シークレットルージュ

作:夏目彩香(2015年12月28日初公開)



一 とある計画

あれはドライブデートを始める数時間前のこと、友利忠成(ともりただなり)と緒方翔太(おがたしょうた)は小峰奏衣(おみねかなえ)の家の前に来ていた。新築の一軒家の前に愛車を停車させると、助手席から翔太が降りて門構えにあるインターホンを鳴らした。そこに奏衣が白のTシャツにジーパン姿でスニーカーというラフな出で立ちで現れたのだ。

「よっ!翔太。用があるって何なのさ?」

友利と翔太と奏衣は二十五歳の同い年だった。最初に勤めた会社で一緒になって知り合ったのだが、奏衣は先に会社を辞めてしまった。その後、友利と翔太は同じチームで仕事をしていたものの、翔太も辞めてしまった。それでも三人はずっとつきあい続けて来たのだ。

三人で一緒にいるときの奏衣は男まさりな印象が強かったので、なんだか男同士のグループといった感じだったが、なんとなく三人でよく会っては会話を楽しんだり、買い物をしたりしていたのだ。しかし、奏衣はやはり女性なわけだが、女性らしくない面ばかりをみてきたのだ。

そんなこともあって、友利と翔太が二人きりであった時に、奏衣を女性として見たならば好みかどうかを話したことがあって、友利が絶対に好みだと断じて疑わなかったのだ。そこで、翔太の知り合いの助けを借りることによってとある計画を立ててみたのだ。

そして、今日から週末の三連休が始まることもあって、予め計画していたことを実行することとなったのだ。ボーイッシュないで立ちの奏衣を見るたび、女の色気なんか全く感じることがなかったのだが、これから行おうとしている実験のことを考えると友利と翔太の緊張感は高まっていた。とにかくここでまずは友利の車に乗って翔太の家に来ないことには何も始まらないので、ここが一番大切なやりとりだった。この時、友利は愛車の中で翔太と奏衣が一緒にやって来るように心から祈っていたのだ。

「おっ、奏衣!お前に是非とも見せたい物があるんだ。今から俺んちに来ないか?」

翔太は言いながらも若干声を震わせながら言い始めた。

「はっはぁん。あんたらと遊んでいるほどワタシは暇じゃないわよ」

どう見ても家でのんびりとしている様子なのだが、さすがに一言でオーケーをするはずはなかった。すると翔太はすかさずある紙をポケットから取り出した。

「じゃあ、俺んちに来たらこのチケットをただでやるってのはどうだ?」

翔太は奏衣にヒラヒラとチケットを見せびらかせていた。

「それは一体、何のチケットなんだ?」

翔太の動きが奏衣の心を少し揺れ動かしたようで、彼女からのひとことを誘ったようだ。

「何を隠そう、お前の大好きなテコンドーのタイトルマッチ、世界チャンピオンシップの特等席なんだよな。これを入手するためんはなかなか苦労したんだぜ」
「あっ、それってまさか来週の土曜日に行われるっていう例のやつなのか?」
「あぁ、そうだぜ。どうだ?来てくれる気になったのか!」
「本物だろうな。チケットを確認してもいいのか?」

奏衣は手に取るとチケットの内容を隅々まで念入りに確認し始めたいた。

「本物だって、なんたって偽装防止用にホログラムまで付いているプレミアムチケットだからな」
「あ〜、さすがにこれは参ったわ。翔太の家に行ったらこれをくれるんだよな。約束したからな」

翔太はチケットを取り戻すと、奏衣の背中をポンと押し友利が待っている車に誘導していた。

「じゃあ、友利の車に乗ってくれ」

奏衣はまるで催眠術にかかったかのように友利の愛車の助手席へと座り、友利と一緒に翔太の家へと向かったのだった。



二 紙袋

古びた二階建ての一軒家、ここは翔太の家だ。古びたと言ってもしっかりとメンテナンスをし続けているので、特にガタが来ているわけではなく古さを感じない感じがした。翔太と奏衣が家の中へと上がって行ったので、脱ぎ捨てられた翔太と奏衣のスニーカーと一緒に友利は玄関で待っていたのだ。そして、翔太が自分の部屋に奏衣を連れ入れた。

「ここが俺の部屋だ」
「見せたいものって一体何なんだ?」

奏衣は雑ながらもキレイに片付けられている部屋に入ると、さっそくその一言を翔太にぶつけていた。部屋の隅で何かを物色するような素振りをすると、その隅に置いておいた紙袋を手に取り奏衣に手渡したのだ。

「実はこれなんだけど」

奏衣が紙袋の中身を見てみると、そこにはバイオレットのブラウスとライトブルーのタンクトップ、それにオフホワイトのヒダミニスカートに加えて、淡いサーモンピンクのピンヒールやそれにショルダーバックや化粧ポーチまで揃えられていたのだ。

「一体これは何なの?」
「何と言ったらいいかな。単刀直入に言うと、これをお前に是非とも着てもらいたいと思ってるんだ。きっと似合うんじゃないかと思ってね。友利からのプレゼントとでも言えばいいのかな」

翔太は奏衣にありのままを伝えたが、なんだか心の奥底からゆっくりと怒りが湧いて来たようで、顔を赤く膨らませていた。

「えっ?何でワタシがこんなのを着なくちゃならないのさ。それに、お嬢様みたいな格好をするなんてあんたたちの前でできるわけないでしょ」

さらに奏衣はまるでジンマシンでも出て来たかのように気持ち悪いという表情を浮かべていたのだ。そのまま袋を翔太の机の上に置くと、部屋から出ようとしたのだが、翔太は奏衣の手を掴んで部屋の中に引き止めた。

「まぁ、そうだよな。お前が着たくないっていうのも最初から分かってるさ、プレミアチケットが交換条件だとしてもダメだっていうならこれを使ってみるだけなんだ」

すると翔太は机の上に置いてある、小さなプラスチック製と思われる小瓶を手に取っていた。化粧品のサンプルを入れておくような、直径二センチ弱で高さが五センチに満たないサイズの透明な円筒形の小瓶だった。

「奏衣が素直に着てくれるっていうのならこの小瓶を使う必要は無かったんだけど、ここは強硬手段を取るしかなくなったので、悪く思うなよ」

そう言って小瓶の蓋を回して開けると翔太は何やら呪文のようなものを唱え始めたのだ。

「カンジャラ、ナンジュル、ダンジョロ、クククク、カ・ナ・エ!パックン〜ダッ!」

すると奏衣の身体は服を着たままの状態で急激に小さくなり小瓶のサイズよりも小さくなってしまった。そして、そのまま小瓶の中へと吸い込まれて入ってしまったのだ。翔太は奏衣が中に入ったことを確認するとすぐに小瓶の蓋を閉めて、まるでバーテンダーがカクテルを準備するかのように瓶を振ってみせたのだ。

「えっ!?何なんだよこれ?」

不思議なことに瓶を振っても中にいる奏衣は、瓶の底の上にしっかりと立つことができていた。どうやら小瓶の中は外気を交換しているようで息苦しさを感じることも無かった。

翔太は右手の親指と人差し指で小瓶を挟みながら持って小さくなってしまった奏衣を見つめていた。神秘的ではあるものの本当に小さな奏衣はまるで標本のようだった。

「大変良くできました!実はこの小瓶はただ単に人を小さくして閉じ込めるだけじゃないんだよ。中に閉じ込められても中の空間はまるで森の中で癒されるかのように快適な空間として保たれているんだ。苦痛を与えることが無いようにきちんと作られているんだ」

そう言うと、翔太は小瓶を指に挟めたまま姿見の前に立った。さらにはこの小瓶の蓋の上にある凹凸に、まるでブロックを嵌めるかのよう幾つかのパーツを取り付け始めていた。そのためパーツの分だけ高さが増したのだ。このパーツの一番上にはツルツルとした黒いパネルがあって、そこに翔太は自分の親指を当ててほんのわずかな時間だけ待ったのだ、すると翔太の身体が一瞬ピカッと光り輝いたのだった。



三 女性らしく

「やった!やっぱり、成功したんだ!」

姿見の中には左手でガッツポーズを決めている奏衣の姿が映し出されていた。そして、右手の親指と人差し指の間には小瓶がしっかりと挟められたままだった。もちろんその中には小さくなった奏衣が閉じ込められていた。

「実はな、姿形だけが奏衣になったんじゃないぞ。小瓶の中に入っている奏衣から記憶を読み取ることができる上に、本物のお前よりも女らしさがアップしてるんだ。それは、小瓶の上に追加した女らしさを強化するパーツの働きによるものだ。さらには指紋認証パーツによって予め登録している指紋を持つ者だけが、小瓶の中に入った人物を自分の体にコピーすることができるってわけだな。さらに小瓶の人物から記憶を読み込めるから、他人からは気付かれることがないようにまるで本人のように振る舞うこともできるんだ。そして今回はさらに女らしさが自然とアップするように機能を加えただけでなく、友利のことが大好きになる感情をつけ加えるパーツまで追加しておいたよ。要するに奏衣本人よりも今のワ・タ・シの方が断然!友利の女として一枚も二枚も上手なんだよね」

奏衣の姿をコピーした翔太はさっそく翔太として身につけていたグレーのTシャツとジーパンを脱ぎ捨ててた。奏衣が翔太のトランクスを身に付けているという状態になっていたのだが、さっそく机の上に置いてあった紙袋の中から下着を取り出し身につけ、新しい衣装を取り出して身につけていったのだ。姿見の前を見てみると、そこには今までに見たことのない奏衣の姿が映し出されていた。さらに化粧ポーチから化粧道具を取り出すと、みるみるうちに化粧を施していつものボーイッシュな奏衣とは全く違う、ガーリッシュな奏衣が現れたのだ。翔太の家に着いてからまだ十分も経っていないのに出かける準備までできてしまったのだ。

「これで、どうかしら?」

小瓶を手に取り、中に入っている奏衣に話しかけてみた。

「普段のアナタからすると、まるで女装の女と言ってもいいくらいよね。でもね、せっかっく女として生まれたんだから、女性らしさを武器にした方がね。やっぱり可愛いと思うのよ」

小瓶の中にいる奏衣は変わり果てた自分を見てビックリしているようだった。こんなに女性らしい自分の姿を見るのは自分でも稀となってしまっていたからだ。

「ここから先は小瓶の中身が外から見えるとまずいので、こうしておくわね」

さっき親指を当てた場所に人差し指を当てると、小瓶は外からは半透明となり中身がボケて見えにくくなってしまった。

「中からは外が見えるようにしてあるし音も聞こえるわ。小瓶の中は快適な空間になってるんだから、しばらくおとなしくしていてね。カ・ナ・エ・ちゃ・ん!」

そして、翔太の部屋でまだ未使用の淡いサーモンピンクのピンヒールを除いて翔太の扮する奏衣は完成した。小瓶をショルダーバックの中にしっかりと入れて友利の待つ玄関へと、ピンヒールを手にゆっくりと降りて行った。



四 女装の女

「お待たせ〜」

バイオレットを基調とした花柄のスルーブラウスに、サテン生地でできたオフホワイトのヒダミニスカートに身を包んだ奏衣が玄関に現れた。

「やっぱりなぁ。奏衣の女子力全開のミニスカート姿、想像していた通り似合ってるぜ。俺の思った通りだったろう」

そんな友利の話は聞いていないと言ったばかりに、奏衣は淡いサーモンピンクのピンヒールに足を通すことに夢中になっていた。立つとほんの一瞬バランスを崩しそうになったものの、すかさず友利が支えて倒れることはなかった。

「あっ、ありがとう」

奏衣は支えていた友利の手を取り払い、玄関の中でコツコツと甲高い音を響かせながら試し歩きをするかのように動いていた。一周、二周したところでバランス感覚を取り戻したようで、床に置いていたショルダーバックを左肩にかけると、普段とは全く違う雰囲気が浮かび上がっていた。

「ヒール姿なんて見たことなかったけど、奏衣もさすがに女だよな。ちょっと歩くだけでバランス感覚が蘇って来るんだからこれこそ女子力というものなのかな。たいしたもんだぜ」

なんと、奏衣の口からはその姿からは似つかぬような言葉が飛び出して来たのだ。

「おいおい!その姿でその言葉遣いはないだろ!外に出たら絶対に気をつけるんだぞ」

それを聞いた奏衣は、ハッとした表情を浮かべたかと思うと、両手をゆっくりと広げて深呼吸をして気持ちを整え直した。

「あはははっ、私としたことがはしたないわよね。ごめんなさい。これでいいかしら?」
「なんか変な感覚だけど、奏衣はそこまで女言葉を使わないかも。まるで女装している女みたいだ」
「あ〜ん。そんなこと言わないでよ。私はただ友利くんの要望通りにしてるだけなのよ」

奏衣はそう言ってウインクまでサービスしていた。

「男勝りが女子力を取り戻したらどうなるかというコンセプトで、俺たちが一緒に実験を始めることになったけど、まずは上々のすべり出しといった感じだよな。じゃあ、ここからは実際にデートしながら女装の女が解き放つだろう魅力とやらを観察することにしようか」

友利と奏衣は玄関から外に出ると、サテンブルーマイカメタリックが眩しい友利の愛車に乗り込んでいた。奏衣が助手席に腰を降ろす時にはお尻を軽く撫で上げるようにして、ヒダスカートの裾をゆっくりと引っ張りシートに落ち着かせていた。二人がいつも知っているような普段の奏衣からは、まるで想像することのできない姿、なのでそれを見るだけで友利の心はドキッとしてしまった。せっかくなので彼はカーシートに座っている奏衣のワンシーンをスマホのカメラで切り取っておいたくらいだ。

助手席のドアを閉め、運転席に座ると助手席から爽やかな柑橘系の香水の香りが友利の方まで漂って来ていた。友利が目をやるたびにスカートからチラリと見える太ももによって彼の心臓はドキドキとしていた。確かに姿形は奏衣ではあっても冷静に考えるとこの中身は親友の翔太なのだ。翔太によって醸し出される女子力にすっかり魅了されてしまい、まるで彼だと考える方がおかしいくらいなのだった。

「じゃあ、行きましょうか!」

奏衣の甲高い声が車内に響き渡ると、友利は愛車のエンジンを高らかに鳴らした。いつもよりも調子のいいエンジン音が鳴り響き気持ち良く目的地へと出発したのだ。

「こういう形なんだけど奏衣とデートするのは変わりないからな。お前の役割は重大なんだぜ、ここからはさらにその女子力とやらに磨きをかけてくれよな」
「えぇ、わかったわ。だって私はなんと言っても素敵な女子なんですもの……」

すると奏衣は脚を組み換えて、バックの中から小さなポーチを取り出し、コンパクトを手に取るとファンデーションからやり直していた。化粧っ気のない奏衣だけに、この化粧道具は友利が妹の助けを借りつつ自腹で用意したものだった。そもそも奏衣が化粧をしているということ自体、この二人にとっては奇跡的なことにも思えるのだ。愛車のギアを入れアクセルを踏み出すと、二人きりのドライブデートがいよいよ始まった。



五 ギアチェンジ

友利たちはデートスポットとして有名な橋を渡り始めていた。彼が助手席に視線を移してみると奏衣は自分の美脚を組み替えていたのだ。窓から中へと取り込まれる風によってバイオレットのブラウスが揺れ、ショートボブの髪を左手で整えている様子を見るだけでも、普段は見たことのない奏衣の姿を見ることができたのが良かった。奏衣が女性ならば絶対に好みのタイプだと言っていた頃でも、ここまで色っぽい姿を見せてくれるとは思ってもいなかったのだ。ここでやっぱり一歩踏み込んでみようと彼の口が動いた。

「なぁ、これから奏衣のことをカナって呼んでもいいか?」

トップギアに入れ替えながら友利はさらっとした空気のように奏衣に伝えた。

「もちろんいいわよ!私も友利のことをトモくんって呼ぶから……いいわよね」

友利はフロントガラスの方に視線を注視しながら時々助手席に目をやっていた。ここでも翔太が奏衣を演じ続けているはずだが、ここからはいっそのことそんなことを考えないで、奏衣と一緒にデートしているのだと考えてしまいたいと友利は思っていたのだ。

「ねぇ、トモくん」

奏衣として急に友利の名前を呼んだので彼は少しドキッとしてしまった。エアコンの冷房は切っているはずだが車内の空気は二度ほど下がった気がしたほどだ。

「あのね、この橋を渡りきったところにあるパーキングに停めてくれないかしら?まだ翔太としての気配が残ってる感じよね。ここから先はこの翔太としての気配を完全に消してみたいと思うのよ。翔太が奏衣として本気になるために準備する時間としたいのよね。ちょっと休憩させてくれるかな」

奏衣として本気になりたいということ、翔太も友利と同じことを考えているのは確かだった。どうしても奏衣を見ているのに翔太がダブって見えてしまうので、いつまで経ってもお互いにとって変な緊張感が続いているようなのだ。

「わかったよ、カナ。俺もできるだけお前のことを翔太だなんて思わないようにするから。その錯覚を誤解として解いてくれよな」

そう言うと奏衣はほほ笑みを浮かべていた。

「ありがとう。きっとここからはそんな心配をしなくても大丈夫よ。トモくんに私を捧げようと思ってるし、ボロを出さないようにするにはもっと自分に素直になることだと思うのよね。そうすれば私もリラックスできるし、これから何でもできるようになるわよね」

長い橋を渡りきると橋の全景をきれい見ることのできるパーキングがあるので友利は愛車を滑り込ませていた。そして、なぜか橋の全景をきれいに見えるスポットの近くでは無く、できるだけ人から見られない場所を見つけて車を停めると、パーキングにギアを切り替えた。



六 シークレットルージュ

パーキングエリアへと愛車を停めると、友利たちはシートベルトを外して座席の背もたれをめいっぱいに押し倒した。車内空間が一気に広がると、奏衣は化粧ポーチの中からとっておきのルージュを取り出した。奏衣が密かに隠していた女らしさにはアクセルがかかり始めていた。ほんのり淡く目立たないピンク色を口に纏って、どうやら戦闘準備を整え始めたのだ。

「私のとっておきの一品、シークレットルージュって勝手に名付けているんだけど、私の母が結婚式の日に使ったものと同じモデルよ。母のとっておきを私が引き継いだってわけ、これは大切な人と付き合う時に使いたいと思ってたんだ。こんな秘密まで私は知ることができたのよ。私としての記憶によって私らしさを引き出したのよ」

奏衣は待っていたかとばかりに友利に抱きついて行った。友利と奏衣のボルテージは一気に上がるしかなかった。友利はさらに力強く何も奏衣を抱き締めていた。お互いの唇を重ね合いながらお互いの温もりも感じていた。唇だけでは飽き足りないのか、口の中にお互いの舌まで入ってまるで舌がとろけそうになっていた。それこそが、翔太の言っていた奏衣の正体を忘れるための行為なのだ。

「女の子らしいカナって、本当に可愛いよ!」
「そうかしら、トモくんのためなら私はもっと女らしさを曝け出したいのよ」
「女装してる女だなんて馬鹿にしてゴメンな」
「だってしょうがないわ。私がずっと意地を張っていて男勝りなフリをしてたんだもの。これからはトモくんの女なんだから自由にしいいのよ」

二人のボルテージはすっかり絶頂に向かっていったのだが、友利はここで一旦動きをゆっくりしつつ止めた。二人は抱き合うのをやめると奏衣の表情から翔太を窺わせるものが何一つ無くなっていたのだ。

「こんな場所で続きはできないから、そろそろ目的の場所へと行こうか?」

すると奏衣は何の不満も言うことなく、首をただ縦に振って返事をしていた。



七 ホテルに着いて

吹き抜けの高い天井が印象的なホテル、ここに友利と奏衣は到着していた。チェックインを済ませると、食事をするためレストランへと向かうことにしていた。奏衣が歩くたびにこの大空間に甲高い音が鳴り響いた。この音はまるで二人の心臓がドキドキする興奮状態を演出するかのようだった。いつもはスニーカー姿の奏衣しか記憶に無いので、九センチもあるヒールは本来の奏衣なら履きこなせるわけがないように思えた。しかし、小瓶に追加パーツとして女らしさを加えたことによって無理なく履きこなしているようだった。

「あっ、ここでいいよね」

ホテルの中にあるレストランでも一番高級そうな場所の前で友利は軽く立ち止まったかと思うと、メニューを見ることもなくすぐに奏衣を中へと通していた。

「予約しておいた友利です」

案内の女性が出迎えると友利は予約していることをその女性に伝えていたり

「ようこそ、お待ちしておりました。友利様でございますね。ご要望に応じまして眺めのいい席をご用意させていただきました。では、こちらへどうぞ」

三十代前半に見える女性の案内について行くと、半個室となっている落ち着いた空間へと通された。

「この部屋でよろしいでしょうか?ここからですと天気がいい日には海の向こう側に、富士山の姿を眺めることもできるんですよ」

案内してくれた女性がいなくなると、半個室の中で二人きりとなっていた。

「どう、気に入ってくれたかな?」

外には夕日が沈もうとしている風景が広がっていたのだが、この目の前にある光景に奏衣は喜びを通り越して言葉を失ってしまったようだ。

「私のためにここを用意してくれたの?」
「そうだよ。それに……」

友利は奏衣のショルダーバックの中から小さな小瓶を取り出してテーブルの上に置くと、もう一つパーツを加えたのだ。

「じゃあ、右手の小指でここをタッチしてくれるかな?」
「えっ?また何か付け加えたの?」
「これからカナと一緒に一泊するんだからな。このパーツがあればお前がもっと楽にカナを演じられるってわけなのさ。とにかく何か問題が発生するものでは無いから試してくれないか?」

友利がそう言って促すと奏衣は小瓶の上に加えたパーツの上に小指をそっとタッチしたのだ。奏衣の身体が一瞬光り輝いたかと思うとすぐに元の状態に戻った。

「あれ?トモくんったら、何も変わらないみたいよ?」
「本当?何も変わっていないと思うか?ものすごく大きな変化があったんだけど、気づかないなんて良かったよ」

横並びで座っている二人の距離感、それがさっきよりもぐっと縮まったことに奏衣はまだ気づいていないようだった。

「ごちそうさまでした!」

奏衣は満面の笑みを浮かべてからフォークとナイフを置いた。小瓶に追加したパーツによって奏衣はテーブルマナーもしっかりと守ることができた。友利は一緒に食事をしながら、普段の奏衣からすると絶対に見せることの無い優雅で可憐な姿、たくさんの奏衣の様子をスマホの中に納めていた。

「カナのおかげでこうやってデートできることに感謝します」

そう言って友利は直方体の箱をさりげなく取り出すと、奏衣の目の前に差し出していた。

「あら?何なのこれ?中を開けてみてもいいかしら?」
「もちろん!気に入ってもらえると嬉しいんだけどね」

奏衣がケースを開けてみると、その中には金色のチェーンが眩しいネックレスとブレスレットにアンクレットが一緒に納められていた。

「まさか、これってトモくんから私へのプレゼントなの?」
「もちろん、そうだよ。今のカナならとっても似合うと思って準備しておいたんだ」
「わぁ、嬉しい!まさかこんなプレゼントが用意されているなんて思ってもいなかったわ」
「カナの喜ぶ姿を見られるんだから、俺のとっておきのプレゼントをまた後で受け取って欲しい。」
「ありがとう。トモくん」

そう言って奏衣の唇は友利のほっぺたに急接近したかと思うと、密着して愛情をたっぷりと注いでいた。そして、友利と奏衣はレストランを後にして今度はホテルの部屋へと移動したのだ。

「わぁ、素敵!ここってスイートルームなのね!寝室には大きなベッドもあるし」

寝室の中にあるキングサイズのベッドはまさに存在感をしっかりと象徴していた。ここはバスルームを備えた寝室にリビング、それに簡易キッチンに書斎スペースが用意されているセミスイートルームだったが、この日のために少々奮発したものだった。

「じや、ここからは武装を解いてもらうとしようかな」

そう言いながら、奏衣をベッドの上に押し倒し奏衣の温もりをゆっくりと感じるように抱き締めていた。友利が奏衣の武装を一つ一つ解いて行くのだが奏衣は何も抵抗することなく、スカートのホックを外されて脱ぎ捨てられて下着が露わとなった。

ここで友利は下半身を足元からゆっくりと愛撫し始めたのだ。奏衣はブラウスのボタンも外されて覆いを取られると、タンクトップも脱ぎ捨てられて残されたのはブラジャーだけとなっていた。下着に覆われた所以外を舐めまわしてから友利は自分の唇を奏衣の唇に重ね合わせていた。

「カナが化粧している姿をこんな間近で見られるなんて思ってもいなかったよ。化粧の匂いとカナの匂いが混ざって、それが俺をさらに興奮させているみたいだ」

まるで水泳で息継ぎをするかのように唇を離して喋っていた。

「これでも女装の女だなんて思ってるの?私は正真正銘の女なんだからね。化粧だってきちんとできるのよ。とにかく今日はあなたに女として全て捧げてあげたいの」
「はいはい、身も心もすっかり奏衣になってしまったようだな。翔太の面影なんてすっかり無いわけだ」
「翔太の面影?私は奏衣なんだからね。翔太くんに何か言われたの?」
「そうだよな。俺の目の前にいるのは正真正銘の小峰奏衣に間違いないものな。どうやらこれから特別な夜になるのは間違いないよな」
「トモくんったら、なんなの?私は生まれてからずっと小峰奏衣よ。他の誰にも変えられる私じゃないもの」

実はさっき付け加えたパーツによって、翔太は自分のことを本当の奏衣だと認識するしかでなくなっていたのだ。それは加えたパーツによって小瓶の中の脳からしか、読み込みを行えなくなるからだった。結果的に翔太は自分の脳とのやり取りができず、小瓶の中に入っている奏衣の脳としかやり取りができなくなっていたので、女子力の高い奏衣として意識が高くなり、友利に対する愛と忠誠心が高くなっていた。小瓶の中に閉じ込められている本物の奏衣から奏衣としての必要な情報をやり取りしている状態になっていたのだ。

「わかったよ。俺の確認はこれで終わりだ」

そう言って友利は起き上がると身なりを整えていた。

「なぁ、まだ夜は早いんだから、ちょっと飲み直してこないか?」

しかし、興奮状態が始まってしまった奏衣は不満な表情を浮かべていた。

「夜は早いだなんて、私はすっかり武装を解いちゃったんだからね。外に出るためにはまた武装し直さないといけないじゃない、トモくんったら意地悪なんだから!」

奏衣はものすごい剣幕で友利を見つめて来た。しかし、プンとした表情を浮かべながらも友利のことがとっても愛おしいらしくて、友利に寄り添って来ると甘え出したのだ。

「ねぇ、トモくんったら、私と遊んでくれないと駄目じゃない。私をあげるって言ったんだからね」

すると奏衣は身を覆っていた最後の砦まで脱ぎ捨ててしまった。

「これでも駄目なの?」

ベッドの上で立ち上がり挑発してきていた。

「なぁ、カナ。お前の思いはわかるんだけど俺の心の準備をするためにはもう少し時間がかかるんだ。だから、バーラウンジで一杯やってからにしないか?」

ベッドの上でグッタリとした奏衣、少し地団駄を踏んだもののどうやらすぐに理解してくれたようだ。

「飲んで来たら私と一緒になることを約束してくれるわよね」
「あぁ、もちろんだよ」
「じゃあ、約束のキスをしてくれる?」

ここで奏衣の命令に友利がしっかりとディープキスで応えてくれたのだ。

「じゃあ、行きましょう」

ようやく納得した奏衣は脱ぎ捨てていた下着を丁寧に身につけ始めていた。すると友利はすかさず白の紙袋を手渡していたのだ。

「これって何なの?」
「開けてみるといいよ」

友利に言われて紙袋を開けてみると、中には赤いイブニングドレスが入っていた。

「サイズはぴったりなはずなんだけど、これを着てバーラウンジに行くのはどうかな?なんて思ってね」

喜ぶ束の間もなく奏衣は赤いイブニングドレスに袖を通し始めていた。

「わぁ、このワンピースったら、本当に私にぴったりじゃないの!」

奏衣は姿見の前に立ちながら自分の姿を確認していた。背中が見えるように大きく開いているのと、スカートが二重構造になっていて、外側はヒラヒラとしたシースルー素材、内側はタイトなひざ丈で黒味の混ざった赤が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

「気に入ってくれたかな?」
「もちろん!」

さらに一緒に用意しておいた赤いハイヒールに足を入れると、奏衣の夜の女としての魅力がより際立ち始めていた。

「せっかく着替えたんだから、ちょっとだけ散歩してバーラウンジへと行かないか?」

友利はすかさず奏衣のショルダーバッグの中に忘れてしまわないようにた例の小瓶を入れておいた。

「カナ、この小瓶から絶対に離れないようにね。ショルダーバッグの中に入れて身につけるように持ち歩くように!わかったな」
「うん」

返事をした奏衣と友利はホテルの部屋から出て、一度外で散歩をしてからホテルのバーへと向かった。



八 バーラウンジ

ここはホテルの最上階にあるバーラウンジ、静かで落ち着いた空間は二人きりで話をするためにはとっておきの雰囲気だった。カウンターに座ると外の景色が見えるようになっているので、友利と奏衣は横並びになって腰を落ち着かせた。ここで友利は目の前に立っているバーテンダーにお互いをイメージしたカクテルを出して欲しいとリクエストをしてみたのだ。

「それではまず女性のお客様から、燃えるような情熱的な赤をイメージしたカクテルとなります」

バーテンダーが差し出したグラスに口をつけると、赤い液体をゆっくりと流し込んでいった。柑橘系の爽やかな味わいが喉元を通っていった。

「今の私にぴったりじゃない。とってもフルーティーで美味しいですね」

バーテンダーはすぐに隣に座っている友利をイメージして、違う色が格納されたグラスをそっと友利の目の前に置いた。グラスの上部は透き通るほどに透明だが下部へと向かうと青い色が際立っていた。

「男性のお客様には、落ち着いた気品漂う夏の海をイメージしてみました」

普段はカクテルなんてものをあまり飲まない友利でも、ここではやはり雰囲気に呑まれたのか、口に含んでいた。これも実に不思議な味わいのするカクテルに仕上がっていたのだ。

「マスターのおかげで、なんだか今日は特別な日なんだってことが益々分かったような気がします」

もちろんバーテンダーは奏衣の本当の姿には気づいていなかった。どっからどうみても素敵な女性としか見えないだろう。そもそも本来の奏衣ならばこんな空間にいること自体、かなりの違和感を感じてしまうのかも知れないが、今の状況はだいぶ違っていたのだ。お互いに出されたカクテルの残りをゆっくりと口に含みながら落ち着いた時間が流れて行った。

ゆっくりと過ぎていく時間の中、友利の中にはある考えが流れていた。奏衣の要求にすぐに応えられないのは他にも試すことがあったためで、何の気なしにデートをしているのではなく、データを収集する必要があったためである。そして、奏衣が自分のグラスに入ったものを飲み干すと席からさっと立ち上がっていた。

「トモくん、化粧室行ってくるわね。そろそろ部屋に戻るなら戻ってもいいわよ」
「そうだな、カナ。じゃあ、俺は先に戻ってるよ」

そう言って二人はバーラウンジから出て行き別々の通路へと消えていったのだ。どうやらこれからが夜の本番となるようだった。



九 次なる計画

部屋に戻った友利は、奏衣がやって来るのを待つことにした。次に計画していることをすぐにも実行してしまいたいものの奏衣が戻って来てから実行しなくてはならないからだ。友利は高鳴りそうなその気持ちをグッと抑えながら待っていた。

ピーンポーン、ピーンポーン。

ようやく部屋のインターホンが鳴り、扉を開けるとそこにはやはり奏衣が立っていた。化粧直しを済ませて来たようでさっきよりも一層魅力的な姿を醸し出していたので思わず抱きしめてしまった。

「トモくんったら、ちょっと会えなかっただけですっごく不安になったんじゃないの?」
「カナ。別にそんなわけじゃないけど……」
「まぁ、そんなこと無いのよね。そんなんじゃ私、がっかりしちゃうわよ」

奏衣が部屋の奥に入って行くとテレビの横のデスクの上にショルダーバックを置いたかと思うと、中から友利が入れた小さな小瓶を取り出した。

「ねぇ、トモくん。この小瓶のことなんだけど、私に何か大事なことを隠していないかしら」

翔太の脳とはやり取りができなくなっているので、奏衣としてこの小瓶のことがどうしても気になってしまうようだ。ここはなんとか誤魔化さなければならないと友利は思った。

「なぁ、カナ。その小瓶なんだけどな。お前がカナでいるために絶対に無くてはならないものなんだ。絶対に開けたり壊したり小瓶から離れたりしないように注意して欲しい」
「カナがカナでいるために無くてはならないもの?だからそれが一体?何なのかしら?」
「詳しいことはすぐに説明できないけど、とにかくその小瓶が無いと大変なことになるからね(翔太の脳とやり取りができなくなってるので、小瓶の効果が切れたらどんなことになるのかわからないからな)」

奏衣は手の平の中に小瓶を置いて不思議そうに眺めていた。奏衣な目が少しフラフラとしているのは、普段はあまり飲まないアルコールが回って来ている証拠で、奏衣も小瓶をゆっくりと見つめることはできていなかった。

「この小瓶が無いと大変なことになるなんてね。わかったわ、私が大好きなトモくんの頼みだもんね。じゃあ、しっかりとバックの中に入れておくわ」

バックの中に小瓶を入れ直すと奏衣の表情は急に生き生きとして来ていた。天井に向かって手をすっと伸ばし、体をゆっくりと揉みほぐしはじめていた。

「カナ。シャワー浴びて来るのか?」

友利がそう言うと、奏衣は着替えとバスタオルを用意してバスルームへと入っていった。バスルームの方から水の流れる音が聞こえてくる中、友利は次の展開に向けて心の準備を始めていた。小瓶の力によって翔太の体が奏衣の体に変わっている。そして、小瓶の中にいる奏衣の脳とやり取りをしている。今は翔太の脳とはやりとりができないので、友利のことが好きな奏衣としてすっかり対応していたのだ。シャワーを浴びているのは本当は翔太なんだけど、完璧なまでに友利のことが好きな奏衣となっていた。しかし、ここでどうしても確認したいことがあるので、ショルダーバックに入れ直した小瓶に友利は手をかけたのだ。

小瓶を手に取るとスイートルームの中で、バスルームから一番遠い場所にあたる書斎スペースの横にある出窓スペースにその小瓶をそっと置いた。たぶんバスルームから目測で十五メートル以上は離れている場所だった。

「わっ!いきなり、なんなんだよこれ」

小瓶を置くや否やバスルームの方で大きな声がしたのだ。バスルームへ行ってみると、脱衣室には奏衣の着ていた服と下着が置かれてはいたが、バスルームの戸を開けてみるとそこにいたのは翔太の姿だった。

「友利、これは一体どうなってるんだ?さっきまでレストランにいたかと思ったらいきなりシャワーを浴びているんだからな。驚いたよ」

そして、排水溝には何本もの長い髪の毛が吸い寄せられていた。

「おっ、予想通り翔太の姿に戻ったな。お前には教えていなかったけど、実はあの小瓶から十〜十五メートル以上離れてしまうと小瓶の効果が無くなってしまうんだ。今のところは短距離通信用の通信プロトコルを使って細胞一つ一つに命令を送っているためで、小瓶が至近距離になきゃならないんだよ」
「そうだったのか。それよりも俺が突然シャワーを浴びていることについて説明してくれないか?」
「あぁ、それはさっき俺が小瓶に追加したパーツによるものだよ。元々の体と脳のやり取りを行なうことをやめて、小瓶の中に入っている人物との脳のやり取りのみを行うモードに切り替えていたんだ。だこら、その間の翔太の行動記憶はすっかり抜けてるってわけ。いきなりシャワーを浴びていただろう」

翔太は徐ろにシャワーを止めると、

「じゃあ、このあとはどうするんだよ」

と友利に聞いていた。

「そもそもこのスイートルームには俺と奏衣が泊まるためにチェックインしてあるからな。お前にはまた奏衣になってもらうよ」
「奏衣の姿に変わったらまた俺の脳とやり取りができなくなるのか?」
「それは、追加パーツ次第で変わって来るよ。今の状態ならそういうことになるけど……」
「なぁ、友利。それは嫌だな。小瓶に付けた追加パーツは全部無くしてくれないか?俺が奏衣として完璧に演じてやるから」
「翔太、お前ができるっていうのか?」
「あぁ」
「女らしく振る舞えるような追加パーツも付けなくていいってことなのか?」
「あぁ、そうだ。お前が理想とする奏衣の姿を演じる感覚はもう分かってるから」
「わかったよ。小瓶から追加パーツを外しておいて脱衣室に置いておくから、また奏衣に変身してリビングに来てくれよ」

そう言うと翔太は途中で止めていたシャワーの蛇口を捻り、熱いお湯で体を流し始めていた。



十 結ばれた二人

「愛してるよ。カナ」
「トモくん。私もよ」

キングベッドに一緒に寝そべるようにして二人は一気に結ばれてしまった。今もまたお互いの唇を重ね合っており、目の前にいる奏衣が翔太の演じる奏衣であるなんて、誰も疑うことはできないと友利は思っていた。それほどの迫真の演技を翔太は難無くこなしているようにしかみえなかった。

「お前って本当に翔太だよな」
「何を言ってるの、トモくんったら。私は誰がなんといおうとも奏衣なの、この美貌は是非ともあなただけのものにして欲しいのよ」

そう言った矢先に友利のお腹がグゥーと音をあげていた。ベッドの上で何度も続けたせいか、ちょっと小腹が空いてしまったのだ。

「トモくんったら。お腹が空いたんじゃないの?なんだかベトベトしちゃったからシャワー浴びて来るわね。それから、何か軽く頼まない?」

どういうことか、どこからどうみても奏衣としか思えなかった。もしかすると小瓶のオプションには副作用が存在するのではないだろうかと思ってしまうほどだった。

「カナ、わかったよ。シャワーしてから何か軽く食べよう。あっ、俺も一緒にシャワー浴びていいか?」

奏衣は友利の質問にただ頷きながらオーケーを出していた。夜が深まり友利たちの実験はまだ続くのだった。

二人でバスルームから出て来ると、友利と奏衣はそれぞれ着替えを始めていた。裸のままでは外に出ることができないからだ。何かオーダーをしようかと思ったものの、友利たちはまた外に出て来ることにしたのだ。バスルームの中で体を洗い流している時も友利たちは密着していたので、服に着替えるやその時の感触が懐かしく思えてしまった。

「奏衣の方は準備ができたのか?」

奏衣はさっき着替えた赤いイブニングドレスでは無く、翔太の家で着替えた時と同じ、バイオレット基調の花柄スルーブラウスにオフホワイトのヒダミニスカートのサテン生地に身を包み直していたのだ。

「トモくん、私を見てね。準備ができたように見えるかな?」
「あぁ、着替えが終わったように見えるけど」
「実はね。パンティーはまだ身につけていないのよ」
「えっ?!マジなのか?」

友利はすかさずミニスカートの中に手を入れて確認してみた。

「いやっ!トモくんったら、何してるのよ!」

友利が手を入れるのを奏衣は蝿を追い払うかのように叩いて来た。

「いててて。何するんだよ!」
「だって、失礼じゃないの?女子の股に手を入れるなんて、どこのドスケベなのよ!」

その姿を見て友利はすっかり萎縮してしまった。すると、奏衣がブっと吹き出し笑いをし始めていた。

「冗談よ。冗談。友利ったら、すっかり俺のことを奏衣だって思ってるみたいだから、ちょっとからかってみただけなんだ」
「そうなのか?あ〜、頭がおかしくなりそうだ。お前が翔太なのか奏衣なのか全く区別ができなくなったじゃないか」
「フフフ、だってね。私は奏衣なんだから当然でしょ」
「えっ?翔太じゃないのか?」
「女装の女プロジェクト、友利と翔太が何を考えているのかと思ったら、私を目一杯女性らしくしてみようって魂胆だったのよね。小さくなって小瓶の中で一部始終を聞いていたけど、小瓶から私が飛び出たことには気づいていなかったのね」

奏衣が脱衣室のクローゼットを開けると、なんと中からは裸姿の翔太が現れた。

「小瓶と体の通信状態が切れた時に、一定の時間を過ぎたみたいで強制的に外に出されたのよ。どうやら友利がトイレにいる時に起こったので、私は慌ててバスルームに入ってね。翔太に協力してもらうように説得したのよ。そして、翔太がシャワーから出て来たタイミングで、私に変身したと勘違いしてしまうよう、さりげなくリビングへと出て行ったってわけ」

どうやら奏衣の言っていることは信憑性が高かった。

「ということは、俺と一つになったのは本物の奏衣だってことなのか?」
「そうなのよ。私は翔太くんが私を演じているかのように完璧なまでの私を演じたってわけ、翔太にはクローゼットの中で黙ってもらっていたのよ。どうやら私の方が一枚も二枚も上手だったわよね。フフフ」

友利はいつの間にか空腹になっていることを忘れてしまっていた。

「じゃあ、お前は俺の好きな理想の奏衣を演じたってのか?」
「まぁ、それなんだけど、私だって本当は女なのよ。友利が思っているように女らしいところもたくさんあるのよ。あなたの理想の私って、私が本来持っている姿だったってわけ、ただ家の外ではボーイッシュな私というイメージが定着していたので、それを演じていたのかも知れないわ。もっと自分に素直になれば良かったんだろうけど、一度定着したイメージを変えるのってなかなか難しかったってわけよね」
「奏衣。小瓶を使って翔太をお前の姿にしたことは謝るよ」
「えっ、謝るですって?」
「そう、お前にすっかり迷惑をかけちゃって、翔太も謝れよ」
「奏衣さん、ごめんなさい」

奏衣は何か違うと言いたいばかりの表情を見せていた。

「そうじゃないよ。二人ともごめんなさい。本当は私が謝らないといけないのよ。とにかく私もこれからはもっと素直になろうと思うの。女性らしくしなくちゃいけないって風潮が嫌いで、そこから逃げていただけなんだと思う。友利と翔太のおかげでそれに気づいたのよ。その意味ではありがとうを言いたいの」

神妙な赴きで奏衣は友利たちを見つめ、謝って来たのだ。

「じゃあ、俺が奏衣のことを好きになってもいいんだよな」
「うん、もちろんだよ。私は友利に心から捧げたんだからね。当然でしょ」

友利が奏衣と結ばれたのは実は本当のことだった。

「じゃあ、みんなで仲直りしましょう!」

友利と奏衣と翔太の三人はお互いにハグをし仲直りをすると、スイートルームの室温は三度程上がったように思えた。



十一 ボックスシート

ここは、またまたホテルのバー。夜景がきれいに見えるボックスシートに座りながら手に持ったグラスを傾けていた。窓ガラスには奏衣が着ていた赤いイブニングドレスに身を通し、赤いハイヒールという姿が映し出されているが、それは今の友利忠成の姿だった。この向かいの席には翔太が座っており、テーブルの上には例の小瓶が置かれていた。小瓶の上部だけは半透明状態を解除して外から見えるようにしてあるので、中に入っている奏衣の顔は見えるようになっていた。

「まさか、今度は俺が女装の女になるなんて……夢にも思っていなかったよ」
「ハハハ、さっきまで俺がその姿になっていたんだからな。友利も奏衣の真剣な気持ちを知ることができるだろう。これで良かったんだよ。スイートルームには三人で泊まることに変更しておいたし、何の問題もないだろ」

翔太は目の前に座っている奏衣の姿をした友利に向かって話しをしていた。翔太の視線を嫌というほど感じるのは、やっぱり友利が女の姿をしているからに違いなかった。明らかに友利でいる時の姿よりも熱い視線を翔太から感じとっていた。

「なんだか、変な感じだよ。奏衣が俺のことを好きだってその気持ちがヒシヒシと伝わって来るからな。まるで自分自身を愛しているかのようだぜ」
「そうそう。それを感じて欲しかったんだと思うよ。奏衣は本当にお前のことが好きなんだってこと、俺もさっきまでその気持ちを感じ続けて、とっても大変だったんだよ」

小瓶の中にいる奏衣に目をやると二人のやり取りを安心した様子で見守っていた。

「ありがとう、奏衣。俺のことを好きでいてくれて」
「なぁ、友利。その姿で奏衣って言うのは変じゃないのか?」

友利は小瓶の中にいる奏衣に向かってお礼を言ったのだが、翔太が横槍を出して言って来た。

「わかってるだろうけど、俺は……」

翔太はそこがわかっていないと言わんばかりに目で訴えていた。

「わかったわ。そうよね。私、トモくんのことを愛してるの。翔太くんもこれからいっぱい助けてくれるわよね」
「あぁ。当然だよ。奏衣は友利の彼女なんだから、これから女装の女だなんて言われないように、もっと女らしくしなくちゃな」
「わかったわ。これからは私らしさを素直に出すようにするわね。殻の中に閉じこもっていた私とは今日からおさらばするわね」

奏衣の提案によって俺も奏衣の姿で過ごして、小瓶の効果を実体験することにしたのだ。ホテルのバーラウンジが閉店する深夜二時まで友利と翔太と小瓶の中に入った奏衣はゆったりとした時間を一緒に過ごしていたのだ。



十二 書き置き

スイートルームの寝室には外から一筋の光がカーテンの脇から差し込んでいた。光が入り込むことを感じた友利はベッドの上で徐に立ち上がりリビングへと入って行った。隣に寝ていたはずの奏衣の姿が見えないのでもうすでに起きていると思ったが、大きなソファーの上に翔太が横たわって寝ている以外に人影を見ることはできなかった。翔太は未だに夢の中にいる表情だったので、奴を起こすことがないようにできるだけ静かに書斎の方へと行ってみると、机の上になにやら一枚の書き置きが残されていることに気づいたのだ。それを手に取るとこんな内容が書かれていた。

『友利、翔太くん。昨日の夜は楽しかったわ。変な小瓶についてもたくさん教えてくれたじゃない。私、これを使ってもう少し試したいことができたの。特に翔太くんのために一肌脱いでみるつもりよ。朝日が昇る頃には戻ると思うので心配なさらないでね。……奏衣』

書置きを見た後で寝室に戻ってみたが、奏衣の姿はやはり無かった。奏衣の持ち物はいくつか残っているのだが、ショルダーバッグと小瓶は奏衣が一緒に持って行ったに間違い無かった。奏衣がいったい何を企んでいるのか。先ほど見つけた書き置きからは想像することは出来なかった。

とりあえず、奏衣が戻って来るという朝日が昇る頃にはほんの少しだけ時間があったので、友利はシャワーを浴びることにしたのだ。そして、シャワーを浴び終わり着替えをすると翔太が起きていたのだが、奏衣がいなくなってことについては俺は黙っていたのだ。起きたばかりの翔太はシャワーを浴びにバスルームへといなくなった。

ピーンポーン、ピーンポーン、ピーンポーン。

翔太がいなくなり友利が一人きりとなったリビングルームにインターホンが鳴り響いていた。奏衣が帰って来たと思い俺は部屋の玄関へと向かった。

「どなたですか?」

扉の向こう側からは返事が返ってくることはなかった。奏衣の悪戯かと思った翔太は確認するために思い切って扉を開けて廊下に出てみた。左右を見回してみるものの誰もいなかった。そして、扉を閉めようとしたその時に玄関の前を誰かが近づいてくる足音が聞こえたので、すぐに扉を開け直し廊下に出てみるととびっきりの美女が通り過ぎようとしていた。

「あの〜」
「あっ、なんでしょうか?」

俺は思い切って声をかけてみた。女性は黒いハイヒールの歩みを止めると返事をしてくれたのだ。

「さっき、この部屋のインターホンを押しませんでしたか?」
「えっ、私が押したとでも思うんですか?」

女性はスカートの裾から首元までジッパーのラインが特徴的な黒のワンピースによって、体のメリハリのあるラインを浮かばせていた。長い髪を靡かせてそれを手でかき分ける姿はそれはどうみても翔太の好みに間違いなかった。

「何気なくこのフロアの廊下を歩くなんておかしいなって思ったんです。そうじゃないなら、失礼します」
「廊下じゃなんなので、一緒に入ってもいいですか?」

友利が部屋に戻ろうとすると彼女が背後に近づいてそう言ったのだ。彼女を部屋の中に連れ込むとゆっくりと扉を閉めた。

「あっ、奏衣じゃないのか?」
「フフフ、そうよ。やっぱりトモくんは鋭いわよね。書置きを見てくれたわよね」

彼女の口調からしてやはり奏衣に間違いななかった。

「小瓶は?」
「このバッグの中にあるわよ」

どうやら彼女の物と思われるバッグの中に小瓶を入れているようだった。

「トモくんなら理解しているわよね。見た目は違うけど私は奏衣なのよ。この姿は細見咲(ほそみさき)と言って二十七歳で独身のフリーランスデザイナーよ。バーラウンジで一人でいたところを見つけたんだけど、つい最近私が知り合った人だったからさっそく目をつけておいたの。バーの会計で部屋番号を伝えている時にしっかりと聞いておいたので、早朝にルームサービスを装って部屋におしかけてみたんだけど、なぜか見事にひっかかってくれて小瓶に閉じ込めてあげたってわけ!」
「はっは〜ん。なんだか奏衣のやることは俺たちよりもずっと悪質だよな」
「悪質だなんて、悪気は無いのよ。チェックアウトするまでまだ時間があるはずだから、ほんの二時間だけでもこの中でお休みしてもらってすぐに解放しようと思ってるのよ。本物の彼女は小瓶の中で夢の中にいるわよ」

細見咲というフリーランスデザイナーの姿を通して、友利には奏衣の姿がダブって見えていた。

「ところで一つ教えて欲しいんだけど、この小瓶は俺と翔太の指紋しか登録していなかったのに、どうしてお前にも使えるんだ?」

この小瓶は指紋を登録した者だけが使えるようにしていたのに、奏衣にも使えるようになっているのがどうしても不思議だったのだ。

「あら、昨日の夜のことを覚えていないの?トモくんが私の体に変身している時に、その姿で指紋登録をしてくれたじゃない、私の姿でいた時の記憶はなくなっちゃったのかしら」

細見咲の声を通して奏衣が喋っているのは確かなことだった。

「あっ!小瓶の中に入ったお前に指紋登録の仕方を見せて欲しいって言われてそのまま登録したんだっけ、すっかり忘れてたよ」
「思い出してくれたのね。とにかく!この女が翔太くんの好みのタイプだったなら話が早いわ。トモくんは私に協力をしてくれたらいいのよ」
「翔太はちょうどシャワーを浴びに行ったところだよ。出て来たら自分の好みの女性がいきなりいるというのはなんだかなぁ……」
「まぁ、それもそうよね。だからこうするのはどうかしら?」

細見咲の姿をした奏衣は友利の耳元で、自分の考えを伝えて来た。ちょっとドキッとする提案だったが、この状況なら確かに飲み込むことのできる方法だった。



十三 フリーランサー

翔太がバスルームからシャワーを浴びて出て来ると、そこに友利の姿は無かった。リビングのソファーに奏衣がスマホの画面を眺めながら何やらやり取りをしているようだった。

「あっ、翔太くん。シャワーから出て来たのね」

Tシャツにトランクスという最小限の装備に身を包む翔太は、奏衣の悠然とした態度に驚いてしまった。知っている仲ではあるものの、男と女の関係だけに慌てて服を取り出してすばやく着替えた。

「いいじゃないの。翔太くんにはもうすでに私の体を見られちゃったんだからね。私も翔太くんの体を見たっていいわよね。それとも理想の人じゃないとダメなのかしら?」

慌てふためく翔太とは違って奏衣は至って落ち着いていた。着替えを済ませて翔太は再びリビングへとやって来た。

「友利の奴はどこ行ったんだ?」
「知らないわよ。私が部屋に戻って来てからどこかに行ったみたいよ。スマホも置き残して行ったので連絡すら取れないわよ」
「えっ、じゃぁ友利の奴が戻らないとここから出るわけには行かないってことなのか?!」
「まぁ、そうなるわね」
「チェックアウトの時間には戻って来るだろうけど、奏衣と二人きりでいるのはなんだかあいつに悪いよ」

奏衣と二人きりでいるのはなんだか友利に悪いと思ったらしく、まさに翔太らしさを感じる。

「大丈夫よ。私、翔太くんに紹介したい人がいるの、私も最近知り合ったんだけどね。知り合いの中に翔太くんの好みらしい人がいて、ちょうどこのホテルに宿泊しているって連絡を受けたのよ。部屋の番号を教えておいたので、そろそろやって来るはずよ」

ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

「ほらね」

奏衣は部屋の玄関へと駆けて行き扉を開けた。翔太も開いた扉に抜けて行く廊下の方に目をやるとそこには黒いワンピースに身を包んだ女性が立っていた。

「翔太くん、紹介するね。こちらは細見咲さんと言ってフリーランスでデザイナーをしているの、私の知り合いなのよ」

背筋をピーンとのばした姿勢から目の前の女性はお辞儀をして来た。

「初めまして、細見咲です。奏衣さんとはつい先日お会いしたばかりなんですが、意気投合してすぐに仲良くなったんです。そしたら、たまたま同じホテルに宿泊しているって言うので、チェックアウトする前にちょっとでも会って行こうと思ったんです。スイートルームに泊まってるって言うので、私の方から訪問させていただきました」

話し方もどうやら翔太好みの女性だということは、翔太の表情を見てもわかる。

「翔太くんのことはすでに伝えてあったんだけど、あなたに興味があるのよって言ったら会ってみたいって言ってくれて、こんな場所で偶然セッティングしてみたってわけ」

細見咲は初対面にしては積極的に翔太に話しかけて来ていた。

「あっ、そうなんですね。初めまして俺は翔太です。奏衣とは結構前から知り合いでして、こんな所で立ち話も何なので、お入りください」

翔太がそう言うと、細見咲は部屋の中へと入って来た。ハイヒールが床を蹴る度に甲高い音が鳴るので、自分の心臓の音は気づかれることがなかった。

ソファーには奏衣と細見咲が横並びに座り、それに向かい合うようにして翔太が座った。翔太からすると朝からいきなりテンションが上がりっぱなしだったのだ。こんな時間に奏衣から紹介された女性を目の前にして、実際にはどうしたらいいのか分からなかったのだ。

「私がここに座るよりも、ここに翔太くんが座った方がいいわよね。そっちからこっちに来てくれないかしら。咲もそれがいいわよね」
「はい、私は別に構いません」

そうやって奏衣が咲に確認したこともあって、翔太と奏衣は座る場所を入れ替えた。

「なかなかお似合いよね。なんだか波長が合うっていうか、一緒になる運命を感じるわね」

奏衣がソファーに座り直すやすぐにそんなことを言ってきた。翔太の気持ちもだんだんと咲の存在を意識するようになったらしいのだ。

「じゃあ、とりあえず邪魔者は消えた方がいいわよね。後はほんの少しの時間だけでも二人きりで楽しむといいわ」

そんな風に言うと奏衣は立ち上がって、スイートルームから出て行ってしまった。どうやらこの部屋で翔太と咲を二人きりにするために気兼ねしてくれたようだった。二人きりに残されるとあとはどちらがこの状況を主導するかにかかっていたが、ここは意外にも咲が積極的に話し始めたのだ。

「ねぇ、翔太くんって言ったわよね。単刀直入に聞いてみるけど、私と付き合って見る気はあるのかしら?」

咲の突然の告白に、翔太は呆然としてしまった。ソファーで横並びになって座っているので、咲とはすぐにも密着することができる間隔しか残っていなかったのだ。

「付き合って見る気って?」
「まぁ、いきなりのことだから無理も無いわよね。ことをまだ私のことを全く知らないだろしね。でも、奏衣が私に紹介してくれたから私は信じてみようと思ってね」
「えっ?信じるって、何を?」
「分からないかなぁ、奏衣があなたとお似合いだって紹介してくれたんだから、それが間違い無いってことよ」

咲と奏衣とは付き合ってそんなに長くもないはずだった。それでも信じてみようと思うなんて、よっぽど二人は意気投合してしまったに違いなかった。

「だから、だから俺に告白してるって言うのか?」

翔太がそう言うと咲は真剣な眼差しを向けて来た。偽りを感じることのない純粋な眼差し、どうやら翔太はそれに応えるしかなくなっていた。

「確かに咲さんのことは何も知りませんが、奏衣が紹介してくれたんだから、きっと咲さんが俺と気が合うんだと思います。どうせ付き合うなら、友だちではなくて恋人として付き合ってもらいます。いいですよね」

翔太がそう言うや咲を抱きしめていた。そして、咲もしっかりと抱き返していた。涙腺からゆっくりと涙がこぼれ落ちていたものの、どうやら翔太に気づかれることは無かった。

「翔太くん、ありがとう。人を愛する思いって、こんなにも重いのよね。改めてヒシヒシと感じるわ」

どうやら咲が重いと感じているのは人を愛する想いのようだ。

「何だか知らず知らずのうちに俺まで涙腺が緩くなってしまったよ。涙もろい性格では無いのにつられちゃったかな」

すると二人は抱き合ったまま笑い合った。ほとんど初めて会ったのにも関わらず、お互いに通じ合うものがあるのだろう。

「なんと言っても奏衣が一番嬉しがると思うわ。ちょっと待っててね」

そう言うや咲はスマホで奏衣にメッセージを送っていた。奏衣に部屋に戻ってきて欲しいというメッセージを送り、すぐにオーケーとの返事が返って来たものと翔太は思った。

「あっ、翔太くん。奏衣が部屋に戻って来たら感謝を表現してみるのはどうかしら?」
「感謝?」
「そうよ。だって、奏衣が私たちを結びつけたのよ。昨日までは赤の他人だった私たちがこうやってそばにいるのよ。私も奏衣と出会ってから数ヶ月しか経っていないけど、本当は女性らしいところでいっぱいなのよ。だからこそ、感謝を表現する必要があるんじゃないかなってね」
「咲の言いたいことは何となくわかるけど、今すぐにそれをどうやって表現したらいいのか、わからないよ」
「だから……。こうするのよ」

そうして、咲は翔太に自分の考えを伝え始めていた。



十四 奴の行方

ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

奏衣がスイートルームのインターホンを鳴らすと、ほんの少し時間をおいてから扉が開いた。そして、扉の向こう側からやってきたのは咲だった。

「あっ、奏衣。戻って来てくれたのね。あなたのおかげで翔太くんに無事に告白することができたわ」
「翔太くん、咲の告白を受け入れてくれたんだって、本当に良かったわ」

奏衣を部屋の中へと入れてから咲は玄関の扉を閉じた。リビングに入ったものの、そこには翔太の姿が無かった。

「あれ?翔太くんはどこへ行ったのかな」

翔太の姿が見えないことに気づいた奏衣が言った。

「さっきまで一緒にいたのよね」
「もちろん、そうよ」

寝室の扉を開けてもそこには人影を見ることができなかった。トイレにでも入っているのかと思って、トイレの扉も開けてみたが、そこにも誰もいなかった。

「なんなの?おかしいわねぇ」

二人がリビングに戻って来ると、玄関の扉が開いて友利が帰って来たのだ。

「えっ、トモくん?」

そうやって、奏衣は変な声を上げていた。

「トモくん……って、彼が奏衣が付き合い始めたっていう友利くんなの?」
「まぁ、そうなんだけど。まさか、咲と知り合いなのかしら?初対面なはずなのに、あいさつもしないなんて」

奏衣はなにやら言いたいことを溜め込んでいるようにも見える。

「あっ、だって奏衣がトークしてくれたじゃない、写真と全く同じだったから、あいさつするのも忘れちゃっただけよ」
「もしかして、カナが話していた細見咲さんですか。あいさつが遅れてしまいました。奏衣と付き合い始めたばかりの友利忠成です。よろしく」
「えぇ、よろしくお願いします」

そうやって友利が咲に対して軽くあいさつをすると、三人の間には落ち着いた雰囲気が戻って来た。

「立ちっぱなしもなんだから、ソファーに座らない?」

友利の提案を二人は受け入れて、友利の隣には奏衣が座り、その向かいには咲が一人で腰を落ち着けた。

「ところで、トモくん。翔太くんはどこへ行ったのか知ってる?」
「いや、知らないよ。とりあえず翔太のスマホに電話してみるよ」

すると友利はスマホを取り出して素早く画面をタッチして電話をかけはじめた。しかし、電源が切られているか、電波の届かないところにいるというアナウンスが流れるばかりで、つながることは無かった。

「翔太の居場所はわからないなぁ。何も言わないで出て行くわけもないから、部屋の中のどこかに隠れているとか?」

小瓶のことを思い出した奏衣だったが、そのことを話していいものなのか実は躊躇していたのだった。

「とにかく、子どもじゃないんだからすぐに戻ってくるわよね。咲と付き合うことになったって言うのにいきなり相手が側にいないなんて大変よね」
「ううん。私は大丈夫よ。翔太くんには翔太くんの考えがあるんだと思うわ」

ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

咲がそう話したところで、また部屋のインターホンが鳴り響いた。

「ん?誰かしら?」

そう言って玄関に向かったのは奏衣だった。玄関の扉をゆっくりと開けるとホテルの女性スタッフが何やら食事を用意して持って来ていた。

「ルームサービスでございます。私は当ホテルで働いております一堂彩陽(いちどうあやひ)と申します。お邪魔してもよろしいでしょうか」

ホテルの制服に身を包んだ一堂さんが食事を部屋の中まで運んで来た。そして、ダイニングコーナーのテーブルの上に手際よく配膳をして行き、最後にはなにやらカードを取り出した。

「緒方様から小峰様へのメッセージをカードで添えるようにとのことでした。さらには私も同席してメッセージを聞いて欲しいとのことでしたので、すぐに開けて声を出して読んで下さいませんか」

奏衣はなんのことかと思いつつ、きれいに組み立てられているカードを開いてみた。そして、その中に書いてあるメッセージを声を出して読んでみることにした。

「じゃあ、読みますよ。……『小峰奏衣様、改めまして翔太です。この度は友利と交際を開始することになったことおめでとうございます。友利の奴とは旧くからの仲ではありますが、奏衣さんのような本当は素敵な人と一緒になれたことを俺も喜んでいます。奏衣さんの心の中にあるものも共有することができたので、この思いを伝えていけばきっと大丈夫です。そして、細見咲さんを紹介していただきありがとうございます。咲さんから付き合って欲しいと言われるとは思ってもいませんでしたが、本当に本人の口から言ったものとわかったので、受け入れました。最初は友利が咲さんに変身したのですが、変身を解いて本当の咲さんからも結局同じことを言われたんです。奏衣さんに感謝を表したくてこのルームサービスを頼みました。気に入ってくれたら、スタッフの一堂彩陽さんにお礼を言って下さい。よろしくお願いします。緒方翔太より』……一堂さん。伝えてくれてありがとうございます」

メッセージを読み終えた奏衣の目じりからじんわりと涙が出ていた。

「小峯様がこんなに感激するなんて、緒方様にはその思いがもうしっかりと届いていますよ」

奏衣は一堂さんも涙腺がゆるんでいるのを見ると、何やら気づいたようだった。

「まさか、あなたが翔太くんなの?」
「それにはお答えすることができませんが、小峯様のご想像にお任せ致します。そろそろ戻らなくてはなりませんので、お食事を済ませましたら、電話でお呼び出しください。それでは失礼致します」

そう言ってホテルスタッフの一堂さんは部屋から出て行ったが、奏衣は頭の中で色々と考え続けていた。翔太が一堂彩陽という女性スタッフに変身していたということも考えられるが、ここに残っている細見咲だって翔太が変身していると考えられるのだ。スタッフにはメッセージを伝える際に状況を説明しているかも知れないのだ。今では奏衣がこの部屋から離れてしまったことを悔やんでいるようにも見えた。

「とりあえず、朝ごはんを食べないか」

並べられた食事を目の前に友利は我慢できないようだった。

「そうね。この食事を翔太くんが頼んでくれたんだから、みんなで一緒に食べましょうか」

そんな友利に咲が続けた。

「わかったわ。まずは食べて力を出しましょう。ここに翔太くんがいないのは残念だけどね」

奏衣はとにかくこの食事を用意してくれた翔太の行方が、気になってしょうがないようだった。

「あっ、翔太のことなら心配しなくていいよ。どこにいるのか俺にはなんとなく検討がついているから。まずは食べようぜ。この食事を終えてからでも時間は十分にあるしな」

友利がそう言うと三人は一緒に食事を始めた。何か物足りない感じではあるものの、用意された食事は久しぶりに食べるご馳走のようだった。



十五 種明かし

「じゃあ、種明かしをしようか」

食事を取り終えると、友利がゆっくりとそう言い出した。

「種明かし?」
「そうだよ。種明かし、翔太がどこへ行ったのかということだけど、奏衣はまだ知らないようだからね。そのことを話すって食べる前に行ったじゃないか」

奏衣はなんだかすっかり混乱しているようだった。ここで友利が話を続けた。

「実は今朝からの状況を整理してみればすぐにわかることなんだよ。奏衣が朝早くに起きて、この部屋を出て咲の部屋へと向かったよな。咲とはもともと知り合いだったから、部屋の前で連絡をするとすぐに扉を開けてくれて、奏衣が持って来た小瓶に閉じ込めて、奏衣が咲の姿になったってわけ、そして、その姿でこの部屋へと戻って来た。翔太がシャワーを浴びている間に、今度は友利が咲に変身して、奏衣は自分の姿に戻った。そうだろう。……そして、翔太がシャワーから出て来ると奏衣として咲を紹介した。友利が変身している咲と翔太を部屋に残し、奏衣はホテルスタッフの一堂彩陽さんに会いに行って、ルームサービスを頼んだ。翔太から奏衣に宛てたメッセージカードは実は奏衣が用意したものだった。……その間、友利が変身を解いて翔太が咲の姿になろうと思ったんだけど、タイミング悪く咲が小瓶から出てしまったので、小瓶を持ったまま翔太は外へと出て行き、奏衣の姿になってこの部屋に戻って来たってことだろう。翔太がいなくなったというのは結局のところ翔太の自作自演によるものだって、俺にはもうバレテるんだよ」

友利が言うには奏衣が翔太だということだった。咲にとっては一体何を話しているのか気になることばかりだ。

「さっき一堂彩陽という女性スタッフが意味ありげに話していたわよね。ご想像にお任せしますなんて言ってたけど、それでも私が翔太だなんて言うのかしら?」
「じゃあ、その一堂彩陽さんをここにそろそろ呼ぼうか。食事の片付けもしてもらう必要があるしね。彼女がいる前で全てをはっきりさせるってのはどうかな?」
「面白いことを考えたわね。確かにそうするのも私はいいと思うわ」

そう言うと友利は部屋の中電話を手に取るとルームサービスを呼び出した。もちろん一堂さ彩陽さんがここに来るように念を押しておいた。物の五分も経たずに一堂さんが部屋にやって来た。ホテルの制服に包まれている彼女は、少し赤みがかった茶色のショートボブが揺り動くほど少し急いでやって来たようだった。

「もしかして、私の正体を知りたいと思いましたか?」

一堂彩陽がいきなりそんなことを言ったので友利の表情が引きつり始めた。

「えっ?一堂さんの正体?」

逆に奏衣はどうやらしてやったりの表情を浮かべ始めていた。

「お客様、私の正体に気づくことができなかったんですね。まぁ、無理も無いですよね」

すると一堂彩陽は右耳の後ろに手を回して、そこを素早くリズム良く三回叩いた。そして、叩き終わった瞬間に彼女の顔が光ったかと思うや、体は彼女のものだったがショートボブの髪が黒色のツーブロックに変わった。

「お客様、これでどうかしら?もう一度同じことをすると顔も元に戻りますよ」

一堂彩陽の髪型はどうやら翔太の髪型では無かった。翔太以外の人間が関わっているとしか考えようが無かった。そして、状況をいまいち掴めていない咲が突然口を開いた。

「あれ?この髪型って、どこかで見たことがあるわね。私の知り合いなんだけど、誰だっけ……」
「あっ、私の知り合いでもこんな髪型の人を見たことがあるわよ」

女性たちが言い終わると引き続き口を開いた。

「男のお客様はどうですか?この髪型に見覚えがありませんか?」

友利には一体誰なのか記憶が定かでは無いようだった。

「じゃあ、もう一回」

一堂彩陽はもう一度、右耳の後ろに手を回したかと思うと、素早くリズム良く三回叩いた。やはり、叩き終わった瞬間に顔が光ったかと思うと、今度は顔まで完全に元に戻ったのだ。

「あっ!!」

部屋の中は騒然とし始めた。

「ハッハッハッハ。みんな全く気付いていなかったようだね。首から下は確かに一堂彩陽さんだけど、顔は僕だよね。天才発明家の皆川聡(みながわさとる)を忘れちゃ困るなぁ。友利くんと緒方くんに開発中の小瓶を渡したんだけど、やっぱりちゃんとやっているのかが心配で近くで監視していたってわけだよ。ちなみに僕は試作中の発明品で一堂彩陽さんになりきっていたってわけね。昨日は咲さんと一緒にここにやって来たってわけ。ちなみに友利くんと緒方くんには秘密にしていたけど、咲さんは僕の実験の良き理解者なんだけど、今回は僕が実証するのも面白く無いので、君たちに任せてみたってわけ」

首の下は一堂彩陽の姿をしているものの、その顔は皆川聡と言って小瓶を開発した張本人だった。

「そして、僕から言ってしまうけどね。奏衣の姿をしているのが翔太だよ。翔太には僕の正体を一足早く教えてあげたけどね。ここまでしっかりと黙ってくれたんだよね。さすがに口が硬いよな、ありがとう」

奏衣の姿をしているのはやっぱり翔太だった。小瓶の力によって奏衣の姿に変身しているのも間違いないようだった。

「聡ったら、まだバラさないと思っていたのに、ちょっと早いよ」

聡が種明かしをしてしまったことに対して奏衣の姿で翔太が不満を漏らした。そして、スカートのポケットから本物の奏衣の入った小瓶を取り出したのだ。

「やっぱり、奏衣の姿をしているのが翔太だったんだな。一堂彩陽に聡が扮しているのでわさわざここに呼んだってわけだよな。それに意外だったのは、咲さんも聡の計画を知っていたってこと。それはさすがに気づかなかったよ。咲さんまでがグルだったなんて……」

すぐそばにいる咲さんにとっては、ここで起きた出来事は想定した通りだったようだ。

「ハッハッハ。咲さんは僕の研究のパートナーだって言ったろう、小瓶の試作段階でもすでに協力してもらったしね。この新しい試作品についても咲さんと一緒に実験済みなんだよ。それに咲さんは緒方くんが好きだって言うものだから、こうやって遠まわしで告白できるようにしたってわけ」
「ということは全ては聡の計画通りだってことなのか?」

ここで友利は聡に言った。

「もちろん、そうだよ。それくらいできないと自分で天才なんて名乗ることはできないだろう」

聡の言い方は自信に満ち満ちていた。

「とにかく、僕はこの食器をここから片付けに持って行ってからまた来るからね。実は僕の荷物は咲さんの部屋に一緒に置いてあるんだ。咲さんはチェックアウトの準備をしてここに戻って来るようにね。そして、友利くんと緒方くんに奏衣さんもチェックアウトの準備をして待っていて欲しい」

そして、聡が右耳の後ろに手を回すと素早くリズム良く三回叩いた。顔が光ったかと思うと一堂彩陽の顔に戻ってしまった。

「それでは、お客様。チェックアウトの時間までごゆっくりとお寛ぎくださいませ」

本物の彩陽のように手早く食器を片付けて出て行ってしまった。その姿からは聡だということをまるで感じることはできなかった。



十六 スピーチ

全ては皆川聡の計画によるものだった。友利と翔太は彼の計画にまんまとはめられていたのだった。この小瓶を使うといいと聡から頼まれた時には何も思わなかったが、今考えてみるとあれもすでに彼の計画の一つだったのだ。

スイートルームで聡に言われた通りに友利と翔太、奏衣が咲と聡を待ちながら友利はそんなことを考えていた。聡の計画に従って時間を使って来たなんてなんだか変な感じがする。でも、奏衣の女らしさを引き出すこともできたし。奏衣と付き合い始めるようになったし、翔太も咲と付き合うようになったことを考えると、聡がそこまで考えたとは思えないそんなできごとばかりだった。

ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

今朝からこのインターホンも聞き飽きてしまったが、玄関の扉を開けるとそこには咲と聡が立っていた。ようやく、五人が各自の姿で集まったように思う。とりあえず、みんなでソファーに座ることにした。友利と奏衣、翔太と咲はそれぞれがペアになって向かい合うようにして腰をかけた。聡はその間にある一人掛けの席に座った。

「じゃあ、これで小瓶開発のための最終データ収集は終わりとします。みなさんお疲れ様でした。特に友利くんが協力してくれたので、最終的な完成品としてはとてもいい仕上がりとなりそうです」

聡がそう言うと部屋の中はなんとも言えない安堵感に包まれてていた。

「じゃあ、以上で解散してもいいのかな?」

安心した友利がポツリと切り出した。

「そうだなぁ。せっかくだから小瓶について一人一人簡単にスピーチをしてもらおうか、それもヒントにして最終的に小瓶を完成させようと思うから、じゃあ、ここは友利くんから」
「えっ、スピーチって?」

友利は不可解な気分を露骨にさらけ出した。

「まぁ、要するにユーザーアンケートだと気楽に思ってくれたらいいよ。個人的な感想を聞きたいと思うんだ」

すると友利は少し考えてみせ素振りをしてから話し出した。

「友利です。この小瓶を実際に使ってみて思ったことは、誰でも姿形を変えることができる上にその記憶まで引き出せるので、やはり悪用された時の危険性が怖いと思いました。悪意を持った人間の手に渡った時には何が起こるのがわからない、そんな気がします。そのあたりを事前に防げるようにする必要があるのではと個人的には思いました」
「じゃあ、次は緒方くん」

友利が言い終わるとすぐに翔太へとバトンが渡された。

「緒方です。俺は今回、この小瓶を使って奏衣さんになってみたのですが、自分が感じることのできない人の考えや感情を知ることができたのは良かったと思います。奏衣さんが友利のことを愛する気持ちがまるで自分の気持ちのように思えたので、純粋な気持ちで小瓶を使うならそれほど恐ろしいことは起こらないと思います。小瓶が誰でも使えるようにするわけにはいかないので、セキュリティは強化しても強化しすぎる必要は無いと思います。以上です」
「友利くんと緒方くんの両方の意見からすると、この小瓶を使う目的を決めた方がいいみたいだね。危険な目的に使うことができないようにそれを防止する仕組みを検討してみます。それでは、次は小峯さんお願いします」

すると次は奏衣に出番が回って来た。

「小峯です。小瓶の中に入っていることが多かったのですが、小瓶の中にいる時って思った以上に快適でびっくりしました。でも、小瓶の中に閉じ込められている時に小瓶の外で、自分を誰かが演じていると感じてしまうのはさすがに気持ち悪かったです。小瓶の中から外の世界は見えない方がもっと快適になると思います。どうせ出られないわけだしで、外の人間が何をやっているなんてどっちみち気分を悪くするだけなので、そのあたりはもう少し工夫したらいいと思います」

奏衣は小瓶の中に閉じ込められた側の立場として話をした。

「そうですね。僕は外の世界の様子が手に取って分かる方が安心すると思っていたのですが、意外にもそれが不安感を増幅させるんですね。最終形に仕上げる際にはさらに工夫してみます。じゃあ、最後は咲さんから」

最後は咲が話す番になっていた。

「細見です。聡くんの実験パートナーとしてずっとサポートを続けて来たのですが、今回は私が密かに思いを寄せていた翔太くんに告白するというシナリオまで聡くんが見せてくれた時に、この通りうまく行くのか不安だったんですが、彼が考えた通りにいって無事に協力することができました。奏衣さんや友利くんが私の姿に変身したのですが、客観的に自分を眺めることができるよい機会だったと思います。他人の立場が分からないときに教材として使うならこの小瓶は意義があるものと考えますが、やはり犯罪等に使われないように制限する必要があると思います。聡くんの発明は社会の役に立つために用いられるべきだと思うので、その辺りは絶対に取り入れて欲しいと思います。私の意見は以上です」

そして、全員が話し終えると聡が話しをまとめはじめた。

「みなさん、ありがとうございました。最終的な製品はこのプロットタイプとはだいぶ変わって来そうですね。もう少し調整してみたいと思います。じゃあ、これでお開きにしたいと思うのですが、最後に僕からのお知らせがあります」

聡がそう言うと部屋の中の雰囲気に少しだけ緊張感が戻っていた。

「今回、ここで僕が発明した最新作を発表したいんだけど、もうすでに少しだけ見せちゃったよね。最新作なんだけど名称はまだ仮で特殊変幻自在スーツと今のところ呼んでるんだ。実は今の僕はこのスーツを着たままの状態なんだけどわかったかな?僕の素の身体の上からスーツを着ている状態なんだけど、そのスーツが僕の姿をトレースしているってわけ、肌を再現するだけでなく、僕の身体の内側まで全てにスーツが浸透しているんだよ。僕の全ての表面を覆った上で、元の身体を自由に変形させることができというのが普通のスーツとは違うところなんだよ。さらには、毛穴や汗腺はもちろん性感帯まで全てを思いのままにできるんだ。さらにはスーツのメモリーに数人分のデータを格納しておけるので、該当する部位だけを変形させたり組み合わせたりするのも思いのままにできるんだ」

そう言って聡は右耳の後ろに手を回して素早くリズムよく三回叩くと、全身が光った。すると聡の服を着たままで一堂彩陽の姿が現れた。

「ねっ、こんな風に一堂彩陽さんの身体はメモリーに記憶してあるから、すぐに再現できるってわけ」

目の前でハキハキと話す女性だが、聡の服を少しブカブカに着ているのはなんだかおかしかった。一堂の姿でまた右耳の後ろを叩いた。

「この姿はどうかしら?聡さんの研究パートナーの細見咲です。私のデータも当然入っているのよ!」

今度は聡の服を着た咲の姿が現れた。そうかと思うや咲の姿でまたまた右耳の後ろを叩いた。

「実はね。この姿も記憶してあるんだ。忠成お兄ちゃん!私はお兄ちゃんの大事な妹、友利美優(みゆう)よ。ウフフ」

聡の服を着ているものの友利の妹の美優の姿はさすがに兄の心を揺さぶっているようだった。

「この姿ならさすがのお兄ちゃんも動揺してしまうわよね。一昨日の夜から昨日の朝にかけてもこの姿でお兄ちゃんと一緒に過ごしてたんだけど、全然気づいてなかったでしょ」

それを聞いた友利はハッとした。一昨日の夜と言えば、仕事が終わり翔太と軽く飲んで家に帰って来たのだが、家に帰ると自分の部屋に美優がいてびっくりしたのだ。お互いの部屋には無断で入らないことにしていたのに、その日だけはなんだか様子が違っていたもののさすがに気づいていなかった。

「どうやら思い出したみたいだよね。美優の姿なら不審に思われることないものね。その時、本物の美優ちゃんは別の場所で咲と一緒に過ごしてもらったのよ。お兄ちゃんの部屋に無断で入ったのは謝るわ。ごめんなさい」

美優の姿で謝る聡は果たして何を考えているのか全くわからないのだが、妹の姿で謝ってきたのには心が惹かれた。普段の美優が見せることのない姿だからだ。

「まだ試作段階でもこのスーツがかなり完成してるってわかったわよね。お兄ちゃん」

聡は本当に美優が話すかのように何か話すたびにお兄ちゃんと連発していた。友利にとってそれがなんとも心地良いことをまるで知っているかのようだ。

「他にも何人かこのスーツのメモリーにデータが入っているけど、今日はここまでにするわ。なんと言っても、このホテルにはこの姿でチェックインしたからね。この服に着替えるんだけど、妹の着替えている姿を見てみたいかな?お兄ちゃん」
「いや、さすがにそれは……」
「そうだよね。私が作ったスーツによって変形していると言っても見た目は完璧に美優の姿をしているからね。さすがに恥ずかしいわよね。でも、美優ちゃんはお兄ちゃんなら見られても平気だと思ってるからね。翔太くんさえいなければ、ここで着替えちゃうわよ」

ここで、翔太が席を立ち寝室へと向かった。

「着替えが終わったらまた呼んでくれよな、美優ちゃん!」
「うん、ありがとう。翔太さん」

聡は思わず翔太の頬に軽くキスをしていた。それは明らかに女の子の柔らかさを感じるキスだと翔太は思った。

「お前が聡だなんて、これっぽっちも感じることができないぞ。こりゃまたヤバい発明品だよな」

そう言って翔太が寝室へと入ると美優の姿で聡は着替えを始めた。



十七 和解

一泊二日で色々とあったのだが、友利はやっとのことで自宅に戻って来た。咲は自分の車でホテルから帰宅して、友利は翔太と軽く奏衣を自宅まで送って来たのだ。

「お兄ちゃんの部屋に入っていいわよね」
「うん、いいよ」

そうそう、美優の姿をした聡も一緒に帰って来たのだ。聡の家に送ろうかと思ったのだが、聡が本物の妹のように振舞っているのに錯覚してしまい、とりあえず家まで連れてきてしまった。

「今は両親も美優も外出しているからいいけど、もしこのタイミングで帰って来たら大変なことになるよな」
「じゃあ、こうしてみるのはどうかしら?」

美優は右耳の後ろに手を回し素早くリズム良く叩いた。全身が一瞬光ったかと思うとすぐに落ち着きを取り戻していた。

「ねぇ、愛しているわ、トモくん」
「あっ、カナの体もメモリーの中に入れてあるんだね」
「そうなのよ。この姿ならなんら問題もないわよね。私が美優ちゃんと体型がほぼ同じだってことも調査済みだったのよ。玄関に置いてある靴もこの服装も新しく準備した物だから心配しなくていいわよ」

今度の聡はすっかり奏衣に成りきっている。

「何だか俺の負けだよな。俺は聡みたく計算高く無いし、先のことを考えるのも弱いかも知れない。俺の部屋に二人きりでやって来たのには訳があるんだろう」
「ピンポーン、その通り!直観力だけは長けているみたいだね」

いつの間にか首から下は奏衣のまま顔は聡に戻して、友利の部屋にある小さなソファーに腰をかけた。

「この試作品の開発を進めるためにはどうしても友利くんの協力が必要なんだよ。今すぐではないんだけど、この発明品も友利くんの協力無しでは完成できそうにないからね。君の部屋にわざわざやってきたのもそのためなんだ」

聡は組んでいた脚を外したかと思うと片足を伸ばして両脚を眺めていた。

「それにしても、奏衣もさすがに女だよね。ムダ毛の処理もちゃんとしている。こんなに女性らしいきれいな脚だとは思ってもいなかったよ。このスーツの見た目は完成しているかのように見えるけど、実はまだ肌からの感覚が伝わって来なかったりするんだよね。次の試作品では外からの感触を感じる部分について大幅に改善する予定だよ。そのためにも君の協力が欠かせないと思っているんだ」

そんなことを言いながら聡は自分の胸に手を当てて揉み始めていた。

「今の時点ではこんな風に揉んでも、揉まれている感覚が返って来ないんだよ。見た目では気持ちよさそうに見えるだろうけどね。実際のところ僕には自分自身の胸の感覚しか伝わって来ないんだよね」
「わかったよ。完成度を高めるために必要なことがあれば今回も協力するよ。お前を疑うような俺が悪かったよ」
「僕は決して友利くんを利用しようなんて思っていないよ。きっと今日からは最強のパートナーになるだろうね」

友利が右手を差し出すと、聡は肌が白くてきれいな右手を差し出した。

「あっ、ここは僕の手に戻した方がいいかな?」
「そんなのは関係ないよ。俺の心とお前の心通じればいいんだからな」

そう言ってお互いに差し出した手をしっかりと握りがっちりと握手をした。

「なぁ、聡。握手の感覚もしっかりと伝わってこないものなのか?」
「表面の感覚は伝わってこないけど、自分の体の感触として握ってるというのはわかるんだ」

友利が聞くと聡はすぐに答えると友利のスマホがブルッと震えたので内容を確認してみた。美優がそろそろ家に帰って来るというメッセージが届いていたのだ。どうやら一人で帰って来るらしかった。

「じゃあ、これからよろしくお願いしますね。トモくん」

メッセージを確認している間に聡は奏衣の顔に戻していたのだ。聡の頭の中では美優が帰って来てから起こることもある程度想定されているのだろう。友利と聡は次なる計画のため新しい一歩を踏み出し始めたことにどうやら間違いがなかった。


(おしまい)








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