アタシは誰?
アタシは誰?
聡美編
作:つるりんどう

***警告***

このものがたりはおとなのひとむけにかかれています。18さいになっていないひとはここでもどってくださいね。

この小説には、できうる限り過激な描写は抑えてあるものの、18歳以上向けのコンテンツが含まれています。ですので、申し訳ありませんが、18歳未満の方はここでお戻り下さい。


「おい、白坂ッ!!」

「は、はい!?」

 担任の本多が、ホームルームのとき、余所見していた俺に声を掛けた。
また、アレだな。
俺は、直感的に本多が何を言おうとしているのか分かった。
本多がホームルームで俺の名前を呼ぶのは、十中八九あいつに届け物をさせるときだ。

「悪いんだが、戸川に今日の配布物持ってってくれ」

「は〜い」

 俺は、少し気の抜けた返事を返してやる。
ふん、何が『悪いんだが・・』だ。
そんなこと言うんだったら、自分で持ってけっていうの。
あーぁ、また回り道しなきゃなんねぇ〜よ。
 俺は、ため息を吐きながら、戸川の分の配布物を受け取った。





 プァ〜ッ

 夕焼け空に、特急電車の警笛が響く。
 俺の家は、通っている高校最寄りの駅から8つ目の駅のすぐ近くだ。
それでも、途中に乗り換えがあったりして、中学のときの同級生はほとんどいない。
戸川も俺と同じ小学校だったんだが、アイツは中学受験して、中高一環のうちの学校に先に入っていた。
 俺は、中学受験しなかったから、高校になって久しぶりにアイツと同じ学校になったんだ。
 俺は、別にそれほどガリ勉したりはしていないのだが、成績はそれなりによく、高校受験じゃトップで入ってしまったらしい。
まぁ、俺の生まれ育った環境のせいなのかもしれないが、弟は勉強ではなくスポーツの方でかなり活躍している。
つまり、俺の家系って、何にでも打ち込めるタイプなのかもしれないな。

 キィーッ

 なんだかんだと考えている内に、俺は戸川の家の前まで来ていた。
4月に入学して以来、何回ここに来たのだろう…
アイツは俺が入学してから、一度も学校に顔を出していない。
いわゆる、不登校ってやつだ。
 これは友達から聞いた話だが、アイツ、中学の途中からイジメられるようになったらしい。
発端は、かなり些細な事だったらしいが、だんだんエスカレートしていって、味方を失ってしまったアイツは学校に出てこなくなったらしい。
もともとアイツは、かなり勉強できたし、お金持ちだったから、目立ち過ぎたのがそもそもの原因だったのかもしれないと俺は考えている。
 俺は、中学時代のアイツのことは全く知らないが、小学生の頃一緒に委員をやっていたりした俺にしてみれば、今の彼女が一体どうなっているのか見当も付かない。
あんなに活発で、元気で、いつも明るいオーラに満ちていた戸川が不登校なんて・・・
やっぱり小学生時代の戸川のイメージからは想像できないな。

 ピンポーン

 取りあえずというか、いつもの通り、一応インターホンを押してみる。
と言っても、夕方でかなり暗くなってきているのに、戸川の邸宅は真っ暗だ。
戸川の家は、ダイ○ハウスでもかなりの特注で建てられていて、この辺では当に豪邸って感じだ。
だから、夕方になっても暗いままだとかえって不気味に見える。
こういう家は、やはり華やかに灯りが点っていてこそ、よく見えるものだと思う。

「やっぱり出てこないな・・・」

 インターホンを何度か押してはみたが、なんの反応もない。
そう・・・
確かに、この真っ暗な家の中に、戸川はいるはずなのだが、今までインターホンに一度も出てきたくれた試しがないのだ。
仕方ない・・いつもの通りプリントだけ入れて帰るとするか。

 コン

 そんな音を立てて、俺が重苦しい門構えのポストにプリントを突っ込んだとき、すぐ隣のインターホンから、何か音がしたのだった。

「?」

 俺が、何かと思ってインターホンを覗き込むと、恐らくインターホンのカメラに映った俺が見えたのだろう。
戸川の微かな声が聞こえた。

「し・・白坂君?」

 間違いない。少し声音は変わってるけど、あの戸川 聡美の声だった。

「と・・戸川か?」

 今まで一度も出てきてくれなかった戸川がどうして?
俺は半信半疑で聞き返した。

「白坂君なんでしょ?」

「そうだけど。戸川 聡美さんだよな?」

との俺の問いに、

「うん。あたしだよ、聡美だよ」

 アイツは少し脅えているような声を返してきた。
アイツの声なのに、アイツらしくない。俺は、自分の中にあった聡美の声のイメージとのギャップに戸惑った。

「そっ、それにしても久しぶりだな。元気か?って、随分元気ないな、戸川。どうしたんだ?」

「白坂君・・・」

「あ・・おっ、おい、小学生のときみたいに呼んでくれていいんだぜ。どうせ幼馴染なんだし」

 どこか気まずい雰囲気に、俺はそれを必死に壊そうと、明るくしようと努めた。

「の・・信君」

 聡美も無理しつつ明るく話そうとしているのが感じられた。
それでも、あまりにも久しぶりな会話にお互い言葉が詰まった。

「なっ、何かな?」

「・・がって・・」

「え?」

「上がってくれる?」

 懇願するような響きで聡美は、俺に尋ねてきた。
それは、どこか有無を言わさせずに、俺を強制するような力があった。

「え、いいのかい?」

困惑を隠し切れない俺に、

「お願い・・・」

 それだけ言って、インターホンは切れた。

「い・・いいのかな?」

 心の中の興奮を押さえながら、俺はがっちりした鋼鉄製の門の前で突っ立っていた。

 カチャ

「お邪魔します」

 両開きのドアのノブに手を掛け、俺は聡美の家の中に、かれこれ4年ぶりに足を踏み入れた。
どこか懐かしい、覚えのある芳香が漂っている。
人の家にはそれぞれ独特の匂いがあるが、聡美の家のは、特にいい匂いだ。

 ガチャリ

 重く身の引き締まるような音を立てて鋼鉄製の扉が閉まる。

「ふぅ〜ッ」

 あまりの緊張感に俺は思わず息を吐き出した。
見上げると、2階まである吹き抜けが目に入る。
吹き抜けを跨ぐ廊下の突き当たりが聡美の部屋だったかな・・・
そんなことを考えていると、

 カチッ

 唐突に背後で鍵のかかる音がした。
あまりに静かな中で、いきなり後ろで音がしたものだから、俺は思わずビックリした。

「ひッ」

 いい歳して、情けなくも小さく悲鳴を上げてしまい、思わず自己嫌悪に陥ってしまう。
聡美に今のを聞かれなかったかと、俺は慌てて手で口を塞いだ。

「ふふっ」

 すると、突然静まり返った玄関ホールに聡美の声が響いた。

「とっ、戸川ッ?」

 俺がどこに聡美が居るのかとあたりを見回すと、右側の・・確かリビングだったと思う・・部屋から小さな揺らめく灯りが見えてきた。
その揺らめきから見る限り、蝋燭のようだった。

「いらっしゃい、信君」

 奥の方から、蚊の鳴くような声ではあったが、確かに聡美の声が聞こえた。
 何か冷たい空気が、リビングの方から流れてきて、俺の周りを通り過ぎていく。
その途端に、俺の体を何ともいえない悪感が走った。

「さッ、聡美ッ。何なんだよ、これ?夕方なのに、真っ暗じゃないか!!」

 俺は、自分の中の不安を拭い去ろうとするがごとく、聡美に大声で怒鳴った。
すると、真っ暗闇の中の炎が立ち止まった。

「ごめん・・でも、準備はできてるのよ・・・」

 準備?
俺を脅えるような声で呟く聡美の言葉に、俺は首を傾げた。
もしかして、俺を迎え入れる準備でもしていてくれたのだろうか?

 スタ・・スタ・・

 ゆっくりとした歩調で再び聡美がこちらに近づいてきた。
その歩調は頼りなく、まるで夢遊病ではないかと思えるほどだった。
あまりにも重々しい雰囲気に俺は息が詰まりそうだった。

「信君・・・」

 玄関ホールの吹き抜けにあるステンドガラスから差し込む外の灯りに、ようやく聡美の姿が浮かび上がった。

「聡美?」

 3年ぶりに見る聡美の姿に俺は息を呑んだ。
白い・・・
まるで雪のように白く透き通った肌を聡美はしていた。
そして、あの長く奇麗だった髪を切ったのか、首筋当たりまでボブカットになっていたが、彼女の黒髪はこの暗さでも光沢が分かるほど艶やかで輝いていた。
確かに、全体的に3年前の聡美からは想像も付かないほど大人びていたが、彼女の雰囲気もまた別人ではないかと思えるほど変わっていた。
そう・・
美人なあの顔に、3年前までのあの笑みがなかった。今の聡美は、感情がないのではないかとすら感じてしまいそうなほど、無表情だった。

「上がって、信君」

「あ・・ああ・・・」

 俺はなんて言葉を掛けていいか分からず、ただ聡美の指示に従った。
俺は、足元にあったスリッパを履くと、聡美の方に振り向く。
すると何時の間にか、聡美は俺に背を向けると、真っ暗なリビングの方へと歩んでいた。

「待てよッ!!」

 俺は慌てて聡美の後を追いかけた。

 シュワッ

 そして、俺が、シャッターでも下ろされているのか、真っ暗なリビングに飛び込んだ途端、異様な空気が俺を包み込んだ。

「なっ、なんだッ!?」

 寒いッ・・
はっきり言って、洞窟の中に飛び込んだような寒さだ。
それも、エアコンを効かしているような感じではなく、神経がピリピリと張り詰めるような雰囲気がある。
俺は、まるでリビングではなく、別の空間に入り込んだような錯覚に陥った。

「ふふふ・・・」

 突然、部屋にエコーがかかったような聡美の声が響いた。

「さっ、聡美・・」

 俺が言葉を失っていると、

「信君、ほんと久しぶりだね」

 先ほどとは違い急に感情が篭ったような声で聡美は喋り出した。

「あたしのこと、覚えていてくれた?」

「えッ、あ・・そりゃあ、もちろん当たり前だろ・・」

「ふぅん。ありがとう」

「そッ、それより、なんで聡美は学校に出てこないんだ?俺、心配してたんだぞ」

 と声を掛けると、

「『なんで』? 信君・・知ってるんでしょう、なんであたしが学校に行かないか」

 いや、そう・・
俺は聡美の不登校の理由を知っている。
詳しくは知らなくても、聡美が不登校になった原因は分かっていた。
だが、そのとき、俺はそのことを口にする事はできなかったんだ。

「いや、それは・・」

「はぁ・・やっぱり信君も、あたしの敵なのね」

「違うッ。それは違うよ。俺、なんか聡美のために手伝える事があったら・・」

「それ以上言わないでッ!!」

 突然、強い口調で聡美は俺の言葉を遮った。 

「ふん・・どうせ他人なんて何も信用できないのよ。信用できるのは、自分自身だけ。信君だって、口先だけで本当は自分の事しか考えてないんでしょ?」

「そんなッ、違うって」

 俺は聡美の勢いに押されながら、必死に自分を弁護した。

「ふぅ〜ん、でも信君、あたしのプリント届けるのさえ面倒だとか思ってたんじゃないの?」

 まるで俺の心を見透かしたかのような聡美の言葉は、俺の心に突き刺さった。
はっきり言って、聡美の指摘はその通りだった。
俺、口ではなんやかんや言いながら、心の中ではそういう気持ちがあった事は認めざるをえなかった。

「うッ・・」

 思わず俺は言葉を失う。
俺、聡美の事好きだったはずなのにな・・・
何時の間にこんなヤな奴になったんだろう。
 俺は、聡美に対して申し訳ない気持ちになった。
俺は分かっていたのに、聡美のために何もしてやろうとはしなかったのだ。
委員長にすらなったのに、俺ならなんとかできたはずなのに・・

「ごめん・・俺、聡美の事分かってたのに、何もしてなかった・・・してやれなかったんだな」

「別に、分かってもらわなくてもいいのよ。どうせ信君には分からない事なんだから」

「聡美・・」

「だいたい、信君に分かるはずないじゃないッ!!分かろうともしなかったくせにッ!!」

「ごめん。でも、俺、できるだけ頑張ってみるからさ。聡美の事、分かってあげたいんだよ」

 それでも、聡美は一向に取り合ってくれなかった。

「ふぅ〜ん、女の子の気持ちすら分かんない信君があたしの気持ちを分かる?ふざけないでよッ!」

 そう言うと、聡美は自分の黒髪を撫で始めた。

「はぁ・・・」

 蝋燭の僅かな灯りに、彼女の髪が煌く。

「ほら・・見てよ、この髪。あたし、ずっと伸ばしてたのに、あいつら『生意気だ』とか言って、トイレに連れ込んで無理矢理はさみで切ったのよッ」

 急に聡美の声が怒りの篭った声から鳴き声に変わった。

「こ、この火傷も、家庭科のときに・・・」

 そういうと、聡美は、スカートを持ち上げ、太股の火傷の跡を見せた。

「聡美・・・」

 知らなかった・・
まさかここまで酷い目に聡美があってたなんて。
その生々しい跡は、俺の心を罪悪感で苛めた。

「聡美、今まで気が付いてやれなくてごめん。でもこれからは、俺が付いててやるから、俺がお前の身になって考えてやるから。」

「あたしの身になって?・・・へぇ〜、信君がね」

「それでも許してくれないなら、他にも俺にできる事があったら言ってくれていいんだ」

 俺は本気で言った。
だが、聡美の返してきたのは、寂しそうな色をした瞳だった。

「はぁ〜ッ、信君はいつも肝心なときに分かってくれないのね。小学生のときだって、あたし、信君の事大好きだったのに、信君気付いてくれないんだもん」

「えッ!?」

 俺は自分の頬が熱くなるのを感じた。
そう・・・実は俺も聡美の事が気になってしょうがなかった。
でも恥ずかしくて、いつも気が付かない振りをしてただけだったんだ。

「さと・・」

「いつも、信君、遅すぎるのよ。とうとう、また今回も間に合わなかったじゃない」

 聡美は、悲しそうに虚空を見上げてから、そう言うと俯いた。
そして、その俯く瞬間に、俺は聡美の目に何か煌いたものを見た。
涙?
そう思う間もなく、聡美の体が打ち震え出した。
寒いのか、両手で両袖を握っている。

「聡美・・・どうしたんだ?」

「フフフ・・」

「え?」

 俺が心配になって近づくと、聡美は笑い声を上げ出した。

「なっ、何?」

「信君、今さっき言ったわよね?『できることならなんでもする』って」

「あ・・ああ」

「そう、じゃあ信君、あたしになってくれる?」

 顔を上げた聡美はまるで人が変わったかのような表情をしていた。
何かを企んでいるような恐ろしい目つきをしていた。

「えッ?」

 俺は聡美の言った事が分からず、思わず聞き返すと、

「信君だって、言ったでしょ?『あたしの身になって』って」

「いや、それは・・・」

「それとも、あたしなんか嫌なのかな?あたしの身なんか、まっぴらごめん?」

「そッ、そんなことはないよ。なれるものなら、なったっていいさ」

 俺は、必死に聡美の事を考えやっているんだってことを示したくて、同意した。

「アハハハハ・・やっと言ってくれたわね、信君。信君があたしになってくれるなんて、あたし、うれしいわ」

 聡美はまるでうれしくしょうがないといった感じで、笑い転げた。

「アハハハハ・・・フフフフッ」

 そして、笑いがおさまると、俺の方を向いて、目配せした。
それが何を意味しているのが俺には分からなかったが、ふと気が付くと、俺の足の回りに火の付いた蝋燭が円状に取り囲んでいた。

「なッ、なんだッ!? 何だよ、これ?」

「分かんないの、信君?これが、魂を入れ替えるための魔法陣よ」

 そう言うと、聡美の足元にも円状に火の付いた蝋燭が現れた。

「魂を入れ替える?」

 俺は聡美の言う事が理解できず、聞き直した。

「そうよ。もしかして、まだ分かってないの?あたしと信君の魂を入れ替えるのよ」

「はぁ?本気で言ってるのか、聡美?」

「もちろんよ。信君だって同意したじゃない、『あたしになる』って」

「まさか・・そういう意味だったのか?」

「フフフ・・・分かってなかったとは言わせないわよ」

 聡美は不気味な笑みを浮かべていた。
それを見て戦慄した俺が、唾を飲み込むのを見て、

「フフ・・信君、何もそんなに心配する必要はないのよ。ちゃんとあたしの記憶もあげちゃうから」

「記憶って、聡美の記憶を?」

「当たり前じゃない。そして、心まであたしになってせいぜい後悔する事ね。あ、あたしに成りきっちゃったら後悔もできないか。アハハハハ・・」

 目の前で大声で笑う聡美の姿は、俺には本物の聡美とはどうしても思えなかった。
何か悪いものにでも取り付かれているようにしか見えなかった。
だって、あの聡美がこんな風になるなんて、幼馴染の俺が信じられるはずがないだろう。
これがほんとに現実でも、信じたくないに決まってるさ。

「おっ、おいッ。聡美、いい加減にしろよッ!!」

「ん・・・五月蝿いわねぇ。いい加減にするのは、信君の方よ。もう少し時間上げようかと思ってたけど、やめたわ」

「何言ってんだよ、聡美ッ!」

「ふん、バカじゃないの、信君。これは契約なのよ。契約した以上、信君はあたしになるしかないのッ。さぁ、始めるわよッ!!」

 そう言うと、聡美は目を瞑って、俺と聡美の間の中心の方に手を翳し、呪文のような物を唱え始めた。
すると今まで見えていなかった魔法陣本体が輝きだし、光の粒子みたいなものが、魔法陣を構成する文字や記号のようなものから浮かび上がった。

「こっ、これは・・・」

 俺が驚いていると、足元から何かが上がって来るのを感じた。

 キューン

 という音が耳を劈く。

 直感的に危険を感じた俺が、蝋燭の囲むこの領域から後図去るように出ようとした途端、背中に弾力のある空気の壁のようなもの感じた。

 ブヨンッ

 その壁に弾かれ、俺は思わず前につんのめる。

「なッ、なんだ?」

「無駄よ。一度発動した魔法陣から出られる訳ないでしょ。フフフ・・」

 聡美の薄笑う声が聞こえた途端、俺の足元から光と風が飛び出してきた。
そのあまりもの勢いに、俺は両腕をクロスさせて顔を守った。
そして、あっという間に俺のいた円陣の中は、閃光と暴風で溢れ返った。

「うわ〜ッ!!」

 俺は思わず悲鳴を上げる。
もう後少しで、足が床から浮き上がってしまいそうだ。
必死に歯を食いしばっていると、突然流れが止まった。

「えッ・・・」

 だが、それは逆流の始まりだった。
恒星が爆発直後にブラックホームに転じるように、後もとの円陣は、いきなり光と風を吸い込み始めたのだ。

「ぐぅ〜ッ!?」

ダメだ。
そう思ったとき、全身の感覚が引いていくのを感じた。
そう・・自分の体は円陣に吸い込まれていないのに、感覚だけが吸い込まれていっているようだった。
数秒もかかることなく、俺は自分の体から切り離され、地面の中に潜り込んでしまい、最後に頭上で倒れていく自分の体を見たような気がした。

・・・





「うっ、う〜ん・・・」

 俺は何か眩しさを感じて目を覚ました。
何時の間に眠ってしまったんだろう。
それにしても、頭が痛い・・
一体、どうしたっていうんだ。
手を目の上に翳して、そっと瞼を開ける。

「あれ・・・」

 俺は目の前に広がる見なれぬ天井に驚きの声を漏らした。
そう・・・
その天井は、俺の部屋の天井ではなかった。
俺の部屋の電気は安っぽい蛍光燈だ。でも、今俺が見ているのは、白熱灯の灯るシャンデリアだった。

「ここは・・」

 驚いた俺が慌てて起き上がると、そこにあったのは、見るからにして女の子の部屋だった。
しゃれたタンスの上に並べられているぬいぐるみがそれを物語っている。
それらを眺めていると、ふと見覚えがあるのに気が付いた。
そうだ、確かここは聡美の部屋だ。
かなり前ではあるが、俺は以前に何度か遊びに来た事が会ったから、間違いない。

「一体どうなって・・・?」

 状況が掴めない俺は、自分の喉から漏れた自分の声の異変に気が付いた。
俺の声は変声期を過ぎて、それなりに男っぽい声になっていたはずなのに、今の自分の声はまるで女みたいだった。

「えッ!?」

 やはり、自分の声じゃない。
俺は、何かとんでもないことが自分の身に降りかかった事を感じた。

 ゾクッ

と全身を寒気が走る。
そして、緊張に研ぎ澄まされた神経にもう一つの異変を俺は感じ取った。
髪だ。
髪が首元まで伸びているのだ。
少し頭を左右に振ってみると、サラサラの髪が俺の首を撫でる。

「ええッ!?」

 とうとう頭がこんがらがってきた俺は、今の自分を確認するために、ベッド脇のクローゼットの横に置いてある鏡に駆け寄った。
すると、目の前に聡美がフッと現れた。

「聡美ッ!!」

 俺と同じように口を動かし、驚愕の表情を浮かべる聡美。
俺は恐怖にかられたかのように、全身が震え出すのを感じた。

 ゴクンッ

 俺は唾を飲み込むと、そっと視線を下へと動かす。
すると、やはり目の前にいる聡美が着ているものと同じ服を自分は身につけていた。

「こっ、こんな・・・」

 あまりに信じられない光景に俺は絶句した。
男のはずの自分が、女物のブラウスとスカートを身につけていたのだから。
それもよく見ると、自分の胸が小ぶりながらも膨らんでいるのが分かる。

「嘘だろ・・」

 俺は非現実的な現実に、なんとか理由を付けようと頭の中を整理しようとする。
女の服を着ているからって、女になっているとは限らない。胸だって詰め物かもしれない。
とにかく、今の現状を確認しないと・・・
俺は、どこか祈るような気持ちで自分の手を自分の胸に近づけた。

「あふッ!?」

 だが、現実は、受け入れられない事実を突き返した。
あった。
膨らんだ柔らかい存在が確かに自分の胸にある事を、胸と手の両方の感覚から感じ取った。

「まさかッ」

 俺は慌てふためき、最後の望みを掛けてスカートを捲り上げる。
そこには、やはり装飾過剰気味なパンティーが自分の股間を取り巻いていた。
しかも、パッと見でも、そこに男なら誰しもあるはずの突起物の影を見つけ出す事はできなかった。
 俺は全身から冷や汗が吹き出すのを感じながら、パンティーに手を突っ込んだ。

「なッ、ないッ・・」

 俺の手は、股間にあるはずの男の子の象徴を探し当てる事はできず、代わりに微かな膨らみと割れ目に触れた。
未知の感覚が俺を襲う。
くすぐったいようでいて、不思議な感覚。

「あうッ!!」

 俺は思わず声を漏らし、慌てて手を引っ込めた。
しかし、もう確信するのに必要な条件はすべてクリアしていた。

「俺、ほんとに聡美になってるのか・・・」

 俺は茫然自失状態で鏡の中に映る自分の・・聡美の姿を見詰めていた。

「フフフ・・」

 突然部屋の中に聡美の声が響いた。

「えッ!?」

 俺が驚いていると、虚像であるはずの鏡の中の聡美がニッコリと笑った。

「な・・・」

 俺が慌てて引き下がると、鏡の中の聡美は勝手に動き出した。

「あなた、聡美?」

 鏡の中から、ささやくような声が聞こえてきた。
俺が恐怖にわなないていると、ニュ〜ッと二次元の世界から三次元の世界に抜け出して来るかのように鏡の中の聡美が鏡の中からゆっくりと出てきた。
目の前の聡美は、何時の間にか素っ裸になり、床に這いつくばっている俺を見下ろした。

「フフフ・・」

 目の前にいるもう一人の聡美は不気味に笑った。

「なっ、なんなんだ、お前?」

 俺が震える声で問いただすと、

「あたし?あたしは聡美よ。それより、信君、あたしの体はどう?」

「あッ!」

 聡美の言葉が記憶を引き出す鍵になっていたかのように、俺はようやくあの時のことを思い出せた。あの聡美と入れ替わったときのことを。

「どうやら思い出したようね」

「お前、俺の体どうしたんだよッ?」

「そりゃあ、もちろん聡美のものになってるのよ」

 ?
 俺はふと聡美のその言い方がおかしいことに気が付いた。聡美が俺になっているなら、目の前にいるこの聡美はなんだって言うんだ?

「聡美が俺になってるなら、今ここにいるお前は何なんだよ」

「フフ、するどいわね。あたしは、聡美の精神体の一部。つまり、聡美の記憶と意志が具現化したものって言ったらいいかしら」

「な、なんだよ、それ?」

「ともかくあたしは、信君があたしになってもらうために来たのよ」

 そう言うと、聡美は俺を覗き込んだ。
じっと見ていると聡美の漆黒の瞳に、俺は吸い込まれそうな気分がした。

 フワッ

 突然、俺の体が宙に浮いた。
気が付くと、あたりは霧のようなもので包まれ、聡美の部屋の景色はどこにも見えなくなっていた。
その上、何時の間にか自分の体も目の前の聡美と同じように、生まれたときのまんまの姿になっている。

「うわッ!!」

 なぜか羞恥心のあまり、俺は慌てて胸を隠した。
こんなに胸をさらけ出すのが恥ずかしいと感じたのは初めてだった。

「ウフフッ、すっかり女の子してるじゃない。まぁ確かに肉体は正真正銘の聡美だもんね」

「違うッ!!俺は白坂 信宏だ」

「あら、これが信君だっていうの?この顔で、この体で?」

「そうだよ。お前が無理矢理体を入れ替えたんだろがッ」

「ふ〜ん、そう……じゃあ、これでも、自分が聡美じゃないって言い切れる?」

 突然、聡美の手がオレの胸に触った。
胸の膨らみのしたからそれを持ち上げるようにそっと擦るように手を動かした。
やや小ぶりな乳房とはいえ、初めて体験する未知の感覚にオレの喉から黄色い声が零る。

「キャッ!」

 敏感になっているのか、ちょっと触られただけで、かなりくすぐったい。
自分の出した声に、赤くなっている俺に、里美は、今度は俺の乳房の先端をつまむように触れた。

「あんッ!」

 強烈な刺激が神経パルスになって背筋を突き抜け、俺の脳天を直撃する。
頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなるような感じだ。
まるで、一人Hのときのパンパンに張っている男の象徴に触れたような快感が胸から全身に広がっていく。
そう…まるで、男の象徴が2つ胸に付いているようなものだと言ったらいいだろうか。
しかも不思議と無意識の内に、自分でも恥ずかしくなってしまうような媚声が漏れてしまう。

「ああんッ、ダッ、ダメッ!!」

 抵抗しようと俺は声を絞り出すが、喉から漏れる声は甘ったるく、まるで女の子が喘いでいるようだった。
それどころか、その自分の喉から漏れる声は、俺の中の何かに火を付けた。
湿った落ち葉に、マッチで火を付けたときのように、チョロチョロと最初は小さな炎ながらも、次第にその炎を大きくしていく。
それも…外からじゃなく…中から何かがくすぶり出しているかのような感じだった。
体の芯から熱が全身へと広がっていくのだ。

(体が熱い…)

 その体のほてりは、自分が男だったときに一人Hをして得られたほてりとは全く異なる…いや、比べ物にならないようなものだった。

「どう?自分が聡美だってこと分かった?」

「あッ、あんッ。ちょっ、ちょっとやめて…」

「ウフフ・・かわいいわぁ。ねぇ、今のあなたに足りないものって何だか分かる?」

「いやぁん、お願いやめて・・・」

「それはね、聡美が聡美であるための所以、つまり聡美の記憶なの。それさえ、受け入れてくれれば、あなたは完全な戸川 聡美になれるのよ」

 聡美は喘いでいる俺がその話を理解できようとできまいと構わないといった感じで話し掛けてきた。
とにかく、聡美は俺が聡美になってしまえばそれでいいとだけ思っているようだった。

「ほら、信君だって感じてるんでしょう?もっと素直になりなさいよ。あたしさえ受け入れれば、楽になれるんだから」

「ひゃぁん・・・」

「ね、応えて。あなたは誰なの?」

「オッ、オレは・・はぁん・・白坂・・し・・らさか」

 聡美は自分の体を慰めている事に喜びを感じているような笑みを浮かべながら、女性の感覚に翻弄されつつある俺に誘導尋問するかのように尋ねてくる。
だが、オレが必死にソレに耐え、歯を食いしばっていると、

「ふぅん…さすがに元男の子の精神は強いわね。」

聡美は今まで愛撫し続け、すっかり固くなったオレの胸の先端を突然突っついた。

「ひゃぅッ!!」

 胸からオレの意識を粉砕しまいそうなまでの電撃が、オレの肉体を襲った。
聡美は依然攻勢を止めることなく、固く張ってしまった胸の先端に愛撫を加える。
そもそもなったばかりの女性の体でこんなことをされて、オレにソレを耐えろという事はもはや不可能というものだった。
なんというか…男の絶頂に達する直前に至るときの感覚が2つ分、自分の胸から感じられるようなものなのだ。
それなのに、当然ソレが男性のソレでない以上、男性のような高みを迎えることなく、里美に揉まれ続ける限り、永遠とその感覚が続くのだ。
オレの意識が飛んでしまいそうになっても仕方が無い。

それだけでなく、オレの意識とは無関係の、聡美の体の…女としての本能的な欲求がオレの意識を虫食んでいくようだった。
それは肉体の自然な欲求が自分の中に溢れ返り、オレの理性を凌駕していく感じだ。
もっと、もっと…
何時の間にか、ア…オレは、それを欲していた。

体はすっかり全身が熱く火照り、下半身がうずく。
下半身の何かが、何かを求めてるみたいだ。

「ほら、我慢できないんでしょ?」

 目の前の聡美は、すべてを見透かしたような表情でオ…アタシの右手を取ると、股間へと導いていく。
そして、股間まで持ってこられたアタシの指の先が、割れ目に触れた。
すると、その途端

ビクンッ

と脳天に突き刺さるような快感が体に走った。
その雷に打たれたかのような鋭い感覚に、アタシは思わず体を波打たせてしまう。

「うッ、うくッ…」

「ほら、感じるでしょう、聡美の体を。あなたは、戸川 里美なのよ。」

 聡美がアタシに甘い声で誘い掛けるように、話し掛ける。
その間も、里美に操られている右手は、股間の真ん中の小さな丘の上を滑り、アタシは何か耐え難い欲求が自分の中に湧き出すのを感じていた。

「アッ、アタシが聡美?…」

「そうよ。もっと自分の体を感じて、そして自分を受け入れるの。」

「聡美を感じて、聡美を受け入れる?…」

 アタシは、とうとう我慢できなくなって、割れ目を弄くり出した。
割れ目から熱い粘液が迸り、股間がどんどん濡れていく。

「いッ、いやッ。やめて〜ッ!!」

 アタシの意識は、拒絶を叫ぶ口とは裏腹に快感を求めて深みにはまっていく。
これが、里美の体…
こんな気持ちいいなんて…
次第にアタシの中で、自分が白坂 信宏だった事なんてどうでもいいやという気持ちが広がっていく。

グチュグチュ

「ああん、あああん…」


……

 初めて体験する女の子の体。
快感が波のように次々と押し寄せ、アタシの中を掻き回していく。
何時の間にか、聡美の手による愛撫から解放されていたアタシは、自分で胸を揉み、股間を弄っていた。

 アタシが自分の肉体にすっかり翻弄されたのを見届けると、里美がにやにやしながら近づいてきた。

「ウフフフ…じゃあ聡美、最後の仕上げに入りましょうか?」

「うッ、うは〜ぁ…」

「さぁ、あたしを受け入れるのよ。そして、あたしと一つになるの。」

 そういうと、聡美はアタシにキスしてきた。


チュバッ


 里美の唇がアタシの唇に触れた途端、アタシの中に何かが一気になだれ込んできた。
自分でも何がなんだが把握できないような大量の情報量…
ソレが自分の中に入って来るたびに、ものすごい快感が全身を襲う。

「うッ、うふッ!!」

まるで自分が溶けていきそうな感覚だった。
頭の中に、聡美の思い出が次々と現れては消えていく。
これが聡美の経験してきた事なのだろうか?

俺と聡美が共有していた記憶さえ、聡美の側から見た記憶へと摩り替わっていく。
そして、同じはずのものが違って見えて来る。

本当に自分が聡美になったような…
聡美であったような気持ちになって来る。

「アタシは…アタシは…」

「そ…あなたは戸川 聡美なの。」

「聡美…さとみ〜ッ…」

 アタシは無我夢中で、聡美の唇に吸い付いた。
聡美は嬉しそうにして、アタシを抱きしめる。
聡美に触れ合っていると、どっちが自分でどっちが聡美なのか分からなくなって来る。
快感がどんどん高ぶるのを感じながら、目を開けると目の前の聡美がアタシの中に溶け込もうとしていた。

聡美が入って来る… いえ、アタシがあたしを取り戻してるような…
そんな感じがする。
二人が重なり合ったところから、燃え上がるような熱いものを感じながら、
アタシはとうとう女の子としての絶頂を迎えようとしていた。

「いっ、イくぅ〜っ!!」

そのとき、

「信君、ダメェ〜ッ!!」

という聡美の声がどこからともなく聞こえてきた。それもかなりの距離を感じさせるような声だ。
その声に、オレは絶頂直前でかろうじて動きを止めた。すると、オレの体の中に半分まで溶け込んできていた聡美の顔が険しくなる。

「信君、そいつ、あたしじゃないのッ。騙されないでッ!!」

 まるで洞窟の反対側から叫んでいるように反響していて聞き取り難いが、確かに聡美の声が朦朧とするオレの頭に届いた。
こいつは、聡美じゃないだって?
だとすると、こいつは・・

「ちッ」

「おっ、おい、お前・・・」

「ふん、どうやらバレたみたいだな」

 聡美は急に男のような言葉遣いを使い始めた。気付いてみると、腰まで一体化しているもう一人の聡美はすっかり恐ろしい形相になっていて、オレは思わず首を竦める。

「いっ、一体?・・」

「フフフ、そうオレは悪魔なんだよ。人の心に巣食うな。そして、人間の負の感情を糧にして生きているのさ」

「じゃあ、さっきの・・・入れ替わる前の聡美も・・」

「そ、オレの操り人形だったのさ。どうだ、うまかっただろ。まぁ、オレはあの女のすべての記憶を得ているからな。どんなことでも分かっているんだけどさ」

「もしかして、聡美がイジメられたのもお前の仕業か?」

「ウフフ、さすが信君ね。その通りよ。イジメられる人間の苦しみ、悲しみ、そして憎しみこそがあたしを支えてくれるのよ」

 憎らしくも、聡美に化けた悪魔は聡美の振りをして話し掛ける。

「貴様〜ッ、よくも俺を騙したな」

「ふん、騙される方が悪いのよ。こうなったら仕方ないわ。さっさとあんたにあたしの記憶を植え付けちゃうから」

「お前、一体何が目的なんだよ」

「まだ分からないの。あんたに聡美の最近の記憶を植え付ければ、あんたはイジメられてボロボロな聡美と全く同じになるって訳よ」

「なんて極悪非道な・・・」

「何言ってんの、悪魔なんだから当然の事じゃない。あたしは、あんたが心まで聡美に変わってくれたらそれでいいのッ」

 そう言うと、聡美は艶めかしい顔でオレに迫ってきた。
オレは顔をそらそうとしたが、体が言う事を効かない。
もう既にオレの体もヤツの操り人形同然になってしまっているのだろうか。
ヤツとオレの唇の距離が数センチまで近づく。
オレは何時の間にか無意識の内に、瞼を閉じていた。





 ふと気が付くと、アタシは学校の更衣室で突っ立っていた。

「ちょっとォ、聡美ィ」

「どうしたの、真帆ちゃん?こわい顔しちゃって」

「まーた成績一番だったじゃない。憎いぞこの〜ッ」

 親友の真帆ちゃんが、恐い顔をして近づいてきたので何かと思ったがどうやら成績発表の張り紙を見てきたらしい。

「そんなァ〜、偶然だよ、偶然」

「またまたそんなこと言っちゃってェ〜」

「やんッ、ちょっ、ちょっとォ」

 ふざけてアタシの胸を揉みしだく真帆ちゃんにアタシが必死に抵抗していると、秋口さんがアタシのことを睨んでいた。

「ふぅん、偶然かぁ」

「なっ、何、秋口さん」

「あんた、最近なんかいい気になってるんじゃない?」

「そんな・・・あたし・・・」

 アタシが戸惑っていると、秋口さんは更に目くじらを立てた。

「わたしさ、あんたのそういうところがムカつくのよね。いつも余裕こいちゃってさ。そのくせして、いつも一番一番ッて」

「別にあたし、そんなつもりは・・・」

「何よ、あんたまだ、そんなにいい子ぶる訳?ほんとッ、なんであんたみたいな子があんなにちやほやされんのよッ」

「・・・」

 アタシが押し黙っていると、秋口さんはふとアタシの胸元を見てニヤリと嫌みな笑いを浮かべた。

「あら〜ッ、あんた、男にちやほやされてるくせして随分胸ないのね〜」

「そッ、そんなのあなたには関係ないでしょ!」

アタシがキッと秋口さんを睨み付けると、秋口さんは急にムカッとした顔をした。そして、大きく右手を上げると、

「何よ、口答えする訳?こっ、このペチャパイ女がッ」


 パシィンッ


 更衣室に突然乾いた平手打ちの音が響いた。
腫れ上がるアタシの頬。
ジィ〜ンとした痛みが広がっていくのを感じた。


 それが、すべての始まりだった。
アタシがいつも一番を独占している事に腹を立てた秋口さんがアタシを目の敵にしたのだ。





「や〜だ、ほんとなの、それ?キショ〜」

「ほら、話をしてたら本人が来たわよ」

 アタシが教室に入って来ると、みんながアタシのことを無視する。
一体いつからこんなことになったんだろう。
なんか最近、アタシに関する事実無根な噂がしょっちゅう流れているらしい。

「はぁ〜ッ」

 アタシにとって初めてのイジメ体験だった。
はっきり言うとどうしていいか分からない。

「あ、真帆ちゃん!」

 丁度運良く親友の真帆ちゃんが教室に入ってきた。
アタシが声を掛けた途端、クラスの視線がアタシと真帆ちゃんに集中する。
そしたら、真帆ちゃんは突然ビクッとして、半歩後ろに引き下がった。

「?」

「ごめん、聡美・・・」

 真帆ちゃんは消え入るような声でそう言うと、アタシを無視するようにアタシの横を通り過ぎていった。
そんな・・
アタシ、一体どうしたらいいの?
友達まで失ってしまったアタシは、何時の間にかクラスで孤立した存在になってしまった。





 今日、ママにしかられた。
自分でももうどうしたらいいのか分からないの。
クラスで無視される事にアタシは耐えられなくなってきていて、成績にもその影響がモロに出てしまった。
突然、学年トップから32番まで転げ落ちたのだ。
当然、ママはカンカンだ。

「あたし・・・」

 アタシはもう我慢の限界に来ていた。こんなことなら死んでしまった方が楽なのではないかとさえ感じていた。

 スゥーッ

 アタシは引き出しから剃刀を取り出した。
そして、カバーを取ると、その刃を手首に当てる。

「冷たい・・・」

 刃の冷たさを感じていると、目の前の景色が突如として霞み始めた。
気が付かない内に、アタシの目は涙でいっぱいになっていた。

今のこんなあたしなんて嫌・・・
自分の姿に自信が持てないの。

『こっちに来るな、このペチャパイ』

 あたしの中で、友達に投げかけられた言葉が反復する。


でも死ぬ勇気もない・・・

『あんたなんか死んじゃえばいいのよ』

 ただ歩いていただけで浴びせ掛けられた暴言があたしの中の何かを壊していく。


一体あたし、どうしたらいいの?

 あたしは、その場で剃刀を握り締めながら泣き崩れた。

「信君・・・」

 悲しみに暮れているあたしの心の中に、誰かの声が響く。

「誰?」

「お願い、自分を見失わないでッ!そんな聡美の記憶に負けないでッ」

「なっ、何言ってるの?」

「あなたは、信君のはずでしょ。お願い、元の自分を取り戻して」

「あたしが・・信君?」

「そうよ。これは現実じゃない。これは、悪魔があなたに見せているあたしの過去の記憶よ」

「悪魔・・・」

 その言葉にあたしの中の何かが反応した。
忘れかかっていた何かが・・

「信君ッ、頑張って悪魔をやっつけてッ。まだ悪魔に完全に取り憑かれていない今ならやっつけられるわ」

「でも、どうやって・・」

「鏡。鏡を割ってッ。キャァ!!」

 突然、声が悲鳴に変わった。
そして、恐ろしい声音が聞こえてきた。

「あの小娘め。邪魔しおってからに・・ただじゃ済まさんぞ」

「悪魔・・・」

 その声に、あたしは・・いや、オレは大事な事を思い出した。
聡美を守ってやりたい。
ただ、そのことだけを・・

「とりゃァ〜ッ!!」

 オレは、立ち上がると無意識の内に側に置いてあった本をつかみ、聡美の部屋の鏡目掛けて投げつけた。

「やっ、やめろッ、やめてくれ〜ッ!!」

 室内に悪魔の悲痛な叫び声が聞こえる。

グワッシャ〜ンッ

 壮絶な破壊音を立てて鏡は粉々に砕け散った。
そして破片は煌きながら床に散らばる。

「はぁはぁはぁ・・・終わったの?・・」

 とうとう悪魔を退治したオレは、それを眺めながら意識を失った。





「うッ、う〜ん・・・」

 あたしがようやく目を覚ますと、目の前で信君があたしを覗き込んでいた。
信君は目に涙を溜めて、

「信君、大丈夫?どこもなんともない?」

と聞いてきた。
ああ、そうか。信君の中には、あたしが入ってたんだっけ。
あたしが、

「うん。大丈夫だよ。」と言うと、

「よかったァ。でも、信君、ほんとごめんね。あたしのせいでこんなことに巻き込んじゃって」

「ううん・・」

 はぁ〜、どうやらあたしはあたしがどうなってるか全く気付いていないようだ。

「あたし、今回の事で思ったの。あたし、しっかりしなきゃッて。あたし、信君さえいてくれたら、いえ、信君がたとえ振り向いてくれなくても好きな人がいるだけで、自分も頑張れるんだなッて思ったの」

 信君になっているあたしは、どうやら悪魔からも解放され、元気を取り戻したらしい。こんなときに水を差すのもなんだけど、はっきり言っておいた方がいいかな?

「あのね、言い難いんだけど、あたしもあたしなの・・・」

「えッ!?」

 信君のあたしが唖然とした顔をして、あたしを穴があくほど見詰める。

「まっ、まさか・・・あたし、また間に合わなかったの?信君もあたしになっちゃったッて言う訳?」

「いや・・ね、あたしが二人になったっていう訳でもないんだけど」

「じゃあどういうことなの、信君はいなくなっちゃった訳〜ッ?」

 信君のあたしは困惑に満ちた顔をする。まぁ、無理はないか・・・あたしなんだから、十分に予想が付いた事だ。

「だからね、信君の自我も残っちゃいるんだけど、結局のところ、あたしの記憶も全部入っちゃったから、半分あたしも同然な訳。分かる、もう一人のあたし?」

「えぇ〜ん、そんなァ。せっかく、悪魔もやっつけれたのにィ〜。こんなんじゃ意味ないよ〜ッ」

「そんなことないって。悪魔がいなくなっちゃった以上、あたし達、このまんまになっちゃう訳でしょう?」

「あ・・・じゃあ、もしかして、あたしずっと信君のまんまな訳〜ッ!?」

 信君なあたしは、オカマのようにイヤンイヤンする。

「そ・・・だから、あたしは、このまんまでもいいんじゃないかって思うの。だって、あたし、信君の事好きだもん。このままだったら相思相愛じゃない」

「あ・・あんた、ナルシストはいってない?」

「う〜ん、信君としての自我は許さないかもしれないけど、今の体は聡美だし〜、聡美の側からしてみれば、こんなにいいことってないでしょ?」

「いッ、いや〜っ。あたしの信君を返して〜ッ!!」

「それなら、あんたが信君になりきればいいのよ。そしたら、あたしはありがたいな〜」

「そんなの、そんなのあたしの考えてたのと違う〜ッ」

「まぁまぁ、お互い考えてる事なんて分かってるんだから、怒んなくっても・・」

 まぁ、考えてみれば、このままカップルになっても、相手はあたしだもんねぇ。その上、体は元の自分と来てるし・・・
う〜ん、これはあたしにとっても大問題かな?
やっぱり、信君と半分半分になってるから、あたし、本来のあたしよりちょっと楽観主義者になってるのかも・・・
まぁ、いいわ。時間がだけはたっぷりあるんだから。
なんとかなるでしょ。






<後書き>

ちわーすっ、つるりんどうです。

このたびは、イーブック移転・リニューアルおめでとうございます。(^o^)/

今回は、イーブックの移転記念ということで、ダークなものをお届けしました。

というか、ダークなものを書いてくれと依頼されていたんですけどね。

ほんとにジョーカーさんの執筆依頼が舞い込んだときは、驚きました。

しかし、書く以上は、なんとしてもジョーカーさんのページに見合う、ダークなものを書き上げねばとふんばってみた訳ですが…

ダークなものになってますかね、これ?

えっ、ダークじゃない?…(^^;

もしそう思われた方がおられたら、ごめんなさい。m(_ _)m

さて、この話ですが、一応『Who am I?』のコンセプトを引き継いだような形になってます。

あちらがほとんど瓦解状態になってしまったので、短編としてまとめ上げたような感じでしょうか?

もちろん、ダーク度を上げてますし、ストーリーも変更されてますけどね。

こんな面白味もない話で恐縮ですが、御感想などをお寄せいただけるとうれしく思います。

作者へのご意見、ご感想は以下eメールアドレスまでお寄せ下さい。
 
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では、またどこかで…


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