氷井町ストーム「蜜の沼」
作:九重 七志
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水の中、水の底。
プールの中から見上げる空は、うんざりする程の快晴で。
見渡せば、水着姿の女学生。
首から下を水に漬け、レクリエーションか何かの最中らしい。
濡れてぴっちりと体に張り付いたしなやかな薄布は、もはや体のラインを隠そうともしない。
「(さて、どうしたもんか)」
プールの底、水の中で。
薄暗く霞んだ、半透明の男は。
誰にも聞こえない声で、言葉で。
ひとり静かに呟いた。
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彼がその手の薬を手に入れたのは、初めてのことではない。
それは、日毎にアドレスの変わる隠された通販サイト、
氷井製薬で密かに買い付けたものだ。
言うならば、彼は『病み付きになったリピーター』なのだ。
そんな彼にある日、通販サイトから『試供品』と記された荷物が届けられた。
「従来の商品の効能に加え、更に新たな成分を加えた新しい――」
売り文句に、真新しいものはない。
だが折角だからと、彼は白湯で錠剤を飲み下し、 敷いたままの布団で眠りについたのだ。
そして、眠れる彼の中から現れたのは、半透明の男性の姿。彼の幽体だ。
そう、彼の愛飲する薬品とは――紛うことなき、『憑依薬』なのだ。
「(取説にはこう書いてあったな、確か――)」
△憑依行為を行った際に、あなたの幽体のコピー、
分身、分霊――のようなものが生成されます。
△分身は、あなたと全く同じ行動原理で行動します。
△分身が憑依行為を行った場合、
同様にそのコピーが生成されます。
△あなたが憑依を解除し、自身の肉体に戻ることを
望んだ時点で、分身はすべてあなたに統合されます。
△分身が統合される場合、
分身の記憶もあなたの霊体に追記されます。
「(さっぱりわからん……とりあえず、まずはめぼしい女を――そうだ。今、この時期なら――)」
考えるのが面倒になった男性は、とりあえずいつものように憑依を行うことに決めたのだった。
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「そこー、危ないわよー! ふざけちゃダメなんだから!」
「やっぱアンタ、スタイルいーよねー。
普段あんなに食べてるクセに……ズルくね?」
「きゃあっ! ちょっとー! くすぐらないでよー!」
「えへへへへ〜、あいかわらずワキが弱いですな〜」
「うわ、日差しキッツー……」
各々手前勝手に姦しく、飛沫を上げる少女たち。
学校指定の水着はあまり派手ではないが、機能性は申し分ない。
水泳帽を被る者はそう多くなく、おおむね高い位置で纏めているようだ。
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そんな中、一人の少女に異変が起こる。
濃い茶色の髪を短めのポニーテールに纏めた少女だ。
浮きによって仕切られていた、レーンの中を泳いでいる。
「――ッ!!? あ……ッ! が――!!」
脚でもツったかのように硬直し、水の中に沈んでいく少女。
泳ぎの型は乱れ、容易には浮上できない。
「――! んっ――! ――? ――!!!」
がくんと全身の力が抜け、見開いた眼を閉じる少女。
もがくことを止めたことが幸いしたか、胎児のような姿勢になって徐々に浮上していく……。
「――え!? ちょっと――サカエさん!?」
ざわざわと周りに人が集まってくる。
溺れたのか、脚でもつったのか。
とはいえ、足の付かない深さではない。
姿勢を正した少女は、なんとか水面に顔を出せたようだ。
「サカエさん!? 大丈夫!?」
心配そうに顔を覗き込むのは、生真面目そうな黒髪の少女。
その距離は少し近すぎるようにも見えるが、あまり目が良くないのだろうか。
「――……ぁ」
サカエと呼ばれた少女が目を開く。
「良かった、大丈夫? 脚でもツった?」
「……ううん、それより……」
俯いたまま受け答えをする、ポニーテールの少女。
その口元は、どこか……笑っているようにも見える。
「無理しないで保健室に行ったほうが良いんじゃない?
先生、私、サカエさんを保健室に――」
「……"次"は、お前だな」
「――え? いま何か――」
意味深な言葉に反応し、サカエさんに向き直る黒髪の少女。
――そして異変が、彼女にも襲いかかる。
「――ヒッ!! えっ? あ……っ」
先程の少女と同じように硬直し、そのままがくんと力が抜ける。
そして再び顔を上げた彼女は――
「……ヒヒッ! なんだ、"こういうこと"かよ」
様子が、一変していた。
生真面目な顔は緩んでニヤけた表情に変わり、切れ長の目にはどこかトロンとした淀みが伺える。
そして少女は、自分の身体を抱きしめるように撫で回し始めた。
「んっ!! あ……んんッ! ぁあー……すげえ敏感っ!! 普段いじってないんだな」
撫でる――否、これは愛撫だ。
彼女はこの公衆の面前で――己の身体を慰めている。
「よう"俺"。やっぱその委員長、すげえ良い身体してるよな」
――"あの状況なら、俺もそいつにしてたと思うぜ"と続ける声。
それは先程の、サカエと呼ばれたポニーテールの少女だった。
「よぉ俺。でも尻から足のラインじゃあ、そっちの身体が最高だろ――あぁん!」
――"一番手なら、どう考えてもそっちを選ぶぜ"と続ける。
「どうせなら一緒に楽しもうぜ。こんな体験、なかなか出来そうにないからな――くぅっ!」
執拗に乳首のあたりを弄びながら、委員長に足を絡めるサカエ。
混ざり合う吐息、もつれ合う両の指。
周囲のクラスメイトに見られているというのに、秘せられぬ秘め事はもつれ合うように転がり始めた。
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「どうしちゃったの!?」
「おかしいよ、二人とも」
「そ、そーゆー関係だったの二人……!?」
「や、やだぁ……」
当然、周囲は混乱の極みだ。
クラスメイトが溺れたかと思ったら、急に頭がおかしくなったかのような痴態を演じ、更には助けに近寄った委員長までもがおかしくなってしまったのだ。
正気の沙汰ではない。
「――何をしているの! やめなさい!」
騒ぎを目にした監督役の女教師が止めに入る。
「クロサキさんも、サカエさんも!
そんな馬鹿な真似をしていたら――」
説教を始めた女教師を一瞥すると、委員長のクロサキはサカエに目配せをした。
「(次は、こいつだな)」
「(ああ、"俺"ならそうする)」
しゅんと説教を受けている――とはとても思えない、二人の態度に教師はご立腹だ。
「ちょっと、二人とも、話を聞いているの?
これはあなた達だけの問題じゃ――うっ!!」
競泳水着を着込んだ女教師の身体がビクンと跳ねる。
切りそろえられた黒いストレートの髪が、バサァと揺れる。
「ねえ、先生。気分はどう?」
先生は少し俯いたまま、何事かをつぶやく。
「う……ふ……ふふ……♪
二人とも、ごめんなさいね。だって――」
顔を上げた先生は、どこか狂気じみた笑みを浮かべ――
「こんなに気持ちいいんですもの!
あぁ〜んっ!! 私のおっぱい、気持ちイィ〜ん!」
水着の内側に手を突っ込み、特大級に豊満な乳房をゆっさゆっさと揉みしだき始めたのだ。
「せ、先生!? どうしちゃったんですか!!?」
近くにいた短い茶髪の生徒が、驚きのあまり声を掛ける。
「うふふぅ……ミナツキさぁん……
今日の授業は、保健体育の実習に変更よぉ〜ん♪」
「えっ!? あっ!? んぐっ!!?」
思いっきり顔を近づけて、生徒の唇に吸い付く女教師。
「んっ……んっ! んんぅ――ッッ!!!」
舌を喉の奥にまで絡めるほどの濃厚なキス。
生徒のミナツキは、突然のことで抵抗ができない。
「――!!! んんんんん!!!!???」
そしてミナツキにも異変が起こる。
彼女たちと同じように、ビクンと体を震わせ、 カクンと意識を失い、そして――
「――ぷはぁ♪ ったく、入る前に始めちゃうとかヒドイじゃねーか、"俺"」
「はぁ〜♪ あんまりにも無防備だったからなー。 その子もそこそこ可愛いし」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、 女教師の形の良い尻を撫で回すミナツキ。
その姿に、先程までの怯えは無い。
そんな二人に、平然と声を掛ける少女が二人。
「よぉ、"俺たち"。そっちの身体はどうよ?」
「最高だぜぇ♪ でも"サカエさん"も"クロサキさん"も素敵よぉ〜♪」
「ん〜、この髪が揺れる感覚がたまんねぇな。 やっぱスポーツにはポニテじゃねーと」
――と、そんな時。
「……ん? おい、見ろよ、アレ――」
クロサキさんが指差す方向には、慌てながらプールサイドのハシゴに手を伸ばす少女が一人。
フワフワと柔らかそうな栗毛の少女。
この状況に耐えられずに逃げ出そうとしているようだが……?
「――まあ、行くよな」
「そりゃあな」
「パッと見あの娘も可愛いっぽいし」
「"俺"なら、絶対捕まえるよん♪」
プールサイドに出た少女は、慌てて更衣室の方向へと走っていく。
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「やだぁ……おかしいよぉ、こんなの……絶対…… はやく、誰か、助け――」
更衣室。もう少しで扉がある。
辿り着いた。扉に手をかけ、開こうと――
「あひぃ!?!?」
何かが身体の中に入り込む感覚。
自分の体が、心が、精神が。何者かによって塗りつぶされていく。
「やめて、いや、助け、誰か――」
ガクンと身体が崩れ落ち、壁にもたれ掛かるように座り込んでしまう。
――ニヤッ。
口の端が、かすかに動く。
フワフワと柔らかい髪が、乱暴に揺れる。
立ち上がった少女は、満面の笑みを浮かべ、可愛らしい声で笑った。
「つーかまーえたぁ〜☆」
脳天気なほどに明るい声、あまりにも、状況にそぐわない。
「逃げようとした"わたし"には、 ペナルティでー……ぜーんぶ脱いじゃいまーす!」
来ていた指定水着を乱暴に脱ぎ捨てると、少女は再びプールサイドの方へ戻っていく。
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「わたしぃ、全裸で泳ぎたくなるヘンタイさんなんですぅ〜☆」
彼女の人格そのものを馬鹿にするかのような、 頭に蛆でも涌いたかのような台詞。
形の良い胸がぶるんぶるんと揺れ動き、体のバランスが大いに乱れる。
「ひゃぁ〜っ! ざぼーんっ!!」
飛び込み、とてもそうは言えないような、水中への落下。
仮にも水泳部に属している彼女からすれば、ありえない無様な着水。
「あ、アサギリさんまで……どうなってるの!!?」
「やだ、もうこんなの嘘、きっと夢なんだ……」
「わ、わたし――」
「わ、わたしもう帰る……帰らせ――あひっ?!
……もったいないなぁ、まだまだこれからなのにっ♪
ん、ん、んんっ……あはぁん!」
「いやぁ、サチぃ! 正気にもどっ――かはっ!?! ……ざんねーん、私も正気じゃなくなっちゃいましたぁ〜! ひゃああん」
一人、二人、また一人。
淫靡に狂乱していく少女たち。
「あふっ、あふっ、あふぅうっ……コイツの身体……敏感すぎぃ――」
「ユキのアソコ……しょっぱい……んんぅ、今度は、私ぃ……」
「ちちくらべー! 何だよぉ、ソッチのほうがでかいじゃん。 ――揉ませろー!」
「おっ、コイツ、ディルドーなんて持ってきてたみたいだぞ! ちょっと持ってこよーぜ!」
「うわ、自分で自分のおまんこ舐められるとか……さすが新体操部……柔らか……」
「ぴっ! こ、こいつ貧乳のくせに、なんて感度だ……あふんっ!」
「ああんっ! 痛いのが気持ちいいとかっ……ヘンタイっ……ヘンタイメス豚オンナっ!! ひゃああん」
「この身体っ……尻穴の方まで開発されて――くっひぃいい……新感覚、かもぉ」
「んひゃぁぁっ!! 潮吹いたァ……ビッショビショだぁ、あひぃっ」
「ああんッ、ごめんなさいっ、お姉様ぁ……わたくし、汚されてしまいましたわ――だってよ! 今どき居るんだなこんなの」
こうして――
たった一人の男が引き起こした、この狂乱の舞台は。
いつ果てることもなく、続いた――
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「あれ、まだ前のクラス終わってないみたい」
「おかしいね? ちょっと見てこようか?」
「そうだね、何かあったら大変だし」
次にそのプールを使うはずだった、別のクラスの少女たちは。
どろり。
ぐちゅり。
ぴちゃ、ぴちゃぁ――
生臭い粘り気を帯びた、汚れた水を湛える。
肌色たちが絡み合う、おぞましい水溜まりを見た。
「なに――あれ!?」
「おかしいよ! 誰か呼んでこなきゃ!」
「うん! クラスのみんなに知らせなきゃ!」
気づいていなかったのだ、少女たちは。
「……」
プールサイドに倒れた少女の一人が、更衣室の方を見ていたことを。
「――あっ――」
「どうしたの? ミサ」
「……ううん、なんでもない。それより早く――」
「うん、誰か呼んで――ンン!?」
あぶれた男の分身が、更衣室で張っていたことを。
「ちょ、ミサ、なにすんの!? ちょ――待――」
抱きつき、拘束し、唇を塞ぎ、動きを止める。
さすれば、即ち――
「――ん――ンンッッ!!!! ……っはぁ〜〜」
「んちゅ……ツイてるぜ、"俺"
"おかわり"だ」
「そうね、アキ。早くみんなを呼んで――」
「「――"第二ラウンド"を、始めようぜ」」
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氷井町ストーム「蜜の沼」おしまい。 |