だいだい(その1)

作:夏目彩香(2003年7月4日初公開)




梅雨の時期のある蒸し暑い日。俺、岡村仁志(おかむらひとし)のいるアパートにはエアコンがついていないので、窓を開けるしか無いが、外は昼まで雨が降ると言うことで開けることができない状態だ。
俺はここで一人暮らしを続けている。仕事をしているわけでも学生であるわけでも無い。大学入試を前に、入試の勉強をするため東京で一人暮らしを始めたのだ。両親を納得させるのにちょっと時間がかかったが、東京にいた方が有名な予備校もたくさんあって勉強環境がいいと説得してからやって来た。
今日は朝起きるのが遅くなったため、雨が止む頃から予備校の自習室で涼しく勉強をする予定だ。さっそく俺はシャワーを浴びたあとで、クローゼットを開け着替え済ませる。いつものように上はTシャツに下はジーンズのよくある格好だ。勉強道具の入ったカバンを手に取ると、家を出た。
家から予備校までは地下鉄を使って移動するが、近くの駅までは15分ぐらい歩いていく、駅の改札を通りプラットホームに立つと、ムッとした空気が俺を襲ってきた。地下鉄に乗るとエアコンが効いていて快適なものだ。
予備校のある駅に到着して、ホームに降り立った時、反対側のホームに一人の女性が立っているのが見えた。ブラウンの長い髪をなびかせている彼女は、俺もよく知っている木村貴子(きむらたかこ)だった。
俺は急いで反対側のホームへ行って貴子に会いに行くことにした。俺が貴子のいる階段を下り終わったところで、駅に電車が入線して来るのが見えた、俺は全力で走って貴子の目の前まで駆け寄ろうとしたが、勢い余ってそのまま貴子にぶつかってしまった。
「きゃっ」
「あっ」
二人はホームの端ぎりぎりで倒れ、そのまま電車が入って来ていたらしい。頭の上すれすれでは電車が通っていく音が聞こえた。ここまではほとんど俺は無意識の状態だった。電車がホームで完全に止まっても意識は戻っていなかった。
そのあと俺たちの様子を見に駅員がやって来て、俺たちをすぐそばにあるベンチに移動させていた。ようやく俺の意識が戻って来ると、駅員の人が俺を軽く揺すりながら「大丈夫ですか?」と叫ぶ声が聞こえてきた。
意識が完全に戻ると、俺は自分の違和感に気づいた。とりあえず、俺はすぐそばにいるはずの貴子を見ようと隣を見てみたが、そこにいた人物に驚いてしまった。俺のよく知っている人物、そこに俺がいたからだ。目の前にいる俺もようやく意識を取り戻したようで、お互いの目が合った。二人の意識が完全に戻ると、駅員の人たちは安心して帰って行く、ベンチには二人だけが残された。
ようやく気づいたのだが、俺は貴子になっていた。目の前にいる俺が、貴子だということもわかった。二人は入れ替わってしまったらしいのだ。それにしても、目の前にいる俺はこの現状を楽しんでいるかのように見えた。二人はとりあえずお互いの生活を交換することにして、俺の家で時々会うことに決めた。
俺になった貴子は予備校へ行ってしまい、プラットホームには俺が一人残された。しかし、周りからは貴子が立っているにしか見えないことだろう。だいだい色、いやオレンジ色のHラインスカート、黒のミュール、白い薄目のニット、ピンクのショルダーバック、ブラウンの長い髪に見え隠れするゴールドリングのイヤリングと言った出で立ちが今や俺の姿だった。
電車を待ち始めると周りの視線が妙に気になる。俺は貴子に成りきるため、バッグの中から香水の瓶を取りだして体にシュッと吹きかけた。オレンジ系の香りがする香水だ。オレンジ色の好きな貴子らしい選択。今度は、リップスティックを塗ることにしたが、これもまたオレンジ色だった。唇がきれいなオレンジに染まる。
構内のアナウンスが鳴り響き、暗いトンネルから待っていた電車がやって来た。電車の中からおばちゃんが降りてくる中、俺は履いているミュールを滑らすようにして、電車の中へと入って行った。
空いている席があったので、俺はそこに座ることを決め、貴子らしくスカートの裾を気にしながらその座席に腰を下ろした。ショルダーバッグを太ももの上に置き、きれいな足を揃えて座っていた。この時、空いている座席は少し狭くて、右隣に座っている大学生くらいの男と密着した形になった。
俺は大学生くらいの男に密着していても、嫌な顔一つせずに涼しい顔をしていた。右側にいる男は俺と密着することで、鼓動を高めているようだった。この時、俺はこの男を少しからかってやろうと考えた。バッグの中からコンパクトを取り出すと、自分の顔を眺めると同時に鏡越しにチラッと隣の男の様子を見てやったのだ。男はどうやら俺に、いや貴子に惹かれているようだった。
男がわざと俺に体を寄せてくるので、俺も負けずに押し返してやる。俺の白く細い右腕には男の左腕の感覚が伝わって来る。俺は男が降りる駅で降りてやろうとこの時思った。車内アナウンスが流れ男が席を立つと、いよいよ男は次の駅で降りるよう。
俺はわざと座ったままでいて、再びバッグの中からコンパクトを取り出しては自分の顔を眺めていた。貴子の顔、今は俺がいつでも独り占めできる。俺にしか無い特典だ。
駅に到着すると電車のドアが開く、男が降りてから俺はすっと席を立ち同じホームへ降り立つことにした。俺がホームに降りた時、男はエスカレーターの前まで来ていたが、どうやら俺が来るのを待っているらしく、時刻表なんかを見ている。
俺は男を気にしてないふりをしながらエスカレーターに乗った。ちょうど男は俺の前に立っていた。ここで俺はわざとらしく独り言をこぼしていた。
「俺が貴子になったなんてたまんねぇよな。さっき隣に座った奴なんて緊張してやんの」
どうやら男にはこの言葉は聞こえなかったらしい、俺は次の作戦に出ることにした。
男がエスカレーターを上がり改札を通ると、俺を先に行かせて今度は後ろからついて来たようだ。とりあえず俺は計画を実行するべく、俺になった貴子に電話をしてこのあとの待ち合わせ時間を変えてもらった。男は必ず俺のそばにやって来ると思ったので、貴子の家に行くときの出口で誰かを待つふりをすることにした。
すると男は俺の思った通り罠にひっかかってくれたようだ。俺の前の突然立って告白をして来たからだ。俺とつきあって欲しいというなんともストレートな告白。俺はすぐにオレンジ色の唇を男の唇に重ね軽く舌まで入れてやった。顔を離して一言。
「お前、貴子に惚れちゃったよな。俺が代わりにお前の大好きな貴子をやってやるからつきあってもいいぜ」
すると男は呆然とした眼差しで俺の美貌を眺めることしかできなくなったようだ。
「お前。どうした?」
俺は男に向かって話かけてやる。男はようやく意識を取り戻したみたいだった。
「もしかして、性格悪い?」
正気になった男は、根拠もなく変なことを言ってきた。しょうがないので、俺は貴子らしく話すことに。
「私が性格悪いだなんて?そんな風に見るなんて、あんたって最低の男ね!」
このあと思いっきりビンタを浴びせてやる。男は左の頬に手を当てながら俺の方をじっと見つめている。
「これでも性格は最高よ」
「わかった。わかった。信じるって。でさ。さっき告ったの無かったことにしてくん無い?」
「嫌よ。あんたはあたしとつきあってもらうことに決めたんだって」
俺は男と強引に腕を組みながら、歩き出す。
「あのさぁ。スタイルは抜群だけど、性格は超最低だったなんて。それ知ってたら告らなかったよ」
ぐだぐだ言っている男の言葉を俺は気にしていなかった。
「お前なぁ。こんな美人がつきあってやるって言うんだからな。その通りにしろよ」
「そうしたいけどな。そんな言葉遣いの女とはつきあいたくないって」
「じゃあ。こうしたらいいんだよな」
「どうするつもりだよ?」
俺は貴子の記憶を思い切り引き出して、自分の意識をなるべく薄くした。
「これから、私とつきあってくださいね。お願いします」
「そうそう。それなら良いって。あっ。ところでこれからどこへ行くつもり?」
「もちろん、うちに決まってるじゃないの」
こうして俺は完全に貴子に成りきりながら、男と一緒に貴子の家に向かったのだ。




(だいだい(その2)へ)



本作品の著作権等について

・本作品はフィクションであり、登場人物・団体名等はすべて架空のものです
・本作品についての、あらゆる著作権は、すべて作者が有するものとします
・よって、本作品を無断で転載、公開することは御遠慮願います
・感想はメールフォーム掲示板でお待ちしています

copyright 2016 Ayaka Natsume.












inserted by FC2 system