清彦伯爵についてのいくつかの事柄 前編
 作:teru


コケコッコ〜
目覚まし代わりの裏庭の鶏が時を告げる。

「うぅ…… 朝ですか?」
私は目を覚まし、ゆっくりと身を起こす。

ベッドとクローゼットしかない小さな部屋。
私はベッドから下りてクローゼットを開ける。

扉の内側に備え付けられた鏡に備え付けられた鏡に自分の姿を映す。
ロングのさらさらの髪にシルクのネグリジェを着た美少女が半分寝ぼけた目でこちらを見ている。

「うん、いつもながら綺麗ね」
私は着ていたネグリジェを脱いで下着姿になると鼻歌を歌いながらクローゼットの中のメイド服を身につける。

深呼吸をして身体の調子を確認すると思わず笑みが零れる。。
「うん、体調も万全。 ふふふ、予定通り決行は今日ね」


ここは帝衛州王国のキヨヒコ辺境伯爵領のキヨヒコ伯爵邸。西辺境地域に最大の領地を持つキヨヒコ伯爵の館。

帝衛州王国の中でも強大な魔力を持ち、魔法知識も博識で有りながら厳しくも温厚で知られる伯爵。
王国内の西辺境地区の殆どを領地に持ち、領地の殆どを占める広大な農地を開拓してその魔力を用い天候操作による地質改変で王国に莫大な税収を納める伯爵家の現当主。 その伯爵の言葉には王ですら無視をできない。

その広大な屋敷内には何人もの使用人が雇われていて、更にいくつもある建造物の内には優秀な警備隊員も常時詰めている。

屋敷内には執事のセバスを始めとして幾人もの庭師、警備隊員、コック、メイド達が働いている。

そのメイドの中から選ばれたたった一人の伯爵専用のメイドである双葉。それが私。

「おはようございます」
階下の広間に行くとすでに他のメイド達は集合しつつあった。

「しかし、伯爵様はあの鶏の声の中でよく眠れるわね?」
「まぁ、さすがに伯爵様の部屋までは遠いし、伯爵様の部屋は防音の魔法が掛けられているらしいから外の声が聞こえないのよ。ね、双葉さん」
他のメイド達がそう言って私に声を掛けてくる。

「そうよ。そして扉を閉めてしまえば中の声も外に漏れないのよ」
私はそう言って微笑む。

「秘密の相談をしておられる時に人に聞かれないためですよね?」
「伯爵ともなれば、他の貴族の方々と重要な話もされますからね」
私はそう返すが、実際は……


両親を早くにに亡くし、幼い頃から自立して強大な魔力を所有、全てに博識で性格も温厚。 
しかし、キヨヒコ伯爵には知られていない裏の顔がある。

変態趣味……

しかし、それを知っているのは執事長のセバスと専用メイドの双葉のみであった。
その名を広く知られた伯爵にそのような趣味があるなどと他に漏れるなど有ってはならない事だ。
だから執事のセバスは当然の事、双葉にも法外な報酬と共に口外無用と厳しく言い含められてある。


メイドを始め使用人達が揃うと執事長が前に立ち、連絡事項を通達する。

「……大体は以上です。最後に今期の決算期に入って伯爵様は連日のデスクワークでストレスを溜めておいでです。双葉以外の者は決して伯爵様の部屋に近づかないように」
そしてめいめいが自分達の持ち場に去って行く。


私は食堂に行き、伯爵の朝食の進捗を確かめて寝室へと向かう。

コンコン

「はいれ」
ドアを軽くノックすると中から不機嫌そうな声が返ってくる。

私はドアを開いて中にはいり、羽毛布団が掛けられた豪華な大きなベッドの上で上半身を起こした伯爵が不機嫌そうな顔で私を睨みつけてくる。

それでも私は笑顔を作って伯爵に微笑みかける。

「伯爵様、おはようございます。今日一日、またお仕事よろしくお願いします」
そう言って私は頭を下げて深々とお辞儀をする。

「あぁ……」
相変わらず不機嫌そうに短く返事をする伯爵。

「それで朝のお食事は如何致しましょう?食堂でお召し上がりになられますか?それとも……」
クローゼットを開けてお着替えを用意しながら尋ねる。

「隣の執務室で食べるから持ってきてくれ。それと着替えは自分で出来るから無用だ」
そう言って額に手を軽く当ててさっさと出て行けとばかりに追い出すように手を振る。

「承知しました」
私は逆らわずに一礼してクローゼットを閉めて部屋を出る。

「サガラ料理長、伯爵様は自室で朝食をお取りになるそうなのでよろしくお願いします」
私は調理場に向かうとそこの主であるサガラ料理長にそう報告をする。

「そうか。まぁ、伯爵様はストレスが溜まるといつも一人で食事を取られるからな。それじゃ双葉、頼むぞ」
そう言って小さなワゴンに伯爵様の為に調理された料理を乗せていく。

「食事を人にジロジロと見られるのがイヤなんでしょうね」
そう言って私は乗せられていく朝食を見ながら微笑む。

「ウチには人の食事風景を露骨に見るような不躾なヤツはいないぞ? ま、それでも気にはなるのかな?メイド達が見守る中での食事だからな。 伯爵様の食事マナーは完璧だからどうしても目が行ってしまうか。さ、出来たぞ。持って行ってくれ」
ワゴンに乗せられた料理を指さす料理長。

「はい、わかりました」
私はワゴンの取っ手に手を掛ける。

「あ、それとメイド長に今日は伯爵は自室で朝食を取られるから休憩室での食事が早くできると伝えておいてくれ。双葉には悪いが、双葉はいつも通り伯爵の朝食が済んでからになるけどな」
「わかっています。では、行ってきます」
私は料理長に会釈をしてワゴンを押していく。 
途中で出会ったメイド長に料理長の伝言を伝えると私は伯爵の執務室に向かう。

普通なら自室で食事を取る場合、ベッドの上にテーブルをしつらえてそこで朝食を取るのだが、伯爵は着替えをして執務室に移り、その大きな執務机で食事を取る。

「伯爵様、朝食をお持ちしました」
私はドアをノックして扉を開ける。

伯爵は大きなガラス扉の付いた書棚を開けて中の書物を見ている。
本の表紙から精神魔法の使い方を記した物であると読み取れる。

「朝からご勉強ですか?ご苦労様です」
私が料理を並べながら微笑みかけると黙って本を書棚に戻して豪奢な椅子に座る。

「はい、出来ました。どうぞお召し上がりください」
そう言って私は給仕をするために伯爵の傍らに手を前に揃えて立つ。

伯爵は黙って料理に手を付ける。 
一口、口に運ぶと「美味しい……」とつぶやく。

「ありがとうございます。料理長に伝えておきます」
私はそう言うと黙々と食事を続ける伯爵様。

食事が終わり、紅茶を飲まれる頃には伯爵の顔も緊張が取れていた。

食事の終わった食器をワゴンに乗せて伯爵に挨拶をする。

「それでは御用がありましたら呼び鈴を鳴らしてください」
そう言って微笑むと
「呼び鈴を押してもなかなか来ないだろ?」
そう言って渋い顔で尋ねてくる。

「お屋敷が広大なために聞こえない場合がありますが、誰かが伝えて下さいますのですぐに参りますよ」
私はにっこりと微笑んで返事をする。

渋い顔で私も見る伯爵さま。

「それでは失礼を致します。お仕事、がんばってください」
私は一礼をして食事の終わった食器の乗せたワゴンを押して執務室を出る。

               *

「料理長、伯爵様は今朝の食事は美味しかったと褒めておられましたよ」
私は調理室にワゴンを入れると料理長に伝える。

「そうか。よかった。双葉の食事はそこに置いてあるが、そこで食べるか?」
料理長が指を差す方には調理用の台の上にパンとサラダ、ムニエルにした魚が乗っていた。

「判りました、ここで食べさせていただきます」
私が椅子を持って来て座ると料理長が鍋からスープをカップによそって出してくれる。

「ま、使用人の朝食だから質素ではあるが、手間暇は充分に掛けられているし、パンだって焼きたてだからな。
貴族様のお屋敷の食事としては上等な部類だな」

「はい、ウチの食事は使用人のものも全て美味しいですよ」
私はちぎったパンにバターを塗って食べながら料理長に礼を言う。


食事を終えると皆の元に向かい、一緒に仕事を始める。メイド長に指示されたのは南側一階の窓ふきだ。
メイドが多いとは言え、その屋敷も広大であるため一日中掃除をしていても終わる事がない。

「あら、双葉。伯爵様のお食事は終わったの?」
同僚のメイドで新人の秋奈さんが声を掛けてくる。

「はい。後は伯爵様からお呼びが掛かるまでこっちの掃除ですよ」
そう言って窓拭きを手に取り、窓拭きを始める。


「そう言えば双葉さんってここではセバスさんと同じくらい古いんですって?」
「うん、まぁ、お母さんもここでメイドをしていたから生まれた時から居ますからね」
窓を拭きながら答える。

「あれ?双葉さんって今いくつだっけ?伯爵様が二十歳だから……」
「二十二歳、伯爵様と二つ違いですね。 子供頃はよく遊んだんですけどね。 よく喋って笑って…… 喧嘩もして」
そう言ってクスリと笑う。 

あの頃はまだ身分差など無く双葉姉、清彦、と呼び合う仲だった。 
年上の双葉は清彦を子分のようにして連れ回し、清彦も喜んでついて回っていた。

               *

7年前、伯爵夫妻と伯爵の親友、そして双葉の母であるメイドの一葉の乗った馬車が山道で土砂崩れに遭い、亡くなった。
身寄りを失った双葉はそのまま、伯爵のメイドとして引き取られた。

それまでは普通に喜怒哀楽の感情を出していた清彦は感情を消し、人前では静かに微笑むようになった。 精神的に不安定でいては伯爵家の当主として舐められると判断したためだ。

ちなみに双葉の父は先代当主の親友であった俊秋侯爵だった。 
つまり、この事故に寄って二人は両親を亡くしたのだ。しかもこの事故はただの事故ではなかった。 
双葉の父は妻のいる男だった。しかし夫婦生活は最初から破綻していた。財産目当てで結婚した妻は浮気をしていたのだ。気の弱かった双葉の父は親友の屋敷に遊びに来ているうちにメイドの一葉と結ばれた。

やがて、一葉が身籠もると事態は深刻となった。 俊彦の侯爵家に子供はいない。万が一、双葉が認知されると侯爵家はやがて双葉が継ぐ事になる。双葉の存在が侯爵家の奥方に知られたのは7年前。

そして、事故は起こった。清彦の両親を巻き添えにして……
しかし、誰かが工作をした証拠は何もない。事故が人為的に起こされたという証人もいない。

しかし、事故から一ヶ月後の雨の夜、侯爵家に落雷が落ちたのだ。 
当時、屋敷には公爵夫人の奥方と愛人である執事。奥方の私設警備隊の隊員達と使用人達が居たが、使用人達が居た部屋にはなんの被害も無く。夫人と執事、警備隊の一部が居た部屋にだけピンポイントに雷が落ちたのだ。

清彦の一族は天候を操る事に長けていたために一部で清彦の仕業では無いかという噂は立ったが、当時十三歳の少年が天候を操る大魔法を使えるわけが無いと一笑に付された。
 
そして双葉が継ぐはずだった侯爵家は親戚の者が継いだ。
その辺りで何かゴタゴタはあったらしいがそれは関知する所では無い。

一方、伯爵家の方でも若輩の清彦が跡を継ぐ事に異を唱える親戚筋はいたが、正統な後継者である清彦が継ぐ事に法的な問題はなかった。 
それでも強引に清彦の後見人に名乗り出る親戚筋は存在した。しかし、それも"偶然による不幸"が相次ぎ、最後には誰も名乗り出る事は無かった。

やがて、一つの噂が立つ。
やはり清彦伯爵には膨大な魔力があり、逆らう者には容赦なくその力が振るわれる、と……
帝衛州王国において魔力の保持量は権力の大きさを示す。
この事で清彦伯爵としての実力は証明されたと言っても良かった。

逆に言えば、もし清彦に魔力が無ければ貴族としての資格すら疑われる事すらあったという事だ。

               *

「そうかぁ、双葉さんと清彦様って幼なじみなんだ?」
「まぁ、そういう事になるのかな?」
困ったように笑う。

あの一件の事情を当時の双葉は良く理解していなかった。
メイドとなった後でセバスから清彦の性格が変わった事情を聞いた双葉は原因が自分という存在に有った事を知った。それ以来、双葉は清彦を怒らなくなった。
ただ、清彦の言葉に従い、主従の一線を越える事無く静かに微笑むのだった。

勿論、清彦は双葉をその事で責めたりはしない。
双葉も清彦に面と向かって謝罪したりもしない。

二人の関係は主人と召使い。
召使いはただ主人の心を癒すために主人の求めるままにその身を捧げる。


「でも伯爵様は双葉さんの事が大好きで何度も求婚しているって他のメイドさん達から聞いたけど本当?」
秋奈が好奇心を抑えられないように尋ねる。

「ははは、さぁ?どうなんでしょうね?」
私は返事に困り、誤魔化すように笑って答える。


チリリン、チリリン
どこかで鈴が鳴るような音が聞こえる。

「あれ?」
秋奈さんが驚いて周りに目をやる。

「あぁ、これは伯爵様が私を呼んでいるんですよ。すいません、後を頼んでいいですか?」
双葉は笑いながら窓拭きを秋奈に渡すと伯爵の執務室へと向かう。


コンコンッ
「お呼びですかぁ?」
「あぁ、双葉。ワイン用の葡萄畑がある南部地方に雨が少ないらしいのだが?」
書類から顔を上げずに尋ねる伯爵。

「いや、それを私に言われましても?執事のセバスさんのお仕事では?」
私は微笑みながら尋ねる。

「まぁ、そうなんだが……」
そう言いながら机の上の呼び鈴を持ち上げ鳴らす。

「失礼いたします、お呼びでしょうか?」
程なくセバスが軽くノックをして執務室に入ってくる。

「あぁ、セバス。南部地方についてなんだが?」
「それでしたら、視察に出掛けられますか。確かに深刻な雨不足のようですので」
そう言って黙ってそばに立つ双葉をチラリと見る。

「わかった。そのように手配をしておいてくれ」
伯爵が肯く。

「それでは、私はこれで」
一礼して去って行くセバス。

後に残された双葉も退出しようとするが。
「あぁ、双葉はもう少しここにいるように」
そう言われると出ていく事は出来ない。

「承知しました」
そう言って清彦の横に立つ双葉。清彦は静かに執務机に積まれた書類に目を通していく。

「…………」
「…………」
時折、紙を捲る音と共に静かに時間が過ぎていく。

「あの……」
双葉が遠慮がちに声を掛ける。

「なんだ?」
顔を上げて伯爵が双葉に問いかける。

「なにか、ありませんか?」
「なにか?」

「お仕事ですよ?そうだ、お茶をお煎れしましょうか?」
「…… そうだな。喉も渇いてきたし……」
その声にやっと出番が回ってきたと思った時。

コンコン。
その時、ドアがノックされる。
「伯爵様、よろしいでしょうか?」
「ん?どうぞ」
伯爵が返事を返すとセバスが入って来る。

「オリバー男爵とおっしゃられるお客様がいらっしゃっていますが、如何致しましょう?」
「オリバー?今日の来客予定は?」

「ございません。伯爵様に心当たりは?どこかでお会いになったとか?」
「いや?双葉。お前、何か心当たりは?」
「ございません」
つい、邪魔をされたことにいらだち、怒ったように顔を背けて返事をする。

「おや?生意気な態度だな? まぁ、いい。心当たりはないが、用件は?」
「それが伯爵様に会ってから話すと……」

「ふむ?オリバー男爵ね?どこかで聞いた事があるような……」
顎に手を当てて考える伯爵。

「あまりよい噂は…… なんでも噂では魔力が枯渇してきている家柄で、あと何代もすれば貴族としての地位もあぶないのに、なんの対策も立てずにその地位を利用して贅沢に走っているらしいです」
「あぁ、そんな噂があったな。それはロクでも無さそうな人物だな?」

領地を持たない貴族は国からの仕事を貰って王都に屋敷を構えて生活をしている。

平民と貴族の差は強力な魔法が使えるかどうかだ。 
貴族は貴族同士の婚姻を続けてその血を濃くして魔力を高めていく。
そして、その家がどれだけの魔法を所蔵しているかが鍵だ。

平民の中にも時折魔力を持った者が生まれる。 貴族が遊びで平民の娘と寝たりとかして出来た子供が魔力を持つ事はある。 
しかし、魔力があってもその力を行使する方法が判らないと使えない。 
貴族はその特権を守るために家伝の魔法書を外には絶対に出さないし法でも平民への自家の魔法書の公開や売買は禁じられている。
平民は精々、生活魔法と呼ばれる小さな火を付けたり、光を灯したり、水を浄化する程度の魔法しか使えない。

しかし、件の男爵はその魔法書を密かに売りに出してしまっているとの噂があった。

「ひょっとして、魔法書を買ってくれとか言う話かな?」
「さて、それはどうでしょうか。魔法書を売りに出した事がバレれば大変な事になります。見も知らない他人にそんな話を持ってくるほど愚かではないと思いますよ。 どうされますか?」

「そうだな、話のタネに会ってみるか。ここに案内してくれ」

               * * *

しばらくするとセバスが若い男を連れてくる。
「やぁ、事前にアポも取らずに押しかけてもうしわけありませんな」

男爵家の当主と言うにはそれはまだ30代後半くらいの若い男だった。
まぁ、若さと言う点においては伯爵家の方が更に若いので人の事は言えないが。 
 
「いえいえ、王都にお住まいされる男爵様がわざわざこのような辺境の伯爵家までご足労いただくとはもうしわけありませんね」
そう言って伯爵が立ち上がり、ソファを勧める。

「ところで…… 後ろの女性は?」
男爵の後に付いて入ってきた若い女性に目をやって尋ねる。
なかなかの美人だ。男爵もかなりいい男の部類に入るのでお似合いと言えばお似合いだろうけど。

「これは紹介が遅れました。この子は私の娘のエリスといます。 エリス、伯爵様に挨拶をしなさい」
男爵がそう言うとエリスが一歩進み出て頭を下げる。

「オリバー男爵の娘、エリスともうします」
「? 男爵の娘にしてはお歳が?」

「ははは、これは養女です。私に子供はおりませんので養女を迎えたのですよ」
そう言って笑う男爵。

養女?普通、養子に迎えるなら男の子だろ?娘を迎えて高位の貴族の子弟を婿に迎えるつもりか?
そう考えると男爵の目的がうっすらと判った気がする。

私は黙って男爵親娘と伯爵に紅茶を出す。

「それでご用件は?」

「単刀直入に申し上げさせて頂きます。 伯爵様は強大な魔力をお持ちだと伺いましたが、それは本当でしょうか?」
ニヤリと笑って尋ねる男爵。

「まぁ、自分で言った事はありませんが、世間ではそう言われてますね」
伯爵はあえて明言を避けた返事をする。魔法を使って見せろと言われても困るのだ。

「貴族でも伯爵ともなればある程度の魔力が無ければその資質が疑われますから当然ですな」
男爵が持って回ったような表現をする。

「それで?」
「じつは清彦伯爵が魔法を使った所を見た者がいないらしいですね?王都の貴族達の一部では伯爵は本当は魔法を使えないのではないか、という噂があるのをご存じでしょうか?」

「私が魔法を使えない? それはまたとんでもない噂ですね。それが本当なら私は伯爵ではいられなくなる」
そう言って笑う伯爵。

「私もそう思います。 でも、実際に伯爵は呪文詠唱の姿はおろか、魔法陣さえ使った姿を見た者はいないそうじゃないですか?」
ニヤニヤと笑う男爵。

魔法を使うにはいくつかの方法がある。

簡単なものは誰かが書いた魔法陣に魔力を通して魔法を発動させる方法。 
この方法なら魔力さえあれば魔法の知識がない平民でも魔法が使える。
いくつかの簡単な生活魔法の魔法陣は魔法屋で買う事も法的に許されている。

もうひとつが、呪文詠唱による魔法起動。
これは貴族にしか発動できない。簡単な魔法は短い詠唱で起動できるが、複雑な魔法。
強大な魔法になるほど詠唱時間は長くなる。

清彦が発動したのではないかと噂される天候による雷撃魔法は数時間の詠唱が必要とされると目されている魔法だ。

「まぁ、魔法は見世物ではないからそう気軽に人前で見せたりはしませんよ。 貴族の中には自分の凄さをアピールするために衆人環視の前で派手な魔法を披露する人もいるようですがね」
そう言ってにこやかに笑う伯爵。

「確かに殆どの貴族は人前でホイホイと魔法は使わないが、それでも魔力が錆び付かないように鍛錬は怠らない。だから、どうしても何人かはそれを見る機会は与えられる。 しかし、伯爵にはそんな痕跡もない。失礼とは思いましたが何人かの調査員を派遣して確かめさせていただきました」

「なるほど、しかし私が人目に付かないように魔法を行使してるのかも知れませんよ?」
微笑みを絶えさせずに答える伯爵。

「まぁ、いいです。 それでですね。別に私は伯爵を糾弾するために来たのではないのですよ。むしろ、伯爵を助けるために駆けつけたのです」
腹に一物有りそうに伯爵に笑いかける男爵。

「ほぉ?私を助ける?ちなみにどのように?」

「我が娘、エリスを妻に迎えていただきたい。エリスは魔法の知識こそありませんが保有魔力量はかなりのものがあるのですよ」
「うん?しかし、妻に魔力があっても私にはなんの影響もありませんが?」

「ただ、結婚しただけではそうです。しかし、当家に伝わる魔導書に載っているこの魔法を使うと……」
そう言って古い羊皮紙で作られた本を取り出す。

「うん?それは?」
「我がオリバー家に代々伝わる魔法指南書のひとつです。先日、我が家の書庫を調べていたら出てきた物ですが、この中に興味深い魔法が載っていたのです」
羊皮紙の本をポンポンと叩きながら自慢気に話す男爵。

「興味深い魔法?」
「魂を入れ替える魔法です。 体力が身体に依存するように魔力は魂に依存される事はご存じですよね?これを使って魂を入れ替える事によって伯爵はかなりの魔力を持った"伯爵"なれるというわけですよ。 無論、普段は元の身体でいて、魔力を行使する必要がある時だけ娘が伯爵になりすませばいいのですよ」
にこやかに笑う男爵。絶対にウラがある事は容易に想像できる。

「人の魂に干渉する魔法は禁忌に近い魔法であると共に大魔法に属すると思うのですが?」
にこにこと笑いながら伯爵が尋ねる。

「当然、この秘法は我が男爵家にのみ伝わる大魔法なので私にしか使えません」
「娘さんは使えないのですか?」

「エリスはまだ魔法が使えません、何も教えていませんので。 しかし、魔力量は大きいので伯爵家の魔法を教えればかなりの魔法を使えるようになりますよ」
「魔法を教えてない?」

「正直に言いますと貧民街で拾ったどこかの貴族が平民の女に孕ませた子供ですからな。 貴族の資格があるか適性をみていたところなのですよ。 養子にしたとはいえ、本来なら私と口を聞く事さえ許されない身ですからな」
男爵の言葉にほんのわずかに伯爵の頬が引きつる。しかし、それに気づいた者は私以外にはいない。

「つまり、その娘と私の魂を入れ替えると提案されるわけですか?」
ニコニコと伯爵が尋ねる。

「そのとおりです。 いかがですか?この娘に伯爵家の魔法を使わせてみせる。それによって伯爵の魔力を疑うものはいなくなり、その権力は盤石となるでしょう?」
「ふむ、確かにそれは傾聴に値する意見ですな」
にこやかに答える伯爵。

「しかし、それほどの大魔法なら起動は確かなのですか?指南書には確かにその方法が書かれているでしょう。
しかし、その手順は慎重を極めるのでは?」
「はっはっはっ、その懸念はごもっとも。 ……そうですね。 じつはタネを明かしてしまうとこの指南書には魔法陣が描かれているのですよ。 そこに私が指向性を持たせた男爵家所縁の魔力をそそぐだけで魔法が起動するのですよ」
そう言って指南書をポンポンと叩く。

「試した事は?」
いままで伯爵の質問に自信満々に話していた男爵が躊躇する。

「それはまだですが……、我が男爵家の魔法に間違いはありません」
「それは困りましたね。 間違いは無いとおっしゃいましても、私と男爵は今初めて会った者同士。 信頼に値するものがまだありませんからねぇ?」

「そこは私を信用していただけませんか?」
「そうですねぇ…… あっ、それなら試していただけますか?」
伯爵が思いついたように提案する。

「伯爵と娘を入れ替えてみるのですか?結構ですよ。それなら……」
「いえいえ、流石に私も初めての魔法の実験台になる勇気はありませんよ。 お宅の娘さんとウチのメイドを入れ替えてみてくださいますか? 入れ替えてみて、無事にまた戻せるようなら男爵の提案を受けて娘さんと結婚を考慮してもいいですよ?」
にこやかに笑う伯爵。

「ちょっ、ちょっと待って下さい、旦那様? 私と男爵様の娘さんの身体を入れ替えるんですか?それは……」
壁際に下がって二人の会話を聞いていた私が思わず口を挟む。

「黙れ、双葉。お前はメイドのくせに主人である私の命令が聞けないのか?」
そう言って面白そうに私をみる伯爵。

「いや、でも私の身体は……」
「双葉。私は黙れと言ったんだよ?」
その言葉に不満そうに口をつぐむ。

まぁ、"そういう事"なのだろう。

「…………」
もう片方の実験台に指名されたエリスは黙ってその様子を見ている。

「では、男爵。やってみてください」
伯爵がにこやかに男爵に微笑みかける。

「では、我が男爵家の秘技。とくとご覧いただきましょう」
羊皮紙のページを捲り、該当の魔法が載っているところを開き、手の平を乗せる。

「****、***、**………」
小声で呪文を唱えると本に描かれた魔法陣が光り始め、同時にエリスと私の足下が光り始める。

ほんの魔法陣に魔力が溜まり、目を閉じ静かに呪文を唱え始める男爵の足下も光り始める。

「*、***!!」
男爵が叫ぶように呪文を唱え終わると同時に足下の光が這うように足下から膝、腰、胸から頭へと抜けていく。

「いかがですか、私の魔法は?」
エリスが自慢気に手を広げるが、私の身体に変化はみられない。

「どうしたのですか?魔法は成功したんですか?」
伯爵が男爵に声を掛けるが掛けられた男爵はキョトンとしている。

「あの?まったく変わってないのですが?」
私は伯爵に失敗を告げる。

「そのようなはずは……えっ?」
エリスがそう答えて自分の身体を見下ろす。

「…………」
「…………」
そして、男爵とエリスが見つめ合う。

「その様子から察するに。 入れ代わったのは男爵とエリス嬢のようですが?」
伯爵が認めたくない真実を言い当てる。

「いや、こんなはずは。これは何かの間違いです!もう一度やり直してみれば」
「しかし発動が不確かな魔法では困りますね?」

「我が男爵家の秘法に間違いがあるわけが…… 貸せ、エリス!」
(男爵の姿をした)エリスが持つ魔法書に手を伸ばす(エリスの姿をした)男爵。

バリッ、強引に引っ張ったためにページを閉じた所から引きちぎられる魔法書。
「うわぁ、なにをしてるんだエリス!」
「え?これはお義父様が無理矢理に引っ張ったから……」

「うるさい、黙れ!」
破れた魔法書と破れたページを床に置き、慎重に合わせるエリス(男爵)。

「…………」
それを黙って後ろから見下ろす男爵(エリス)。

「くそっ…… よし!合わされば大丈夫なはず……」
破れた部分を合わせてズレないようにゆっくりと手を放すエリス(男爵)。

しかし…………
グシャ!、その魔法書を踏みつぶし、そのまま拗る男爵(エリス)。

「なにをする!エリス!」
男爵(エリス)を見上げて叫ぶエリス(男爵)。

「何を言っているエリス。私が男爵だぞ?」
無表情に宣言する男爵(エリス)。

「お前、何を言っている?」
「この魔法書が無ければ元に戻る術はありませんよね? つまり、今日からは私がオリバー家の当主になるわけですよね?」
そう言って笑いながら魔法書をボロボロに拗っていくエリス。

「やめろ、バカ!本当に戻れなくなってしまうぞ!!」
「結構です。性奴隷扱いの名ばかりの娘に戻るよりも男爵家の当主の方が遙かにいいですから」
そう言い放つ男爵(エリス)。

私達はエリス嬢の豹変を言葉も無く見守る。

「お前が俺になれるわけがないだろ!俺が他のヤツに訴えたら……」
「男爵様も身体を取られて元に戻れなくなった事がバレたらタダではすみませんねぇ? 日頃から男爵様を快く思ってない親戚筋の方々はここぞとばかりに男爵様の廃嫡を主張するだろうし、貴族院でも認められるんじゃないですか?」
男爵(エリス)が淡々と話す。

「あ……」
心当たりがあるのだろうエリス(男爵)の顔から血の気が引いていく。
「し、しかし、それならお前だって……」

「何らかの処分がされるでしょうねぇ。でも、私は最初っから何も持っていませんから最悪、処刑されても気にしませんよ?」
いや、そこは気にしようよ?処刑だよ、処刑。殺されるんだよ?そこまで男爵の扱いが酷かったのか?

「それに…… これは事故ですし、男爵の魔法が発動し損なった事は伯爵も証言して下さるでしょうから、多少の酌量はされるのではないかと」
「まぁ、見た事を証言するのは吝かではありませんけど、あなたが魔法書を踏みつぶした事も証言するかもしれませんよ?」
黙って聞いていた伯爵がそう問いかける。

「伯爵様。じつは男爵は私と伯爵様を入れ替えた後、そのまま伯爵家を乗っ取るつもりだったのですよ」
あ、やっぱりそういう事か。

「え?それは困りますねぇ?」
そう言って微笑んでエリス(男爵)を見る伯爵。

「ち、違うんだ。俺はそんな事考えた事も……」
慌てて手を振って否定するエリス(男爵)。

「しかも、じつは私の身体には数日前から妊娠の兆候が……」

「「ええっ!?」」
驚く私と伯爵。これは流石に私にも意外だった。

「………… えっと、つまり私は知らなければエリス嬢と身体を入れ替えられてまったく他人の赤ちゃんを出産させられていた?」
そう言ってエリス(男爵)を睨む伯爵。これは本気で怒ってるな。

「ち、ちがう!確かにエリスに妊娠の兆候はあるが、結婚が決まれば堕ろさせるつもりだったんだ」
焦ったように否定する。

「たとえ望まない妊娠でも出来た赤ちゃんの半分は私の子よ!絶対に堕ろさせない!」
男爵の言葉にエリスが叫ぶ。
「そ、それは後で話し合おう。今はこの状況を、身体を戻すのが先だろう!」

「何を戻す必要があるんです? それに戻す手段はないでしょう?私が"うっかり"魔導書を破損してしまいましたから」
そう言ってクシャクシャになったページを拾い上げるとビリビリに裂いてしまう。

「な、なにを……」
「あ、エリスさん、迂闊に拾い上げるとページが破れてしまいますよ?あ、ほら?」
伯爵がエリスの行動を更訂する。どうやら伯爵はエリス側につくようだ。














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