逢いたくて

作:夏目彩香(2004年7月25日初公開)


 


美咲に呼び出された俺は、急いで待ち合わせのいつもの喫茶店へ向かっている。前のデートからまだ2日しか経っていないのに会いたいって言うから、仕事を終えるとすぐに駆けつけることにした。

思えばこうやって美咲の方から積極的に会おうって言うのは、つきあい始めてから初めてのことかも知れない。いつもは俺に任せるって言うことで、週末だけ一緒に過ごすことが多かった。

待ち合わせの喫茶店には、美咲の家に一番近い駅の目の前にあるから、あと15分くらいで着くはずだ。俺は電車に揺れながら美咲宛に携帯メールを送ることにした。なんと言っても美咲はその喫茶店で1時間以上も前から待ってるらしいから、相当頭にきているんじゃないかとちょっとびくびくしているんだ。

思えば俺と美咲の馴れ初めは、こうやって電車に揺れている時だった。俺がつり革を持っている時に目の前に座っていたのが美咲、軽く茶色がかったショートパーマの髪と白い素肌が印象的で、胸元が大きく開いた服を着ていたと思う。たしかモスグリーンの薄手の生地だったはず、胸元にはふくよかなバストが揺れていて、上から見るとその谷間が見えていた。膝が隠れるか隠れないかほどの白のスカートの上にバッグをちょこんと載せていたっけ。

美咲の家に向かうといつも、その時の光景が浮かび上がって来る。あの後、電車が揺れた際に、美咲の足を踏んでしまって、ヒールのあるサンダル、うすいピンクのミュールだったかな。それを履いていたから、つま先をもろに踏んでしまったんだよな。美咲の痛がる姿を見て俺は平謝りに謝って、美咲の機嫌を取るためにとにかく必死だった。だから、そのあとはどこだか忘れてしまったけれど駅前のデパートで買い物に付き合わされるはめになったんだ。

そのあと色々とあって付き合うようになったけど、美咲と付き合ってわかったのは、本当はそんなきつい性格じゃないってことだった。デートを繰り返すたびに、美咲の素直で優しいところに益々惚れ込んでしまったってわけで、今となってはいい思い出かも知れない。変な出会いであっても俺にとっては今では大切な人だから、こうやっていつも美咲のことを考えているんだな。

ようやく目的の駅に到着した。人がどっと降りて行く、ここの辺りは住宅街だから家路を目指す人が多いはず。そんな中で俺は人の流れに従って、駅前の喫茶店に向かうことにした。美咲には電車に降りる時にメールを送っておいたけど、どうせ店の中まで迎えに行かなければならないだろう。夜なので、目的の店の明かりが目に入る。自動ドアを抜けると、「いらしゃいませ〜」と言われながらも美咲の姿を探し始めた。
いた。

美咲は大きなソファーに座っていた。俺が来たことに気づいたらしく、手を振って俺を呼び寄せるので、俺は美咲のいる場所まで歩いて行った。店の中は比較的落ち着いていて、客の入りは半分ぐらいだった。

美咲の目の前に到着すると、テーブルの上には見た目からしてすっかり冷めてしまったコーヒーカップが置いてあった。美咲が大きなソファーの横に座るように招き入れると、俺はゆっくりと腰を落として言った。

俺:「待った?」

美咲:「ん?ぜ〜んぜん。」

美咲に会っての第一声がこれだった。美咲はだいぶ待ったにも関わらず、表情一つ変えずにいた。いつもは向いあって座ることが多いためか、隣り合ってソファーに座っているのはなんだか照れてしまう。スーツ姿の俺と私服の美咲が付き合っているとは言っても、ちょっと俺にとっては恥ずかしいことだった。

俺:「美咲、今日はどうしてこんな時間に呼び出したんだ?」

いつもだと平日は滅多に会うことが無い、今日はどうしても来て欲しい、会いたい理由はその時にするって聞いたのでここまでやって来たのだ。まぁ、うちに帰るのと方向が一緒だから、そんなに面倒なことでは無かった。

美咲:「だって。今日はね」

俺:「今日はなんなんだよ」

可愛い表情を浮かべる美咲。俺はちょっとだけ冷や汗を流しながら、次の言葉を待った。

美咲:「私たちにとって特別な日なの」

俺:「特別な日?記念日か?」

美咲:「そうじゃなくって〜」

美咲は、何を躊躇っているのか知らないが、今日は俺にとって何も覚えの無い日だった。だから、美咲のことを思って回答を待つのはよすことにした。

俺:「まぁ、いいよ。言いたくないなら、あとでもいいんだし、食事にでも行こうか」

そう言うと美咲はまるで子供のようにはしゃいでもちろんオーケーをしてくれた。俺にとっては予想外のデートだったし、夜のデートだからまずは食事をするのがいいと思ったから。店を出る前に美咲が化粧室に行って来ると言ったので、俺はその間ひとりで待つことにした。俺が美咲を待たせた時間よりも短いんだから、ちょっとくらい我慢しよう。突発的に始まったデートも楽しんでしまおう、そう思ったのは言うまでも無い。



喫茶店を出た俺たちは一緒に食事をすることになった。週末のデートに行くような店へ行くのはちょっと気が引ける俺だったがとりあえず、美咲の食べたいものに合わせることにした。

俺:「何か食べたいものある?」

美咲:「んっと……えっと、何がいいかなぁ」

すると美咲は辺りを見渡しながら、何が食べたいのか考えているように見えた。

美咲:「あっ。そうだ、牛丼!牛丼食べに行こうよ」

俺:「牛丼って……最近は豚丼が多くなってるだろう」

美咲:「私はどっちでもいいよ。一人でああいうお店って入ることできないし、光(こう)くんとだったら行けるから」

美咲が言った光くんとは俺の名前の高崎光太郎(たかさきこうたろう)から来ているが、最近はあまり使ってくれていなかった。つきあい始めた頃にはよく光くんと呼ばれいたので、なんとも言えない懐かしさが俺の中にふと沸き上がった。

俺:「わかったよ。こんな可愛い美咲と一緒にいるのに、牛丼や豚丼を食べに行くのってなんか気が引けるからさ。それに俺は昼も……」

そこまで言いかけた俺は、目の前に美咲がいなくなっているのに気づいた。顔を上げてみると歩き始めている美咲がいた。どうやらあの方向は、俺がかつて親友とよく行った店に行きたいらしい、ちょっとだけ走って美咲に追いついた俺。ちょっとだけ走っただけなのになぜか息が切れてしまった。

俺:「話している途中でさっさと行くなよ」

美咲:「だって、私お腹が空いてるんだもん、何か食べさせてくれないかしら」

俺:「参ったなぁ」

休日デートでも時々見せるが美咲はちょっと冗談がきついところがある。

俺:「じゃあ、俺について来いよ」

俺は美咲の手をつなぎながら、かつてよく行った店へと足を向けていた。美咲の小さな歩幅に合わせてゆっくりと歩いていく。

美咲:「ねぇ、光くん。もしかして、一緒に食べるの嫌?」

歩きながら美咲が聞いてきた。

俺:「別に嫌じゃないけど」

美咲:「なら、いいんだ」

美咲がそう言うとなんだか暖かい気持ちが心の底から沸いて来ていた。

そして、店に着くまでのほんの少しの間は、美咲のヒールの音だけが聞こえていた。



歩くこと5分ほどで目的の店に到着した。ここまで来ると美咲の家も近い、ここって自動ドアじゃないので、引き戸を横にずらして開けた。

ガラガラ……

店員:「いらっしゃいませ」

どうせマニュアル対応だろうけど、威勢のいい声を出してくれる。俺たちはメニューを見ることも無く、牛丼は今は無いので豚丼の並盛りを2つ頼んだ。そのとき、美咲は俺の耳もとに口を寄せて素早く言った。

美咲:「持ち帰りにしようよ。私の家で食べよ」

俺は一瞬戸惑ったが、すぐに店員の人に向かって言葉を付け足した。

俺:「お持ち帰りでお願いします」

首を傾けて美咲の顔を見つめると、そこには照れ笑いをするような美咲の表情が見えていた。お勘定を済ませると3分も待たないうちに商品が出てきた。店員の人からビニール袋を渡されると、すぐに店の外へと抜け出した。

美咲:「光くんったら照れちゃって。可愛いんだから」

そう言うと美咲は軽く小走りをして途中で振り返った。

美咲:「ねぇ、光くん」

俺:「なんだぁ?」

美咲:「私の家まで競争しようよ。じゃ、私行くから」

そう言って美咲は自分の家に向かって走りはじめた。今日は俺と初めて会ったときのうすいピンクのミュールを履いていた。もともと歩幅も小さいから美咲が先に着くのは難しいと想ったが、そう、俺は豚丼を持っていたからそう簡単に走れなくなっていた。勢いよく走ることもできないし、夜道なので車にも注意しなくてはならない、情けないことに美咲の後ろ姿を追うのがやっとだった。曲がり角を曲がると姿が見えなくなるので、不安になるが、幸い道はほとんどまっすぐでよかった。



俺が美咲のマンションの前に着いた時には、すでに美咲は待っていた。

美咲:「やっと来たのね。男なのに情けな〜い」

なぜだか美咲は息を切らせることも無く、マンションの前で待っていた。

俺:「情けないってこと無いだろう。これ持っていたんだから本気で走れなかっただけだって」

美咲:「言い訳なんかしないでいいの。とにかく、私の勝ちってことで覚えておいてね」

時々突拍子も無い行動に出る美咲だけど、ここまでからかわれてしまったのは初めてのような気がする。美咲が住むのは8階建てでオートロック付きのマンションだ。ちょっと家賃は高めだが、他に設備も整っていて安心できることもあって、美咲がここに決めた。ここのオートロックは指紋認証を採用しているので、美咲が指を入れるだけで、オートロックが解除された。

美咲:「どうしたの光くん?」

自動ドアが開いたが俺は入るか入るまいかちょっとだけ悩んでいたのだ。実は俺は美咲のマンションまで来たことはあったが、オートロックの先にはまだ進んだことが無かった。美咲がいいと思うまでは入らないと決めていたが、いざレベルアップするとちょっとだけ心に迷いが生じるものだった。色々と考えはしたが美咲がいいって言うのだから行ってもいいのだろう。

俺:「あっ、悪い。ちょっとだけ考え事してた」

美咲に悟られないようにエレベーターに乗っていた。美咲はエレベーターの6という数字を押していた。エレベーターが6階に到着するまで二人は息を潜めていた。エレベーターの中には監視用のカメラが設置されているので、あまり心地がよく無かったためだった。誰かに見られているような気がすると、二人でいる雰囲気もちょっと残念な感じになってしまう。

6階にたどり着くと、美咲はコツコツと足下を鳴らしながら、自分の部屋の前まで歩いて行った。607と書かれたドアの前で立ち止まると、今度はバッグの中から鍵を取りだしてそれを使ってドアを開けた。その時の俺は美咲の部屋に初めて入るということが俺の緊張感を高めていた。



美咲がドアを開けるとそこから先は全く未知の世界だった。美咲が一人暮らしをしているために、つきあい始めてからしばらくは家の中には入らないという約束だった。そのしばらくと言う時期がどうやら開放されようとしているのだ。

美咲はミュールを脱ぐとすぐそばに取り付けられているシューズボックスの中に片づけていた。小さいながらもその中には様々な靴が納められている。普段デートの度に色々と変わっているので、気にはしていたがこんなにも多い物だとは知らなかった。美咲はスリッパに足を入れると、玄関先に俺の分を用意した。

玄関の扉を閉めると革靴を脱ぎっぱなしにしてスリッパに足を入れる。フローリングの床は最近では当たり前になっているが、スリッパを使って部屋の中を歩き回るのに俺は慣れていなかった。美咲が差し出してくれなかったらたぶんそのままで部屋の中に入てしまったことだろう。

美咲の部屋からは甘い香りが漂って来る、俺の部屋とこんなところも違うようだ。美咲は窓側に置かれたソファーに座ると、右手をソファーの上で叩いていた。どうやら俺にそこに座れと言ってるようだ。俺はローテーブルの上にビニール袋を置くと、美咲の隣へ腰を掛けた。すると美咲は俺の腕を掴みつつ顔を寄せて来た。

俺:「いきなりなんだよ」

美咲:「う、うん?こうやってみたかったんだぁ。いつもだと光くんの部屋ばっかりだったでしょ。今日は私の部屋でこうやって」

俺:「いつもと変わらないよ」

美咲:「そうかしら。まんざらじゃない表情しているのって光くんの方じゃない?」

そういうと二人の笑い声が部屋の中に響いた。

俺:「お腹すかないか?」

美咲:「あっ。そうだね。あれ食べちゃおうっか。私、お茶入れるね」

そういうと美咲は台所へと向かった。美咲の部屋は2Kだが一人でツインルームとはなかなかの部屋に住んでいる。美咲はポットからお湯を急須に入れていた。そういえば、テーブルの向こうには美咲の黄色に統一されたベッドが置かれていた。

俺:「美咲?まだ準備できないのか。こっちの準備はもうできたぞ」

俺は、美咲がお茶を入れている間にテーブルの上に買ってきた豚丼を広げていた。

美咲:「うん。もう少し待ってね」

俺:「あぁ」

台所から美咲が戻って来ると、湯飲み茶碗を2つテーブルの上に置いた。こんなそぶりを見ていると、まるで二人が一緒に暮らしているかのように思えてしまう。

美咲:「じゃあ。食べよっか」

美咲の弾んだ声が部屋の中に響き渡り、俺は美咲を見ながらうんとうなずいた。二人でテーブルの前に並んで座った。

俺:「それじゃ、いただきま〜す」

美咲:「いただきます」



俺が豚丼をゆっくりと食べているその横には美咲が、口の中に一気にかき込むようにして食べていた。いつも一緒に食事をする時には、こんな姿をみせたことは無いのに、自分の部屋にいて安心しているためだろうか、こんなに落ちつきなく食べている姿を見るのは初めてのことだ。なんと、美咲の方が先に食べ終わってしまった。俺がまだ食べ終わっていないのを眺めながら、美咲は何か言いたそうにみえた。

美咲:「あっ、光くん、まだ食べてたんだ」

俺:「……」

口の中にまだ残っているので、俺は反論すらできなかった。

美咲:「光くんったら、私の食べ方見て本当は失望しちゃったんじゃないかな、久しぶりに食べたから思わず地がでちゃった。今日は、私の本当のことを教えたくってそれで急に呼び出したの、それをちゃんと食べてから話をするから心の準備をしていてね。私は、化粧落として着替えてくるから」

美咲はそういうと寝室として使っている隣の部屋へと消えて言った。







 

本作品の著作権等について

・本作品はフィクションであり、登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
・本作品についてのあらゆる著作権は、全て作者の夏目彩香が有するものとします。
・本作品を無断で転載、公開することはご遠慮願いします。

copyright 2011 Ayaka NATSUME.

inserted by FC2 system