氷井町ブラック「残機」
作:九重 七志

夜の社長室。高価そうな椅子に座る男が一人。
向かいに立つのはもうひとり、吹けば倒れてしまいそうな痩身の男。

「――というわけで、このままでは納期に間に合わんのだよ」

「……事前に申し上げたはずです、どうするおつもりですか?」

「キミに頼る他ない。
 キミの実力なら、不眠不休でやりさえすれば必ず完成するはずなんだ」

「無茶苦茶を言いますね。いくら僕が天才だと言っても、
 出来る事と出来ない事ぐらいはありますよ」

「そこをなんとか頼む。これは社運をかけたプロジェクトなんだ」

「そこまでのものならば、もっと機材と場所と人員に
 予算を割くべきでした。残念ながらもう手遅れですが」

「そんなことは分かってる。
 親会社の不祥事さえ無ければ、もっと予算が入るはずだったんだ」

「無い物ねだりはよしてください、社長。
 そんなものは尋常の手段では出来るはずがないのです」

「……分かった、仕方ない。"アレ"を使おう。
 ホラ、前に一度やってみせてくれただろう?」

「"アレ"、ですか。あまり安全とも言えない代物ですが、
 あれなら――あるいは、なんとか出来なくもないでしょうが」

「頼む、可能な限りに昇進は約束するし、給料も上げる、
 手当も付けるし賞与も出す。
 本当に、キミに頼る以外に方法がないんだよ」

「はあ、そこまで言われては致し方ありません。
 間違いなく録音いたしましたからね」

「それでキミがやってくれるというのなら
 安いものだ、本当にキミは救世主だ」

「世の中など、誰が救ってやるものですか。
 それはそうと、必ず用意していただきたいものがあります。
 まずは――」

違法労働対策で電気を落とした社内の一角。
密談はもう暫く続き――そして、終わりを告げた。

そう、決して尋常ならざる手段を用いる。
どす黒く濁りきった世界の闇の所業――その算段を終えたのだった。



「(一体何をさせられるんだろう?)」

部屋には、事務服を着た女性たちが集められていた。

何らかの処置が行われたのだろう。
タイム・カードには何も記されていない。

見れば、若く体力のある女性ばかりだ。
それもよくよく見てみれば、美人でないものなど一人も居ない。

いったいこれは、どういうことか。
不法な接待行為でも行おうというのか。

しかしそうとも思えない。

女性たちの机の前には、大仰なコンピュータ・マシンが並べられている。
それも、恐ろしくハイ・スペックな。

それこそ高度なソフト開発に用いられるような最新鋭機。
日常の事務処理程度で使われるようなものとは比べ物にならない
ハイ・スペック・マシンだ。

勿論彼女らに開発の経験など無い。
彼女達の不安も至極当然であった。


――と。

扉が開き。人が入ってくる。
いかにも不健康そうな、痩せた躰の男だ。

爛々とした目が、どこか狂気じみた印象をもたらしている。

男は不審な目を向ける女性たちに軽く挨拶をすると、
目の前のコンピュータのスイッチをいれるように指示をした。


おそるおそると言った感じで女性たちがコンピュータを起動する。
画面には、何かしらの文字列が表示される。

日本語ではない。アルファベットでもない。
どこのものとも知れぬ不気味な文字……不快感をあらわにする者も居た。

――しかし、彼女達は目を離せない。
目が吸い付けられるように、その得体の知れない文字列を見続けている。

そして、そんな彼女たちに、異変が起こる。

一人、二人、三人――パタリパタリと、
机に突っ伏して意識を失っていく。

男はニヤリと笑みを浮かべながら、
そんな彼女たちの様子を見続けている。

パタリ――最後の一人が倒れたのを確認すると。

男は懐から小瓶を取り出し――

中身の、奇っ怪な禍々しい液状物質を、
心底美味そうに飲み干した……



部屋。倒れた男、倒れた女たち。
コンピュータの駆動音だけが鳴り響く、暗い部屋。

――ぴくり。

前方、最前列の席。そこに座る女性。
彼女は指をピクつかせると、ゆっくりと起き上がった。
目を、覚ましたのだろうか?

「――ぁ」

発せられたのは高い声。
若々しく、瑞々しい、張りのあるよく通る声。

女性は何かを確認するかのように、自らの手を開く。
透き通るような白く細い指を伸ばし、また握る。

「……ふふっ」

女性は嬉しそうな声を上げると、
自らの胸に手をあて、ゆっくりと揉み始めた。

「……んっ……んっっ……ひゃぁっ!」

甲高い悲鳴を上げた女性は、一先ず胸から手を離すと、
目の前のコンピュータに向かい合った。

画面には、先程の文字は消えている。
ごく一般的なインターフェイスのデスクトップ画面だ。

「――さて」

キーボードに手を載せた女性。

この手の機械に不慣れなはずの彼女は、
恐ろしく奇麗なホーム・ポジションの構えをとっている。

「始めましょうか、全速力で」

未だ幼さの残る可愛らしい顔の彼女は、
いつもとは全く違った口調で言葉を放つ。

その姿はまるで――先程の――

「使い物にならなくなったら次の身体に移るとしましょう。
 ――なに、代わりは幾らでもありますからね」

女性は、爛々と目を輝かせ、狂気に満ちた獣のような笑みを浮かべると、
早速作業に入っていった。

途方もないペースで、間違いなく体を壊すであろう調子で。
指先は踊るように鍵を打ち、プログラムの片鱗を紡ぎ出していく。

次第に指先の動きは鈍り、目は霞み、腕の動きが遂には止まる。

――ガクンッ。

女性は、キーボードの上に倒れ込む。意識を失ったようだ。
目は白目を剥き、口からは泡を吐いている。

それはそうだろう、アレだけの無理をしたのだから。
もちろんプログラムは途中までしか出来ていない。

だが――

ピクン、と。隣の女性が動き出す。

「もう次のを使わないとならないとは……」

俯いたままの女性が、男性の口調で愚痴る。

「今度の身体は、もう少し持つと良いんですがね……ぁんっ」

女性は――否、女性に乗り移った男性は、
柔らかな肢体を弄びながら、再びキーボードを叩き始めた。

――繰り返される光景。倒れた女性、起き上がる女性。
若き肉体を酷使する、死の行軍はまだまだ続く。

彼女たちの意志など介在しないままに。

残機のごとく使い潰される、若く美しき肉体達。

その末路は――


言うまでも、無いことだろう。

行軍する死者に鞭打つような真似は、
どうせろくな結果を生まないものなのだから――


「やったッ! 出来っ――……」

最後の女性が倒れ伏し、プログラムは完成した。

納期には間に合った、会社の危機は救われたのだ!


.
.
.


倒れ伏した女性たちは、酷使された脳でもはや動くことも出来ない。

だが勿論、こんなものにも使いみちはあるのだ。
なにせ彼女らは、若く美しい肉体の持ち主なのだから。

社長のコレクションルームは、より一層狭くなるだろう。
あの薬を使って彼女たちになりすますことだって、出来る。

此処は黒さえ生ぬるい、ドス黒き漆黒の社。

ああ、黒き闇が払われる日は、いつの日だろうか――

        
        
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氷井町ブラック「残機」おわり
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