理想を育ませて ~金の星形ペンダント2~

作:天海なやか




成田空港へ向かう機内は騒然としていた。成田離婚と言う言葉が流行ったのは一昔前のことだが、それが現実に近づきそうなカップルがいたからだ。機内にも関わらず口論が続いていた。周りに座っているビジネスクラスの乗客も何度か注意したものの、まだまだヒートアップするばかりだった。この場をなんとかしようとキャビンアテンダントが、問題を起こしている女性の方に近づいた。女性を説得してひとまずエコノミークラスの空いている座席に座ってもらい、この場を落ち着かせることにしたのだ。キャビンアテンダントの説得に応じた女性はハンドバッグを手に持ち後方の座席へと移動した。



こうして、俺の隣の座席には新婚旅行帰りの女性が座ることになった。ビジネスクラスからエコノミークラスに移動して来たということだけでも驚くことだったが、成田に到着するやすぐに離婚の手続きを行おうとしていることが衝撃的だった。一つのカップルが結ばれるための瞬間に招待されている俺にとって、破滅に向かうカップルを是非とも救いたいと思うのは当然のことだった。しばらくすると隣の女性はホッとしたこともあってかうたた寝を始めていた。俺は機内に持ち込んだ手提げ鞄の中からある物を取り出した。首に掛けるとひんやりとした感覚が伝わって来る。

そもそも、俺がこの飛行機に乗っているのは、8歳年上の相田愛海(あいだまなみ)さんと6年に及ぶ恋愛を経て、俺こと河原悠大(かわはらゆうだい)の親友である根岸光太郎(ねぎしこうたろう)は結婚することになったからだ。同じ高校に一緒に通っていたものの、高校卒業後の進路はお互いに違って、俺は1年間海外を放浪した後に、オーストラリアの大学に入学、さらに卒業してそのまま就職もしたのだ。俺にも結婚式の招待状を送ってきたものの、欠席に丸を付けて送り返したのだ。それでも、たまたまこの時期に両親からお金を出すからと帰省することになったのだ。結婚式に出席はできなくても顔を出してやろうと思いながら、この飛行機に乗っていた。俺はひとまず機内での騒動を収めるために行動に出たのだ。

「ソンジェプシ」

周りに聞こえないぐらいのか細い声で俺は言った。この言葉を放つことで周囲の誰からも気にされなくなるのだ。透明人間とまではいかないものの、まるで道端に落ちている石のように感じるらしい。キャビンアテンダントに手をあげても、特に気にされることが無かった。俺はこの状態で隣の女性のパスポートを開き名前を確認した。そこには ENA MINAKAMI という記述と共に水上絵奈というサインが記されていた。俺は、パスポートをハンドバッグの中に戻し背もたれにしっかりと背をつけるように深く腰をかけた。大きく深呼吸をしてから、次の言葉を口から放った。

「水上絵奈、チョンシン、イン!」

こう言うや俺の体はみるみるうちに金の星形ペンダントに吸い込まれて行った。手提げ鞄も一緒に吸い込まれて行った。全て吸い込んだかと思うと、水上絵奈の首にネックレスが掛けられて、俺の魂だけが絵奈の中に突入して行く、それに弾かれるようにして絵奈の魂が金の星形ペンダントに吸い込まれた。

ソファに座っている感覚が俺の感覚として戻って来た。いつもの俺の体とは違って、みずみずしい肌、すべすべした感覚だ。俺の真ん中でいつもブラブラしているものは無かった。6年前
は初めてだったが、今ではすっかり慣れてしまった。それでも、また新しい女性の体を自分で動かすことを考えると、何か責任感を感じていた。

脱ぎ捨ててあったサンダルに脚を滑り込ませて、徐に席を立ち上がると、さっきまでの怒りに溢れている表情とは一転して、落ち着いた顔つきに戻してみた。まずは化粧室へと入り込み一旦一人きりの時間を持つことにした。

鏡の前には水上絵奈という新妻の顔が映されていた。俺の好みとはちょっと違うななどと心の中で思った。ハンドバッグの中から化粧ポーチを取り出して、手際良く化粧を施して行く、絵奈が思う通りに俺も手先を動かすことができるのだ。これはペンダントの中に閉じ込めた絵奈から直接情報をリアルタイムで取得しているためだった。とにかく、化粧を済ませると、さっきよりも大人の雰囲気が醸し出された絵奈の姿となっていた。

「航平としっかり話し合わないとね。私が馬鹿だったって謝るんだから」

俺は絵奈の心の中にある怒りを抑え込み、さらに二人の仲を取り持つことに決めていた。いや、このペンダントの力により基本的には愛を回復させるための行動しか取ることができないために自然とそう思うのだ。俺は絵奈の心の中から航平を愛おしく感じる気持ちを見つけて、それを素直に航平にぶつけることにした。

ビジネスクラスのシートに寝そべっている男性を見つけると、空席になっていた隣のシートに腰を下ろした。すると、寝そべっていた男性がびっくりした表情で俺を見つめて来た。

「絵奈!」

俺は姿勢をすっと正し、航平の目をジッと見つめた。

「航平、私どうかしてたよね。ごめんなさい」

俺は両手を膝の上で合わせながら、深くお辞儀をしたのだ。どうやら男の弱みを突いたのが功を奏したようだ。

「そんなに、神妙になるなよ。悪いのは俺だったんだからな。新婚旅行で恰好いいところばかり見せようとして、バカだよなぁ」
「ううん。私が馬鹿だったのよ。航平を私の理想に合わせようとしちゃったから駄目だったのや。妻になったんだから、本当はそんな弱いところを助けて行くべきなのよねぇ」
「そうだなぁ。絵奈に辛い思いをさせたこと、本当に悪かった。成田に着いたら美味しいものでも食べてから帰ろうな」

そう言われると、そのまま俺は航平の胸の中に抱かれた。航平の胸の中は暖かくて優しい気持ちが伝わって来る。絵奈の感じる気持ちも俺の中には自然と湧き上がって来た。ここでこのペンダントの力を改めて感じた。二人の気持ちが落ち着く中、着陸までは絵奈として過ごすことができるだろう、ゆったりとした座席のリクライニングを倒し、このままの姿で光太郎と過ごしたあの頃を思い出していた。



あれは6年前の高校最後の夏休みのある日だった。部活の帰りに光太郎の奴と二人で高校近くのショッピングモールに行った時のことだった。俺はインフォメーションセンターの前で光太郎と別れた後、この金の星形ペンダントを掛けて従業員出入口でインフォメーションで働く相田愛海さんがやって来るのを待っていた。

もちろん待っている間は、このペンダントの力によって存在感を感じさせない状態としていたのだ。愛海さんが近くにやって来たら次なる行動を素早く取れるようにするためだった。数十分待ったところで、愛海さんと同じ制服を着た女性が従業員出入口からモールへと出て行った。交替の時間なのかも知れないとさらに少し待つと、遠目で愛海さんがやって来るのが見えた。

俺は20m圏内に入ったのを見計らって例の言葉を解き放った。

「相田愛海、チョンシン、イン!」

それほど長身では無いものの、すらっとしたスタイルの愛海さんを、俺は自由に動かせるようになったのだ。どうやら退勤時間らしいことも妹の梨桜と一緒に帰ろうとしていることもすぐにわかった。愛海さんの体に初めて入った俺はなんだかとても居心地が良いように思った。小学生くらいの頃から女性の姿になりたいと思ったことが時々あったためだ。そんなこともあって愛海さんの体を操ることになった俺は、さっそく女子更衣室に入り愛海さんのロッカーを見つけた。

ロッカーの中には淡いピンクのブラウスと、オフホワイトのチュールスカートがハンガーに掛けられていた。足下にはヌードカラーのピンヒールパンプスが置いてある。愛海さんにとってはどうってことないいつもの風景なのだろうが、俺にとっては少しだけドキッとした。ペンダントの中から愛海さんの心を読み込むと、そんなドキドキもどこかへ行ってしまうので、適度に俺の感情も残して楽しんでいた。周りには誰も着替えをしていないこともあり、その場で堂々と制服を脱ぎ捨ててみた。パサリと床に落ちるスカートとブラウスを制服用のハンガーに掛けると、私服のハンガーを手に取り一つ一つ身につけて行った。

ヌードカラーのピンヒールパンプスに脚を滑り込ませると、全身を映し出すことのできる大きな姿見の前に立ってみた。俺にとって夢にまで見た女性の体を操ることだったが、こうして実際に女性になってみると案外普通のことに思えた。たぶん、俺の思考能力だけで無く、愛海の考えや思いも一緒に混ざっているために女性として当然という意識もあるのだろう。ショルダーバッグを取りだし、化粧台の前で仕事用のメイクを通勤用のメイクへとやりなおした。最後に軽く香水をスプレーすると通勤姿の愛海さんが現れた。

バッグの中からケータイを取りだし、妹の梨桜にメールを打った。内容はこれからそっちに向かうということを送っただけだが、普段は俺が使わないような軽く絵文字を使うメールをいとも簡単に打っていたのだ。このペンダントの力によって愛海さんとしてあるまじき行動は禁じられている。愛海さんの思いにそぐわないことを自由にすることはできなかった。きっと、俺の気持ちが強かったならこうやってすんなりと着替えることもできないだろう。この後、愛海さんとして出勤カードに記録をして、モールの中でブラブラしている妹の梨桜に会うためにメールで知らされた場所へと歩いていた。周りからは愛海さんが歩いているものと誰も疑わないだろう。



「おい、絵奈、絵奈。絵奈!」

高校時代の出来事を振り返っていた俺は、自分が呼ばれていることに気づいて無かった。口元に垂れていたヨダレをさっとハンカチで拭き取る。

「あっ、航平。ごめんなさい」
「なんかお前がシートにもたれかかりながら、変な風に笑っていたものだから、ちょっと気になって」

そういえば俺はまだ水上航平の新妻である絵奈の姿をしたままだった。昔の思いにふけるのも悪くないが、そろそろ自分の体を元に戻した方がいいのだろう。

「航平、私は大丈夫よ。ちょっと旅行の疲れが出て来たみたいだから、少し寝てもいいかしら」

俺は絵奈の心を読み込みながらいつものように航平にお願いした。

「あぁ、さっきまで俺たち騒ぎすぎたしな。ちょっとゆっくりしていたらいいよ。成田まではまだ時間がかかるからな」
「ありがとう」

そう言いながら俺は航平の頬に軽くキスをすると、リクライニングシートをさらに倒して、ゆっくりと眠りへとつくようにした。

「チョンシン、バック!」

そして、航平には聞こえないぐらいのか細い声でこの言葉を放つと、ペンダントの中にいる絵奈の魂と俺の魂が入れ替わり、金の星形ペンダントは絵奈の首から自然と外れた。俺の姿は元の大きさに戻り、首には金の星形ペンダントがぶら下がったままだった。水上絵奈の座席のすぐ横に立っているにも関わらず誰も俺の存在に気づくことは無かった。そのままの状態で自分の席へと戻り腰をかけてから次の言葉を放った。

「ソンジェッタ」

今までこの席に座っていなかった俺のことを誰も不思議に思うことも無かった。エコノミークラスの座席はさすがにさっきまで座っていた座席と大違いだったが、隣の席が空いていたので思ったよりもゆったりと寛ぐことができる。落ち着いて座り直すと、また昔のことを思い出してみた。



愛海さんの姿として光太郎会った時のことは、よく覚えている。きっと、愛海さんの記憶にもしっかりと残っているはず、妹の梨桜のクラスメートだと言うことに嫉妬してしまったくらいだからだ。この時の愛海さんの気持ちは光太郎のことを気になる存在と思っていただけのはずが、その気持ちは徐々に膨れ上がっていた。ただし、妹のいる手前上はそんな気持ちを隠すしかなかったのだ。

「梨桜、お待たせ!あれっ?この子は誰なの?まさかあなたの彼氏!」

一緒に帰る約束をしていた梨桜の姿を見つけると都合よく光太郎が一緒にいたので、光太郎の前ではもちろん愛海さんとして振舞うことにした。制服姿とは違って、薄手の生地のピンクのワンピースを纏い、下着のラインが見え、スカートの裾は透けて下地がわざと見えるデザイン。ヌードカラーのパンプスはヒールが結構高かったが、今の俺にとってはどうってこと無くなっていた。

光太郎はこんな俺に対しても思いを寄せて来るだろう、愛海さんのように振舞いながら、光太郎の思いをできるだけ実現させてやりたい。そう思っていた。

「ねぇ、お姉ちゃん。彼氏じゃないわよ。ただのクラスメートの根岸光太郎くんよ。私になんか興味なくて、お姉ちゃんみたいな人が好きみたいなの」
「えっ?私!?」
「そんなんじゃありません。梨桜さんのクラスメートなだけです。ここに来たらたまたま会っただけですよ」
「本当かしら?学校帰りにわざわざ来る場所でも無いわよねぇ」
「それもそうですけど、とにかく梨桜と会ったのは偶然です」
「お姉ちゃん、根岸くんをからかうのはこの辺で止めて、一緒に帰ろうよ」
「それもそうねぇ、せっかくだからどこかでお茶でもしてから家に帰らない?」
「いいわよ。じゃあ、駅前に行かない?」
「あのぅ、僕帰りますね」

そんな会話に水を差すかのように光太郎は二人の会話を中断させて来た。俺はそうはさせまいと、ちょっと提案することにした。

「あっ?帰っちゃうの?良かったら根岸くんだっけ、一緒にどう?」
「姉妹水入らずの時間だっていうのにいいんですか?」
「いいわよ。もう少しあなたと話してみたいから」
「お姉ちゃん!まさか、こいつ。。。根岸くんのことが気になってるの?」
「そんなの、いいじゃない。梨桜のクラスメートだから興味があるってところもあるだけよ」
「私はまぁいいよ。あとは根岸くんの気持ち次第」

俺の胸元で金の星形ペンダントが揺れながら赤く点滅した。

「あっ、お姉ちゃん。胸元のペンダントが今光った気がするんだけど、それって気のせいかしら?」

梨桜に聞かれたので俺はペンダントを手のひらに載せてじっくりと見せた。

「このペンダントは普段は金色なんだけど、時々、発色することがあるらしいの、ちょっと変わった物らしくってね。そんなに気にしなくてもいいのよ」
「へぇ、そうなんだ。さすが私のお姉ちゃんだけあるわ。今度、私も首から下げていいかな?」
「うん。考えておくわね」

そこへ二人の会話になかなか食い込むことのできない光太郎が割って入って来た。

「年の差がずいぶんあるのに本当に仲がいいんですね。羨ましいなぁ、僕なんて一人っ子だから兄弟すらいなくてよくわかんないから」

とようやく会話に参加してくれたので、こっちも続ける。

「そうかしら?そんなに仲がいいとも思わないけど?まぁ、当たり前の感じかな、違いがあるなら赤ちゃんの頃にオムツ交換したことがあるくらいよ」
「お姉ちゃん!」

梨桜は焼き餅を焼くように、俺に手を出しながら叫んだ。

「冗談よ。とにかく、根岸くんだったわよね。私たちと一緒にお茶して行くかしら?」

光太郎は梨桜の顔を一瞬見て、

「じぁ、ご一緒させていただきます」

と大きく宣言した。それを聞いた俺はホッとしたような表情を浮かべて、ペンダントを握りしめていた。

「良かった。まずは駅前のいつも行っている所へ行きましょう」

俺がそう言うと三人はこの場から歩き出した。



さすがに日が沈むにはまだ早かった。日差しが入らない席を見つけ三人で座った。俺は梨桜と並んで革張りのソファー席に座り、その向かいの椅子席に光太郎が座った。さすがにこう言う時は女性に座り心地のいい席を譲るのが男ってものだ。

「それにしても、まだまだ残暑が厳しいわよね。私よりも若い二人が羨ましいわね。まだ夏休みが残っているんだからゆっくりと休めるわよね」
「まぁ、そりゃあ。まだまだ僕たちは高校生ですからね。数日経つとすぐに二学期が始まるってわけで、宿題も大量に出ているしそんなに楽なもんじゃないですよ」
「でも、お姉ちゃんに較べれば、私たちはまだまだ子どもの域なのよね。私は早く大人になりたいって思うの、もちろんお姉ちゃんみたくステキな人にね」

梨桜と仲がいいところを見せてやろうと躍起になっていた。

「梨桜のお姉さん」

リラックスした雰囲気の中、光太郎はそうやって呼びかけて来た。

「なんなの?光太郎くん」

光太郎が恥ずかしくなるくらいに俺にとっては恥ずかしかったが可愛く言ってみせた。俯いたまま俺の顔を見ることができなくなっているようだ。

「根岸くんって、なんか可愛いわね。私が名前で呼ぶと恥ずかしくなっちゃうなんて、それに、愛海って呼んでいいわよ」
「お姉ちゃん、クラスではこんな感じじゃないのよ。もっとハキハキとした感じがあるんだけど、やっぱり男の子なんだね。うぶなところは私も可愛く思える」

そう言って梨桜と両手を合わせて叩いていた。光太郎はようやく次の話を切り出すことができた。

「愛海さん」

テーブルの上に置いてある透明なプラスチックケースに入れられた液体は震えていた。

「光太郎くん。な~に?」
「胸元に飾られている金の星形ペンダントがよく似合っていますよね」

この中に本物の愛海さんがいるとは露とも知らなずにそんな質問をしてくる光太郎に大笑いしたい気持ちを抑えて、俺は右手を胸元に持っていき、ペンダントを手の平に載せて光太郎の目の前に見せた。

「最近、ある人からもらったのよ。とっても可愛いでしょ。この素材がちょっと特殊で光の角度とかによっては色々な色に光って見えるのよ」

さりげなく切り返してみせた。

「あれ?このペンダントって何だか開くみたいに見えるんですけど」

光太郎がそう言うとペンダントがまた一瞬赤く光った。

「お姉ちゃん、また赤く光ったよ」

梨桜も赤く光ったことに気づいたようだ。ペンダントの中に閉じ込められている愛海さんの意識によって光っているのだ。こんな時はペンダントを握りしめるだけでおとなしくなる、光ることはなくなった。

「えっ、そう?さっきも言ったけど、これは赤く光って見えることもあるのよ」

それから、よく眺めてもペンダントが赤く光ることは無かった。

「確かに横に線があって、開けられるような感じもするけど、中を開けることなんてできないわ」

そう言うと、手の平からペンダントを落とし、再び胸元で揺れ始めた。

「お姉ちゃん、私トイレ行ってくるね」

このタイミングで梨桜は席を立った。光太郎愛と二人きりになってしまうのは好都合だった。もっと迫ってみようと思って奴に質問をしてみた。

「ねぇ。光太郎くんの理想ってどんな人なの?」

こう問いかけると光太郎はどうやら困っているようだった。奴の性格からすると、まさか「愛海さんが理想の人です」なんてことは言えないだろう。

「それって、理想のタイプを聞いているんですか?」
「えっと、そうなんだけど、具体的にどんな人かな?」

「目の前に座っている愛海さんのような人が好きです」と言えずに、光太郎は胸元に揺れるペンダントをじっと見つめていた。

「ねぇ、そんなにこのペンダントが気になるの?」
「そんなんじゃ無いです。ちょっと考え事しているだけですから」
「もしかして、さっき梨桜が言っていたように私が理想のタイプだったりするの?」

しょうがないので、こっちから切り出してみた。追い詰めるように言葉を畳みかけるのだ。

「……」

やっぱり光太郎の奴は無口になるしか無かった。

「本当のことを打ち明けてもらっていいのよ。私が理想だって言うなら現実を教えてあげるんだから」

きっとそろそろ心が揺さぶれている頃だろう。どっちにか答えなければならない状況を作ってみた。

「僕の理想は……」
「お待たせ~!」

そこまで声が出たところで、梨桜が戻って来たので、この会話は途切れるしか無かった。

「お姉ちゃんったら、根岸くんと二人っきりで何を話していたのかなぁ。遠くから見ていると根岸くんが困った表情していたから」

どうやら、梨桜は二人で会話しているところを遠くから観察していたようだ。

「別に何でも……」
「梨桜!」

光太郎に切り出されるよりも早く叫び声によって遮ぎってみた。

「根岸くんに理想のタイプを聞いていたのよ。私が理想のタイプだって言うのなら現実を教えてあげたいの」
「フフフ。そうだったんだ。困った表情をしていたのはそんなわけがあったんだね」
「はっきり言うのはどうかしら?私が理想のタイプだって言えば楽になるでしょ」

きっとこれであいつは本音をいうはず。長年の付き合いだからよくわかるのだ。

「愛海さんこそまさに僕の理想のタイプにピッタリなんです!」
「やったー!」

この場面に立ち会った梨桜は夏服を一気にお腹が見えてしまうくらい上にあげてバンザイをしていた。

「光太郎くん。ありがとう、あなたの気持ちは嬉しいんだけど、妹の梨桜がいる前で言われた以上はね……」
「ただの理想の話ですから忘れてください」

そう言うと、胸元のペンダントがまた赤く光出していたが、握りしめておとなしくさせた。

「私ってあなたのクラスメートである梨桜の姉だけど、ちょっとだけ付き合ってみる?」
「えっ?それってマジっすか?」

光太郎はかなり乗り気になって来たようだ。

「今のは冗談よ。付き合っている人はいないからもう少しフリーでいようと思ってるの」

そう言うと俺はバッグの中からポシェットを取り出しすっと立ち上がった。

「そろそろ帰りましょう。その前にお手洗い行って来ますね」

躊躇すること無く赤いマークのついた扉を開くと、そこには見慣れた小便器は並んでおらず、個室があるだけだった。洗面台が広く取られていたりするのも印象的だ。生まれて初めて入ったのだが、今の俺の姿ならこっちに入らないと大変なことになってしまうだろう。大きな鏡の前に立つとポシェットからコンパクトを取りだし、化粧直しを始めてみた。やったことは無くてもペンダントの力によって愛海さんと同じことができるのだ。いつもやっている通りにリップを塗り、グロスを塗り直して完成した。

考えてみれば鏡の前で愛海さんのことをジッと観察するのは初めてのことだった。よく見れば見るほど光太郎の奴が憧れてしまう理由がわかるってものだ。



「お客様にご連絡いたします。この飛行機は間も無く成田国際空港に着陸する予定です。着陸態勢に入りますので、シートベルト……」

昔のことを想像している途中だったが、着陸するとのことだから仕方が無い。ここからはしばらく頭を休めることにした。窓の外を見るとそこには懐かしい日本の風景が広がっていた。ゆっくりとランディングして行く機体は俺の気持ちをさらに高めていた。



実家に到着すると俺の部屋はまるで物置のようだった。俺が帰って来たのにも関わらず、母さんはいつものように買い物にでかけると言って、俺を一人残した。ベッドの上に寝ることすらできない状態だったので、俺はひとまず隣の妹の部屋に入った。不在の時には入らないで欲しいと言われているものの、昔から時々入っていたのだ。

この部屋に入ると雑然とした俺の部屋とは全く違うことがわかる。きれいに整えられた室内、雑貨は全て妹のお気に入りの店で買った物だ。今はまだ大学4年で就職活動とバイトに明け暮れているはず。こんな時間には帰って来るはずが無いから、部屋の隅にあるコンパクトソファーに腰をかけた。

この部屋は金の星形ペンダントを初めて使ってみた場所でもあった。ちょっと目を瞑るだけでもあの時の光景が蘇って来た。あのペンダントを手に入れたあの夏、俺の妹の瑞梨(みずり)は父親と仲が悪くて今思えば反抗期だった。このままだと家族全員が不幸になるのではと俺は思っていたほどだった。そんな時にあのペンダントを思わぬ所で手に入れた。

俺がこのペンダントを初めて使った相手は二つ年の離れた瑞梨だった。当時はまだ高校一年で幼さが残っていたが、体はしっかりと成熟していた。やはり、女の子の方が成長は早いらしい、俺は瑞梨の体に興味があるというよりも、やはり試すならばよく知る人物がいいと思ってのことだった。

さっそくペンダントの力で存在感を無くし、瑞梨が学校から帰って来るのを待っていた。そして、帰って来るや否や瑞梨の首にはこのペンダントが揺れていた。初めて感じる女の感覚、いつも見る瑞梨の制服姿も、こうやって間近で見ると思ってもいなかった。顔を下に向けるだけで、瑞梨の胸元が見えてしまう。

この時、胸を触りたい衝動に駆られたものの、ペンダントの力によって俺の思いの通り動くことはなかった。制服から部屋着のワンピースに着替えようと思うと、スムーズに手が動いた。自分で動かしているのに、誰かに操られているような感覚を感じながら、いつも瑞梨が着ていた薄緑色の無地のワンピースに袖を通していた。足元がぶつかり合う感覚に違和感を感じるものの、瑞梨の感覚を引き出すことで、それは造作も無くなった。

父親との関係を回復させること、その目的を達するためにこのペンダントを使っているのだ。父親が帰って来てからのことを想定して、俺は瑞梨の勉強机に向かって座り準備を始めた。瑞梨の中にある父親に対する憎悪感を見つけ、まずはそれを一つ一つ赦して行くことから始めた。

しばらくして父親が仕事から帰って来ると一目散で出迎えたのは瑞梨だった。もちろんこの瑞梨は俺でもあったわけだが、普段は出迎えなどしてこない瑞梨の姿に驚いたようだった。父親の鞄を手に持って書斎まで持って行き置いて来る。ソファーでゆったりと寛ぎ始めた父親の背後に回り込み、俺は瑞梨として父親の肩をもみ始めた。瑞梨の柔らかく優しい手によって硬くなった肩をもみほぐして行く、こんなことだって普段は行わないはずだ。

「おぃ、瑞梨。何か欲しい物でもあるのか?」

父親はどうやら瑞梨の態度が急変していることに対して気になっているようだった。いつもだと何もしない娘が、今日に限って様子が違うのだから当然かも知れない。

「別にそんなんじゃないわよ。最近、私がお父さんに冷たく接してたから、反省したのよ」

実際には瑞梨の心の内には父親に対する憎悪感がとても大きっかったのだが、それをよくよく探ってみると全てが愛情の裏返しということがわかったのだ。父親が仕事ばかりに熱心で普段からなかなか構ってもらえないこと、そこを発端として父親を蔑視する思いがわき上がっていたのだ。俺は瑞梨の心の中に残っていた父親に対する甘えたい気持ちを引き出していたのだ。肩をもみながら次の一言をかけてみた。

「ねぇ、お父さん。私と一緒にお風呂でも入ろうよ!」
「えっ!?」

父親はとてもびっくりしたようだった。反抗期の娘が急に一緒にお風呂に入りたいなんて言うからだ。驚かないわけが無い。

「なぁ、瑞梨。小学校を卒業した時にこれからはお父さんとお風呂に入らないって宣言したじゃないか」

肩から手を話してソファーの前に回り込むと、父親の顔がほのかに赤くなっているのが見えた。

「あっ、そうだったよね。でも、今日は私がお父さんへの仲直りの印として一緒に入りたいの」

台所にいる母親は二人の会話に耳を傾けていたので、リビングへと出て来て言った。

「お風呂なら沸いているわよ。瑞梨が一緒に入りたいなんて珍しいこともあるのねぇ。お父さん一緒に入ったらいいじゃないですか」

母親の援護射撃を受けると父親は徐に立ち上がった。

「それなら、瑞梨と一緒に入ろう」

俺の中に流れて来る瑞梨の心には純粋に父親を愛する気持ちが伝わって来た。瑞梨の奴にもこんな気持ちがちゃんと残っていたということが俺にとっては嬉しかった。裸姿の父娘として一緒にお風呂に入ることを通して父親と娘の愛情は回復したのだ。




「お兄ちゃん!」

瑞梨の部屋でいつの間にか寝てしまった俺は、リクルートスーツに身を包んだ瑞梨が帰って来たことに気づいていなかった。

「おっ、瑞梨か、お帰り。なんか大人っぽくなったよな」
「そんなんじゃないでしょ!帰国早々、私の部屋で寝てるなんて思いもしなかったんだから」

そんな風に言いながらもこうやって久しぶりに掛け合うことができることに瑞梨は喜びを感じていた。

「そういえば、お兄ちゃんの友だちって、明日結婚式なんだよね、やっぱり出席するのよね?」
「あっ、そういや明日だったよな。行けるはずが無いと思ってたから招待状は欠席で送ってしまったから、二次会だけでも出席しようかと思ってるよ」
「そうなんだ。親友にしては冷たいわよね」
「大丈夫だって、俺が海外に住んでいるんだから、それくらいのことはわかってくれているさ」
「そうかなぁ。お兄ちゃんってなんか人の気持ちを捉えるのが苦手な気がするんだけど」

この時、俺のお腹から(ぐぅ~~)という音が鳴り始めた。しばらく何も食べていなかったので、お腹が空いているのだ。俺は瑞梨の部屋からリビングへと移動することにした。

「お腹が鳴ったから、俺は下に降りるよ。晩御飯は一緒に食べるだろ?」
「うん。着替えてから行くわね」

そうして瑞梨の部屋を後にしてリビングでしばらく寛いでいると、久しぶりに家族が食卓を取り囲む時間となった。瑞梨は相変わらず薄緑色の無地のワンピースを着ていた。



食事を済ませると、俺は実家を飛び出してとある場所へと向かっていた。俺が持っているスマートフォンはオーストラリアで契約したものなので日本では使えない、通信手段が無いというのはなんだか不便なことだった。しかし、逆に考えてみると誰からも急な連絡が来ないということでもあるので、ある種の自由を感じていた。俺はとりあえず、スマートフォンにインストールしておいた日本地図のアプリを頼りに、懐かしの場所へと向かっていた。



「ただいまぁ」

吹き抜けの玄関に姉妹の声が同時に響いた。その一人が俺なのだから本当はとてと驚くべきことだった。ここに来るまでに「妹」の梨桜とたくさん会話をしながら歩いて来たが、全く怪しまれることは無かった。

梨桜とその家族と一緒に時間を過ごすのも良い考えだったが、ここは敢て光太郎に会いに行くことにした。今からならまだ光太郎ものんびりできていないに違いない。そう思うと、いてもたってもおられず行動に出た。

「お母さん、梨桜。私用事を思い出したから、ちょっと出かけて来るわね。晩御飯は食べて来るから」

俺はすぐにショルダーバッグを肩に掛け直して玄関を飛び出た。まだ沈む前の夕陽に向かって歩き始めたが、すっかり愛海さんの歩き方が板についてしまった。あいつを喜ばせたい気持ち以上に愛海さんでいられることの喜びは大きかった。



立派な門構えに「相田」という表札を掲げた家の前に立つと、ふとあの時のことを思い出していた。あの時、ここまでの道を梨桜と一緒に楽しくしゃべりながら歩いて来たこと。そして、ここから光太郎の家に向かう時は愛海さんとして一人で歩いて行ったことを思い出したのだ。きっと、今は結婚前夜となる一日を家族で過ごしているに違いない。カーテンを通して見ることのできる暖かい明かりが、それを物語っていた。そして、俺はそろそろこの家の前から立ち去ろうと方向を変えると、目の前すっかり大人になった梨桜の姿に出くわしてしまった。

「あっ、悠大くん。久しぶり!」

驚くことに、梨桜は6年前の愛海さんを彷彿させる容貌を兼ね備えていた。あの頃、愛海さんとして俺は「梨桜もそのうち私みたくなるのかなって思ってるわよ」と語った通りに愛海さんと同等かそれ以上にステキな女性になっていた。俺の心は思わず、梨桜に奪われてしまうかと思うほど高鳴っていた。

「おぅ、久しぶり!」

俺の高鳴る気持ちを梨桜は全く知らない様子だった。

「どうして私の家の前にいるの?もしかして、明日の結婚式のためにお姉ちゃんに用事があるのかしら?」
「オーストラリアから久しぶりに帰って来たもんだから、実家の近所を散歩していただけだって、たまたま梨桜の家の前を通ったらなんだか昔のことが懐かしくなっただけだよ」

すると梨桜は塀に設けられた扉を開けると身体を半分そこに入れて俺の方を振り返って見てきた。

「そうなのね。私はそろそろ家に入るわ。あつ、悠大くんも明日の結婚式に出席するのよね?」
「あっ、それが結婚式は欠席で結婚パーティに出るかも知れないけど、そのあと二人とは別に会う予定」
「そうだったんだ。お姉ちゃんの晴れ舞台なんだから一緒に出席できたら良かったのにね。じゃ、また明日ね!」

梨桜はそう言い残して家の中へと入って行った。



相田家を後にした俺は愛海さんとして歩いた道を同じように進んでいた。あの時とは違ってハイヒールでは無くスニーカーのため足元がふらつくことは全くなかった。相田家は俺の実家から近くにあるものの、普段歩いて来るような場所では無かった。梨桜とは幼稚園が一緒だったが、それは同じ高校に通ってから後で知った事実だった。

とにかく、あの時の俺は愛海さんの身体で光太郎の家へと向かっていた。光太郎の家に行くためには歩いて行くことができないので、電車を使った。到着した駅はその当時と変わらない趣で出迎えてくれた。一駅だけ移動して光太郎の住む街に着いた。俺が愛海さんとして光太郎から告白を受けたハンバーガーショップはリニューアルして新しい内装に変わっていた。コーヒーだけ頼んで、あの時とだいだい同じ窓側の座席に座ると愛海さんとしてのやり取りが思い浮かんだ。



ピーンポーン

光太郎の家に到着すると、母親が玄関で出迎えてくれた。

「どちら様ですか?」
「初めまして、相田愛海と申します。さっきまで光太郎くんと一緒にいたんですよ。私たち付き合っているんです。彼のお部屋まで上がってよろしいですか?」

光太郎のお母さんは彼女ができたということでびっくりしているようだ。しかも、こんな年上の美人がある日突然やって来たのだから驚いただろう。ガードの固い光太郎のお母さんも思わず喜んで部屋まで案内してくれた。

「光太郎!あなたお客さんよ」

部屋のドアが開くとそこに光太郎の姿があった。汗でびしょ濡れになっていた身体はシャワーを浴びて新しい服に着替えていた。

「こんばんは、ちょっと話したいことがあって、来ちゃった」

右肩に掛けていたバッグを手に持ち替えて俺は挨拶をした。あくまでも愛海さんらしく振舞うのが俺の役目だった。金の星形ペンダントも胸元から揺れている。

「そもそもどうして僕の家を訪ねて来たんだよ。愛海さんってどうかしてるんじゃないの?」
「そうなのよ。私どうかしちゃったみたいなの、根岸くんのことを思い出していたら、こんな夕方に会ってみたくなったの、梨桜に無理やり住所を調べてもらって、ここに来たってわけ」
「でも、うちの母さんがよく入れてくれたね。他人をうちに入れるのを相当拒むんだけど、珍しいや」

すると、胸元のペンダントが今度は赤く光ったが、さりげなく握りしめるとまた元に戻った。どうやら光太郎は気づいていないらしい。

「そこなんだけど。きっと、根岸くんの彼女だって言ったからよね。びっくりしてたけど、すぐに部屋まで案内してもらったわ」
「そんなこと言ったの!?」
「まぁ、いいじゃない。私、やっぱり根岸くんと付き合おうと思って、せめて今夜だけでもちょっとだけお話させてくれないかな」
「いいけど、ここだと母さんもいるし、もうすぐ父さんも帰ってくるし、落ちついて話すには適切な場所じゃないかも」
「じゃあ、外に出ることくらいできないかしら、お母さんを説得したら大丈夫よね」
「説得なんてできるかなぁ」
「大丈夫よ。私が話してみせるから、外に出かける準備をしてね」

そう言うと、光太郎はポケットに机の上に置いてあるいつものセットを突っ込んで準備をしていた。二人で一緒に玄関に向かうと、あいつは母さんを玄関前の廊下に呼び出した。

「お母さん。ちょっとだけ根岸くんをお借りしますね。外で食事でもして来たいと思います。21時までには帰らせますので、よろしくお願いします」

俺が光太郎の母さんにそう伝えると、光太郎の母さんはすんなりと承知していた。

「愛海さんが一緒でしたら安心です。あんまり遅くならないようにお願いしますね」
「ありがとうございます。それでは、一緒に出かけて来ますね」

俺はまだ温もりの残るヌードカラーのパンプスに脚を入れ、光太郎は白のスニーカーを履いて暗闇の中へと出ていった。



すっかり外は暗くなって、街灯を頼りにして歩いて行くしかなかった。俺が履いているヒールがアスファルトを叩く音が街中によく響いて気持ちよかった。

「ここは本当に住宅街なのね。こんな時間に歩くだけでもドキドキしちゃうわ」
「本当に静かな街です。僕がここに引っ越してからずいぶんと開発が進んだものの、夜が静かなのは以前と全く変わってません」
「ねぇ、これからどこへ行こうかしら?お腹空いたでしょ」

そうやって、駅前までゆっくり15分ほど歩きつつさりげなくさりげなくさりげなく会話を楽しんでいた。お互いのことをたわいも無く紹介し合ってみたのだ。結局、駅前のハンバーガーショップに入って食事を取ることに決めた。



窓から駅が見えるカウンター席に陣取って、二人ともセットメニューを頼んだ。大きなハンバーガーとフライドポテト、それにドリンクという典型的なセットメニューだ。俺のトレイにはホットティー、光太郎のにはコーラが置かれている。さらに俺のトレイには実は違う種類のハンバーガーがもう一個載せられていた。見た目によらず結構よく食べないと体がもたないようなのだ。大食いなのかな。席に着くと、俺は右脚の上に左脚を載せて脚を組んでみせた。光太郎の奴にサービスしてやらないとな。

「いただきま~す」

そう言って、光太郎はさっそく大きなハンバーガーにかぶりついた。俺はさりげなくホットティーのティーパックを小さな小皿に載せて、口に入れた。

「それにしても、根岸くんって本当に可愛いわね。ここまで来る途中で思ったんだけど、私と興味のある分野が同じみたいね。さすが『理想の娘』だけあるなって」

そう言われると、光太郎はコーラの入ったストローを加えて一気に飲み込んでいた。恥ずかしさを隠そうとすると、ついついオーバーアクションになるのは昔っからだ。

「わかりやすいですよね。さっき二人と分かれて家に帰る時は現実を見ようと思ったんですけど、やっぱり理想を夢見るのもいいなって思い直しました」
「理想を夢見るんじゃなくて、理想を現実に変えていかないとね。理想を飛び越えてこそ、根岸くんの眠っているところが引き出されるんじゃないかしら」

トレイの上に合わせて載せたポテトに手を伸ばすと、光太郎と指がに触れてしまった。光太郎は思わず、伸ばしていた手を引っ込めた。

「先に取って、いいわよ。育ち盛りなんだからね。まさか、指を触れただけで何か感じちゃったかしら?」

図星だった。俺の指に触れたことで電気が走ったような気がしたのだ。おとなしく、ポテトを一本掴んで口に入れた。

「愛海さんって、梨桜とは全然違いますよね」
「そうかしら?これでも本当の姉妹なのよ」
「だって、やっぱり大人だなって感じがします」
「私の高校時代も梨桜みたいにおとなしかったんだけどね。大人になるとちょっとだけ社交的になれるのよ」

俺は心底から愛海さんの気持ちを引き出していた。瞳を輝かせながら語ってみた。愛海さんだって高校生の頃があったのだ。その時代のことをこれ以上聞くのは忍びないと思っているのかも知れない。確かケータイの中には昔の写真があったような気がした。

「もしかして、高校時代の私について知りたい?ちょっと待ってね」

そう言って俺はシャイニーピンクのケータイを開き写真を探し始めた。そして、見つけた画面を光太郎はに見せる。

「これが、高校時代の私の写真よ」

ケータイの画面には茶色のブレザーとギンガムチェックのミニスカートの制服に包まれていた愛海さんの姿だった。梨桜と同じくセミロングの髪型をしているので、雰囲気は梨桜とそっくりだった。

「なんだか、梨桜に似てる感じがします」
「そうでしょ。梨桜もそのうち私みたくなるのかなって思ってるわよ。学校ではおとなしいみたいだけど、本当は活発な子だから、もっと美人になるわ」

そんな風に話をしているうちに二人とも大きなハンバーガーが跡形も無くなっていた。俺はもう一つのハンバーガーに口を付け始めた。この小さな口でも一気に詰め込んでいけるんだから驚きだった。

「根岸くんは、やっぱり梨桜よりも私の方が理想なのよね?」

光太郎に何度も畳み込むように聞いてみる。

「確かに、愛海さんが僕の理想です。でも、現実を見た方がいいですよね」

俺は手に持っているバーガーをトレイの上に置いて、姿勢を正し光太郎の目をまっすぐに見つめた。

「そんなこと無いわよ。私は根岸くんと本当に付き合ってもいいと思ってるの。あなたが中途半端だから、私もどっちつかずにいるだけなのよ」

ある意味本気だった。愛海さんの感情も俺の感情も光太郎のことを考えてのことだ。

「僕が決めればいいんですか?」

俺は軽くうてみせなずいてみせた。

「じゃあ、理想を現実にしてください。理想を飛び越えて現実に僕と付き合って欲しいです」

実は、光太郎は回りに聞こえてしまうほど大きな声で告白してしまった。こんなんだから胸元のペンダントが赤色に光り輝いていたものの、自然と金色に戻った。本物の愛海さんも自分の気持ちに素直に従ったようだ。

「わかった。今日から私はあなたの彼女。あなたは私の彼よ」

本物の愛海さんの代理で俺が告白、光太郎の顔に近づけて、あいつの唇を奪ってしまった。きっと光太郎にとっては甘い味になったに違いない。



川の流れる音と秋の虫の鳴き声が思ったよりも涼しく感じさせていた。ひと気の無い河原の草むらで、草の上に横になりながら星空でいっぱいの空を見上げていた。思った以上にたくさんの星が見えるが、目を瞑りながら今日の一日を思い起こしてみたのだ。年下の妹の同級生を彼氏にするなんてどうかしているが、愛海さんの本当の気持ちを探ると、やっぱりそうなのだ。たくさんの星を見上げながらふと思ったことを光太郎に聞いてみた。

「ねぇ、光太郎。こんなに沢山の星があるけど一体誰が作ったんだろうね?」
「星って宇宙の中にあるチリや埃が固まって出来たって言うけど、誰が作ったなんてわかんないよ」
「それじゃ、偶然できたって?それなら私たちも偶然生まれて偶然死んで行くの?」

偶然生まれて偶然死んでいくのではない、人はそれぞれ使命を持って生まれて来たのだ。このペンダントの不思議な力によって愛海さんの身体を支配できたのだから、その不思議な力にも理由があるはずだ。

「とにかく、私たちが出会ったのは偶然じゃないわよ。会うべくして会ったの、それだけは覚えておいてね」

俺はそう言うと、光太郎に体を抱きしめて欲しいと体で要求した。ギュッと抱きしめられる感触、それも悪く無かった。俺は愛海さんとして光太郎に最後の奉仕をするため唇を交えた。



この店は24時間営業に変わっていた。終電が過ぎてしまうと歩いて帰らなければならないため、そろそろ実家へと戻って、明日の準備をすることにした。梨桜には明日は結婚式には出席しないと言ったものの、実際には密かに進めてきた準備を実行しようと思っていたのだ。そう思うと今夜は眠れなくなってしまいそうだった。

(完)



 (C)2012 Nayaka Amami.


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