田中さん総合

 love craft
 作:田中

 この私に降りかかった恐るべき前代未聞の出来事を、どのような形容を以て読者諸君に伝えればいいか、私は未だその術を知らずにいる……私はあの日を思い出すたびにぞっとし、科学の灯が未だ照らしえない底知れぬ暗澹たる奈落の深淵を垣間見たような気がしてその事実に慄然を禁じ得ないのだ。この事実を知れば、ああ、どんな科学の信奉者であろうとも、たちまち自分の身に置かれた状況がいかに綱渡りのようなありさまで、自分が自分であり続けることを神に感謝するであろう……。
 しかし、もちろん読者はこの話を拒絶する権利がある……私の魂の慟哭、自殺のような身を切る告白をも、メディアを楽しませるフィクションだと切って捨てることは、実に造作のないことなのだ。だが、だからこそ私の警告は、この茫漠たる電子の海で、たとえ戯言と一蹴されようとも、ともすれば発狂しかねない真実を照らし出す銀の弾丸として……むしろメディアに迎合するような、ショッキングな体を取り繕いつつヴェールの下の素顔をさらさんとするものだ。
 それだけは覚えていてほしい。


 いきなり恥ずかしいことを告白するが、私はいわゆる不能者であり、性交することがうまくできなかった。手淫によって空想の女の服を剥ぎ、その裸体を思い浮かべるたびに膨張していたはずの私の男根は、いざ本物の異性を前にすれば、たちまち委縮し、使い物にならなくなった。生来の、整った顔立ちは多くの異性を虜にしたが、いざ寝具を共にすれば、たちまち露わとなる私の欠点に、なんとか女としての自分の魅力を通用させようと女たちは頑張ったものだが、やがて、私が本当に使い物にならないのだと知ると、嘲笑と侮蔑とともに去っていった。幾度、異性をあきらめようかと思ったか知れない。大学生の時分、自分が本当に好きだった女に手ひどく振られたときなど、本当に自殺を考えた。振られた直後の回らない頭が目の前の光景を拒絶し、耐え難い憎悪が吐き気を催すような光となって私の視界を包み、私は教授の存在を完全に無視し、そのまま教室を横切って地面へと落下する自分を何度も脳内に思い浮かべた。何故か、その妄想をしている時は、私の男根は激しく自己主張し、それもまた、自己嫌悪の思いを煽った。
 転機が訪れたのは小さいながらも堅実な、暴力と言った闇とは無縁の弁護士事務所に就職して二年経った時のことだった。私は偶然にも、自分と同じ境遇の同い年の同僚を得た。
 彼女は昔、父親に手ひどく乱暴され、男性に対し潜在的な恐怖を抱いていた。小学生のころから続くカウンセリングによって心の傷は大分癒えたものの、その記憶は彼女が現在から未来へと目を向けようとした瞬間襲い掛かり、目の前にいる男の体を借りて、アイロンを振り上げる父親が、お前は逃げられないのだと大声で怒鳴り、彼女は何とかその声を聞こえないようにしようと、ひたすら大声で叫ぶほかないのだった。
 彼女にしろ私にしろ、出会った当初から互いに気を惹かれ、この相手こそが私が人生で最後に愛する女性になろう。と思い込んでいたから、互い互いに相手の思いを忖度したのか、恐るべき電撃的な速度で我々は結婚した。
 持論を言わせてもらうなら、結婚とは互いの人間性を見るのであって、互いの下半身を見るものではない。特に、性機能が十全に機能していない我々は、なおさら互いを見る目が合ったはずだと、私は信じて疑わない。しかし、体は心を裏切った。私は彼女と特別な関係になろうと、何度も交渉を試みた。しかし、できなかった。その度に私たちの中には亀裂が走り、とうとう性機能の不全、ただそれだけのために離婚をも考えるようになった。酒に酔い、互いの体の欠陥を罵り、ともに心の繋がりを信じる夫婦は既にそこにはいなかったのだ。
 現状を打破したいというのは、やはりお互いの心からの願望だったのであろう……ある時彼女は、珍しく私のベッドに潜り込んできた。職務上、休日の感覚がずれている私たちは、普通の社会人が休むべき日に働き、働くべき日に休んでいた。
 彼女が握っていたのは、一枚の紙きれであった。見ただけでそれが口に出すことさえ憚れるほど粗末な紙で作られた広告用紙であることが分かった。底には手書きで電話番号が記されており、夫婦仲が円満でない人を助けてくれるのが我々の業務だと謳っていた。どうやら彼女はもはや詐欺としか思えないような言葉に縋るほど追い詰められていたらしい。もう数分もしないうちに来るだろうと彼女は言った。既に連絡していたのだ。私は彼女にそんな馬鹿な話はないと言ってやろうとしたが、彼女が何とかこの状況を改善したいという切実な思いを抱いている事実に打ちのめされ、ただただ、頷くほかなかったのだ。
 今思えば、あの時、どうして妻を罵り、鳴ったチャイムに帰れと怒鳴り返せなかったか、悔やまれてならない。そうでなければ妻は……いや今はただ、冷静に事実だけを述べることにしよう。
 果たして数分後、チャイムが鳴った。妻は喜々として玄関に向かい、二人の人間を招き入れた。
 私は二人の客人の幼さに唖然とし、二人の顔を交互に伺った。男の方は東洋人らしい顔つきであったが、少女の方は、金髪で、明らかに、西洋人の血が混じっていた。二人は仲良く座ると、妻が剥いてやったリンゴを貪り、唖然とする私を置いてこう言った。依頼は、こちらの男性とあなたですね。と。妻は頷いたが、その時になって彼女は、客人の幼さに不安になってきたのだろう。あなた方はどうやって、私たちの関係を修復してくれるのかしら?
 子供になるんです。男子は言った。妻は頷く。そうね、あなたたちが私たちの子供になってくれたら、少しは、夫婦仲も改善するかもしれないわ。
 異議を唱えたのは、髪を結った金髪の少女であった。いいえ、違います。と澄んだ鈴のような声で少女は言った……あなた方が、子供になるのです。
 そして少女は、何事かぶつぶつと言葉を唱えた。うまく聞き取れなかったが、それは東洋的な響きを持ちながらも、どことなく欧州の犯しがたい神秘的な魔力を併せ持った言葉に聞こえた。最後に少女は二回柏手を打った。
 次の瞬間私の目に飛び込んできた光景を、生涯忘れることはできまい。私自身正気を失った世界の光景だと何度自問自答したか知れない。もしもできるなら私は、自分の眼球を抉り出し、それが仮に死者のものであったとしても、それを取り換え、改めて自分の光景を見ただろう。それくらい、自分の眼球が映し出す世界を信じられなかったのだ。
 私の眼球はもはや私の眼球ではなくなっていた。『私』の体が見せる光景は即ち、ほかならぬ私自身が、卑猥な笑みを浮かべながら同じく卑猥な笑みを浮かべる妻の胸を揉みしだくところだったのだから。
 驚愕の声は、果たして、隣からも聞こえた。思わず互いに顔を見合わせれば、それが何なのかわからないわけではなかった。一目で私は、唖然とする西洋人の少女が、妻のなれの果てであることに気付いた。ならば、目の前で、私以外の私の愛撫に対し応えるもう一人は一体誰だというのだ?
 妻は服越しに自分の手を自らの秘所に導きなら、卑猥な笑みを浮かべたまま『私』の唇を奪った。その艶美さに私たちは生唾を呑んだ。こんな妻の姿を見たことがなかった。続いて妻は、私のズボンに手を掛けた。カチャカチャと金具同士が擦れる音がして、『私』の下半身が露わになる。
 私は思わずあっと声を上げた。妻を、異性の体を前にして、『私』の男根はありえないくらい膨張していた。異性の体を見れば、委縮していたはずの私自身の体がだ。私ではない『私』は、慣れた手つきで下着ごとズボンを脱ぎ捨てた。もどかしそうな手つきで上着を脱ぎ、投げ捨てる。妻はそれに合わせて、ブラウスのボタンを引きちぎった。派手な模様のブラジャーが露わになる。妻は胸が大きいため、柄はどうしても派手にならざるを得ないといつも嘆いていた。妻自身はシンプルで地味ながらが好きだったのに、その下着のせいで何度も誤解されたことがあった。
 しかし、今の、淫魔のような笑みを浮かべた妻であれば、その下着はただ、異性を誘惑するためだけの道具に過ぎなかった。ブラを脱ぎ捨て、妻が立ち上がる。豊満な胸が揺れた。片足ずつショーツを脱ぎ、くしゃくしゃになったそれを投げ捨てる。
 『私』が立ち上がり、こちらに見せつけるようにして口づけした。唇を奪われた妻がこちらを見て笑う。その笑みは、今まで何度も見てきた笑みだった。即ち、使い物にならない私を嘲笑う、去った女性たちの笑みであった。
 鼻息を荒くした『私』が妻の体を押し倒す。いや、妻は自ら体を倒したように見えた。自分の太腿に手を当て、いやらしく股を開く。それはまさに、性交にしか頭にない淫乱な少女たちの笑みであった。
 『私』は男を知らぬ、ピンク色の妻の花弁をそっと撫でた。ぴくぴくと痙攣する妻の反応を楽しむようにして、何度も擦ってから、人差し指を女陰へと突き立てた。くちゅくちゅといやらしい水音が聞こえてきた。
 その時、妻が呻き声を上げた。私が聞いたこともない、快楽を楽しみながらも押し殺そうとする、性交動画でしか聞いたことのない声であった。動画の女性たちのように甘い声を上げ、妻が腰をくねらせる。『私』は執拗に顔を股間に埋め、ぴちゃぴちゃと舐め始めた。
 その光景を、なにも知らない人間が見れば、年端もゆかない少女たちに、自分の性交を見せつける淫乱な夫婦であっただろう。二人は何度も体を重ねているかのように、互いのペースを了承していた。妻が腰を引けば、『私』が顔を前に出す。イクイク、と妻が言えば、『私』がペースを上げる。
 やがて妻は絶頂に達し、性器から尿とも違う透明な液体が迸った。床に、ちゃぶ台に飛び散ったそれを掬い上げると、『私』は自分の男根にそれを擦り付けた。赤黒く勃起した男根は、まったく私のものには見えなかった。
 私たちは何をしていたのだろうか。
 私は、もう一人の私が妻の処女を奪う姿を確かに見た。妻が歓喜の声を上げ、私のものとは思えない『私』の声がすげえ、締まると下品な声で叫び、何度も腰を振っていた。全然セックスしてないから腰がすぐに痛くなると『私』が叫び、妻が笑った。じゃないとこんなサービス利用しないわよ。自分の体さえ使いこなせないんだから……。
 『私』が妻の体にぐっと体重をかける。密着した互いの肌に大きな汗の粒が浮かび、流れて言った。互いの荒い息をかき消すように、二人が口づけを交わした。『私』が妻の白い脚首を掴み、さらに卑猥に足を広げさせ、腰を押し付ける。妻が短い嬌声を上げ、大きな胸が何度も揺れた。
 クーラーを入れ忘れた狭いアパートに男女の笑い声が響き……私たちはそれを見ている……私ではない私が妻を犯し、妻は喜んで受け入れている……決して、私ではなしえなかったことを、『私』はいとも簡単にやってのけている……。
 妊娠するかも。と妻は言った。妻の体を軽々と抱えた『私』は、妻を自分の膝の上に乗せ、揺れる胸を力任せに揉んだ。いいんじゃない。どうせ、このまま二人にしてたって子どもなんか作れないんだし。それに、ゴムを用意してない方が悪い。
 やがて、二人は当然のように射精した。二人の体が波打ち、再び汗が流れ落ちた。妻の蜜壺から精液がどろりとこぼれ落ち、尻の穴へと流れ落ちていった。

 私が覚えているのはそこまでだった。
 気が付けば二人の子供は消え、私たちは裸のまま、放心したように座っていた。床には乾燥した私の精液と、拭った後のティッシュが丸められ、部屋全体は精液の独特の臭いに満たされていた。
 私は茫然として、妻の方を振り返った。妻も同じく私を振り向いて、私の股間へと目をやった。私の男根は妻の裸を前にして、さらに小さく縮こまっていた。そして妻もまた、先程の淫靡な姿が嘘であったかのように長い悲鳴を上げた。私が彼女と性交しようとする時、いつも上げる声であった。妻の中で私は彼女の父親となり、父親は彼女に笑いかけているのであろう。
 その時私は、到底言葉に表せぬ憤怒に襲われた。それは、あれだけ男によがった妻の体に対する怒りであったかもしれない。気弱な体に反して男を惹きつける、女らしい妻に対する嫉妬であったかもしれない。はたまた、先程の妻を肯定するあまり、自分を拒絶する妻に対する否定であったかもしれない。
 気が付けば私は、果物ナイフを握っていた……そこには血まみれの妻の姿があった……なんということだろう。私は倒れ伏す妻の顔に向かって射精していた……。





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