白い闇の中で【完結編】

作:toshi9



レースクイーンの仕事が終わった後、俺たちはいつもの日常に戻った。

いや、いつもの日常と言うのは少し違う。

相変わらず俺の姿になった久美が広岡英雄を演じ、そして安田久美の姿に変えられたままの俺は、昼は会社でOL生活、夜は久美の贄となる日々が続いた。

俺は何度も久美に「元に戻せ」と詰め寄った。だが、いつも適当にはぐらかされてしまう。

そして三か月が過ぎたある日、俺の姿をした久美は部長に呼び出されて小会議室に入った。


30分後に戻ってきた久美は、複雑な表情を浮かべている。

「どうしたんだ」

「うん……部長が」

「部長に何か言われたのか?」

「『君は最近とても頑張っている』って褒めてくれた」

「良かったじゃないか」

「課の雰囲気も、最近とても良くなったと」

「そうか、まあ確かにお前のおかげだな」

「それと」

「それと?」

「部長が『広岡君、君に新しいプロジェクトを託したい』と」

「ふーん、新しいプロジェクトか」


新プロジェクトというと、新しい広告会社との交渉かモデルの派遣先の開拓あたりかな。
想像を巡らしていた俺に久美が教えてくれたその中身は、それを超えるものだった。


「ニューヨークのモデル派遣会社との提携の話をまとめてきてくれって。本場のスーパーモデルがわが社を通して直接日本で様々な活動に派遣できるようにする大型プロジェクトよ」

「すごいじゃないか」

「で、サポート兼通訳として安田久美、つまりあなたを一緒に連れて行っても良いということよ」

「俺も一緒か。ニューヨークで仕事ねぇ……ええ!? 俺、英語はからっきしだぞ」

「部長もきっとそれを人事から聞いたんでしょう、能力は認めても語学力は別の話よね。だから心配してあたしをサポートにつけようとしたんじゃないの? からっきしって、TOEICはいくらぐらいだったの?」

「そんなの……とても人に言えた点数じゃない」

「あたしはいつも900点超えてるわ。契約に必要なネイティブのビジネス会話だって問題ない。で、どうする?」

「どうするったって」

「あたしと一緒にニューヨークを楽しんでみない? 昼も夜も、ね、くーみちゃん」

「だからその呼び方はもうやめろって」

「受けていいわね。あたし、このビジネスをまとめたら…」

「え?」

「ううん、何でもない、さっきは部長への返事を保留しておいたけど、受けるわよ」

「いや、でも、そんな……俺の英会話力でそんなサポートできるわけない」

「なにぐだぐだ言ってるの。男ならシャキッとしなさい!」

「今は女だから」

「こんな時だけ女を主張しないでよ、まったく。すっかり馴染んじゃったんだから。じゃあ部長に返事してくる」


そう言って久美は席を立った。
颯爽と、どこかふっきれたように。
その姿に、どきどきした俺がいた。

「久美先輩、ニューヨークに出張ですか?」

「ええ、そうね、そうなりそうな雰囲気」

「すごーい、お土産買ってきてくださいね」

「いや、そんな能天気な出張じゃないし」

「いいからいいから、広岡主任と二人で出張なんて、先輩、楽しんできてくださいね」


そう言って、松岡ひとみが笑った。

……初めての海外出張か、ちょっと緊張するな。

そして1週間後、俺は久美の、即ち広岡英雄のアシスタントとしてニューヨークに旅立った。




ケネディ国際空港を降りると、出口で現地スタッフが待っていた。こちらと同じ男女二人組だが、金髪碧眼でボディスタイル抜群の美男美女。二人とも背が高い。

「Nice to meet you」

「Nice to meet you too」

握手を交わす俺の姿をした久美とアメリカ側の男性社員。

俺は久美に続いて男性と握手し、そして金髪美女と女性同士で握手した。

「ヨクイラッシャイマシタ、Ms.ヤスダ」

「あ、日本語ができるんですか?」

「スコシナラ、ワカリマスヨ」

にこっと微笑む美女に俺は内心ほっとした。

よかった、これなら何とかなるかも。

迎えに来てくれた二人は、会社でコンサルティング契約したニューヨークの法律事務所のエージェントだ。

男性はジョン・スミス、女性はキャシー・ジョーダンと名乗った。

「これからの予定は?」

久美が英語でスミスに問いかける。
(面倒なので、以後の会話は日本語に訳して表現します)

「モデルプロダクションのインダストリアル社へのプレゼンテーションと契約交渉は明日です。今夜は旅の疲れを癒してください」

「ありがとうございます」

「これからホテルにお送りしますが、チェックインしたら一緒にお食事をいかがですか? ニューヨークでも話題のレストランを予約していますよ」

「わかりました、ではお言葉に甘えて」

俺と久美は二人が用意した車に乗せられると空港を出発し、やがて超高層ホテルのエントランスに止まった。

ホテルでチェックインすると、荷物が届いているとフロントで伝えられた。

「荷物? 俺…あたしに?」

「はい、安田久美様にと。部屋にお届けしておりますので」

部屋に入ると、後ろから久美もついてくる。

「お前はあっちの部屋だろう」

だが、久美はにやにやしながら無言で俺の後から部屋に入った。

中には大きなトランクが2個。開けると、ドレスや着物が入っていた。

「間に合ったか。よしよし、部長もぬかりがないわ」

中には衣装と共にカメラや手紙が入っている。

久美は手紙に目を通すとにやっと笑った。

「交渉に役立つだろうから、衣装は好きなのを使っていいって。でも証拠写真を撮って、送るんだぞって書いてあるわ」

大型トランクから取り出した滑らかな白い生地のミニドレスを広げていた俺は思わず顔を上げた。

まったくあの部長ときたら、どこまで……

俺がこのドレスを着ている姿を想像しながらドレスを選んでいる部長のにやけた顔を思い浮かべ、ぶるっと震えた。

「あら、それだけ上司に気にかけられているんだから、もっと誇らしく思って良いんじゃないの?」

「いやだ、気持ち悪い。これを着ている姿をあの部長にあれこれ想像されているんだぞ、お前はいいのか?」

「そんなの勝手にやらせておけばいいのよ。それにね」

「それに?」

「あたしにはこんな着こなしもこんな表情もできないな。何が違うのかな」

そう言って、久美は自分の携帯を開いた。

そこには久美がレースで撮った、レースクイーンの姿で微笑む俺が映っていた。

「あ、この写真はプリントして部長にもあげたから。部長がとっても喜んでいたわよ」

「こ、こんなもん部長に渡すな」

「いいじゃない、減るもんじゃないし」

「ん? まさか、この仕事はその写真の見返りじゃないだろうな」

「馬鹿ね、違うわよ。見くびらないで、あたしはそんな仕事しない。それよりそのミニドレス、今夜の食事に着ていったら?」

「こんなミニ、恥ずかしいよ。下手にかがむとパンツが見える」

「何言ってるの、この衣装でレース場の大観衆の前で歩き回っていたのに比べたら大したことないじゃない」

そう言って、久美は俺に携帯の画面をほらほらと見せつける。

「で、でも」

「下で二人が待ってるでしょう。さ、早く着替える!」

「は、はい」

思わず返事して、俺はしぶしぶ着替え始めた。久美の言葉には逆らえない強制力があった。

俺はしぶしぶタイトスーツの上着を脱ぐと、スカートのホックを下ろし始めたが、途中でその手を止めた。

俺の着替えをじーっと見ている久美の視線に気がついたからだ。

「で、お前、いつまでそこに立っているんだ」

「あら、着換えくらい見ててもいいでしょう。今さら恥ずかしがる仲じゃないでしょうに」

「ばか、出てけ!」

「ふふっ、はいはい。それじゃ先に降りてジョンさんの相手をしているから、早く降りてくるのよ。それと、下着もストッキングもちゃんと交換するのよ」

「そんなの、見えないからいいだろう。このままで良いじゃないか」

「そんなんじゃ、これからの交渉もうまくいかないわよ」

「え?」

「ああいう交渉事のプロには信頼が大事。相手を内面から見ているんだから。気を付けて振舞うのよ」

そう言って久美は部屋から出ていった。いつもの久美なら、なんだかんだ言いながら最後まで俺の着替えを見ていくだろうに、今日は妙にあっさりしていた。

ドレスに着替えてフロントに降りると、3人が談笑している。そして降りてきた俺を3人が一斉に見た。

「Oh! Beautiful」

ジョンが感嘆の声を上げる。

「あ、ありがとうございます」

「では行きましょう。さ、こちらに」

俺たちはホテルの48階にあるレストランでニューヨークの夜景を眺めながら。4人で食事を楽しんだ。

キャシーが日本語がわかるので、大助かりだった。

食事はおいしかった。そしてワインも旨い。

だが、ついつい飲み過ぎてしまった俺の意識は、二人と別れる頃にはすっかり飛んでいた。



夢心地の中、誰かに抱きかかえられているような感覚を感じる。
がっちりした腕、広い胸。

どこか心地よい安心感を感じ、俺もその腕を握りしめ、胸に寄り添っていた。



「う、うーん」

「あら、気がついた」

気がつくと部屋のベッドで寝ているのに気がついた。

「いつのまに部屋に」

「すっかり酔っちゃったみたいね。でもかわいかったわよ。すっかり女の子だね」

かわいかった?
俺、何したんだ。

「よいしょ」

体を起こそうとした俺を、久美はお姫様だっこして窓際に連れていくと、窓の前で下ろした。

「ほら、きれいでしょう」

「ああ、キレイだ」

一枚ガラスの広い窓から眺めるニューヨークの夜景は美しかった。

そしてそれを見ているミニドレスを着た俺の姿も窓に映っていた。

安田久美になってしまった俺

きれいだ、きれいだけど、
なんで俺……こんな姿で、こんなところで、この景色を眺めているんだろう。

酔った頭でふとそんなことを思っていると、両脇をくぐるように久美の手が伸びてきて、ドレス越しに左右の胸を掴まれた。

むにゅ

「や、やっめろ」

むにゅむにゅ

「やめない。くーみちゃん、なにたそがれてるの」

「たそがれているとかじゃ、いや、だからやめろ・・ん、んぐぐ」

抗議しようとする俺の唇が久美の唇で塞がれる。そして荒々しく久美の舌が俺の口の中に侵入してきた。

舌が舌に絡まる感覚に頭が痺れる。

「ああ、気持ちいい」

久美はドレスのスカートをまくり上げると、手をパンティの中に差し入れた。

「ほら、もう濡れてる、全く敏感なんだから」

そう言いながら、久美は俺の着ているドレスの背中のファスナーを下ろす。

腕を袖から抜き出すと、着ていたドレスがはらりと床に落ちた。

そして手際よく俺のはいているパンティストッキングとパンティをおろしてしまう。

「少し両脚を開いて」

「え?」

「早く開く!」

久美の言葉に思わず足を広げると、その瞬間後ろから股間に硬いものが押し付けられた。

にゅる

「うひゃっ、お、お前、やめろ、こんなところで、あっちのビルから見える、あ、あひっ」

「誰も見てないよ、もっといくぞ」

男言葉になった久美は力を込めて腰を押し付ける。

その瞬間、俺の中にずぶずぶと異物が入ってきた。

体の中に感じる熱いモノの感覚、それが動き始める。

「ああん、ちょ、ちょっとやめ、やめて」

バックから押しつけられ、俺は窓に両掌を押し当てて体を支えるしかなかった。

「ニューヨークの夜景を見ながらやるなんて、なかなかできないわよ」

そう言って、久美は腰を前後に動かした。

「ひぃ、奥に」

「ふふふ、もうすっかり女になりきったな」

「い、いや、こんな、窓の前で、恥ずかしいから、あうっ」

「なにごちゃごちゃ言ってる、ほら、もっと腰を後ろに突き出す」

俺は言われるままに、ひんやりしたガラスの感触を両手に感じながら尻を後ろに突き出していた。

久美は俺の腰を両手でがっちり固定して腰を動かし始めた。

久美のペニスが再び体の奥深くに侵入してくる。

「あ、あふっ」

夜景をバックにあえいでいる俺の、安田久美の顔が窓に映っている。
俺、こんな表情してるなんて……

「ニューヨークの夜景を見ながらエッチできるなんてね、今夜は楽しむぞお!」

久美は腰を動かし続け、そして両手で胸を揉み続ける。

立ったまま、後ろ向きにそれを受け入れる俺。

初めての後背位だった。

いつもと違う感覚が体内で暴れる。

「あ、ああん」

窓外の夜景が揺れる。

腰ががくがく震えて立っていられない。

だが、力の抜けた俺の腰を久美のペニスががっちりと受け止め、下から突き上げる。

パンパンと音が部屋に響く。

「あ、ああん、いや、こんな、立ったままで入れられるなんて、あああ」

快感でどうにかなりそうだった。
だがイきそうになったところで、突然久美の動きが止まる。
中のモノがにゅるっと抜ける感覚。

えっ?

思わず振り向くと、久美は俺を抱き上げ、そしてベッドに放り出した。

「きゃっ」

「何を不満そうな顔している、本番はこれからだ。ほんとに俺たちって相性ばつぐん! 俺のこれもすっかり……いい、もっと、もっとだ」

そう言って、久美は股間を怒張させたまま俺に押しかぶさってくる。

俺の胸が久美の、いや、広岡英雄の厚い胸につぶされるのがわかる

胸からも快感が…ああ

「ああん、い、いい」

唇を再び塞がれ、そして手でアソコをまさぐられ、そして、再び中に熱いモノが入ってくるのを感じた。

「ああ、俺が俺に、いや……もういい、そこ、気持ちいい、もっと、もっと」

俺も、広岡英雄の体の腰に両脚を絡めて、自分の腰を押し付けていた。

「ああ、いい、いいの、もっと突いて」

「俺ももう、い、いくぞお」

その言葉を聞いた瞬間、俺の体の奥に熱いほとばしりが物凄い勢いで入ってくるのを感じた。

今までにない感覚。
そして、俺はイッた。

久美が俺に向かって囁いていたが、もう何を言っているのか聞き取る事さえできなかった。



翌朝、俺は着物を着せられ、久美とともに交渉相手のインダストリアル社に向かった。

青と白を基調にした少し変わった意匠の晴れ着だった。

着物の着方なんかわからなかったが、着付けは久美がやってくれた。

「お前、着付けもできるのか」

「まあね」

「でも契約交渉の場に着物姿で行くなんて、有りなのか?」

「ふふっ、相手が相手だからね、作戦よ。さあ、いいわ。裾をはだけないように歩き方には気を付けるのよ。ほら、鏡の前まで歩いてみなさい」

鏡の前に向かって歩くと、確かに着物は歩きにくい。だが……

「へぇ〜」

鏡に映った久美は着物がよく似合った。

大きすぎない胸、なで肩、そして細身の体

まさに日本美人だった。

「なかなかいいでしょう」

「え? あ、ああ。あれ、糸くず」

「あ、それも着物の意匠だから触らないで。で、歩き方だけど、コツがあるの、こう膝を擦るようにして……」

簡単に着物の歩き方を教えられた。

「モデルはウォーキングで印象ががらっと変わるんだから。でもあなたには素質があるから大丈夫よ」

「素質?」

「レースクイーンの時によくわかったわ、ふふっ」

そう言いながら、着物姿の俺の写真を撮る。

「部長命令だから、撮っておくわよ。ほら、笑って、もっと」

久美に促されて俺はにっこりと笑った

そんな俺にカメラを向けて、久美は何度もシャッターを切った。

なんだかなあ……



フロントにおりると、ジョンとキャシーが既に待っていた。

握手する久美とジョン。

「今日の交渉、法律的な事案は我々に任せて、あなた方は自分たちの気持ちをインダストリアル社に伝えることに専念してください。交渉はパートナーとしてやっていきたい熱意が伝わるかどうかが大事です。アメリカは契約社会と言われますが、同時にフロンティアスピリッツの国なのですから」

「アドバイスありがとうございます、Mr.スミス」

「いえいえ、我々もあなたたちの良きパートナーになれればと思っていますので。Mr.ヒロオカ」

「がんばってくださいね、Ms.ヤスダ」

「ありがとうございます、Mr.スミス、Ms.ジョーダン」

「キャシーと呼んでください。私もクミって呼んでいいかな?」

キャシーが握手しながらほほ笑む。

「勿論です」

「クミ、着物が似合ってる。今日はとってもきれいですよ」

「え? ありがとう、キ、キャシー」

着物姿を褒められ、俺は顔を赤らめた。

「顔は赤いですけど、大丈夫ですか?」

「だ、だいじょうぶです」

「まさにジャパニーズレディ、プロポーズしたくなりますね」

「そ、そんな冗談を、Mr.スミス」

「ははは、これは冗談ではありませんよ、クミ。さあ、行きましょう」

さらっと言うジョンに返す言葉が見つからなかった。



俺たちはホテルのエントランスからタクシーに乗り込み、インダストリアル社に向かった。

着物姿が物珍しいのだろう。タクシーの運転手がルームミラーでじろじろとこちらを見ているのがわかる。



「ビューティフル、ジャパニーズゲイシャガール、チョーチョーサン、ワンダフル」

インダストリアル社に着いて会議室に入ると、長身の若い男が握手を求めてきた。

その他のメンバーも、入ってきた俺を興味深げに見ている。

「ワタシは、渉外担当のジェイソンです。お会いできて光栄です」

「あ、ありがとうございます、えっと、本日はよろしくお願いします」

「あなた方を歓迎します」

和やかな雰囲気で挨拶を交わしたものの、始まってみるとインダストリアル社との交渉はタフだった。

交渉の場に上がることは上層部の働きで何とか成功したようだ。だが対等な契約ができるかどうかはここからが勝負。日本側にはアメリカのスーパーモデルを依頼に応じて日本に呼び、イベント会社に派遣するという大きなメリットがある。だがアメリカ側にどんなメリットが得られるのか、それを明確にしないと莫大な契約料を要求されることになる。

何とか対等な関係の契約に持ち込まないといけない。

インダストリアル社側からズバリその点を指摘され、交渉は難航した。

だが久美は粘りに粘った。

「この契約はインダストリアル社にも大きなメリットが生まれると考えられます」

「ほう、だが議論は出尽くした、これ以上は説明を聞く意味がありませんな」

「メリットは……これです」

プレテ資料を映しているスクリーンに、突然俺のレースクイーン姿が映し出された。
「は!?」

俺は思わず呆気にとられた。

会議室のメンバーは、全員俺の顔を見る。

集まる視線に思わず顔を赤らめ、俺はうつむいてしまった。

メンバーから、ほぉ〜っと嘆息が漏れる。

「見てください、これは彼女がイベントで活動した時のものです。わが社にはこのような人材が豊富に登録されております、そして彼女のように社員として社の業務を完璧にこなす女性さえおります。付け加えるなら、この時のレースで彼女はレースチームを優勝に導いたのです」

「いや、君、たかが一人のグリッドガールにそんな事できやしないだろう」

「これをお聞きください」

レコーダーで再生された音声が流れる。

スピーカーから流れてきたのは『チームTS』の斉藤監督と土田ドライバーの安田久美への感謝の言葉だった。

安田久美のおかげでチームの重苦しい雰囲気が一変した、彼女がチームを勝利に導いてくれたと。

そして、もう一度是非チームに来て欲しいという斉藤監督の言葉が最後に添えられていた。

彼らの思いが偽りではないことが、言葉の端々から伝わってくる。

どうやら久美がレースの後、二人に取材したらしい。

「モデルやレースクイーンでも、派遣先の社やチームの成績を上げることさえできるのです。そして彼女は日本女性でもある」

久美は言葉を継いだ。

「今日、彼女に着物を着てもらった理由は他でもありません、実際に皆様の目で見てもらう為です。アメリカにこのような着物の似合うたおやかな人材がどれだけいるでしょう。そして」

久美は俺に寄ってくると、手を伸ばした。

そして着物から伸びていたあの糸を手に取ると、思いっきり引っ張った。

すると、着物がぱらぱらと解けて体から落ち、中からレースクイーンの衣装が出てきたのだ。

それはスクリーンに映っている『チームTS』のレースクイーンの衣装そのもの。

おい、どうやって着物の中に仕込んだんだ。

おおっ!

会議室内が大きなざわつきに包まれる。

インダストリアル社の幹部たちはスクリーンの俺と、俺を交互に見ながらしきりに左右で言葉を交わし始めた。

「いかがでしょう、わが社にはこのような人材を派遣する用意があります。ほら、笑って」

久美に促され、何が何だかわからないが腰に手を当て、とにかく笑った。

そして…

「わかりました、契約に応じましょう」

中心に座ったインダストリアル社の代表が口を開く。

「あなた方のプレゼンテーションは新鮮でした。我々にもメリットがあることが理解できました」

「ありがとうございます」

「こちらからも専属モデルを日本に派遣しますが、日本からもモデルを派遣してもらいます。ジャパニースレディのニーズも高いでしょう」

「理解していただきありがたいことです。ただ、モデルとしての能力はアメリカのモデルにはるかに及ばないと思いますが」

「雰囲気です」

「雰囲気?」

「そう、あなたのプレテ通りです。清楚でたおやかな日本女性の雰囲気は、アメリカで生まれ育った人間にはどうしても出せないのです」

(でも、いまどき日本にそんな女の子いたかな)

キャシーが訳している言葉を聞いて俺はちょっと不安になったが、代表は言葉を続けた。

「彼女を見てそれを確信しました。ただただワンダフル、ビューティフルです」

「そんな、あたしはただ緊張しているだけで」

「彼女のようなジャパニーズレディに来てもらえるなら、喜んで契約に応じましょう」

「それでは」

「あなたの熱意には感服しました。我々はパートナーです。これからもよろしくお願いしますよ、Mr.ヒロオカ」

インダストリアル社の代表は久美に手を差し伸べ、がっちりと握手した。

プレゼンは成功したのだ。



ホテルに戻ると久美と二人きりになった。

「確かに成功したんだな」

「うん、あなたのおかげよ。私の目的もこれで達成できたのかな」

「目的?」

「そう、アメリカで大きな仕事がしたかった。ただのお茶くみや雑用で過ごす一日じゃない、ビジネスを、大きな仕事を、それが今日かなったの」

「お前はよくがんばったよ」

「あら、あなたのおかげよ」

「そ、そうなのか?」

「ある程度想定はしていたけど、あれがこれだけ効果的だったなんて。あなたがここにいたから、彼らを説得できたと言っても過言ではないわ。でも、ちょっぴりくやしいな」

そう言って、久美は後ろを向いた。

「……ありがとう」

背中ごしの感謝の言葉
それを聞いた時、心臓の奥がどきどきした。
無性にうれしかった。

久美は続ける。

「日本に帰ったら……元に戻ろうか」

「ほんとか!?」

「ええ、あたしも女に戻りたくなっちゃった」

「やった、元に戻れるんだ……うっ」

「どうしたの?」

「気持ち悪い」

「緊張し過ぎたのかな? それともまだ二日酔い?」

「うーん、そうなのかな、ちょっと吐いてくる」

しばらくすると、吐き気はおさまった。

「さあ、ジョン達が下で待ってる、今夜は祝杯ね。でも大丈夫?」

「ああ、もう大丈夫さ」



ドレスに着替えて部屋を出る。

下りのエレベーターの中、久美が唇を寄せる。俺たちは長い口づけをかわした。

ドアが開いて、待っていたジョンたちに見られているのにも気づかずに。



日本に戻ると、俺たちは再び白いゼリージュースを飲んだ。

俺に続いて久美もペットボトルに口をつける。

「これで今度こそ元の俺に戻れるんだ」

「最初に買ったゼリージュースは3本。あの時は二度と元に戻らない、買うことはないと思ってたんだけどな。ちょっと残念だけど、もう思い残すこともないわ。あなたもすっかり変わったしね」

「変わった……か」

「今なら女の子たちの気持ち、わかるでしょう。そしてチームで働くってことも。以前のあなたは課の女の子たちの、あたしたちの気持ちなんか何も考えてなかった。だからあなたを懲らしめようと思ってこれを使ったんだけど……もうわかるよね」

「ああ、そうだな」

話している久美の体が徐々に白く変化していく。

だが……先に飲んだ俺の体には何の変化も起こらなかった。

本来なら俺の体も久美のように体の色が白く変化して自由に変形できるはずなのだが、全くそのような兆候はない。

「どうしたんだ、賞味期限切れか?」

「馬鹿ね、あたしの体はほら、ちゃんと変化しているでしょう」

そう言って久美が自分の体をつまむと、ぷよっと簡単に変形する。

「そうだよな、うぐっ」

またも吐き気が襲ってくる

「ぐええ、ぐええ」

「どうしたの」

「何か、また気持ち悪くなって」

「体が変形しないのって、もしかしてその吐き気と関係あるのかな。あたしだけ元に戻るわけにもいかないし、困ったな」

やがて久美の体も何も施さないままゼリージュースの効果が切れ、久美は今までの広岡英雄の姿に戻った。

「気持ち悪いってねぇ、とにかく明日病院に行ってみましょうか」


翌日、俺と久美は総合病院に行くと検査を受けた。

しばらく待っていると婦人科に行くように言われて待合室で待っていると、結果が出たのだろう、ご主人も一緒に診察室に入るようにと言われた。

久美は俺の主人じゃないと思いつつも久美に目配せされ、二人で診察室に入る。

中にいた婦人科の女医の診断結果は……

「おめでとうございます。三か月ですよ。」

「おめでとう・・お、おめでた・・赤ちゃん?」

俺のここに赤ん坊。俺と……久美のなのか!?

俺は、自分の下腹に手を当てた。

「おめでとう、久美!」

「久美って、お前」

だが、久美はシーっと人差し指を口元に当てる。

「がんばって丈夫な赤ちゃんを産んでください。母子手帳の申請書をお出ししますので、待合室でお待ちくださいね」

女医にお礼を言うと、俺たちは待合室に戻った。

「三か月って……お前になって最初にセックスの時……だよな」

「あたしたちって、ほんとに相性抜群だったわけね」

「どうしよう」

「どうしようって、妊娠が原因なら産むしかないでしょう。丈夫な赤ちゃんを産んでね、くーみちゃん」

「そ、そんな、俺が赤ん坊を産むのか、そんな」

「こうなったらじたばたじない、それと……ねえ」

「え?」

「結婚しようか」

「けっこん? ちょおっと待て、それってプロポーズ……こんなところでかよ、いや、そうじゃなくって、なんで俺がお前に、いやそうじゃなくって」

頭が混乱してわけがわからない。

「今だって同棲しているんだし、このまま結婚しましょうよ」

「結婚って、俺たち元に戻るんだろう」

「あら、あたしそんな約束したっけ。わかるでしょう、赤ちゃんを生むまであなたは元に戻れないし、ここにいる新しい命は男と女の立場は変わったけどあたしとあなたの赤ちゃんよ。そうでしょう」

「それはそうなんだが」

「丈夫な赤ちゃんを産むのよ、いいわね!」

久美に言葉には逆らえない、いや、俺にはもう彼女のプロポーズに逆らおうという気持ちは無かった。

「わ、わかったよ」


それから俺たちは正式な式を挙げた。

女子社員からも男性社員からも祝福されての、できちゃった結婚。

式の当日、控室で待つウェディングドレス姿の俺……鏡に映った安田久美の姿は、自分で言うのも何だが、綺麗だった。

部長の残念そうなスピーチが印象的だった。

そして俺は、安田久美から広岡久美になった。



俺の腹は、結婚後にもどんどん膨らんでいった。

「女の子ですね」

経過検査で、お腹の子は女の子だとわかった。

「娘、俺の娘がここに」

大きく膨らんだお腹にやさしく手を当てる。

中で、動いているのがわかるのがわかった。

そして……



「痛い、痛い」

「がんばって、もう少し、ほら足が出てる」

「苦しい、もういやだ」

「泣き言を言わない! がんばれ!」

元の俺の声が、久美の声が耳元で響く
あいつが俺を励ましている
ああ、あいつがこんなに俺を

そして大きな泣き声

「元気な女の子ですよ、お母さんよくがんばりましたね」

お母さん、お母さんか

抱き上げた、生まれたばかりの娘
俺の生んだ娘
俺が母親か

小さな子供が無性に愛おしかった。
俺に手を伸ばして泣くその姿を見た時、元に戻りたいという気持ちは失せていた。



そして5年が過ぎた。
その後も成果を上げ続けた久美は課長に昇進した。
課のメンバーのモチベーションも高い。
俺は二人目の子供ができたことがわかった時、思い切って退職した。



「こんなことになるなんて。まったく、あのゼリージュースって何だったんだ」

「さあね、あのショップはいつのまにか無くなっちゃったし、もう幻よ」

「幻か……でも俺たちがここにこうしているのは幻でもなんでもない」

5歳になった娘と3歳の息子を連れて、俺たちは4人で公園に来ていた。

「ママー、パパー」

芝生で遊んでいる娘と息子が、ベンチに座って二人を眺めていた俺たちを呼んでいる。

「気をつけるのよ、今いくわー」

膨らんだお腹をかばいながら立ち上がった俺の手を久美が握る。

「三人目のこどもがそこにいるんだから気をつけて、でもすっかりママね。これからもよろしくね、くーみちゃん」

「だからその呼び方は……んんん」

俺の、いやあたしの言葉は英雄さんの唇で塞がれた。

「ママー、パパーどうしたの?」

娘の声が遠くで聞こえる。



女のことを見下してろくな仕事もさせなかった俺が、今や女で妻で、そして母親になっている。

初めての子育てに忙殺される中、どうしてこんな事をしているんだろうと思った時もあった。
でも、そんな事は今の俺にとってどうでもいい。


幸せだ。



(終わり)


                          2018年11月27日脱稿



後書き

 「白い闇の中で」と「続・白い闇の中で」を書いた後もこのシリーズの続きを書きたいと思っていたもののなかなか構想が進まずで、しばしお待ちをと前回の後書きで書いたのに、気がついたら15年も経ってしまいました。再開の契機はPixivに作品掲載を始めたことです。第3話(白い闇の中で・後編)を掲載した後で、このお話を何とか完結させたいという思いが強くなり、構想を練り始めました。まとまった時間が取れずにほんとに少しづつ書き始めましたが、途中からペースアップでき、何とか完成させることができました。書き終えて、いろいろお待たせしたなという思いでいっぱいです。一番待たせたのはレース場で置き去り状態だった英雄と久美かな。
 それでは、今回も最後までお読みいただきました皆様、どうもありがとうございました。

 toshi9より感謝の気持ちを込めて。





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