刑事の俺がギャングのボスの美人妻と入れ替わってしまった(プロローグ)

 作:verdsmith7


それは気持ちの良い朝だった。
外から天気の良い日差しが窓から入り込んだ。
どこからともなく聞こえてくる小鳥の鳴き声が心地よい。
できればもうしばらく寝ていたかった。
このまま目を閉じ続けたらあと数時間寝られる自信がある。
でもそれはできない、今日は約束があるからだ。
なんとか眠気を打ち払おうとした。
重い目をなんとか開けようと頑張った。
「んん・・・」

ふかふかのベッドから身体を起き上がらせるのは一苦労だ。
眠気が強いせいか上半身にまだ力が入らない。
身体が睡眠を求め、その誘惑に負けそうになった。
さっきまで眠っていた身体をすぐに起こせるはずもない。
周囲の布団は軽いのに身体はとても重く感じた。
それに理由はもう一つある。
原因の元となっている場所にポンッと手を乗せた。
柔らかくて温かみのある膨らみが当たっている。
この胸にある大きな丸い存在が上半身の重みを増やしている。
なんとか起き上がろうと勢い任せに顔を上げた
上半身に力を込めてやっと座ることができたが勢いで長い金髪が顔に振り掛かってしまった。
その瞬間いい香りがしたものの前が見えなくなった。
「ああ、もう邪魔!」
視界を遮られ鬱陶しながらそれを手で後ろに払った。
金色の長い髪はふわふわと背中へと移った。
悪態をついても意味はないのは分かっている。
でも少しは不満を漏らしたかった。

「ふああ!」
細長い指で目を擦りながら喉の奥が見えるほど口を開けて大きなあくびをした。
どうせ今は部屋に自分ひとりしかいない。
これぐらいはしてもいいはずだ。
やっと目が覚めてきたが、まだ視界はぼんやりとしている。
頭の方も上手く働いてくれない。

辺りを見てここがどこなのか一瞬分からなくなった。
周囲をゆっくり見回してここが寝室だという事に気づく。
少しずつ記憶が整理できてきた。
無駄に装飾を施されたいかにも高そうな電球が天井から吊り下げられている。
壁には何を描いているのかよく分からないものの高そうな絵が飾ってあった。
「はあ、ここか・・・」
いつもと変わらない光景にため息を漏らした。
当たり前だが全部いつもと同じだ。
広い部屋に大きくてふかふかのベッドに座りながらそんな事を思った。
良くも悪くも何も変わっていない。
この細い手足も白い肌もいつもと一緒だ。
念のため長い自分の髪を引っ張ってみた。
すぐに頭に痛みが走った。
これはカツラでもウィッグでもない証拠だ。
言い訳ではないがこれは別に寝ぼけてやっているわけじゃない。
自分を含めて周囲を全部確認したが昨日と全部同じだった。

ベッドから完全に抜け出すことができた。
その瞬間から手足の先に冷たさを感じた。
冷え性ゆえの感覚、それに実際指先は冷たくなっている。
気候的には暖かくなってきたはずなのに寒さがこたえる。
以前はこんな事はなかった。
多少の寒さなんか気にも留めなかったし平気だった。
でも今は違う、そんな事を思いながら赤いマニキュアが塗られた綺麗な指先を眺めた。

いつまでもじっとしているわけにもいかない。
身だしなみを整えるために無駄に装飾の多い大きな化粧台の前に座った。
鏡の中には自分の顔が写っている。
まだ眠そうではあるが十分に綺麗だと思った。
雑誌に載っていてもおかしくない整った顔だ。
自画自賛でも自分に酔っているわけでもない。
「パンッ」と軽快な音と共にその綺麗な頬を手のひらで叩いてみた。
「いたた・・・」
顔に痛みが走り夢じゃない事が分かった。
無駄だと思ったが一応確かめておきたかった。
これがまだ夢の中であればどれだけ良かっただろう。
別に自分が美人なことが嫌なわけじゃない。
金持ちの暮らしにも満足している。
でもこの生活が嫌だった。
「はあ、いつまでこんな生活続くんだ?」

色々と諦めてクシを手に取ると寝ている間に乱れた長い金髪をといていった。
腰より長いこの髪の毛の手入れは本当に大変だ。
本当なら毎日整えるのが面倒だから切ってしまいたい。
自分の髪なんだから好きにしていいはずだ。
でもそれはできない。
この髪、もといこの身体は自分ひとりのものではない。
そんな事を考えていると約束の時間が迫っていることに気づいた。
昔母親が準備をするのにやたらと時間が掛かった理由が分かった。
結局髪を整え終えたのはあの時の母親よりも時間が掛かった後になってしまった。
髪を綺麗にできただけで疲れてしまった。
腕を何度も動かしたから見かけよりも結構な重労働だ。
しかも髪質や頭皮にも気に掛けないといけない。
毎日これをしないといけないのだから嫌になる。

もう一度鏡を見て左右を振り返って確かめてみた。
今度は変な所はないだろうか後ろを振り返ってみた。
髪が顔を動かすのに合わせてさらさらと風になびく。
朝日に照らされて鏡の中で輝いていた。
何度も確認した、恐らくだが問題はないだろう。
少し前にはメイドから身だしなみを注意されたことがある。
髪はぼさぼさで適当な服装で外へ出ようとした時だ。
あの時のメイドの驚いた表情は今でも忘れられない。
大慌てで止められて服を着替えさせられてしまった。
おかげでしばらく本気で心配されてしまった。
それからは身だしなみに極力気を付けた。
あくまで自分の中ではだが、短期間で知識0から3ぐらいになったと考えれば頑張った方だろう。
言い訳をするとまだ慣れていなかったのだが誰もそれを信じてくれないだろう。
それまで身だしなみやオシャレなんてほとんど気にしていなかった。
こんなのを着て生活するなんて想像すらしてなかった。
その時今の自分は昨日と同じドレスを着ている事に気づいた。

これは夫から似合うからと着せられたものだ。
少なくとも自分が着たいわけじゃなかった。
でもこうやって見るとやっぱり似合っていると思う。
モデルや女優顔負けのスタイルを上手く強調している。
胸元も当然開いているので胸の大きな谷間が見えた。
心なしか胸がいつもより大きく見える気がする。
それを眺めていたら恥ずかしくて顔が赤くなってしまった。
やはり早く着替えないといけない。
問題は何を着るかだ。
タンスや引き出し、クローゼットを開けて星の数ほどある衣類をベッドに並べていった。
これだけあると逆にどれを着ればいいのか迷ってしまうほどだ。
ファッションに敏感なメイドに選ばせるのも手だがまた不安にさせたくない。
だから今は自分で考えるしかない。
そう思いながらスマホでオシャレな着方を調べた。
自分で考えるといっても限界があるのは確かだ。

やるべきことを全部終えて改めて鏡を見た。
そこに見えたのはテレビで見るセレブの女性のようだった。
服が変われば雰囲気も変わる、女性というのは本当に不思議だ。
本当はもう少しラフな格好がしたい。
できるものならシャツとズボンでいたいぐらいだ。
豪華な服というのは動き辛く、それに目立ってしまい周りから見られるから嫌だ。
でも今の自分は良くも悪くも有名人だから仕方がない。
地味な格好をした所でこの顔のせいで結局は注目を浴びてしまう。
だからおちおち変な格好はできない。
悪い意味で目立つことだけは避けたかった。
スマホで見た情報通りの格好になってみたが最後あれだけ悩んだ時間が考えるだけ無駄だと思った。
どうせ何を着ても似合う、言っては悪いがこの身体には取り敢えず何を着ても似合うのだからあまり考えなくてもいいし必要もないだろう。
そう考えるとメイドに注意された時は一体どんな格好をしていたのだろうか。

外に出るとメイドや黒服のボディガードが並んで頭を下げながら見送ってくれた。
なんとも落ち着かない盛大な外出だ。
もっとも外へ行くときは決まってこうだ。
その中をハイヒールをコツコツ鳴らしながら歩いた。
こんなに見られていると緊張する。
正直ありがた迷惑でしかない。
それぞれ仕事もあるだろうにできれば自分なんかに構わないで勝手に外へ出させてほしかった。

家の前には豪華な車が待っていた。
当然これが我が家の自慢の車だ。
近くへ来ると黒服を着た大柄の男が丁寧にドアを開けてくれた。
「あ、ありがとう・・・」
そう感謝しながら黒に輝く大きな高級車に乗り込んだ。
座り心地の良い本革のシートに腰を下ろした。
車内は広く背筋や足を伸ばしてもまだ余裕がある。
昔は映画の中でしか見たことがなかった。
まさか自分がこれに乗る日が来るなんて夢にも思わなかった。
少し前までは中古で買ったいつ壊れてもおかしくない大衆車に乗っていたから余計にそう思えた。
今は専属の運転手が車を運転してくれる。
目的地までは何をしなくても座っていれば勝手に着いてくれるというわけだ。
さぞ優雅なドライブだったと言いたいが実際にはそうではない。
くつろぐことができるわけじゃない。
原因は隣に座っている夫の存在のせいだ。
「キャサリン、今日はまた綺麗だな」
「・・・え、あ、ありがとう」
キャサリンというのは『今の』自分の名前だ。
別に偽名ではないが返事が遅れてしまったことを反省した。
まだこの名前で呼ばれることに慣れていないからだ。
かと言ってこの名前を呼ばれるのもあまり嬉しくない。


「それで今日行く店だがいつもの所でいいか?あそこのは一流品ばかりだろ」
「え、ええ、そこをお願いするわ」
静かに座っていたいのにやたらと話しかけてきたからゆっくりもできない。
当然聞き流すわけにもいかずそれには適当に話を合わせながら相槌をうった。
「なあ、気づいたんだが最近化粧が薄いな」
「そ、そうかな?」
「それに外出の準備も前より早くなったな。前は随分時間が掛かってただろ。まあ、俺にとっては今のお前の方が好きだけどな」
「そ、そう言ってくれると嬉しいな。あなたに喜んでもらおうと思って頑張ったのよ」
「はは、なんだそうだったのか。最近のお前は本当に可愛いな。ほら、今日は好きなだけお前の欲しい物を買ってやるぞ」
夫は上機嫌になりながら喜んでいたが自分は複雑な思いだった。
化粧に関しては実際にはそこまで複雑なメイクができないだけだし手を抜いているわけじゃない、これでも精一杯しているつもりだ。
いちおう褒めてくれたことには感謝しておいたが内心は複雑だった。
それになるべく同じように振舞っているはずだが気が付かない間にそこまで見られていたとは油断していた。
次からはわざと時間を掛けないといけないと思った、それに化粧の勉強もしないといけない。
自分がキャサリンになってやることがどんどん増えていく気がする。

色々と疲れているから本音では到着する時間まで昼寝でもしていたい。
もしくは景色でも眺めて気分を落ち着かせたかった。
しかし、隣にいる夫は暇なのか知らないがやたらと話し掛けてきた。
それを無視することもできたがそれはしなかった。
夫とは良好な関係にならずとも不和な間柄になることは避けないといけない。
この夫の悪い噂は絶えないどころか増えていく一方だからだ。
だから今は良き妻を演じ続けた。
同時に早く着いてくれと心の中で願った。

なぜか夫との話は永遠と続いた。
会話を面白くしようとか盛り上げているわけじゃない。
それなのに夫は楽しそうに自分へ話し続ける。
話が終わり沈黙が訪れる様子は微塵もなかった。
自分はその話を聞き続け聞き手に徹した。
話す内容といえば最近の仕事の事や部下の失敗談だった。
しかも以前に聞いた事と全く同じ内容を聞かされるのだからたまったものじゃない。
それをまるで初めて聞いたかのよう顔で話を合わせた。
もちろん夫は裏の仕事に関しては一切言わなかった。
少なくとも得られる物は何もない無駄な会話だ。
これなら自分が運転した方がはるかにマシだ。

したくもない会話を続けてやっと目的地へ着いた。
車から降りる時はやっと解放された気分になれた。
新鮮な空気のおかげかやっと落ち着いた気がする。
「随分嬉しそうだな」
「え、ええ、今日の買い物楽しみにしてたから。ほら、早くどこかに入りましょう」
ここは有名な通りで複数のブティックが立ち並んでいる。
テレビや雑誌でも紹介されていて有名人もよく訪れる。
一流ブランドの商品ばかりを扱っている。
どこへ入るか迷ってしまう。
「そんなに嬉しそうに選ばなくても時間はたっぷりあるぞ。なんならこの辺りの店全部丸ごと買ってやってもいいんだからな」
冗談なのか本気なのか分からないが彼ならやりかねない。
それに買い物に来て嬉しいわけじゃない。
あのやばい夫から解放されてホッとしているだけだ。
家だと夫が仕事が終わればずっと一緒にいる事になる。
夫婦なのだから当たり前なのだが少しでも離れたい。
外に出れば多少は解放されたから自然と嬉しくなるだけだ。

まずはランジェリーショップに入ることになった。
自分ではなく夫が勝手に決めてしまったからだ。
あまり広いお店ではないが扱っている物は一流品ばかりだ。
これだけ周囲に飾られていると正直目のやり場に困るぐらいだ。
シンプルなものからフリルの付いたものまで様々用意されている。
「どれにするんだ?」
「えっ、えーとどれが良いか迷っちゃったの」
そう返事をしたが内心落ち着かない。
普通男はこういうのは気まずくて外で待ってくれるものだろう。
しかも堂々と店の下着を手に取って確認までしている。
下着を買う本人の自分が緊張してしまうが夫は気にすることなく次々にランジェリーを眺めていった。

「そうか、なら俺がお前に似合いそうなのを選んでやるよ」
夫はそう言うといかにもな下着を選び始めた。
店員も何も言わない、それどころか夫におススメ品として新作や人気商品を持ってきては丁寧に接客してくる始末だ。
そして夫は気に入った下着をガードマンに次々と持たせていった。
もちろんあれらを着るのは一人しかいない。
派手な下着ばかり持たされたせいか心なしかガードマンの表情はいつもより堅い気がした。
他の客に迷惑だろう、と言いたいが中に客は自分達以外はいない。
というより私達が入って来た時に皆慌てて出て行ってしまった。
夫が悪い意味で有名人だからだ。

「まあ、こんなもんだろ。ほら、早くどんな風になるのか見せてくれ」
そう言って店員に案内させたのは試着室だ。
大量のランジェリーと一緒にそこへ入れられてしまった。
黒服が運んでくれたランジェリーを見てため息が出る。
「これを全部今から着るのか・・・」
外に聞こえないようにそう呟きながら中の一つを手に取った。
フリルの付いた可愛らしい下着だ。
しかも結構良い価格になっている。
外では自分が着替えるのを今かと夫達が待っている。
覚悟を決めてなるべく鏡は見ないように服を脱ぎ始めた。
そうしないと試着室から出る時に顔が真っ赤になってしまう。


そして遂に試着室から出た。
試着室の外には夫やボディーガード、店員達が待っていた。
自分が試着室から出ると皆の視線が集まってきた。
まるで人気アイドルにでもなった気分だ。
服を着ていればこの眼差しももう少し心地良かったかもしれない。
でも今の自分は試着した下着以外は何も着ていない。
正直身体がとても冷えた。
店内では冷房が入っていてその冷たい風が身体の表面を突き刺してきた。
でもその寒さも長くは続かなった。
恥ずかしさで身体が暖かくなってきたからだ。
いや、暖かいを通り越してすでに暑くなってきた。
こんなに見られたら緊張しないわけがない。
身体から変な汗が流れ出そうになる。
それでも必死で笑顔を作るよう心掛けた。
「ど、どうかな?」
やっと口から出た言葉がそれだった。
「ほう、どれどれ」
夫は興味深そうに下着姿の自分を目を凝らして眺めてきた。
今回の彼の一番の目的はこれだ。
「うむ、悪くはないがこっちはどうだ?」
真顔でそう答えられた。
エッチではないものの評論家のような視線を送ってくる。
それはそれで自分にとってはプレッシャーになった。
夫以外の周囲には男性も多かったが誰もイヤらしい視線はなかった。
多少恥ずかしそうにしている人物もいたがほとんどは真面目に見てくる。
万一にでもエッチな視線を送ってきたら夫からただではすまないだろう。

その後も渡された下着を次々に着ていった。
新作から人気商品まで店の下着を全部着ていくようだった
まるで着せ替え人形の気分だ。
そして着替えては出るたびに新しい下着を見せてはポーズを決めてみた。
半ばヤケクソだったが必死で楽しんでいるフリをした。
出ると拍手が聞こえる時もあればガッカリされる時もあった。
まるで新作水着の公開ショーのようだ。
最もそれを見せるモデルは自分ひとりだけだが。
渡された下着を全部着終えるとやっと服を着ることができた。
完全にくたくたになりながら試着室から解放された。
その後着せられたランジェリーは結局全部買うことになった。
その時の夫はすごく満足そうな表情だった。


「じゃあ、次はあっちのお店に行こうかしら」
ランジェリーショップを出るなり夫へそう声を掛けた。
「なんだ、まだ見るのか?」
「そうなの、もっと色々見たいのよ」
ウインクをしながらそう言った
「ああ、そういうことか。女の買い物は長いからな。じゃあ、俺は用事があるからしばらくここを離れるぞ」
「ええ、そうしてちょうだい」
言わんとしていることを理解できたようだ。
「どれを買うか決めたら電話で呼んでくれ」
そう言って車に乗り込むと走り去っていった。
店員達がホッとしているのが分かる。
自分も同じ気分だ。
夫がいなくなると次第に店内に客が戻り始めた。

さて自分にとっての本番はこれからだ。
残されたとはいえ正確には自分一人ではない。
ちゃんとボディーガードがつけられている。
有名人だから仕方ないのだが今の自分にとっては邪魔な存在だった。
これから会う人物と秘密裏に接する為にも彼をどうにかしないといけない。
まずはカゴへ入れた服をスタッフへ渡し戻しておくよう頼んだ。
もっとも元から買おうとすら思っていなかった。
これで少し時間が稼げる。
黒服が商品を返している間に急いで店から出た。

「待ってください!」
店を出て早速ボディーガードに追いつかれた。
あれぐらいではそう簡単には引き離せないか。
「ごめんなさい、見たいお店がたくさんあるから。急いじゃったの♪」
わざとらしく可愛く謝るとボディーガードはそれ以上何も言ってこなかった。

その後偶然見かけたお店に入り適当な服を選んでレジへ持って行った。
すると夫の名前が分かると異様にスタッフが優しくなった。
そして頼んでもないのに過剰すぎるサービスをしてきてくれた。
わざわざ店長が直々に出てきて営業スマイルで接客してくれる。
「これはキャサリン様いつもありがとうございます。こちらは新作となっていますがいかがでしょうか?」
新作だと言って特別な化粧台へ連れて行かれるとメイクを施された。
試供品はもちろん来店記念の粗品まで渡された。
別に自分でそう頼んだわけじゃない。
一応断りはしたのだが向こうが勝手にしてくる。
他のお店に入っても結果は同じだった。
おかげであまり買ってないのに大量の荷物ができた。
買った商品よりタダで貰った数の方が多い。
無料だから嬉しいと言いたいが正直これを全部この細腕で持つのは大変だ。
その上この慣れないハイヒールで持ち運ぶのはきつい。
踵がカツカツと鳴らす音がいつもより大きい。
これでも一番歩きやすい物を履いている。
ただの買い物でここまで苦労するなんて。
だが目的は果たせた。

後ろからついてくるボディーガードには自分が買い物で楽しんでいるところを見させておいた。
買い物に夢中の妻を目に焼き付かせたから後で夫に報告をするとしても変な所はないだろう。
そして場所的にもそろそろ良いタイミングだ。


次にやって来たのはなるべく大きな店で人が大勢いる場所だ。
普段ならこんな庶民向けのデパートには来ない。
休日のせいか普段の日よりも人が多い。
でも今の自分にとっては都合のいい場所だ。
「さて、行くか」
わざと人ごみの中を突き進んで行き店の奥へと入って行った。
すると後ろからボディーガードが待つように言ってきた。
想像していた通りの展開だ。
「お待ちください!」
それからも後方から聞こえる声に構わず奥へと向かった。
段々とその声も人ごみの中の騒音にかき消されて完全に聞こえなくなった。
黒服は見えなくなったがまだ近くにいるはずだ。

見つかったら全てが台無しになる。
そうなる前に急いで近くにあるトイレへと入った。
もちろん女性トイレの中へだ。
流石にここまでは探して来ないだろう。
女という立場を活かして隠れるなら絶好の場所だ。
個室へ入ると持っていた荷物を開けてみた。
中にはさっき買った衣類が入っている。
主に目立たず動きやすい服を選んだのはこの為だ。
少なくとも今着ているものよりはの話だが。



トイレから出てしばらく歩いたが後ろから誰かが追ってくる様子はない。
なんとか見失ってくれたようだ。
夫やボディーガードから解放されてやっと肩の荷が下りた。
でもこの両腕に抱えられている大量の荷物は相変わらず重く感じた。
これは後から買い物を楽しんでいたという言い訳に使うから捨てるわけにもいかない。
重い荷物でまた体力が減ってしまったが裏路地までやって来た。
表通りとは違う雰囲気になっている。
人通りは少なく、店も清潔とは言えない冴えない個人店ばかりだ。
そんな中でもひと際古そうな喫茶店に入っていった。
黒服もまさかここに入ったとは思わないだろう。
扉を開くとカランカランとベルが鳴った。
静かな店の中には客は一人しかいなかった。
「悪い、遅くなった」
その人物へ待ち合わせに遅れたことを謝った。

そこにいたのは男だ。
「へえ、私の身体で随分楽しんでるみたいじゃない」
その男は俺の姿を見るなり嬉しそうにそう声を掛けてきた。
かつては毎日聞いた懐かしい声、そして毎朝鏡で見た顔がそこにあった。
「私の身体でその生活を満喫してるわね。すっかりその身体にも慣れちゃったのかしら♪」
「お前こそ俺の妻とは何か変な事はしてないだろうな」
「ええ、良い夫を演じてあげいるわよ。それに仕事も順調にできてるわ」
それを聞いて少しだけ安心できた。
何を隠そう目の前にいる人物こそが本来の俺だ。
今の俺達は入れ替わってしまっている。
少し前に俺とキャサリンは身体が入れ替わってしまった。
それ以降は刑事の俺がキャサリンでキャサリンは刑事の俺になっている。

入れ替わってからはお互いのフリをして生活を続けた。
特にキャサリンの夫は俺が長年追っているギャングのボスだ。
俺の正体がばれたらただではすまないだろう。
だからこうして俺たち二人だけしか入れ替わっている事を知らない。
そしてこうやって二人で密かに会っては情報を交換した。

まずはいつも通りお互いの情報交換から始めた。
俺はキャサリンとしての身の回りのことをキャサリンは刑事の俺としての出来事を話した。
幸か不幸か何も変わりはない、俺たちの正体を知られてはいない。
今の所ギャングのボスでキャサリンの夫でもある彼にも大きな動きはない。
一緒に暮らしていれば何かしら掴めると思っていたのだが今のところは皆無だ。
状況が悪くなるよりははるかにマシだが進展もなにもない。
「元に戻る方法はどうだ。こっちは完全にゼロだ」
「私も色々調べたけど分からなかったわ」
お互い元に戻る方法を探してはいるのだがこれも未だに分からずじまいだ。


「でも一つだけ変わったことがあるわね。貴方がまた私の身体で可愛くなった事よ」
そう言って触ろうとした手を「パシッ」とはたいてやった。
「あら、今日は触らせてくれないのね」
「元に戻ったら好きなだけ触ればいいさ。というより自分の身体にセクハラしようとするなよな」
これでも女の生活を少しは経験したし、男への対処方法も多少は学んだ。
慣れたくはないが仕方がない。


「ふふ、でも可愛くなったのは事実よ」
別に褒められてもうれしくもない、たとえそれが本当だとしてもだ。
俺の身体になったキャサリンは尚も俺をジロジロと眺めてきた。
そうかと思えば突然近寄って来た。
「おい、何してるんだ!?」
「あら、たばこの匂いもしないわね。禁煙したのね。へえ私って結構いい匂いがするのね」
スンスンと鼻を鳴らしながら髪や身体の香りを吸い込んできた。
「や、やめろ!離れろ!」
自分に匂いを嗅がれるというのは良い気がしない。
むしろ気持ち悪いから一刻も早く離れた。
キャサリンの身体で禁煙をするのは本当に苦労した。
元々かなり吸っていたのだろう。
最初のころは煙の臭いがこびりついていた。
そして普通にしているだけでも煙が恋しくなった
落ち着かないからおかしいとは思っていた。
そして無性に吸いたくなった、それを我慢するのは本当に苦痛だった。
愛煙家が禁煙をする大変さが身に染みて分かった
ちなみに夫の方は禁煙しているのを知っているくせに目の前で普通に吸っていた。
それが本当に腹が立った。

「おい、それよりさっきから吸ってるのってまさか!?」
「別にいいじゃない。今は私の身体なんだし♪大丈夫よ、奥さんの前では吸ってないから」
そういう問題ではないのだが今はいい。
健康診断に引っ掛かったらどうしてくれるんだと言ってやりたかったが言いたい事を全部言ってたらきりがない。
それにしても元に戻った時の悩みの種がまた一つ増えてしまった。

「そういえば夫とも仲が良さそうじゃない」
「そ、そんなことねえよ」
冗談じゃない、一緒にいるだけでも嫌なのに生活を共にまでしているのなんてこっちからごめんだ。
できることなら勝手に離婚してやりたいぐらいだ。
でもキャサリンはそうとは思っていないらしい。
「へえ、じゃあ入れ替わってから何回したの?」
にやにやと笑いながらそう尋ねてきた。
「・・・」
「ふふ、やっぱり可愛いじゃない。夫が気に入るわけね。じゃあ、話も一通り済んだしそろそろ今日もやりましょうか」

俺とキャサリンが会う最大の目的はこれだ。
『ごん』という鈍い音が広がる。
俺とキャサリンは何度も頭をぶつけてみた。
それと一緒に身体もぶつけてみた。
最初に入れ替わった時はこれのせいだったはずだ。
ぶつけてダメならと頭をくっつけ合ったりもした。
意味はないだろうが握手もした。
しかし、全部無駄でその日も元に戻らなかった。
ただ痛い思いをしただけだ。
「やっぱり今日もダメみたいね」
「いてて、そうだな」
何度もぶつかり合ったから身体中が痛い。
すでに服も身体もボロボロだ。
こんな事もあろうかと別の服も買ってよかった
こんな事が続けば元に戻る前にキャサリンの身体がダメになってしまいそうだ。

そして今日も何もないまま別れることにした。
すると俺の身体になったキャサリンは最後にこう言った。
「お別れに頬にキスをしてくれる?」
「はあ、なんでそんなことを!?」
当然断ろうとした、誰が好きで自分にキスをしなくてはいけないのか。
俺は呆れてさっさと帰ろうとしたがキャサリンはもう一言付け加えてきた。
「してくれたら奥さんや仕事の事は今よりも上手くやってあげるわよ」
その言葉で俺の足は止まった。
キャサリンは俺の顔で相変わらずにやにやしている。
さっきの言葉が信用できないのは確かだ。
でも自分の本来の家族や仕事は向こうの手の中にある。

「本当だな?」
「もちろん♪」
なんで俺が自分の頬にキスをしないといけないんだ。
でも今はあんな怪しい言葉でもすがるしかない。
家族や仕事は大事だ。
それを守る為ならこれぐらいどうという事はない。
俺は唇をかつての自分の頬へと近づけた。
俺は目を閉じてゆっくりと唇をくっつけた。
唇に柔らかい物が当たる感覚があった。
俺はゆっくりと目を開けた。
しかし、そこにあったのは頬ではなく俺自身の唇だった。
気が付いた時には遅かった。
唇は完全に重なり、そのまま自分自身にキスをしてしまった。

「ふふ、ご馳走様♪でも、やっぱりこれでも戻らないわね」
唇が離れるとキャサリンはあっけらかんとそんな事を言ってきた。
当然だが俺たちの身体はまだ入れ替わったままだ。
「お、おい、一体何を!?」
俺はただ慌てるしかなかった。
なにせ自分と唇をくっつけてしまったからだ。
それなのにキャサリンは平然としている。
「だってこれが入れ替わりの定番でしょ。それにしても女としてまだまだ脇が甘いわね。じゃあね、キャサリンちゃん♪」
キャサリンは俺の身体で手を振ると人ごみの中に消えてしまった。
俺顔を赤くしながらしばらく呆然とそこにいた。


家へ帰ったのは日が暮れてからだった。
夫は随分と買い物を楽しんだようだと皮肉られたがそれに返事をする余裕などなかった。
買った物をメイドに預けてさっさと寝室へと入っていった。
そしてキャサリンの身体で俺はいつものベッドに横になった。
ふかふかのベッドと布団がキャサリンの身体を優しく包み込んでくれた。
「はあ、疲れた、本当この身体になってから大変なことばっかりだ」
俺はキャサリンの身体で今日も眠りについた。
明日も何が起きるか分からない。
俺のキャサリンとしての生活はまだまだ続きそうだ。
















inserted by FC2 system