*この作品は「女子会がやりたくて(青春編)」の後日談になります。こちらもお読みいただくと一層楽しく本編がお読みいtだけます。




女子会がやりたくて(同窓会編)
 作・夏目彩香


一.見知らぬ美少女

夏も終わりを告げようとしていた残暑の残る頃、雨が激しく降りしきる中で、川島春彦(かわしまはるひこ)は大学の学祭コンテストでグランプリに輝いたこともある美貌の持ち主、立花サヤカ(たちばなさやか)と手を繋ぎながらある場所へと向かっていた。春彦の手には小さくて柔らかい手の感触が伝わってくると同時に、緊張感によって汗がじんわりとにじみ出ていた。二人は同じ折りたたみ傘の中に一緒にいるので、春彦はサヤカの体から流れてくるほのかな香水の香りが雨の匂いと相まって気持ちよく感じていた。

そうやって歩いているうちに突然降り出していた激しい雨はやんでいた。サヤカと密着してしまいそうなほどの距離感から解放され春彦の緊張感も弛んでいた。実は彼女は親友の婚約者で、春彦が決して好きになってはいけない相手なのだ。他にもまだ伝えることのできない秘密についてはじきに分かることだろう。

二人は目的のマンションに到着したものの、共同玄関のオートロックを解除するために必要な鍵も情報もなかった。それだけではない、このマンションの何号室を訪問したらいいのか、それすら伝えられていなかったのだ。サヤカは履いている淡いコーラルピンクのハイヒールから片足を外すと、浮腫んだふくらはぎを彼女の細く長い指を使って揉んでいるところだった。

「あっ、二人ともお待たせ~!」

何もできずにいた二人の目の前に、セーラー服姿の女子高生と思われる美少女がやって来た。二人にとっては面識は無いものの少女が二人を認識している以上、このマンションに来るようにとの連絡をくれた相手と関係のある人物だ。二人は薄々この少女が何者なのかわかったので、少女を信用してエレベーターに乗り込むと、マンションの一室に案内された。表札には三田(みた)と掲げられている家の鍵を生体認証で解錠して、少女はその重たい扉をゆっくりと開けた。

「どうぞ、お入りください」

少女の住む家の玄関に通されるとジメッとした空気が漂って来た。玄関で靴を脱ぐと濡れた折りたたみ傘をその場で開き置いておいた。

「お邪魔しまぁ~す」

春彦とサヤカの二人はそう言って、長い廊下の先にあるリビングへと入っていった。広々としたリビングには家族写真と思われる大きな写真が飾られている。どうやら目の前にいる少女が小学校に入学した頃に撮影した写真のようだった。その写真には少女と一緒に写っている両親の姿、実は二人とも春彦のよく知る人物だった。春彦たちはカバンを床に置くと部屋の中央に置かれているゆったりとしたソファに座った。

「あの二人にこんな立派な娘さんがいたなんて、僕も歳を取ったように思うなぁ」

ソファに腰を下ろしながら言うと、春彦の横に座っているサヤカも口を開いていた。

「そんなこと言うもんじゃないわよ。歳なんてみんなで一緒に取るものなんだからね」

確かにそうだった。年齢というのは時間の積み重ねなのだ。自分一人が歳を取っていくのではなく誰もが平等に取るのなのだ。サヤカの言っていることは確かに間違ってはいない。

「サヤカの口からまるでおっさん臭いこと言わないでくれる?」
「アハハハ、確かにそうだよね。でも、私がおっさん臭いのってしょうがないじゃん。ちょっとは多めに見てもらわないと」

そこへ、さっきまでセーラー服を着ていた少女は赤い花柄が印象的なワンピースに着替えてリビングにやって来た。冷蔵庫の中から紙パックのジュースを取り出すと二人の前に差し出していた。

「二人とも、お疲れさまです。喉乾いたと思うので飲んでください。自己紹介が遅れましたけど、私は高校一年の三田エリナ(みたえりな)と言いいます。あの写真にある二人の娘です。この若い体ってやっぱりいいわよね。肌のハリとキメの細かさがな~んと言っても違うんだからね。さっき、お母さんから『最寄りの駅に到着した』ってスマホにメッセが入ってたから、あと数分以内に帰ってくるはず。ここからは次の準備を始めたらいいんじゃない?」

エリナがそう言うと春彦はリビングから急いで玄関へと向かい、黒の革靴とサヤカのピンクのハイヒール、それに開いておいた傘を畳んで手に取って、エリナの部屋にサヤカと一緒に入った。エリナの部屋の窓を開けて靴とヒール、それに自分たちのカバンと傘をベランダに置くと、部屋の中で身を隠すことのできるスペースを探した。

「今、お母さんに僕らが見つかるのはまずいので、家に帰って来たらあとは頼んだよ」

春彦はエリナのベッドの下、サヤカはクローゼットの中で身を潜めるのだった。その姿を確認したエリナはリビングに戻り、自分の母親がいつ帰って来てもいいようにスタンバイを始めていた。



二.偽娘と母

「ただいま~~、エリナ?、帰ったの~?」

鉄製の玄関扉が開く音が聞こえ、エリナの母親らしき声と玄関に入る靴音が聞こた。春彦はエリナの母親の行動に耳を澄ましながら、ベッドの下で息を殺して親娘の他愛のないやり取りに全神経を集中させた。

「あっ、お母さん、お帰りなさい」
「エリナ、宿題は終わったの?」
「あっ、宿題のことなんだけどね。そのことでお母さんに聞きたいことがあって待ってたんだ~」

ベッドの下にいても二人の会話はしっかりと聞こえて来る。エリナの母親は手に持っていたバッグをテーブルの上に置いた。

「ちょっとソファに座って待っててくれるかな?」

エリナはそう言うと自分の部屋に入り、二人が母親に見つからないように気をつけながら扉をゆっくり開けた。そして、勉強机の上に置いたノートを手に取り今度は部屋の扉をわざわざ開けたままリビングに戻った。

「お母さん、これが宿題のノートなんだけど、この最後のページを開いてくれる?」

エリナのノートを母親に渡すと言われるがままに最後のページを開いた。すると急激な眠気に襲われソファの上で眠ってしまったのだ。母親がしっかりと熟睡したことが分かると、春彦たちに出てきてもいいと合図を出していた。二人がリビングに戻ってくると、春彦はエリナの母親が落としたノートを手に取り、最後のページに貼ったシールをゆっくりと剥がした。

「この使い捨て睡眠シールの威力ってすごいよな。山田ったら、こういった技術を金儲けに使わないなんて、ちょっともったいないような気もするけど、まぁ、こんなのが商品化されたら世の中危なすぎるだけなのかなぁ」
「彼にそういうところがあるから好きになったのよ。ちなみに、これは言わされてるわけじゃなくて本心からよ」

さっきまで息を潜めるようにしてクローゼットに隠れていたサヤカは、背筋を伸ばしながら春彦の言葉に続けていた。

「このシールで眠らせられる時間は長くてもほんの一時間ほどよ。だから、早くしないと起きちゃうわ。早くしてちょうだいね」

ソファに横たわるエリナの母親の姿、春彦はせっかくなんだからとじっくりと観察してみるのだが、四十歳を過ぎているとは思えないほど艶のある肌の持ち主だった。すぐ側にいるサヤカと同い年と言っても過言ではなかった。春彦はソファに横たわっているエリナのお母さんがしっかりと見える場所で立ち膝をしていた。

「エリナのお母さん、あなたは僕の高校時代の担任の先生でした。あの時よりも教師としての貫禄が出て来た感じがするけど、これから山田が用意してくれた新しい薬を使って自由に動かせていただきますね。そこにいる二人も僕の男友達、しかも先生の教え子たちなんですよ。僕の親友、山田の婚約者であるサヤカの正体はその婚約者の山田恵介(やまだけいすけ)、二人は入れ替わり薬を使っています。本物のサヤカちゃんは山田として父親の会社で研究開発しているところです。さらに、あそこにいるあなたの娘であるエリナの正体は水田翔吾(みずたしょうご)、彼は安定版の憑依薬を使ってエリナちゃんに憑依しているはずです。そして、これから僕は最新版の憑依薬を使って、そう僕がエリナのお母さんであるあなた、三田京香(みたきょうか)先生、旧姓仁科(にしな)先生に憑依したいと思っています。憑依できたらすぐについて行こうと思っているので、二人は先に家の外に行って待っていてくれないかな?」

春彦がそう言うと、サヤカとエリナの二人は外に出ていった。二人が出て行ってしまったので、春彦はソファの上で眠りについている眠り姫と二人きりになった。

「まさか、あの地味で生真面目の典型のような数学の三田先生と結婚するなんて思ってもいませんでした。高校を卒業してからみんなバラバラになっちゃって、山田ともこの前久しぶりに連絡が取れたんですが、高校時代に山田がどこからともなく持って来た憑依瓶を使って女子生徒や先生に憑依した思い出話をしていたら、その山田の正体がサヤカちゃんだったんです。それで、山田の婚約をお祝いするために高校時代の仲間を集めて同窓会をやろうってことになって、どうせならあの頃のように変わった集まり方をしようってことになったんです。色々と調べているうちに三田先生が中堅教員研修でしばらく不在だということを知ったので、この機会に集まろうってことになりました。京香先生のイメージを崩すようなことはしませんので、ご安心くださいね。じゃあ、しばらくの間、先生の体をお借りしますね」

京香先生の寝息が聞こえてしまいそうな至近距離で先生に事情を簡単に話すだけでも、これからの起こることを考えると興奮し始めていた。安定版の憑依薬は飲むと身体と魂を分離させて魂だけが他人に入り込めるため、元の身体を安全な場所に置いておかなくてはならない欠点があるのだが、山田(正確に言うと山田と入れ替わったサヤカ)は身体と魂を一緒に他人に入り込めるように改良を加えて最新版として開発したのだった。

春彦は小瓶の中に入っている粉状の薬を口に含みすぐに飲み込んだ。薬が胃の中に届いたかと思うとすぐに効果が出て来た。全身がものすごく熱くなったかと思うと、全身がグミ状に変わっていきバターが溶けるかのように全身グニャグニャのスライム状に変化したのだ。スライム状になっても地面を這いつくばいながら動けるので、そのままの状態で京香先生の身体を覆うように肌からスライム状になった自分の身体を浸透させていくと、京香先生の身体の隅々に至るまでゆっくりと浸透していくのだった。感覚的にはウェットスーツを身体にピッタリとフィットさせるように着込むようなものだが、これは春彦が今までに体験したことの無いものだった。

熱さを感じていた身体はすぐに冷めていき、ソファの冷たさを肌から感じるようになっていた。春彦がゆっくりと目を開くと目の前には自分の着ていたものが乱雑に散らばっていた。スライム状になった時に着ていたものが自然と脱ぎ去られていたからだ。ソファからゆっくりと身体を起こしながら、自分が動かしているのが三田京香先生のものだということを一つ一つ確認していた。

「これが夢にまで見ていた四十路の京香先生の姿なんですね。こりゃあ、三田先生には本当にもったいないですよねぇ」

京香先生の体に変わった春彦は、まぶたを開いたり閉じたりを繰り返していた。

「目をパチクリすることで京香先生の記憶がやって来るんですよ。あ~っ、あ~ん。ぼっ、ぼっ、わっ、私は、私は、私は三田京香と申します。数学教師の夫との間にできたエリナの母親でもあるわよ」

ソファから立ち上がり、春彦が目線を下にやると二つの膨らみと谷間が目に飛び込んで来た。タイトスカートのピタッとした感覚が京香先生になったことをさらに感じさせてくれた。いつもよりも若干低くなった目線と身体の重心の違いが新鮮なようだ。

リビングの中を歩いて一周してみると、全身の神経が隅々まで行き渡ったことを感じた。目の前に脱ぎ去られた春彦のものを、京香先生の細長い手で掴みベランダから持って来た春彦のボストンバッグに丁寧にしまうと、他の持ち物もしまっていた。京香先生の手で自分のものを触る感触が何とも言えなかった。

春彦はボストンバッグを手に取り、夫婦の寝室に入るとベッドの横にあるウォークインクローゼットに入り、ボストンバッグをその隅に置くと、大きな姿見の前に立って自分が動かしている京香先生の全身を眺めていた。職場である高校から戻ったばかりで、グレーのツーピースをまとった先生の姿は高校時代よりもずっと若く見える。なんと言っても全身のプロポーションは年齢よりも十歳以上は若く見え、クローゼットに揃えられている衣装のファッションセンスも二十代後半のサヤカと同じように思えた。

春彦はここにある中から自分が着るに相応しい衣装を探し始めたのだ。頭の中ではイメージがすでにできあがっているものの、数多くの衣装が用意されているために目移りしてしまう。この中にはかつて水田翔吾が京香先生に憑依した時に着たことのある水色のチャイナドレスも今でもきれいな状態で保管されていた。ピンクのナース服やセーラー服もあの頃に見たままの状態で、他にも新しいコスプレ衣装まで追加されていた。

「あっ、あった、あった?」

お目当てのものを見つけると思わず声を上げてしまった。家の外で二人が待っていることもあり、手にとった衣装をすぐに身につけると、ショルダーバッグを手に取り化粧道具を取り出し簡単にメイクを直した。先生の記憶や習慣は自由に引き出せるようになったので、こんなことはお茶の子さいさいだった。玄関に向かうとシューズクロークからエナメル生地の感触が気持ちのよいイエローのハイヒールを取り出し、先生の小さな足を滑らせる。玄関の姿見で再度全身を確認してから玄関の扉をゆっくりと開けていた。

「二人とも、お待たせ~」

玄関の前で立ち話をしていたエリナとサヤカは、春彦の姿を見ると少しビックリする表情を見せていた。

「まさか、本物のお母さんなの?」
「そうよ。エリナったら、ここで冗談を言うもんじゃないわよ」

水田が扮するエリナがまるで本物の娘のような口調を使って来るので、春彦も負けじとすかさず京香先生の母親口調で言ってみた。

「はっ、はぁ~。確かに姿や形はエリナのお母さんみたいに見えるわね。でも、本当は春彦なんでしょ。薬を使って他人に入り込むと瞳の色が薄いエメラルドグリーンに変わるようにしてあるんだ。まぁ、立ち話もなんだしここから近いところにファミレスがあるんだけど、あそこの『レディースプラン』を利用するのはどうかしら、金曜日の夜で混んでるかも知れないけど、反対意見は当然無いわよね」

そうやってサヤカに言われるがままに春彦たち、いや彼女たちはここからすぐ近くにあるファミレスへと、完全に雨が降り止んだ道を颯爽と鳴り響かせながらみんなで向かっていた。



三.ファミレスにて

金曜日の夜だから混んでいるのではという予想とは裏腹に、店内はガランとしていた。待っこともなくすぐに店員さんに案内されると、大きな窓から中庭が見えるボックス席へと通された。周辺にお客さんが座っていないので、ゆっくり話をするにはちょうど良い場所だった。中庭がよく見える席に私が座り、その隣にエリナ、向かいにサヤカが座った。

「これでようやく私こと三田京香と娘の三田エリナ、そして、立花サヤカの三人が揃ったわね。誰も川島晴彦、水田翔吾、山田恵介の三人が集まっているとは思いもよらないでしょうけどね。同窓会はこれからが本番よ。ここでゆっくりと食事をしたら大切な人を呼んでみようと思っているんだ」
「大切な人?このメンバーが集まれば十分じゃなかったの?」

向かいに座っているサヤカが間髪を容れずに反応して来た。

「ねぇ、お母さん。大切な人って誰なの?」

エリナと京香は本物の親子のように話を始めていた。お互いの姿に合わせた振る舞いをするのだった。

「エリナったら甘えるのはよしなさい。大切な人っていうのはね。あなたの担任の先生のことよ!」
「えっ、私の担任って、あっ、まさか~エリカ先生のこと?」
「そうよ、エリナ。あなたの担任の先生の青木エリカ先生も来てくれれば、あの時の女子会のメンバーが更に増えるわよね」

京香先生の娘であるエリナの担任は青木エリカ、京香先生からするとかつての教え子であり、彼女たちの正体からするとかつてのクラスメートとなるまさに大切な存在だった。

「あなたの担任の先生って、私の教え子なのよ。同じ仕事をしているもんだから、先生になったというのは知っていたんだけど、まさかまさか、エリナの担任になるなんてね。世の中なんだか狭すぎると思わない?」
「あっ、そうか。エリカ先生ってお母さんの教え子だったんだ」

エリナはもう一つの記憶の引き出しから昔、エリカ先生に山田恵介が乗り移ったことを思い出していたようだ。懐かしい思い出話で熱気に溢れるのだが、テーブルの上ではメニューが寂しそうに待っていた。

「このことはね。お母さんである私が娘のあなたにも話したことのない秘密らしいの、自分の担任が母親の教え子だなんてわかったら、やりにくくなるんじゃないかって配慮してのことだけど、いかにも京香先生らしいわよねぇ。今からそのエリカ先生に連絡してみようと思うんだけど、二人ともいいかな?」
「えっと、お母さん。それってエリカ先生を呼び出すってことなの?」

エリナのお母さんという言い方はすっかり板についていた。

「そうよ。ここに呼び出すのは何だから、家に来てくれるように母親らしく頼んでみようと思ってるのよ」
「あっ、それって面白そう!それなら新しい薬の次の段階にあたる実験にも使えそうだよね」

するとサヤカはテーブルの上に身を乗り出しながら少し興奮気味に言った。

「じゃあ、連絡するってことで決まりよね。このスマホを使って電話できるわよ」

ショルダーバッグの中から京香先生のスマホを取り出すと連絡先の中から青木エリカの名前を検索した。個人情報保護の時代でクラスメイトの保護者の連絡先は無いのだが、担任の先生ということで電話番号が登録されていた。「通話する」をタッチしスマホを自分の耳元へと寄せてエリカが電話口に出るのを待った。

『もしもし、青木です』
「あっ、夜分遅く失礼いたします。三田エリナの母ですが、ただいまお時間よろしいでしょうか?」

京香先生の口調を使って通話をするのは春彦にとっていとも簡単なことだった。

『はい、構いません。どのようなご用件なのでしょうか?』
「それなんですが、実はエリナのことで折り入って先生にご相談したいことがあるんです」
『ご相談ですか?電話やメッセージでのやり取りでは駄目なんでしょうか?』
「それがちょっと込み入った話なものですから、先生と直接お会いしてご相談させて頂きたいと思いまして」
『もしかして、急ぎのご用件でしょうか?』
「はい、早急にお会いしてご相談したい話です。できれば、これからお時間はいかがでしょうか?」
『えっと、今夜ですか?実は私も三田さんのことでお母様にお話ししようと思っていたことがありましたので、片付けなくてはならない仕事がまだあって、二時間後ぐらいであれば時間ができると思います』
「あっ、そうですか。そうでしたら、二時間後に我が家までお越しいただけますか?」
『わかりました。三田さんのご自宅に直接お伺いすればよろしいんですね』
「お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」
『お母様、お気遣いの必要はございませんので、後ほどご自宅にお伺いします』
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」

周りから見れば三田エリナの母親である三田京香が、娘の担任である青木エリカと電話でやり取りしているように見えるだろう。京香先生の口調そのままで青木エリカを三田家に呼び出すことにまんまと成功したのだ。

大きな役目を終えた安心感からなのか急にお腹が空いてきたのだ。みんないつもと違う身体であってもやはり人間である以上はお腹が空くものなのだ。寂しそうに拗ねたままにテーブルの上にあったメニューに手をつけ始めると、うるさくなり始めていたお腹をゆっくりと静めていた。



四.食事の時

夜の中庭はライトアップされてより一層秋を感じることのできる風情となっていた。空に目をやると暗闇ですっかり覆われてしまっているが、それがメリハリのある演出をしてくれるようだった。テーブルの上には思い思いの料理が並べられており、いつもと違いゆっくりと食べざるをえなかったのだ。傍から見れば大人の女性二人と女子高生一人が一緒の席で食事をしているように見えるだけなのだが、実際にはそうでないことは誰も知るよしがなかった。そのせいか春彦は京香先生として食事中の会話を楽しんでみることにした。

「ねぇ、サヤカさんはどうして山田君と結婚しようと思ったのかしら?」

単刀直入な質問をサヤカに投げつけたのだが、目の前にいるサヤカの正体は山田なのだから、答えを躊躇するしか無かった。サヤカは床に脱ぎ捨てていたハイヒールに足を入れ直し背筋をシャと伸ばしたのだが、さっきの質問で自分が覗いてしまってはいけないサヤカの記憶を取り出すのが怖いようにも思えるのだった。

「答えにくい質問のようね。それなら、質問のやり方を変えてみるわね。サヤカさんったら山田君のことを尊敬してるって聞いたことがあるんだけど、それって本当なのかしら?」

すると、サヤカの顔が急に赤くなってしまった。恥ずかしさの極みなんだろうか。しかし、赤っくなった顔で質問に答え始めるのだった。

「確かに尊敬してるのよ。大学時代から彼の研究テーマに協力して来たんだけど、いつも実験台に使われてばかりだったんです。でも、いつも一生懸命な彼の姿にいつの間にか惹かれちゃったの。もっと話さなきゃダメなのかしら?」

サヤカの中にある山田に対する思いを自らの手で読み取っているのだから、目の前にいるサヤカの恥ずかしさは半端ないようだった。そのため屈託のない表情で次の質問を投じてみた。

「まだまだ話してくれないとね。次の質問なんだけど、山田君の実験台にって今言ったみたいだけど、記憶に残っている実験ってどんなのがあるのかな?」

彼女たちは目の前の料理を少しずつ消費していくものの、サヤカの手元はすっかり止まっていた。どうやら京香先生の質問に答えるモードに集中しているらしかった。

「記憶に残っている実験ね。あっ、そうねぇ。あれは大学を卒業する直前だったわ。卒業旅行として韓国に女子二人きりで行って来たんだけど、卒業旅行から帰って来た次の日に私の親友と会って話をしたら、卒業旅行なんてしていないって言うのよ。これって絶対におかしなことだから彼に問い詰めたところ、実は私の親友と共謀して卒業旅行で私の親友としてボロを出すこと無く帰って来られるのか、とても壮大な実験をしてたんだって、親友は自分のパスポートや携帯に至るまで山田に貸してあげたなんて、あれには本当に参っちゃったわ。うちは両親から男子との外泊も認められていなかったのに、それが実際には破っていたわけで、旅行中に私が着替えている姿も全て見られていたし、色々と大変だったけどね。でも、結果的にそれがキッカケで私たちは結婚前提に付き合うことになったのよ。婚約するまで思ったよりもずっと長い道のりを歩んで来たってわけ」

サヤカの喋り方にだんだんと熱がこもってきた。どうやら、恥ずかしさよりも打ち明けることの楽しさが大きくなってきたようだった。

「そうだったのね。二人はサヤカさんが大学時代から結婚を考えていたのかと思っていたわ」
「今の私たちを見れば確かにそう感じてしまうかも知れませんが、大学時代にはこんな風になるなんて思っていませんでした。付き合っているというよりも仲のいいお兄ちゃんって感じだったんです。でも、最近は私が彼を尻に敷いている感じで、今回の入れ替わりも私が主導して入れ替わったんですよ。私が彼の身体でいると研究が一気に進むので、今では戻りたくないって思うことが多かったりするんです」
「戻りたくないって、サヤカさんの本音なの?」
「そう、頭の片隅からやって来ているので、どうやらこれは本音なんです」
「そうなんだ。じゃあ、二人はこのまま入れ替わったまま過ごすの?」
「彼が私の気持ちを抑えきれなくなればそうなるかも知れません。でも、私も私としてやりたいことがあるので、今みたいに好きな時に入れ替わる生活がいいのかもって思っています」
「そうなのね。サヤカさんは山田君の実験台に使われてばかりなんじゃなく、自分からも進んで実験台になってたってことよね。今も山田君として過ごすことを楽しんでるなんて、考えて見ればステキなことじゃない?」

京香先生とサヤカの二人が話している間、エリナは黙々と目の前に出て来た料理を口に入れていた。京香先生としてゆっくりと食事をしながらサヤカのことを根掘り葉掘り聞いていたのだが、サヤカは「自分」の記憶を辿れば辿るほど恥ずかしくなるだけだった。目の前に並べられたお皿から料理がなくなると、食後のコーヒーとエリナ用のオレンジジュースが並べられていた。コーヒーカップを手に取り一口流し込むと京香先生はゆっくりと口を開いた。

「それじゃあ、私はこれから家に帰ってエリカ先生と面談するからね。作戦会議でも始めましょうか」

そう言って三人は実際にこれから行おうとする計画を綿密に打ち合わせ始めていたのだ。



五.個別相談

ピーンポーン。

部屋の中のインターホン画面を確認するとそこにはマンションのエントランスが映し出されていた。そして、かつて春彦たちの同級生で今はエリナの担任である青木エリカの姿があった。ベージュベースの膝丈のタイトスカートから伸びる脚は艶のあるライトイエローのヒールに吸い込まれており、シンプルなスカートと同色の七分袖のシャツブラウスをまとっている姿まではっきりとわかった。

エリナが解錠ボタンを押すと、本格的に作戦も始まった。エリカがここに来るまで多少の時間があるため、予め決めておいた場所でそれぞれの準備を始めた。京香先生はキッチンに向かって、ドリップコーヒーの準備を始め、エリナは先生を出迎えるために玄関で靴を整理し、スリッパを取り出していたのだ。

「わざわざ、エリカ先生の方から来てくれたんだから、最大限の『お・も・て・な・し』をしなくちゃ、ねっ」

玄関の前でエリナはそう呟くと、エレベータホールの方から玄関に向かって来るヒールの音を聞き逃すことがなかった。足音が止まる前に玄関扉を開くとエリカ先生を丁重に出迎えていたのだ。

「エリカ先生、こんばんは~」
「エリナさん、こんばんは。夜分遅くごめんなさいね」

制服姿のエリナはエリカ先生を家の中に案内する。エリカ先生は玄関に入るとヒールを脱ぎスリッパに履き替え、さらに脱いだヒールをきれいに置き直して玄関にしっかりと揃えていた。

「母はリビングにいるので、廊下をまっすぐ進んでください。私は自分の部屋に戻ります」

エリナはそう言い残して自分の部屋に入っていった。エリカ先生は廊下の突き当りにあるドアを開き京香のいるリビングへと入っていった。

「お母様、こんばんは~」

ドアの軋む音が鳴り止むと同時にリビングの中にはエリカ先生のソプラノが響いていた。

「エリカ先生、こんばんは。こんな夜遅くに呼び出してしまい申し訳ございません」

リビングの中央にある時計の針はすでに夜の九時が過ぎていたのだ。京香はリビングの中央にあるソファにエリカ先生を座らせると向かい合う席に腰を落ち着かせていた。

「いえ、私からもかねてよりお話したいと思っていたことがありましたので、たとえ夜が遅くなってもお伺いしようと思っていたところです」
「ありがとうございます。それにしても、エリカ先生はすっかり社会人らしくなりましたね。先生としての評判もエリナを通してよく聞いています。でも、今夜はざっくばらんに娘のことを話し合えたらいいと思うの」
「わかりました。エリナさんのお母様」
「もっと気楽に話しをしたいので、京香先生と言うのが楽ならそっちを使ってもいいのよ」

エリカ先生はそう言うと肩の荷が降りたかのようにリラックスしたように見える。

「じゃあ、今だけはまた京香先生と呼んでもいいですよね」
「はい、オッケーです。あっ、そうそう。ちょっと遅い時間なんだけどコーヒー淹れても大丈夫かな?」
「ええ、京香先生の淹れるコーヒーですか?あっ、是非とも飲んでみたいです」

どうやらエリカ先生は、リビングの中を覆っているコーヒーの香りとキッチンの作業台にあるドリップコーヒーの器具を見ると、京香先生の淹れるコーヒーが飲んでみたいと思ったようだ。

「わかったわ。これから本格的にドリップするので、ほんの少しだけ待ってくれるかな?」

京香先生の身体を動かしている春彦は、そう言って立ち上がるとキッチンへと向かい、準備していた器具を一つ一つ使い始めた。今の春彦は喫茶店の経営者でありながらバリスタもやっているので、京香先生の家で見つけた器具を使って特別なコーヒーをエリカの奴に飲んでもらおうと思ったのだ。温度計は見当たらなかったので、少し冷めたお湯にするために事前に沸騰させて放置しておいたお湯を、ドリッパーの中にゆっくりと注いで行った。京香先生の身体でドリップすると手の指の細いだけでなく手先が器用なことに気づいた。渾身の一杯が淹れ終わるとソーサの上にコーヒーカップを載せてエリカの手前にゆっくと差し出した。

「はい、お待たせしました。これはエリカ先生をイメージしたブレンドコーヒーになります」

リビングにはコーヒーの芳しい香りが広がり、エリカ先生はコーヒーカップをゆっくりと手に取って、口に含むとその味を楽しみ始めていた。

「わぁ、おいしい!京香先生ってコーヒー淹れるのがとっても上手なんですね」

かつてエリカが僕のことを片思いしていたことがあったので、それを思うとエリカにしっかりと面と向かって話をするのは恥ずかしさがあったのだが、二人の間に和やかな雰囲気ができたことで気持ちが楽になっていた。

「フフフ、ありがとうね。いつもはこんな風に淹れないんだけど、今回だけは特別よ」
「やっぱり、私にとって先生はいつまで経っても先生なんですねぇ。京香先生に出会って私も教員になることを目指してこうやって先生になったんですけど、生徒からって先生の仕事が全然見えてなかったんだって、今になって思います」

一杯のコーヒーによってエリカ先生の口が動くようだった。

「そうでしょ。生徒から見る先生の仕事が全部じゃないのよね。授業だけしていればいいわけじゃないからね」
「そうですよねぇ。高校の時にそこまでわかっていれば、きっと私って先生を目指さなかったかも知れません」
「でも、今は先生として働いていることを後悔したりはしてないんでしょ?」
「あっ、後悔はしていません。やっぱり先生になりたくて先生になったので、大変ですがやりがいはあります」
「まだまだ、これからよ。教え子たちの成長が確認できるようになると責任も感じるようになるからね」
「確かにやりがいだけでなく、責任も大きい仕事ですよね。子どもたちの人生に関わっているので、それを考えると気が重くなることもありますよね。そうそう、今晩はエリナさんについて話をするんでした」
「そろそろ、本題について語り合いましょうね」

そう言ってから三十分ほど、二人はエリナの成績や学校での態度について語り合っていた。京香先生の記憶を引き出すことでなんの問題もなく対応できていたのだ。もともと京香先生もエリナのことでエリカ先生に話をしたいと思っていたのは確かなことだった。だから、エリカ先生には目の前にいるのがかつての担任の先生にしか見えていなはずなのだ。エリカ先生との個別相談を終えると二人でエリナの部屋へと向かうことにした。エリナの部屋に入ると制服姿のエリナが机に座り勉強しているところだった。そして、椅子をクルリと回し振り返るとひょんなことが口から飛び出るのだった。

「エリカ先生。お母さんとの話がちょっと聞こえて来たんだけど、先生ってお母さんの教え子だったのは本当ですか?」

京香がずっと黙っていたことがエリナの耳に届いたようだった。

「あっ、聞こえちゃったなら仕方ないわね。私が高校生の時にエリナさんのお母さんが担任の先生だったの。それから先生を目指すようになって、今はこうしてあなたの担任になったのよ。人生って不思議よね」
「やっぱり、そうだったんですね。入学してからずっと疑っていたんですけど、お母さんに聞くと誤魔化されてウヤムヤにされていたので、これでようやくスッキリしました」
「今夜はお母さんとしっかり話をしておきましたので、先生とまた学校で会いましょうね」
「先生、わかりました。それと、一つお願いがあるんですけど、もし良かったらみんなで写真撮りませんか?」
「あら、エリカ先生。エリナったら、済みません」
「いいですよ。せっかくだからみんなで写真撮りましょうよ」

エリカ先生は快く承諾して一緒に写真を撮ることになったのだ。写真を撮るのは手元にあるスマホを使うのが今では普通だが、エリナは今では懐かしいコンデジを取り出して、これで撮りたいと言い出したのだ。三人でリビングに行くときれいな構図が取れる位置にコンデジを固定し、タイマーをセットして三人の姿を何枚か撮影した。

「先生、ありがとうございます。じゃ、おやすなさい」

写真を撮り終えるとお休みの挨拶を交わしてエリナは自分の部屋に戻っていった。そして、玄関ではエリカ先生を見送る京香先生の姿があった。

「今晩は本当にありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
「ありがとうございます。遅い時間でしたがここに来て良かったです。エリナさんの人生をサポートできるように私もできるだけのことはさせて頂きますね」
「フフフ。エリカ先生ったら頼もしいです」

エリカ先生がスリッパから九センチのヒールに履き替える姿を見て、京香先生となっている僕はすかさず言った。

「あっ、そういえば。先生の靴のサイズって何センチですか?」
「二十三ですよ」
「それなら、私とエリナと一緒なんですね。ちょっと待ってください」

そう言いながら靴箱の中からピカピカのスニーカーを取り出した。

「エリカ先生。このスニーカーで帰るのはどうですか?これ以上足に負担をかけるのはどうかと……」
「あっ、お気遣いありがとうございます。実はここから自宅まで歩いて行こうと思っていたのですが、ヒールだと楽に歩けないのでどうしようかと思っていたんです」
「それと、もしよろしければこのヒールは今はひとまず置いていっていいですよ」
「えっ?袋にでも入れて持って行くのも構わないですよ」

エリカ先生は、京香先生が差し出したスニーカーに履き替えていた。ピカピカのスニーカーに比べるとヒールは全体的に汚れが目立ち、ところどころ傷んでいるようだった。

「実は私の父が靴職人なので、だいぶ素材も痛んでしまっているようなので、このヒールをきれいに再生したいと思いまして」
「そうなんですね。とても思い入れのあるヒールなので長く愛用しているんです。再生できるなら是非お願いします」
「じゃあ、オッケーですね。再生できましたらまた連絡いたします。それでは、夜分恐れ入りました。エリナにはさきほど話し合った内容で、まずは様子を見たいと思います」
「それでは、失礼いたします」

エリカ先生が玄関の扉を閉めると玄関にはほのかな香水の香りが残されたのだった。



六.訪問者

ピンポーン。ピンポーン。

エリカ先生が出ていったばかりだと言うのに、すぐに誰かがやって来たようだった。ピンポーンが二回続いたので、マンションのエントランスではなく家の玄関にあるインターホンから押されたものだった。エリカ先生が忘れ物をして戻って来たのかも知れないと思い、何も確認せず玄関の扉を開けてみることにした。

「どうも~、京香先生。こんばんは~」

目の前に現れたのは山田の姿だった。そして、隣にはさっきまで一緒にいたサヤカが揃って並んでいた。

「今度、結婚するのでその報告を兼ねて一緒に来ちゃいました」

玄関の方が騒がしくなると、エリナが部屋から飛び出てきた。

「あっ、サヤカさん!やっぱり二人で一緒にここに来たんですね。さっき、スマホに届いたメッセージでわかりました」

エリナに扮している水田は春彦のスマホを使って山田たちと連絡を続けていたようだ。廊下で話を続けるわけにはいかないので、みんなをリビングに誘導するために次の一言を言った。

「とにかく、立ち話もなんだから部屋の中に入ってよ~」

山田とサヤカは玄関でスリッパに履き替えるとリビングに向かった。そして、さっきまでエリカ先生が口をつけていたコーヒーカップが残されているのを見た途端、山田は何かを取り出しさっそく作業を始めるのだった。

「今、何をやってるの?」

山田はどうやらコーヒーカップに残っているエリカ先生の唾液を収集しているようだった。

「エリナさん、髪の毛も採取してくれたよね」

続けて山田はエリナから髪の毛をもらいこれまた何か作業をしていた。

「これで完了っと!」

何かが完成した様子で山田は手に持っているものをエリナに見せていた。

「わ~い、ヤッホー!これで同窓会がもっと盛り上がりそうだね?」

なぜかエリナと山田だけが盛り上がっていた。

「山田くん、それって一体何なの?てゆ~か~あなたったら、サヤカさんで間違いないのかしら?」

山田が喋ろうとするのをサヤカは遮っていた。

「あっ、私たちとしたことがゴメンなさい。私たち今は自分の身体に戻ったんです。その証拠に目の色は元に戻っているでしょ」

サヤカの言葉を信じるなら山田たちはどうやら元に戻っているらしかった。二人はよく入れ替わるので、入れ替わっている時には目の色がカラーコンタクトをはめたように薄いグリーンになるようにしていた。今は薄いグリーン色も見えないので、元に戻っているのに間違いなかった。

「元に戻ったんだったら、先に言ってくれないと!」
「あっ、悪い、悪い。次なる薬作りに思わず夢中になっちゃったもんだから」

山田の口からは「薬作り」という言葉が飛び出した。山田は父親が経営する製薬会社の特別部門で極秘業務を担当しているが、世に公開することのできない「薬作り」を専門としていた。サヤカさんはその実験台、いや臨床試験の対象者として山田の「薬作り」に協力しているのだ。

「薬作り?」
「そうだよ。今回は変身薬なんだ。エリカ先生の残した唾液と髪の毛からDNAを採取して作ったので、この薬を使えば誰でもエリカ先生になれるってわけ。でも、誰でもってのが曲者で、今のところは異性にしか効果がなくて、これを飲むのはまだ男性に限られるってわけ」
「まだ開発段階ってことかな?」
「正確に言えば臨床試験中だよ。開発は終わっているけど、検証作業を進めているところなんだ」
「そういうことか、だからこんな作戦になったんだな。エリカ先生をあっさり行かせちゃったけど、エリカ先生の履いていたヒールを預かった理由がようやくわかったよ」
「まっ、俺が開発する薬は人を傷つけたりするために使うんじゃないからな、あくまでも人を幸せにするのが目的だよ。エリカの奴には後できちんとお礼をしようと思っているし、京香先生、エリナにもしっかり話を通そうと思ってるから」
「あっ、そうなんだ」
「まぁな、俺だってサヤカと結婚することになったんだし、悪用するのはさすがにマズイもの、世のため人のためになるように頑張ってるんだからな」
「なぁ、山田。ところで、さっきファミレスで話した由希奈(ゆきな)の行方はわかったのか?」

山田は語りだすと止まらないので、ここで話題を変えてみた。由希奈とはかつて僕らの同級生で高校時代の後半は僕と付き合っていたこともある女性だった。高校卒業後は関西地方の大学に行ってしまい自然と疎遠になって別かれて以来連絡を取っていなかったが、山田の人脈を使って調べると言っていたのだ。

「あぁ、見つかったよ。しかも、もうすぐここに来てくれることになっているよ」
「そんなにあっさり来てくれるものなのか?」
「あっさり来てくれるわけないだろ、だから、ちょっとした裏技を使っただけさ」
「わかったよ。とにかくもうすぐ『女子会同窓会』を始められるんだな」
「そうだよ。久しぶりに由希奈、エリカ、京香の三人で再会できるってわけさ。みんなすっかり『お姉さん』になってしまったけどな」
「じゃあ、僕らが『女子会同窓会』をしている間、サヤカさんはどうするつもりなの?」
「そうねぇ、私が一緒にいるよりも三人だけの方がいいわよね」
「一緒にいてもいいですよ。サヤカさんだって私たちと同じ女子なんですから」
「えっ?そうなの?いいの?」

サヤカの視線はエリナとなっている水田に向けられていた。

「私も一緒にいていいと思うわ。山田くんもいいよね」
「俺はもちろん一緒にいてもいいよ。『女子会同窓会』だからって新しい仲間を加えてはいけないわけじゃないんだしな」
「みんな、ありがとうね。じゃあ、十七年前のあの時と同じように春彦が由希奈、山田はエリカ、水田は京香になるってのはどうかな?」
「山田って、サヤカさんに十七年前のことも話してたのか?」
「だって、サヤカと俺は二身一体だから、秘密なんてできないに等しいもんだろ。入れ替わっている間に引き出した記憶は自分の記憶の中にも残って、元に戻っても覚えてたりするもんだから副作用みたいなものさ」
「そういうもんなんだね。じゃあ、僕が引き出した京香先生の記憶も元に戻っても自分の記憶の中に残るんだよね」
「まぁ、理論上はそうだけど、実際には時間が経てばだんだんと思い出せなくなってしまうんだよ。プライベートなことに関しては保護しなくてはならないこともあってね。薬を調合する際にはそのあたりのさじ加減が一番難しいんだよ」
「山田とサヤカさんの場合はどうなんだ?」
「俺とサヤカの場合はいつも一緒にいながら入れ替わっていたりするだろ、時間が経っても忘れにくくて当然だし、そもそも記憶を消滅させる成分を入れていない薬を使ってるから、今もちょっとおかしな感じだよ」
「そうなんですか?サヤカさんは?」

ここで山田に投じた質問をサヤカに向けていた。

「あっ、そうよ。恵介と私の入れ替わりって今では日常のことなのよね。だから、お互い身体に合わせるようにしてるのよ。恵介が私の身体にいる時も私らしく振る舞うから、入れ替わっていることを区別することが難しいでしょ。それで、カラーコンタクトを入れたかのように目の色を薄く変えることで区別できるようにしたのよ」
「サヤカが俺の身体にいる時も俺のように行動するけど、家の中ではみんなどっちがどっちなのかわかってくれてるよ」
「そうだったのね。山田くんの作る薬って色んなことを考えてしっかりと作っているんだなって、今更ながら先生も感心しちゃったわ」

ここでようやく春彦は京香先生の口調に戻すと同時に癖も一緒に再現してみせると、リビングの中は笑い声が渦巻いていた。

「ハッハッハ。我ながら言うのもなんだけど、新しい憑依薬の完成度も完璧みたいだね。さっきまで京香先生が春彦の口調で喋っていたかと思えば、春彦が抜け出してしまったみたいだよ。エリナに乗り移っている水田の憑依薬は一つ前のものだけど、どうみても女子高生にしか見えないしな」

山田がそう言うとエリナはセーラー服のスカーフをほどき山田に手渡していた。

「ありがとうございます。そんなこと言われるとエリナもとっても嬉しくなっちゃいました。ファミレスから帰って来て制服に着替え直したんだけど、なんの違和感もなく着替えができちゃって、この薬の威力ってやっぱりすごいなって思っちゃいました」

山田がエリナにスカーフを返すとエリナはスカーフを結んで見せた。

「まぁ。そんなの当然だろ。春彦にあげたものだろうが水田にあげたものだろうが憑依薬の基本性能は変わらないからな。水田の薬は身体と魂が分離して魂だけで乗り移るタイプだけど、春彦が使っている薬はそれをバージョンアップさせて身体と魂を分離させることなく身体ごと乗り移れるように改良したものだよ。身体ごと乗り移っても体重が増えることも体型が変わることもないんだけど、そうなるまでにどれだけ、サヤカと実験を繰り返して来たのかわからないよ」

ピーンポーン。

リビングにマンションのエントランスからの呼び出し音が鳴り響いた。インターホンの画面を見るとそこには一人の女性が立っている。どうやら十七年前に「女子会」を開いた時に僕が乗り移り付き合っていた由希奈のようだったが、昔の面影からすると別人のようにも見えた。確認するやすぐさま解錠ボタンを押してしまったので、姿形をじっくりと確認することはできなかった。

「由希奈が来たようだけど、誰がどうやって出迎えたらいいんだ?」

京香先生はそう言いながら山田に向かって質問していた。

「ここに来るように仕向けたのは俺なんだから、俺が出るよ。みんなはリビングで待っていてくれたらいいさ」

由希奈は山田が見つけて話を通したのだった。時間がない今はそれを信じるしかなかったため、玄関からのインターホンが鳴る時には山田が出ることにして、僕らはリビングで出迎えを待つことにした。

ピーンポーン。ピーンポーン。

そして、訪問者のやってきた合図とともに山田は玄関へと向かったのだ。



七.訪問者の正体

山田が三田家の玄関扉を開けると、そこには機内持ち込みサイズのスーツケースを手にして女性が立っていた。

「お待ちしていました。由希奈様」

そう言って彼女のスーツケースを山田が自分の手に取ると家の中へと招き入れた。彼女はどうやら長距離を移動してきたらしく少し厚底のサンダルを脱ぐと身体のバランスを崩しそうになっていた。玄関に用意されているスリッパに履き替えることもなく、素足のままスタスタ廊下を歩いてリビングへと向かった。

「ただいまぁ~」

彼女はリビングに入ると京香先生に向かってそう言って来たのだ。続けて彼女のスーツケースをスライドしながら山田が戻ってきた。リビングの入口で立ち止まっている彼女の姿を見ると、春彦はなんだか懐かしさと嬉しさが同時に湧き上がって来たのだ。高校時代に京香先生のことを慕っていた柏木(かしわぎ)由希奈は京香先生にとっても特別な存在の生徒だったようだ。京香先生の思いと春彦の思いが一つに重なってとても熱い感覚が蘇ってくるのだった。

「由希奈さんのご到着です。実は結婚されているので今は柏木ではなくて名字は小倉(おぐら)に変わっています。大学時代に関西に引っ越してしまったので、俺も連絡が取れないでいたんだけど京香先生と年賀状のやり取りを続けていたことで、連絡先がわかったんだ。俺が三田健作先生に連絡して、三田先生の研修先が彼女の自宅に近いこともあって、こうやって来てもらえたってわけ」

高校時代はメガネをかけていたので、付き合っていた春彦でさえも美人だとは思わなかったが、メガネを外した彼女はとてもきれいだった。今は関西人のご主人と一緒に暮らす二児の母だということやこれまでの経歴についても山田は事細かに教えてくれた。由希奈は白をベースにした花柄のノースリーブワンピースに身を包み、マキシスカート丈は彼女のくるぶしまで覆い隠していた。彼女は立ち止まっていた場所からゆっくりと京香先生の方に近づいて行くと胸の中に飛び込んでいた。

「京香先生。私、とっても先生に会いたかったんです。関西で大学を卒業して就職、結婚、出産、子育てと忙しい日々を過ごしていたので、なかなか関東に戻って来る機会はありませんでした。京香先生の淡い香水の香りが懐かしさをさらに加速させて、こうしているとなんだか安心しちゃいますね」

かつて春彦の恋人でもあった由希奈を胸に抱くだけで、なんだかとてつもなくドキドキしているようだった。

「由希奈さん。ところで、メガネはどうしたの?もしかして、コンタクトを入れてるの?」
「あっ、先生。今日はコンタクトを入れたんですが、今は目の手術をしたのでメガネをかけなくてもよく見えるようになったんです」
「えっ?よく見えるようになったんならコンタクトを入れる必要なんてないでしょ?」

由希奈に対して自然と京香先生の口調で話ができている春彦だった。由希奈の眼をじっくりと観察すると茶色い瞳は相変わらずのことだった。

「じゃあ、先生。コンタクトを外してきますのでちょっと待ってくださいね」

由希奈はそう言って洗面所に向かい眼の中にある使い捨てのコンタクトを取り外して、鏡に映る自分の姿とゆっくり対峙していた。由希奈がリビングに戻って来るとその瞳を見て、僕は事の真相を理解できた。

「山田くん、これって一体どう言うことなの?」

高校時代に京香先生が山田に言ったがの如く、いや、全く同じ口調で山田に追及し始めていた。その時、山田は由希奈が持って来たスーツケースを開けて全開にすると中身が見えたのだ。

「これって、男物のスーツ!?」

さらに中には洗濯かごに入れられた男性物の下着や二十七センチの革靴までもが収められていた。その中から首からかけるネックストラップを見つけると京香先生はすぐさまそれを手に取っていた。それを自分の首に掛けてカードホルダーを見てみると、そこには「三田健作(けんさく)」という文字列が並んでいるのだった。

「まさか、三田先生?」

目の前にいる由希奈は淡いグリーンの瞳をちらつかせ、いつの間にか仁王立ちになって京香先生に視線を向けていた。

「ようやく、わかったのかな?京香の姿をしている、か・わ・し・ま・くん!」

これでほぼ間違いがなかった。目の前にいる由希奈の正体は実は京香先生が結婚した相手である三田先生だったのだ。山田が言っていたある裏技というのは三田先生のことだった。

「まぁ、驚くのも無理も無いよな。みんなには知らせていなかったけど、三田先生の研修期間って実は今日の午前中までだったんだよ。でさ、その足で小倉家に立ち寄ってもらってね。さすがに本物の由希奈は二児の母親ということもあってここに来るのは難しかったからね。三田先生には予め俺が用意しておいた粉薬を渡しておいたんだ」

山田はまたもや誇らしげに話していた。確かに、山田がいなければこんな風にみんなで集まることはなかったのだ。山田の計画は相変わらず春彦の先の先を読んでいるようだった。

「じゃ~、その続きは私に話をさせてくれない?」

そう言ったのは由希奈の姿をしている三田先生だった。グリーンの瞳に気づかなければ、誰も由希奈ではないと疑うことはないだろう。

「用意してくれた粉薬は彼女自ら水に溶かして飲んでくれたのよ。京香、いや、京香先生が使わなくなったピアスを彼女にプレゼントして京香先生の近況を伝えたら、すぐにこっちが思っていた通り薬を飲んでくれたってわけ」
「山田くん、その薬ってどんな効果があるものなの?」
「薬のことなら俺に任せてくれ!三田先生に預けた薬は粉薬なので水に溶けやすくて飲むとすぐに身体中に浸透していくんだよ。入れ替わり薬や憑依薬の完成度は高まっているんだけど、最近は変身薬や皮物薬に力を入れているので、エリカ先生に使ったのは何薬だったっけ?」
「あっ、それは変身薬でしょ?」
「そうそう、変身薬。でもね由希奈に使ったのは皮物薬だよ。俺の作った皮物薬は服を脱ぐ必要もなく本人の皮を採取できるようにしたんだ。だから、薬が全身に浸透していくと身体の表面に水蒸気が覆うようになって、その状態で身体を引き抜くと残った水蒸気が結合しなおして本人の情報を引き継いだ皮として残るんだ。しかも、この皮は人間の皮と違って老化することが無いので、若いときの皮を取って置いておくような使い方もできるってわけ」

山田の奴は聞いてもいないのに次々と話して来た。

「ということで、この薬を由希奈さんが飲んでくれたおかげで、こうやって由希奈さんの姿になって自分の家に戻って来たってわけ」
「だから、さっき部屋に入ってきた時に、ただいまぁ~って言ってたのね。そこはやっぱり、お父さんらしいなぁ」
「由希奈さんには気づかれないように彼女の皮を回収したので、新幹線に乗る前にファストファッションの店でサイズの合いそうな服とサンダルをすばやく調達して、『みんなのトイレ』に入ってこの皮を身に着けて着替えたのよ」

由希奈はそう言うと、首のあたりに手を突っ込み、まるでヘルメットのシールドを外すかのような感覚で、顔を覆っている皮だけを外していた。首から下と、首の上も髪の毛は由希奈の長髪が伸びているのだが、顔面部分だけが三田先生だった。

「さすがに山田が開発した薬だけあって細かなことまでよく考えられているよな。顔面だけを自分の姿に戻せるなんて思いもしなかったよ」

三田先生の生声を聞くのは高校生の時以来だった。顔面だけが先生というのも最近はスマホのアプリでよく遊んでいることなので、あまり違和感を感じることはなかった。

「あっ!?やっぱり。私のお父さんね!」

エリナはしばらくぶりに見る自分のお父さんの顔面に思わず反応してしまった。

「とにかく、まずは由希奈さんの皮を脱いだ方がいいよね。この皮はこれから誰が着るんだったっけな?」

由希奈の皮を着る?それは春彦のことだった。春彦がこれからかつての恋人である由希奈の今の姿になれる皮を着ようとしているのだ。京香先生に憑依している状態から戻らなくてはならないので、しっかりと手順を踏まないといけないようだった。目の前では三田先生が由希奈の皮をあっという間に脱いでしまったのだが、驚いたことに三田先生は普段着姿だった。

「この皮って服を着たまま着られるように作ってあるんだ。しかも、体型に関わらずきちんとフィットしてしまうし、誰が被ったとしても体重も皮を作った時点の本人と全く同じにできるんだ。でも、さすがに皮の上から着ているものは脱いでもらわないと駄目なんだけどね」

京香先生の目の前には由希奈がさっきまで着ていたノースリーブのワンピースと、身につけていた下着が脱ぎ捨てられて同じ場所に一緒になっておかれているのだった。ここまで準備ができるまでなんだか思った以上に時間がかかってしまったが、これでようやく『女子会同窓会』を行うための下準備がすべて整うのだった。



八.全員集合

三田先生まで合流するのは意外なことだったが、ようやくのことで『女子会同窓会』を行うための準備ができた。十七年前に春彦たちが女子会を行う時に乗り移ったオリジナルメンバーは京香先生、エリカ、そして、由希奈の三人だった。京香先生本人の身体があり、エリカに変身できる変身薬も完成し、三田先生が身につけて運んできた由希奈の皮が存在しているため、春彦たちは三人の姿になれるのだ。それに加えて京香先生と三田先生の娘であるエリナ、山田の婚約者である青木サヤカを加えた五人で「女子会」ができる状態なのだ。みんなの目の前で山田が次なる準備を進めていた。

「じゃあ、ここで『女子会同窓会』をするため、俺らは当時と同じ女子になる準備ができたんだ。まず俺がこの変身薬を使ってエリカに変身すればよくて、次に三田先生がこの憑依薬でエリナに乗り移る。そうするとエリナから水田の魂が追い出されるので、そのまま水田は京香先生に突入する。今度は京香先生から春彦の身体が抜け出て元に戻るので、その状態でここにある由希奈の皮を被る流れならリスクは最小限になるってわけ」

さすが山田はしっかりと次なるプランを練っていた。そして、山田は話を続ける。

「三田先生がさすがに自分の娘に乗り移るのは無理だって言うなら、エリナに対して別のことを考えるけど、どう思いますか?」

山田は由希奈の皮を脱ぎ捨てて普段着姿になった三田先生に確認していた。

「まぁ、確かにエリナは私の娘だから乗り移るのはちょっと抵抗があるよ。自分の娘に乗り移らずに済む方法があるんだったら、それでお願いしたいなぁ」

三田先生の意見を山田は頷きながら聞いていた。

「そりゃ、そうですよね。じゃあ、エリナには水田が使っているのと同じ憑依薬を使ってサヤカに乗り移ってもらいます。でもって、三田先生がサヤカの身体を使えば全員女子の姿でいられますよね。三田先生には春彦が使っているこっちの新しいタイプの憑依薬を使ってサヤカに入り込んでください。サヤカ、いいよね?」

山田の隣にいるサヤカは何も気にすることのない表情をして、身振りを使ってオーケーを出してみせた。

「じゃあ、決まりだね。まずは俺がエリカに変身するんだけど、変身薬の場合は全裸にならないといけないから、女性の視線が気になるここでは変身できないよ。変身後は京香先生の下着や洋服を拝借しようと思ってるから、京香先生の寝室にあるウォーキングクローゼットで着替えまで済ませて来るよ。あとはみんなにさっき言った流れで玉突き憑依をしてくれたらいいだろ。もう一度言うと、まずは三田先生がサヤカに、サヤカがエリナに、水田が京香先生に、そして、京香先生から春彦の身体ごと抜け出るので、この状態で由希奈の皮を被って着替える流れさ」

リビングでは山田に指示されたように三田先生、サヤカ、エリナの姿をした水田、京香先生の姿をした僕の順に並んでみた。さらに三田先生とサヤカにはそれぞれ決められた憑依薬が渡されていた。

「じゃあ、俺は京香先生のウォークインクローゼットで変身して着替えを持って来るから、こっちのリビングでも由希奈の皮を被るところまで終わらせておくように、何か手伝いが必要なことがあれあサヤカに手伝ってもらうといいよ」

山田はそう言い残すと寝室に行ってしまった。リビングに残された春彦たちはすぐに山田が話してくれた玉突き憑依を始めることにしたのだ。

まずは、三田先生とサヤカが手に持っている憑依薬を一気に飲み込んだ。薬の効果は飲んですぐに現れ、三田先生は自分の身体をサヤカの身体にゆっくりと入れていく、それはまるでサヤカの身体に浸透し吸収されていくようにみえた。三田先生の身体が完全に見えなくなったので、サヤカの身体からはサヤカの魂が飛び出ているはず、そのサヤカの魂がエリナの身体めがけて入り込む、エリナの身体から水田の魂が突き出され、水田の魂が京香先生の身体である春彦に侵入して来ると、背中から手で触られているような感覚を春彦は感じていた。

そして、満員電車で背中を押されてホームに降り立ってしまう時のように、春彦の身体は京香先生の身体から降りていた。スライムのような姿から元の肉体に戻ると、目の前に置かれている由希奈の皮を身につけるのだが、余りにもあっけなく服を着たまま包み込まれてしまった。春彦が由希奈の皮を被ったところで、着替えを手に持ちながら山田が変身したエリカがリビングに戻って来た。セットになっている黒ベースのブラジャーとショーツだけ身につけた状態だったが、エリカの身体は三十代の半ばとは思えないプロポーションを維持していたので、全員の視線を一気に集めるのだった。

「私、由希奈のノースリブワンピを着ることにしたから借りるわね」

そう言って春彦がこれから身につけようとしていたノースリーブのワンピースを手に取り頭から被っていた。春彦は仕方なくエリカに変身した山田の持ってきたベージュ系のシフォンブラウスとライトブルーのフレアスカートを身に着けた。高校時代は服装が地味な感じの由希奈だったが、今はフェミニンな印象のコーディネートが女子力をアップさせるようだった。

「似合ってるかな?」

不安げな春彦だったがリビングの片隅に置いてある姿見を覗いて見ると、そこには二児の母とは思えないほどの美貌の持ち主がこっちを見つめ返していた。

「とっても似合ってるよ」

周りのみんなはまるで打ち合わせをしていたのかのように一斉の声で言ったのだ。とても似合っている。見れば見るほどそう思うしかなかった。あの時から十七年の月日が経っているので、さすがに若々しさは足りなくなったものの、女性としての魅力を感じるそんな瞳を由希奈は持っていたのだ。

「全員集合!」

リビングの中央で春彦は叫ぶような口調で思わずそう口にしていた。

「じゃあ、予定通りの姿になっているのかこれから確認します。元の身体の名前で呼ぶのできちんと返事を返してくださいね。最初は山田!」
「はい!」

白ベースの花柄ノースリーブワンピースに身を包んだエリカが、ニコッとした表情を交えながら手を挙げて返事をした。

「今度は水田!」
「はい!」

すると京香先生が手を挙げた。紺のスーツにタイトなマーメードスカート、これは十七年前に京香先生がまさに着ていたもので春彦が思いつきコーディネートしたものだ。

「はい、次は三田先生!」
「はい!」

襟元は淡いピンクのカッターブラウスが見え、サラサラなサテン生地がきらびやかな白のタイトスカートは裾のフリルが広がっている山田の婚約者であるサヤカが手を挙げていた。

「それでは、最後にサヤカさん!」
「は~い!」

最後に手を挙げたのはセーラー服に身を包んだ未来の花嫁だった。

「でもって、春彦!」
「あっ、はい!」

山田に言われるとベージュ系のシフォンブラウスとライトブルーのフレアスカートを身に着けた春彦も手を挙げていた。春彦の一番の親友である山田から春彦と呼ばれることには慣れていても、今の奴はエリカの姿をしているだけに自分が呼ばれていると気づくのにちょっと遅れてしまうようだ。

「みんな予定通りうまくいったんだね。じゃあ、これから自分の姿に戻るまでは姿に相応しい言葉遣いをしましょうね。もちろんお互いや自分のことを呼ぶのも気をつけなくちゃね」

リビングの時計に目をやるともうすぐ午後十一時となり、金曜日の夜がもうすぐ終わって週末が始まろうとしているところだった。自分の姿に戻るまではその姿に相応しい言葉遣いをしようと提案したので、春彦をはじめとする全員が各自の姿に合わせるように頭の中で切り替えたのだ。

「それじゃあ、今夜はこれから簡単にここで飲み会をして本格的な女子会は明日にしましょう。飲み会のための買い出しに今からみんなで行って来ない?」
「わざわざみんなで行く必要はないんじゃないの?エリナは未成年なんだし夜遅くに制服姿でうろうろできないでしょ。私とエリナはここに残るから、三人で行って来たらどう?」

そう言ったのはエリナの父親でもある三田先生、いいえ今の姿で言うならばサヤカの提案だった。

「それもそうよね。じゃあ、私たち三人でちょっと行ってきます。二人にはお留守番を頼んだわね」

水田、いや京香先生がそう言うとこのマンションの近くにある二十四時間営業のスーパーマーケットに集団で向かったのだ。



九.買い出し先で

ここは、三田家から歩いて五分ほどの距離にある二十四時間のスーパーマーケット。私たち三人は飲み会の買い出しにやって来た。日付が変わるまであと一時間を切っているのにもかかわらず、店内には思った以上にお客さんが入っていた。仕事帰りの会社員の姿も多く見受けられ、金曜日の夜ということもあり急いで家に帰って休みたいというオーラが見えていた。

そんなスーパーの中で京香先生たち三人は買い出しをするため、お酒コーナーに向かっていた。そこには実にさまざまなお酒が置いてあり、ビールを始めとして、発泡酒、ワイン、カクテル、酎ハイ、ウィスキーに日本酒や焼酎、ノンアルコール飲料に至るまで一気に買い占められてしまうほどだった。

スーパーのカゴをエリカが持ち、それぞれ思い思いの飲み物を入れていくと、カゴの中にはカクテルや酎ハイ、ノンアルコール飲料といったものがどんどん入れられていた。家で待っている二人の分に加えて飲料水やおつまみに至るまでカゴの中はすぐにいっぱいになった。

いつもだったらビールや発泡酒でいっぱいになるものの、やはり身体が違うからこそ求めているものは違っていた。そして、レジの方に向かう前に、女性向け下着のコーナーに立ち寄ると、京香先生とエリカは自分好みのショーツとキャミソールをカゴに入れていた。

レジに行くと一台のレジだけで回しているようで、若くて背の高いお兄さんといった感じのレジに並ぶしかなかった。今回の代金は京香先生が払ってくれることになって、時間がかかりそうなこともあって京香先生だけを残し、由希奈とエリカは先にレジを抜けてスーパーの出入口で待つことにした。その時、エリカは由希奈に店内で商品を見ながらぐるぐるしている大学生ぐらいの若い女性を注目するように言ってきたのです。

「ねぇ、由希奈。あの子がさっきポケットに何か入れたように見えたんだけど、レジを通らないでこっちに来るようだったら、ちょっと問い詰めてみない?」
「えっ!?問い詰める?そんなの店員さんがやることでしょ」
「まぁ、本当はそうなんだけど、あの子って私の教え子なのよね。責任を感じちゃうから、もしそうだった私がまずは話をしてみたいの」

エリカが教師になったのは、京香先生との出会いが大きいと感じてはいたけれども、京香先生と同様に責任感の強い教師になったようだった。レジでは店員さんが京香先生の持っているカゴの精算が始まりました。するとさっきの女性はレジに並ぶこともなくスーパーの出入口を抜けてしまったのだ。

「ねぇ、ちょっと、あなた」

さっきの女性にエリカが声をかけた。

「あっ、エリカ先生。。。」

黒い半袖Tシャツの上にベージュの長袖カーディガンを羽織り、シースルーな生地が重ねられたグレーのヒダスカートに白のスニーカー姿の女性は、声をかけたのがエリカ先生だということに気づいたようだ。

「こんばんは!こうやって会うのは、あなたが高校を卒業して以来よね」
「あっ、お久しぶりです。お元気ですか?」

そう言いながら彼女の額には冷や汗が流れているのをエリカは見逃さなかった。

「見ての通りこんな時間でも元気にしているわよ。長話もできないから、単刀直入に言うんだけど、カーディガンのポケットに何か隠していなかったかな?」
「あっ、やっぱり、見られていたんですね、バレずにうまくいったと思ったのに、まさか先生に見られるなんて。。。」

すると彼女はポケットの中から、リップスティックとリップグロスを取り出した。

「とりあえず、私はこのお店の人間じゃないから、ちゃんとレジで支払いを済ませてから、ここに戻って来てね。お金が無いわけじゃないんでしょ」
「エリカ先生ってさすがですね。そんなことまで見抜かれてしまったなんて、わかりました。ちゃんと払って来るようにします」

そう言うと彼女は京香先生が支払いを済ませたレジですぐに精算を済ませた。京香先生がスーパーのカゴから袋に商品を入れ終わるよりも少し早く彼女はレジを通過したため、スーパーから出て交差点の向かいにいる私たちの元に彼女が先にやって来た。

「エリカ先生、ありがとうございます」
「このまま見逃すわけにもいかないし、かと言ってスーパーに突き出すようなこともしたくなかったので、今回だけは見なかったことにしてあげるわ」

軽く会釈をしながら感謝の意を述べる彼女にエリカはクールに対応していた。

「エリカ先生って、高校時代の担任だったんですけど、本当は怒ってしまいそうな場面で、いつも冷静に対処してくれたんです。私が親に怒られないように話をしてくれたり、心理カウンセラーのよう私の心の内が読めちゃうみたいで、やっぱり今もその能力は健在なんですね」
「まぁ、私があなたを担任した頃に比べれば落ちちゃってると思うけど、ストレス発散のためにやったんだなって、すぐにわかっちゃったわ」
「本当にゴメンナサイ。大人になっても高校時代の悪い癖が抜けてなくって、時々こうなっちゃうんです」
「わかったわ。再発防止のためにもあなたの連絡先、教えてくれないかな?」

そうすると彼女はエリカに自分の電話番号を教え、言われるがままにエリカはその番号をスマホに登録した。

「じゃあ、これで登録完了ね。今度は私の方からかけてみるからね」

そう言うとエリカは連絡帳の中から野中美咲(のなかみさき)という文字をタップしていた。するとすぐに美咲のスマホに着信が入っていた。

「それが私の番号だから、何かあったら連絡ちょうだいね。それと、こんなことからはしっかり足を洗うことよ」
「あれ?この子は誰なの?エリカさんの知り合い?」

交差点の向こうから渡って来た京香先生がやって来て、手に持っているビニール袋を私に渡しながら話に加わって来た。

「はい、私の教え子の野中美咲さんです」
「こんばんは」
「あら、こんばんは。エリカさんの教え子ってことは私にとってはまるで孫みたいなものよね」

二人の笑い声が暗くなった空に響いた。

「もしかして、家はこの辺かな?これから私の家で軽く飲み会をするんだけど、時間が良かったら一緒にこない?」

京香先生の口からは思ってもいない言葉が出た。

「えっ、いいんですか?」
「こんなに遅い時間だから、無理しなくてもいいよ」
「私、一人暮らしなので時間だったら大丈夫です。ところで、みなさんどう言う関係なんですか?」
「フフフ、確かに気になるわよね。彼女たちは私の教え子!これからちょっとした同窓会をやるってことになったから、私の家に招待することにしたの」

こうして、美咲も一緒に京香先生の家に向かうことになり、寝る前の飲み会が始まったのだ。



十.買い出し帰り

ここはマンションの内廊下、京香先生は財布の中から鍵を取り出し玄関の扉をゆっくりと開けていた。玄関からはまっすぐな廊下につながり、そのままリビングへと続く構造です。玄関に入って見ると廊下に甘い匂いが広がっていた。玄関に靴をきれいに置きリビングへとたどり着くと、ダイニングテーブルの中央にアロマキャンドルが並べられていた。

「こんな遅い時間なのに買い出しご苦労さま」

本来の姿はこの家の主であるサヤカが四人を出迎えると労いの言葉をかけてくれた。エリナは寝間着姿に着替えており、スマホの画面とにらめっこを続けていましたが、見知らぬ人を見かけた途端に声をあげた。

「あれっ、お母さん。こんな時間にお客さんなの?」
「エリナ。この人はエリカ先生の元教え子の野中美咲さん。私からすると孫弟子に当たるわね。フフッ」
「私からも紹介するわね。京香先生の娘で今は私の教え子でもある三田エリナさんに、あちらは立花サヤカさんと言って高校時代の同級生の婚約者よ。さっき、買い出しに行った三人で女子会をやろうとしたんだけど、こんなに増えちゃった」
「あっ、そうだったんですね。野中美咲さんって、どこかで聞いたことがあるような名前ですね。よろしくお願いします」
「野中美咲です。こちらこそよろしくお願いします」
「エリナです。美咲さんって呼んでもいいですか?」
「いいわよ。エリナちゃんって何歳なの?」
「十六です」
「じゃあ、私とちょうど十違いなのね」

美咲にそう言われるとエリナは何かを思い出したように美咲に話しかけていた。

「あっ、ちょっと美咲さん、エリナの部屋に来てくれないかな。ちょっと見せたいものがあるんです」
「そうなの?何かしら」

エリナに気を許したのか美咲はエリナと一緒に部屋に行ってしまった。リビングに残された四人は、買ってきたものをリビングの上に並べ始めた。買ってきたものがそんなにたくさんあるわけでも無いものの、テーブルの面積はぐっと狭まってしまった。

「エリナったら何を思いついたのかな?」
「まぁ、あの子に何か考えがあるんでしょ。だってあの子は元々……」

私が話し始めようとするとエリナの部屋から悲鳴のような声が聞こえた。急いでエリナの部屋に向かい素早く扉を開けてみると、そこにいたのはエリナだけだった。

「あれっ?美咲さんはどこに行ったの?」

部屋の中を見回しても彼女の姿は見当たらなかった。一体何が起こったのか理解するためにはエリナを問い詰めるしかないのだ。その時、サヤカがゆっくりとエリナの部屋に入って来た。

「野中美咲。あっ、わかったわ!私の中学時代の同級生よね」
「その身体が記憶していますよね。それなら、ただの同級生じゃないことに気づいたでしょ」
「そう、中学時代は私の両親が離婚する前で西田サヤカだったんだ。野中美咲は悪女グループのリーダー的存在で、私のことをイジメ続けていた。結局、これがきっかけで両親が離婚して、私も転校するしか無かった。立花サヤカとなってからは幸いなことにイジメられることも無かったけど、そんな彼女が目の前に現れたから居ても立っても居られず、復讐しようと考えていた」

サヤカにとっては暗い過去が実は今を生きる原動力となっていた。自分が不幸な生き方をするきっかけとなった人物に再会した時には、無念をはらさずにはいられないのだ。

「そうよ。野中美咲に再会したら、彼女に仕返しをしようとずっと計画していたわ。今はエリナちゃんの身体だから、これがチャンスだと思って、ちょっとだけ懲らしめてやることにしたの。私が受けたことからすればずっと軽い仕打ちだけどね」

そう言うとエリナは立ち上がり、自分の部屋の奥にある扉を開けた。するとその中に人影を見ることがでた。

「美咲さん?」

その人影の正体を見ようとするのだが、何やら様子がおかしかった。暗がりの中にいるのであまりよく見ることはできなかった。

「彼女にはこの薬を飲ませたの」

エリナは何やら薄いイエローの錠剤を見せてくれた。それを見たエリカ先生とサヤカはそれが何なのか気づいたようだった。

「まさか!それを飲ませちゃったの?」

二人はどうやらそれが何なのか知っているみたいだった。当然と言えば当然のことだが、めそめそと泣いていた人影が暗がりの中からゆっくりと姿を現わしていた。そして、その姿を見るや目を疑がってしまうのだった。。

「やっぱりこの姿に変えちゃったんだね。こうなるとしばらく元に戻ることないんだよねぇ、どうしようか」

現れた本人が一番当惑しているものの、この中では誰も気にかけることはないでいた。

「私がどうしてこんな姿に変えられなくちゃならないのよ!」

エリナの部屋に響いた声のトーンはまるでバリトンのような低い声だった。首元には喉仏が少しだけ出ており、身長は百五十センチぐらいのやせ型、少し長めの髪はぼさぼさでまとまりがなく、ところどころにニキビのある童顔な顔はどうみても男の子、胸はぺしゃんこで身体には体毛がいっぱいだった。もちろん股下には男子の象徴がぶらさがっていたのだ。衣服は身に付けておらず裸だった。

「エリナ、あなたったら早まってしまったのね。こんなことをしても何の懲らしめにもならないのよ」

ここで話し始めたのはサヤカだった。サヤカは高校生ぐらいの男の子に駆け寄り肩にゆっくりと手を置き話しを続けたのだ。

「びっくりさせてしまって、ごめんなさいね。こうなってしまったから話すんだけど、私はあなたとかつて同級生だった西田サヤカよ。両親が離婚して今は立花を名乗っているから、さっきの自己紹介では気づかなかったでしょ。でもね、私はあなたを見た瞬間に野中さんだって気づいたのよ。エリカ先生がこんな人を連れてくるって送ってくれたときに、エリナと一緒にあななの写真を見たんだけど、あなたと再会したら使おうと思っていたこの薬をエリナが使っちゃったのよね。私は使う気がなかったのにエリナはどういうわけか使っちゃったってわけ、だから、ごめんなさいね」
「使っちゃった?どうしたらそんなことを平気で言えるのよ?」

男の子の口調はまるでオカマのようでしたが、本来の姿は野中美咲という二十代の女性だった。怒るのも無理はなかったのだ。

「私のカバンにはいつもこの薬を入れておいたのよ。中学の頃にあなたから散々イジメられていたでしょ。覚えているわよね。女子生徒の中でもあなたを中心とするグループが私のことをよくイジメていた。本当に悔しかったけど、あの事がきっかけで私の両親は別れて、私は母に連れられて転校したわ。あなたがよく言ってた『イジメられる方が悪いんだよ』という言葉を忘れることが無かった。だから、高校に入ってから懸命に勉強して薬大に入ったのよ。あなたを痛めつけるための薬を私が作りたかったの。結局はその頃に私のフィアンセと出会ったんだけど、彼が製薬会社の御曹子で共同開発したのがこの薬だったの。いつかあなたに会ったら飲ませてやろうと思っていたのは確かよ」

サヤカの話を聞きながら男の子となった美咲は、エリナの部屋にある姿見に全身を映していた。

「この姿って、キモスギじゃん!何てことなの!こうやって見るとマジでキモ過ぎる!」
「そうよ。この薬は飲んだ人の姿をキモスギこと上杉良太(うえすぎりょうた)くんの身体に変えてしまう薬なのよ。効果は約二十四時間で、身体が変化するだけでキモスギの記憶を使ったりはできないからね。この薬を飲ませるのに今はタイミングが悪かったのよ。エリナが早まっちゃって本当にゴメンナサイ」

サヤカの目は真剣な眼差しそのものだった。その目に見つめられるとキモスギとなった美咲の中にあった恥ずかしさと怒りがいつの間にか収まっていたのだ。

「サヤカさん、ゴメンナサイ。あの頃の私はあなたをイジメることが生き甲斐だと思っていたんだけど、私の悪さは未だに抜けていなかったの。さっきもちょっと悪いことに手を出そうとして、エリカ先生に助けられたって言うのに、やっぱり私って根っからの悪なのかなって反省し始めたんだけど、こうなったのも私に責任があるんじゃないかって思うわ。キモスギの声でこんなことを言うのも恥しいけど、私がやってきた仕打ちについて全て謝ります。本当に申し訳ございませんでした」

キモスギは全裸姿のままサヤカに対してその場で土下座をしていた。その姿を見ていたエリナはキモスギに言った。

「美咲さん、心から反省しているのがよくわかりました。これからはサヤカさんをイジメるようなことはもちろん、軽犯罪からも足を洗ってくれますよね」

深く土下座をしながら、キモスギの身体で美咲はその言葉に反応して深く頷いていた。

「それだったら、すぐに戻る方法を教えますよ。いや、それともせっかくだから私たちのナカマになるのはいかがですか?」

こうして、エリナの部屋でサヤカが美咲に意味ありげな言葉を言い出すと、これから本格的に飲み会が始まるのだった。



十一.飲み会

三田家のダイニングには、ひとりひとりがそれぞれの思いでテーブルを囲んでいた。両側に三人ずつ座っているのだが、京香先生、エリカ、由希奈が左から順に座わっており、反対側には由希奈の向かいには姿は違うものの美咲、そして、エリナ、サヤカが席に着いていた。

美咲の姿は未だにキモスギのままだった。三田先生の下着を借りて身に着けていたのだ。油っぽい吹き出物が皮膚から出てくる上に、目の前にいるのはお姉さん方ばかりなので、思春期の男の子となった身体が何もしなくても反応していた。特に隣に座わっているエリナが同年代ということもあり、手を触れただけでも恥しくなってしまうのだ。

「すぐに戻る方法を早く教えてくれませんか?」

部屋の中にキモスギの太い声が響いた。

「すぐに戻りたいのかしら?それとも私たちのナカマになることもできるのよ!」
「サヤカの言うナカマってどういう意味なんですか?」
「実はね。ここにいる私たちって、それぞれ別人なんだよねって言ったら信じられるかしら?」
「それぞれが別人!?まさか、私が飲んだような薬をみんな使っているってこと?」
「ピンポーン!正確よ、さすがに自ら体験したから物分かりがいいわね」
「ということは、ここにいる全員が自らの姿では無いってことなんですか?」
「いちいち正体を教えはしないけど、そういうことよ」
「じゃあ、すでに私もナカマなんじゃないんですか?こうして他人の身体に変身しちゃってるもの」
「ん~、そうよね。でもね、それぞれ自分の望んでいる姿になったのよ。あなたにもその気があるなら、思いのままにしてあげられるわよ」
「そんなこともできちゃうんですね。それなら一刻も早くこの姿から解放されたいです」
「じゃあ、ナカマになるってことでいいわね」
「はい。また、変身する薬を飲めばいいんですか?」
「あっ、それはね。この中から選べるのよ。全て私のフィアンセが作ったものなんだけど、私も助手としてかなり協力しているの」
「選ぶってどんなものがあるんでしょうか?」
「入れ替わり薬、憑依薬、変身薬、そして、皮物薬を準備してるんだけど、今日はみんなで女子だけの飲み会をしようと思っていたからね。女性になって欲しいのよね」
「そりゃ、私は当然女に戻りたいです!でもって、ここにはステキなお姉様方もいれば、女子高生までいるんですよね。エリナさんと同じくらいの女子高生に戻ってみたいです」
「じゃあ具体的には誰になってみたいと言うのはあるかな?ある程度は実現できると思うわ」
「じゃあ、こんなことってできますか?高校生のキモスギくんがとっても可愛らしい女子高生に変身するのはどうかな?」
「そんな簡単なことでいいの?じゃあね」

サヤカはそう言うとバッグの中を手探りしプラスチック製の小さな瓶を取り出した。ふたを開けると錠剤を二粒だけ手に取った。

「その姿でこれを飲んだら良いわよ。この二粒を一緒に飲むことであなたの言った通りになるわ。変身する時に体温が急上昇することを考えると、下着も全部脱いだ方がいいわよ」
「みなさんの前で全部脱ぐんですか?」
「みんな大丈夫よね。キモスギくんの全裸姿を見るのは一瞬だし、ここにいるみんなには慣れていることだから気にすることはないわよ」

サヤカが(と言っても中身は三田先生だが……)そう言うとキモスギくんの姿をした美咲はすっかり安心した。手の上にある錠剤をじっと見つめながら、飲もうか飲むまいかの迷いはなくなった。身に着けていた下着も全て脱いでしまうと、口の中に二粒入れ水と一緒に飲み込んだ。

「すっかり飲んじゃいました。薬の効果はすぐに出ますか?」
「もちろんよ。まずは、あなたの身体がどろどろに溶けていくわよ」

サヤカがそう言うと、キモスギの身体は溶け出してまるでスライムのようになってしまった。床の上にはRPGゲームでよく見るようなぷるぷるの塊が動いていた。

「みんな!これ見てみてよ。この塊が今度はどんな風に変形していくのかよく観察してちょうだい」

五人の目に見られている物体は縦に伸びていき、まるでわら人形のような人の形が現われたのです。顔、胴体、右腕、右脚、左腕、左脚がバランスよくできあがると、表面が固まって人間の皮膚らしくなった。

「そろそろ終盤戦よ。エリナに近いプロポーションになるから、あなたの下着と寝巻きを貸してくれるかな?」

エリナ(とは言っても本当はサヤカ)はサヤカに言われる少し前から準備をしていた。彼女が持っている中でも上等の黒い下着と腰元のフリルが可愛らしいパープルピンクのパジャマが用意されていた。

「まずは下半身から完了したわよ」

きっと締まったウエストからすらりと伸びた脚、足の大きさはエリナとほぼ同じ大きさのようだった。両腕も人間の質感に戻って細く長い指を持った手が形造られていった。そして、胸元が大きくなり少くだけ隆起したバストが幼さを醸し出していた。

「残るは頭だけなったわ」

全身の変身が終わろうとしていた。残る頭からは黒くてさらさらの健康的な髪が背中まで伸びていった。そして、つるつるしていた顔にも目、鼻、口、耳ができあがり大きさと形が自然と形成されていったのだ。眉毛や睫毛も整えられ、薬による変身は終わったようだった。

「あとは彼女が目覚めるのを待つだけよ。喜こんでくれるかしら?」

エリナの部屋の中央には見知らぬ美少女が眠っていた。私たちは彼女が目覚めるのを、息を飲みながら待っていたので、部屋の中はとても静まり返っていたのだ。



十二.目覚めの散歩

リビングのブラインドを一気に上に上げると太陽の光が差し込んで来た。昨日の雨とは打って変わり気持ちのいい青空が広がっていたのだ。少しだけ遠くに目をやると海がキラキラと輝いて見えていた。

ベッドがあるのは夫婦の寝室とエリナの部屋だけなので、由希奈はリビングの隣にある客間に布団を広げて一夜を明かした。あれから夜遅くまで飲んでいたのだが、この身体はアルコールの分解能力が高いらしく、頭がクラクラすることもなく気持ちよく目覚められた。

一緒に寝ていたエリカはまだ布団の中をゴロゴロしているが、みんなの様子が気になるので一人で部屋を回ってみることにした。まずは夫婦の寝室に入ってみた。ここではもちろん京香先生が「自分」のベッドに寝ていて、その隣にはサヤカが「自分」のベッドで寝ていた。別の部屋に移動しようとすると、京香先生がむくりと起き上がり由希奈に向かって「由希奈さん、おはよう」と挨拶してきたので「おはようございます。先生」と返していました。何よりも黒のネグリジェに身を包んでいる姿はとてもセクシーでした。

次に向かったのはエリナの部屋だ。ここにはもちろんエリナが「自分」のベッドに寝ており、その隣にはエリナとほぼ同じ背格好ながら、エリナよりも長い髪を持ち、目鼻がパッチリしている少女が一緒に寝ていた。昨日の夜に美咲がキモスギくんから変身した新しい姿は、KPOPアイドルグループのメンバーに瓜二つでした。そこで、この姿に相応しくミサという名前で呼ぶことにしたのだ。

エリナとミサはそれぞれ姿は違えども同級生だった二人だ。お互いに和解したのでこうして一緒に寝ることもできただろう。カーテンの隙間から入る日差しにもかかわらず、全く起きる気配はなかった。ゆっくりと扉を閉めてリビングに戻った。すると冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに入れる京香先生の姿があった。

「目覚めの牛乳って、何だか京香先生らしいですね」
「そうよね。なぜか、この身体が求めてるのよ。普段だったら飲むことだって無いのに、私の身体だと美味しく感じるわ」
「いつもならこんな早い時間に起きるはずが無いですよね。それに先生のネグリジェ姿ってとっても素敵ですよ」
「フフフ、ありがと。一緒に寝ているサヤカさんって本当はこの家の主人じゃない、私の姿を見て情欲を沸かしていたようなんだけど、自分の身体じゃないから襲って来なかったけど、襲われてもいいって変な気分なのよねぇ」

そんな風にやりとりをしていると客間の扉が開いて、エリカがリビングに入って来た。

「あっ、もう二人とも起きてたの?おはようございます」
「エリカ、おはよう。よく眠れた?」
「うん、よく眠れたよ」
「エリカさん、おはよう。エリナのピンクのワンピースパジャマがよく似合ってるわよ。まるで高校生みたいに見えるわ」
「先生ったら、冗談言い過ぎ!エリナのパジャマを借りたんだけど、着丈がちょっと短いだけで、問題無く眠れたわ」
「由希奈さんは、私のパジャマがピッタリよね。せっかく三人で早起きしたんだから、さっそく着替えて海岸線沿いを散歩して来ない?今日はみんなで湘南までドライブするって決めたけど、散歩の帰りに朝ご飯の準備もするってことで、寝ている三人にはここにメモ書きでも残しておけばいいでしょ」

京香先生の提案を受け入れた由希奈とエリカは、すぐに着替えを済ませた。由希奈とエリカは昨日と同じ格好、ベージュ系のシフォンブラウスとライトブルーのフレアスカート、白ベースの花柄ノースリーブワンピースという出で立ちですが、下着は昨夜買ったものを身につけていた。

着替えてきた京香先生はいつもの紺のツーピース姿ではなく、バイオレットのマキシワンピースに身を包んでいた。普段の先生とは違っていつもよりも優しさを感じられるデザインに惚れ惚れしてしまうのだ。三人とも軽く顔を洗っただけで、すっぴんのまま散歩にでかけることにした。

「私が書き置きを残しておいたから、さっそく出かけましょうね」

ダイニングテーブルの上には京香先生の字体で書かれたメモが残され、私たちは家の外へと出て行った。マンションの玄関を出ると爽やかな風が吹いて来た。ゆっくりと歩きながらまずは海の方へと向かって行った。二人の顔を見るだけでも気持ちのいい朝がやって来たのがわかった。

「先生、ここから海までどのくらいあるんですか?」

マンションから歩き始めると私は京香先生に尋ねた。

「そうね。距離は四百メートルぐらいなので五分もあれば到着するわ」
「そうなんですね。この厚底サンダルって歩きにくいです」
「私も今はハイヒールなので慎重に歩かないとすぐに倒れてしまいそう」
「あっ、そうだったわね。私だけ運動靴だから気にしてなかったんだけど、その靴で散歩するのはちょっと酷だったかも、ゆっくりと歩きましょう」

そうやって三人は一人ひとりのペースで海岸線まで向かうことにした。先を行く京香先生とそれを追う由希奈とエリカ、昔懐かしいそれぞれの身体を外で動かすことに喜びと楽しさを感じながら、マンションから近くにある海へと向かっていた。



十三.海岸線

目の前に水平線が続いているのが見えると足元には砂浜に差しかかっていた。運動靴の京香先生はそのまま波打ちぎわへと向かったものの、由希奈とエリカは厚底サンダルとハイヒールを脱いで手に持ち、京香先生の後を追いかけた。波がザブーンと砂浜に打ち上げたかと思うと水が引いていくのを繰り返す海岩線まで足を運び、由希奈は海水の冷たさを直に感じていた。厚底サンダルとエリカのハイヒールは京香先生の隣に並べて置いておいた。

「朝から海水に足を入れるなんて、思ってもいませんでした。京香先生の家ってこんなに海が近かったなんて」
「そうよね。ここだと海が散歩道なのよ。三田先生と結婚してから今の家に引っ越したんだけど私たちお互いが海好きなこともあって、ここに決めたのよね。やっぱり海の香りっていいわよね」
「京香先生が一人暮らししていたマンションもすぐそばですよね。前のマンションと間取りが似た感ですし、先生のコスプレ衣装だってそっくりそのまま納められていますよね」

エリカも海水に足を濡らしながら京香先生と話をしていた。海風が強く吹くのでよく耳をすまさなければ声もよく聞こえなかった。

「今日はみんなで江の島までドライブすることにしたでしょ。そろそろ家に戻って準備しないとね」
「ドライブするのはいいんですけど、車はどうします?三田先生の車って何人乗れましたか?」
「私の車は五人乗りだから全員乗るのは難しいけど、主人の車なら八人乗りなので六人が一台で乗って行けるわよ」
「あっ、だから昨日寝る前にサヤ力さんが一台で行けるって言ってたんですね。その車って保険はどうなっているんですか?」
「確か、夫婦どちらも運転できることになっているはずなんだけど、実は私が運転したことないのよね。少し大きな車だから私が運転するのはちょっと気が引けるし、どうしたらいいかな?」

都心に住んでいる水田にとってはお金があっても日常で運転する機会もなく、京香先生の身体でも三田先生の車を運転したことがないので京香先生として運転するのも無理なようだった。

「今日だけ保険を追加するにしても、記録に残したら三田先生が後で困るわよね」
「それなら、エリカの車は使えるかな?」
「私は未だに実家暮らしだからね。両親の車しかないし、自由に使えないわよ」
「私も大きな車を持っていて、いつも運転しているけど、家は関西だから取りに行けないしね」
「それなら、こうするのはどうかな?サヤカも車は持ってないけど免許はあるので、サヤカが車を借りてサヤカが運転するなら大丈夫だよね。普段から運転している三田先生がサヤカの身体で運転するなら問題ないわよね」
「サヤカが運転するって姿は想像できないんだけど、みんなの状況を考えるとそれが一番のようね。じゃあ、さっそく私の家に戻って準備しちゃいましょう!」

そう言って運動靴で駆け出す京香先生の姿を、残された二人は追いかけることはできず、濡れた足を急いでハンカチで拭いてからゆっくりと三田先生の家に向かった。



「おはようございます」

ようやく私たちが三田先生の家に到着すると、さっきまで寝ていたエリナが出迎えてくれた。パジャマ姿のままなので、京香先生にたたき起こされたに違いない。海に濡れた足を気にしながら廊下を歩き、さっそく浴室に入って足をきれいに洗った。

「シャワー浴びていいかな?」

すっきりしたところで浴室にやって来たのはサヤカだった。本来は自分の家なので勝手の知れた場所、三田先生が使っている歯ブラシに手を伸ばして歯磨きをしていた。歯磨きが進んでいたので誰もその歯ブラシを使ってはダメと言うこともできなかった。由希奈とエリカは浴室から出て身支度を始めることにすると、歯磨きを終えたサヤカはさっそく裸で浴室に入っていった。本来の自分の無意識と身体の意識が交錯しているためか、裸を見られても全く平気だった。

エリナの部屋に入ってみるとベッドにはミサがまだ寝ていた。美少女と言うにふさわしい彼女の穏やかな寝姿を見ているだけでも、朝からなんだか得した気分に由希奈はなったようだ。しかし、早く準備を済ませて出発しなければならないので、彼女を優しく起こすことにした。

「ミサ!朝ですよ。起きて出発の準備をしないとね」

ミサはすっかり疲れてしまったのか、起きる素振りも見せなかった。そこで肩に手を当てて揺り動かすのだが、それでも目を開けることすらしなかった。まだ夢の中にいるミサを起こすにはどうしたらいいのかと少し考えると、キモスギくんの姿になってしまった彼女の姿が思い浮かんで来たのだ。

「あっ!キモスギくんに戻ってる!」

由希奈はエリナの部屋に響くように大きな声で叫んでみた。すると、身支度を進めているみんながエリナの部屋へとやって来た。ミサは部屋の入口に他の四人が集まる気配を感じたのか、ハッとして布団の中からムクリと起き上がったのだ。起き上がるとすぐに両手を高く挙げて背伸びをしていた。

「아~, 언니들이 안녕!(ア〜, オンニドゥリ アンニョン)지금 몇시에요?(チグム ミョッシエヨ)」


すっかりKPOPアイドルのミサになりきっているようで、目覚めの一言として韓国語が飛び出していた。

「アンニョンハセヨ、ミサ。今なんて言ったの?」

「아~, 미안 미안(ア〜, ミアン ミアン)。ゴメンなさい。さっきは、お姉さんたちおはよう!今何時?って言ったんだけどわかるわけないよね」
「大丈夫よ。この薬の効果がすごいんだって証明できたようなものなんだからね。KPOPスターのミサが来日した時にサイン握手会に行ってこの薬を用意して置いたんだけど、言葉まで使自由に使えるようになるんだから、他の分野でもいろいろと使えそうな基礎技術を私のフィアンセが持ってるってこと。あっ、今はちょうど七時を過ぎたところ、八時に出発しようってことになってるから、早く準備してね」
「네~, 알겠습니다.(ネ〜, アルゲッスムニダ) 내가 이렇게 한국말로 말할 수 있더니 정말 신기하다.(ネガ イロッケハングンマルロ マラル ス イッドニ チョンマル シンギハダ)빨리 준비할께요!(パッリ ジュンビハルッケヨ)」
「ねぇ、ミサったらここにいるみんなは日本語しか知らないんだから、日本語で話してよ~」

そう言ったのは一緒に一晩過ごしたエリナだった。寝る前にミサにはここにいるメンバーについて一人ひとり説明したとのことで、自分が中学校時代の同級生で美咲にイジメられていたサヤカだということも伝えていたようだ。二人はすっかり仲直りをしたようで、今は体型も年齢を似通っている女子高生となっていた。

「あっ、エリナ、ゴメンね。了解しました。私がこんな風に韓国語で話すなんて本当に不思議。早く準備しますって言ったんだけど、そりゃわかんないわよね。これからはできるだけ日本語で話すからね」

そう言うと出発に向けて朝の身支度を急ピッチで進めるのだった。



十四.江ノ島

今朝見たばかりの海とはまた違う海岸線が目の前に広がっていた。海岸線の向こう側に見える島に向かうの車の中、それはまるで遠足に向かうバスの中のように賑やかだった。

ハンドルを握るのはサヤカだが運転歴も長い三田先生にとっては実に楽しそうに安全にここまで運転していた。助手席には京香が座って、真ん中の席には私とエリカ、そして、一番後ろの席にはエリナとミサが座って、それぞれのペアが中心となって車内のお喋りは止まることがなかった。

大人四人は昨日の夜から同じ格好をしていましたが、エリナとミサの二人は外に遊びに出かけたというのに学校の制服に身を包んでいたのだ。エリナが着ているのはもちろん自分でいつも着ているセーラー服の夏服だが、ミサが着ているのはエリナの中間服だった。

「みなさ~ん!」

そう言ったのは運転しているサヤカだった。六人の中で実際には年長者であり根っからの教師のため、ハンドルを握ってからずっと仕切りたがってしょうがないのだ。

「は~い」

車内には甲高い声が響き渡る。

「そろそろ、目的地である江ノ島に到着します。江ノ島では各自が自由に行動していいので、思う存分に楽しんでくださいね。集合時間になったらみんなで一緒に水族館に行くことになります。いいですね!」
「わかりました!」

江ノ島でレンタカーを駐車場に止めると、自然と三つのグループに分かれ島の中を散策するようになった。運転手兼添乗員役のサヤカは一人で、女子高生コンビのエリナとミサは修学旅行ばりの自由散策に、そして、残った私たちは三人で同窓会旅行という風に分れたのだ。

サヤカの姿はすぐに見えなくなってしまい、女子高生コンビはお土産屋さんが立ち並ぶ人混みへと消えてしまった。残された盟友である三人が、この島の奥にある鍾乳洞に一気に行ける船があるということで船着き場へと向かった。

「京香先生、また三人きりになりましたね。江ノ島にヒールで歩き回るのはまずいと思ったので、途中で立ち寄ったスーパーで運動靴を準備しましたけど、こんなにもヒールで歩くのが大変だなんて思ってもいませんでした」

京香先生は朝の散歩から運動靴でしたが、由希奈とエリカはヒールのある靴しか持っていなかったので、スーパーで安売りしている運動靴に履き替えていた。さっきまでとは安定感が全く違うのだ。

「最近、ヒールに対して反発する女性も増えているでしょ。ネットとかでよく見かけるんじゃない、社会ってつくづく男性目線で作られているって思ったりするのよね。でも、逆に言えばヒールって女性の特権じゃないかしら?エリカさんはどう思いますか?」

京香先生らしい立ち居振る舞いをするので、とても水田が話しているようには見えなかった。船がやって来るのを待ちながら会話が始まるのだが、男三人で集まってもこんな風に喋らない三人にとっては何か妙な感じだった。

「私は、高校教師ですから、男子生徒に過剰な興奮を与えないように気をつけています。校舎内でも時と場合に応じてヒールのある靴も、履く必要があるから、職業によってもマチマチだと思うのよね。人と接する職業であればヒールを求められるのかもね。じゃあ、最後に由希奈の考えも聞きたいわね」

そんな風にエリカから振られると自然と言葉が出て来たのだ。普段の由希奈だったらきっと出てくることはないのだが、由希奈の身体だからだろうか。無口で物静かそうに見える由希奈の身体で私は喋り始めた。

「私は、専業主婦で子どもができてからはヒールなんて年に数回しか出番が無くて、ホコリが被っちゃっているぐらいだけどね。どういうわけか、そのホコリまみれになったヒールを履いてわざわざ東京に来たのよね。やっぱりこれって男のサガなのかも知れないわね。社会的に痛みを受けている女性たちがおとなしくしていた時代は過ぎさって、これからは自分の意見をどんどん言っていくべきなのかもね。大和撫子なんて過去の遺物なはずなんだけど、実は日本人女性の中にはその精神が今も宿っているんだと思うわ」
「ふ~ん」

みんなの意見が出揃うと海の向こう側から小型の船が到着していた。恐る恐る船に乗り込むとスカートの中が見えてしまわないように席に座り出発を待った。出発時刻を見計らい船頭さんがやって来ると船は海に投げ出された。そして、進むことわずか数分で江ノ島の反対側にある岩場に到着したのだ。



その頃、女子高生コンビのエリナとミサはお土産屋さんを渡り歩いていた。エリナが小さな小物を見つけて騒ぐとミサが続けて奇声をあげて大騒ぎしていた。制服姿で楽しむので、それは昔懐かしい修学旅行でやって来たようだった。小さく揺れるアクセサリーからキラキラしたものに至るまで様々なものを見つけては楽しんでいた。

二人の間ではすでにわだかまりが無くなっていた。買ったアイスを二人で仲良く食べたり、プリクラを撮って本人たちのスマホに送ったり、景色のいい場所ではツーショット写真を撮ったりして過ごしている。本当に仲の良いベストフレンドのようにしか見えないのだ。そんな二人は遠く広がる海を一緒に眺めていた。どこまでも続く水平線を見ていても二人の間にある憎しみなんてちっぽけなものに見えるのだ。

「ねぇ、エリナ。私って本当に心が狭かったんだよね。大きな海を見ていると改めて私が悪かったんだと思う」
「いいや。私がいつまでも逃げてばかりだったんだよね。目の前から逃げ出したくなるけど、逃げずにちゃんと向かい合えば良かったんだよ。私たち二人ともずっと引きずって来たのが悪かったんだなって」
「本当にそうなのよね。私がやってしまったことってなかなか消えるものではないけど、こんな目にあって私も目が覚めたわ。キモスギの身体にされた時はお先真っ暗だったけど、私があなたにやって来たことと全く同じだったのよね。今は猛省してすっかり仲直りしたわよね」
「私の方こそ悪かったんです。人を許す気持ちを持てずにいた私が全て引き起こした出来事だったんだものね。私の方こそ反省しました。だからこそ、もう少しだけこうやって一緒に楽しもうよ」

水平線を見ながら二人の間にはすっかりわだかまりもなくなり、あと少しとなった特別な時間を心ゆくまで楽しんで駐車場へと向かうことにした。



鍾乳洞を見学した三人は、そこから歩いて駐車場まで戻ることにした。駐車場までの道のりは高低差のある坂道なので、軽くハイキングしながら前へ前へと進んでいった。

「やっぱり、東京の空気とは違うわね。それに、こうやって山道を歩くだけでも気分転換できそう」

京香先生は言った。

「そうよね。私たちがこうして一緒になったのも久しぶりのことよね。でも、ちょっと歩くだけでも疲れちゃった。あそこの茶店で少し休んで行かない?」

とある一軒の茶店の前でエリカが言うと、みんなで店の中へと入って眺めのいい席に座り抹茶パフェを頼み、三人はしばらくの間休みつつお喋りを楽しんだ。それから山道を下りお土産屋さんに出たり入ったりしながら、駐車場へと向かったのだ。

その短い道のりは三人にとっては新鮮なものだった。可愛らしいものを見つけるたびにみんなで奇声を上げる姿はまるで少女たちのようだった。

あるお土産屋さんの中でエリナとミサの女子高生コンビにも会ったのだが、お互いを憎んでいたはずの二人はいのまにか仲が良くなって、二人ではしゃぐ姿は本当に女子高生の気持ちに戻ってた。そして、みんなで揃って駐車場に到着すると車の中で待っていたサヤカと合流したのだ。



十五.解散

「あぁ、楽しかった~、イルカのショーも良かったしクラゲも楽しめたよね」

東京に向かう車内はとても静かだった。慣れない身体で江ノ島を散策してランチを取ると夕方過ぎまで水族館に滞在したので、疲れて寝ているか、話をするような気力を無くしていた。元気なのは運転しているサヤカだけ、由希奈もすっかり疲れてしまったので辛うじて聞こえたのだ。

暗闇の中に広がる夜景を見ながら、昨日と今日の出来事が走馬灯のように由希奈の頭の中を駆け巡っていった。同窓会と称していつもの仲間たちと一緒に過ごした時間の数々、高校生の頃とは違ってすっかり大人になったみんなでまた集まり楽しんだ時間だった。

東京に帰ると問題が起こらないようにみんなで元の姿に戻り、いつもの日常生活に戻るのだ。たぶん、このメンバーでこんな風に過ごせるのは今が最後と思うと何か思い出に残せることを一つやってから解散したいと思った。そこで、運転しているサヤカには三田家に向かう途中で立ち寄って欲しいと思った場所を伝えた。



サヤカがしばらく運転するとライトアップされた東京の街並みが視界に入って来た。いつもならきらきら感じることもないのだが、こんなにも夜景がキレイなものだとは思ってもいなかった。車はレインボーブリッジを走り抜けて目的の場所へと到着していた。

車が止まるとお疲れモードの車内はゆっくりと目覚め出していた。途中どこかに立ち寄ること無く一気にお台場までやって来たのだ。本当は集まるはずことのないみんなでレインボーブリッジを背景に今のみんなの姿で記念撮影して行きたいと思ったのだ。

外に出ると夜風が冷たく肌寒さを感じるほどだった。レインボーブリッジと自由の女神をバックにできる場所へと移動すると、そこには観光客をはじめとする多種多様な人々がたくさん集まっていた。それぞれのグループが思い思いのスタイルで記念撮影しているのだった。

私たち六人が集まっている目の前に、東南アジアからの観光客と思われる可愛らしい女性三人組がとあるカップルの男性にカメラを渡して記念撮影をしていた。その撮影が終わるタイミングを見て私が手に持っているコンデジを三人組の一人に渡し、写真を撮ってもらうようにお願いしていた。

言葉は通じなくてもこの場所なら誰もが写真を撮って欲しいと思うので、誰にでも気楽に撮影を頼めた。六人とレインボーブリッジ、東京タワー、それに自由の女神まで一緒に何枚か写真を撮ってもらい、撮影してくれた女性と一緒に確認すると彼女たち三人の写真も撮影して、すぐにデータを渡すと同時に彼女の名刺までもらったのだ。

私たち六人はお台場での記念撮影を終えると、再び車に乗り込み、走り出すと三田家にはすぐに到着してしまった。車を返しに行ったサヤカが三田家に戻ってくるとリビングに六人が集まって、問題が起きないように順番に元の姿に戻り仕方なく解散となった。



同窓会からしばらく経って、晴彦が経営する喫茶店も春のポカポカ陽気に包まれていた。そんな日にやって来たのは結婚準備に忙しくしている山田とサヤカだった。ジューンブライドにこだわるサヤカの強い要望もあって、六月の結婚に向けて準備を進めているところだった。

「こんにちは!」
「こんにちは、サヤカちゃん。結婚準備で忙しそうだね」
「なぁ、春彦。サヤカに馴れ馴れしく話すんじゃないよ。結婚準備に忙しくしているさなかにこうやって僕らがやって来たんだからな」
「結婚準備で忙しそうだから、同窓会以来会うにも何だか落ち着かなくてね。まぁ、僕はいつもここにいることが多いから、来てくれればいつでも会えるんだよ」
「春彦、トイレはどこかな?」

そう言って山田がトイレに行ってしまうと、店の中には僕とサヤカの二人が残された。サヤカをカウンター席に案内すると向かい合うようにして、僕は最高のドリップコーヒーを淹れる準備を始めていた。

「サヤカさん、二人ともホットでいいよね。今日は特別な豆があるからそれでいいかな」
「ええ、まだまだ肌寒い日も多いのでホットでお願いします」
「じゃあ、このまま準備を進めますね」

僕は水を入れたグラス二つをカウンターに置くとサヤカはすぐに喉を潤すのだった。

「やっぱり、水からこだわっているんですね。春彦さんの淹れるコーヒーが楽しみです」

山田がいないとなんとなくサヤカと二人きりで話をしにくい雰囲気だった。

「ところで春彦さん。同窓会の後に頼まれた例のモノがようやく完成しました」
「あっ、確かに何か頼んでた気がしてたけど、何だったっけ」

それは半年近くも前の出来事だったので頼んだことすら忘れかけていたのだ。

「自分から頼んでおいて、忘れただなんて、なんだか春彦さんらしいです」
「そんなこと言っても思い出せないものは思い出せないんだって」

そんな風にサヤカから言われるなんて思ってもいなかったが、やっぱり何を頼んだのか覚えていなかった。すると、サヤカはスマホに納められているある写真を見せてくれた。

「あっ、これってお台場でみんなで撮った写真だね。あれから半年近く過ぎちゃったなんてね」

それはレインボーブリッジの前にいる六人で撮った写真だった。そして、サヤカのスマホが視界からなくなり自然と玄関に目線が行くと、そこにはある女性が立っていることに気づいた。

「あっ、いらっしゃいませ!」

するとその女性はサヤカの隣に座るのだった。この店では初めてのお客さんのようだったが、どこかで見覚えのある顔だった。するとサヤカはすかさず自分のスマホ画面を見せて、その時になってようやく僕は二人に頼んだことを思い出すのだった。

「こんにちは、あの時は写真を撮ってもらってありがとうございました」
「春彦ったら~、思い出すのが遅いよ。まぁ、俺たちも開発にちょっと手こずったけどね。サンプルの少ない外国人だったので難しいってわかったし」

サヤカの隣に座る女性は、外見はどこからどうみても日本人ではない東南アジアの女性なのだが、その口から出て来たのは間違いなく山田の言葉だった。

「不法滞在の恐れがあるので、それを回避するために、彼女の姿をした着ぐるみを作って欲しいって言っただろ、こうやって完全に着用しているとぬいぐるみだとは思えないほどに精巧に作ったんだ。少ない情報だけでここまでできたのはサヤカと一緒に作ったおかげだよ」

名も知らない女性の着ぐるみを着ている山田は隣に座るサヤカを見つめている。姿形は違っても二人の間にはしっかりと結ばれた絆があるのだ。

「おいしいコーヒーが入りました」

淹れたてのコーヒーをカウンターに置いたのだが、二人はそれに見向きもせず、二人は顔と顔を近づけていた。山田は着ぐるみから顔だけを出しているので傍から見れば変態にも見えてしまうが、そんな全てを知っており受け入れているサヤカには躊躇いが無かった。店の中に香りたつコーヒーの香りに負けることのない二人の愛情を春彦はそっと見守るしか無かったのだ。

(完)














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