別れのレクイエム

作:夏目彩香(2008年3月24日初公開)


 

〜プロローグ〜

クリスマスまで残すところ少しとなった金曜日、僕は里中妙子(さとなかたえこ)に告白をすることに決めた。妙子は同じ大学で一緒にゼミを受けていて、同じ指導教授のもとで卒論を仕上げていた頃からの知り合いだ。卒業するまでの妙子にはあまり興味を持たなかったが、社会人になってから再会したときに、衝撃が走ってしまった。そう、その時僕は妙子のことが好きになってしまったのだ。

今は妙子と携帯メールで待ち合わせをして、妙子の働いているオフィス街にまで来ている。お互いの仕事帰りに会うことにしたためだ。妙子とは友達としての付き合いはできているがまだそれ以上の関係には至っていないのだ。

少し待っていると通勤服姿の妙子がやって来た。黒のタイトスカートは裾が透けて、妙子のすらりとした脚がストッキングに包まれている。黒のハイヒールの足音が響く音が止むや目の前に妙子がやって来た。

「お待たせ。会社出る前にいきなり仕事が増えて、ようやく出てきたの。待った?」

妙子がおどけて言うと僕はキリリとまじめな表情でクールに口を開いた。

「さっき来たばかりだから、大丈夫。忙しい中ごめんね。今日は大事な話があるからって呼びつけちゃって」

「そうそう。大事な話があるんだよね。メール見たときにびっくりしちゃった」

「あそこのコーヒーショップに入ろうと思うけど大丈夫?」

僕は待ち合わせ場所からすぐのコーヒーショップを指差して、妙子の反応を探った。

「うん。禁煙ならどこでも大丈夫」

妙子のオーケーが出たので、僕らはコーヒーショップに入って話をすることにした。



〜告白〜

店内は席の半分くらいが埋まっていて、話をするには丁度いい混み具合。どこに席を取ろうか探してみるとゆったりとできそうなソファー席が空いていた。荷物を置き飲み物を頼みに一緒にカウンターへと向う。もちろんお金は僕が全部払った。注文が終わると妙子は先に席で待って、出てきた飲み物は僕が持っていった。

席に戻ると、妙子にはホットチョコレートの入ったマグを置いた。僕は座った途端にドリップコーヒーの入ったマグに口をつけた。大事な話をしようとしている緊張感のせいもあっていつもよりも多く喉に流し込んだ。

そんな僕とは違い妙子は小さく一口飲んだだけ、その仕草とマグカップについた紅い色にドキッとしてしまうが、妙子にわからないようにできるだけ平静を装おっていた。

「それで、話ってなんなの?」

僕の喉が潤ったところで妙子が切り出して来た。心に決めてはいたが、妙子の方からそう言われるとさらに緊張してしまう。僕は大きく息を吸って心を落ち着かせることにした。

「大事な話があるって、いきなり呼び出したよね。ごめん」

「なんなのよ。妙に改まっちゃって、大事な話があるって呼ばれたら、会うに決まってるじゃない、特に謝ることでも無いわよ」

謝ることが無いと言われても、僕は気にしていたので言ったばかりだ。気持ちを切り替えて言うことにした。

「謝ることなんてないけど、妙子のことを大事にしたいから。こんな日に急に呼び出してごめん。妙子と再会して最近わかったんだよ。自分の気持ちにね」

「自分の気持ち?」

「卒業してからは、妙子と会えなくなったのも当然だと思っていたけど、先月再会してからは妙子に会いたくてどうしようも無かった。そして、自分の気持ちを今のうちに打ち明けようと思ったんだ」

僕がそう言うと妙子の表情から笑顔が消えていた。組んでいた脚を外すと、僕の次の言葉を待ちきれなく言った。

「それって、まさか?私のことが……」

妙子がそこまで言ったところで、妙子の口を手で塞いだ。

「落ち着いて僕の話を聞いてよ」

真剣な眼差しを妙子に送ると、ようやく大人しくなってくれた。静まりかえったところで、僕はゆっくり口を開いた。

「まさかとは思ったけど、最近また会うようになってわかったんだ。妙子……僕と付き合って欲しい」

「えっ!」

妙子は驚きの声をあげながら、驚いた表情を見せた。半分は嬉しそうに、半分は何だか寂しそうにみえる表情だった。そして、妙子の体が震えはじめていた。

「えっと、私のことが好きになったの?」

「そうだよ。妙子のことを愛してる」

僕は妙子からの質問に速攻で答えた。

「えっ〜、駄目!絶対に絶対に駄目。友達関係はいいけど、恋人関係になるのは駄目。そうじゃないと、あいつが目覚めちゃうの」

「あいつ?」

それから、しばらく妙子と話をしたが、妙子は友達としては大丈夫でも、恋人になるのは絶対に無理だと言う。そして、理由を聞けば僕らが恋人になるとあいつが目覚めると言うだけだった。

「どういうこと?」

「本当のことを言うね。私も貴志(たかし)のことが好きだけど、入社したばかりの頃にある夢を見たの。とても現実的な夢で、知らない男の人が私に話しかけて来るの。そしたら、私にクリスマスまでに両思いの人がでてきて、恋人として付き合うようになったら、私の中であいつの意識が目覚めて、私を支配できるようになるって、クリスマスまであと少しでしょう、だから急に怖くなったの」

そのことを聞いた僕は、どうやら妙子は変な夢が心配で付き合うことができないのだと思った。

「妙子もやっぱり僕のことが好きなんだね。じゃあ付き合おうよ。夢の中の出来事なんて信じられないじゃない、知らない男が目覚めるなんてことは無いから、今すぐ付き合おうよ」

「現実みたいな夢だったから、本当に何かが起こると思うの、クリスマスが過ぎるまで付き合うのは待って欲しいの」

「僕は妙子と今すぐ付き合いたいよ。この週末からクリスマスまで、一緒に過ごしたいもの。クリスマスが過ぎるまで待つなら、妙子と大事な時間を逃してしまうじゃない。妙子に何かあれば僕が守るから。それに、クリスマスが過ぎれば何事もなくなるだろう」

「そりゃ、そうなんだけど、貴志がもし告白なんかしてきたらって、ずっと考えていたから」

「大丈夫だって、僕が守るから」

「本当に?」

「本当だって」

「じゃあ、私の中であいつが目覚めても大丈夫?」

「大丈夫。それでも僕は妙子と一緒にいたいから」

「うん。わかった。私は貴志のことを信じるよ。私のことを守って下さい」

「はい」

そうやって、僕らは付き合い始めることになった。妙子は自分が見た変な夢を気にしながらも、僕が守ってやると言ったので安心してくれたようだ。

付き合うと決まってから話をすると、友達関係から恋人関係に切り替わっているのがわかった。

マグカップの飲み物が残り少なくなった頃、妙子はバッグから化粧ポーチを手に取った。トイレに行くと言うので、待っている間に

週末の計画を色々と考えはじめていた。



〜融合〜

妙子が化粧を直してトイレから戻って来た。会った時とは異なる雰囲気にドキッとしてしまう僕だったが、妙子は手をひたいに当てると、熱が出てきて体の調子があまり良くないという。
「なんか、熱があるみたいで体がだるい感じ。貴志さえ良ければ、私を家まで送ってくれない?」

妙子が突然そんなことを言ったので、家まで送ることを即決した。そして、喫茶店を出ると電車を使って妙子の住んでいるマンションに向かったのだ。

電車の中では喫茶店にいたときのように会話は無く、二人の間には沈黙の空間ができあがっていた。電車から降りると妙子はマンションまでの道筋を頭の中で再確認するような感じで住んでいるマンションにたどり着いた。

妙子の住んでいるマンションは、最近建ったばかりの分譲マンション。そこの一室を妙子は賃貸して住んでいるとのことだった。

駅から妙子の住むマンションへ行くために商店街の中を歩いて来た。年末年始と言うことで人もそこそこ多い、その時に二人の沈黙を破ったのは妙子からだった。

「ねぇ、貴志。私のマンションに行くのは初めてよね」

「そうだなぁ。妙子の家に行くのは初めてになるよなぁ」

「じゃあ今夜、一緒にいてくれる?」

「えっ?」

「私の家に行くんだから、それくらいの考えはあると思ったの。いきなり、変なことを言ってごめんね」

「僕がそんなやましい考えを持ってるのか試した?」

「まっ、そう言うことになるわね。でも、貴志にだったらいきなり襲われてもいいと思うの。」

「それって本心?」

「そうよ」

「実はさっき電車の中で、そんなことを考えてた。妙子と融合したいなって。変な意味は無くて、純粋な気持ちでだって」

「わかってる。私もそう考えたから」

「じゃあ、いいの?」

妙子は返事の代わりに頷いた。妙子のマンションで二人が一体化する。それは、想像だにしていなかったことだから。告白してからこんなにも早く結ばれようとしているなんて。告白のタイミングをもっと早くしたら良かったと思っている気持ちのうちに、妙子のマンションに着いた。

妙子の住むマンションはオートロック付きでセキュリティのしっかりしたマンション。鍵は角膜認証になっているので、わざわざ鍵を持ち歩くこともないそうだ。何か箱のようなものを覗き込むと、エントランスの扉が開いた。

エレベーターに乗ると妙子は10階のボタンを光らせた。エレベーターには監視カメラがあるために、妙子とは手をつなぐだけにしていたが、階数表示が増えて行くだけで、胸のドキドキが妙子に気付かれてしまうかと思うほどだった。

エレベーターから降りると、妙子は右奥にある部屋を指差した。

「あそこよ」

玄関扉の横にあるのは指紋認証で、妙子が自分の人差し指を入れるとガチャリと言う音が2回響いて玄関のロックが解除された。

そして、僕が重たそうな扉をゆっくりと開けると、中からは妙子の部屋の香りが漂って来た。扉を開けたまま妙子を先に入れてから、後から僕が入った、玄関扉にはロックが自動にかけられた。

体の調子が悪いせいか妙子はハイヒールを乱雑に脱ぎ捨てていた。僕は妙子のハイヒールと自分の革靴をキレイに並べるいよいよ、妙子の部屋に入ることになった。

短い廊下を通ってリビングに入ると、妙子が冷蔵庫から1リットルの牛乳パックを取り出すと、開け口に直接口をつけてごくごくと流し込んでいた。そして、僕の視線に気づいた途端に飲むのを止め。手に持っている牛乳パックを冷蔵庫の中に入れてから妙子は言った。

「あれっ?私、牛乳パックにそのまま口をつけて飲まなかった?」

不思議な言葉を発した。

「うん。そのまま飲んでたよ。家では妙子がそうやって飲んでるのかな?って思ったけどそうじゃないの?」

僕はそう言いながらも妙子がさっき話した内容が脳裏に浮かんだ。

「もしかして……」

妙子がそう言った途端に、ヒステリーな感情になりそうだったので、妙子の後ろから肩を抱いて気持ちを落ち着かせながら僕は言った。

「そんなんじゃ無いから。大丈夫だって。妙子は心配なんてしなくていいから」

そして、妙子をリビングにある小さなソファーに座らせてから。僕もそのまま妙子の隣に肩を抱きながら座った。

「ねぇ、貴志。やっぱり私の見た夢って現実になるんだわ。私たち、どうしよう?」

「心配すること無いって、僕がなんとかするから、妙子は安心して」

「でも、私の中にいるんだとしたら、貴志を傷つけることになるかも」

「僕にとって妙子は一人だよ。恐れることは無いよ」

「本当に大丈夫なの?」

「何があっても驚かないし、妙子を守り通すから」

「そうよね。貴志がそう言ってくれて安心した。これから私を守ってもらうんだもの当然よね」

そういうとお互いの気持ちを安心させるために僕らはより深く抱き合っていた。僕はソファーに妙子を押し倒し、妙子の唇を一気に奪った。僕の中にある男の本能と妙子の女の本能に付いてしまった火は、深い寝りに入るまで消えることが無かった。



〜覚醒〜

カーテンの隙間から強い日差しが入って来て僕は目を覚ました。横を見ると妙子の平和な寝顔が見えた。優しい寝息を立てている妙子を見ると昨夜のことが本当なんだと実感できた。

妙子が目を覚まさないようにゆっくりとベッドを抜け出し寝室のドアを静かに閉めるとリビングのソファーに座って部屋全体を眺めてみた。白で統一されたすっきりとしたシンプルなレイアウト。朝の光が満ち満ちと溢れ白さが一層引き立てられていた。さっきまで寝ていた僕はいつの間にか眠気から解放されていた。

時計の針を見ると9時を回るところ。寝室が騒がしくなり妙子が目覚めたと思った。すぐにリビングに出て来るかと思ったが、なかなか出てくることは無かった。出てくるのを待っているうちに、なんと妙子の喘ぎ声が聞こえて来たのだ。僕は寝室のドアを中の様子が窺えるだけ開けてみた。すると一人で興奮している妙子が見えた。まさか、朝から一人エッチをするなんて、ベッドの上に半分起き上がり、しわくちゃになったネグリジェを脱ぎ捨て、顔を挟むように手を当て、髪を触り、胸を触り、股間に手を入れて楽しんでいるのだった。

妙子は僕が入って来たことに気付くと、慌てて一人エッチを止めた。そして、苦笑いを浮かべながら言った。

「あっ、おはよう」

「妙子。今の行動は一体?」

「見れば分かるじゃん。オナニーしてたの」

「オナニーって?妙子」

「見られたからにはしょうがないわね。貴志に本当のこと教えてア・ゲ・ル」

妙子はベッドから降りると、裸姿のまま僕に近づいて来て僕の股間に手を当てがった。そのままの状態で話を続ける。

「いつ話そうかと思ってたけど、今言っちゃうのが楽かなってね」

妙子は僕の目をじっくり見つめて、僕の頬に軽くキスをした。

「昨日の夜、告白された時の私の話を覚えてる?」

「知らない男が妙子の中に入ってくるって話……まさか」

「あの話、単なる冗談じゃないの」

「まさか」

「まさかと思うだろうけど、私は私であって私じゃないの」

「えっ?」

「この里中妙子を支配しているのは、昨日話した通りに見知らぬオ・ト・コよ」

そう言った途端、妙子は僕の股間にあるブツを強く握った。

「痛いよ、妙子。何を言ってるんだ?精神病にかかっているだけなんじゃないか?」

「いいえ。私は至って平気よ。どこから見ても里中妙子にしか見えないでしょうけどね。とりあえず貴志が信用してくれるまでは、妙子の口調で話してあげるから」

「妙子が言ったことは、本当のことだって言うのか?」

「そうよ。妙子さんはわかってた。あなたと結ばれたら、いや、あなたに告白されたらどうなるかをね」

「じゃあ、妙子は僕に告白されるのを嫌がっていたのか?」

「きっとそうよ。クリスマスが過ぎるまではね」

妙子は指を自分の股間に入れて、擦りながら話をしていたので、僕はその指を股間から抜き出した。

「妙子の身体を弄ぶな!」

僕の怒りは妙子を弄ぶ何者かに向かっていた。妙子が見知らぬ男に支配されているとは考えにくいが、妙子の動きを見ているとそう考えざるをえない。

「ごめんね。私の身体って感じやすいものだから、つい触っちゃったの」

「とにかく、妙子の身体で変なことはするな。僕は妙子と約束したんだ。見知らぬ男に支配されようとも妙子を守るって」

「ふ〜ん。どうやって?」

「わからない。だけど、君が妙子の身体を変に使えないように見守るのが、僕のやるべきことだと思う」

「へぇ。相変わらず正義感が強いのね」

「そうだ。正義感は昔から変わらないから……えっ!相変わらずって?」

「貴志ったら、相変わらずだなって思っただけよ」

「だって、そんなの昔の僕を知らないとわからないじゃない」

「だって、知ってるもの。妙子さんにとっては見知らぬオトコでも、貴志のことは知ってるのよ」

「どういうこと?」

「妙子さんは知らないだろうけど、貴志なら知ってるはず」

「はっ?」

ということは、目の前にいる妙子の中身は僕の知ってる人物?心の中でそう思った。

「貴志のことは結構知ってるのよね。高校の時にラブレターを使って告白したことあるよね。相手の女の子から直接返事は来なくて、間接的に断られた」

「どうしてそのことを?」

「だって間接的に返事をした本人だもの」

「えっ、まさか!」

「思い出してくれたかな?ちなみに、その時の相手と妙子さんってどことなく似てるよねぇ」

「それを教えてくれたのって……まさか、お前は康人(やすと)なのか!?」

「わかったみたいね」

「本当に康人なのか?」

「まだ疑ってるの?それなら」

すると妙子は僕の初めて告白した相手について、細かく話を始めた。さらに高校の時の先生の話を続けた。僕はこの時、妙子の中に存在するのは康人だと確信した。



〜疑問〜

目の前にいるのは妙子ではなく高校時代の友達である康人。妙子が康人に支配されて康人が思いのまま妙子の体を動かしているのだ。僕はようやく状況が飲み込めた。でも、どうして康人が妙子の中にいるのかはまだわからなかったので、妙子の姿になっている康人に問い詰めなくてはと思った。

「なぁ、妙子。いや、康人。僕は妙子の中に康人がいることを信じるよ」

「えっ、本当?」

「妙子が今までの話を知っているはずがないから」

「じゃあ、信じてくれるのね。私嬉しいっ」

「だから、妙子のように話すのはもう止めろよ。信じたら元に戻すって言ったじゃないか」

「あっ、そうだった……な。お前に信じてもらえないと俺も困るところだった」

妙子の口調は康人のものとなっていた。妙子の声ながら康人のしゃべり方を僕は久しぶりに聞いた。

「でも、どうして康人が妙子の中に?」

「そうだね。貴志にその話をしてなかったよな。あれは……」

そう切り出すと康人は妙子の体で話を始めた。それによると康人が妙子の中に潜伏した理由はこうだった。

あれは今年の春、妙子が新入社員として研修中の頃に起こった。その頃の康人は海外留学を夢見ながらバイトを続けて資金を貯めていたそうだ。バイト先にはいつも自転車を使っていたが、バイトが終わっての帰り道、突然の雨が降りだした。ものすごい雨が降る中橋の下に滑り込むと、自転車から降りて車道から歩道へ移動することにした。

その時に、ある一台の乗用車がスリップして自転車もろとも康人にぶつかって来たそうだ。康人は即死で、そのまま天に召されるところだった。康人の魂が肉体から抜け出し天に昇って行く途中、たまたま橋の上を妙子が歩いていたそうだ。康人の魂は不思議なタイミングで妙子の中に留まり、潜伏するような形で入り込んでしまったそうだ。これが、康人が妙子の中に入ってしまった理由だ。

さらに、気付いた時には妙子と夢の中で会話ができたそうだ。

「夢の中で妙子と話したことがあるって言ったよな。それって昨日妙子も言ってたけど、毎日のように話していたのか?」

康人は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、そのまま口に含んだ。一気に理由を話したためか、喉が乾いてしまったようだ。

2リットルのペットボトルにそのまま口をつけて妙子が水を飲んでいた。康人は高校の時から大きなペットボトルでもがぶ飲みしていたのを思い出すが、普段の妙子では考えられない飲み方だった。

「夢の中では春先に一度話しかけたくらいだよ。毎日そうすることもできたけど、自殺でもされたら困るだろう。そのままじっとすることにしたよ。そうしているうちに、お前と妙子さんが知り合いだって分かって、なんとか機会を待っていた」

「でも、その1回によって、僕と会うのを避けるようになったんだよね。社会人に成り立てで忙しくなったのはお互い様だったから、結局しばらく会えなかったし、携帯番号もメアドも変わっていたので、連絡がつかなくなっていた」

「たぶん、そうだね。それは俺のせいだろうな。お前とは友達だと思っていても、いつ告白されるかは分かっていなかっただろうから」

「だから、妙子はできるだけ僕を避けるようにしていたわけだね」

康人は立て掛けられた写真に目をやった。そこに立て掛けられているのは大学時代の研究室のメンバーで撮った写真だった。そして、その写真には僕の姿が一番目立っていた。

「それでも、先月にあった大学時代の研究室の集まりがあった時には、行くしかないと思っていたね。俺は妙子さんがおまえと会えば、また前のように友達付き合いをするだろうと分かっていたよ。すっかり俺の話した夢の内容に怯えることも無くなっていたしな」

「そう。あれがきっかけで1週間に1回くらいのわりあいで、友達として会うようになった。そんなことも知ってるのか?」

「もちろん。妙子さんの中に半年以上潜伏する形になったんだから、いつでも一緒だったよ。俺が自由に動けない以上は嫌がおうにも妙子さんと一緒に過ごしてた」

「いつでも!?」

「そうじゃん。どんな時も一緒にいたから、妙子さんのことはお前よりも知るようになったよ」

康人は妙子の姿でソファーに座ると、すらりとした足をなでていた。妙子といつでも一緒と言う言葉が気になった僕との会話はまだ続いていた。

「確かにそうだよな。ずっと、妙子の中にいて、何をするにも一緒だったんだからな」

「そうさ、俺と妙子さんは恋人よりも近い関係だったってわけ。言わば一心同体だからな」

「てことは、妙子の裸姿はもちろん」

「まぁな。おまえよりも知ってるって」

「そればっかりはしょうがないよなぁ。なぁ、康人、まさか妙子のことを好きになったことあるか?」

「俺は妙子さんのことを好きになったところで、付き合うこともできないだろう。俺はもう召される身なんだから。今の俺にとっては妙子さんと気持ちは一緒だよ」

「じゃあ、妙子の気持ちがわかるとでも言うのか?」

「あぁ。ずっと一緒にいたからな。妙子さんは貴志のことを心から愛してるよ。そして、俺も
その気持ちは変わらないってこと」

「康人も?」

「俺も気付いたらなぜかお前のことを愛していた。妙子さんの体の中に閉じ込められたから、行き場は無いけれど、こうして意識が表に出てくるとそう思うようになっていた」

「康人。ばかな冗談はやめろよ。お前だって男だったろう?」

「すでに死んだ身だから気持ちは女として生まれ変わったのかも知れない。体はすでに女なんだし」

康人はそう言って妙子の胸を軽く揉んでみせた。

「これのどこが男に見える?とにかく、俺がこうしていられるのもあと3日も無いから、そのあとは安心して妙子さんと付き合って欲しい。そして、一生大事にしてやってくれ」

ここで僕は康人にもう一つ聞きたいことがあったのを忘れていた。康人はなぜ残された時間が分かっているのか?

「なぁ、康人。さっきからあと3日しか無いって言ってるけど、どうしてそんなことがわかるんだ?」

「だって、天から聞こえて来るんだよ。クリスマスには天かはの御使いがやって来て、この世にさまよっている魂を救いに来るってね」

「そうなのか?」

「あぁ、それは正しいことだから間違いない。俺に残された時間で、やり残したことをやらなきゃって思うよ。それにはなんとしてもおまえの協力無しには実現できない。俺を助けてくれるよな?」

「そう言われても……」

僕はまだ状況をはっきりとはつかめていなかったので、躊躇してしまった。そんな僕を見ていた妙子はソファーから立ち上がり、僕に抱きついて来て言った。

「ねぇ、貴志。康人くんに協力してあげなさいよ。私だって応援してあげるから」

「あっ、妙子?わかったよ。協力するよ」

妙子の口調に戻ると、なぜか妙子に逆らう気は起きなくなっていた。



〜秘密〜

「ありがと」

そう言って妙子は僕の頬に軽く口づけをした。康人のやり残したことを果たしてあげるために協力することになったご褒美なんだろうと思うや現実に引き戻された。

「貴志もやっぱり男だよな。妙子さんの口調で頼まれると断りきれないんだよな」

康人の口調に戻った途端、僕は目の前にいる妙子は康人によって動かされていることを思い出した。

「お前にはめられたってわけか?」

そう言いながら、抱きついていた妙子と距離を置いた。妙子は普段では見せることの無い奇妙な笑い方をしながら話を続けた。

「そんなこと言うなって、俺の余生を一緒に過ごすためにはお前の力が絶対に必要なんだから」

「本当にそうなのか?僕じゃないと駄目だって理由は無いんじゃない?」

「だって、妙子さんの恋人と一緒に行動するほうが、回りから怪しまれることも無いだろう、それに相手が昔の友達ならなおさらだ」

「そういうことか、僕が必要と言うよりも、僕との関係が重要なんだね」

「貴志なら分かってもらえると思ったよ。貴志以外の人には僕は妙子さんとして行動するしかないからね。そうしなければ、妙子さんの生活に歪みが生じるだろ」

「あぁ。わかったよ」

僕らはキッチンのカウンターに腰をかけて、横に並ぶように座った。妙子のネグリジェ姿にドキッとするが、中身は康人なんだと考えて、騙されまいと気を強く持った。

「じゃあ単刀直入に聞くけどやり残したことってなんだ?」

「やり残したことには2つあって、俺の家族に会いに行きたいのと、恋愛をしてみたいこと。両方を実現するためにはやっぱり貴志が必要なんだよね。お願いだよ」

妙子はそう言うと僕をじっと見つめながら、ほっそりとした白い手で僕の手を握って来た。妙子がにっこりと笑っている時にあることに気づいて、康人に言葉を返した。

「え〜っと?家族に会いに行くって、その姿で行くのか?その姿でお前の両親に会えるかわからないじゃないか」

「大丈夫だよ。様子が窺えたらいいだけだから。お前は高校の時の友達として会いに行って、俺はその彼女として一緒に行けばいいだろう。それなら俺の家族は快く会ってくれるよ」

「そんなことが簡単にできるわけ無いじゃん。僕のことなんて全然知らない人たちだろうし、お前の正体がばれたらどうするんだ?」

「大丈夫だよ。うちは誰だって歓迎してくれるよ。しかも、息子の同級生だったのならなおさらだね。それに僕の正体はばれることは無いさ、貴志だって昨日の夜は全然わかんなかったぐらいに、妙子さんを完璧に演じられるんだ。いや、本人そのものなんだよね」

「おい、康人。昨日の夜?って言ったか?ペットボトルで水を飲んでた時のことだよな?あれなら今考えてみると明らかにお前の行動じゃないのか?」

「だから、そこが全然分かってないって証拠だよ。本当は喫茶店のトイレから戻って来た時点から妙子として振る舞っていたんだよね」

それを聞いた途端に僕は驚愕した表情に変わっていた。



〜再演〜

「喫茶店のトイレから帰って来たって?」

「ふふふふ。そうなんだ。トイレから出てきたあとには妙子さんの体を支配してたよ。貴志にばれないように、妙子さんらしく演じてたと思うけど」

僕は妙子と一緒に帰って来たつもりだったが、それは康人が妙子として演じていただけだった。

「じゃあ、その後で妙子と結ばれたのも?」

「そうだよ。僕が妙子として貴志と結ばれたんだ。ただ、誤解しないで欲しいのは妙子さんは貴志のことを本当に愛してるってこと、このお陰で僕が妙子さんらしく振る舞えたってこと」

「でも、妙子の意識が無い状態で結ばれたんだよね」

「まぁ、そうなんだけどね」

僕は思わず妙子の胸元をつかみかかった。まるで男の喧嘩のような形相だ。

「お前、よくも」

ここまで言ったところで、妙子は満面の笑みを浮かべた。僕は我に返って全身の力が抜けた。

「ごめん。妙子の体なんだよね。ちょっと興奮しすぎちゃって、妙子の体を傷つけるわけにはいかないから」

「俺も悪かったよ。妙子さんみたいに振る舞ってお前とセックスまでしたんだからな」

僕はようやく落ち着きを取り戻すと、疑問に思っていたことを聞いてみた。

「なぁ、康人。お前が妙子の体を支配している時って、妙子の意識はがどうなってるんだ?」

「たぶん僕が妙子さんの中にいたような感じとは違って、奥深く眠っているはずだよ。こっちからは何も感じることができないから」「じゃあ、妙子と交信することはできないんだな」

「そうだね。とにかく僕に残された時間は僅かだから、その時が来たら僕は天に……」

妙子の声がトーンダウンしたが、僕は勇気づけるように、明るく声を出した。

「そのことは僕もわかってるよ。とりあえず、康人の残された時間を有意義に過ごさないと」

「なぁ、貴志。トイレから出てきたら妙子さんの身体を支配していたんだ。公衆の面前で変に振る舞うのもおかしいから、今朝まで妙子さんとして演じてみたんだ。クリスマスが来たら、妙子さんは元に戻るよ。元に戻っても貴志とは恋人同士だから安心して」

「そうだったんだ。じゃあ、康人はどうなるんだい?」

「僕は本来行くはずだった天に向かうよ」

「妙子が元に戻るなら安心したよ。だけど、康人はそれでいいのか?」

「だって僕はこの世にいない存在じゃない、家族に一目会いに行くだけでいいよ。あとは燃え尽きるような恋がしたかっただけ」

僕は話ながら妙子の顔が康人とダブって見えていた。クリスマスに妙子は元に戻る。康人は行くべきところに行く、ただそれだけなのに何故か気持ちの中では納得のいかないことがあった。

「じゃあ、そろそろ準備をして僕の家に行ってみようか」

「外に出たら妙子として振る舞うんだよな」

「もちろんだよ。なんなら今からそうするかい?」

「そうだな。今から康人だってことがわからないようにした方が僕もやりやすいよ」

「わかったよ。じゃあ、あの時計が10時を指したら、僕は妙子さんとして動くね。貴志と二人きりの時は康人と呼んでもいいからね」

時計の針はあと少しで10時になるところだ。

「じゃあ、康人がしばらく妙子として一緒にいるってわけだな。わかったよ。僕もできるだけ協力するから、できるだけ本当の妙子だと思って接するよ」

「ありがとう。貴志のこと決して忘れないよ」

僕は思わず妙子の手を握りしめていたが、その手の温もりはまるで、康人のように感じていた。そして、時計は10時を回った。

「ねぇ、貴志。これから出かける準備をするわね。何を着たらいいかしら?」

康人は妙子の口調と仕草を始めた。端から見れば、恋人同士の会話にしか聞こえないはずだ。

「自分の家に改まって行くことないだろう。普段着でいいんじゃないか?」

「だって、私の家に行くならそれなりに理由が欲しいから。考えてみたんだけど、康人の訃報を今になって聞いて、高校時代の思い出の品を返しに行くってのはどうかな?」

「なんだかややこしいなぁ。わざわざ理由なんて作らなくてもいいんじゃ無いのか」

「息子の知り合いなら会ってくれやすいけど、理由を聞かれるはずなのね。何か理由がある方が簡単に会ってもらえるわ」

「じゃあ、思い出の品ってのは?」

「それは貴志の家にあるはずよ。高校時代に私があなたにあげたものがあるからね」

「そんなのあったか?」

「とにかく、捨ててなければ、貴志の家に行けばわかるわ」

「そういうことにしよう。康人が着替えたら、僕の家に寄ってから康人の家に向かおう。どうやら昼過ぎになりそうだね」

「わかったわ。じゃあ、私は落ち着いた雰囲気の黒のワンピースを用意するわね。それに明るめの茶色いコートと黒のブーティーを合わせるのはどうかしら?」

「康人の好きなようにしたらいいだろ。そんなこといちいち聞くなよ」

「なんなのよ。私は貴志に決めてもらいたいだけなんだから」

僕よりも康人の方が妙子のことを思っているのではと一瞬頭によぎった。

「康人、わかったよ。お前の言う通りかも知れない。きっと、妙子もそうやって聞いて来るんだよな。お前に冷たくあたるなんて最低だ」

「いや、わかればいいのよ。私は貴志の言う通りにしてみたかっただけなの」

「さっき言った通りでいいと思ったから、特に意見は無いよ。着替える前にシャワ一でも浴びて来たら?」

そう言われた妙子は、新しい下着を取り出し、バスルームへ向かって行く。

「ねぇ、貴志。これは自由に使っていいから、私がシャワ一してる姿は覗かないでね。妙子さんのようにシャワ一してくるからね」

妙子は温もりの残った黒のショーツを僕に手渡しすと、そのままバスルームへと消えて行った。







 

本作品の著作権等について

・本作品はフィクションであり、登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
・本作品についてのあらゆる著作権は、全て作者の夏目彩香が有するものとします。
・本作品を無断で転載、公開することはご遠慮願いします。

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