先輩!(デート編)

作:夏目彩香(2002年12月29日初公開)

(1)

俺は佐久間直樹(さくまなおき)、昨日の深夜はうちの学校の女子寮である聖心寮(せいしんりょう)へ行ってきた。久しぶりに、交通事故で亡くなってしまったがそこらをまだ彷徨っている日陰広樹(ひかげひろき)から連絡が来たからだ。

広樹の奴は俺に叱られたことをだいぶ根に持っているらしく、聖心寮では広樹の奴にやられてばっかりいた。それでも、今日は俺のために人肌脱いでくれることになっているから、とても気持ちよく目覚めることができた。

昨日は4時頃に寝て7時には起きたので、いつもなら寝不足と言ったところなのに……そういえば、寝るときには妹の楓(かえで)?が一緒に寝ていたのにいなかった。それもそうだろう。昨日は広樹が俺の家に先回りをしていたのだろうから。念のため楓の部屋のドアを開けて確認しておいたら、ちゃんとベッドの上で黒いパジャマ姿の楓が寝ていた。

それにしても昨日は驚いたものだ。俺が気にかけていた子がうちの学校に留学をしている韓国人だったなんて想像だにしていなかったからだ。昨日の深夜のうちに彼女の姿を見られるかと思ったら。強引ながら今日にも会うことにしたのだ。まぁ、当の本人には許可を取っていないが、広樹の奴がなんとかしてくれることだろう。

電話で今日あったはずの約束は全部無くした。準備のほぼできた俺はいてもたってもいられなくなって、シャワーを浴びて着替えをするまで連絡がまだ来ないので学校へと向かった。広樹の奴からはそのうち電話で連絡が来るはずだから、どこにいてもいい。なら学校に行くのがいいんじゃないかと思ったのだ。

家を出るといつも歩いている道を歩き始めた。こんな日に限って雲一つ無い快晴とは願ってもないことだ。俺の運がとってもいいような気がして、気分がよくなった。いつ電話が来るのか楽しみにしながら歩いているので、つい歩いている人たちの目を引いてしまう。

学校の校門まであと少しといったところで、待望の電話がかかってきた。着信音が3和音で最新の携帯電話では無いが、Eメールもできるので十分だった。折りたたまれた扉を開くと見慣れない電話番号が現れている。080から始まるのでどうやら最近加入したみたいだ。

そうそう。悠長にそんなことを考えている場合ではない。早く電話に出なければならない。しかし、着信ボタンを押そうと思ったら着信音が途切れてしまった。またかかってくると思ったので、ここの場所で次の着信を待っていた。

すると案の定、さっきと同じ着信音がかかってきたので、電話番号がさっきと同じということを確認してから着信ボタンを押して電話に出たのだ。



(2)

俺は佐久間直樹(さくまなおき)、今はうちの学校の校門まであと少しのところへと来ている。ここに来たときに携帯電話に電話がかかったが、一足遅くなって切れてしまった。必ずかけ直して来ると思ったので、案の定同じ番号からの電話がかかってきた。電話に出るために携帯の着信ボタンを押した。

俺はようやく来た電話に落ち着いて答えてやる。

俺「もしもし」

すると、ちょっと怯えるかのような女性の声が聞こえた。

電話の向こう「ヨボセヨ」

初めて聞く声の主を確かめるべく、俺は話を続けた。

俺「ヨボセヨ!?韓国語でもしもしだったよな。あんた誰?」

ちゃんと日本語がわかるのかと言う不安もあったが、すぐさま向こうから返事が返ってきた。

電話の向こう「あの〜。直樹さんですね。私、朴香姫(パクヒャンヒ)と申しますけど」

パクヒャンヒ、その名前を聞くと俺の体温が1度高くなったような気がした。

俺「あっ!(広樹の奴だけど、敢えて香姫さんらしくしているのか……)香姫さん?」

俺は香姫さんに広樹が乗り移っているはずだと思ったが、敢えて俺も普通に話すことにした。

香姫「そうなんですけど。恵美さんと言う人に頼まれて、直樹さんに会うように言われました」

広樹の奴、恵美の奴に頼まれたなんて、なかなかこった台詞をかけてくる。

俺「(広樹なんだろうけど、知らないふりしてやるか)そうですか。俺、直樹って言います。これからよろしく!」

俺は、広樹の奴だと思わないように心からよろしくって言ってやった。

香姫「恵美さんと言う人が、私とどうしても会いたい人がいると言うので、私も今日は暇でしたから会うことにしました」

香姫さんって、そんなに暇なのか?また広樹が勝手な理由をつけてると思いながらも、感謝しながら続ける。

俺「じゃ、待ち合わせしましょう」

単刀直入に俺が切り込むと

香姫「どこでですか?私このあたりのことまだよくわかりません。日本に来たばかりですから」

わからないはずないだろう。俺は地図が苦手なんだよ。広樹は方向感覚がよかったんだからな。俺は内心そう思っていた。

俺「それなら学校の中にしませんか?香姫さんのよく知ってる場所で」

香姫になりきってる広樹のために、俺は優しく話し続ける。

香姫「それなら、図書館の前にしませんか?私がよく知ってるのはそこなので」

流暢な日本語で香姫が答える。韓国人特有のアクセントまであるから、知らなければ本当に韓国人のようだ。

俺「わかりました。じゃあ10時に待ってますので来てください」

さっぱりと、俺が答えると。

香姫「10時ですか。早すぎるとは思いますが、できるだけ行きますね」

変な日本語だと思っても、俺の心はもうすでに会うときのことを考えている。最後に念を押して聞いてみた。

俺「あっ!あと。。。この電話番号が香姫さんのだよね」

これを確認しておかないと、あとで何かあった時が大変になるところだった。

香姫「そうです。何かあったら連絡ください」

この言葉のあとにすぐに俺は答えた。

俺「わかりました。じゃ、あとで会いましょう」

もう気持ちの中には彼女と会う時の映像が浮かんでいた。

香姫「はい」

そんなわけで、電話が切られた。やはり電話の向こうは広樹が入ったと思われる香姫さんだった。広樹の奴はだいぶ香姫さんの能力を使っているらしい。知らなければ全く気がつかないだろう。これからちゃんとやってくれるのだから、俺は相手が広樹だと言うことをできるだけ忘れることにした。図書館の前に10時ってことはあと30分ほど余裕がある。どんな格好で待っていてくれるのか今から楽しみにすることにしよう。そう思うと俺は足早に図書館へと向かうのだった。香姫さんに会うために。



(3)

ここは図書館の前。予定の10時までにはまだ少し時間があるが、俺こと佐久間直樹(さくまなおき)は、ここで香姫(ヒャンヒ)さんを待つことにした。うちの大学の図書館は24時間いつでも利用でき、さらには待ち合わせのためのスペースまでつくられているのだ。そうはいっても俺がここに来るのははじめてだった。こんなところがあったとはなぁ。

香姫さんがここに来るまでとりあえずここで待っていることにした。普段の俺だったら待っていることもできないのだが、今日は違った。自分の気になる人を待つためだったらやはり気持ちが違うものだ。もちろん、実際にここに来るのは香姫さんであって香姫さんではないのはわかっているが、それでも良かったのだ。

腕にはめている時計をふと見ると長針が0を指していた。周りを見渡してみるが、香姫さんらしき人はどこにもいない。図書館へ入って行く人が1分あたり2人ぐらいといったところだろうか。まぁ、広樹の奴は生前から時間を守ったことが無かったから、それも当然なのかもしれない。

時計の針はだんだんと右に傾いていって、ちょうど直角に曲がったころ。遠くの方から俺の名前を呼ぶ女の子の姿が見えた。ここから見た目の距離にして200mぐらいだろうか、あれがきっと香姫さんらしい。赤いコートに身を包んでいる姿と長い髪を揺らしながら小走りで近づいてくる。俺の中にある緊張感がだんだんと高まってきた。

長い髪は軽くパーマをあてたようで、毛先の方にくるんと巻きが入っていた。彼女は時々俺の方に向かって名前を軽く叫んでくれる。少し気を落ち着かせないと声も出せなくなりそうだった。少しふっくらとした顔は韓国人独特の容貌を思わせる。赤いコートで中がよく見えないが、コートの下からラメ入りの黒のパンストがすっと伸びて茶色のショートブーツに収まっている。俺の目からはヒールもだいぶ高そうだ。歩くのも大変そうに思うのだが、小走りぐらいは簡単にできるらしい。

図書館の前には大きな階段があって、あとはここを登ってくるだけの距離まで彼女は来ていた。向こうから大きな声が聞こえてくる。

香姫「直樹さ〜〜ん!」

俺は彼女の声に対して自然な笑顔を浮かべながら軽く手を挙げた。大きな階段を降りて行こうと思ったが、あまりの緊張感に降りていくことを忘れてしまった。彼女の顔にはちょっとだけ濃い目の化粧がなされてりう。すっとした眉の下、パープルのアイシャドーがまぶたに深く切り込んで目尻に伸びている。頬のふくらみを抑えるような立体メイクに、唇はきらきらと輝いている薄い赤で印象的だった。そして、彼女がだんだんと階段を上がってくるうちに軽く挨拶をすることにした。

俺「香姫さん、はじめまして。俺、直樹って言います。よろしく」

彼女は階段を上がりきって、俺の目の前に立ちこう言った。

香姫「えっと。私は朴(パク)香姫と申します。どうかよろしくお願いしますね」

そう言いながら彼女は俺に向かって片目でウインクをしてきた。面と向かってみるとやっぱり彼女は俺のタイプだ。さっきの何でもないような仕草がとても嬉しく感じる。広樹の奴とはわかっていてもなんだから、本人がそんな気持ちを持ってくれたらと思わず考えながら、こうやって初デートがいよいよ始まるのだった。



(4)

俺、佐久間直樹(さくまなおき)と今一緒にいるのは朴香姫(パクヒャンヒ)と言う交換留学生、長い髪に軽くパーマがあててあって、赤いコートの下からラメ入りの黒のパンストがすっと伸びて茶色のショートブーツに収まっている。それにしてもこのブーツのヒールが高い、あんなんでちゃんと歩けるのかと思うくらいだ。

彼女と向き合っていると顔のメイクが印象的だ。派手では無いとは言え、日本人の女の子があまりしなような雰囲気を醸し出しているから。すっとした眉もと、パープルのアイシャドーがまぶたに深く切り込み目尻に伸びる。頬のふくらみを抑えつつ、全体を目立たせるような立体メイクに、唇が薄い赤できらきらと輝いていた。

そして、彼女は彼女であって彼女で無かった。すなわち本当の朴香姫がすぐそばにいるのでは無くて、ついこないだ交通事故で亡くなった日陰広樹(ひかげひろき)が彼女を動かしている張本人であることは、俺と広樹以外に知る奴はいないのだ。広樹は最初から俺を失望させることなく、すんなりと香姫になりきってくれている。いよいよこれからデートの開始だ。

「これからどうしようっか?どこか行きたいところある?」

沈黙を破ったのはまずは俺の方だった。

「行きたいところですね。たくさんあるなぁ」

「今日はまだまだ時間があるから、じゃあ、まずは映画でも見に行きませんか?」

俺はデートの基本として提案してみた。

「映画ですか?何か面白いのがあれば……」

まんざらわるくないらしい、何を見るかなぁ。そうだ。

「そうだ。今、韓国の映画が上映されているので、それでも見に行かない?」

「そっか。いいですね」

「うん、じゃ行こっか」

学校の周辺に映画館が無いので、もっと賑わいのあるところまで移動することにした。バス停でバスを待ち2人でバスに乗った。空席があったので、俺と香姫さんが一緒に座る。バスが走るたびに2人の体が密着するようで、俺はとても幸せな気持ちになった。カーブを曲がったときに香姫の体が俺の方に寄りかかってくる。その感触がとても気持ちよかった。

「これからどこ行くんですか?」

香姫は可愛い声で俺に聞いてきた。

「街の映画館に行こうと思って、それにそこなら他にも何でもあるから」

「あっ。そっか。じゃあ、買い物とかもできる?」

香姫の表情がさっきよりも明るくなったようだ。広樹は俺のために頑張ってくれているようだと思ったが、これからは俺も広樹だとは思わないように決めた。

「ん?もちろん。それじゃ、映画を見た後は買い物でもしようか」

そう言うと、香姫は

「あの〜それならお願いがあるんだけど」

いきなりお願いをしてくるなんて彼女はなんだか可愛い。

「何かな?」

俺がそう尋ねると、香姫が言ってきた。

「日本に来た時から買いたい服があってね。それ、買ってもらえたら嬉しいんです」

いきなりプレゼントか。。。まぁ、それも悪くないけど、問題は予算だった。

「それって、高いでしょ」

「もちろんです。無理ならいいんです」

そう言うと、香姫は自分の言った言葉に後悔しているよう。

「いや。大丈夫、この際だから買ってやるよ」

「えっ!?本当に?」

「だから、これからも俺とつきあってくれるか?」

「ん〜。直樹さん、いい人だと思うんですけど、そのことはまだ早いと思うんです」

そう言いながらも香姫がつきあっていい感じがしているのを俺は見逃さなかった。

バスは街に到着、学校の周辺とは比べ物にならないほどに店が多く、もちろんお目当ての映画館もある。俺が映画館に行ってチケットを買ってくると、開演の時間までまだ時間があるので、最初に買い物に行くことにした。こうなると主導権は香姫に移動することになる。

「ここのお店入っていい?」

「ん?」

俺が見てみるととても俺一人では入れない、女性カジュアルの専門店だった。

「あぁ。いいよ」

あっさりと言って見せたが、内心ちょっとドキドキしている。さすがに俺が入るには場違いな感じがしたからだ。それでも、香姫は自分の気に入るものを見つけてはどうしようか悩んでいる様子。この姿を見ていると広樹が動かしているのが嘘に見えてきてしまう。

「ねぇ。これどうですか?直樹さん」

そう言って見せてくれたのは春用の薄手のスカイブルーのカーディガンだった。

「えっと。香姫さんにはこれが似合うと思うけど」

そうやって俺は隣にあったピンクの方を渡してみる。

「気に入ったの?」

見つめているとなんだか吸い込まれてしまいそうに可愛い表情で答える。

「うん。これにします」

香姫は俺に買ってくれと言わんばかりの表情をしてきた。さっき約束したことだったから俺は買ってやろうと思ったが、やっぱり値段が気になる。

「ところで、これって値段いくら?」

「値段?そうですね〜」

そう言うと香姫は価格の書いてあるタグを探し当てた。

「あっ。1万2千9百円だって。カーディガンのくせにこんなに高いんですか?」

香姫の顔はちょっとがっかりとしている。

「えっ。そんなにする?でも、それくらいなら買ってやるけど」

俺の予算では何とか買えない範囲ではないので大前を切って言ったが、香姫は違った。

「駄目、駄目。違うの探します」

「どうして?あれよかったじゃない」

「もっと安いのがあれば、他にも買ってもらえると思ったんですけど」

どうやら思ったよりもお金の使い方にうるさい子のようだった。

再び目抜き通りを歩いていると香姫が目当ての店を見つけて入って行った。今度の店は男女両方の品揃えがあるが、やはりメインは女性をターゲットにしているお店だ。女性の商品が圧倒的に多い。香姫の目はワンピースに止まった。

「あっ。これがいいですね」

さっきと同じような色だったが、微妙に薄いピンクのワンピース。価格もさっきのカーディガンと同じ値段だったが、セール期間だっために更に2割引きだからお得なもんである。

「じゃあ、これにするかい?」

「う〜ん。とりあえずは試着してみてから考えてもいいですか?」

そう言うと香姫は試着するためにフィッティングルームに入った。

フィッティングルームの中では香姫に乗り移った広樹がちょっとした葛藤に出くわしている。なにしろ、香姫さんの体で着替えを始めるのだ。戸惑わないわけがない、赤いコートをフックにかけると、中に着ているカットソーのピンクの細い縦縞が入ったワイシャツとひざ丈まであるブラウンのひだスカートが現れた。ボタンに一つ一つゆっくりと外していくと、香姫さんの下着姿になった。鏡の前で、自分の姿を見とれているようだ。

「香姫さんの体だ。広樹の奴が好きになるのも無理がないか」

思わず下着の上から胸元と下腹部を触ってみる。

「今まで何人かの女性に乗り移ったけれど、こんな気持ちははじめてだ」

そんなことをしていると外から声が聞こえてきた。

「香姫さん?まだですか〜。なかなか着替えに時間がかかりますね」

直樹の奴は中の様子がわからないからよかった。

「あっ。もう少し待っててください」

「わかりました」

直樹のためにもやりたいことは抑えて、持ってきたワンピースに香姫の細い足を入れた。そして、鏡の前には薄いピンクのワンピースに包まれた香姫の姿が映っている。外で待っている直樹を呼んで、この姿を見せることになった。

「似合ってるんじゃない。これならいいよね」

「これ気に入りました。本当に買ってくれるんですか?」

「うん。いいよ。俺から買う方が気分がいいし」

結局、この店ではこのワンピースを買ってあげた。これが俺からの最初のプレゼントと言うことになる。

「プレゼントしてくれて、どうもありがとうございました」

俺の方に向かって笑顔を向けてくれる香姫がとても可愛かった。

「気に入ってくれてよかったよ」

そんなことを言うと同時に俺のお腹が鳴った。

「あっ。お腹が鳴ったんですね。そういえば、昼の食事をどうしますか?」

買い物につきあったせいもあってか俺は疲れていた。それに食事の時間だってのをすっかりと忘れていた。

「じゃあ、どっか食べに行こうか」

こうやって2人のデートはまだまだ続いていった。



(5)

今、俺こと佐久間直樹(さくまなおき)はと一緒にデートをしている朴香姫(朴香姫)は2人揃って食事をしに行くところだ。もちろんこれは初めてのこと、昼ご飯なのであまり高い物を食べに行くのもおかしいので、俺は回転寿司に行くことを思いついた。

「回転寿司って行ったことある?」

韓国から来たので、せっかくだから日本食にしようと思って聞いてみた。

「行ったこと無いです。日本に行ったら行ってみたいと思っていました」

香姫はそうやって行ってみたい意思を表す。

「じゃあ、行こうか」

この当たりと言えば、回転寿司の激戦区なので、どこの店も安くておいしいからちょうどいい、どの店に入ろうかと思ったが、すぐそこにある店に入ることにした。

店に入るとどこにでもある回転寿司の光景が目に入ってきた。香姫にはどう見えているのだろう。香姫としては初めてのことだろうが、直樹(なおき)とかつてよく行っていたので、本当に初めてには見えていないのかも知れない。皿が出てくる方のカウンター席に俺たちは座った。香姫はコートを脱ぐと隣の席に載せている。

「これが回転寿司。こうやって回っている皿から自分の食べたいものを取るんだ」

そう言うと、俺は自分の大好きなまぐろの皿をまずは取っている。

「おもしろいですね。こうやって皿が回っているんですね。私、日本で寿司を食べるの初めてです」

嬉しそうな顔をしている香姫の姿を見ていると俺の食欲が増してくる。

「お茶はここから湯飲みを取って、お茶のティーパックをを湯飲みの中に入れて、ここにある蛇口からお湯を入れると完成。やってみて」

そう言うと、香姫も同じように流れている湯飲みを取って、ティーパックを入れる。そこまではよかったのだが、お湯を出すときお湯が跳ねて香姫の手にかかった。

「あぁぁ、あっつ〜ぃ」

その瞬間、俺は冷たいおしぼりで香姫の手を冷ますようにした。

「ありがとうございます」

香姫は俺にお礼を言ってくる。幸いかかったお湯の量がたいしたことなく大事にいたることはなかったが、香姫のブラウンのスカートが少し濡れたようだ。

「あっ。スカート濡れちゃったね」

香姫は新しくもらったおしぼりで軽くあてる感じで拭いていた。

「ちょっとなので、すぐに乾くと思います。大丈夫です」

そのあとは、お湯をこぼしたことから気を取り直して食事に専念した。結局、俺が20皿も食べたのに、香姫は4皿で終える。もちろんここの御勘定は俺が払って店を出てきた。

「ごちそうさまでした」

香姫が俺にお礼をしたが、俺はどうってことないと言う表情で応えてやった。

食事をしてお腹がまだいっぱいの俺たちは、映画が始まる前に少しだけ時間があるからと、とりあえず映画館に移動してそこの喫茶店で休むことにする。

「香姫さんは何にする?」

喫茶店のカウンターに立つと俺は香姫に聞いてみる。

「ここも俺が奢るから」

「でも、さっき払ってもらったからなんだか悪いです。ここは私が払います」

バッグのなかから財布を取り出すと、既にそう言いながらお金を払っていた。

「えっ?そう?ごめんね」

俺はすっかりと調子を崩されたが、香姫が支払うことを断固と譲らなかったのでしょうがない。

「席ある?」

「あっ。あそこがいいです」

香姫が選んだのは外の眺めが見えるカウンター型の席。一緒にそこに座ると、ゆっくりとコーヒーを喉に通しながら話をしはじめる。珍しく香姫が先に話を振ってきた。

「直樹さんは、韓国映画見るの初めてですか?」

「ん〜。そう言えば初めてになるなぁ。今まで一度も見たことが無いから」

俺がいつも見るのはハリウッド映画ぐらい、アクション映画が好きなので当然なのかも知れない。

「そうですか。もちろん韓国語はわかりませんよね」

「そりゃもちろんだよ。俺は韓国語はおろか英語もてっきり駄目だから。でも、日本語はわかるからね。ちゃんと生きていける」

俺はおどけながら言って見せた。

「日本語ができるのは羨ましいです。私の日本語はまだまだですから」

「でも、香姫さんの日本語は完璧に近いじゃない。俺の言ってることは全部わかるでしょう。自信を持って」

「それでも、話したいことがほとんど話せないですよ。今ももっと話たいことがあるのですが、言おうとしても無理なんです」

そうやって香姫は首を落とす。

「そんなことないよ。香姫さんが日本語できなかったら俺たち会話が全くできなかったんだよ。こうやって話ができるのは香姫さんのおかげだよ」

「ありがとうございます。なんだか直樹さんと一緒にいると楽しい気分になります。それに、なんか不思議な気持ちなんです」

そう言うと、香姫は恥ずかしそうに頬を赤くして、俺に見えないようにしてコーヒーを飲み始めていた。



(6)

俺こと佐久間直樹(さくまなおき)と朴香姫(パクヒャンヒ)のデートはまだまだ続いている。今は映画館の中にある喫茶店に来てコーヒーを飲みながら話をしていた。香姫は俺と一緒にいるとなんだか不思議な気持ちになると言った。しかし、それは香姫を動かしている広樹の遊びなのか、本心なのかわからなかった。ただ、俺はとりあえず雰囲気が示すままその不思議な気持ちに溶け込むことにした。

いよいよ、映画が始まる時間となった。俺たちは喫茶店から出るとすぐに映画館の入場口に行ってチケットを切ってもらう。すると、大きく4と言う数字が書いてあるスクリーンを目指して歩いて行った。映画を見ている途中でトイレに行きたくなったら困るので、ここでトイレに行ってくることにした。俺は男子用、香姫はもちろん女子用のトイレへと入って行く。

俺は便器の前に立つと、今までに起きた出来事を思い返していた。広樹が手助けをしてくれているとは言え、ずっと香姫に接している気分で過ごしてきた。広樹がいないかのように錯覚してしまいそうだったが、それだけに楽しい時間を過ごせていた。このあと、映画を見てから、どこかに食事に行くことを考え始めた。

その頃、香姫もトレイにいた。個室に入るとスカートと下着を下ろして用を足すのは何度か経験したことだが、なんだか慣れない。トイレットペーパーで濡れている大事な部分を拭き取ると、そのまま便器の中に入れて流した。個室からでると洗面台で手を洗い、バッグの中から化粧品の入った袋を取り出す。さっき食事をして落ちてしまったリップを塗り直したのだ。

洗面台の前には他に2人の女性が化粧を直していた。時間帯からすると同じ映画を見る人たちだろう。すると、隣に立っていた女性が香姫の顔を見て何か気づいたようで、話しかけてきた。

「あれっ?あなたって、うちの学校に通ってません?よく見かけるんですけど、韓国からの交換留学生ですよね」

「そうですよ。朴香姫と申します」

思わず、広樹は自己紹介をしていた。

「うわぁ。やっぱりそうなんだ。私、進藤早紀(しんどうさき)。韓国に興味を持ち始めたばかりで、韓国人の友達がいたらって思っていたんです。よかったらお友達になってくれますか?」

まずいことになったので。広樹は機転を利かせ、香姫の中から抜け出して、進藤早紀の体に乗り移りました。こうすると、香姫の意識が戻ってきました。いきなり自分が映画館のトイレにいると言うことで驚きました。

「私どうしてここいるの?」

香姫が考えてもわかるはずがありません。学校の寮で寝ていたはずの自分が突然、こんなところにいるのだから。そうしていると隣の女性から声をかけられた。

「あれっ?あなたって、うちの学校に通ってません?よく見かけるんですけど、韓国からの交換留学生ですよね」

声をかけたのは広樹が中に入った早紀である。

「あっ。そうですよ。韓国から来た朴香姫と言います」

意識はまだはっきりしないものの聞かれたことにすぐ応えた。

「うわぁ。やっぱりそうなんだ。私、進藤早紀(しんどうさき)。韓国に興味を持ち始めたばかりで、韓国人の友達がいたらって思っていたんです。よかったらお友達になってくれますか?」

さらに隣でメイクをしていた女性は2人が同じやりとりを始めたことに不思議に思いながらも、外へ出て行った。

「そんな風にいきなり言われても困るんですけど」

香姫は自分の状況すら把握していないのに、困ったことだ。

「じゃあ、携帯番号だけでも教えてもらえます?」

結局、2人はここで携帯番号の交換をした。

「私、先に行きますので、今度暇がある時に電話しますね」

そう言って先にトイレから出て行くと、スクリーン4のある方へと歩いて行った。

早紀が歩いている途中、直樹がいたがとりあえずは自分の座席を見つけて座った。隣にいるのはどうやら友達らしい。早紀にはもう用が無いのでまた抜け出した。早紀の意識が戻ると、トイレからいきなりここにいるのでどうやら驚いている。携帯電話を手に持っていたので中を見てみると朴香姫の電話番号が中に入っていた。自分が何もわからないうちに電話番号を交換していたらしいと、とりあえずそう解釈するしかなかったらしい。

早紀の体から抜け出した広樹は急いで香姫の居るところに移動した。香姫はちょうどトイレから外に出ていたところだ。トイレから出る寸前のところで再び香姫の体に乗り移った。勢いよく香姫に入ったためか、足下を崩しそうになるが、少し間を置くと大丈夫になった。いつもゆっくりと乗り移っていたので気づかなかったが、焦ると乗り移るときに体勢を取りにくくなるようだ。



(7)

香姫がトイレに行ってから思ったよりも帰ってくるのが遅かった。俺はトイレの前で待ちながらこれからのことを考えていた。どこへ食事に行くのか、食事のあとはどうしようか、今から計画を立てていないとどうしても気が済まなかった。

待っている間に、トイレから出てきた見慣れない女性が俺の方を見ていた。背のすらっとした美人で、髪は腰のあたりまで伸びている。黄色いワンピースに包まれた体のラインがセクシーで、黄色のピンヒールで歩く姿が様になっていた。何が気になるのかわからないけれど、俺に気があるのかも知れない。もし機会があんな子ともつきあってみたいと心の中では思っていた。

そうこうしているとトイレの方から香姫が出てくる。見ると少しだけ化粧を直してきたようだ。映画がはじまる前でも身だしなみに気を使う香姫の姿にちょっと感動しながら、俺は香姫と一緒にスクリーン4へと入っていく、階段を登りながら自分たちの席を見つける。だいぶ早い時間にチケットを買ったので席はど真ん中の見やすい位置になった。

席に着くとわかったが、さっきの女性が3つ下の席にいるのが見えた。なぜか香姫も見ていて俺に話をしてくる。

「あの人どう思いますか?きれいですか?」

そう言われると、俺は

「きれな人だよね。あんな人も好きだけど。今は香姫さんがずっといいです」

「お世辞でもありがとうございます。さっき、トイレで彼女と一緒だったんですよ。突然話かけられて、電話番号の交換しました」

そんなことがトイレの中で行われていたとは、俺は思いもしなかった。

「じゃあ、俺にもその番号教えてくれる?」

「嫌ですよ。直樹さんが私だけを見てくれないと駄目だから」

「そんなこと言わないで、お願い」

「まぁ、あとで考えておきますね」

広樹はそうやって俺にじれったい気持ちを起こさせていた。

「実は、広樹のタイプだろう。俺知ってるんだからな」

しょうがないので俺も広樹に反撃をすることにして。

「広樹って誰ですか?」

「とぼけるなって。今だけは地に戻っていいからさ」

「まぁ、俺の好みだから、先輩には紹介したくないんですよ」

やっぱり、俺の勘は図星だったらしい。

「わかったって。とりあえずは一緒に映画見ような」

映画が始まりだして、照明が落とされる。

「わかりました。」

すると香姫が俺の胸の中に入って来た。香姫の髪の匂い、そして、仄かに香る化粧の匂いが映画と共に楽しませてくれた。



(8)

俺こと佐久間直樹(さくまなおき)は朴香姫(パクヒャンヒ)と一緒に映画館にいる。映画に見入ってたせい(そして、ずっと香姫が俺の胸の中にいたせい)もあってか、あっと言う間に終わってしまった感じだ。館内はだんだんと明るくなって来て、従業員の人たちはさっさと帰ってくれと言わんばかりに、退場を勧めている。まだエンドロールが流れているのだからまだ完全には終わっていないと言うのに。。。

とは言っても、香姫は終わるとすぐに館内から出て行こうとする。せっかちな性格なのかも知れないが、俺としてはエンドロールが出るまでは終わった気がしないのだ。さっきの女性を探してみたが、どうやら先に行ってしまったらしい。俺も仕方なく途中でここを出ることにした。

「映画どうでした?」

香姫が最初に聞いてきた。よっぽど俺の反応が気になるらしい。

「ん〜。韓国映画もおもしろいもんだね」

俺にしては思ったよりもおもしろかった。これからはまってしまうかも知れない。

「で、韓国語どれくらいわかりました?」

「わかるわけないだろう」

そう言うと香姫が軽く舌を出しながら笑ったのが可愛かった。
外に出ると夕日が沈もうとしていた。日が暮れるのもずいぶんと遅くなって来た。やはり春が近づいているらしい。

「香姫さん?お腹空いていない?」

夕食にさそおうとして聞いてみると

「もしかして直樹さんお腹もう空いたんですか?昼にあんなにたくさん食べていたのに、信じられません」

香姫の驚く顔とともに自分のお腹に手を当てていた。

「う〜ん。そう言えば、お腹空きました」

俺もすっかりとお腹が空いてしまったので、いよいよ食べに行くことにした。

「そっか。それなら夜は何食べに行こっか?」

「そう言えば、日本にもおでんがあるんですよね。韓国にもおでんってあるんですけど、日本のものとは違うって聞いたことがあります」

広樹はすっかりと香姫の感情まで取り込んでしまっているようだ。

「それなら、俺の知っている店に行こうか」

そう言うと香姫は首を縦に振って応えた。

俺の知っている店と言えば、広樹とよく行った場所だった。映画館を出てから歩いて行くのはかつて一緒に行った道筋と同じ。外から見れば違う相手を連れていることになるが、実際には違っていた。そして、賑やかな通りから狭い小路を抜けるとその店はあった。ここに来るのはずいぶん久しぶりのことだ。店の暖簾をくぐるといつも座っていた場所に通される。

「久しぶりに来ましたね。あの日からすっかり顔を見せなくてどうしたのか心配していましたよ」

お通しが運ばれてくる時に店の人がこう言った。あの日とは広樹が交通事故にあった日。店の人は俺の連れが亡くなったことももちろん知っている。だからこそ、こうやって新しい連れを連れて来たのを見てどうやら安心した様子だ。とりあえずいつものと言ってオーダーを手短に済ませてまた2人の空間ができた。

「こんな店なんだけど、気に入ってくれた?」

俺の目の前に座っているのは今日は広樹では無く香姫だった。香姫は香姫としての感想を俺にしてくれた。

「ん〜。なかなか感じのいい店ですね。なんだか懐かしい感じがします」

懐かしいも何も、俺と広樹はここによく来ていた。週末ともなれば一緒にいる姿を店の人に目撃されているから、すっかりと顔なじみになったのだが、広樹の事件以来ご無沙汰となってしまった。本当に久しぶりのことだ。一緒にいるのが香姫だから俺はますます気が落ち着いた。

「香姫さんって、お酒強いかな?」

せっかくこんな雰囲気の店だから単刀直入に香姫の方を向いて聞いてみる。

「韓国ではお酒に強い女性はたくさんいます。私もその中の一人ですよ」

そう言えば聞くところによると韓国は世界一のアルコール消費国家だそうだ。女性もアルコールに強い人が多いのも当然と言える。

「じゃあ、たくさん飲めるよね」

調子に乗って聞いてみたが、その答えは意外なものだった。

「いえ、今日は遠慮しておきます。明日、授業があるんです」

授業があるだけなら、別に構わないと思うけれど、結構気にするんだろなぁ。

「えっ。授業なら大丈夫じゃない。試験でもあるんだったら無理には勧めることができないけれど」

「でも、明日の授業はしっかり聞いていないといけないので、早めに帰ってもいいですか?」

夜が更けるにはまだ早い時間だったが、香姫にとっては今日はもうそろそろおいとましなくてはならないようだ。

「しょうがないなぁ。じゃあ、ここを出たら寮に帰ろう。それでいいよね」

そう言うと、香姫は俺の方にお辞儀をしながらお礼を言ってきた。

「今日は楽しかったです。1日、ありがとうございました」

そう香姫が言うや否や目の前にいつものおでんとそれにビールがやって来た。俺の好きなものばかりが入ったおでんと、俺の好きなビール。食べてみると相変わらず変わらない味だった。

「相変わらずおいしいねぇ」

その一言を聞くと店員さんは再び忙しい店内へと消えていった。

「おいしいですね。これが日本のおでんなんですか」

「そうだよ。気に入ってくれた?」

そう言うと、香姫は俺の大好きな大根に箸をつけていた。広樹と一緒にいる時は、広樹の奴に大根を食べさせてやったことが無いほどに、独占していたが、相手が香姫だとそれもできなくなっていた。ちょっと悔しいがしょうがない、今日は特別にご褒美の気持ちでくれてやろう。大根を食べ始めた香姫の顔は見るからにおいしそうに見えた。

「これ、おいしいです。大根ですよね。野菜の名前合ってますか?」

「そうだよ。大根。実はこの中で一番大根が好きでね」

俺は素直に本当のことを言ってやる。

「そうなんですか?直樹さんが食べればよかったのに、ごめんなさい」

香姫はそうやって言っているが、顔はしてやったりの表情をしていた。
こうやりながら、器とグラスの中身が無くなるまで話をしながら最後の時を過ごしたのだ。

暖簾を通って外へ出た。夜になると更に寒くなる。いくら春が近づいているとは言っても朝晩は冷え込むようだ。香姫を学校の寮に送るために、まずは学校へと行くことにした。学校まではバスに乗って行くことに、ここへ来たときとは反対側の停留所からバスに乗る。外に出てからは俺たちの会話が激減していた。香姫は何か考えているような表情を浮かべながら、俺のあとについてくるだけだった。バスに乗り込むとようやく2人の会話が再開となった。

「今日は楽しかった。俺の方からありがとうを言うよ」

「いえいえ。こちらこそ楽しかったです」

香姫はアルコールが入っても全く平気のようで、顔色一つ変わっていない。

「やっぱりお酒、強いんだね」

「あはは。今日は本当に楽しく過ごせた〜。先輩!ありがとう」

そう言いながら、香姫は俺の頬に軽くキスをした。

「お酒強くても少し酔った?」

「酔ってませんよ。今日のサービスです。私からの気持ちなので、覚えておいてください。いつか本当につきあうようになったら、その時の記念になりますよね」

このまま香姫が俺とつきあってくれたらと思ったが、そんなことには行かなかった。これから寮に帰ると、本当の香姫に戻ってしまうので、俺のことはわからないだろう。

「まぁ、あとは俺がなんとかするしか無いんだな」

「そうですよ。これからのことは直樹さんが決めてください」

そうやってバスの中で会話をしていると俺たちの降りる停留所に着いた。学校の目の前の停留所、寮はもうすぐと言うところまで来たことになる。

学校の寮までの道のりは思ったよりも明るい道が続いていた。夜に一人で帰ってきても怖くないくらいの明るさなので、安心して歩けるようだ。俺は寮までの道を香姫と一緒に歩きながら、何もしゃべらないでいた。すると、香姫の口が開いて来る。

「直樹さん。今日は本当にどうもありがとうございました。またこんな機会があったらいいですね。本当に楽しかったです」

「もういいよ。広樹。地に戻ってくれ」

香姫が俺の言葉を聞くと広樹としての話が始まった。

「先輩!今日は僕、本当に楽しめました。先輩と一緒にデートをしてみて、生きていることって本当に羨ましいです」

そう言うと、香姫の目には涙がうすっらと出てきた。

「どうした?広樹として泣いてるのか?」

「僕、本当だったらこうやって先輩と一緒に過ごすことができないんですよね。よく行く店に連れて行ってもらって、体は違っても本当に楽しんでいました」

香姫として泣くものだから、俺も泣いてしまいそうだった。

「交通事故に遭ったことを後悔しているってことか?」

「いや。そうじゃなくて。またこうやって動けることに感謝してる方が強いですね」

いかにも広樹らしい答えだと思った。

「お前の体もう無いんだからな。自分らしくは生きて行けないだろう」

「それはそうですけどね。誰かの人生に乗っかっていくしか今は楽しみが無くなりました。でも、こうやって先輩と一緒ならいいなって思うんですよ」

そう言うやりとりをしている間に寮の前まで来てしまった。2人にとってあっと言う間に時間が過ぎてしまった。

「じゃあ、先輩!僕行きますね。香姫さんは部屋で返しますので」

「そっか。これからお前はどうする?」

「まぁ、僕の方は今までのように適当に漂っていますよ」

「また俺の前に現れるのか?」

「そのうち現れますよ。だから、覚えておいてくださいね。じゃあ」

そう言って、香姫は寮の中へ入っていった。

香姫と別れた俺は今日の出来事をおみやげにして家に帰った。家に帰ると玄関で出迎えてくれたのは、妹の楓(かえで)だった。楓は某市立高校の緑を基調とした冬用セーラー服に身を包んで出迎えてくれる。チェックのスカートはいつものように短めで生足が見えていた。

「お兄ちゃん、おかえりなさ〜い。楓が出迎えに来ました。ご飯食べたの?」

「食べたよ」

俺がそう言うと楓はすぐに

「そっか。私はまだご飯食べてるから、お兄ちゃんは自分の部屋に直行してね」

楓はそう言うと居間へ消えていった。

「自分の部屋に直行って?おかしな奴だなぁ」

俺はそう独り言を言うと、靴を脱いで自分の部屋へと直行した。2階に上がってみると誰もいないはずなのに俺の部屋に明かりがついている。不思議に思いながらもドアを開けると、そこには見慣れない女性が俺の椅子に座ってインターネットをしていた。俺が部屋に入ったのに気づくと彼女は俺の方を向いて言った。

「さっきは、どうも。ちょっとあがらせてもらいました」

よく見るとその彼女は、映画館で会った彼女だった。さっきと服装が違うがどうして俺の家がわかったというのか……デートの1日が終わろうとしていた時、俺の新しい出会いはこうして始まったのだった。




 

本作品の著作権等について

・本作品はフィクションであり、登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
・本作品についてのあらゆる著作権は、全て作者の夏目彩香が有するものとします。
・本作品を無断で転載、公開することはご遠慮願いします。

copyright 2014 Ayaka NATSUME.

inserted by FC2 system