかった。何といっても、実質的な被害が存在しないのだ。とりあえずはパトロールを強化します、という程度の返事しかもらえなかった。私はがっくりと肩を落としながら家に引き返した。
これはストーカーの仕業に違いない、私はそう確信するに至っていた。それが当たらずとも遠からずの答えであることは、あとになって分かるのだが・・・
部屋に帰った私は、急いで部屋を片付けはじめた。警察には何も盗られていない、とはいったものの、本当にそうかどうか、まずはきちんと確認しておく必要があった。カードや印鑑など、お金にまつわる品は無事のようだったが、他の物はどうだか――私は部屋に散乱しているものを、ひとつひとつあるべき場所へと納めていった。
「ふう、どうにか片付いたわね・・・結局何も盗られてなかった・・・・」
これで警察を動かすのは難しくなった。しかし、全く何も失われていなかったわけではない。化粧品については明らかに使われた跡があったのだ。犯人は私の化粧品や服で一体何をしていたのだろうか?私の背筋に冷たいものが流れた。
今ごろ気がついたのだが、私の体は妙に汗くさくなってしまっていたようだ。そんな状態で派出所に行ってしまったことに、気恥ずかしさを感じたが、やってしまったものは仕方がない。私はとりあえずシャワーを浴びることにした。
昼頃になってようやく思い出した私は、会社へ連絡を入れた。これまで無遅刻無欠席できていた私のこと、急に風邪をひいて病院に行っていたといういい訳も、すんなりと信じてもらえたようだった。
ようやく寝室を片付け終えた私の目に、見慣れないものが入ったのは、ちょうど私が昼食の準備をしようとキッチンに行った時だった。私のお気に入りの、白で統一されたシステムキッチン――そのテーブルの上に、対照的な漆黒の物体が置かれていたのだ。
「・・・・何かしら、これ?」
それは手に取って見るまでもなく、「ビデオテープ」だった。しかし、そんなものがどうしてここに置いてあるのかが問題だった。もちろん、私はこんなものをここに置いた記憶はない。これは寝室と同じ人間に仕業に違いない。
私はそれを手に取って、それを観察した。それは一般に使われているVHSのビデオテープではなく、ビデオカメラ用のテープのようだった。私にそれが分かるというのは、私がそれを所有しているからだった。昔、旅行好きの彼氏と付き合っていた時に買ったものだ。しかし、その彼氏と別れてからというもの、私はそれを使うことがなかったのだが・・・
「・・・・」
そのテープにはラベルが貼られておらず、当然、内容を示すものはそこにはなかった。内容を知るためには、それを見てみるしかない。どう考えても、そこにまともなものが収められている道理がなかったが、そこに犯人を示す手がかりが入っている可能性は否定できない。私は久しぶりにビデオカメラを取り出すと、そのテープをセットし、テレビに接続して再生した。
最初の10秒ほどは砂嵐が映っていたが、やがて何かが映りはじめた。ここは・・・当然のごとく、私の部屋の中だった。どうやら、ベッドにカメラが向けられているようで、ベッドのシーツの乱れからも、人の気配が感じられる。部屋は明るいものの、人工的な光が差し込んできており、それが昨日の晩であることは明らかだった。右下に表示されている日付と時間もそれを証明していた。
そのカメラの外から、影が差してきた。同時に軽やかな足音が聞こえてくる。どうやら、カメラのスイッチを入れた人物がカメラの前に姿を現すようだった。そいつが犯人に違いない――私は緊張の面持ちで画面に注目していた。
「えっ!?」
ベッドの上に座り込んだ人物をカメラが捉えた瞬間、私は言葉を失ってしまった。
そこには、紛うことなき「私」の姿が映っていたからだった。ブルーのティーシャツにショーツだけ、という格好は、私が昨夜寝たとき、そして今と同じ服装だった。その私がベッドの上にどっかりとあぐらをかいて座っている。
呆気にとられる私をよそに、「私」が口を開いた。
『いやあ、あんたの胸、でっかいよなあ。ホラ見ろよ、こうすれば谷間ができるんだぜ!』
「私」はそういうと、手を両胸に添え、軽く胸を寄せた。その通り、胸の真ん中には見事な谷間ができ上がっていた。
いや、そんなことよりも、「私」がどうしてこんなことをしているのかが分からない。当然の話だが、私はこんなことをした覚えはないし、第一、そんなことをする理由がない。しかし、ここに映っているのは確かに私の部屋だし、そこに座っているのは「私」に間違いなかった。
『うふっ、さあて、このカラダで楽しませてもらおうかな!』
「私」はそういうなり、ティーシャツを脱ぎはじめた。眠る時には、当然ブラもしていないので、これを脱げばあっけなく上半身裸になってしまう。「私」がシャツを放り投げると、反動なのか、胸が波打っているのが見て取れる。
私はもう、瞬きをするのも忘れるほどに画面に見入っていた。目の前に映っているのが私であることは百も承知だが、自分の辞書にはない行動を取っている「私」を目の前にして、それがあたかも自分でないような、そんな気がしていたのだ。
『うはぁ、胸が揺れちゃってるよ!う〜ん、大きい上に、形もいいぞ。中々の美乳ってやつだな。感触の方はっと・・・・うおぅ!』
考えられないような声を出してしまっている「私」。そのリアクションは、まるで男――しかも、まともな男とは思えなかった。そう、まるで「変質者」のような・・・
「こ、こんなことって・・・」
何かの悪いいたずらのようにしか思えなかった。しかし、どこをどうやればこんないたずらができるというのだろう?それは合成などの特殊な映像にしては、あまりにも生々しいものだった。
『さて、次は〜』
「!!」
私はそこでビデオの再生を止めた。一瞬にして一面ブルーの「闇」に覆われる画面。私はしばらくそれを呆然と眺めていた。全く気持ちの整理がつかない、そんな状態だった。
一体、何がどうなっているというのだろう。画面に映っていたのはどう考えたって私の姿だ。しかし、あんな行動を取った覚えは全くないし、第一、そんなことをする意味がどこにあるというのだろう。
私が眠っている間にそんな行動を取るとすれば、それは「夢遊病」という他ない。私がそうだとは信じたくはなかったが、現実を目の前に見せられると否定することはできない。
原因としてもう一つ考えられるとすれば、「二重人格」というものだ。あのビデオの中での「私」――あれはどう考えても男のようだった。私のもう一つの人格である「誰か」が私を支配している、そんな可能性も否定できない。
結局、あれこれ迷ったところで、答えが見付かるはずもなく、私は恐怖を抱えたままその日は眠りに就いた。
「う〜ん・・・」
次の日。土曜なので会社は休みだ。当然、目覚ましはセットしていない。どうやら、外を走る車の音で目が覚めてしまったようだった。
「・・・・」
私はおそるおそる周りを見回した。何も起きていませんように―――祈るような思いが駆け巡る。
「あ・・・」
私が見た光景――それは昨夜、私が寝る前と変化がないように思えるものだった。昨日のように服や下着が散乱していることもなく、化粧品もきちんとしまわれている。
しかし、妙に体が重いような気がする。昨日の精神的な疲労もあって、ぐっすりと寝たはずなのに・・・。それほど昨日のショックは大きかったのか・・・・私はそう思い、とりあえず朝食をとろうとキッチンへと向かった。
「・・・あ、また・・・」
しかし、キッチンへ入った私を待ち受けていたのは、私の束の間の安心感を吹き飛ばしてしまうものだった。ビデオテープ――昨日と同じ場所に昨日と同じように・・・・
私はそれを見もせずに、先に食事を片付けてしまった。時計の針は10時を指していた。私はあるところにでかけることを決心していた。シャワーを浴び、意外なほどに乱れた髪を整え、どうしてだか薄く施されていた化粧をやり直し、服装を整えると、私は自分の部屋をあとにした。
「ここね・・・」
私はある二階建ての建物の前に立っていた。一階はコンビニ、二階が私の目指すべき場所、「山口診療所」だった。あまり有名ではない診療所だったが、高校時代の一つ上の先輩がここの院長を勤めている、ということなので、話しやすいだろうと思い、ここを選択したのだ。
私は一つ大きく深呼吸すると、二階へと進んでいった。
「おや、榎本さんじゃないですか。久しぶりですね。今日はどうしました?」
山口医師は私が入ってくるなり、私に気付いたようだった。数年しか経ってっていないだけあって、さすがに向こうも私のことを忘れていなかったようだ。私は妙な安心感をもって、彼に接することができそうに思えた。
「先輩もお変わりなく・・・それで・・・」
私はゆっくりと話しはじめた。彼も仕事上、こういった展開には慣れているのだろう、私のたどたどしい説明にも、いちいちうなずいて聞いてくれている。私は彼の態度に勇気を得て、最後まで話していった。
「ふむ。今日はそのビデオというのは持ってきてくださったんですか?」
「え、ええ。私は見たくありませんが証拠になると思って・・・」
私はバッグの中から、例のビデオテープを二つ取り出した。漆黒の箱は、区別するものもないため、もはやどっちがどっちだか分からない。
「なるほど。ではしばらく待っていただけますか?私だけで拝見させていただきますので」
「はい、分かりました」
山口医師はそういうと、テープを持ったまま奥の部屋へと消えていった。
しかし、あれが証拠になるのかどうか、実のところは怪しいものだ。結局、あれが自作自演だなんていわれてしまうと、こちらとしては反論する術がない。あれが私の記憶にないことは私自身がよく分かっているが、そんなことを誰が証明してくれるというのだろうか?
しかも、よくよく考えれば、いくら記憶にないとはいえ、あそこで展開されている痴態は、取りも直さず私自身の姿なのだ。そう考えると、私は彼にあれを見せるべきではなかったのではないかと思いはじめていた。しかし、彼が医者ということが、私の心の逃げ道になっているようだった。
30分ほどして、彼が診察室へと戻ってきた。顔には何の表情も浮かんではいない。彼の出した結論は、私にとってあまりいい話ではないようだった。
「榎本さん、これから話すことにショックを受けないようにして聞いてください。必ず治るものですから。ショックを受けると、それの妨げになります。きちんと理解して、立ち向かうようにしないといけません。それで私は真実を話すのだ、ということを理解しておいてください」
「は、はい・・・」
ごくりと唾を飲み込む音が、彼にも聞こえただろうか。彼はゆっくりと口を開いた。
「あなたにも想像がついているかもしれませんが、あなたは解離性同一障害――つまり一般に二重人格といわれる状態に陥っています。過去に何かショッキングな出来事があったとか、そんなことが原因で現れる症状だといわれています。心当たりはありませんか?」
「・・・い、いえ、特にはないですけど・・・先生、私やっぱり・・・」
山口医師はゆっくりとうなずいた。その落ち着いた行為が、空回りしかけていた私の気持ちをわずかながらにクールダウンさせてくれた。
「この症状は自分を否定することからはじまるのだといいます。あなたは落ち着いてもっと自分に自信を持って生きていけばいいのです。それがもう一つの人格を抑止する最も効果的な方法です」
「・・・自分に自信を・・・分かりました。でも私、やっぱり不安です。このままじゃ、今夜帰っても眠れないような気がするんです」
「・・・・そうですね。自覚してすぐのうちは、不安が大きいでしょうね。分かりました。ちょっと待っていてください」
山口医師はそういうと、診察室の奥へと進んでいき、すぐに戻ってきた。彼の手には、何か小さな薬瓶のようなものが握られている。
「それは・・・?」
「ええ、気休めにしかならないと思いますが、精神安定剤の一種だとお考えいただければいいと思います。これを眠る直前に飲むといいでしょう」
山口医師は持っていたそれを私に差し出した。当然の話だが、中には液体が入っているようだった。白濁色で、よくいえば「クリーム色」という感じの色。あまり気持ちのいい色とはいえなかったが、今の私には気休め程度であっても、何か支えが欲しかったところなのだ。私はありがたくそれを拝受した。
「・・・・二重人格・・・どうしてそんなことに・・・」
私は山口医師の言葉を思い返していた。つらい過去に対する心の傷のようなものが原因になりえるという――確かに失恋などの嫌な思い出の一つや二つはある。でもそれが原因だっていうのなら、世の中には私と同じ状態の人が溢れ返ってしまうだろう、とも思う。
それなら子供時代の――だめだ、こんなことを考えて深みにはまるのがいけないんだ、きっと。そう考えた私は、あたふたと掃除をはじめ、昼食を済ますと、ウィンドウショッピングに出かけた。
久しぶりにゆっくりとした時間を過ごした私の精神状態は、少しは落ち着いてきていた。家に帰った私は、夕食を済ましテレビを見て時間をつぶした後、お風呂に入って寝るための準備をはじめた。
「そうだ、あの薬・・・!」
寝る直前になって、私はようやくあの「薬」の存在を思い出した。そのことを忘れてしまっているほど、私の精神状態は安定していた、といい換えることもできる。
薬瓶の中に詰まっているクリーム色の液体――私は祈るような気持ちで、瓶のふたを開けた。
「これは・・・!?」
飲んでみるに及んで、私はようやくその薬がゲル状であることに気が付いたのだ。飲もうとして傾けてみても、あまり流れてくる様子がない。垂直まで傾けてやり、さらに瓶自体をわずかに握って圧力を加えてやると、ようやく喉元まで流れ込んできてくれた。
(・・・甘い・・)
それは子供用の薬を思わせるような、甘さだった。味でいうと、バナナ味、といったところだろうか。私はどうにかこうにか、それを飲み干した。水で口をゆすぐと、私はベッドに横になり、疲れからなのか、あっという間に眠りに就いてしまった。
それから一分もしない内に、部屋の中に何者かが忍び込んできた。男が仕込んだ睡眠薬でぐっすりと眠っている女は、そんなことに気付きもしない。
男はにやついた表情のまま、女を見下ろしている。すると突然、女が苦しみはじめたのだ。体を激しくくねらせ、口からはよだれが流れ落ちている。男はそれに慌てるどころか、にやけた口をさらに歪めながら、彼女を見下ろしている。
男は懐から漏斗のようなものを取り出すと、女の口に押し当てた。その漏斗には管がついており、その先には瓶のようなものが接続されている。餌付きはじめた女は、そこに胃の中の物をぶちまけてしまった。苦しそうな表情で吐き続けている女――しかし、最後まで吐き出したときには、彼女は何の表情も浮かべてはいなかった。それっきり、激しかった動きも停止してしまい、呼吸に乱れもなく、落ち着いてしまったようだった。
男の手には、女が吐き出したものを瓶の中に入れたものが持たれている。きれいな乳白色の液体――それは先ほど女が飲んでいたものとあまりにも似ていた。
「くく、さあて」
男は瓶から管を外し、そして――
(おわり)
あとがき
と言うわけで、体験談シリーズ、
今回は青色、黄色、そしてクリーム色のゼリージュースのお話でした。
青は初日、黄色は二日目、そして最後がクリーム色でした。
二日目の黄色は分からないとは思いますが(笑
序盤はまさにジョ○○ーさんの話そのままでしたね(汗
体験談らしく、彼女には謎のまま、体を奪われてもらいました(爆
それがダークになるのかどうかは微妙なところですが。
それでは読んでいただき、ありがとうございました!