佳代さん 04 俊秋さんの視線、そして… 決断 会社から帰ってくると家の前に清彦くんが立っていた。 一週間前のあの日のように。 ・ 「お帰りなさい、俊秋さん」 「佳代さんに聞きましたよ。あの人形を処分してもいいって言ったんですって?」 「ん?まぁ、佳代が気味悪がってたからね?僕もちょっと趣味が悪いかとは思ってたしね」 「本当にそれだけの理由ですか?俺の言った事を信じたんでしょ?」 「佳代に聞いたのか?だったら、理由も聞いたんだろ?夫婦が別々の部屋で寝るのも不自然だからさ」 「だいたい、僕たち夫婦の事を中学生の君にとやかく言われる筋合いはないだろ?」 そう、あれはちょうど一週間前……。 * * * 会社からぁ帰ってきて自宅の近くまで来ると家の方からカレーの匂いがする。 最近、佳代は晩ご飯が決まらないとカレーを作るようになった。簡単に出来るメニューなのだそうだ。 「なんで最近はカレーが多いんだ?、嫌いじゃないけど飽きるだろ?」 「すいません、ご飯のメニューが決まらなかったんです。いえ、決まってはいたんですけど……」 佳代はカレー皿で口元を隠して申し訳なさそうに話す。 ふと、流しを見やると炭化した何かがフライパンに付いている。 「あ〜、なるほど」 「うん、わかった。また料理に失敗したんだね? だったらカレーの種類を変えるとか、代替え料理のレパートリーを増やしてくれると嬉しいな?」 「はい、わかりました」 最近の佳代は本当に人が変わったようだ。そう、あの旅行の頃からだろうか? 以前の様な何でもこなす佳代もよかったが、所謂、ドジッ娘奥さんになってしまった佳代も好きだ。 「ふふふ、今日はなにをしてくれるんだろう?」 僕に全てを頼ってくれる佳代。 旅行前に佳代に何があったかはわからない、でも僕は今の佳代をより一層愛しく思う。 ・ 「あ、俊秋さん。お帰りなさい」 「あ、こんにちは。清彦くん。 また、佳代と遊んでたのかい?」 ・ 清彦くんは中学生になったばかりの隣の子供で、なぜか佳代になついでいる。 とくにGWの旅行以来、家によく遊びに来るようになった。それまでは佳代の方がよく清彦くんを捕まえてはおしゃべりをしていたようだが。 その影響だろうか。最近の佳代は優しくなった。 それまでも優しくなかったわけではないが、それまでの佳代は僕に対する対抗意識のようなものが見え隠れしていた。 僕に対するとゆうか、世間に対する不満のようなものが意識していない表面に出ていた。 それがGWの旅行から消えた。 人に、僕に頼るまいとする態度がなくなり、それどころか全てを僕に頼るようになった。 不思議な事に、慣れてる筈の事が出来なくなった。 佳代は僕と見合い結婚だった。僕たちの実家は同じ地方で、同じような格式の旧家だった。 それでも佳代が僕と素直に結婚したのは、僕が次男の上に就職を地元ではなく、大学のあったここで決めて勤めていた事にあった。 僕と佳代は親しいと言うほどではないが、昔からの知り合いでもあったし、僕と結婚すればあそこから出て行けるというのが魅力だったのだろう。 ・ 目の前の清彦くんを見ていて、そんな事を思う。 「え?僕にかい?いったいなんだろう?」 清彦くんはニヤリと笑った。 「南米の市で私に買ってきてくれたあの儀式用の人形ですよ」 「えっと、それは佳代の部屋に飾ってある人形の事かな?」 「あははは、なんだ。佳代に聞いたのかい?面白いと言うか、変な儀式だろ?戦争をして捕虜にした戦士の身体に自分の村の戦士になる事を希望する女性の魂を入れ込んで、代わりに戦士は女性として村の為に戦士を生み続けさせられるって儀式なんだ」 なんだ?清彦くんは何を言ってるんだ? 僕がそう訪ねかけると清彦くんは面白そうに笑いながら言った。 「はぁ??一体何を言い出すんだ、清彦くん?」 「どう?まだ信じられません、俊秋さん?」 「私は俊秋さんの事は嫌いじゃありませんでしたよ?いえ、どちらかと言うと好きでした。 でも、やっぱり女として旦那様に仕える存在というのは不満でした」 清彦くんは続ける。 「そんなときに俊秋さんがお土産に持って帰ってきたのが、あの人形でした。俊秋さんから聞かされたあの人形の由来は私の思いに見事にシンクロしてました。で、何となくインターネットであの人形の儀式を調べて試してみたんです、旅行の前日に。 インターネットってすごいですね? 調べると何でも出てるんです。儀式のやり方は南米の地方の大学の民俗学のHPに載ってました」 「えぇ、意外と簡単に実行できる儀式でしたから。 満月の夜に寝ている二人の間に人形を置いて、女の側が強く念じればいいんです。戦士になりたい、男になりたいと」 「そう、それだけです。数メートル以内なら効力が発揮するようですね。隣家の清彦くんの寝ているベッドと私の部屋の窓際のベッドがギリギリで範囲内でした。寝ている間に入れ替えは起こります。 「しかし、なんで清彦くんなんだ?男になりたかったんなら、僕でもよかったんじゃないのか?」 「ダメですよ。私は男になりたかったんじゃなくて、自分で自由に生きたかったんです。自分でレールを引いて、ね?俊秋さんはもう自分でレールを引いちゃってるじゃないですか? そこに私が入ってもそれは俊秋さんの引いたレールですから意味がありません。 その点、清彦くんなら高校、大学も関係無い真っ白なところからやり直せるんですよ?自分の好きなレールを自己責任で引けるんです」 ・ 「……黙ってれば、そのまま清彦くんのままでいられるのに、なんで僕に話すんだ? 僕が清彦くんに元の身体に戻る方法を教えたら元の木阿弥だぞ?」 「いや、その…… 素直な清彦くんを見てると若干、良心が疼くので共犯者を作って心の負担を軽くしようかな?と思って…… ははは……」 「共犯者? それは僕の事か?僕は君の共犯者にはならないよ?だから、早く清彦くんの身体から戻るんだね」 「いいのぉ?本当にぃ?」 「いいも何もないだろ?」 「俊秋さんは私の事は好きですか?」 「でも、本来の私と清彦くんの私では、どちらが好き?」 「あの佳代さんを永久に失ってまで私に戻ってきて欲しいほど私が好きですか?」 あの佳代を失ってまで?清彦くんの佳代…… 一生懸命、僕に仕えてくれる佳代、僕好みの可愛い佳代…… その佳代が、以前の佳代に戻る? 「ふふふ、迷ってる、迷ってる」 「いいの。確かにあの佳代さんになら、私は負けを認めるから。 私だって、あの佳代さんがお嫁さんだったら本来の私よりあちらを取るもの」 「……それで? 僕にどうしろと?」 「別に?私は何も強制しませんよ? 俊秋さんの判断に任せます。儀式が出来る次の満月は一週間後。私は入れ替わる前の清彦くんと同じ条件で清彦くんの部屋で寝ていますから、清彦くんを元に戻したければ清彦くんに真相を話してあげてください。 それでは」 言いたい事だけを僕に告げると、佳代は幽かに笑って頭を下げて隣の家に帰っていく。 「あ、そうそう。 私が元に戻っても旦那様を恨んだりしませんからね?あの佳代さんより私を選んでくれたと言うのは、それはそれで嬉しい事ですから」 * * * そして今、賭けに勝って勝ち誇った顔の佳代が目の前にいる。 僕は佳代に負けた。 これで僕は佳代である清彦くんに一生消えない負い目を持ってしまった。 佳代が僕のそばに居てくれる限り、僕は妻としての佳代を全力で幸せにしよう。 「清彦くん、一つだけ約束をしてくれないか?」 「これからどんな人生を歩もうと清彦くんの自由にすればいい。 でも、清彦くんの家族を、清彦くん自身を悲しませる事だけはしないと約束してくれないか?」 「いいですよ。私も今の母さん達を悲しませる事は望むところではありませんから」 一人の男の子の人生を犠牲にして手に入れた、僕たちの幸せ。 だったら犠牲にした人生に変わる幸せをその男の子にプレゼントしよう。僕は心の中でそう誓った。 そして…… * * * * * * 清彦へと視線は戻り…… 俺は佳代さんと入れ替わってから、佳代さんとして主婦をなんとかこなしながら、元に戻る方法をあれこれ見つけようとした。 そして月日は一年二年とたち、遂に三年目になって俊秋さんの海外転勤が決まった。 ・ 「佳代に海外は精神的にかなりの負担を強いると思う。もし、佳代がここに残りたいというなら、その意見を尊重したいと思うんだが、どうする?」 流石に3年も立つと、いくら男の俺でも妻としての自覚のようなものは出てきていたから…… それに佳代さんの方でもその頃には成績がグングンと上がっていて、高校受験で受けた全国レベルの全寮制の進学校へ合格を果たしていたので、ここに残っていても最低三年は自由に佳代さんに会えない事がわかっていた事もあって、海外について行くことにした。 流石に母さん達と離ればなれになるのは悲しかった。 「期間は二年から三年でしょ? 三年立ったら、ここに帰ってこれるんでしょ? 帰ってきたら、またよろしくお願いね、佳代さん」 ・ そして、三年は瞬く間に過ぎた。 俺の為に会社にそこまで言ってくれた、それは俊秋さんにとって出世に大きく関わる事だったろう。 三年ぶりに帰国すると、俺は大学へと進学した佳代さんに会って驚いた。 佳代さんは三年の間に完全に青年へと成長していた。 もう、女には全く未練がないようだった。 俺は俺の身体の佳代さんと再会して、もう取り戻すことの出来ない時間が二人の間に横たわってしまっている事を思い知らされた。 ・ 数ヶ月後、俺は元気な男の子を産んだ。俊秋さんはやっと出来た赤ちゃんにベッドに寝ている俺の手を取って涙を流して喜んでくれた。 それは、ついさっきまで泣き喚いていた出産の痛みも忘れて、あぁ、この人の子供ならもう一人くらい産んでもいいかな、と思ってしまうくらいに幸せに感じる光景だった。 俺がそんなことを思っている頃、俺の家では双葉の妊娠が発覚していた。 そして時はさらに過ぎ…… ・ あれから俊秋さんの転勤はほとんど無くなった。 いや、海外赴任の話もあったのだが、無理を言って国内での短期間の単身赴任だけの道を選び、俺はこの家から他の国、他の街に引っ越すことはなかった。 そう、俊秋さんはその仕事に対する優秀な能力を、出世と引き替えに俺の為だけに使った。 佳代さんはと言うと大学卒業後、IT関連の会社を興して急成長を遂げた。その後も関連会社を次々と起こしつつも安定した成長を遂げている。 そして佳代さんも、かなりの資産を築いていてもっと大きな豪邸に住める筈なのだが、この家から引っ越すことはなかった。 そして月日は流れ…… * * * 「お母さん、清香義姉ちゃん綺麗だったよ?見に行かない? 俊彦兄さんのお嫁さんになるなんて勿体ないくらいだよ」 「ばか!俺より清香に似合いの男なんて世界中探してもいないぞ?」 そう、今日は俺の息子の俊彦と佳代さんの娘の清香ちゃんの結婚式だ。 2つ下の娘の沙也香と俊彦が笑ってじゃれ合っている。 「これこれ、新郎がそんなに舞い上がってどうするの?ほら、俊彦。貴方も大事な花嫁さんを見に行ってらっしゃい」 結婚式か?俺には経験がないんだよなぁ。写真では見たけど。そういや、佳代さんは新婦としても新郎としても結婚式をやってるんだよなぁ?ズルいなぁ。 そんなことを思っていると後ろから声が掛けられる。 「あ、おはようございます。今日からは親戚同士ですね。よろしくお願いします」 「ふふふ、なんだかおかしい家族が出来上がっちゃいましたね?」 「清彦として生まれた私が佳代として俊秋さんの子供を産んで……」 「その二人の子供同士が結婚するなんてねぇ?」 そうして、顔を見合わせもう一度笑い合う私たち。 互いに身体が入れ替わった事で、長い年月の間に二つの家族は一つの家族のような仲になってしまっていた。 そして今日、二つの家族は本当に一つの家族になる。 「何を笑ってるんだ?気味が悪いなぁ?」 「ううん?べつに何も」 「なんだ?佳代さんと思わせぶりに笑い合って?なにかあるのか?」 「そう言えば、清彦は子供の頃、佳代さんの家に入り浸りだった時期があるわね」 「清彦さん、ダメですよ、浮気は」 「なんだ?佳代は僕より若い清彦くんの方がいいのか?」 「式の準備が整いました。どうぞ、こちらへ」 俺は後ろ方からこの人達を見つめる。 男として生きた十二年、今はその倍以上の年数を女として生きてきた。 それでも俺はこの人生を幸せだと思う。 春には、母さんと双葉と三人でお弁当を作って、皆で花見に行った。 俊彦と清香が小学校に上がれば、双葉と一緒におめかしをして授業参観に出かけて、俺の子供達の成長をみつめた。 全て、楽しい思い出だ。 男として生きていけた人生も考えないでもないがこの人生も悪くない。 ・ 今になって思うと、あの入れ替わり事件の犯人は佳代さんだったんじゃないかと思う。後から考えると色々と思い当たることは沢山ある。 それなのに、俺がそれに思い至らないように、実家に幽閉されるなどと言う脅しで、俺の思考を主婦を演じることに専念させる事によって封じてしまった。 俺はまんまとそのワナにはまり、子供の恐怖心と慣れない生活パターンに追われることで、自分を主張するという選択肢を捨ててしまった。 俊秋さんも俺が佳代さんと入れ替わったことに気付いているような気がする。あの頃のさりげない気遣いは俺が主婦どころか、女に慣れていないという前提でされたものが結構あったと思う。 二人が俺と父さん達をここから引き離さなかったのは二人の贖罪だったのだろうか? 一年もたてば、自分が自分であることを証明することが可能であると思い至らせることはできていた。 俺は男として生まれ、女として生きてきた。妻として、母として、主婦として。 「お〜い、母さん、早く早く、皆もう揃ってるよ!」 「は〜い、皆、足が速いんだから。すぐに行きますよ」 END |