Rhapsody

作:夏目彩香(2009年10月8日初公開)


ep1

いつもよりも早い帰宅時間、ホームで地下鉄を待つと、いつもよりも閑散とした電車がやって来た。仕事帰りと思われるスーツ姿の男性と結婚式帰りと思われるパーティードレスに身を纏った女性の間の席が空いていたので、そこに座らせてもらう。思ったよりも空いていた席は余裕が無く体がぶつかり合っていた。

台風が近づいているせいか、車内は湿気が高くなっていた。地下鉄はゆっくりと次の駅へと向かって行く。目的の駅まで6駅ほどだが、この距離が思ったよりも遠く感じる程にゆっくりと走っている。

隣の男性は文庫本を広げており、女性はシャンパンゴールドの携帯でメールを打っている。画面は覗き見ガードされていて見えないが、長い爪をした指で素早くボタンを押す姿はお見事だ。そもそも彼女はブランドものの傘を腕にかけており、他の装身具も結構値の張るものばかりらしかった。

3人がけの椅子を回りから見れば、真ん中にいる僕が一番みすぼらしく見えているのではないか、そんなことを考えていると、向かいの網棚に青白い人影が見えた。人影は網棚から車両の中央に移動してきたが、どうやら僕にしか見えていないらしい、その青白い人影と思わず目が合ってしまった。

すると僕の頭の中で人の声が聞こえて来たのだ。どうやらこの声は青白い人影のものらしく、口が動いている。

「おい、俺の姿が見えるのか?」

青白い人影は話しかけて来た。僕は答えようにも独り言みたいになってしまうのが嫌で、頭の中で答えた。

『どうやって話せばいいんだ?』

「考えていることが俺には聞こえるんだぜ、隣の姉ちゃんなんか、披露宴の料理がまずかったとメールしてるぞ、お前とぶつかって気持ち悪い、早く駅に着かないかと思ってる。俺のこと見えてるんだろ?」

青白い人影はそうやって僕に話しかけて来た。

『考えていることがわかる?これだけで伝わっているってことか?』

「そうだよ。全部わかるんだって」

『一体あなたは何者?』

「俺は田所晋作(たどころしんさく)、普段はお前のようにしがない会社員をやってる。今日、俺は特別な薬を手に入れてそれを使ったらこうなったってこと」

青白い人影は田所晋作という会社員らしい、僕は次々と疑問が沸いて来る。

『こうなった?』

「わかんないのかな、幽体離脱だよ。俺の肉体から霊が抜け出て、ここにやって来たって
わけ」

『ゆうたいりだつ?』

「そう、幽体離脱。更には誰かの肉体の霊に取り憑いて、肉体を自由に動かすこともできるわけ」

『それなら、どうして僕にはあなたの姿が見えるんですか?』

「そんなこと知らねぇよ。霊感が強いと見えてしまうのかも知んねぇけどな」

『それじゃ、僕がそうなの?』

『そうなんじゃないの?』

「まずは試しにあんたの隣に座っている姉ちゃんの霊に取り憑いてやるよ。俺と楽しまないか?」

『隣の姉ちゃんって、そんなことしたら犯罪じゃない?』

「心配いらないって、取り憑いただけで犯罪だなんて。この薬を公の場所で使う時には厳しく制限があるんだ。取り憑く霊にもよるけど、その霊が動かしている肉体が普通に取っている行動以上のことはできないことになっている。すなわちみんなが見ている前では、普段通りの姿を見せる程度しかできない。しかし、波長の合った人間と一緒に閉じられた空間にいる分には、その制限から外れて自由に動かせるようになる。それに俺は、取り憑いた肉体には迷惑をかけないことを心がけてるから」

『なんだか面倒な制限だなぁ。今の状況だって普通では考えられないことだからね。付き合ってみるよ』

「じゃあ、取り憑いてやるぞ。俺も初めて取り憑くから説明書に書いてあったことを話しただけだ。じゃあ、隣の姉ちゃんの霊に取り憑くことに成功したらお前に知らせてやるよ」

『知らせるって?』

「そうだな。脚を組んだ後に携帯メールを途中まで作成して、本文に乗っ取り成功って打つのはどうだ?」

『了解。それでいいよ』

「じゃあ、そのまま待ってろよ」

そう言うや青白い人影は空中を舞い泳ぎながら隣に座っている女性の口へと入り込んでいた。どうやら彼の言っていることは本当らしい。青白い人影が彼女の中に入ると、彼女は一瞬眠ったかのように肩の力が抜けてだらんとしてしまった。手に持っている携帯と傘を思わず落としそうになるどだったが、彼女の意識は元に戻ったらしく、膝をそろえて座っていた脚を、左足が上になるように組出した。そして、携帯を開くとメールを打ち始め、その画面を僕に見えるようにさりげなく開いていた。もちろん、本文には例の文字が並んでいたのだ。

向かいの窓ガラスに見える彼女の表情は、脚を組む前とはちょっと変わっていた。さっきの表情よりも心なしかニヤッとした顔つきになっているからだ。他人から見ると特に気にならない程度だろうが、僕には晋作とのことがあってちょっと違って見えているのかも知れない。次の駅が近づくと彼女は徐に立ち上がり、ショルダーバッグを肩にかけ直し、引き出物と傘を左手にかけた。そして、右手を僕の方に差し出して口を開いた。

「次の駅で一緒に降りない?」

彼女は想像していたよりもかわいらしい声をしていた。隣に座っていた男性が急に何があったのかとびっくりしている。とにかく、僕も彼女の手を取りながらゆっくりと立ち上がった。周りから見るとまるで運命の出会いのような状況。

「これって運命の命の出会い?」

僕は晋作が取り憑いているはずの彼女に向かって、彼女と対するように話しかけていた。

「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。わかっているのは、私があなたを誘っているってこと。とにかく、私について来たらいいわ」

黄色のパーティドレス姿の彼女と僕はこの駅に降り立った。僕よりも前を歩いて行く彼女の姿、後ろから見ると9cmはあろう黄色いハイヒールを颯爽と歩きこなす姿がしっかりと目に焼き付く、僕はこの時もまだ晋作という男が取り憑いているのだとは半分信じていなかった。彼女が改札を先に出て行くと、長い栗色の髪を靡かせながら振り返って僕に叫ぶようにして言った。

「お楽しみはこれからだよ。今夜は朝まで帰さないから」

改札口をタッチする音も、胸の高鳴りで僕には聞こえない。今夜、誰にもわからないことが始まろうとしていた。


ep2

いつもよりも早い帰宅をして、自分の家でくつろぐはずだった時刻が過ぎてしまったが、僕がいるのは自分の家では無かった。電車の中でたまたま隣に座っていた中野美加(なかのみか)に誘われ、彼女のマンションに来ていたのだ。台風が近づいているため、時より強い風が吹き付け雨が降り出した矢先に到着したのは幸いなことだった。彼女とは言うもののさっき電車の中で会ったばかり、ここに来るまでに少し話したぐらい、駅から4分の距離にあるのであまり話し込むこともできずについてしまった。

リビングのソファーの上で彼女を待ちながら、さっき電車の中で見た幻のことを考えていた。確かに青白い人影を見たし、その人物である晋作の話通りに隣の彼女が行動を取ったので、晋作が取り憑いたのかと思ったが、どうみても彼女は彼女であって、晋作という男に動かされているとは思えなかった。さっきまで半信半疑だった僕も幻を見てちょっとうとうとした時に見た夢だったと理解した。彼女は部屋着に着替えると言って奥の部屋に消えていった。そして、少し時間が経つとサーモンピンクのラフなワンピース姿で出てきた。

「ねぇ、春樹(はるき)、お待たせ。そういえば何か飲む?」

美加すでに僕の名前を呼んでいた。歩いてくる途中で簡単に自己紹介をしただけなのにそういわれると、僕はちょっとびっくりしてしまった。

「なぁに?何か変なの?」

僕はとっさに言った。

「初めて会ったのに名前だけで呼ぶのはどうかな、っと思って」

「あなたのフルネームって村上春樹じゃない、それなら春樹って呼ぶのが自然じゃないかなって思ってね」

そういうや美加は舌をぺこりと出して愛想を振りまいた。もうすでに初めて出会った関係と
言うよりも、何年もつきあっている恋人のようにも見えてしまう。

「じゃあ、僕も美加って呼んでいい?」

「ん〜、そうね。中野さんってのも他人行儀だし、美加でいいわ」

「じゃあ、美加。冷たいものあるかな?」

「了解。ちょっと待っててね」

そう言うと冷蔵庫から紅茶の大きなペットボトルを取り出しコップに注ぎ始めた。ソファーの前にあるローテーブルの上にゆっくりと置くと、僕の隣に美加は座って来た。

「ねぇ春樹、さっきここに来る道で話をした幻の話なんだけど、また聞かせてくれるかな?」

美加は電車の中で僕が見た青白い人影の話をまた聞きたいと言って来たので、また例の話を僕からした。

「ふ〜ん。そうなんだ。私に乗り移ってから脚を組んで携帯で乗っ取ったの文字を見せるってね。私はそんなことした覚えないなぁ。やっぱり幻よ。私が春樹を誘ったのってその男の仕業じゃなくて、私が単に今日結婚した二人の出逢い方と似ていたので、思い切ってあなたに声をかけてみたってわけ」

僕があんなに悩んでいたのに、あっけらかんに取られてしまった。美加からそう言われると、青白い人影を見たことは全て幻だったようだ。心のモヤモヤが無くなりすっきりとした。
「そういえば、今日は結婚式の帰りだったんだよね」

テレビで台風ニュースを見ている美加に言うと、視線はテレビ画面に釘付けのまま口を開く。

「そうよ。新婦がちょっとした知り合いだったから披露宴だけは出席してきたの。よかったんだけど、食事があんまりおいしくなくってね。二人の紹介があるんだけど二人の出逢いって、電車の中だったのよね。それも、隣に座っていて彼が降りようとした時に、いきなり一緒に降りないって彼女が誘われたんだって、ここを読んだ私が、さっきはお酒の勢いもあって春樹を誘っちゃったってわけ」

そういいながら美加は僕に結婚式の式次第にある二人の紹介を見せてくれた。この紙をよく見ると席次表も載せてあり、出席者すべての名前が掲載されていた。

「お酒飲んだの?そうは見えなかったけどなぁ。席次表を見ると美加の席のテーブルって、女性しかいないように見えるけど」

「お酒に弱いからちょっとだけで酔っちゃうの、同じテーブルに格好いい男でもいれば春樹と出会えなかったんだね」

そういう彼女はなぜか微笑ましく見える。しかし、次の瞬間驚く名前が席順の中に含まれているのに気づいた。

「田所晋作?一体これって?」

僕の驚きに美加がすぐに気づいた。

「えっ?さっきの幻の名前があるの?」

「美加のテーブルと隣の席で、位置的には美加が見える場所に座っていたんじゃないかな?」

「ん〜と。よく覚えてないけど、そこに男の人が座っていたのは確かよ。これってただの偶然じゃない?」

彼の名前を見つけた僕は、美加を制止して見ることができなくなってしまった。幻と思っていたことは、やっぱり現実に起こったことなのかも知れない。隣にいる美加が本当の美加なのか、はたまた疑心暗鬼に陥っていく僕がそこにいた。


ep3

台風が本州に上陸しそうな夜、電車の中で結婚式帰りの美加に誘われて彼女の家に来ている。僕こと村上春樹は電車の中で幻を忘れようとしていたが、結婚式の席次表に残る文字を見て、再び心の中に葛藤を感じていた。ソファーの隣に座っている美加の顔が、姿をまともに見ることができないくらいに動揺している。

ピンポーン

部屋の中でテレビの台風ニュースが流れる中、突然インターホンが鳴り響いた。美加が来客モニタを確認すると、一人の女性が立っている。見ればどうやら美加の友達のようだ。オートロックを解除してしばらくすると玄関の向こうから青いパーティードレスに包まれた美加の友達が入って来た。

「初めまして、美加の友達で香坂未来(こうさかみく)って言います」

彼女は僕を見るや挨拶をして来る。ドレス姿で会釈をする彼女の胸の谷間に思わず釘付けになってしまった。彼女はパーティードレスのままダイニングテーブルの椅子に脚を組んで座ると、長いスリットの入ったロングスカートからは美脚が覗き見えていた。

「名前はあの有名な作家と同姓同名な春樹さんよね。さっきメールで連絡もらったんだけど、見た目はまず私のタイプにぴったり!結婚式の2次会が終わったら美加の家に泊めてもらうことになってたんだけど、私にチョーぴったりな男を見つけたってメールをくれたから本当にびっくりしちゃった」

挑発するような仕草と言葉にすでに理性を失っていた僕、美加のことを疑心暗鬼していることも忘れ、未来の姿に見とれてしまった。

「あら春樹ったら、もしかして未来に惚れたの?あなたが私の隣に座っていた時にね。未来にいい男がいるってメールしてたんだ。私のタイプじゃないけど、あなたのタイプよねって。未来が来ることわかっていたから、私の家に誘えたら誘ってみようとも思ってたの」

その後、しばらく未来は僕の顔を見つめながら個人的な質問をバシバシぶつけてきた。僕がそれに答えるたびに彼女の好感度が上がって行き、僕も隣に美加がいることも忘れそうになるほど彼女のことを好きになり始めていた。

「ねぇ未来。そろそろリラックスした格好にならない?いつまでもドレスってわけにはいかないでしょ」

話の途中で美加がそう切り出すと、二人で一緒に美加の寝室へと入って行き、未来は普段着は持って来てはいるが部屋着は持ってこなかったので美加の服を借りることにした。二人が着替えのために寝室にいる頃、リビングでは僕が一人残されて台風のニュースと対峙していた。そろそろ台風が本州を明日の朝にかけて通過する。それは僕にとって大事な時間でもあるということがなんとなくわかっていた。。

5分ほどしただろうか、台風がちょうど本州に上陸しはじめたと中継が入ったところに、寝室から出てきた二人、すでに部屋着に着替えていた美加に変化は無いが、未来は白のTシャツとピンクのホットパンツ姿、ホットパンツの下からは未来の美脚がほっそりと伸びていた。さっきまでふわっと自然に広げていた茶色い髪は一つにまとめてヘアゴムで結んでいたので、まるで別人と会っているような感覚にも陥ってしまう。

「ねぇ春樹。私からお願いがあるんだけど」

寝室から出てきた美加は僕にそう言った。

「お願いって?まずは聞くだけ聞いてあげるよ」

「さっき、着替えながら未来と話したんだけど、今日はここで泊まって行ってくれないかなって思って、二人で過ごそうと思ってたけど、外は台風が通過するって言うしなんだか人恋しくなるじゃない、三人でいようかと思って」

「ん?僕もそろそろ帰ろうと思っていたんだけど、外は思ったよりも台風の影響を受けているみたいで、もう外に出るのは厳しいかなって、二人がいいならここに泊まって行ってもいいよ。僕はソファーで寝るから」

一応僕は帰ろうと思ってたと二人には話してみた。初めて会ったときから男と女の関係をわきまえないようでは、男として格好悪いと思ったからだ。僕がここに泊まってもいいと言うと喜んでくれたのはもちろん未来の方だった。

「一緒にいてくれるの?ねぇ、美加。私の言った通りでしょ。今日は三人で朝まで過ごすってことにしましょ」

「私の負けね。春樹ったらよっぽど未来のことが気に入ったみたい、じゃあ、未来との約束通り私の寝室を使わせてあげる。私はここに布団を広げて寝るから、二人でごゆっくりして行って」

「ありがとう、美加。いきなり春樹と一緒に寝られるなんて夢か幻のようだわ」

「おいおい、僕の意見も無く二人で勝手に決めないでよ」

僕はそう言いながらも、未来と一緒に寝室を使わせてもらえることは嬉しかった。ただリビングで美加が一人で寝ると言うのも何か釈然としないことだった。家の主人を差し置いてゲストの二人がいいところで寝るというのはどうだろうかと思ったからだ。

「あっ、春樹。そういえば、さっき美加からメールで幻を見たって聞いたんだけど、その幻が本当だったら、美加を一人にするわけにはいかないんじゃない?」

未来は僕に幻のことを思い出させるかのように話をしてきた。

「えっ、どうして?」

「だって、春樹の見た幻が本当なら美加が一人でいる時は、その男の本性が現れるんじゃないかなってね。ねぇ美加、どう思う?」

「そうねぇ。春樹が見たのは幻だから、そんなことあり得ないけど、私が男に取り憑かれているんだったら、その男は私の体で遊ぶだろうね。たとえそうなっても私にはどうすることもできないけど、でもオカルト好きのあなたならおもしろいかもね」

「美加ったら、それは言わないでよ。心霊現象とかに興味はあるけど、映画やドラマで起こるようなことが現実にあればちょっとは体験してみたいと思うだけ」

「二人ともいい加減にして、とにかく僕と未来が寝室で寝て、美加はリビングで寝るってことでいいよね」

「は〜い」

二人をなだめるような口調で言うと美加と未来はきれいなハーモニーがリビングに響いていた。


ep4

台風が近づく中、三人は眠ることにした。僕は未来と同じ布団を共有したが特に何事も無く未来は深い眠りへと入っていった。そして、窓ガラスに強い風が吹き付ける真夜中、あまりにも大きな物音がしたために目覚めてしまった。リビングを確認するとそこにはすやすやと眠る美加の姿がある。未来が寝る前に言ったように誰かが取り憑いているとすれば取り乱した姿をしているはずだが、そんなことは別に無かった。

安心して、寝室に戻り再び寝ようしたその時、僕の目には見えて欲しくないものが見えてしまった。それは寝室の壁に映る青白い人影だった。僕は驚きのあまり身動きが取れなくなってしまった。僕が寝ぼけているわけではない、眠いことは眠いが目の前には田所晋作の人影が漂っていたのだ。

「また会ったな」

『幻なんかじゃなかったのか、お前の正体は一体誰なんだ?今までどこに行っていた?』

「お前に言わなかったか?電車で隣に座った姉ちゃん、中野美加の体を乗っ取ってたんだけど幻を信じないお前にはわかんないだろうな」

『それは本当か?』

「友達の香坂未来も気づかないくらいだからな、お前がわかるわけないよな。とにかくこれからがお楽しみの時間だ。今度は未来に取り憑いてやろうと思ってる」

『未来にか?それは許せない!』

「許せないって、誰のお陰でカップルになったのかわかってるのか?美加を操って俺が未来と会わせたのがかなり大きいんじゃないか?お前の彼女になりたての未来を少しぐらい乗っ取ったくらいで、何が変わるってんだ?」

『だって、どうせお前は未来の体をもてあそぶだけじゃないのか?美加が紹介しなくても未来とは出会えたかも知れないじゃないか』

「お前のように若い奴はいいよな。将来に希望を持っている。実は俺の命は残り少ない、医者からもって1ヶ月だと宣告されている。人生の最後に未体験のことをやってみたくて、ついに特別な薬を手に入れたってわけさ」

『余命1ヶ月?ってことか?諦めないで奇跡を信じることはできないのか?そもそもこの薬だって奇跡そのものを起こしてるじゃないか』

「まぁ、そうかも知れんし、そうじゃ無いかも知れん。とにかく俺はあと1ヶ月の間、ちょっと好きにやりたいと思ってる。自分の持っていた全財産をはたいてこの薬を手に入れたんだ。知り合いの結婚式に出席すれば、若い女性だっているはずさ、俺は人生の最期に若い女性として恋愛してみようと思ったんだ」

青白い人影は何か寂しげな表情を見せていた。

『よくわかんないけどあんたって自分勝手なんだよな。まさか、未来に取り憑いて僕と付き合おうとしてるのか?』

「そういうことだ。俺的には乗り移るなら美加の方が好みなんだがお前に興味は無いらしい、二人の好みは全く違うからな。とにかく残された時間は少ない、いずれにしても台風が過ぎ去らないうちに誰かに乗り移る予定だ。最期ぐらいは恋愛でもしたくってな」

『あんたって誰かと付き合ったことあるのか?』

「実は50年以上生きてきたが、未だに誰とも経験は無い、だからなのか女性として愛されてみたくて、結婚式の披露宴で実加って女を見つけたわけだ。未来という友達が現れるなんて思ってもなかったがな」

『未来に黙ったまま乗り移ってもなんともないのか?』

「それなら心配ない、俺はこう見えても紳士だからな。さすがに黙っまたま1週間も体を使わせてもらうわけにはいかないからな、とりあえず話をして乗り移るよ」

『まさか僕に未来を起こせと言うことか?』

「そうしてくれなければ黙って取り憑くぞ」

『わかりました』

僕は隣で寝ている未来をゆすり、目覚めるように揺り動かすと未来がムクッと起き上がった。

「こんな夜中に何なの?」

「起こしちゃってごめん。未来、実は……」

「もしかして、噂の晋作が出てきたの?」

「えっ?どうしてそれを?」

「さっきからなんとなく気配を感じてたのよ。春樹って霊感強いって言ってたけど、もしかして私にも見えないかな?」

未来はそう言ってさっきまで僕が見つめていた壁を見た。

「やっぱり、私にも見えるわ。どうやったら話ができるの?」

「ただ思うだけでいいし、向こうは普通の話声も聞こえるから大丈夫だよ」

「じゃあ、田所晋作さんですよね。同じ結婚式の披露宴に出席してましたよね」

「よく知ってるな」

「だって披露宴の途中でトイレに行った時に先に帰って行く姿を見てました。変な人だなって、途中で披露宴帰るなんてよっぽど忙しいのかなって思っていたもの」

「そこまでしっかり見られていたとは気づかなかったな、それにしても俺の姿が見える二人がカップルになるなんて、なんだか奇妙な感じだ」

「美加からもらったあなたのことがメールに詳しく書いてあったから、幻じゃなければ会ってみたかったの、こうみえても大学院生の今でもオカルト研究会に入っていて……」

「よく喋るね。そんなことは俺には手に取るようにわかるから黙っていてもいいよ」

「やっぱりそうなんだ。じゃあ私を乗っ取ったりすることもできるの?」

隣にいる未来はどうやらかなり興奮してきたらしい。

「なぁ、未来。あいつは本気だぞ。お前の体に取り憑きたいなんて言ってる」

「えっ、そうなの?」

「そうだって、いかにもそんなことしそうな顔じゃないか?」

「それって言い過ぎじゃない?男性だったら一度は女になってみたい気持ちがあるものじゃないの?」

未来の言う言葉に僕はさらに驚いたが、僕は急激な眠気に襲われてしまった。二人の会話が続いているのを横目に眠りについてしまった。

「晋作さん!未来の体で良かったら1週間くらい乗り移っても大丈夫だよ。交換条件として、晋作さんに未来を代わってもらうんだから、いつもの未来かそれ以上の未来を演じてね。そして、何をやったのかは私のダイアリーに記録しておいてね」

「お嬢ちゃん、いいのかい?」

「だって、残り少ない命だって美加から聞いたから。余命少ない人のためなら私の1週間を捧げるくらいの犠牲を払ってもいい、愛に包まれて人生を終えて欲しいし。もちろん変なことしないよね」

「あぁ、わかってるよ。そもそもこの薬は公の場では肉体の制限を超えることができないんだ。変なことには使わないってことだけ約束する」

「じゃあ、契約成立!もしかして、春樹を眠らせた?」

「そうだな。春樹にはちょっと眠ってもらった。俺たちが話をしたことも幻を見たんだって後で言っておこうと思ってな」

「そうよね。春樹にはこのことを黙っておいた方がいいよね。じゃあ、晋作さんに1週間だけ体を捧げます」

晋作は未来の口から入り込むと、未来の体を乗っ取ることにあっと言う間に成功した。明日の朝に目覚めると未来としての1週間が本格的に始まるが、まずはゆっくりと寝てからにしよう。外では風と雨が強くなる中、春樹の隣で晋作が取り憑いている未来の体は興奮を抑えながら再び眠りにつき始めていた。









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